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Thursday, 11 June 2020

海外旅行: 行けるときに行くベシ

今朝、海外旅行に行つてゐる夢を見た。
バスで宿にたどりつき、宿でうだうだして、帰りは空港までどう行かうね、行きにバスがあつたくらゐだから、帰りにもあるかな、などといふ感じの、どこだかわからないし観光もしない夢だつた。

今後、海外旅行はどうなるんだらう。
観光旅行はしばらくはなくなるのだらうか。
仕事でといふことはあらうが、その場合もしばらくは行つて二週間帰つて二週間は隔離されるやうだらう。

去年、イギリスに行つておいてよかつたな。
しみじみさう思ふ。

去年行くことにした理由は三つある。
ひとつは今後は海外旅行に行く体力もなくなるだらうこと。
ひとつは消費税率があがること。
ひとつはイギリスがEUから離脱すること。

体力については、これといつて書くこともない。
もともと体力はない。
年を取ればますます衰へるだらう。
巷間よく云はれるやうに、いまが一番若い。
行けさうなうちに行かねば。

消費税率は関係ないんぢやない、だつて国内のことだし。
さう思ふ向きもあらう。
消費税率があがると、結果的に物価があがる。
しかし、収入はいつかな増えさうにない。
結果として、今後は生きていくのに直接必要のないことにはますますお金を使へなくなるだらう。
消費税率のあがらぬうちに貯金すればいいのに、とも考へたが、本来キリギリスな性質なので、そつちの方向には向かはなかつた。

イギリスのEU離脱は、実のところはどうなるかよくわからなかつた。
離脱直前よりも直後の方が英国内は混乱するだらう。
さう踏んだ。
また、加盟してゐるあひだに行つたら、脱退したあとに行つたときになにか変化を感じることもあるかもしれない。

以上のことを考へ合はせて、「行くならいまだな」と決意したのだつた。

決意したあとも、さんざん悩んだんだけどね。
なんで行くことにしてしまつたのだらうか、などと。
いまからでも遅くないからやめにしやうか、キャンセル料はかかるけれど、などと思つたこともある。

そんなに行きたくないんなら行かなきやいいのにね。
ほんとにさう思ふよ。

なぜ行きたくなかつたかといふと、旅券をなくしたらどうしやうとか、宿にたどりつかなかなつたらどうしやうとか、クレジットカードを盗まれたらどうしやうとか、さうした益体もない不安があとを絶たなかつたからだ。

実際のところ、行きの飛行機の中でCAさんにジュースを盛大にひつかけられたり、宿に行く途中で地下鉄が止まつてしまつて、大混雑の駅に荷物とともに佇むはめに陥つたり、次の電車がいつくるかわからなかつたり、来ても混んでて乗れなかつたりといふことはあつたが、まあ、ほぼ、事なきを得た。

行けたら行かうと思つてゐたところには行けなかつたけれど、行くつもりでゐたところには全部行けたし。

行けたら行かうと思つてゐたところには、次の機会には行くつもりだつたんだがな。
しばらくはあるまいな。

やはり行けるときに行くのが正しいのだらう。

Friday, 27 December 2019

絵を見る旅

今年は例年に比べて旅をしてゐない。
咳が止まらなかつたりインフルエンザにかかつたりした結果、有給休暇を使ひすぎてしまひ、泊まりがけで出かける機会が少なかつたからだ。

さう云ひながら八月にロンドンには行つた。
このblogにも書いたやうに、いま行かなかつたら今後行く機会がないだらうと思つたからだ。
体力的なこともあるし、上記のやうに消費税率その他の自由で財力的な問題もある。
また、イギリス自体、Brexit後にどうなるかわからない。

行く前は、ほんたうに「やつぱりキャンセルしやうかな」と思ふことしきりだつた。
なにが心配つて、スリとかが異様に心配だつた。
旅券をiPhoneをクレジットカードを盗まれたらどうしやう、みたやうな。
対策として、なにもかもカバンに結びつけるやうにするとか、旅券であれば写真と戸籍謄本を用意するとか、iPhoneとクレジットカードについては連絡先を控へておくとか、できる限りのことはしたと思ふ。

それでも不安は消へなかつた。
予期せぬ事態に対処できないからだ。

旅行といふのは、本来予期せぬ出来事を期待して行くものだ。
だのに予期せぬ事態の発生することをおそれてゐる。
矛盾してゐる。
だからこれまで海外に行くことはほとんどなかつたし、国内旅行も芝居見物とか人形を見るとかなにか目的があれば行くがさうでなければ行かない。
観光地をめぐりたいとはあまり思はないし、スキーやダイヴィングのやうな山や海に行かなければできないやうな趣味もない。
そもそも出かけることがあまり好きではない。
芝居を見に行くから出かけるだけで、さうでなかつたら家にこもつてゐたい。

それではなぜロンドンに行つたのかといふと、有り体に云つて見たいものがあつたから、だな。
ブレッチリーパークとかね。
大英博物館のマンガ展も気になつてゐたし、背中を押してくれたのは大英図書館のWriting展だつた。
それに、中学生のころから一度は見たいと思つてゐた絵がナショナル・ギャラリーにある。
リシュリュー枢機卿の肖像画だ。

実際にナショナル・ギャラリーに行くと、リシュリューの肖像画の前にはソファがしつらへられてゐて、そこに座つて長いこと絵を眺めてゐた。
天井の壁際の方が明かりとりのやうな不透明のガラスになつてゐて、雲の動きによつて光線の加減が変はる。
それもおもしろかつた。

名画かと問はれると返答に困るが、絵としておもしろい部分はある。
背後のビロードのやうな地厚なカーテンが斜めに引かれてゐて、その線の延長線上にリシュリューの手があり、手は裾の長い衣装をすこしたくしあげるやうに持つてゐて、そのためにできる衣装の線が背後のカーテンの線とつながるやうになつてゐる、とかね。
むかつて左側の背後に外につながる出口があつて、外は明るいのが見てとれる。一方、右側の方は室内の暗さが描かれてゐる。そのコントラストの妙。
リシュリュー自身は呼び止められて声のする方を見てゐるといふやうなポーズにも見える。
ずつと見てゐるといろんなものが見えてきて立ち去りがたい。

行つてよかつたなあ。

そんなわけで、今後は是非フィラデルフィア美術館に行つて覗いて来たい。
二十歳のときからの念願なんだよ。
フィラデルフィアに用事がないからあきらめてゐたけれど、覗いたらきつとすばらしいと思ふのだ。
日本でもたまに覗けることがあるけれど、本物ぢやないしね。
フィラデルフィア美術館にはルノワールの「タティングする女」の絵もあるので、その前でおなじポーズを取つて写真を撮りたいといふ野望もある。

野望があるうちは、完全にひきこもることもなささうだ。

Friday, 30 August 2019

いまさらひとり旅

8/20(火)から四泊六日でロンドンに行つてゐた。
海外にひとりで行くのははじめてだつた。
国内はわりとどこに行くにもひとりで、なにを云つてもことばが通じるし、宿にはたいていのものがそろつてゐるから荷物も少なくて済む。

海外旅行は片手の指ではチト足りないといふ程度にしか行つたことがない。
アメリカに二回、香港に一回、スウェーデン・フィンランドにそれぞれ三回といつたところだ。
アメリカの二回はそれぞれ南と北との国境近くに行つたので、メキシコとカナダとには行つたことがあるから国でいふと六カ国か。

これまで海外旅行にあまり行かなかつた理由は三つある。
一つは資金がないから。
そして時間がないから。
最後に一緒に行く人がゐないから。

資金がないのはもうどうにもしやうがない。
もつと若いころに海外旅行をしてゐたら、と思はないでもないが、そのころは東京往復の交通費と芝居のチケットとで稼ぎの大半が消へてゐた。
「歌舞伎は自分で稼げるやうになつてから」といはれて育つたから、さういふものだと思つてゐた。

時間がないのは仕事の都合だ。
それに、始発のバスに乗り、終電で帰つてくるやうな生活をしてゐると、たとへ時間ができたとしても、もうなにもする気にならない。
そもそも旅行の手配さへできない。
このころは芝居のチケットを買つても見に行けないことも多かつた。
俺はなんて無駄な時間を、と三井寿のセリフが脳裡に蘇るが、どうしやうもない。

資金は相変はらずないがすこし時間がとれるやうになつてきた時、周囲にはもう一緒に行く人がゐなかつた。
若いときに行つてたりとか、家庭があつてそれどころぢやなかつたりとか。
周囲と行動を同期させてゐないと、かういふことになる、といふ典型例だ。

それで、ひとり旅に踏み切つたわけだ。
なんとなく、いま行かないともう行くことはない気がした。
消費税の上がる前に、といふ思ひもあつた。
海外旅行に消費税は関係あるまい、といふ向きもあるかもしれないが、普段の生活に支障がでるやうになつたら旅行どころの騒ぎではなくなるだらう。
あとは大英図書館の Writing: Making Your Marks 展に興味があつた、といふのも大きい。

そんなわけで行つてきたわけだが、そこまでには「やつぱりやめやうかな」と思ふこと一度ならず、といつた調子で、我ながらどうしてかうかな、と思ふ。

考へてみたら、京阪福岡などに芝居を見に行く時だつて、実際に芝居を見るまではイヤでイヤで行きの新幹線や飛行機の中で泣きさうになることがあるんだから、さういふものなのかもしれない。

なにがイヤで「やつぱりやめやうかな」と思つたかについてはまた機会があれば。

ひとり旅にはつきもののことでもあると思ふので、そのうちに。

Thursday, 29 August 2019

ブレッチリー・パークへゆく

8/22(木)、ブレッチリー・パークに行つた。

Bletchley Park

Bletchley Park は第二次世界大戦で主に枢軸国の通信を傍受し暗号解読をもつぱらにした場所、といつたところか。
サイモン・シンの「暗号解読」でもとりあつかはれてゐるし、近年では映画「イミテーション・ゲーム」で舞台になつたところでもある。

ドイツの暗号エニグマを解読するために作られたBOMBEの複製があり、近所にはColossusの複製もあるといふので見に行くことにした。

実際に行つてみると、いろんな楽しみ方があることがわかつた。

1. 暗号解読にまつはる展示
2. ヴィクトリア朝期のマンションの外観と内装とその庭
3. 第二次世界大戦当時のやうすの再現
4. 第二次世界大戦での伝書鳩の活躍
5. その時々の特別展示

ここでは1と2とについて語る。

1. 暗号解読にまつはる展示

敵の通信の傍受にはじまつて、暗号を解読し、解読したものを翻訳してしかるべき筋に渡すといふのが Bletchley Park の仕事の流れだ。
当時の通信機や、翻訳するためドイツ語や日本語習得に使つたカードや辞書なども展示されてゐる。

一番の見ものはやはりエニグマの実機やBOMBEの複製だらうか。

Bombe, Bletchley Park

BOMBEの複製、実際に動くしね。
BOMBEとアラン・チューリングについてはHut 11a、11に展示されてゐる。
ほかの展示にくらべて扱ひが大きいんぢやあるまいか。
当時の電話の受話器を取ると、チューリングの同僚によるチューリング評が聞けたりもする。録音したのは俳優だといふけれど。

さうさう、ブレッチリー・パークではそこかしこで働いた人々のことばが再生されてゐて、本人の語つたものも多い。
Bombeの運用・オペレーションを任されてゐたWrens(ミソサザイ)と呼ばれた英国海軍婦人部隊(WRNS)の人々の証言は本人のものが多く、映像つきのものもあつた。

また、Hutによつてはエニグマの仕組みやかんたんな暗号解読、暗号解読に必要な能力を見極めるためのかんたんなテストのできるインタラクティヴなタッチスクリーンの展示もあつて、こどもたちがこぞつてやつてゐた。
もちろんやつがれもやつた。

2. ヴィクトリア朝期のマンションの外観と内装とその庭

実はこれが想定外に楽しかつた。
ヴィクトリア朝のころ建てられたマンションがあつて、ここに当時の図書室や執務室が再現されてゐる。
二階には上がれないが、一階部分は結構あちこち中を見て回ることができるし、外から窓越しに中を覗いて見るのもまた楽しい。

Mansion, Bletchley Park

ブレッチリー・パークは元は荘園だつたところだといふ。
ここで暗号解読をしてゐるなんてばれてはいけないから、一見まつたくそんなやうすはないやうになつてゐる。

庭には大きな池(地図にはlakeとあるが池だらう)があつて、その周囲の景観もさることながら、芝生の上にベンチやゆつたり座れるいすがあちこちに配してあつて、のんびり休むことができる。
天候が許せば、だけれどもね。

Bletchley Park

ブレッチリー・パークは敷地も広く、Hut(小屋)が点在してゐて全部見て回るには相当時間がかかる。
Google Mapで検索すると、来場者は平均で4時間くらゐは滞在してゐるやうだ。

疲れたら庭のベンチでのんびり池など眺めたりできるといふのが実によかつたんだなあ。
都会の喧噪を離れてのほほん、みたようなさ。

Colossus の複製は五分ほど歩いたところにある博物館にあるといふ。
見に行くつもりでゐたけれど、疲れてしまつて断念した。

Bletchley Park にはまた行きたいと思つてゐるので、その時にでも。

Wednesday, 28 August 2019

大英図書館 Writing: Making Your Marks

8/21(水)、大英図書館のWriting: Making Your Marks展に行つてきた。

the British Library

今の世の中、人々の書いたもの(writing)がSNSなどに大量に流れてゐる。
人間の書いたものが、過去はどうだつたのか、現在はどうか、未来はどうなるのか、といつた展示だつた。

今回ロンドンに行くことにしたのは、この展示があつたから、といふのが大きな理由だ。
大英博物館のまんが展も見たかつたし、ブレッチリー・パークにも行きたかつたけれど、「行くか」と思ふきつかけはこのWriting展だつた。

行つて見て、昔から人はなんとかして書いたものを残さうとしてきたのだなあ、といふことに深く感慨を覚えた。

展示内容としては、最古の記録、アルファベットのできるまで、フォントの変遷、筆記用具の変遷、現在の状況、未来の予測といつた感じだと思ふ。

最古の記録としては、マヤ文明の石碑や甲骨文字などが展示されてゐた。
ところどころにタブレットコンピュータがおかれてゐて、ランダムに表示する文字がどこの国の文字かをあてるクイズを楽しむことができる。
たまたま「いろは」と出てきたので楽勝で答へられた。

なぜ人は書くやうになつたのか、といふ展示もあつた。
理由は三つあげられてゐた。
1. 数を数へるため
2. 名前をつけるため
3. 祈りなど
といつた感じだつたと思ふ。
経済活動、大事だもんねぇ。

古い石碑などの文字から、現在のアルファベットがどのやうにできたのかといふ展示もあつた。
「A」は角のある牛の顔を単純化した記号が変化したもの、といふことだつた。
甲骨文字からいまある漢字への変遷はよく目にするものの、アルファベットの変遷を詳しく見るのははじめてだ。
かういふの、おもしろいよね。
metamorphoseつて感じで。

アルファベットの変遷に関はらず、ギリシャ文字の資料の多くはエジプトで発見されたものが多いやうに思つた。
ギリシャ文字・ギリシャ語は広く使はれてゐたんだらう。

フォントの変遷では多くは讃美歌や聖書を並べて、さまざまなフォントがいつごろ生まれたのかがわかるやうな展示になつてゐた。
San Serif つて、やつぱり見やすく読みやすい文字として生まれたんだな。
あと、小文字の誕生なんてのもあつた。これはどちらかといふとアルファベットのできるまでの方に入るのではないかといふ気がするが、フォントの展示の方にあつたやうに記憶してゐる。

各所に中世やその後の本や聖書が展示されてゐるのだが、いづれを見てもマージンが大きくとられてゐる。
ほとんど本文と1:1くらゐの割合なのではないかといふくらゐ大きい。
中には書き込みのしてあるものもあつて、これがまた読みやすい字で書いてあつたりするんだなあ。
もともと書き込みすることを前提としてマージンを大きく取つてゐたのかもしれないなあ。
ちよつと中国の書に皇帝たちが署名しちやふのを思ひ出した。

筆記用具と書いたが、彫刻用具や羽根ペン、万年筆、ボールペン、鉛筆、印刷機、タイプライタ、コンピュータと、書くことに用ゐるさまざまなものが並んでゐた。

最初に現代の彫刻作品が展示されてゐた。
詩を彫つたものだといふ。
石をさまざまな技術で彫つて、おそらくはことばにあつたおもしろい効果を狙つた作品だ。
そこに彫刻に使ふ用具も展示されてゐた。
くさび型文字もこのあたりに展示されてゐたと思ふ。

羽根ペンについては、羽根ペンの作り方が展示されてゐた。
また、日本で云ふところの矢立のやうな携帯用羽根ペンもあつて、「ああ、昔からペンを持ち歩きたいといふ人がゐたんだなあ」としみじみ思つた。

日本からは螺鈿のほどこされた硯箱が展示されてゐた。二十世紀半ばのものといふことで、簡素な装飾のものだつた。

印刷では高麗の金属活字による印刷物の展示があつた。金属活字としては世界最古とのことだつた。
印刷機は、ベンジャミン・フランクリンが使つてゐたものの複製といふことで、大きなものが展示されてゐた。
その脇には、組み版を体験できるコーナーもあつた。
文字を拾つて「FAIR IS FOUL, FOUL IS FAIR」を完成されるといふもので、できあがつたら鏡に映して確認するやうになつてゐた。
つひ、喜々としてやつてしまつた。

タイプライタが登場すると、それまで男の人ばかりだつた書きものの世界に女の人が登場するやうになる。
コンピュータはApple IIが展示されてゐた。なつかしくて思はずしげしげ見てしまつた。

手で文字を書くことの一環だらうか、習字に関する展示もあつた。
カリグラフィーといふべきだらうか。
如何に美しく字を書くか、どう字を学ぶかといつた展示で、中に英語用のノートによく見られる四本線で下から二本目が赤い線のノートが展示されてゐた。
あの英語のノートの元はこれだつたのか!
文字を学ぶと就職に役立つといふ惹句もあつた。

文字の練習に役立つといふので、色の付いたピンでさまざまな図形を作成するボードゲームのやうなものが展示されてゐた。
照明が暗くてピンの色がよくわからないのでやらなかつたけれど、なぜこれが字の練習・修得に役立つのか、ちよつとわからなかつた。

過去の著名人の手書きには、モーツァルト、ナイチンゲール、ジョイス、スコット、聖武天皇と光明皇后のものなどがあつた。

モーツァルトのものは、譜面で、過去に作曲した作品の出だしだけいくつも記したものだつた。覚え書きのやうなものなのかもしれない。

ナイチンゲールのものは、従軍中の日記と科学的なメモを記したものの二点あつた。
日記はSmythson のWafer くらゐの小さなサイズで、細かい字で丁寧に記されてゐた。
科学的メモの方はもう少し大ぶりのサイズで、革だらうかカヴァもついてゐた。

ジョイスのものは、「ユリシーズ」用のメモといつたところだらうか。
A3くらゐだつたかなあ、紙を縦横に使つてゐて、赤鉛筆と青鉛筆で線を引いて内容をわけてゐたやうだ。ぱつと見ただけでも楽しい感じがする。
紙はかういふふうに自由に使つていいのだなあ。

スコットのは死の直前まで書かれてゐた日記のやうで、トラベラーズノートより少し背丈の低いやうなノートだつた。
「For God's sake look after our people.」といふのが絶筆ださうで、そのページを開いて展示されてゐた。

聖武天皇と光明皇后の展示は、互ひに詠んだ歌を書いたものだつた。名前を忘れてしまつたのが悔やまれる。

ここにはタブレットコンピュータがおいてあつて、手書き文字から性格を判断するアプリケーションが入つてゐた。
判断するポイントは四つ。
1. 大文字と小文字との大きさの違ひ
2. iの点の打ち方
3. 文章全体がまつすぐ書かれてゐるか斜めになつてゐるか
4. 書く速さ
どう書いてもいいことしか云はないやうになつてゐたやうだ。

現在のやうすの中でおもしろかつたのは、eL Seedといふ人のアラビア文字のカリグラフィーだ。
壁などに大きく書く(描く)、イラストのやうにうくつしいカリグラフィーだ。
eL Seed はTED で講演もしてゐるのらしい。一度聞いてみたいな。
壁などは、いづれ壊されてしまふものだけれど、書いたとき、書いたあとでふれあつた人々とのコミュニケーションが大切、みたやうな話をしてゐたやうにも思ふ。
また、書くことは自分にとつて「pretext」なのだとも云つてゐた。
pretextにもいろいろ意味があるからなあ。どの意味で云つてゐたのだらう。

最後に、書くことについていろんな人へのインタヴュー映像をつなぎあはせた動画が流れてゐた。

また、「五十年後、誕生日を祝ふメッセージはどうなつてゐると思ひますか」といふアンケートがあつて、五つくらゐの選択肢の中から選べるやうになつてゐた。結果も表示される。
五十年後も絵文字(emoji)やテキストで送ると答へた人が一番多いやうだつた。一番多いといつても四十パーセントにも満たない僅差ではあるものの、これが英国かと思つた。
やつがれ自身は映像などで送るを選んだ。

さらに、模造紙のような紙が用意してあつて、五百年後のwritingはどうなつてゐると思ひますか、といふやうな質問があり、そのほかに自由に思つたことを書いていいやうになつてゐた。
ばつちり日本語の鏡文字で感想を残してきた。

全体的に照明が暗いのは展示物保護のため仕方がないとして、目の色の明るい人にはこれくらゐの明かりでも十分なのだらうといふ気はした。
上にも書いたやうに要所要所にインタラクティヴな仕掛けもあつて、楽しい。
こじんまりとした展示だつたが、見所はたくさんあるし、文字なので読めると読んでしまふからあつといふ間に時間がたつてしまつた。

時間には逆行してゐるかもしれないが、もつと見やすく字を書きたいなあと思つた
もちろん、もつと書きたいな、と思つたことは云ふまでもない。

Friday, 17 October 2014

再訪もまた楽しからずや

先日、公開句会東京マッハが岐阜県高山市で開催された。よつて「飛騨マッハ」といふ。
高山には、高校生のときに修学旅行で訪れたことがある。
高山自体にはあまり記憶がなくて、白川郷に行つたことと、高山では市内の一流ホテルに泊まつて、テーブルマナーを学ぶといふ名目でかなり高級な感じの夕食を食べてことしか覚えてゐない。

そんな高山なので、あちこち歩き回れたらいいなあと思ふたが、残念ながらできなかつた。
前日、名古屋で一泊したからである。

理由になつてゐない?
名古屋から高山まで、特急に乗つても二時間半かかる。
飛騨マッハは十二時半開場だ。開演までは一時間あるけれど、開演までの時間で選句をする必要がある。できれば開場直後に入りたい。
開場前に食事はすませたい。すると、十一時には高山についてゐたい。それには名古屋を八時半には出なければならない。
一時間前なら七時半、それより前は特急がないので、終電で行つて始発を待つことになる。
ムリ。
最近とみに早起きができなくなつてゐて、とくに前日は三時間台睡眠だつたりしたものだから、八時半出発でもかなりつらかつた。

こんなことなら高山に泊まるんだつたなあ。
しかし、さうすると高山着が十二時を過ぎてしまふ。
なぜといつて、前日は名古屋で歌舞伎の顔見世興行を見ることになつてゐたからだ。
歌舞伎の興行としてはかなり早めに終演するけれど、そこから名古屋駅に出て乗り換へて、といふことになると、万が一のことも考へるとどんなに早くても九時名古屋発がいいところだ。
九時に名古屋発だと、もう特急はないので、三時間半くらゐかけてのんびり行くことになる。

そんなわけで、十一時高山着といふのは、やつがれの中ではそれしかない選択ではあつた。

ではあつたんだが、むーん、もつたいなかつたかなあ。
十一時について、混み始める前にと思ひ、即食事どころを探した。
おほよその目星はつけてゐた。
駅からそんなに遠くなくて、その通りを行けばほかにも食事どころのありさうなところ。
そんな道を歩いてみるつもりでゐた。

駅を出てものの十分もしないうちに、目星をつけてゐた店のうち最初の一軒にたどりついた。
迷ふこともなかつた。
すぐに食べられさうだつたので、その店に入ることにした。
いやはや、なんだらう、このスムースさ。
食事のあと、まだちよつと時間があるといふので店のあたりをぶらぶらしてみたけれど、これまた道に迷ふことがない。

やつがれは方角についてはひどく極端なたちで、ほぼ間違へない町と絶対間違へてしまふ町とがある。
間違へてしまふ町については以前も書いたな。
お堀の周りに弱い。
国立劇場にはじめて行くときもえらく迷つたし、四谷では必ず逆の方向に行つてしまふ。
この前は行き慣れてゐるはずなのに、お茶の水駅に出るつもりで気がついたら水道橋駅についてゐた。
なんなのだらうか。水道橋駅はさすがにショックだつたよ。とほほ。

間違へない町といふと、飯田がさうかな。
先日も、鼎駅からICにつながる道の方まで歩いて、ついたらお目当てのお店がまだ開店前で、仕方なくすごすごとそこから飯田市川本喜八郎人形美術館まで歩いたのだが、途中迷ふことはなかつた。
はじめて飯田市川本喜八郎人形美術館に行つたときも、なかなかつかないなーとは思ふたけれども、迷はずについたし。
「ここで食べやう」と決めた食事どころにもいつもちやんと行けてゐる。
京都は、まあ、間違ふ人の方が少なからうと思ふのでおいといて、さうだなあ、日野でも目的地には迷はずつけたし、さういへばお堀のそばだけれども、ある人のお宅を訪ねて行つたときもちやんとついたんだつた。さういふこともある。

そんな感じで、その時々や場所場所によつて、迷ふたり迷はなかつたりする。
高山は、「ここに行く」と決めてゐたところにはすべて迷はずにたどりついた。
しかも、とくに行き先を決めずにぶらぶらしてゐても、「駅にたどりつけないかも」とか「飛騨マッハの会場はどこ?」といつたやうな不安を覚えることはなかつた。
いい町ぢやあないか。

道のところどころにある案内表示もわかりやすいんだよね。
海外からの観光客も多かつたし、万事わかりやすく作つてゐるんだらう。
すばらしい。

そんなわけで、行く前は「もう高山には行かないかもしれないし」と思つてゐたが、うーん、もう一度くらゐはどうにかして行きたいなあ。
東京からだと時間がかかるか知らん。

さういへば去年の五月に奈良に行つた。
中学校の修学旅行以来だつた。
そのときは興福寺のそばの宿に泊まつたのだが、興福寺に行くことはなかつた。予定に入つてゐなかつたのである。
阿修羅、見たかつたのになー。
阿修羅については、東京国立博物館で開催された阿修羅展で360度ぐるりと見ることはできたのだが。
でもやつぱり、お寺にも行きたいよねー。
といふわけで、行つてみたのである。

晴れた日だつた。
周囲に高層ビルのないせゐか、ひどく開放された気分になつた。
あたりは観光客や修学旅行生でいつぱいなのだが、しかし、国宝館などをのぞくと、込み合つてゐる、といふ感じはしない。
いいなあ。
中学生のときに来たときもこんな感じだつたらうか。
それとも、あの時はそんなこと感じる余裕もなくあちこちに連れまわされてゐたかな。

この日も泊まりは大阪で、あまり時間はなかつたのだが、それでもなんだかのんびりした心持ちになつた。
修学旅行で行つた法隆寺とか薬師寺にも行つてみたい。
そんな気がする。

こどものころ行つたことのある場所やよく行つた場所に行くとおもしろいよ。

そんな記事を最近webで見かけた。
詳しくは読んでゐないが、さういふこともあるな、と思ふ。
こどものころといふのは、自分の意思でどこかに行く、といふことがなかなかできない。
行きたいところには行けても、つれて行つてもらはなければならない。
修学旅行に至ると、行きたいところには行けず、行きたくもないところにつれて行かれることがある。

さういふところに、自分の足で行つてみると、おもしろい発見がある、と、さういふことなんだらう。
修学旅行のときは単につれて行かれただけでなんの記憶もないところにいま行つたら、またちがつた感慨があるのではあるまいか。
そんな気がする。

高山からの帰り、新幹線で浜名湖付近を通り過ぎるときに、さういへば、こどものころ夏休みによく来たな、と思ひ出した。
今度は浜松に行つてみるか。
こどものころに一度だけ、浜松城に行つたことがある。
あのころは家族で車で移動してゐた。
いまはない。

今度行つてみやうかな。

Friday, 26 September 2014

旅の友

Untitled

ル・ボナーのネコリュックと、setoのEater-sagari。

ネコリュックは、猫の腹側にしか入れ口がないので、海外旅行向きかと。背負ふと自分の背中側にファスナーが来るので。
まあ、スリの団体に囲まれた日にはどーにもならないだらうがな。

Eater-sagariは、躰にぴつたり沿ふところがいい。
もう一回り大きいのを持つて行くべきだつたかも、だけど。
大は小を兼ねるといふし。

Thursday, 25 September 2014

教会とか

水曜日のヘルシンキは、ほぼ快晴といつたところ。日中くもることもあつたが、まづまづの天気であつた。
その分寒かつたがな。

駅は修覆中で、覆ひをかぶつてゐる部分も多かつた。
この角度は比較的まし。

Untitled

朝はまづマーケット広場方面に向かつた。
朝からやつてるし、そばに大聖堂もあるからだ。
ヘルシンキ大聖堂は、前回行つた時は妙なジーさんにつかまつてしまつて、あまりよい思い出がない。
いままで全然気がつかなかつたけれど、ルーテル派の教会なのださう。中央部分の四隅にルターとメランヒトン、そしてアグリコラなる人物の像が飾られてゐる。もう一隅は、大理石とおぼしき柱のやうなもので覆はれてゐる。

その后、マーケット広場に行き、同行者があちころつかまりまくる。
何故か自分で織つたものを販売してゐる人が多かつたのだ。
季節的なものかのう。

それからTaitoに行き、そこから怒濤のお土産買ひがはじまつてしまつた。
幸ひなことにやつがれはまきこまれずにすんだけれど。

この写真はそんな買物道中で見つけたポスターである。

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何のポスターなのかさつぱりわからない。

エスプラナーディ通りをぶらぶら歩いて、アカデミア書店へ向かふ。
以前より手藝関連の本は充実してゐた。
ちやうど昼時だつたので、カフェ・アールトで昼食。
一階にスターバックスコーヒーができたせゐか、以前より空いてゐる気がした。
隣のストックマンデパートのWiFiが拾へてかなり快適。

ボケてゐるが、ダークチョコレート。
飲物自体には甘味がない。

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トラムに乗つて、テンペリアウキオ教会に行く。
周囲のお宅がいい感じだ。

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岩の教会の名のとほり、住宅街のまん中に突然ごつごつとした物体があらはれる。
前回は讃美歌のBGMが多かつたやうに記憶するが、今回はなんとなくジョージ・ウィンストン風だつたのがチト残念。

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今回の移動手段はトラムのみ。
目の前を「ドクター・イエロー(仮名)」が通つてあはててカメラを向けたが、遠くに行つてしまつた後だつた。

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無念。

Wednesday, 24 September 2014

工場と工房と

月曜日、火曜日と、織物関連の見物がつづいた。

月曜日には、ストックホルムのセーデルマルム島にあるStiftelsen K A Almgren Sidenväveri & Museum に行つた。
19世紀創業で、1970年代まで工場として機能してゐたといふ。
1990年代に絹織物博物館として開業したのらしい。
地下鉄スルッセン駅から歩いてすぐのところにある。
ストックホルムカードが使へる。

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中ではジャガード織機の実演を見せてくれるほか、絹織物製作に用ゐてゐた道具の数々や1940年代に撮影したアルムグレン社の紹介動画を見ることができる。
動画は日本語版を見せてもらつた。
たどたどしい日本語を聞くと、健気だなあと思ふ。

屋根裏には、展示物もいろいろある。
例によつて引出しを開けると織地のサンプルがあつたりして、これが素敵。

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火曜日は一路フィンランドに向かひ、旅行会社の案内では「ヘルシンキ郊外」といはれてゐた地に赴く。裂き織工房見学だ。
車で2時間つて、新宿からだつたら双葉SAだぜ。

白樺の森と農地の交互にあらはれる車窓を眺めつつ、2時間半後に目的地にたどりつく。

この写真は、工房のものではないが、色は似てゐる。
工房の写真などは後日、気が向いたら。

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古い家を改造して作つたといふ工房には、巨大な織機のある部屋と、織りあがつたマットをおいてある部屋とがある。
マットが何本も並ぶ中、工房主が迷はずいろいろ取り出すさまもまた圧巻。

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織りはやらないので、何をどう撮つていいやらよくわからなかつたのが残念。

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主な写真はデジタルカメラで撮つたので、機会があればまた後日。

Tuesday, 23 September 2014

三回め

日曜日は、お店などはお休みなので、いきほひ博物館に行くことになる。
前回前々回にも行つた北方民族博物館にまづ行つた。
ここは三度め。

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今年はこんな感じだつたが、2年前の5月はこんな感じだつたし、

Nordiska Museet

10年前の3月はこんなだつた。

Nordic Museum

ここは建物自体も楽しい。如何にも「ヨーロッパ」といふ感じがする。
ただし外観のゴシック調が「スウェーデン」的かどうかは謎。
教会はわりとこんな感じが多いやうに思ふ。

北方民族博物館は、そんな名前のくせに、ほぼスウェーデンのものしか展示されてゐない。サーミ族の展示が北欧各国にまたがつてゐるくらゐか。
このあたり一帯がスウェーデンだつたこともあるから、その矜持からくる命名なのだらう。

家具や食器などが年代別に並べられてゐたり、その時々の特別展示があつたりする。
今回の特別展示は、装飾品だつた。ものすごくこまかいビーズ織のブレスレットやメガネチェインに目を奪はれた。
ビーズ自体が実に小さい。
こんなの作つてたんだねえ。

ちなみに十年前の特別展示は、DOReDoと広瀬光治だつた。

我々にとつてのメイン展示は、引出の並ぶ部屋である。
各引出しには様々な種類の織・刺繍・編物がおさめられてゐる。古いものをしまつてあるのらしい。
以前行つたときも書いたと思ふが、40番手より細い糸で作つたマクラメに、今回も見入つてしまふ。

ここまでは撮影禁止区域。
今回は入口を入つてすぐのところに、wild apples and cultivated fruitsと銘打つて、スウェーデンのリンゴが展示されてゐた。リンゴのほかにも梨とかがあつたやうに思ふ。
試食コーナーもあつた。
あまりの数に数へるのはあきらめた。

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その後はスカンセン野外博物館といふのもお約束。
今回は西の方の入口から入つた。

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途中、激写した孔雀の写真などは後日。
雷鳴が聞こえてきて、帰ることに。

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ストックホルムで雨ははじめて。
この後ゲリラ豪雨に見舞はれることになるとは、神ならぬ身には知れぬことなのであつた。

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