Wednesday, 04 November 2015

おほつぴらに見る

10月29日の木曜日に永青文庫に行つて春画展を見て来た。

春画展は開催に至るまでいろいろと大変だつたのだと聞く。
それぢやあ見に行かなきやな、前期の展示は11月1日までだといふし。
といふわけで行つてきた。

話には聞いてゐたが、ほんたうにすごい人だ。
「今日の永青文庫は大変な人ですこと」と云ひたくなること請け合ひだ。
それでもこの日はチケットはすぐ買へたし、中にも即入れた。
中は大層混み合つてゐたけれどね。

開催にこぎ着けるまで大変だつたらしい、と書きはしたけれど、やはりかうして堂々と展示されてゐると、だんだん食傷してしまふ。
なんかもう飽きてきちやつたなー、と思つたころに、「最近は普通の春画では商売にならなくて」とボヤイてゐる人の絵が展示されてゐて、ちよつと笑つてしまつた。
江戸時代も後期になると、さまざまな趣向を凝らした春画が作成されたやうだ。幽霊物怪の類の出てくるのはさういふものなんぢやないのかな。

春画はできれば誰もゐないところでひそかに楽しみたい。
展覧会に行つておいてなんだけれどもさ。
そこへ行くと豆版の絵はいい。
5×3カードくらゐのサイズの紙に描かれてゐて、その精緻なことといつたら驚く。
覗き込むやうに見る感覚が、春画を見てゐるといふ気分になる。
展示されてゐる絵の中には「仮名手本忠臣蔵」を題材にした絵があつた。どの絵を見ても「きみたち、そんなことやつてる場合ぢやないだらう」といふものばかりでこれまたうつかり笑つてしまつた。

さういや春画のことは笑ひ絵ともいふね。

上方の人が描いたものは表情豊かといふのがおもしろかつたなあ。
あと、葛飾北斎はやはりちよつと別格。なんといつても、着物の描き方ひとつで「あ、これは北斎」つてわかるんだもの。
おなじやうな着物の描き方をしてゐる絵は一枚あつたくらゐだ。
ああいふ描き方をすると、リアルになり過ぎるのかな。

物販コーナーもこれまた大変な人出であつた。
北斎の蛸の絵のトートバッグなんて、どこに持つて行くんだよ。
まあ、もちろん当たり障りのない部分を切り取つてはあるけれどもさ。

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Thursday, 23 July 2015

展覧会に行く

今年は例年になく展覧会に行つてゐる。
「今年はさうしやうかな」と、New Year's Resolutions といふには大げさだが、考へてゐた。
考へてゐたわりには、最初が四月の連休に入るちよつと前だつた、といふ出遅れぶりだ。
さう云ひつつも、渋谷ヒカリエの川本喜八郎人形ギャラリーや飯田市川本喜八郎人形美術館にはそれなりに行つてゐるんだけれどね。

最初が明治大学米沢嘉博記念図書館で開催されてゐた「没後20年展 三原順復活祭」だつた。
これを皮切りに、サントリー美術館の「若冲と蕪村」、横浜人形の家の「シャーロックホームズ」展、東京国立博物館の「鳥獣戯画 京都 高山寺の至宝」、世田谷文学館の「植草甚一スクラップブック」、太田記念美術館の「江戸の悪」、三井記念美術館の「春信一番写楽二番」に行つた。
去年まで展覧会には年に二回行くかどうかだつたことを考へると、格段に増えてゐる。

展覧会に行かう、といふか、絵を見に行かうと思ふやうになつた所以は、いろいろある。
ひとつには、三森ゆりかの講演を聞いたからだ。
講演の中で絵本を題材に絵の分析や物語の分析についての話があつた。
内容は三森ゆりかの「絵本で育てる情報分析力 論理的に考える力を引き出す(2)」といふ本に詳しい。
それまで、「絵の見方つてよくわかんないや」と思つてゐた。
この講演で、まづは描かれてゐるものをよく見ることからはじめる、といふことを知つた。そして、描かれてゐるものごとから状況を把握する。
それでいいのか。
さう思つて、しばらくは芝居を見るときにさういふ観点から見るやうになつた。
たとへば「野崎村」は、空は青いから昼間、季節は梅の花の咲くころ、そのうち義太夫が語り出すと「年の内」といふことがわかる。
舞台のほぼ中央には家があつて、その家の周りは田んぼか畑、裏手には川が流れてゐるやうだ。
と、こんな感じだ。

絵本も買つてみた。
友人から教へてもらつた「バムとケロ」シリーズから一冊選んだ。
こものなど細かいところまで描かれてゐて、一枚だけでも気をつけて見るのは大変な本だつたが、これもまた楽しかつた。

さうすると次は展覧会だよな。
それも、抽象画にはまだ早いから、ひとまづ具象的な絵の展覧会。

「シャーロックホームズ」と「植草甚一スクラップブック」とはチト毛並みが違ふけれど、ほかは全部具象的な絵の展覧会ばかりだと思ふ。
実際展覧会に行くと大変な混雑ぶりで、一々分析などしてゐられないことばかりではある。
でも、「絵を見る」といふ目的を持つて行つて見るのと、家でぼんやりと絵本などを広げて見るのとでは、やはり見る側の気合ひが違ふ。

数通ふうちに、あまり疲れなくもなつた。
一昨年王羲之展に行つたときは、帰るころにはすつかり疲れきつてしまつて、ちよつとお茶を飲んで休んだくらゐでは立つて電車に乗るのも無理といつた具合だつた。
それが、いまは展覧会が終はつてそのまま電車で帰るのは当たり前になつてゐる。
力のいれ加減がわかつてきたのかもしれない。

ほかに絵を見に行く理由としては、ヒカリエや飯田の展示をよりよく見ることができるやうになるのではないか、芝居をよりよく見ることができるやうになるのではないか、と思つてゐることがあげられる。
実際はどうだかわからないけれどもね。

そんなわけでこの後はまた横浜人形の家で開催される「シャーロックホームズ」展に行きたいし、大河原邦男展と兵馬俑展には行きたいと思つてゐる。

……あんまり「絵」ぢやないね。

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Thursday, 11 September 2014

美術展 行くべきか行かざるべきか

2014/9/13~11/9開催の「ボストン美術館浮世絵名品展 北斎」に行きたい。
#おいおい、ATOKは「北斎」も変換できないのかよ。
駅でポスターを見かけて、久しぶりに美術館に行つてみるかなあ、などと思ふてゐる。

行きたいが、込んでゐるんだらうなあ。
さう思ふと二の足を踏んでしまふ。
しかし、Webサイトを見て美術展グッズに心惹かれてもゐる。
普段はあまり興味はないけれど、図録とセットで買ふとお得といふトートバッグがいい感じだ。

十月は国立劇場に行く日の目処もたたぬので、美術館へ行つてゐる余裕もなささうだし、なんとなく、「行きたかつたのにな」で終はつてゐる気もする。
美的感覚に欠けるから、といふのも理由だし、芸術作品を鑑賞する能力がないから、といふのも理由ではある。
まあしかし、なにしろとにかく人の多いところへはあまり行きたくない。
今年は「栄西と建仁寺」展に行つた
遠いことと人の多さとに疲れきつてしまつた。
海北友松の「雲龍図」は比較的ゆつくり見ることができたけれどね。やつがれの見に行つたときはキトラ古墳展の方がものすごい人で助かつたのかもしれない。

ここのところ渋谷ヒカリエの川本喜八郎人形ギャラリーや飯田市川本喜八郎人形美術館で、のんびり自分のペースでみることに慣れてしまつてゐるからなあ。
ヒカリエも飯田も、芸術作品を見に行く、といふよりは、知り合ひに会ひに行く、といふ感じではあるけれどもね。
飯田の場合は特に「吉三さんに会ひにいく」といふ心が強い。
あれだな、「羽がほしい翼がほしい 飛んでいきたい」つて、八重垣姫でもあるが(途中諏訪湖を通るしね)、どちらかといふと櫓のお七つちやんの心だね。
とはいへ、戀に盲目になる姫や娘にはあまり興味はないのだが。

そこいくと、今月歌舞伎座でかかつてゐる「菊畑」の皆鶴姫はちよつといい。
戀に身を焼く姫や娘といふのは、大抵の場合ちよつとおつむがどうかしてゐる。
戀に目がくらんでゐる、といふてもいい。
たとへば「菅原伝授手習鑑」の「賀の祝」に出てくる八重だ。
もうね、見るたびに「アホか」とつぶやいてしまふくらゐ周りのことを理解してゐないんだよね。
夫である桜丸が大事、といふのはわかる。
わかるけど、あんたたち夫婦が軽率なことをするからこんなことになつちやつたんだろーが、と、いつも思ふてしまふ。
そんなわけで、桜丸の切腹も「当然」と思ふて見てしまふので、なんでそんなに悲劇的に取り上げられるのか理解に苦しむ。

皆鶴姫はちよつと違ふんだよね。
皆鶴姫は、虎蔵大好きだけれども、その一方で、虎蔵が牛若丸であること、その虎蔵のそばにゐる智恵内が自分の叔父の鬼三太であることに気がついてゐるのだ。
虎蔵の正体だけなら、好きで好きでいつでも見てゐて、あるときふつと気がついてしまふ、だとか、或は八重垣姫のやうに直感でわかつてしまふ、といふことはあるかもしれない。
智恵内についても気づいてゐる、といふところが皆鶴姫の他の赤姫と違ふところである。
ちよつぴり聡い。
さすがは吉岡家の娘。あつぱれである。

…………なんの話だつたか。
ああ、美術展に行くか行かないかといふ話か。

さう、そんなわけで、普段は比較的空いてゐる渋谷や飯田で見るばかりなので、その他の美術展の込み方に辟易してしまふのだ。
それに滅多に行かない美術展に行くといふことは、自分の見たいものがそこにあるといふことで、じつくり見たいんだよね。それができないとなると、かなり欲求不満がたまる。
だつたら行かない方がいいんぢやあるまいか。
そんな感じで行かない方向にばかりものごとを考へてしまふ。

いかんなあ。

そんなわけで、予定表を見ながら行けさうな日を探してゐる。
ここに書いたら行くかなあ、といふ希望も込めて書いてみた。

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Thursday, 08 May 2014

一日間風神雷神図屏風三双鑑賞

美術館や博物館には滅多に行かない。
人ごみが苦手だからである。
もつと云ふと、藝術作品に興味がないんだな。
いや、それともあるのだらうか。
展覧会といふのは混んでゐても空いてゐても、ほかの客を気にし乍ら見ることになる。
「この絵、ぢつくり見たいんだけどなー」と思ひつつも、客が多いと係員に「足を止めないでください」とか注意されるし、少なければ少ないで、自分ばかりでこの絵を独占してもほかの人に悪いし、と気にかかる。
だつて好きな作品は、やつぱり心行くまで楽しみたいぢやん。

そんなわけで、去年「書聖 王羲之」展に行つたのを最後に展覧会の類には行つてゐないし、その前は多分十年くらゐあいてゐる。東急文化村で見たマグリット展、かな、「書聖 王羲之」展の前は。

そんなやつがれが、この連休は展覧会に行つてきた。
ひとつは東京国立博物館の開山・栄西禅師 800年遠忌 特別展「栄西と建仁寺」
もうひとつは出光美術館の「日本の美・発見IX 日本絵画の魅惑」である。

さう。
一日で風神雷神図屏風を三双すべて見る。
それが今回の任務であつた。
#「任務」て……

「栄西と建仁寺」展で俵宗達の、東京国立博物館本館で尾形光琳の、出光美術館で酒井抱一の、それぞれの風神雷神図屏風を見ることができる。
いい時代に生まれたなあ。
もとい。

三者の風神雷神図屏風を比較した話なんぞといふものはいくらもあるだらう。
さう思つて、ここには書くまいと思つてゐた。
あたりまへのことは書かない、といふ、左氏伝の筆法である(違。

でもまあ、ありきたりではあるけれども、思つたことを書いておかう。

一日で三双すべてを見る。
それに伴ふ弊害を考へないではなかつた。
多分、一番最初に見た絵に引きずられるだらう。
さう思つてゐた。
実際、危惧してゐたとほりになつた。

一番最初に見たのは伝・宗達の風神雷神図屏風だつた。
ご覧になつた向きにはご存じかと思ふが、見てゐるだけで楽しい気分になつてくる絵である。
NHK教育TVの「びじゅチューン」といふ番組で、井上涼なる人物が、「風神雷神図屏風を見て、デートの場にかけつけて来た二人を思ひついた」といふやうなことを云ふてゐた。
なるほど、この絵を見てゐると、そんな微笑ましさを覚えなくもない。
屏風自体は横長で、ゆゑに空間の広さを覚える。
ほんのわづかだが、雷神の方が風神より高い位置にゐるやうに見える。肘があがつてゐるからだらう。
空間とわづかな位置の違ひだけで、格段に生き生きとしたやうすに見える。

といふのが、光琳の風神雷神図を見るとよりよくわかる。
光琳の屏風は縦長だ。
さらに、風神と雷神との周囲の雲が黒くかなりはつきりと描かれてゐる。とくに雷神の方の雲は宗達に比べて描かれてゐる範囲が広い。
つまり、空間が狭い。
風神と雷神との上下の位置はほとんどおなじやうに見える。ゆゑに互ひに向かひあつてゐるやうに見える。向かひあつてゐるやうに見えるのに、なぜだか「デート」の趣はない。
#だからデートぢやないんだつてば。
光琳の方が皺の描き込みなども多くて、宗達と比べると若干リアルな感じがする。
それと、光琳の方が保存状態がいいのか、色がはつきりくつきりしてゐる。
そんなあれこれがないまぜになつたのだらう、光琳の風神雷神図からは宗達のそれほど躍動感を感じなかつた。

それぢやあ抱一は、といふと、不思議と動きのある絵なんだなあ、これが。
抱一の屏風も縦長で、それは光琳と変はらない。
ちがふのは、皺などの描き込みが光琳より少ないのと、雲の描き方もまばらなこと、そして、一番ちがふのは、雷神の方が風神より高い位置にゐることだ。
抱一は、宗達の風神雷神図を知らなかつたといふ話がある。
それがほんたうだとするなら、光琳の風神雷神図を見て「俺ならかう描く」と思つたのだらう。

見る人が見れば、もつといろいろあるんだらうが、やつがれにはこれが精一杯だ。

さうさう、雷神つて、おへそがあるのね。
あるなら他人のを取るなよなー。

「栄西と建仁寺」展では、実は水墨画がおもしろくて、海北友松が若いころに描いた襖絵なんか、友松つぽさが稀薄で、おもしろかつたなあ。もちろん「雲龍図」や「竹林七賢図」もおもしろかつたけど。
といふやうな話は、まあ、また機会があれば。

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Thursday, 28 February 2013

「美文字」つてなに?

二月三日、二十三日と東京国立博物館平成館に「書聖 王羲之」を見に行つてきた。
さう、二回も。
二月三日だけで済ませるつもりだつたのだが、この日、二時半ごろ博物館の中に入つて、まつたく時間が足りなかつた。
展示品の後半、王羲之とどう関係のあるのかよくわからないが著名な後世の書家の作品を駆け足で見る羽目になつてしまつた。
蘇軾の李白仙詩巻なんかもあつて、ちやんと見たかつたので、もう一度行つた、と、かういふ寸法である。
肝心の蘇軾は、もうなかつた。なんでも会期中前半しか展示してなかつたとのことである。
なんてこと!
大阪市立美術館蔵とのことだが、普段は展示してゐないのだらうか。ゐないのかもしれないなあ。

ところで、博物館や美術館の類にはあまり行かない。
え、川本喜八郎人形ギャラリー? これは別。

なぜ行かないのかといふと、残念ながら美術品を見る目がないからだ。
さらに、人ごみが苦手だ。
美術品を見る目がないと、どうしても名前を知つてゐるやうな画家や藝術家の作品展を見に行くことになる。
すると、やつがれとおなじやうな有象無象がうようよゐるやうな展覧会に行くことになる。
仕方がない。
見る目がないんだから。

そんなわけで、書の展覧会に行くのははじめてだつた。
楽しいのかなあ、と、ずいぶん心配したが、二回も行つた、といふことで、どれくらゐ楽しかつたか、ご理解いただけるのではないかと思ふ。

といふ話は、別の機会にゆづるとして。

かうした展覧会に行つたあとで本屋に立ち寄ると、目につく書籍がある。
「美文字」と題した本の数々だ。

「美文字」、ねえ……
すでに「美文字」といふことば自体がうつくしくない。
字面はいいかもしれない。
でも、聲に出して読んでみればわかる。
なんだかうつくしくないだらう?
このうつくしさの欠如は「美肌」に似てゐる。

ほとんどTVを見なくなつて久しいのでまつたく知らなかつたが、世の中には「美文字王子」だとか、「美文字講師」だとか呼ばれてゐる人々がゐるといふことも知つた。

「書聖 王羲之」でも、王羲之より後世の書家・文徴明は、字がへただつたため科挙の試験に落ちつづけたので、千字の臨書を毎日十回づつおこなつてゐたといふし、地方試験で首席だつたのに字がへただつたせゐで次席になてしまつた書家なんてのもゐたりして、そんなエピソードを見るたびに、「ああよかつた、そんな時代に生まれなくて」と思つたものだ。

でも、今はさういふ時代ではない。
職場で字を書く機会もほとんどない。文書はWordやExcel、場合によつてはPowerPointで作成してそれをそのまま印刷する。他人に用件を伝へるのはメール。
自宅でもそれはあまり変はらない。
年賀状でさへ、表も裏もすべて印刷といふ人が多からう。やつがれは、宛名書きだけはすべて手書きにしてゐるが、これはどうやら筆圧の極めて低いゆゑに可能なことなのらしいといふことに去年の暮れ気がついた。

それなのに、なぜいまどき「美文字」。
よくよく見れば、通信教育でもペン字は幅をきかせてゐるやうだ。
さういへば、昔「日ペンの美子ちやん」とか、ゐたよねえ。なつかしい……

履歴書も今はPCで作るだらうしなあ。
「美文字」の出番がよくわからない。

たしかに、字はきれいなことに越したことはないが。
「美文字」とやらに血道をあげる、その心がよくわからない。

かく云ふやつがれは悪筆で、こどものころからさんざんに云はれてきた。
十年ほど前職場から補助金がもらへるといふので通信教育でペン習字を受講してみたこともある。
このときは、自分でもはつきりとわかるほど字が変はつた。お手本を見なくてもお手本に近いやうな字を書くやうになつてゐた。このころ書いた字は今見てもわかる。
しかし、それもものの半年くらゐでもとに戻つてしまつた。

せめて読みやすい字、といふのならいいのだが。
残念ながらそんなことはまつたくない。

さういへば、こどものころは筒井康隆の字にあこがれてゐたなあ。
新潮社のハードカヴァ本フェアがあつて、本を紹介した冊子に筒井康隆の生原稿が掲載されてゐた。
こんな字が書ければなあ。
さう思つて、真似して書いてゐた時期もある。
結局、真似できずに終はつたけれど。妙なくせだけは残つてしまつた。縦書きにするときに、左側に寄せて書く、とかね。左右の払ひが異様に長い、とか。
筒井康隆の字は、「大いなる助走」で見ることができる。これは新装版で、実は以前の版の方が見やすいんだけどね、字自体は。

今は、人形劇三国志の題字とか、劇中に出てくる字とかに惹かれてゐる。題字は、十一話目くらゐから突然変はるのだが、変はつたあとの方が好きだ。

でも、きれいな字つて、まづ美醜を見極める審美眼を持つてゐることが肝心で、つぎにそれを実現できる器用な手が必要なんだよね。
とりあへず好きな字といふのはあるけれど、それを実現する手をもたないやつがれは如何せん。

とりあへず、「美文字」とやらを冠した本の一冊でも買つてみるか?
あるいは。

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Sunday, 01 August 2010

ここは表参道か?

7/30(金)、表参道といふか青山といふか、スパイラルホールで行はれた文夫の部屋第六夜に行つてきた。
第五夜、第六夜とも席が取れずにゐたところ、第六夜だけ戻りがあるといふので、勇んで申し込んで、なんとか滑り込むことができた。
戻りの席だからと期待せずに行つたら、結構前の方の席で、しかも開演後も客席の照明は落とさないでゐてくれたものだから、よく見えた。ほんたうにありがたいことだ。

U字工事の漫才のあと、高田文夫と伊東四朗のトークショーがあつて、柳亭市馬の落語(「皿屋敷」だつた。お菊、歌ふ歌ふ)といふ構成。
え、青山だよ。最寄り駅は表参道。道行く人は一々みんな「モード(古いね、どーも)」な感じ。
スパイラルホールだけが、ちよつとした異空間。そんな感じだ。

開演の一時間前といふ通常より早い開場に間に合ふやうに行き、予約した券を引き取つて中に入つた。
「笑芸人」など雑誌といふかムックが売られてゐて、一冊くらゐ買はうか知らんと思つたのだが、売り子の人に「市馬師匠のファンですか」とか聞かれてどきどきしてしまつたことと、いはゆる「ディープなファン」とおぼしき年上の人がこちらの見たい本のあたりに陣取つてゐたことで、あきらめる。や、別に特定の噺家が好きとか、さういふわけぢやないし。考へてみたら、噺は好きだけど、とくに誰かが好きつてわけぢやないんだよな。

そこで、中に入つて「この長い時間をどうしやう」と思ひつつタティングレースに励んでゐると、突然舞台上に青年が現れて、いきなり上手の襖のやうな白い紙に絵を描きはじめた。キン・シオタニといふ絵描きの人だといふ。ほぼ開演までの時間いつぱい使つて似顔絵などを描いて舞台から去つた。すごいね、この、時間いつぱいといふのが。

例によつて(?)立川志ららによる前説があつて、前日は横山剣目当てか妙齢の女性が多く、志ららの話にちいとも笑ひがおこらなかつたとのこと。その後出てきた高田文夫も、前日は「アウェー状態」だつたと云つてゐた。去年はみうらじゅんのときもさうだつたといふ話だつたよなあ。

今夜は市馬も出てゐるし、もしかしたら伊東四朗の歌も聞けるか知らん、と、ちよつと期待してゐた。
残念ながら、伊東四朗はそんなに歌はなかつたけれど、そんなことはどうでもよくなるくらゐ、をかしかつたなあ。
ネタ等は「ブログとかには書かないやうに。つぶやくのもめっ」といふことなので、割愛するが、「あー、やつぱりこぶ平はいつまでも「こぶ平」なんだなー」だとか、「飲み物を運んでくるのは東八郎の息子だらう」と思つてゐたらそのとほりだつたりとか、ああ、あと、「亀井静香と橘屋圓蔵が似てゐる」といふことに今で気づかなかつたんだよなあ。云はれて笑ひがとまらなかつた。
似てゐるといへば、伊東四朗の聲と三宅裕司の聲が似てゐるといふ話には、なるほどー、と思つた。あと、伊東四朗の本名は伊藤輝男でテリー伊藤と一緒といふ話に隣の人は「えー」とおどろいてゐたが、ビバリスト(?)ならそれくらゐ知つてゐてほしいといふのは我が儘か。

それから、さうさう、三波伸介が「笑点」の大喜利の司会をするに至つた原因の話とか、「さうだつたんやー」つて感じ。
同じやうな流れで行くと、市馬の川柳川柳とか林家彦六の逸話もおもしろかつたなあ。

さうさう、伊東四朗にしても三波伸介にしても、歌舞伎や落語に造詣が深くて、「藝人つてさういふものだよなあ」と思ふのだが、今はどうなのだらう。今は落語はともかく歌舞伎に造詣が深くても藝人としてやつてはいけないのだらうか。だからといつてキン肉マンネタとかドラゴンボールネタをやるのはどうかと思ふのだが……

文夫の部屋は去年は四夜、今年は二夜ときてゐるのだが、来年もつづくのだらうか。つづくといいなあと、これは心底さう思つてゐる。

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Sunday, 04 April 2010

この世で一番肝心なのはステキなシンクロ率

自慢ぢやないが見る目や聞く耳がない。
ないのに、芝居に通つたり演奏会に行つたりする。
正直、「ヲレがこの芝居を見なかつたら、もつと見るべき人が見られたりしたのだらうか」と思ふことも一度ならず、といつた体たらくだ。

批評家とか評論家ぢやないんだし、「好きだから行く」でいいんぢやないか、とも思つてゐるが、まあね、そこはね、裏返しなんだよね。「なんでこんな芝居(音楽)のわからない輩がここにゐるんだ」つて怒りのね。

それはさておき。

もののよしあしがわからないので、あとは好き嫌いしかないわけだが、でもそれだけぢやあつまらない。
せつかく大枚払つて時間を割いて行くんだもの、楽しむに越したことはない。

そこで重要になつてくるのが「シンクロ率」である。

とにかく、演者とシンクロする。
どうやつて、と問はれても、うまく答へられない。
でも多分、「ああ、いい芝居だなあ」とか「最高の演奏だなあ」と思ふそのとき、ちよつと高いところにゐる人々と、同期してゐる、おこがましいが、そんな気がするときがある。

とはいへ、云ふほどかんたんに行かないことも事実。
体調を万全にととのへて、いざ、と客席に向かふと、なんだかかう、全然同期できないときもある。
反対に寝不足でへろへろして行つたらなんだか異様にすばらしい体験をしてしまつた、といふこともある。

結局、一番いいのは「かんたんに考へること」なのかもしれない。
先日、自社の配給する映画に対して辛辣なことを云ふ批評家に対して、「そんなにむづかしく考へなくても」と云つてゐる人がゐたが、批評家なり評論家なりといふのは、おほかれすくなかれむづかしく考へて発言するのが仕事だつたりするし、批評・評論する対象を山のやうに見たり聞いたりしてきてゐるのだから、ものの見方がきびしくなつてくるのは、仕方のないことだと思ふ。

しかし、すでに書いたとほり、やつがれは別に批評家でも評論家でもないわけだ。
だから、わー、きれいだなあ、とか、いい音色だなあ、とかで、いいはずだ。さう感じるところに、高いシンクロ率への入り口はあるやうな気がする。
人によつては「いいこと探し」といふかもしれない。

問題は、「かんたんに考へる」と、「あ、これ嫌い」とか「さうぢやないだらう」といふ感情もふつとわいてきて、高まつたシンクロ率が見る間に落ちていき、二度ともとには戻らないこともある、といふことか。

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Saturday, 23 December 2006

成長しなくちや

ここのところ、演目・配役を見ると「なんだか物足りないなあ」と思ふことが多くなつた。
この傾向は二三年前からはじまつてゐて、当時はさう感じることをふしぎなことだとは認識してゐなかつた。

考へてみれば、芝居を見始めたころ舞臺の上にゐて「芝居を見てゐる」といふ満足感を輿へてくれた役者は、みな点鬼簿に名を連ねてゐる。
そして、やつがれはどうもその事実に気がついてゐない。いつまでも、「なんでこの役をあの役者がやらないのか知らん」と夢みたやうなことを考へてゐる。

現実を見つめなければ。
もうその役者はこの世の人ではないのだから。

といふわけで、これからはまちつと前向きに芝居と向き合ひたいと考へてゐる。
若い役者が大役をまかされてゐても「挑戦つて大事だよな」とか「時分の花つてもんもあるしな」ととらへていきたい。

さうしないと、芝居さんが自分からとほざかつていつてしまふ。
そして、やつがれはまだ芝居さんのことが好きでたまらないのだ。

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Sunday, 16 April 2006

足下見られてる

マーラーの交響曲第六番が好きである。
なぜといつてオチがあるからだ。

落語はもちろんケン・ラッセルの映画が好きなのもオチがあるから。
最後にすとんと落ちる感覚、あるいはびつくりさせられる感覚がたまらなくよい。
はじめてマーラーの六番を聞いた場所はとある図書館だつた。レコードやCDを貸し出してくれるものの建物の外には持ち出せない。専用のブースでヘッドフォンをして聞くことになる。
さう、おわかりだと思ふが、最後の最後、ヴォリュームをかなり大きくしてゐたやつがれは、心底驚いてしまつたのである。
だつてはじめて聞いたんだもの。こんなオチがあるなんて、たれも教へちやくれなかつた。

六番は、鞭を使つたりカウベルを使つたりと道具(instrumentsといふことでひとつ)も多彩だ。しかも長大でもある。何度か演奏会で聞いたことがあるが、大抵この一曲しか演奏されない。普通演奏会といふとメインの曲のほかに小品をふたつばかり演奏するものなのだが、ことマーラーの六番に関してはこの曲だけで演奏会がなりたつてしまふ。

ああ、行きたい。六番を聞きに行きたい。

だといふのに、あの価格設定はなんであらうか。

あの、といふのはルツェルン・フェスティヴァル・イン・東京 2006である。
ルツェルン祝祭管弦楽団演奏でアッバード指揮によるマーラーの六番がこの秋サントリーホールであるのだが、そのチケットのお値段といつたらっっっ。

ここに打つのもおそろしいが、まづプラチナ券が諭吉四人に一葉一人。S席は諭吉四人。一番下のD席でも諭吉と一葉と英世が一人ずつといふ、脅威の価格である。

え、それくらゐするのがあたりまへだつて?

ちがふ。
これをあたりまへととらへる人々がいけないのだ。

「ふ、ふん、いいもん、アッバードはそんなに好きぢやないもん」などと嘯いてはみても、それはまるで「あの葡萄はすつぱいのさ」と吐き捨てる狐のやうなもの。

好きな曲なんだもの、いい状態いい場所で聞きたいのが人情だと思ふ。

…………うーん、今後この演奏会のために働くか?
それしかないか。

あるいはあきらめるか……。

そもそも一番いい席に座るのは愛のない人ばかりといふのがコンサートや演劇の常だしね。愛もないから本人の懐もいたんでゐない。
この仕組みはとつてもまちがつてるしをかしいと思ふのだが、しかし、実際芸術に貢献し支へてゐるのはさういふ人々なのだから仕方がない。
かうして自分の大好きな曲の演奏会だといふのに「諭吉が……」とか云つてゐるやうな人間にはいつまでたつてもいい席なんかまはつてこないのである。

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Wednesday, 03 November 2004

足柄山の金太郎

紅旗征戎は我が事に非ず。

といふわけで、「トリヴィアの泉(正確には「トリビア」かもしれないが……許してたべ)」である。

今回気になつたのは「金太郎」についての話である。

世の中、「金太郎」の話をきちんと話せる人が少ないやうである。ついては日本で「金太郎」の内容をきちんと説明できるのは何パーセントか調べてみやう。

番組では百人に二人とゐない、といふ風に落ち着いてゐた。

まあね、あれですよ、TVなんぞにインタヴューされたらはづかしがつて知つてゐても答へない人も絶対ゐると思ひます。
とくに老人層。そして、さういふ mentality は大変好ましい。
もとい。

「きちんと説明できる」の判断基準は、四つの要素をもれなく話すことができること、であつた。
四つの要素とは以下のとほりである。
 一 足柄山にゐたこと
 二 熊退治をしたこと
 三 源頼光の家来になること
 四 大江山の鬼退治に参加したこと

……一番に「山姥の息子である」つてのも入れてほしかつたと思ふのはやつがれだけだらうか。

それはさておき。
番組を見てゐた感じでは、一番二番は結構話せるやうだ。問題は三番以降である。

考へてみれば、幼い頃読んだ「金太郎」の話は、大抵熊退治で終はつてゐた。その後、金太郎が坂田金時になり、坂田金平といふ息子をまうける、なんぞといふ話はいつさいでてこなかつたやうに思ふ。

多分、我が家には二冊ほど「金太郎」の載つてゐる絵本があつたやうに思ふが、どちらも金太郎が元服した後の話は出てこなかつた。

ではなぜ金太郎が源頼光の家来になつて大江山に鬼退治に行つたことを知つてゐるのか、といふと、それは我が家にそのものずばり、「大江山の鬼」といふ本があつたからである。おそらく小学校の低学年用とおぼしきその本は、まづ金太郎の話からはじまつて、その後頼光と四天王が大江山に鬼退治に行く物語へと続いてゐた。確か渡辺綱と茨木童子の話も載つてゐたと思ふ。

すなはち、やつがれはたまたま(さう、ほんたうに「たまたま」)幸運だつたのだ。

うーん、まづは世の中の「金太郎」絵本を集めて分析するところからはじめるべきだつたんぢやないのかなあ。
それとも、我が家にあつた「金太郎」の本が特殊で、世の「金太郎」絵本には元服後の金太郎(金時)の話まできちんと載せてゐるものなのだらうか。

え、自分で調査しろ?

うーむー。

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