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Wednesday, 01 July 2026

6月の読書メーター

6月の読書メーター
読んだ本の数:5
読んだページ数:1445
ナイス数:25

Something Rotten: Thursday Next Book 4 (English Edition)Something Rotten: Thursday Next Book 4 (English Edition)感想
毎回「もうこれ以上おもしろくはならないだろう」と思いつつ読み始めるのだが、予想を裏切っておもしろいのは複数の問題が並行して進行するからか。今回もクリケットの最終決戦の結果が一見全く無関係のあれこれに影響することになっていて、そのあれこれのうちの一つが悪役の進退であり、主人公の夫が戻ってきたり来なかったり、主人公の命は狙われたりしている。主人公の祖母(と書いておこう)を見ながら「Time can be rewritten.」という『ドクター・フー』に出てくるセリフを思い出しつつ読み返す
読了日:06月13日 著者:Jasper Fforde
First Among Sequels: Thursday Next Book 5 (English Edition)First Among Sequels: Thursday Next Book 5 (English Edition)感想
以前読んだ時はつらいとか書いているけれど、今回そんなにつらく感じなかったのは『ドクター・フー』を履修したからだろう。ドクター・フーってこの人には生き残ってほしいといふ登場人物はほぼ死ぬし、周囲の人間が次々と不幸になっていく。サーズデイ・ネクスト・シリーズはモンティ・パイソンからの影響についてよく云われるけれど、ドクター・フーからの影響も大きいと思う。主人公のお父さんは時をかけるパパだし。今作では読書人口の減少が取り沙汰される。それには理由があるのだけれど、いま現実の世の中のことのように感じられてならない。
読了日:06月20日 著者:Jasper Fforde
春原さんのリコーダー (ちくま文庫)春原さんのリコーダー (ちくま文庫)感想
例えば「廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て」という歌を読んだ時に、「新聞が活版印刷だったのはいつごろまでだったろう」とか考えてしまう人間には短歌は向かないのかもしれない。東直子は近年小説作品の方が多く、図書館などでもなかなか歌集に出会えずにいたが、こんな形で手に入るとはととても嬉しく思っている。
読了日:06月21日 著者:東 直子
みんなどうやって書いてるの? 10代からの文章レッスン (14歳の世渡り術)みんなどうやって書いてるの? 10代からの文章レッスン (14歳の世渡り術)感想
シリーズ名から考えていわゆる「厨二病」真っ只中の人々に向けた本だろう。そういう層に向いた本かというと……うーん、どうなんだろう。文章が書きたいと思う人が読みたいような内容は、章の間にあるコラムに書かれているように思う。吉田健一がいい例として紹介されている点は大変おもしろい。
読了日:06月24日 著者:安達 茉莉子,荒川 洋治,石山 蓮華,頭木 弘樹,金原 瑞人,国崎 和也,古賀 及子,全 卓樹,武田 砂鉄,乗代 雄介,服部 文祥,pha,僕のマリ,宮崎 智之
赤頭巾ちゃん気をつけて 改版 (中公文庫)赤頭巾ちゃん気をつけて 改版 (中公文庫)感想
この小説は後世に残らないという説を目にした。芥川賞受賞作として残るんじゃないかと思いつつ読み返す。銀座の街を歩いていて旭屋書店に入っていくくだりにちょっとぐっときちゃったな。ドアが重たくてとか書いてあって、「そうそう」とうなずいちゃったり。そういうノスタルジーをかきたてられる部分はあるけれど、全体的にはそんなに古くなってはいないのではないかという気はする。「お見合い」とか「お手伝いさん」とか「学校群」とか古いのかもしれないけれど、でもなんか、そういうものとして読める。不思議。
読了日:06月28日 著者:庄司薫

読書メーター

Wednesday, 03 June 2026

5月の読書メーター

5月の読書メーター
読んだ本の数:5
読んだページ数:1516
ナイス数:40

The Eyre Affair: Thursday Next Book 1 (English Edition)The Eyre Affair: Thursday Next Book 1 (English Edition)感想
クリミア戦争がまだ続いている世界の1985年。ディケンズやブロンテのオリジナル原稿が盗まれ、小説の世界に入ってゆける機械によって内容が書き換えられてしまう。主人公はそれを阻止するとともに通常の手段では死なない犯人を追う……とあらすじを書くと重要なことをいくつも落としているんだよなあ。『リチャード三世』はもちろん題名にもある『ジェイン・エアー』も読み返したくなる。続きも気になるし、危険な小説だ。最終巻となる第八巻が発売されると聞いて読み返した。
読了日:05月11日 著者:Jasper Fforde
Lost in a Good Book: Thursday Next Book 2 (English Edition)Lost in a Good Book: Thursday Next Book 2 (English Edition)感想
いよいよ本の中の世界で活躍するようになる主人公サーズデイ。現実世界での仕事が退屈に感じるの、わかる。サーズデイは『大いなる遺産』のミス・ハヴィシャムの弟子になるんだけど、このミス・ハヴィシャムがまたいいキャラクタなんだわ。前作よりつらい展開になっていて、この先さらにつらい展開が待っているとわかっていつつもやめられないおもしろさ。以前読んだ時は未履修だった『ドクター・フー』、主人公のお父さん、ドクター・フーだよね。タイムロード。名前がわからないところとか。
読了日:05月21日 著者:Jasper Fforde
フラワーズ・カンフーフラワーズ・カンフー感想
句作りに迷うことがあって読み返したはずだが楽しく読んでしまった。早く次の句集が出ないかなあ。
読了日:05月23日 著者:小津夜景
田中裕明の百句 (百句シリーズ)田中裕明の百句 (百句シリーズ)感想
俳人は長命な人が多いという。田中裕明をはじめて知ったホトトギス(系)の俳人とその句とを紹介した本を読んだ時、八十歳はあたりまえといった様子に喫驚したものだった。田中裕明がいまも生きていたら、と「たられば」を考えても仕方がないのだが、どんな句を作っていただろう。「はじめに」で岩田奎は「本書の想定読者は、俳人ではない」と記している。書店で俳句の棚にあったら、そっと平積みの新刊書のあたりに並べかえたい。そんな本である。
読了日:05月30日 著者:岩田奎
The Well Of Lost Plots: Thursday Next Book 3 (English Edition)The Well Of Lost Plots: Thursday Next Book 3 (English Edition)感想
一番思い出したくない記憶とはなんだろうか。一番思い出したくない、恐ろしい記憶。主人公サーズデイはこの試練のほかにさらに本の世界から追放されるかもしれないという試練と戦う。そう書くと重たい内容のように感じられるが、そして実際そうなのだが、きちんとエンタテインメントなんだよなあ。スピンオフのNursery Crimeシリーズにつながる部分もあって、次に四巻を読むかNursery Crimeシリーズを読むか、悩む。
読了日:05月31日 著者:Jasper Fforde

読書メーター

Wednesday, 01 April 2026

3月の読書メーター

3月の読書メーター
読んだ本の数:7
読んだページ数:1322
ナイス数:30

Project Hail Mary: A Novel (English Edition)Project Hail Mary: A Novel (English Edition)感想
いきなり一人称現在形で始まってびっくりしつつこれがなかなか効果的で、目の前でものごとが進んでゆくような感じで読める。回想場面は一人称過去形になり、いまどちらの話をしているのか即わかるのもまた効果的。最後は「阿倍仲麻呂ももしかしたらこんな気分になったこともあるのかなあ」と思ったり。読みやすく、過去の経緯も気になる一方現在直面している問題をどう解決するのかということも気になりつつ読み終えた。
読了日:03月15日 著者:Andy Weir
死んでいるかしら死んでいるかしら感想
「柴田元幸、シュールな内容のエッセイ集とか出してたよなー」と懐かしみつつ再読。本の題名でもある「死んでいるかしら」が秀逸で、よく出版社がこの題名を許したなとも思う。山本夏彦が『半分死んだ人』という題名で本を出そうとしたら「関西ではウケませんよ」と云われたという話も聞く。「死」はやはりどこかで禁忌で、でも山本夏彦や柴田元幸のように「自分はなんとなく生きていないかもしれない」と思っている人もいるんだな。柴田元幸はこんな感じのエッセイ集を二、三冊を出してその後ちょっと不思議な短篇集を出している。それも読みたい。
読了日:03月15日 著者:柴田 元幸
赤尾兜子の百句赤尾兜子の百句感想
赤尾兜子の俳句に興味があったのはもちろんのこと、藤原龍一郎の評も読みたかったので手に取った。でも自分にはまだ早かったかなあ。ただ、句作をする上で「もうこんなことは既にやつた人がゐる、やつた句がある」と知ることができたというのは大きい。
読了日:03月16日 著者:藤原龍一郎
夜長姫と耳男夜長姫と耳男感想
どうしたらこんな物語が書けるのだろうか。以前読んだはずなのにすっかり忘れていたことばかりで、はじめて読んだ時のように楽しめた。どうしても『贋作桜の森の満開の下』を思い出しながら読んでしまうのは、夢の遊民社等の芝居を見た人の内には避けられない向きもあろう。だから夜長姫は実在する。耳男も。ファンタジーのようで、リアルな話だ。
読了日:03月17日 著者:坂口安吾
はじめての短歌 (河出文庫 ほ 6-3)はじめての短歌 (河出文庫 ほ 6-3)感想
共感を呼ぶにはまず驚きを与えること。共感しそうなことを直接提示するのは逆効果。つまり共感を拒みたければ、共感を得られそうなことを提供すればいい、と。
読了日:03月29日 著者:穂村 弘
星の古記録 (岩波新書 黄版 207)星の古記録 (岩波新書 黄版 207)感想
金星過日の件ではちょっと『砂糖の世界史』を思い出し、シリウスの色の話では『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』を思い出す。中国の史書の記述を見ていると「記録、大事」と思ったり。いろんなものがつながって見える。そんな本だと思った。
読了日:03月30日 著者:斉藤 国治
和歌でない歌和歌でない歌感想
どこで読んだか失念したが、「歌よみに与ふる書」が出るまでは人々は日記や手帳、家計簿の隅にちょこちょこっと単に五七五七七というだけの和歌を書きつけたりしたものだったという話がある(本当かどうかは知らない)。ここに掲載されている歌の中には、そうした日記の端に書きつけてあったかもなあというものもあり、短歌(と敢ていうが)ってそういう感じでいいんじゃないかなあと思ったりするのだった。
読了日:03月31日 著者:中島 敦

読書メーター

Friday, 13 March 2026

俳文もどき

今日は寒かつた。
なるほど、これが「冴え返る」といふアレか、と、俳句を作るやうになつたから思ふ。
自分のことを「俳人」とは思へない。俳句をはじめてまだ二年半くらゐなのだから、そんなものだらうと思ふ。それより少し前にはじめた短歌もさうで、「歌人」とはちよつと思へない。実は短歌は角川『短歌』に歌が載つたときに「「歌人」、かも……」と思つたりもしたけれど、そんな気分はあつといふ間になくなつた。

詩のオンラインイヴェントで、東直子がこんな旨のことを云つてゐた。
「自分は自分のことを「歌人」とはなかなか云へなかつた。短歌で食べてゐるわけではないから。最近の若い人は結構自身のことを「歌人」と云ふ」
と。
これは、おそらく職業としての「歌人」か自認(identity)としての「歌人」かの違ひなのではないかと思ふ。
東直子は――いまでは短歌以外の創作活動もしてゐるけれど――歌人だらう。東直子が歌人でなければ誰が歌人だ。

自分が「俳人」だとか「歌人」だとかいへないのは自認の問題である。
毎日俳句も短歌も作つてゐるけれど、一句一首作るのが精々だ。
「俳人」ならば、「歌人」ならば、もつと作れるだらう。とくに俳人はたくさん作る印象がある。
それに、連作といふものがどうもいまひとつよくわからない。
歌集とか句集とかをもつと読むべきなんだらう。短歌の本も俳句の本も可能な限り呼んでゐるけれど、選集とかアンソロジーとかが多いせゐか、なかなか連作のイメージがつかめずにゐる。
連作が作れるやうになつたら、そのときはじめて「俳人」だとか「歌人」だとか名乗れるんぢやあるまいか。
そんな気もしてゐる。
ただの逃げかもしれない。

パンジーの寄りかたまりて冴え返る

Thursday, 12 March 2026

あの曲はどこへ行つた

小学校には登校の曲と下校の曲があつた。
登校のときはシュトラウスの「美しき青きドナウ」で、下校はサン=サーンスの「白鳥」だつた。
この話をすると、「下校の音楽はドヴォルザークの第九番第二楽章だつたな」といふ人も多い。
昨今の小学校には登校の曲も下校の曲もないやうだ。
さういや自分が通つてゐたころも、ご近所からの苦情があつたといふ。「うるさい」つて。
いやいや、うるさいもなにも、小学校のそばに引つ越してきたのはそちらでせうがよ、といふ話なのは、小学校のそばには新築の団地しかなかつたからだ。
まあでも、「うるさい」といふ声は多かつたのだらう。

小学校といへば、運動会で流れる曲は大抵きまつてゐた。
「クシコスポスト」「電光と雷鳴」「トリッチ・トラッチ・ポルカ」……
いまでも徒競走の場面を思ひ起こせば脳内に流れる曲ばかりだ。
題名は知らなくても知つてゐた。
いまはかういふことはないらしい。
なんだらう。JASRACに文句でも云はれたのかなあ。

家族はクラシック音楽などほぼ聞かなかつたから、学校で出会ふ曲は貴重だつた。
授業ではない場で聞けるといふことがまた貴重だつたと思ふ。

Wednesday, 11 March 2026

エフェクチュエイションことはじめ

エフェクチュエイションといふものを知つた。
起業家に人気(といふのか)なのださうで、さういつたものには普段は興味がないのだが、今回はちよつと違つた。
今敏のことばを思ひ出したからだ。

ゴールは設定するものではない。道行く途中で行く先はおのづと定まつてゆくもの

15年前、NHKのドキュメンタリーで知つたことばだ。
前後は覚えてゐないので何についてさう云つたのか記憶が定かではない。
しかし、「映画作りつて、さうなの?」と思つたことは覚えてゐる。
映画は、明確に終りがあつて、それで作るんぢやないんだらうか。
もしかしたら途中でいろいろなことが発生して、それで予定してゐたラストシーンは撮れなかつた、といふことはあるかもしれないけれど。
 
エフェクチュエイションは、ゴールを定めないとはいはないものの、とりあへず小さく始めてみて、途上のさまざまなことを取り入れつつゴールに向かはうぜ、といふ考へ方だと理解した。
それで生成AIに「Explain effectuation to me as I were an eighth grader.」みたやうな感じで聞いてみた。
生成AIの答への中には、不確実なできごとに不安を覚える人には向いてゐる考へ方である、といふやうなこともあつた。
 
んー、だが、どうも自分向きではなささうである。
といふことを生成AIに云つたら、さらにいろいろ教へてきた。
まだ全部読めてないけど。

Monday, 09 March 2026

ノールビンドニングのネックウォーマ

今日は少し冷えたこともあり、ノールビンドニングのネックウォーマをしてみた。
パピーのブリティッシュファインで作つた、極々小さいものである。タートルネックのセーターのネック部分だけみたやうな感じ。

このネックウォーマは、ブロディエン・スティッチで作つたと思ふ。伸縮性があるのは糸が細いからぢやないかな。
ほんとはもうちよつとゆとりのある作りになるはずだつたが、多分途中で目を落とすか二目一度をしたかしたんだらう、首にぴつたりくる。
細い糸で作つたわりには編み地がしつかりしてゐてあたたかい。ノールビンドニングつてさうなるよね、特にブロディエン・スティッチ。
といふほどにはスティッチの数を知らないのだが……『はじめてのノールビンドニング』に出てゐるスティッチしか知らないんだよね。

自分の住んでゐるあたりで使ふには、中細くらゐの糸でノールビンドニングするのがよささうな気がする。並太だとかなり編み地が厚くなるからだ。最初のころはブリティッシュエロイカで作つてゐて、大変あたたかいものができ、それはそれでよかつたけれども。
あと、ノールビンドニングでよく見かけるピンやブローチで留めるタイプのマフラーといふかスカーフを作つてみたいとは思つてゐて、これは中細だとさすがになかなかできないからもうちよつと太めの糸で作りたい。
留めるピンとかブローチがないのが問題だが、作つてゐる間に見つければいいかな。
作るとして。

Saturday, 07 March 2026

ふたりの尾上

『加賀見山再岩藤』の尾上はお初のはずなのに、なんだか初代の尾上と変はらないよねー。

なんてな話をしてゐたのだが、今月の尾上は違ふ。
少なくとも今日見てきた萬壽(自分の中ではまだ「時蔵」だつたりはするのだがそれはさておき)の尾上は『加賀見山旧錦絵』の尾上とは明らかに違ふ。元はあのおきやん(といふか)なお初なのだ。

かんたんに説明すると、『加賀見山再岩藤』は『加賀見山旧錦絵』を受けて河竹黙阿弥の書いた芝居だ。
黙阿弥の書いたにしては伏線の張り方がお粗末……といふのはまた別の話。
『加賀見山旧錦絵』では、お家転覆を図る兄を持つ岩藤が姫君大事の尾上を陥れ、室内履きの草履で打ち、失意のうちに尾上は自害する。尾上に仕へるお初は岩藤を討ち、尾上の無念を晴らして二代目尾上になる。
『加賀見山再岩藤』では、岩藤の亡霊が二代目尾上に報復しやうとする。

初代の尾上と二代目とが違つて見えるのは、一月に『加賀見山旧錦絵』を見たばかりだからといふこともあらう。
だから両方の尾上を比較することができた。
それは確かな気がする。
でも、やはり今月の尾上には初代にない芯の強さや多少はねかえりの部分が見て取れるんだなあ。
これがとてもおもしろかつた。
時蔵の尾上もおそらくさうなつてゐるのだらう。一月に尾上を演じたばかりだしね。

それにしても、萬壽で『加賀見山旧錦絵』の尾上が見たいねえ。
『伽羅先代萩』の政岡も。
『仮名手本忠臣蔵』の九段目の戸無瀬も。
もうせん萬壽は(当時は「時蔵」だつたが)、片外しがやりたいと云つてゐて、こちら「おお、おお、そのとほりだ。見たい見たい」と思つてここまでやつてきた。
国立劇場で『妹背山婦女庭訓』の定高を見られたときはほんとにうれしかつたものだ。
もうさういふことはないのかなあ。
国立劇場がないことが恨まれる。

Friday, 06 March 2026

映画ひまはりを見て泣けない

ウクライナが攻撃され始めたころ、映画館で『ひまはり』がかかつてゐた。
『ひまはり』といへばヘンリー・マンシーニのあのテーマ曲を聞くだけで涙が出てきさうになる。話の筋を思ひ出しても、だ。
誰も悪くないのになあ、とか。多分幸せなんだらうけど、でも幸せぢやない人々のことを考へたり、とか。

そんなわけで、もう泣く用意をして映画館に『ひまはり』を見にいつた。
泣く用意つて、泣く用の手ぬぐひを持つて行つたくらゐだけどさ。

でも泣けなかつた。
全然、一滴も涙が出なかつたのだ。
いま、テーマ曲を聞いても泣きさうなのに。

思ふに、戦争になつてしまつたのはいろいろ不可抗力なこともあるだらうとは思ひつつ、ムッソリーニを選んだのはこの人たちだらう、と思つたりとか。
とにかく雪原に延々と点々と連なる力尽きた兵士の姿が圧倒的すぎるとか。
まあいろいろ理由はあるんだとは思ふけど。

多分、見ながら全然話の筋とは関係ない方に興味が向いてしまつてゐるのかもしれない。
最初にジョヴァンナが訪れる役所のやうすに興味津々になつてしまふ、とか。
部屋のインテリアとか壁のやうすに集中してしまふ、とか。
花瓶にどんな花が何本刺さつてゐる、とか。
さういふことが気になつちやふんだよなあ。

おそらくほかの映画もさうなんだらう。
なんか不意をつかれたら泣けるんぢやないかと思ふんだけど。
その日を待つてゐる。

Thursday, 05 March 2026

NHKラジオ講座と国立の博物館

国立の博物館や美術館も収益を上げないと閉館させる。
そんなニュースが流れたが、いままた色々な話が出てきてゐて予断を許さない感じではある。
でも、なんとなく、さういふ流れなのかな、と思ふのは、国立劇場再建の目処が立つてゐないからだ。
多分、自分が生きているうちに国立劇場が再建されることはない。
そんな気がしてゐる。

一方、四月から(正確には三月三十日から)NHKラジオ講座はFMに移り、多くは放送時間帯が変はる。そして、ほぼ放送時間枠が減る。
いまはネットで聞くから問題ないといふ向きもあるやうだが、ラジオ講座のいいところは録音して何度も聞けることだ。
ストリーミングだと放送日から一週間くらゐしか聞けない。
それだけ聞ければ問題ないだらうといふ人もゐるかもしれないが、たとへば講座の内容が二週間単位だつたりすると、最後の日に最初の日の放送を聞くのは無理になる。
そこは講座内容を変へればいいのかもしれないが、だつたら今すでに対応してゐるはずである。つまり、現在二週間で一単位の語学番組が存在するといふわけだ。

などと文句を云ひつつ、自分もストリーミングで聞くやうになるんだらうなといふ気はしてゐるが、気になるのはそこではない。
なんといふか、廉価で勉強のできる環境が狭められてゐる気がするのだ。
TVの語学番組も、いはゆる「タレント」といはれるやうな人々が出るやうになつててんでつまんなくなつたしね。
はしりはイタリア語会話だつたやうな気もするが、イタリア語会話の最初のころはそれでもよかつたやうな気がする。
あとドイツ語会話のペナルティーも、当時ドイツでサッカーのW杯があるからといふので、それなりにふさはしい配役だつたのではないかとは思ふ。

「勉強する」「学ぶ」といふことがおろそかになつてゐる。
そんな気がするんだよね。
TVやラジオで学ばなくてもいくらでも学ぶ手段はあるだらう、といふのも最もだし、いまはストリーミングだけでなくネット上にさまざまなコンテンツやサーヴィスもある。
単に、保有効果が働いてゐるだけなのかなあ。

でもやつぱり国連の公用語であるアラビア語講座をなくしてしまふといふのは暴挙だと思ふんだけどなあ。
それだけこの国にとつて国連はどうでもいい存在になつてゐるつてことなのかもしれないけれど。

ただ、ことは語学講座だけではないといふ気がしてならないのだつた。

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