Wednesday, 17 January 2018

Creative ぢやないからさ

職場にゐるとほとんど書けない。

書く仕事ではないのだから当然といへばさうなのだが、でも仕事の上でのメモとか、もつとなにか書くことがあつてもいいのではないかと思ふ。

なにか思ひついたら即書けるやうに情報カードとペンとはつねに手元においてある。
会議中は情報カードを出すのはちよつとはづかしい気もするので、システム手帳を開いてゐる。
情報カードがはづかしい気がするのはまだまだカード初心者だからかな。

いづれにしても、書く体勢はととのつてゐる。
しかるに書けない。

それもしごく当然、と世の人は云ふ。
やつがれは基本的には座席に座つた状態で仕事をしてゐる。
机の前に座つた状態ではアイディアは浮かびにくい。
さういふものなのらしい。
気分転換に歩いてみるといいといふ。とくに外を歩くのがいいのださうだ。

うーん、さういふ時間はあまりないなあ。
たまに思ひついて外を歩いてみたりするのだが、いまの時期は寒くてどうにもならない。
云ひ訳か。
云ひ訳だな。

いづれにしても、机の前に座つてゐてなんぼな仕事をしてゐる。
席を離れてゐる状態が長いとさぼつてゐると思はれることは必至だ。

かういふ状態では、人間はあまり creative な状態にはなれないのだといふ。

うーん、さうなのかな。
まんが家とか小説家とか、机の前で仕事をするのぢやあるまいか。
アニメータもさうか。

さういふ職業の人はまた違ふのかなあ。
机の前に座つてゐてもアイディアが出てくる、とか。
あるいはかういふ職業の人は、机の前に座る前にすでにアイディアをいろいろと出してゐて、これでよしとなつたときに席につくのか。
さうなのかもしれないな。

去年の三月このかた、「書けない」「書いてゐても楽しくない」といふやうなことを書いてゐた。
それが最近、それも先週の火曜日くらゐから突然書きたい病にうかされてゐる。
なにがきつかけなのか、自分でもよくわからない。
単にさういふ波がきたといふことなのだらう。

いづれにしても書きたい。
なんでもいいから書きたい。
でも職場ではさうもいかないので、職務を遂行する上で思ひついたことなどを書き留めてゆきたい。

それができないのである。
できないといふことが、気に入らない。
なんかもつと書かせろー!
と、心の中で叫びつつ、どうにもならないのだつた。

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Friday, 12 January 2018

増える情報カード

情報カードもだいぶたまつてきた。

情報カード

コレクトの木製のカード入れに入れてゐるのだが、ほぼいつぱいである。
タグのついてゐないのは三年前に書いたカードで、ついてゐるのは去年の十一月以降に書いたものだ。
タグはPoICを参考につけてゐる。

情報カードを使ひはじめたのは、いはば「偶然の出会ひ」を求めて、だつた。
Aについて書いたカードがあつて、それとはまつたく関係のないBについて書いたカード、Cについて書いたカードがある。
それを並べてみたときになにかしら関係性を見てとることができないだらうか。
あるいは全然違ふ考へが浮かんだりしないだらうか。
リニアにならんでゐたら気がつかないこともバラバラにならべてみたらわかることもあるのではないか。
さう考へたのである。

「偶然の出会ひ」的なことはいまのところ全然できてゐない。
カードが少なすぎるといふこともある。
かうしてみるとたくさんあるけれども、内容としてはまだまだ少ない。
それと、カードを取り出してならべてみる時間がなかなかないといふこともある。
これは時間をとつてやつてみるしかないなあ。

もうひとつ、情報カードを使つてやりたかつたことに、メモ書きは情報カードにして、手帳には情報カードの内容をふくらませたものを書く、といふのがある。
これはできてゐると先日も書いた。
完璧とはいへないけれど、情報カードに書いておいた内容をあらためて文章に起こすことはある。
かういふ使ひ方が今後もできるやうなら、情報カードを使ひつづけてもいいかなと思つてゐる。

いづれにしてもかうしてタグがならんでゐるのを見るだけでも楽しいしね。
問題はなにか箱を探さねばならないといふことだ。
せつかくだからなにかおいしいお菓子でも買つてその箱にカードをためることにしやうかな。

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Thursday, 11 January 2018

今年の手帳 2018 その他

Bullet Journal 用のシステム手帳のほかに、今年も5×3の情報カードと Leuchttrum 1917 のポケットサイズとを持ち歩いてゐる。
どちらかはやめやうといまは思つてゐる。

自分に向いてゐるのは手帳かな。
一ページ一内容でだらだらと文を書き連ねる。
この方が、一カード一内容で箇条書きかそれに毛の生えたやうなものを書き付けるよりは自分に向いてゐる。
なにしろもう十年近くさうしてゐるんだから向いてゐるんだらう。

しかし、情報カードもたまつてくるとおもしろい。
PoICの要領でタグづけをしてゐると、カードを並べたときに模様があらはれる。
それを見ると「よく書いたな」といふ気がしてくるのだつた。

情報カードにしたのは、書いたことを見返すのにいいだらうと思つたからだ。
いまのところ、さういふ機会をあまり作れてゐない。
一週間分まとめて箱に入れるときに読み返すくらゐで、それ以前のものを読み返す機会を持てずにゐる。
カードはいまはコレクトの専用の木製の箱に入れてゐる。そろそろ入りきらなくなつてきたので、なにか箱を見つくろはねばならない。
なにかおいしいお菓子でも買つてくるかな。
それとも、情報カードはこれまでといふことにすべきだらうか。
でもお菓子を買ふ口実にはなるよな。

Bullet Journal と情報カードと綴じ手帳と、おなじことを最低三度書くこともある。
それはあまり無駄とは思はない。
一時記憶に書くか不揮発なメモリに書き出すかといつたところか。
この場合、一時記憶もあとあとまで残ることになるのだが。
また、Bullet Journal や情報カードに箇条書きにしたものを文章の形におこして綴じ手帳に書くこともある。
情報カードはもとからさういふ風に用ゐやうと思つてゐた。
情報カードにはメモだけ書いておいて、あとでまとめるつもりでゐた。
なのでそんなに無駄でもないのかな、といふ気がしてゐる。

無駄ではないが、持ち歩くものや管理するものが増えるのは本意ではない。
とりあへず三月くらゐまではこの体制で過ごしてみて、なにを切り捨てるかあるいは切り捨てないのかを決めやうと思つてゐる。

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Wednesday, 10 January 2018

今年の手帳 2018

今年も手帳は Bullet Journal である。
バイブルサイズのシステム手帳で実施してゐる。
Bullet Journal は綴じ手帳で行ふものだが、一昨年の五月からシステム手帳に切り替へた。それで支障なく使へてゐる。

システム手帳のカヴァはHIRATAINDER、リフィルは週間予定用にスライド手帳、残りのほとんどは5mm方眼用紙だ。
今回Collectionページ用に筆文葉の横罫9mmを使ってみてゐる。あとちよつとした覚え書き用におなじく筆文葉の水玉を用ゐてゐる。
そんな感じで、リフィルはごくシンプルだ。

さう、今年はColelctionページを作つてみることにした。
いままでは独立したCollectionページを設けることはなく、Daily Log にすべて書いてゐた。
Collectionページを作りたい、とは、去年から書いてはゐる。
さうしなかつたのは、システム手帳を使ひながら綴じ手帳のやうに使つてゐたからだ。

Bullet Journal では、手帳に見出しとページ番号とをつけて、Indexでなにがどこにあるのかわかるやうにしてゐる。
ゆゑに、ひとつの内容であつても、別の内容をあひだにはさんで不連続なページに書くことがある。
やつがれの例でいくと、去年のいまごろ中村萬太郎の歌舞伎座ギャラリーでの歌舞伎夜話に行つた。このときの内容を Bullet Journal に書き出していつたのだが、一日では書ききれない。数日にわたつて書くことになつた結果、歌舞伎夜話に関するログのあひだに日々のタスクや予定の記述のページが入り込んでゐる。

綴じ手帳を使つてゐたらかうするしかない。
一冊の手帳を分割して Daily Log はここからここまで、その他の本や芝居の感想などで長くなりさうなものはここからここまで、と決めてもいい。
でもこの方法だとページが無駄にあまる可能性が高い。
「この内容はこれくらゐ書くだらう」といふ予想はむつかしいからだ。

でもシステム手帳なら、単にリフィルを分けるだけでいい。
適切にページ番号をふることができれば参照も容易だ。
システム手帳なのだもの、さうするのが一番なのではあるまいか。

と、去年の早い時期から気づいてはゐたが、Collectionページは設けずに一年過ごした。
この先綴じ手帳で Bullet Journal を実践してみたいやうな気もしてゐたからだ。

でもやつぱりシステム手帳からはなれられぬまま、Collectionページを作ることにした。
いまのところ、Collectionは三つある。読み終へた本、見た芝居、あみもの・タティングレースなどで作つたもの、だ。

Daily Log がすつきりして見やすくなつた。
その反面、その月どれくらゐ書いたかがわかりづらくなつてしまつた。
Bullet Journal では、その月に何ページ書いたかがわかりやすい。
その月、どれくらゐ書く余裕があつたかが見てとれる。
読んだ本や見た芝居が多ければそれだけ記述も増える。
つまり、その月にどれくらゐactiveであつたかわかるといふ寸法だ。

それが、本や芝居のことを書いたページを外出しにするとわからなくなつてしまふ。
そこはそれ、なのかな。

Bullet Journal といふと、ページをdecorativeに飾つた手帳が多く見られる。
Instagramなどを見てもさうだ。
やつがれの Bullet Journal は冒頭のリンク先にあるとほりの、単純に箇条書きだらけの手帳である。
それでうまくいつてゐる。
綴じ手帳からはじめて、来月で三年目に突入する。
また綴じ手帳に戻ることはあるかもしれないが、今後もしばらくは Bullet Journal でいくつもりだ。

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Friday, 05 January 2018

solitude実践

昨日は、午前九時台から午後九時台まで、cyberspace には行かないやうにしてゐた。
Solitude といふ本を読んだからである。

これまでも、休日の一日一歩も外に出ず、誰とも会はず話さずに過ごすことといふのはあつた。
しかし、さういふ日も、MacbookやiPhoneからネットにアクセスはしてゐた。
Twitter を眺めてときに呟き、ちよつと疑問に思つたことは即Web検索するなどしてゐた。

それは solitude とはいへない。
本を読むとどうもさういふことらしかつた。

loneliness と solitude とは違ふものである。
日本語に訳してしまふとどちらも「孤独」といふことになる。
loneliness は孤独であることを否定的にとらへる際に使ひ、solitude は孤独であることを楽しむ際に用ゐる。
Solitudeからはさう読みとれた。

たぶん、自分は「孤独」を「solitude」と呼べる方だと思ふ。
大型連休になると二日くらゐは誰とも会はないこともある。
それで痛痒を感じることはない。
むしろ、積極的に誰とも会はない状況を作らうとすることもあるくらゐだ。
三日にしないのは、出かけないと足が弱るからだ。それでなくても体力は衰へがちである。
今回も二日にしてみやうとしてやめたのは、歩きに行かないと体力がつかないと思つたからだ。

半日通信を絶つてなにか特別なことをしてゐたかといふと、そんなことはない。
いつもひとりで過ごすときと同じやうに、酒を飲みながら本を読み、録画を消化し、ときに手帳や情報カードにあれこれ書き付ける。
いつもしない特別なことといつて、出しそびれてゐた年賀状を書いたことくらゐだ。

いつもなら本を読んだり録画を見たりしてゐるときに「これだ!」と思ふことがあると呟いてゐたところは、紙に書き記してみた。
最近は、呟かうかなと思つても、とりあへず手帳に書いてみて、それで満足したらそれまでといふことも多い。

そんなわけで、通信を絶たうが絶つまいが、やつてゐることはおなじで、とくに不都合は感じなかつた。
とくにいまどうしても「これを知りたい!」といふことに出会はなかつたからかもしれない。
あつたらやきもきしたかもしれないな。

これからも誰とも会はない日を作るつもりでゐる。
なんかわかんないけど、さういふ日が必要なんだよ。困つたことに。
でも、そのときに通信を絶つかどうかはわからない。
今回やつてみてあんまりいつもと変はらない気がしたからだ。
半日と云はず、朝起きてから夜寝るまでアクセスしなかつたら違ふのかなあ。
機会があつたら試してみるか。

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Thursday, 04 January 2018

睡眠不足は extreme な考へを誘発する

この年末年始も「その日のうちに就寝して自然に目が覚めるまで寝る」を励行してゐる。
ここのところ大型連休のときはさうするやうにしてゐる。
休みの初日と二日目とは零時ギリギリの就寝で実のところはその日のうちに布団に入れてゐないだらうといふcheatぶりだつたが、その後は順調に二十三時台、二十二時台に布団に入れるやうになつた。
朝も二日は芝居に行くので目覚まし時計の力を借りたけれど、それ以外は目覚めるまで寝てゐた。
今朝などは六時ちよい前に目覚めたほどだ。その後しばらく布団の中でぼんやりして、六時半すこし前に起床した。
大型連休のあひだ早寝早起きを励行するやうになつて以来はじめてうまくいつたんぢやないかな。
そのせゐか風邪をひいてはゐるものの、体調はそんなに悪いといふ気はしない。
風邪をひいてゐるので無理をしてはいけないとしたくないことはしない云ひ訳にしてゐるのもいいのかもしれない。
また、一日一日をどう過ごすかを決めてほぼそのとほりに過ごせてゐるのもいいのかなとも思ふ。これには Bullet Journal が効いてゐるのだが、それはまた別の話。

かういふ生活がいいのだらうな。
二十二時台には布団に入つて、自然に目が覚めるまで寝る、といふのが。
実をいふとここ二、三ヶ月といふもの寝つきが悪く、この休みのあひだも布団に入つてから一時間くらゐは眠れてゐないやうすなのだが、「なに、その分朝ゆつくりしてゐればいいのだ。場合によつたら昼寝をしてもいい」と考へることができるので、ストレスにならない。
普段もなかなか寝付けなくても気にしないやうにはしてゐる。でも休日の「寝足りなかつたら補へばいい」といふ心理的負担のなさにくらべたら雲泥の差だ。

なぜ自分はこんなに早寝早起きにこだはるのだらう。
早寝早起きしてなにかいいことがあるのだらうか。
睡眠をとるだけなら遅く就寝したら遅く起きればいい。
長いこと大型連休のときはさうしてきた。

多分、それではたいして寝た気にならなかつたからだらうな。
それだとあまり眠つた気にならない。
睡眠を十分にとるのに必要なのは、実は早く寝ることなのかもしれない。
寝つきが悪いとそれもむつかしいので、つひ朝寝坊することになつてしまふ。
眠れなくても早く布団に入ればいい、とわかつてゐても、その寝付けぬ時間がもつたいない。

休みのあひだに早寝早起きをすることで、通常運行に戻つたときにすくなくとも朝起きる時間だけはそれほど変はらないといふのもいい。
休みのあひだに遅寝遅起きをしてゐると、いざ出勤しやうといふときに日本にゐながらにして時差ボケを起こすことになる。
これを避けられるといふのは大きい。

さうなると、今度は仕事に行きながら早寝をしたい、といふことになるのだが。
これがなかなかむつかしい。
就寝前三時間は食事をするなと人はいふ。
これを守らうとすると、就寝時間はどんなに早くても二十三時半以降になる。
そして、二十三時半に布団に入らうとすると、なぜか二十四時以降になつてしまふ。
二十三時に布団に入らうとすればいいのだが、これがなかなかむつかしい。
就寝前にしてゐることが楽しいからだ、とは以前ここに書いた。

夕食をけづるしかないか。
これも何度もここに書いてゐるな。
夕食を食べないことにすると、食べる時間はもちろん、支度する時間やかたづけをする時間もかからない。
その分帰宅後に使へる時間が増える。
食べてゐないのだから好きな時間に布団に入ることができる。
問題は空腹で寝付けないのではないかといふことだが、夕飯は食べないといふことに慣れたら大丈夫なのではないかといふ気もする。

明日出勤したらまた三連休だ。
そのあひだにちよつと考へるか。

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Wednesday, 03 January 2018

トワイライト・ウルトラ・ゾーン

「ウルトラセブン」の再放送が終はつてしまつた。
「ウルトラセブン」を見てゐてときをり感じてゐたのは、「なんだかまるで普通のドラマだな」といふことだ。
たとへば最終回に近い「あなたはだぁれ?」だ。
夜、小林昭二演じるサラリーマンがかなりきこしめした状態でタキシーに乗り、団地にある我が家に帰る。
出迎へかと思つた自分の妻も子も自分のことを知らないといふ。
近所の人も同様。
いつも挨拶してゐる交番の警官もまつたく自分のことを知らないやうだ。
困つたサラリーマンは公衆電話から電話をかけて助けを求める。
ここまでのやうすがまるで普通のドラマのやうだつた。
こども向けの特撮ドラマといふ感じがまるでない。
おそらく実際の団地でロケをしたのだらう、なにもかもとてもリアルなのだ。
小林昭二のサラリーマンもさうならその妻とおぼしき三條美紀もさう。近所の人々もだ。
演技もさうなら、衣装その他も大仰なところがまるでない。極めて自然で、当時ならさういふ服装もしてゐたらうといふやうすだつた。

さういへば「仮面ライダービルド」の浜田晃の登場場面にもさういふのがある。
銭湯とか神社の境内とか、さういふところに政界の黒幕がゐて、一見普通の人と変はらぬやうすでゐながらなにか悪事を企んでゐる。
さういふことは普通にありさうだ。すくなくともドラマの中ではあつてもをかしくない。
銭湯は若干唐突ではあつたものの、それ以外のとくに政治家の登場場面のセットが見るからに作りものなことを考へると、浜田晃の演技も含め、このまま二時間ドラマだとかゴールデンタイムに放映するドラマの一場面として用ゐてもをかしくない。

「あなたはだぁれ?」は舞台や人々のやうすをリアルにすることで恐怖感をあふらうとしたのだらう。
どこにでもあるやうな団地で、帰つてくると家族は自分のことは知らないといふ。
団地ごと宇宙人に乗つ取られてしまつたからだ。
あるいは原因は宇宙人ではないかもしれない。
たまたま自分がなにかのタイミングで異次元・異世界にすべりこんでしまつたのかも。
「ウルトラQ」から流れる「トワイライト・ゾーン」のやうな世界がそこにはある。

最近の特撮ヒーローものドラマにはない要素だ。
あるいは東映が「トワイライト・ゾーン」的なものに興味がないのかもしれない。
とくに戦隊ヒーローものは見るからに作りものといつた印象のセットが多いやうに思ふ。
現在のキュウレンジャーの宇宙船にしてもトッキュージャーの電車にしても、あるいはジュウレンジャーの人々が普段集まつてゐた場所の作りにしても、どこをとつても作りもののセットだ。
仮面ライダーもエグゼイドの病院の一室などは同様に見えたし、全般的に喫茶店やバーの作りも「こんな店ないよね」といつたやうすが見てとれる。

さう考へてみると「太陽戦隊サンバルカン」のサファリはよくできてゐたんだな。
セット自体はどこにでもありさうな喫茶店のそれだつた。
外観がうつることがあるからよけいにさう思つたのかもしれない。

作りものめいたセットが悪いといつてゐるのではない。
いつから作りもののセットがあたりまへになつたのかに興味があるのだつた。
いや、そらウルトラ警備隊の基地なんかだつてこれ以上の作りものはないよ。
「ウルトラセブン」の第一話などもよくぞ模型でここまで真に迫つた大火災を撮つたな、と思ふし。
でも、なんていふのかな、戦闘シーン以外の場面、普通の生活を描く場面を如何にも作りものですといつた風のセットで撮るやうになつた時期といふのが多分あるのだと思ふ。

模型で本物と見まがふやうな大火災といへば「怪奇大作戦」の「呪いの壺」だらうか。
去年「帝都物語」を見て、「「呪いの壺」の火災場面の方がずーつとよくできてゐる」と思つた。
残念ながら放映開始50周年を迎へる今年「怪奇大作戦」の再放送はなささうだ。少なくともやつがれの見られる局ではないらしい。
また「呪いの壺」を見て「寺が燃えてる!」と勘違ひする人がゐても困るのかもしれないな。

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Wednesday, 27 December 2017

こんなことをしてゐる暇に書けばいい

年賀状は一枚も書けてゐない。
はがきは買つてある。
誰に出すかといふ選別からしなければならない。

この年末年始の休みをどう過ごすかは、だいたい決めた。
その中に年賀状に関する記述が一切ない。
いいのか、そんなことで。

例年、休みに入る前に土日のほかにもう一日休みがあつて、その休みに年賀状を書くやうにしてゐたのがいけないんだらうな。
今年は天皇誕生日が土曜日で、休みは土日しかなかつた。
いつもの「もう一日」がなかつた。
それで書く機会を逸してしまつたのだ。

暦のせゐにするのはどうよ、とも思ふが、十二月と一月とは観劇三昧で忙しい。
毎年十二月になると「もつと芝居見物の回数を減らさう」と思ふのだが、どうにもままならぬ。
敢へて減らさなくてもそのうち否が応でも減らさねばならぬときがくるのだがら、それまでは、といふ気もしてしまふ。

云ひ訳ならいくらも出てくるんだがな。
そんなことをやつてゐるうちに書けばいいのだが、書けない。
なぜ書けないのかといふと、書きたくないんだな。
年賀状を書くには人生は短すぎる。

いつそもう書くのはよさうと毎年思ふ。
やめられないのは芝居見物とおなじである。
芝居見物の方は「喉元すぎれば熱さを忘る」的なアレだが、年賀状の方は浮き世の義理的なアレだ。

なにかないだらうか。
年賀状を書かなくて済むやうな理由が。

それを探すくらゐなら書いた方が早い気はするのだが、さて。

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Friday, 15 December 2017

価値がないのはどつちだ

ちかごろ、近所のスーパーマーケットではいつ行つてもハーゲンダッツのアイスクリームを安売りしてゐる。

以前は、ちやんと安売りの期間があつた。
それが、最近はいつでも安売りをしてゐる。
安くしないと売れないのだらうか。
たぶんさうなのだらう。

安くしないと売れないといふことは、その商品に定価分の価値がないといふことだ。
理屈ではさうなのだが、ではハーゲンダッツのアイスクリームに定価分の価値がないのかといふと、そんなことはないと思ふ。
だつておいしいし。
それは「ハーゲンダッツのアイスクリームだからおいしい」といふ思ひ込みなのかもしれないけれど、でもおいしいと感じるのはほんたうのことだ。

安くしないと売れないといふことは、買ふ側にものの価値がわかつてゐない、といふことなのではあるまいか。
本来この値段でしかるべき品質の商品なのに、その値段では売れない。
買ふ側に見る目がないからだ。
買ふ側に定価分の価値がない。
買ふ側は本来ハーゲンダッツのアイスクリームにふさはしくないのだ。
すなはち、分不相応である。

無論、定価にふさはしくない商品といふのもないわけぢやない。
でも、今後「定価だつたら買はないな」と思ふものと出会つたら考へることにしたい。
定価にふさはしくないのは商品か。
あるいは自分か。

そんな余裕はないかな。

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Thursday, 14 December 2017

フェイク忠臣蔵

赤穂浪士の討ち入りの日だ。

と書いて、毎年躊躇する。
あれは旧暦のことのはずだ。
すなはち今日のことではない。
でも暦の上ではディセンバー。
もとい、今日といふことになつてゐる。

以前、門前仲町のあたりに勤務してゐたことがある。
一帯の自治会だらう、この時期になると義士祭みたやうな催しがあつたり、本所の吉良邸後から泉岳寺まで歩く催しがあつたりした。
なので、やはり十二月十四日でいいのだらう。

忠臣蔵といひ赤穂浪士といふ。
そこからして曖昧だ。
忠臣蔵は「仮名手本忠臣蔵」からきてゐるのだらう。
虚構である。
登場人物の名前で実際に討ち入りに関はつたもののうち本名なのは不破数右衛門くらゐなものだ。
ほかは史実にさういふ名前の人物がゐたとしても江戸時代の人の名前ではない。
のこりは元の名前をもぢつたやうなものばかりだ。

赤穂浪士といつてもどこまでほんたうのことなのか。
「風誘ふ」ではじまる浅野内匠頭の辞世の歌だつて偽作といふし。
そもそも、なんで赤穂浪士は吉良義央を討つたのか、その理由もはつきりとはしない。
大石内蔵助はほんたうに昼行灯だつたのか。
赤垣源蔵(といふ名前からしてもぢり名前だが)は帰らぬ兄を待つてひとり酒盛りをしたのか。
大高源吾は橋の上で「明日待たるるその宝舟」と宝井其角に返したのか。

疑つてかかるとなにもなにもアヤシい。
いいのか、ほんたうに。
十二月十四日に赤穂浪人たちが徒党を組んで本所吉良邸に討ち入つた、といふことで。

いいんだらう。
なにがほんたうでなにがうそなのかとか、赤穂義士伝の前ではどうでもいいことなのだ。
浄瑠璃や芝居、講談に残る数多の話は、どれも作りごとなのかもしれない。
でも作りごとだつたところで、誰も困りはしない。

あー、まあ、吉良家の人々にとつては、さうも云つてゐられないか。
でもそれは松の廊下の刃傷事件の後始末が間違つてゐたから仕方がないことなのだと思ふ。
恨むならそこを恨むしかない。
吉良上野介が「そのご裁断はまちがつてゐる」「自分の身に覚えはないことは確かだが、だからといつて浅野家への仕打ちはむごすぎる」と声をげてゐたらどうだつたらうか。
むろん、そんなことばは通らなかつたらう。
通らなかつたらうけれど、すくなくとも赤穂の浪士たちに討ち入られることにはならなかつたのぢやあるまいか。
とはいへ、自分が吉良上野介だつたらどうしたかといつたら、やはり意味も分からず斬りつけてきた相手にのみご処分がくだつたことに安堵してなにもしなかつたとは思ふけどね。

今年は「フェイク・ニュース」などといふことばも流行り、Twitter などではちよつと間違つたことをつぶやくと四方八方から攻撃されるやうな世の中だ。
でも「忠臣蔵」くらゐ大らかでもいいんぢやあるまいか。
ダメなのかな。

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