Friday, 19 July 2019

なつかしの洋楽メロディー

洋楽を聞き始めたころ、FMラジオ局でしばしば「洋楽オールタイムベスト100」とか「ベスト50」といふ長尺の番組が放送されてゐた。

いはば、洋楽のなつかしのメロディーだ。

第一位は「レット・イット・ビー」か「イエスタデイ」で、第三位は「ヘイ・ジュード」、第四位は「ホテル・カリフォルニア」とか場合によつては「ヘルプ!」とかといふ、出来レースなのかと思はれるやうな結果だつたが、考へてみたら聞く層がおなじなんだらうから結果もおなじになるのも道理だつたのかもしれない。

聞き始めたばかりだから、なにもかも新鮮だつた。
これのおかげで一番最初に「これがローリング・ストーンズの曲」といふことで聞いたのが「悲しみのアンジー」だつたりする、といふこともあるのだが。
なんで「サティスファクション」とか「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」とか「ペイント・イット・ブラック」とかぢやなかつたんだらう、とは思ふがなー。
さういふ層は聞いてなかつたのだらうか。

アバの前身のビョルン&ベニーの「木枯らしの少女」とかホリーズの「バスストップ」、アニマルズの「朝日のあたる家」……
「天国への階段」は途中までしか流れなかつたやうに覚えてゐるし、「ボヘミアン・ラプソディ」もさうだつたやうな気がする。

さうさう、当時クイーンを聞くやうになつて、ちやうど「ザ・ゲーム」と「フラッシュ・ゴードン」のあひだくらゐのことで、なのに「キラー・クイーン」とか「ボヘミアン・ラプソディ」の方が親しみを覚えるのはかういふ「洋楽オールタイムベスト100」とかいふ番組の影響なのだつた。

レッド・ツェペリンだのクイーンだのは、どちらかといふとかういふベスト番組ではあまりかからなくて、自分で探して聞くしかなかつたと思つてゐたけれど、労せずして聞けてもゐたんだな。

エルヴィス・プレスリーはほぼ一曲もなかつたり、50年代から60年代にかけてのアメリカン・ポップスもそんなになかつたやうな気がする。ポール・アンカとかニール・セダカとかね。それはそれでまた別の番組で聞いてゐた。

あれは、どういふ番組だつたんだらうなあ、といまになつて思ふ。
聴取者から好きな曲を募集して順位をつけてゐたのだらうとは思ふけれど。
なのに、ストーンズが「悲しみのアンジー」つて、どういふことなのか。

いまもかういふ番組はあるのかな。
あるとして、どんな曲が選ばれるのだらう。
当時、ビリー・ジョエルはまだかういふ番組にでるには新しすぎた感じだつた。
マイケル・ジャクソンはソロになるかどうかといふ時期だつた気がする。
マドンナはまだ登場してゐない。

いまだつたらどんな曲が選ばれるのかなあ。

知らない曲ばかりなんだらうな。

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Thursday, 18 July 2019

「都市の空気は自由にする」?

「Ferne Reisen machen weise.」とは Rollbahn の手帳の表紙に書かれてゐる四つの文章の一つだ。
「遠方に旅することで賢くなる」とでもいはうか。
直訳だと「遠方への旅は賢くする」だらうかな。
「Stadtluft macht frei.」が「都市の空気は自由にする」になるのとおなじ理屈だ。

遠方への旅といふ場合、どれくらゐ離れてゐれば「遠方」といふのだらう。
三連休の土日と大阪・京都に行つてきたのだが、それは遠方にあたるのか。
最近ご無沙汰してゐるが、飯田は遠方か。大阪や京都に行くときより時間がかかるんだから、遠方な気がしてならない。

そして、行つて、賢くなつてゐるだらうか。
どうもそんな気はしない。
なぜだらう。
遠方ではないからか。
あるいはそもそも旅ではないからか。

賢くならうと思つたら、それなりに準備をしたり心得ておかなければならないことがあるといふことなのだらうか。
でもそれだと machen はをかしかないだらうか。
「都市の空気は自由にする」と云つたとき、人もまた自由にするためになにかしてゐるのだらうか。

うーん、してゐる、のかもしれないなあ。

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Wednesday, 17 July 2019

読まない人々

今朝、「あさイチ」を見てゐたら衝撃的なことがあつた。

人は麦茶の箱に書いてある麦茶の作り方を読まない、といふのだ。
しかも、インスタントラーメンの袋に書いてある作り方も読まないといふ。

もちろん、「あさイチ」でさう証言してゐたのは、麦茶のおいしい入れ方を習つた一般の人(を演じるどこぞの劇団員といふ可能性もある)と、ゲストで来てゐたとおぼしき二人の三人だけだ。
でも、すくなくとも、書いてあるのに読まない人がゐる、といふことだ。

最近はスマートフォンを使ふのにも長々しい使用許諾書のやうなものを読まねばならない。

EUの一般データ保護規則(GDPR)に併せて、変更になつた利用許諾書を読むのが面倒くさくてポケモンGo!もどうぶつの森ポケットキャンプもやめてしまつたやつがれのやうな人間は少数派なのかもしれない。
それともみんな、あれを全部読んで理解してゐるのだらうか。
できないのはやつがれだけ?
さうなのかもしれない。

世の中には文字が書いてあると読まずにはゐられないといふ人もゐるのになあ。
展覧会などに行くと展示物はろくろく見もせずに題名と作者とちよつとした説明文を読んですませてしまふ人も多いしなあ。

この違ひはどこからやつてくるのだらうか。

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Friday, 12 July 2019

帰属意識と占ひ

干支や星座、四柱推命に血液型、占ひにもいろいろあるけれど、「あたつてる!」と思つたものはひとつもない。

動物占ひ(ある意味、四柱推命占ひ)だとやつがれは緑のチータで、緑のチータといふのは「超ポジディヴ」なのださうである。
「超ポジディヴ」?
やつがれが?
とは以前も書いた。

こちらは占ひではないが、MBTI (Myers-Briggs Type Indicator)といふ性格診断もアヤシい。
出てくる結果を見てもほぼ自分にあてはまるものはない。
本来は資格のある人間でないと診断はできないのらしいが、さういふ問題でもない気がする。
これも、「あたつてる!」「全部あてはまる!」といふ意見が多くてびつくりする。

たぶん、まつたくあたつてゐない人やほとんどあたつてゐない人はわざわざ「あたつてない」とか「ほとんどあてはまらない」などと声を上げたりしないのだらう。

まあ、MBTIもいまではまつたくあてにならない性格診断とばつさり切り捨てられてゐるやうだが。

ふしぎなのは、「あたつてる!」「全部あてはまる!」みたような人がゐる一方で、やつがれのやうに「あたつてない」「全然違ふ」と思ふ人がゐる、といふことだ。
……ふしぎでもなんでもないか。
世の中さうしたものか。

でも、どこからさういふ違ひが生まれてくるのだらう。
なぜ自分は「あたつてる!」と思はないのか。
自分のことを理解してゐないから?
それはありうる気がする。
では占ひや性格診断で「あたつてる!」と思ふ人は自分のことをよく理解してゐるのだらうか。
自分の性格を理解してゐたら、わざわざ占ひや性格診断に頼らなくてもいいのでは?

この違ひは、帰属意識の高いか否かにあるのではないかといふ気がしてゐる。
たぶん、普通の人は帰属意識が強いのだ。
どこか何かに所属したいと思つてゐる。
やつがれにはそれがない。
できればどこにも所属したくない。

ゆゑのことなのではないかと思ふが如何に、だな。

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Thursday, 11 July 2019

淘汰されるべきCD人間の怪

先月、「アナと世界の終わり」といふ映画を見た。
ゾンビとミュージカルとの組み合はせといふのに心惹かれたといふわけではなく、予告篇を見てエラ・ハント演じる主役とサラ・スワイヤー演じる登場人物に心惹かれたからだ。

何度か書いてゐるやうに、怖いものは苦手だ。
ゾンビ映画もいままでひとつも見たことはない。
「アナと世界の終わり」にはゾンビ映画からの引用が各所にあるらしい。
見てないからわかんないんだよなー。
ちよつと悔しい。

見に行つて、もうゾンビはいいやと思つたけれど、でも映画自体はおもしろかつた。
ゾンビが出てないんだつたらもう一度見たい。
ゾンビ映画だからおもしろいんだろうとも思ふけれどもね。
おそらくゾンビ映画の文法で作られた映画だものね。
ゾンビ映画のお約束といふものがあつて成り立つてゐる映画だと思ふ。
そこに唐突に(でない場合もあるけれど)歌や踊りが入る。
歌がまたよくてね。

それで、「サウンドトラックを買はう!」と思ひたつたはいいが、今日日CDといふものはないのだつた。
Web検索をかけても出てくるのはダウンロードの案内ばかり。
HMVかタワーレコードにでも行けばありさうな気がしないでもないが、空振りしさうな予感もある。

iTunesを使つてゐると、一度は音楽をダウンロードして買つてみることもあるだらう。
ご多分にもれずやつがれも何度か買つたことがある。
CDまるごとはちよつとなー、といふ場合でも気に入つてゐる曲だけ買ふこともできるし、なにしろCDといふものが増えないし、いいな、と思つたものだつた。

そのはずが、気がつくと、またCDを買つてゐる。
最近だと持つてゐなかつたクイーンのCDは実店舗に行つて買つてきたものが多い。
実店舗でなくてもネット通販でCDを買つてゐる。
MP3などを買つてダウンロードしたものはひとつもない。

なぜだらうか。
ものが増えなくていいと思つてゐたはずなのに。

ひとつには、もともとCDで持つてゐたものが何枚かあつたから、といふことがあるだらう。
それでなにも考へずにCDを買つてしまつた。

また、CDにはライナーノートがついてくる。
そんなに熱心に読むわけではないが、といふのはライナーノートには「ライナーノート文体」とでもいふべき書き方があつてこれがそんなに好きなわけではないからだが、でもまあ、ダウンロードしてきてもついてはこない。

LPレコードのころと比べたら多少迫力は失せたものの、ジャケットもある。
MP3ダウンロードでもジャケットの画像を入手できることはあるが、CDでいふ表だけで裏もといふことはあまりない。

あとは、まあ、やはり時代に乗り遅れてゐるからだらうな。
淘汰されるべき人間、といふわけだ。

そんなわけで「アナと世界の終わり」のサウンドトラックはどうしやうかなあと思つてゐる。
ダウンロードするかな。

いい歌が多いんですよ。

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Wednesday, 10 July 2019

居場所がない

今月は大阪松竹座に片岡仁左衛門の碇知盛を見に行つてあちらの友人と会ふし、来月は旅に出るつもりだし、九月には中村吉右衛門の松王丸があつて中村歌六の松浦侯があつて、十月は落語会に行くし、十一月もおそらくなんかあるし、十二月はこれで最後といふ噂の柳亭市馬のお歌の会があつて、一月にはさいたまに行く。

そこまでは生きなければ。
さう思ふ。

さうは思ひつつ、時折投げやりになつてしまふのはなぜなのだらうか。

思へば去年の十月末にポール・マッカートニーを聞きに行つたときなどもそんな感じだつた。
東京ドームまで来てゐるのである。
中に入つて、あとは開演を待つばかり。
なのに心が晴れない。
「どうして自分はこんなところにゐるかなあ」などと埒もないことを考へてしまふ。

もつといへば三年前、京都に顔見世を見に行つたときなどは、行きの新幹線の中でどうにも気持ちが沈み、歌舞練場に向かふバスの中では、もうほとんど泣きさうだつたくらゐだ。

だつたら行くなよ、といふ話なのだが、実際に見聞きするとこれが「いろいろあつたけれど、来てよかつたなあ」になる。

どういふことなのだらうか。

I don't belong here.

さう思つてしまふのだ。
ぢやあどこに blong してるんだよ、といふと、さういふ場所がないことに気づく。

自分の居場所がないんだな。
探してもゐないけれども。
だつてどこにもないかもしれないぢやん。

たまに自分の居場所ではないところに行くのはいいかもしれないけれど、常から自分の居場所でないところにゐるのに、なぜわざわざさらに遠いところ、それも物理的にも心理的にも遠いところに行かねばならないのか。

ぢやあ行くなよ。
次からは行くのをよさう。

と、毎回おなじことを考へてゐる。

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Friday, 05 July 2019

蛍光灯が切れてゐる

日曜の夜から蛍光灯が切れてゐる。

もつと明るい時間に切れてくれてゐたら少なくともどんな蛍光灯を買つてくればいいかを確認できたものを。
そんなの、朝起きて確認すればいいぢやん、といふ話もあるが、今週は毎朝雨や曇りで暗くてやはりちよつと怖かつた。

それに、もう切れさうとわかりつつ蛍光灯をはふつておいたのは、なにを隠さう脚立に乗るのが怖いからだ。
落ちるでせう、脚立に乗つたら。

まあ、落ちないこともある。
といふか、いままで生きてきて落ちたことはない。
しかし、だ。
まづ蛍光灯を覆つてゐるカヴァをはづして、虫だらけだつたりしたら、「ぎやつ!」とか云つて足を踏み外さないとも限らない。
さうでなくてもカヴァを手に一度は脚立から降りなければならない。
そしてまた脚立に乗つて蛍光灯をはづさねばならない。

一大事だ。

だいたい自分のバランス感覚に自信がないからかういふことになる。
倒れさうになるだらうと予想がつくあたりがダメなのだ。
それで、時折まばたきするやうな蛍光灯を眺めつつ「もつてくれよ」と祈つてゐたわけである。
そんな祈りが届くわけもないのだが。

そんなわけで今週はずつと夜は暗いままだつた。
料理はできないし、本を読むことも字を書くこともできない。
それでもラジオ講座だけはなんとか聞いてきたけれど、復習ができない。
MacbookやiPhoneを使つてゐても電気がつかないとひどく目が疲れる。

といふわけで、なんと、今週はいつもより就寝時間が早かつた。
布団に入つたからといつて即眠れるわけではないけれど、それでもいつもより眠れてゐたのぢやあるまいか。

蛍光灯が切れてゐてもいいことはある。
週末、新しい蛍光灯を買ひに行つて電気がつくようになつたら、また夜更かしの日々が戻つてくるのだらうか。

悩むな。

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Thursday, 04 July 2019

ちやんと考へてる?

なぜ書くのか。
ぱつと思ひつく理由は「考へたくないから」だ。

ジョージ・オーウェルは人々の文章の書けなくなることに不安を抱き、こんなことばを残してゐる。
「みんながきちんと書けなくなつたらきちんと考へることができなくなる。きちんと考へられなくなつたら、誰かが代はりに考へるやうになる」

オーウェルは、まともな文章が書けなくなつたらまともに考へることができなくなる、すなはち書けるといふことがまづ大事、と云つてゐる。

しかし、自分は考へながら書いてゐるだらうか。
なにも考へてなくない?
だつて考へながら書いてゐたらこんな速度で書けはしないと思ふんだよね。

以前、囲碁や将棋の棋士の対局中の脳の働きを調べたところ、序盤のあひだはほとんど考へてゐないといふ結果が出たことがある。
序盤は定跡がつづくので、棋士にとつては慣れたものであり、一々考へなくても打てるし指せるといふ説明があつたやうに思ふ。
序盤に関してはいまはまた状況が変はつてきてゐと思ふが、えうは、対局中の棋士はいつでも考へてゐるわけではないといふことだ。
ダニエル・カーネマン云ふところの「システム1」を使つてゐる時間帯もある、ともいへる。

「システム1」「システム2」とはカーネマン云ふところの人の二つの思考モードだ。
「システム1」は直感的なものでほとんど考へずに経験則などから判断する思考で、「システム2」は反対に意識していろいろ考へるとき用の思考、とでもいはうか。

たとえば、通勤通学だ。
毎日通ひ慣れた道を行くのに、一々「まづ靴をはいて玄関を出て」とか「右に曲がつたら左に曲がつて」とか「何番線からどこゆきの電車に乗つてどこで降りる」などと一々考へて歩きはしない。
ほとんど自動的に職場や教室までたどりつくはずだ。
ここではほぼ「システム1」のみを使つてゐる。

だが駅に着いたらいきなり電車が止まつてゐたらどうだらう。
止まつた原因や復旧の見込み、人の流れなどからどうすれば一番早く目的地に着くか考へる必要が出てくる。
ここで使ふのが「システム2」だ。

人は一々「システム2」を使つて考へることはない。
「システム1」を使ふのも悪いばかりではなく、生きていくには必要なことだといふ。
そりやさうだ。一々考へなければ外出もできないやうでは生きてはゆかれまい。

で、ものを書いてゐるときはこの「システム1」を使つてゐる気がするんだな、少なくとも自分の場合は。
いまこの瞬間だつてものすごい勢ひでキーボードを打つてゐる。
一々考へながら打つてゐたらこの速さにはならない。
つまり、自分は考へてゐないことになる。

んー、だからダメなのかな?
考へながら書かないからダメなのかも?

さう思ひつつ、書くときは書くだけで、考へることはその他の時間帯にやつてゐるのではないかといふ気もしてゐる。

やはり考へてはゐるのかな。

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Wednesday, 03 July 2019

ケの海外旅行

去年のいまごろ、「あなたに最適な海外旅行のタイプは?」みたようなYes/Noで答へてゆく占ひ的のものをやつてみた。

結果は、「日常生活の延長のやうな旅行が向いてゐます」と出た。

旅行とは、とくに海外旅行といふものは、非日常を求めていくものなのではあるまいか。
日常の延長のやうな海外旅行でなにが楽しい。

とはいへ、結果を見て「うむ」とは思つたのだつた。
どうもハレといふものが苦手だ。
冠婚葬祭的の催しが苦手なのはめんどくさいといふこともあるけれど、ケの場ではないといふことが一番大きい。
ハレにはハレの決まりがある。
それをよく知らないから不安になるのだ。

さらにハレにはハレの衣装がある。
普段着慣れないものを身につけて、さらにはよく知らないしきたりの中にはふりだされる。
イヤでせう。
お祭りも苦手だ。
にぎやかなのが苦手といふこともあるけれど、あれもやはりハレだからだらう。

旅行の中では海外旅行は群を抜いてハレつぽい。
そもそも空港からしてハレだ。
しかも搭乗の一時間とか二時間とか前から待機してゐないといけない。
持ち慣れぬパスポートを持ち、着替へだのなんだのを詰め込んだ普段は使はぬスーツケースやらバックパックやらを手に持ち物検査だの身体検査だのを受ける。
税関を一歩出たらそこは日本ではないといふ。
うわー、すごくハレだ。

それがケに近い日常の延長にあるやうなものなら、こんなやつがれでも行けるのではあるまいか。

どういふのがケに近い海外旅行なのか、全然ピンとこないけれども。

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Friday, 28 June 2019

Labor Camp ともいふか

疲れてゐる。
寝不足だからだ。
なぜ寝不足かといふと夜寝なくてはならない時間になると眠くないからだ。
時差ボケのやうな状態なのではないかと思ふ。
慢性的時差ボケとでも呼ばうか。

この週末はゆつくり休みたいのだがさうは問屋が卸さないやうな気もしてゐる。
やらねばならないことはたくさんある。
家のかたづけだとか家のかたづけだとか家のかたづけだとか。

世の中の人はどうしてゐるのだらう。
やつがれより眠れてゐない人はたくさんゐると思ふのだ。
さういふ人々もかうして日々不調を覚えたりしてゐるのだらうか。
ゐるのだらうなあ。
イライラしやすくなつたりだとか。
他人に対して無関心になつたりだとか。
通勤電車の車内の雰囲気が悪くても仕方ないよな、と時々思ふのはさういふわけだ。
みんな疲れてゐる。
#「みんな」はちよつと主語が大きすぎるだらうか。

疲れてゐるのに強制収容所につれて行かれる人が乗るやうなぎゆうぎゆう詰めの電車に揺られてゆく。
もしかしたらほんたうに行き先は強制収容所なのかもしれない。
本人や周囲の人が気づいてゐないだけで、職場は強制収容所なのかも。

だつたら仕事なんかやめればいいのに、と云ふのはかんたんだが現実にはむつかしい気がする。

なにしろ相手は強制収容所なのだもの。

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