Friday, 01 June 2018

5月の読書メーター

5月の読書メーター
読んだ本の数:7
読んだページ数:1866
ナイス数:39

脇役本 増補文庫版 (ちくま文庫)脇役本 増補文庫版 (ちくま文庫)感想
好きとはどういうことなのか、時折考える。この本は「好きとはこういうことさ」という一つの答えになっているように思う。好きなことを公にするとそのことに関する情報やものが集まる。そうしてさらに内容が膨らんだ結果がこの本なのではあるまいか、と。読んでいたり持っていたりする本が何冊かあるのは歌舞伎役者も取り上げられているためだろう。こんな作者でも「圧倒された」という本があるというのもすごい。世の中なんでも上には上があるということか。
読了日:05月06日 著者:〓田 研吾
超ひも理論をパパに習ってみた 天才物理学者・浪速阪教授の70分講義 (KS科学一般書)超ひも理論をパパに習ってみた 天才物理学者・浪速阪教授の70分講義 (KS科学一般書)感想
異次元の気持ちはさっぱりわからなかったが、「なにかとてもおもしろい話をしている」という雰囲気は伝わってきたのでまったく理解しないまま読んでしまった。全然わからないけれどなにか楽しい話をしている感じって、好きなんだよな。円周と球の表面積の話はちょっと「そーゆーことだったのか!」だった、かな。
読了日:05月07日 著者:橋本 幸士
元素をめぐる美と驚き──アステカの黄金からゴッホの絵具まで(上) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)元素をめぐる美と驚き──アステカの黄金からゴッホの絵具まで(上) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)感想
化学的な知識がなくてもおもしろい。文学とか芸術とか歴史とか、そういう方面の知識があった方がおもしろい本なのかもしれない。読んでいて、理科の実験のことを思い出した。教師から得体の知れない液体の入ったビーカーを渡されて、どんな元素が入っているのか同定するという実験だった。教師は思うような水溶液が作れなかったらしく、時間も足りなくてほとんどなにが入っていたのかわからなかった。この本を読んだいま、あの実験を再現できたらと狂おしく思う。
読了日:05月11日 著者:ヒュー オールダシー=ウィリアムズ
MacbethMacbeth感想
悲劇とは、不幸や悲惨な出来事を題材とし、最後は絶望や破滅で終わる演劇のことだという。この芝居は、主人公の破滅で終わるけれど、それでは主人公の不幸や悲惨な出来事とはなんだったのだろう。眠りを殺したことか。予言を聞いてしまったことか。野心を抱いて王を殺したことだとすると陳腐に過ぎる。読んでいて「マクベス殺人事件」を思い出した。そうか、罪を着せられたこと? というのはもちろん冗談。
読了日:05月16日 著者:William Shakespeare
外国語を身につけるための日本語レッスン外国語を身につけるための日本語レッスン感想
なぜ外国語を習得できないのかと考えるとこの本に書いてあることにたどりつくのだが、では果たして好きなことに対して逐一「なぜならこうこうこうだからです」だとか考えなければならないことに慣れることができるだろうかと思うと到底無理な気がする。あと、ここに書いてあるようなものの書き方をすると、AIに理解しやすいような文章になるのではという危惧はある。
読了日:05月20日 著者:三森 ゆりか
元素をめぐる美と驚き──アステカの黄金からゴッホの絵具まで(下) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)元素をめぐる美と驚き──アステカの黄金からゴッホの絵具まで(下) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)感想
上巻よりも化学的な内容は控えめで芸術や文学に言及する度合いが増えてるように感じながらも上巻より読みづらく感じたのはなぜだろう。上巻下巻とも巻末に周期表が掲載されていて、折に触れ見返しながら読んだ。願わくば周期表には希ガスとかアルカリ土類とかかわるように色つけか網掛けがほしかったなあ。
読了日:05月24日 著者:ヒュー オールダシー=ウィリアムズ
短歌と俳句の五十番勝負短歌と俳句の五十番勝負感想
作者の生い立ち等と作品とは別と思っているので、ことあるごとに自身の背景を語る堀本裕樹は苦手と思っていたけれど、五十首・五十句続けて読むと、やはり写実の方が強いのかなあという気がしてくる。穂村弘の歌の世界の方が好きだけど、続けて読んでいるとどうしても「これ、なんとなく前のと似てる」という気がしてくるのだった。似ていて悪いわけではないか。
読了日:05月25日 著者:穂村 弘,堀本 裕樹

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Tuesday, 01 May 2018

4月の読書メーター

4月の読書メーター
読んだ本の数:6
読んだページ数:1429
ナイス数:16

Weaponized Lies: How to Think Critically in the Post-Truth EraWeaponized Lies: How to Think Critically in the Post-Truth Era感想
グラフを見るときは目盛りに気をつけること、グラフに表示されていない部分についての憶測は避ける(予想はいいけど)など、具体例が多い。Webサイトなどの記事の信頼性はいいけど、マジシャンの云うことが正しいのか否かあたりにくると「そこまで考えなくても……」と思ってしまうのは、やはりcritical thinkingというものが基本的にはめんどくさいものだからだろう。
読了日:04月05日 著者:Daniel J. Levitin
編集兼発行人 (中公文庫)編集兼発行人 (中公文庫)感想
自分の知らぬ過去と自分とは思っているほど断絶しているわけではない。犬養毅は西郷隆盛と同時代人で、孫の犬養道子は祖父から西郷どんの噂を聞いたろう、ならば犬養道子にとって西郷どんは他人ではないという旨の文章を読むと、明治は遠い昔のことではない気がしてくる。先祖といえば、自分がいま一生懸命芝居だのなんだのを見ているのは見られなかった先祖のうらみを晴らしているのかもしれない、という考え方にはピンとくるものがある。芝居といえばこの本で「鳴神」を見たことがないとある。二世松緑が復活させる前に書かれたものだろう。
読了日:04月06日 著者:山本 夏彦
黒死館殺人事件 (ハヤカワ・ミステリ 240)黒死館殺人事件 (ハヤカワ・ミステリ 240)感想
そういや黄色いアレキサンドライトを見てみたいなあと思ったものだなあと思いつつ読み返す。緑だけど黄色味の強い石があるのだろうと思っている。赤というのも見たことがなくて、あれはどう見ても赤紫だと思うのだが、きっと赤味の強い石があるのだろう。という感じといったところか。
読了日:04月13日 著者:小栗 虫太郎
ネットカフェ難民―ドキュメント「最底辺生活」 (幻冬舎新書)ネットカフェ難民―ドキュメント「最底辺生活」 (幻冬舎新書)感想
やむにやまれぬ理由などなくネットカフェ難民になった著者による体験記。一度労働による収入を得てしまうとそれが途切れそうになったときに情緒不安定になる、とあって、それなら最初から収入などなければ不安など覚えぬのかというとそうでもないんだろうなあと思う。著者には帰れるところがあったからいいけれど、やむにやまれずネットカフェ難民になるということは如何なものだろうか。この本の出版から10年以上たつ。現状はどうなっているのだろう。
読了日:04月13日 著者:川崎 昌平
Frankenstein (AmazonClassics Edition)Frankenstein (AmazonClassics Edition)感想
陳腐な感想と思いつつ、いまだったらAIなんだろうなと思ってしまう。原作を読むと不思議とボリス・カーロフの印象は薄れて、なにかもっと原型的なものを想像してしまう。こどものころは怖いと思っていたけれど今回読んでみてそうでもなかった。外国語で読むと合理的な判断力が働くらしいから、そういうことなのかもしれない。
読了日:04月24日 著者:Mary Shelley
The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde (English Edition)The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde (English Edition)感想
「フランケンシュタイン」を読んで、手紙ものといえばと思いついて読んでみた。読んでみたら結構好きな文体だった。これは収穫。善と悪とに引き裂かれた結果、善の方に決断力がなくなる、という話があったように思っていたけれど、あれは「スタートレック」だったかなぁ。
読了日:04月30日 著者:Robert Louis Stevenson

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Sunday, 01 April 2018

3月の読書メーター

3月の読書メーター
読んだ本の数:5
読んだページ数:1758
ナイス数:28

新釈漢文大系 120 史記(列伝七)十四新釈漢文大系 120 史記(列伝七)十四感想
最終巻ということで列伝用の索引がついていて、これを読んでいるだけでも面白い。讃を読みながら思い出せない話が多いことに落ち込みつつ、「忘れたらまた読めばいいし」と思うことにする。
貨殖列伝はしかしそんなに司馬遷の意図を慮らねばならない内容なんだろうか。素直に「お金儲けした人にも素晴らしい人もいる」じゃダメなのかな。ダメなのか。
読了日:03月11日 著者:青木 五郎
Thinking, Fast and SlowThinking, Fast and Slow感想
最近「反射的にものごとをこなすのではなくよく考えて行動しよう」という趣旨の記事を読んだ。この本を読むと、本能的反射的なSystem 1をそんなに忌避しなくてもいいんじゃないかという気がしてくる。どうせ無理なんだし。
今年に入ってから読んだ認知心理学の本三冊すべてに引用されている本なので読んでみた。ほんとはこれを先に読むとよかったんだな。一度では覚えきれないので、機会があったら再読するつもり。
読了日:03月15日 著者:Daniel Kahneman
科挙―中国の試験地獄 (中公文庫BIBLIO)科挙―中国の試験地獄 (中公文庫BIBLIO)感想
才能があってとにかく努力して、結果を分かつのは最終的には人柄になってしまうというのはなんとなくわかる気がする。もうそこしか頼る場所がないからだ。その割には世の中よくならないのは、いい人がいい政治をするとは限らない、いい人がたくさん集まってもいいことは起こらないということなのだろうか。あるいは個人の栄達は必ずしも国家の繁栄にはつながらないということか。科挙導入の理由やその科挙のもたらしたものごとが書かれているのがいい。昔新書を読んだんだけど、それとは別ものなの? 新書も読むしか?
読了日:03月19日 著者:宮崎 市定
AI vs. 教科書が読めない子どもたちAI vs. 教科書が読めない子どもたち感想
読解力の方に興味を惹かれて読んだ。未来も心配だけれど、いま現実に目の前にいるマニュアルを理解できない社員や顧客とはどう付き合っていけばいいのだろうか。と悩むほど自分が読めているという感覚はこの本を読んだいまとなってはない。「マニュアル人間」っていうけど、読めてるだけいいんじゃない、という気にすらなる。マニュアルの外のことを読めてはじめて「読解力がある」というのだろうけれど。
読了日:03月24日 著者:新井 紀子
義太夫を聴こう義太夫を聴こう感想
「浄瑠璃を読もう」でも思ったことに、「詞章って大事」ということがある。とくに義太夫はそうなんじゃないかという気がする。義太夫を聞いて帰る道すがら、覚えた文句を口にしたくなる、それは義太夫が歌だから、という趣旨のことが書かれていて、「詞章より音楽なのでは?」という向きもあろうが、でもそれなら三味線の手を再現したい(「ツツテン」とか)と思うかというと、そうでもない。「山の段(歌舞伎だから「吉野川」か)」に挫折した話はおもしろい。人は寝てお浄瑠璃を覚えるのかもしれない。
読了日:03月27日 著者:橋本 治

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Thursday, 01 March 2018

2月の読書メーター

2月の読書メーター
読んだ本の数:5
読んだページ数:2106
ナイス数:23

こころこころ感想
「マウンティングの書」と話題になっていたので高校のとき以来の再読をしてみたが、全然覚えていないことに愕然としつつも大変おもしろく読めた。小説や物語を読むことの効用の一つに「自分ではない人間の気持ち・立場を理解することができること」があるという。おそらく「先生」が激しい衝撃を受けたであろう場面でそうと知りつつその衝撃を想像することができなかったことにちょっと落ち込んだ。高校のときの「Kには落ち度はなかったのか」という教師の問いが忘れられない。
読了日:02月07日 著者:夏目 漱石
ドッキリチャンネル (I)  森茉莉全集第6巻ドッキリチャンネル (I) 森茉莉全集第6巻感想
大好きというわりには三週に一度しか見ていないTV番組があったり結構見逃していたりするのがおもしろい。そして思い込みが激しいせいか「それは間違いなのでは」と思うこともある。なにもかも正確でないと気のすまない人には勧められないが、この魅力には如何とも抗しがたいものがある。誰か「この番組はこれ」とか「ここに書かれている映画はこの映画」とか注釈をつけて出版しなおしてくれないかなぁ。
読了日:02月10日 著者:森 茉莉
The Knowledge Illusion: The myth of individual thought and the power of collective wisdom (English Edition)The Knowledge Illusion: The myth of individual thought and the power of collective wisdom (English Edition)感想
人は誰しも自分が思っているよりものを知らないという。実際には自身で知識を保有しているのではなく、自分の所属する共同体や最近ではインターネットなどにある知識や情報を自分は保持していると思い込んでいる。最後に筆者の一人のこども二名の話が出てくる。片方は自分の知らないことを(わりと)わきまえている子、もう片方は自分が無知なことに気づいていない(と思われる)子。どちらがよりよいかというと、どちらもよいのだ、という。救われるようなそうでもないような。
読了日:02月15日 著者:Steven Sloman,Philip Fernbach
浄瑠璃を読もう浄瑠璃を読もう感想
江戸時代の作品について「現代的」であると書いてとき、橋本治は「でも明治以降の人間がそれを歪めてしまった」と云いたいのではないかと邪推してしまう。「江戸時代人は大人だ」と書いているときは「でも明治以降の人間はそうじゃないよね」と云っているのではないかと思う。おそらくは「浄瑠璃は古臭いものとされてしまったけれど実は全然そんなことはないのだ」と云いたいのではないか。
読了日:02月21日 著者:橋本 治
The Reading Mind: A Cognitive Approach to Understanding How the Mind ReadsThe Reading Mind: A Cognitive Approach to Understanding How the Mind Reads感想
文章を読むとき、人はどのように内容を理解するのか。黙読するにしても単語の音が重要というのがまずおもしろい。ヨーロッパ各国の状況として、フィンランド・イタリア・スペインといった綴りと発音とがほぼ一定の言語の国ではフランスやイギリスに比べて小学一年生の段階では間違いなく音読できる子どもが多いが、小学四年生になるとその差がなくなるというのも興味深い。それにしても、書籍というものが手に入りにくかった時代・識字率の低かった時代はどうだったんだろうというのはこの手の本を読むといつも思うことではある。
読了日:02月27日 著者:Daniel T. Willingham

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Wednesday, 07 February 2018

「こころ」再読

夏目漱石の「こころ」はマウンティング小説だといふ記事を見かけた。
リンクはしない。
「夏目漱石 こころ マウンティング」でWeb検索をかければ出てくることと思ふ。

「こころ」は高校生のときに読んだ。
国語の教科書に一部が抜粋されてゐて、残りは各自読むやうにといふことになつてゐた。
親の「漱石全集」の「こころ」を手にした。

このとき授業で国語の教師が「Kには落ち度はないのか」といふ問ひを発した。
この問ひとその答へばかりが印象に残り、あとのことはよく覚えてゐない。
あー、でも同級生たちが「馬鹿だ。ぼくは馬鹿だ」とか云ひあつて遊んでたりはしたなあ。
教室には修学旅行のをりにだれかが買つてきたとおぼしきちいさな虎の置物の「小李徴(コリチヨウ)」もゐた。
いまはなにもかも懐かしい。

そんなわけで読み返してみるか、と思つたのだが、もしかしてこの「「こころ」の賞味期限は切れてゐる」「男同士のマウンティングを描いた小説である」といふインパクトの瞬間ヘッドの回転するやうな話つて、いはゆる「ステルス・マーケティング」といふアレなのではあるまいか、といふ疑念が脳裡をかすめた。

しかし、「こころ」である。
漱石だ。
いまさら「ステマ」とやらでもあるまい、といふので、青空文庫の「こころ」を読み返すことにした。

…………こんな話だつたつけか。
「先生」と「私」との出会ひはおぼろげながら記憶にあるものの、そのあとの「先生」の奥さんに会つたりだとかなんだとか、教科書に載つてゐなかつた部分は「えー、さうだつけかー」の連続だつた。
新鮮な気分で読めたともいへる。
さすがに「先生」の手記の部分はもうすこし記憶に残つてはゐたものの、前半はほとんど覚えてゐなかつた。
墓石に掘られた漢字が西洋人の名前にむりやりあてたもの、みたやうなどうでもいいことは覚えてゐたりする。
漱石、読み直してみるかなあ。

読んでゐて思つたのは、自分は「マウンティング」といふものがどういふものだが理解してゐないといふことだ。
「こころ」には「もしかして、かういふのが「マウントを取つてゐる」やうに見えるのかな」といふやうな部分もないわけぢやないけれど、なんだかよくわからないのだ。
さういへば、先日NHK教育の「ねほりんぱほりん」といふ番組でいはゆる腐女子のことをとりあつかつたときに、「腐女子のマウンティング合戦」とかいふ感想があつて、「え、どこらへんがさうだつたの?」とふしぎに思つたものだつた。

「こころ」がマウンティングを描いた小説なのかどうかなどわかるはずがないのだつた。

読んでゐてショックだつたのは、「先生」の覚えたであらう衝撃を覚えることができなかつたことだ。
「先生」は絶対この上ないほどの衝撃を受け、ほとんど立ち直れない状態になつただらうと思はれる場面があつた。
でもなぜかその実感が薄い。
「先生」の気持ちにならうとすればならうとするほど衝撃が遠のいてゆく。

物語や小説を読むことの効用として、「他人の気持ちがわかるやうになる」といふのがあるといふ。
そんなことを考へて本を読む人もなからうが、いはれてみれば、自分とは一切関はりのない人物たちのあれこれを描いた文章を読むことは、自分以外の人間の気持ちはともあれ事情や状況を理解しないことには読めないとは思ふ。

でもなあ、あのとき、自分はただの傍観者で、単に記録を淡々と読んでゐるだけ、といふやうな、むなしい気持ちになつてしまつたんだよなあ。
また日をあらためて読めばそんなこともないのかもしれないけれど。

「こころ」は全然覚えてゐなかつたし、読んでゐておもしろかつた。
これだけ覚えてゐないと、昔一度読んだきりの小説はみな新鮮におもしろく読めるのではあるまいかといふ気がしてくる。
新刊を読んでゐる場合ぢやあないのかもしれない。

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Friday, 02 February 2018

Kindle で読むと目が滑る

Kindle で本を読んでゐると、画面の上を目が滑る感じがする。

さういふ研究結果があるのださうだ。
Solitudeで知つた。
電子デヴァイスで文章を読む場合、アラームを切り通信を遮断してゐても、推測した結果を導き出したり理論的に考へたりする力が落ちるのらしい。
PCで文書を作成する際、必ず紙に印刷して誤変換や誤表記を確認しろ、といふのも、根拠のないことではないやうだ。

Kindle で読んだ和書は酒見賢一の「陋巷に在り」の数巻と、池波正太郎の「真田太平記」の数巻、山田風太郎、神林長平がそれぞれ数冊、あとは中島敦、芥川龍之介、坂口安吾が数点といつたところか。
過去に読んだことのあるものばかりだ。
Kindle でしか読んだことのない和書は「訓読みの話」くらゐだと思ふ。
紙の本で読んでゐたら「これはいい表現だなあ」「いきな云ひまはしだ」などと感じるだらうところも、Kindle で読んでゐるとするつととほりすぎてしまつてゐるのぢやあるまいか。
実は伏線がはられてゐたところを気づかずに読み進めてゐるのぢやあるまいか。
そんな気がしてならなかつた。

ところで、去年読んで一番おもしろかつた本は Nabokov's Favorite Word Is Mauve で、これは Kindle で読んだ。
また、「二都物語」は日中仕事をしてゐてもつづきを読むのが楽しみで仕方がなかつた小説で、これも Kindle で読んでゐた。
どちらもハイライトを引いた部分も多く、メモの打ちづらい Kindle であれこれ書き込んだ部分もある。

つまり、紙の本で読むときとそれほど遜色なく読めてゐたといふことではあるまいか。
Kindle で読んでもそれほど目の滑る感覚を覚えることなく読める本もあるといふことだ。

サンプルが少なすぎて断定はできないが、おそらく外国語の本を読んでゐるときにさういふ状態になるのだらうと思ふ。
外国語なのでよく読まないと理解ができない。
よく読んでも理解ができないともいへる。
それをできるだけ理解しやうと思つて読むので、電子デヴァイスで読んでもそれほど目が滑る感覚を覚えずに読めるのぢやああるまいか。
もしかしたらいまではさういふ研究結果もあるのかもしれない。

といふわけで、自分にとつては Kindle では洋書を読むのがいいといふことになる。
Kindle はもともとさういふ用途に向いてゐるといふ。
わからない単語を選択すれば辞書が意味を教へてくれるし、Word Wise といふ機能もある。

でも、できれば日本語の本も読みたい。
いま読んでゐる「ドッキリチャンネル」などは700ページを超える大部で、電書だったらもつとかるくてすむのに、と思つてしまふし、「陋巷に在り」とか「真田太平記」とかまだ読み終へてゐない物語もある。
なんとかして、洋書を読むときのやうな感覚を和書を読むときにも取り入れることができないだらうか。
日本語がわからない気分になつて読めばいいのかな。

今年の課題がいま見つかつた。

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Thursday, 01 February 2018

1月の読書メーター

1月の読書メーター
読んだ本の数:8
読んだページ数:1830
ナイス数:32

若手歌舞伎若手歌舞伎感想
昔の「演劇界」の劇評などを読むと「かくかくしかじかの所作はこの役の性根と違う」などという話が出てくる。自分が芝居を見るようになってからの劇評ではあまり見たことのない指摘で「最近の劇評家はそういう見方はしないのかなあ」と思っていた。どうやらそうではないらしいことがこの本の「跋」に述べられている。若手役者の評、近年上演された芝居の評が多く、読んでいて思い出しやすいところが大変いい。想定読書層もまちつと若い層を狙うとなおよかったかと思うが、若い層は劇評など読まないとの判断だろうか。
読了日:01月02日 著者:中村 達史
How To Think: A Guide for the PerplexedHow To Think: A Guide for the Perplexed感想
ヒトの脳は考えることを忌避するのだという。面倒だからだ。それでも考えようとする人は異端なのではないかなあ。「人間はひとりで考えることはできない」という話が書いてあるというので読んでみた。先にカーネマンを読んでおくべきだったかもしれない。
読了日:01月10日 著者:Alan Jacobs
あのころ、早稲田であのころ、早稲田で感想
「「日本のローザ・ルクセンブルク」と呼ばれた」と「ウテナさん祝電です」の著者紹介にあったことを鮮明に覚えている。この本にはそんな姿はまるで見えない。「戦後民主主義の中で育ってきた」とあるのを読むと、戦後民主主義というのは戦中以前のことはすべてダメだったとするだけでものの本質はそのころとまったく変わっていなかったのではないかという気がする。
読了日:01月11日 著者:中野 翠
慶應志木高校ライブ授業 漢文は本当につまらないのか(祥伝社新書)慶應志木高校ライブ授業 漢文は本当につまらないのか(祥伝社新書)感想
題名が惜しい。おもしろいと思う人もいればそうでない人もいるし、おもしろいものもあればそうでないものもあるというのが実のところなのではないかと思うからだ。生徒たちが段々白文を読めるようになっていく様がおもしろいと思った。こういう授業を受けられる人もいるんだな。うらやましい。
読了日:01月14日 著者:橋本陽介
統計学が最強の学問である統計学が最強の学問である感想
Excelを使ってちょっといろいろやってみようかな、と思った。内容とは関係ないけれど、紙質のせいでページがめくりづらくて難儀した。廉価にして大勢に読んでもらおうということなのだろうけれども。
読了日:01月17日 著者:西内 啓
精神の政治学 (中公文庫プレミアム)精神の政治学 (中公文庫プレミアム)感想
昨今スマートフォンの使用を控えネットに接続する時間を減らそう、そうすることで自分本来の時間を取り戻そうなどという説を目にするけれど、そんなことは、ほかのたいていのことがそうであるように、昔から云われていたんだな。
しかし、人間はその技術の進歩に見合った精神状態にあったことがあるのだろうか、とも思う。それと、この講演を聞きにきたのはどういう人で、どういう反応があったのかも気になるなあ。
読了日:01月20日 著者:ポール・ヴァレリー
史上最悪の英語政策—ウソだらけの「4技能」看板史上最悪の英語政策—ウソだらけの「4技能」看板感想
中高六年間といえど週に三〜五時間の授業では一年間で五.八日間にしかならない、という主張には「それじゃあできるようにはならないよね」とは思う。「英語、できるようになりたいけど、でも(英文法とかは)違うんだよね」という発言に違和感を覚えていたのだが、「そういうことだったのか」という指摘もある。
しかし、ことばのことを書き文章の書き方について云々しているわりには誤変換を超えた誤表記がある(普段そういうことにあまり気づかない質なのだが気がつくレヴェル)のが残念。
読了日:01月24日 著者:阿部公彦
朱子学と陽明学 (岩波新書 青版 C-28)朱子学と陽明学 (岩波新書 青版 C-28)感想
「暗闇仕留人」でナックル星人……ぢやなくて成瀬昌彦が「論語集注」を読んでいるのを見て気になっていた朱子学。基本書として勧められて読んでみたが、学校の世界史でやった「宋 朱子学 性即理」「明 陽明学 心即理」ていどの知識ではとても太刀打ちできなかった。仏教や道教の影響のくだりはしかし読んでいておもしろかった。李卓吾の場合は回教の影響ももっとあったのではないかと思うが、そこは紙幅が許さなかったのか。
読了日:01月31日 著者:島田 虔次

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Monday, 01 January 2018

12月の読書メーター

12月の読書メーター
読んだ本の数:10
読んだページ数:2566
ナイス数:37

新釈漢文大系  115 史記(列伝六)十三新釈漢文大系 115 史記(列伝六)十三感想
酷吏って郅都より前にはいなかったんだろうか。単に記録が残ってないだけなのかな。張騫の匈奴の妻子はどうなったんだろう、というあたりから行間を読んで物語を作ったりしちゃうのかもしれない。亀策列伝を読んでいると「易経」を読み返したくなるな。
読了日:12月02日 著者:青木 五郎
太陽と乙女太陽と乙女感想
森見登美彦は虎を内に潜めているのか。いいなぁ、虎。虎なら人に云っても恥ずかしくない。こどものころから作った物語を母親に話して聞かせていたというから、世に恥じることはなにもないのだろう。だから虎なのかもしれない。
読了日:12月04日 著者:森見 登美彦
毎日新聞・校閲グループのミスがなくなるすごい文章術毎日新聞・校閲グループのミスがなくなるすごい文章術感想
誤字脱字のチェックをする必要が生じたので再読。やはり「違和感を与えるうちはやめた方がいいでしょう」というような指摘に戸惑ってしまう。違和感を与えているかどうかって、どうやったらわかるんだろう。使っている方は違和感がないから使っているのではないのだろうか。
読了日:12月05日 著者:毎日新聞・校閲グループ 岩佐義樹
A Christmas Carol (Illustrated) (English Edition)A Christmas Carol (Illustrated) (English Edition)感想
スクルージが先に死んでいてマーレイが生き残っていた場合、スクルージが幽霊としてマーレイのもとに現れただろうか。スクルージにはどこかしら悔い改めそうな部分があったのかなあ。こどものころや若いころのつらい経験を見せつけられるくだりが堪えた。季節ものと思ったけれど、なんとなくスクルージにはずっと冒頭部分のような人物であってほしいような気もする。
読了日:12月12日 著者:Charles Dickens
わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書)わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書)感想
シャーロック・ホームズは云う: You see, but you do not observe. 「わかったつもり」は見ているだけに過ぎない。観察しないと、ということのように思われる。個人的には三年ほど前に知った言語技術が少しずつではあるものの身についていることが実感できてよかった。
読了日:12月15日 著者:西林 克彦
新釈 走れメロス 他四篇 (角川文庫)新釈 走れメロス 他四篇 (角川文庫)感想
とある下宿とその周辺に関わる人々の物語として読んだ。時系列としては「山月記」が一番あとなのか知らん。「桜の森の満開の下」の最後の方とどっちがという感じか。
読了日:12月19日 著者:森見 登美彦
人はなぜ物語を求めるのか (ちくまプリマー新書)人はなぜ物語を求めるのか (ちくまプリマー新書)感想
人は多かれ少なかれ先を予想して生きていると思っている。朝この時間に出れば駅でその時間の電車に乗れるはずでそうすると出勤時間に間に合う、というのは予想なのだと思って来たけれど、期待でもあるんだろう。乗れるはずと思っていた電車に乗れなかったり間に合うと思っていた出勤時間に間に合わなかったりするとがっかりするからだ。予想をせずに生きていけるとは思えない。できるだけ期待の要素を少なくしていくしかないか。
読了日:12月20日 著者:千野 帽子
Solitude: In Pursuit of a Singular Life in a Crowded WorldSolitude: In Pursuit of a Singular Life in a Crowded World感想
孤独を楽しめる人は他人または何かとのつながりのある人、ということなのだろうが、そうすると冒頭のイーディス・ボーンの場合はどうなるのだろう。土地勘があるかどうかはかつては死活問題(といったら大げさだけど)だったと云うけれど、だったらなぜ世の中にはこんなに方向音痴な人が多いのか。淘汰されなかったということなのかな。それとも地図が一般的になってから増えたのだろうか。等いろいろ疑問が多い。楽しく読めたということだろう。
読了日:12月26日 著者:Michael Harris
断片的なものの社会学断片的なものの社会学感想
学問からこぼれ落ちるものというのは多いのだろうか。何かがこぼれ落ちていると感じるかどうかなのかな。自然科学だとどうなのだろう。などと考えながら読む。「いまこの瞬間、この人のこういう姿を後々も覚えているのは自分だけだろう」と思う瞬間ってあるよね。
読了日:12月29日 著者:岸 政彦
反省させると犯罪者になります (新潮新書)反省させると犯罪者になります (新潮新書)感想
職場でセキュリティ事故が発生すると当事者による報告が公開される。これがまったく役に立たない。「事故の原因はそれじゃないだろう」と思われるようなことばかり書かれている。その理由がわかった気がする。報告を受け取る側には「再発を防ごう」ということよりも「事故を起こした人間を罰しよう」という意識の方が強いんだろう。
読了日:12月31日 著者:岡本 茂樹

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Friday, 29 December 2017

今年読んだ本 2017

今年は八十冊ほど読んだのらしい。
何年か前は、「一月に五冊読む」といふ計画をたててゐた。
たてなくなつて久しい。
でもまあ、それくらゐは読むのだらう。

予定をたててゐたころといまとではなにが違ふことがあるのか。
たとへば、今年の四月は三冊しか読んでゐない。
でも予定をたててゐないので別段問題はない。
予定をたててゐたころは、なんとかしてあと二冊読まうとしてゐた。
予定をたててゐなくても、最終的な月平均はほぼ五冊。
予定をたてなくても読めるやうになつたといふことか。
あるいは、もともと予定なんぞたてなくてもこれくらゐは読むといふことなのか。

今年は久しぶりに電車を乗り過ごすかと思ふやうな本に出会つた。
Nabokov's Favorite Word Is Mauveである。
この本は、電子化された古今の名著をもとにどの作家・どの本でどんな単語が使はれてゐるか統計をとり、それについてあれこれ述べてゐる本だ。
これまで生きてきて、本がおもしろかつたので電車やバスを乗り過ごしたことは一度しかない。
地図帳を見てゐるときだつた。
それ以来のできごとだつた。
データが並べてあつて、そこからいろいろ妄想をめぐらせることのできる本が自分は好きなのらしい。
地図帳も似たやうなものだ。
この本を読んだあと、Lolitaも読んだ。
云はれてみると確かに「mauve」が何度か出てくる。
ナボコフといへば今年は「アーダ」の新訳が発売された。
これにもやつぱり「mauve」がたくさん出てくるのか知らん。

今年は再読した本も多かつた。
中でも「二都物語」は乗り過ごしはしさうになかつたものの、仕事中など読書を再開するのが待ち遠しい気分でいつぱいの本だつた。
多分再々読くらゐだと思ふ。
Nabokov's Favorite Word is Mauveを読んだあとだつたからだらうか、ディケンズの文体のリズムといはうか調子といはうか、読んでゐてとても心地よかつた。
もちろん話の内容もおもしろい。

Nabokov's Favotie Word is Mauveの前段にはThe Secret Life of Pronounsといふ本があつた。
これは代名詞や冠詞といつた普段はあまり着目されない品詞をどれくらゐどのやうに使つてゐるかについて統計をとり、あれこれ述べた本だ。
著書James Pennebakerは大統領選挙などのdebateや就任演説で各候補者や大統領の使用した単語の統計を取つて分析してゐたりする。大学の研究室でやつてゐるのかな。そんな感じ。
これがいつもおもしろい。きちんと読んでゐるわけではないが、更新されるたびに見にいつてゐる。
英語だと単語の切れ目がわかりやすいから統計もとりやすからう。
日本語でも似たやうなことを研究してゐる人がゐるらしいので、できたら読んでみたい。

なんとなく、以前よりも楽しく本を読めるやうになつてきた気もする。
予定をたてないやうになつたからかもしれないし、上にあげたやうな本や「読んでいない本について堂々と語る方法」や「文学の楽しみ」、「わかったつもり」などのおかげのやうな気もしてゐる。

来年もこれといつて予定をたてるつもりはない。
自分なりに楽しく読んでいけたらいいなあ。

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Friday, 08 December 2017

ミスのなくならないすごい文章術

毎日新聞・校閲グループのミスがなくなるすごい文章術」を再読した。
仕事で誤字・脱字のチェックをする機会がありさうだつたからだ。

前回読んだときも思つたけれど、「違和感を与へるうちは(そのことばの使用を)やめた方がいいでせう」なんてな場合、どうすればいいんだらう。
違和感を感じる人がゐるかどうかつて、どうやつたらわかるんだ?
書いてみなければわからないのではないだらうか。

書く方は違和感がないから使ふのだ。
「ら抜きことば」に対して「さ入れことば」といふのがある。
「やらさせていただく」とか「行かさせていただく」とか、「さ」が余分に入つてゐることばである。
文章で書いてあるのはあまり見た記憶がないが、耳からはよく聞く。
坂東玉三郎といふ歌舞伎役者がよくこれをやらかす。
玉三郎が云ふからだらう、それに続く若い役者もよくこの「さ入れことば」を使つてゐる。

玉三郎も若い役者たちも、「やらさせていただく」と口にして、違和感を覚えないのだと思ふ。
若い役者はとくにさうなのだらう。
だつて玉三郎が云ふのだもの。
違和感のあるわけがない。

「ら抜きことば」がすでにかなり浸透してゐるのとおなじやうに「さ入れことば」も自然なものに感じる向きが増えてゐるやうに思ふが、それに対して「違和感を覚える人も多いんですよ」と云つてもあまり効果はないやうな気がする。
だつて周囲の人々は使つてゐるのだもの。

「「さ入れことば」は文法的に間違つてゐますよ」と教へることはかんたんだ。
でもそれで「さ入れことば」を使はなくなるかといふと、それはないんぢやないか。
だつて遣ひなれたことばなのだもの。

そんなわけで、この本を読んだらほんたうにミスのない文章が書けるのかといふと、その限りではない。
漢字の使ひわけについても、「常用漢字表を見ろ」といふわりには「常用漢字表にしたがつてゐればいいわけでもない」とも書かれてゐる。

おそらくミスのない文章を書くには「自分の書いたことを疑つてかかる」こと、それにつきるのだらう。
内容はもちろん、ことば遣ひ、文字の選び方に至るまで、疑つてかかる。
さうすれば、あるていどミスを防げるのではあるまいか。
でも、疑つて、なにが正しいかつてどうやつて確認すれはいいのだらう。
辞書だつて人間の作つたものだ、絶対正しいとは限らない。
文法にしたつて人によつて説が違つたりする。

ミスのない文章など書けるわけがない。
さういふことなのだと思ふ。

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