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Saturday, 07 August 2010

チケットの整理

整理整頓が苦手である。
ゆゑに、といふか、その理由は、といふか、つまりは、ものが捨てられない。
ほんたうは、もぎつてもらつたチケットは、然るべきノートに貼り付けて、隣に感想などを書いてとつておきたい。
かつてはさうしてゐたこともある。
しかし、一度「めんどくさい」と思つてしまふと、なかなか続かなくなるものなのだつた。
ぐうたらだから。

ま、以前ほどの愛情がなくなつた、といふ話もあるかもしれない。

といふわけで、ここ三年くらゐはこんな感じでチケットをとつてある。

ほぼ日手帳の使ひ方 チケット入れ

すこし前まではほぼ日手帳のカヴァにそのままはさんでゐたが、去年今年とオプションの写真入れを一緒に購入して、そこに月ごとにチケットを入れてゐる。
ほぼ日手帳には見た芝居や聞いた演奏会の感想も書いたりするので、あとでチケットをはりこんでもいいし、と、思つてゐる。
最近は趣のあるチケットが少なくなつてゐるのがちよつとさみしいが、まあそれはまた別の話である。

Wednesday, 04 August 2010

眼鏡新調(の予定)

眼鏡を新調することにした。
注文したのは先週のこと。文夫の部屋に行くといふので表参道とかいふ普段滅多に行かないところに出かけることだし、ここはひとつ、洒落た眼鏡でも、と思つたといふわけ。

普段も眼鏡を使つてゐて、仕事をしたり家にゐたりするときは別段気にならないのだが、唯一芝居を見るときだけ、「視力が足りないなあ」と痛感する。

眼鏡だとそんなに視力はあがらないんだがね。あげてもいいけど、さうするときつとくらくらすること請け合ひだ。

そんなわけで、今の眼鏡より、ほんのちよつとだけ見えるやうにした。
ほんのちよつとだけど、下を向くと床がいつもより近く感じられるくらゐには強くした。

フレームはBOZのNO COMMENT。
正面から見るとどうつてことないが、上から見下ろすと楽しい。
そんなフレームである。

今後、3Dの映画とか増えると、眼鏡はよくないかなーと思ひつつ、「考へてみたら、ヲレ、一年に一回映画館に行くかどーかだし」といふことに思ひ至つて購入に踏み切つた。
これで新橋演舞場八月花形歌舞伎の第三部もよく見えるはずである。
……怖くてあんましよく見たくないかもしれないけど。

ちなみに、今回左目の方が乱視がキツいといふことをはじめて知つた。
視力はずつと右の方が若干悪いので、当然右目の方が悪いと思つてゐたのだが。
放射状に線の引かれた絵を見てびつくり。
左目で見ると、本来円の形のものが楕円に見えるぢやあないか。
右目だとそんなにはつきりとはわからない。放射状に引かれた本来すべて同じ太さのはずの線がものよつて太く見えるていど。
さうかー、乱視は左目の方がきつかつたのね。

出来上がりは来週。
さて、いつ取りに行くかなあ。

Sunday, 01 August 2010

ここは表参道か?

7/30(金)、表参道といふか青山といふか、スパイラルホールで行はれた文夫の部屋第六夜に行つてきた。
第五夜、第六夜とも席が取れずにゐたところ、第六夜だけ戻りがあるといふので、勇んで申し込んで、なんとか滑り込むことができた。
戻りの席だからと期待せずに行つたら、結構前の方の席で、しかも開演後も客席の照明は落とさないでゐてくれたものだから、よく見えた。ほんたうにありがたいことだ。

U字工事の漫才のあと、高田文夫と伊東四朗のトークショーがあつて、柳亭市馬の落語(「皿屋敷」だつた。お菊、歌ふ歌ふ)といふ構成。
え、青山だよ。最寄り駅は表参道。道行く人は一々みんな「モード(古いね、どーも)」な感じ。
スパイラルホールだけが、ちよつとした異空間。そんな感じだ。

開演の一時間前といふ通常より早い開場に間に合ふやうに行き、予約した券を引き取つて中に入つた。
「笑芸人」など雑誌といふかムックが売られてゐて、一冊くらゐ買はうか知らんと思つたのだが、売り子の人に「市馬師匠のファンですか」とか聞かれてどきどきしてしまつたことと、いはゆる「ディープなファン」とおぼしき年上の人がこちらの見たい本のあたりに陣取つてゐたことで、あきらめる。や、別に特定の噺家が好きとか、さういふわけぢやないし。考へてみたら、噺は好きだけど、とくに誰かが好きつてわけぢやないんだよな。

そこで、中に入つて「この長い時間をどうしやう」と思ひつつタティングレースに励んでゐると、突然舞台上に青年が現れて、いきなり上手の襖のやうな白い紙に絵を描きはじめた。キン・シオタニといふ絵描きの人だといふ。ほぼ開演までの時間いつぱい使つて似顔絵などを描いて舞台から去つた。すごいね、この、時間いつぱいといふのが。

例によつて(?)立川志ららによる前説があつて、前日は横山剣目当てか妙齢の女性が多く、志ららの話にちいとも笑ひがおこらなかつたとのこと。その後出てきた高田文夫も、前日は「アウェー状態」だつたと云つてゐた。去年はみうらじゅんのときもさうだつたといふ話だつたよなあ。

今夜は市馬も出てゐるし、もしかしたら伊東四朗の歌も聞けるか知らん、と、ちよつと期待してゐた。
残念ながら、伊東四朗はそんなに歌はなかつたけれど、そんなことはどうでもよくなるくらゐ、をかしかつたなあ。
ネタ等は「ブログとかには書かないやうに。つぶやくのもめっ」といふことなので、割愛するが、「あー、やつぱりこぶ平はいつまでも「こぶ平」なんだなー」だとか、「飲み物を運んでくるのは東八郎の息子だらう」と思つてゐたらそのとほりだつたりとか、ああ、あと、「亀井静香と橘屋圓蔵が似てゐる」といふことに今で気づかなかつたんだよなあ。云はれて笑ひがとまらなかつた。
似てゐるといへば、伊東四朗の聲と三宅裕司の聲が似てゐるといふ話には、なるほどー、と思つた。あと、伊東四朗の本名は伊藤輝男でテリー伊藤と一緒といふ話に隣の人は「えー」とおどろいてゐたが、ビバリスト(?)ならそれくらゐ知つてゐてほしいといふのは我が儘か。

それから、さうさう、三波伸介が「笑点」の大喜利の司会をするに至つた原因の話とか、「さうだつたんやー」つて感じ。
同じやうな流れで行くと、市馬の川柳川柳とか林家彦六の逸話もおもしろかつたなあ。

さうさう、伊東四朗にしても三波伸介にしても、歌舞伎や落語に造詣が深くて、「藝人つてさういふものだよなあ」と思ふのだが、今はどうなのだらう。今は落語はともかく歌舞伎に造詣が深くても藝人としてやつてはいけないのだらうか。だからといつてキン肉マンネタとかドラゴンボールネタをやるのはどうかと思ふのだが……

文夫の部屋は去年は四夜、今年は二夜ときてゐるのだが、来年もつづくのだらうか。つづくといいなあと、これは心底さう思つてゐる。

Sunday, 13 January 2008

浅草歌舞伎のおもしろいわけ

浅草歌舞伎がおもしろい。
正直云つて、今月一番おもしろいかもしれない。
個々の演目なら他の劇場にもつとおもしろいものがいくつもあるが、全体的に見て一番はやはり浅草だらう。

理由はかんたんだ。
歌舞伎らしい演目ばかりだからである。
贅沢承知で云ふならば、これで中幕があればほんたうに文句ない。それも人気演目ならなほのこと。中幕があればきれいに一幕目に丸本、中幕として所作事、二幕目に世話物とならぶではないか。
しかしまあ、それはないものねだりといふものだらう。

二日は初日に歌舞伎座で昼の部を見てきた。
見た直後の感想はこちらにゆづるとして。
♯ちなみにそちらでは芝居を見た直後の感想を毎回あげてゐる。

今月歌舞伎座の昼の部の問題は、やはり五幕もあるといふことであらう。
初春だから松羽目もののめでたいものははづせない(猩々)。
次は丸本物。まあこれはいい(一条大蔵譚)。
春だし、御大のためにちいさいとはいへ一幕まうけやう(女五右衛門)。
それから世話物。これもまあいい(魚屋宗五郎)。
最後に「お祭り」で明るく締めやうや。

はつきり云はう。
これは欲張りすぎである。

猩々、一条大蔵譚、魚屋宗五郎はいい。
女五右衛門とお祭りはどちらかだけでいい。

いや、歌舞伎座の話はとりあへずおくか。

公演の筋書(浅草公会堂では「パンフレット」と云つてゐたやうな気がする。確かに「筋書」といふよりは「パンフレット」といつた趣の冊子だ)には、「(切られ與三は)これといつた事件が発生するわけでもないし、何年も前から演目として候補にはあがつても最終的には見送つてきた」といふやうなことが書かれてゐる。

さうなんだよなあ。「與話情浮名横櫛」こと「切られ与三」で普通上演される木更津の場と源氏店の場つて、別にこれといつた事件も起こらないし、ただ「いい男」と「いい女」が出会つて戀に落ちてひどい目にあつて別れ別れになつてさて再会してみたらこはいかに……つてまあ筋だけたどればそれなりに劇的ではあるけれど、さて、それでは舞台はどうかといふと、とくにもりあがるところはない。かの有名な與三の科白は格別にいいんだが、でも、それだけつて感じではある。

しかし。
それでもこの演目、なぜだか好きなんだよなあ。
どこがいいのかと訊かれてもわからない。多分最初は馬のしつぽな感じのお富さんが好きだつたんだと思ふが、今となつてはそれだけでもないやうな気がする。

それが証拠に浅草の夜の部でもなんだかすつかり堪能してしまつた。

鴻上尚史の本に「名セリフ!」がある。古今東西の名せりふを集めた一冊だ。以前ここでも紹介した。鴻上尚史は「俳優がオーディションで使へるやうなもの」を選んだ、といふやうなことを書いてゐる。
「古今東西」と書いたが、この本にはすつぽり抜け落ちてゐるものがある。
それは、浄瑠璃や歌舞伎の名せりふだ。

「名セリフ!」の中には
「知らざあ云つてきかせやせう」も
「今頃は半七つつあん」も
「十六年は一昔」も
「そりや聞こえませぬ伝兵衛さん」も
「赤城の山も今宵を限り」さへない。
「別れろ切れろは藝者の時に云ふことば」もない。

つまり、現代のオーディションを受けやうといふやうな俳優は、そんなせりふは口にしない。
さらに云へば、結局上にあげたやうな名せりふといふのは古典(新国劇や新派は古典か? さう訊かれたらやつがれは「うむ」と答へる)、もつと云ふと特別な役者しか口にしないせりふだといふことだ。

そして、「名セリフ!」には入れられなかつた「しがない戀の情が仇」といふ天下御免の名せりふ、切られた與三郎のこのセリフは、ある特別な役者にだけ許されたせりふだと云へる。

歌舞伎的な、あまりにも歌舞伎なせりふ。
そして、これがあるからこそ、「切られ與三」といふ芝居は残つてゐるやうな気がしてならない(もちろんそんなことはないがね)。

そして、さういふ歌舞伎のよさとわるさを兼ね備へたやうないかにも歌舞伎な演目を、先輩役者に教はつて、教はつたとほりにしやうと丁寧に演じる若手の姿が、浅草歌舞伎をおもしろくしてゐる。

そんな気がしてならない。

「金閣寺」もよかつた。
雪姫は澤瀉屋市川亀治郎で、これが滅法かはゆらしい。なんだらうね、あのかはゆさは。それでも迸るものがごくまれに出てしまふところがまたよかつたり。

昼の部は席をおさへそこねたのだが。
んー、これはやはり見に行くべきか。
吃又は好かないから取らなかつたんだよね。
うーん、今からぢや間に合はないかな。

Saturday, 08 December 2007

期待はづれ

「浪曲だから赤垣源蔵とかやるのかな。南部坂雪の別れの方がもりあがるか知らん。あるいはぐつとしぶく天野屋利兵衛とかもいいかも」

国本武春 大忠臣蔵に行く前はそんなことを考へてゐた。

愚かだつた。

忠臣蔵」などと云ひながら、忠臣蔵は殿中松の廊下と切腹の場面、それから討ち入りの場面だけ。
あとは忠臣蔵とはまつつたくこれつつつぽつちも関係のない歌ばかりであつた。
どうも冒頭客いぢりが長いと思つたよ。
これぢや大して語れまいと思つてゐたら案の定だ。

忠臣蔵を期待せずにいけばもつと楽しめたのかもしれないが。
だつてさ、「忠臣蔵」だよ、「忠臣蔵」。
ほかになにを期待しろと云ふのか。

そんなわけで。
勝手にひとりで南部坂雪の別れを脳内に描きながら帰宅。

たとへば、十二月の国立劇場で見た黙阿弥の「四十七刻忠箭計」。大成駒の葉泉院に播磨屋の由良助。あるいは四月の歌舞伎座で見た青果の「元禄忠臣蔵」は成駒屋時代の山城屋の瑤泉院に播磨屋の内蔵助。十二月はともかく、四月の時は「四月に南部坂雪の別れかぁぁ?」とちよつと引き気味だつたのだが、これが案に相違の良さだつたんだよなあ……。

まあないものねだりをしても仕方がないがね。

浪曲についていふと、ここのところ若い人が挑戦してゐるのらしい。来年あたりは新人が登場するかもとのこと。
虎造みたやうに渋い聲の浪曲家が出てくるといいなあ。
芥川隆之世代だもんだから、渋い聲に弱いんである。

Monday, 30 April 2007

浄瑠璃脳

再来年の大河ドラマの主役は直江山城守ださうな。
さう聞いた途端、やつがれの頭の中に浮かんだのは、「なーんだ、今年の主役の弟ぢやん」であつた。

…………なんだかあちらこちらから非難・間違ひの指摘が飛んできさうだが。
それは「本朝廿四孝」を知らない向きのことであらう。
「本朝廿四孝」では、確かに山本勘助の弟は直江山城である。
そして、勘助は上杉景勝と瓜二つであるといふ理由で、みづからの片目を潰すのである。
♯実は勘助は父の方であり、浄瑠璃の時点ではその妻・つまり二人の母親が
♯勘助を名乗つてゐるが。

…………それでもまだ非難囂々の気配がするなあ。

お浄瑠璃はさういふでたらめを書くからダメなのだ、とか云はれさうだがさにあらず。
お浄瑠璃の作者は、浄瑠璃を見に来るやうな客はたいていそれなりの教養をそなへてゐたと見て取れる部分がある。
客もわかつてゐてかうした「でたらめ」を楽しんでゐたのにちがひない。「をを、今回の浄瑠璃は、山本勘助と直江兼続を兄弟にしたか。すごいな」「ふーん、将軍殺害の犯人(さう、「本朝廿四孝」の発端は足利将軍暗殺なのである。その犯人を殺害現場に居合はせた武田信玄と上杉謙信が探すことになり、日限までに探し出せなければそれぞれの嫡子を殺す、と、かういふ話なのだ)はこいつかあ」とおもしろく見たのに相違ない。

虚構と史実とを楽しめる、それが真の教養ではあるまいか。

まあ、教養談義はさておいて、やつがれの頭の大半はお浄瑠璃でできてゐる。
鏡花も三島も谷崎も、芝居ものしか読んでゐない(「戯曲しか読んでゐない」と読みかへてたべ)し、初対面の人に挨拶する時は「よろしくお願ひします」と云ひつつも、頭の中では「よろしく頼み上げます、と、手をつかへ」と云つてゐる。泣きたくなれば「終には泣かぬ弁慶も」だし、決意を問はれれば、「ただ初一念でございます」だ。独楽が上の方にある紡ぎ独楽(スピンドル)を手にすれば気分はもうお三輪ちやんだし、帰宅時間が遅くなれば「羽根が欲しい 翼がほしい 飛んでいきたい」帰りたい、とこれまた気分は八重垣姫か八百屋お七だ。

それでいいぢやあないか。
英国では数学の教授でさへ沙翁の科白を口にすると云ふぜ。
せめて冬の宵には「この世のなごり夜もなごり」くらゐ唇の端にのせてみたいものである。
♯あ、縁起が悪過ぎる? すまん。

Monday, 12 February 2007

生さぬ仲とか

漢字で書けばよくわかるが、「なさぬなか」と耳で聞くとわからない場合が増えてゐるやうだ。

たとへば「國性爺合戦」では、渚の方と錦祥女が生さぬ仲の義理をかけて意地を張り合ふ。「玉藻前㬢袂」では、萩の方が実の子と生さぬ仲の子とを抱いて「どちらも死んでくれるな」と嘆く。「仮名手本忠臣蔵」では戸無瀬が生さぬ仲の子・小浪のたつたひとつの願ひである大星主税との婚礼をなんとかしやうと奮闘する。

人間が犬畜生とちがふのは、かうした「義理」を大事にする心があるからだ。
お浄瑠璃やお芝居のかうした話の根底にはさういふ考へ方があるのらしい。
でも実際のところ人間だつて動物だから、実の子ぢやなければかはいくないし、大事にしやうとも思はないらしい。その証拠に昔から継子いぢめの話は数かぎりなくあるし、昨今は伴侶の連れ子をいぢめ殺す事件が後を絶たない。

「双蝶々曲輪日記」は「引窓」を見てゐて抵抗が少ないのは、義理を大事にしつつも最終的には母と実の子とをたてる内容になつてゐるからなんぢやなからうか。
去年九月の秀山祭の中継を見てゐてさう思つた。

芝居の内容はこんな感じだ。書くまでもない気もするけど。
南輿兵衛の母・お幸は、輿兵衛の父・南方十次兵衛の後妻。輿兵衛は先妻の子なので、お幸にとつて輿兵衛は「生さぬ仲の子」といふことになる。お幸には十次兵衛に嫁ぐ前に長五郎といふ息子があつた。長五郎は幼少の折、大阪に養子に出された。
長五郎はその後相撲取りになつて、濡髪長五郎と名乗つてゐる。恩ある大名との関係でひよんなことから人殺しの罪を負ひ、追つ手から逃れる身の上。追はれ追はれて実母のゐる南輿兵衛の家にたどりつく。
時しも留守だつた南輿兵衛は、亡夫の跡を継ぎ庄屋代官に取り立てられた、ついては今逃亡中の殺人犯を探し出して召し捕れと、お上に云はれて帰宅した。その懐には罪人の絵姿。
さう、輿兵衛はなにも知らず長五郎を召し捕らうとしてゐるのである。

かくして、お幸は長五郎を逃がさうとする、輿兵衛はなにかあると悟り(ここのセリフがいいんだ。「母者人、なぜものをお隠しなさいます」つて。)、平素から実子以上にかはいがつてくれた母の願ひをかなへやうとする。長五郎は輿兵衛の手にかかつてお縄につきたいと云ひ……結局、輿兵衛は長五郎を逃がすんだな。

ところでこの輿兵衛といふ役はおもしろい。
郷代官の息子でありながら、父亡き後は放埒三昧(つてほどでもないかな)、女房お早は大阪新町で都と名乗つてゐた遊女。
さういふ「ちよつと前まで遊び人」みたやうな雰囲気があるのがなんともいい。
オペラで云ふならテノールの役どころか。播磨屋・中村吉右衛門はかういふ聲もまたいい。

もうひとつ秀山祭からの中継録画は「菅原伝授手習鑑」から「寺子屋」。こちらはお主の嫡男の命を救ふため、己が子の命を犠牲にする話。
さういへば武部源蔵もいはゆる「職場戀愛」をしちやふやうな人なんだよな。こちらはバリトンか。当然播磨屋が悪いわけがない。
話がそれるが、御法度の「職場戀愛」でお役御免になつた源蔵に筆法伝授する菅丞相といふのがまたいい。それ(禁じられた職場戀愛)とこれ(藝の伝承)とはちがふつちふわけやね。

昔は舞台中継とか録画とか、「実際に見に行かなきやダメだよ」といふのであまり見なかつたが、最近はつい見てしまふ。自分が見に行つた芝居でも見てしまふ。
それだけほかに見るものがないといふことでもあるかな。

Saturday, 23 December 2006

成長しなくちや

ここのところ、演目・配役を見ると「なんだか物足りないなあ」と思ふことが多くなつた。
この傾向は二三年前からはじまつてゐて、当時はさう感じることをふしぎなことだとは認識してゐなかつた。

考へてみれば、芝居を見始めたころ舞臺の上にゐて「芝居を見てゐる」といふ満足感を輿へてくれた役者は、みな点鬼簿に名を連ねてゐる。
そして、やつがれはどうもその事実に気がついてゐない。いつまでも、「なんでこの役をあの役者がやらないのか知らん」と夢みたやうなことを考へてゐる。

現実を見つめなければ。
もうその役者はこの世の人ではないのだから。

といふわけで、これからはまちつと前向きに芝居と向き合ひたいと考へてゐる。
若い役者が大役をまかされてゐても「挑戦つて大事だよな」とか「時分の花つてもんもあるしな」ととらへていきたい。

さうしないと、芝居さんが自分からとほざかつていつてしまふ。
そして、やつがれはまだ芝居さんのことが好きでたまらないのだ。

Saturday, 23 September 2006

Generation Stand-up Comedy

最近お笑ひ番組を見ることがある。
見てゐて気になることがある。
それは、「そのネタつて、ある一定の年代(とそれ以降)でないとわからないんぢやないの」といふものがあることだ。

たとへば、まんが・アニメーションネタである。
昨今の若手(と目されてゐる)芸人の中には、キン肉マンやドラゴンボールをくすぐりのやうに入れてくるものが多いのだ。

確かに、キン肉マンもドラゴンボールも一世を風靡し、今なほ絶大なるファン層を誇るまんがであるが(ドラゴンボールに至つては全世界の半分くらゐには伝播してゐるのではないかと思はれるが)、それでも、おそらくある一定の年代以上の人にはわからないものなんぢやないかな、と思ふのである。

ためしに職場のもうすぐ四十歳二児の父にそれとなく話をもちかけてみたが、彼はドラゴンボールのことはまつたくわからないと云つてゐた。一方で彼の同期の人間に餃子のフィギュアを見せてみたら「天さんはゐないの?」と逆に訊かれたこともある。
♯ちなみにこの餃子のフィギュア、実によくできてゐるのである。
♯まつこと愛い奴ぢや。

おそらく、ドラゴンボールに関しては四十代を境にわかる人とわからない人が大きくわかれるんぢやないかなあ。キン肉マンもそれくらゐだが、ドラゴンボールよりはまちつと上だらう。

しかし、かうしたネタを披露する芸人たちも人気があるらしい。
しかもTVで見るかぎり、観客はみな笑つてゐる。
客はその場の雰囲気で笑ふこともあるとは思ふが、だが、さういふネタを披露することが許されてゐるといふことは、「わかる人間の方が多い」または「(視聴者の)ほとんどはわかる人間である」とみなされてゐるからなのではないか、と思ふのだ。

んー、さうなのかなあ。

まあお笑ひといふのは差別的なもので、笑ひのわからない人を笑ふといふ面もあるかとは思ふので、そんなに気にすることはないのかもしれない。
でも、芝居噺なんかはあきらかに客席に来るやうな人間はみんな知つてゐるといふ前提で語られてゐたと思ふんだよな。今芝居噺がほとんどかからなくなつてゐるのは、客席に来る人間がみな知らないからだらう。
♯え、噺家自体の素養の欠如?
♯それを云つちやあおしめえよう。

もちろん、万人にわかるネタなんてないだらう。理由はわからなくても、モンティ・パイソンでマルクスがサッカー関連のクイズを出されて答へられずおろおろする姿を見て笑へるといふこともある。
♯マルクスは労働者の味方だからサッカーについて詳しくなければならないのである。

それとも人気がある中でもずば抜けてゐる芸人たちはさういふ「世代に頼つたネタ」は使はないのかな。

夕べ、伊集院光と太田光がこの上なく楽しげに「死神」の内容を披露してゐてうらやましくなり、なんとなくこんなことをあらためて考へてしまつた。ふたりとも、「好きなんだなあ」つて感じでとてもよかつたのだ。キン肉マンやドラゴンボールをネタにする人々も、自分が好きで仕方がなくて使つてしまふ、といふ感じだといいなあ。

ちなみにやつがれは圓生の「死神」で育つた。残念乍ら高座を見ることかなはなかつた。

Thursday, 21 September 2006

不可逆といふこと

今TVでは「時を越えた戀愛」を扱つた映画のコマーシャルが流れてゐる。
「イルマーレ」つてな邦題だつたと思ふが、原題は「湖の岸」とかなんとか、そんなやうな題名だつたやうに思ふ。ちがつたかな。

もとい、戀愛映画はほとんど見ないが(そもそも映画自体をそんなに見ないが)、これは見てもいいかな、と時々思ふ。
「時間を越えた戀愛」つて切なくていいぢやあないか。決して会へないわけだもんな。宮部みゆきの「蒲生邸事件」はそんなに好きな本ぢやないけれど、なんとなく記憶に残るのはこのせゐだと思つてゐる。

時々、「死は平等に人間に訪れる」とか云ふことがある。
さうなのかも知れないけれど、ぢやあ生まれてすぐに死んでしまふ赤ちやんと百年間くわくしやくと生きて大往生を遂げた老人と、それが平等かと訊かれると、すぐに「うん」とはうなづけない。
多分、ここにあるのは「時間を元に戻せない」といふことで、そして、これはおそらくみな条件は同じなのだ。

過ぎ去つた時間は戻らない。

「記憶力がすぐれてゐるのはいいことだが、忘れ去ることの方が能力としては重要である」
といふやうなことをエマーソンが云つてゐる。
「ウォルデン」を書いたソローに比べてエマーソンは今ひとつ著名度が低い。少なくとも本邦ではさうなやうな気がする。超越主義といふことで考へるとエマーソンはソローの師、あるいは兄弟子、そんなやうな感じだと思ふ。
主義を実現しやうとしたソローの方が人気があるのは仕方がないとして、「主義は主義」としたエマーソン(結果としてさうなつただけだらうけどさ)の方が好きだな、と思つてしまふのはやつぱり天の邪鬼の所以だらうか。

ともかく、「忘却力」とでも云ふものが、生きて行く上でとても重要である、と、これはよくわかる。
いつまでも覚えてゐたら前に進めないといふことはないだらうか。やつがれは日々「ああ、あの時ああ云ひ返すのだつた」といふ後悔の思ひに苦しめられてゐる。忘れつちまへばいいのだよ。どうせ過ぎ去つた時間は元に戻らないのだし、適切なことばを云ひ返せないのはいつだつてかはらないのだから。

さう、過ぎ去つた時間は元に戻らなくて、だから復讐なんぞするのは無駄であり、だからこそ現行法では復讐を禁じてゐるのではないかと思ふ。ま、「際限がないから」といふ理由の方が大きいだらうがね。
先日、「目には目をといふ考へ方の方が現行法よりわかりやすい」とエントリに書いたが、だがこれもあまりにも時間がたつた場合、どうだらうといふ話もある。
たとへば、自分の子供を殺した相手が死刑に処されても、殺された子供は戻つては来ない。
おそらく、江戸の昔に「敵討ちをするまで帰つてくるな」なんぞといつたのは、さうしないと敵討ちを達成できないからである。最初のうちはいいが、そのうち段々つらくなる。「父の敵を討つたとて、父の返るわけでなし、だつたら家に帰ろぢやないか」そんな風に考へるやうになるからだ。敵討ちをさせるにはなにがしかの拘束力が必要なのにちがひない。

だからなんだ、といふのは特にない。
ここのところ過去に好きだつた人の訃報をよく耳にする。
過去に好きだつた人は、実は今でも好きだつたりする。
忘れてしまつてゐればな、と思ふのはこの時だ。
忘れてゐれば、「あの人、死んだんだつてね」つて云はれても、「え、それ、たれ?」くらゐで済むのだ。今更「どれほどその人が好きだつたか」とか「今でもこんなに好きなのに」とか考へなくていい。
どうして自分は忘れてゐないのだらう。忘却能力がこはれてゐるのか。
そんなはずはなけねども。

曽我部和恭氏、9/17食道癌で死去。享年58。