Thursday, 13 July 2017

見られないけど水戸黄門

先日、新たに制作されるTVドラマ「水戸黄門」の詳細が発表された。

東野英治郎が主演だつたときのTVドラマの第三部をリメイクするといふので、悲憤慷慨する向きもあつたやうだ。
え、自分の愛する作品が自分の手の届かないところで意にそまぬ方向に改変されたら、「世情を嘆く」でせう?
ま、いいか。

ところで、十一月には国立劇場で「沓掛時次郎」を上演するのだといふ。
「沓掛時次郎」といつたら長谷川伸の代表作のひとつだ。
Wikipedia で見たら八度も映画化されてゐるといふ。
七年前にはまんが化もされたのださうな。

八度も映画化されてゐるといふことは、「沓掛時次郎」はそれだけリメイクされてきたといふことだ。
舞台でも繁くかかつてゐたころもあらうし、TVドラマ化も何度かされてゐる。

「沓掛時次郎」がさうなら、「瞼の母」もさうだらう。
忠臣蔵や遠山の金さんなどもさうだし、水戸黄門だつて何度も違ふ配役で映像化されてゐる。

さう思つて Wikipedia の水戸黄門を見てみたらなんだかすごいことになつてゐた。
映像化の最初は目玉の松つちやんか。
記憶にある昔の水戸黄門といふと月形龍之介なのだが、大河内傳次郎だとか市川右太衛門だとか、すごいメンバーが主演に名を連ねてゐる。

さういへばアニメもあつたなあ、「水戸黄門」。
「最強ロボ ダイオージャ」といふ水戸黄門をベースにしたロボットアニメもあつた。好きでよく見てゐた。

これだけ何度も作られてゐて、それでもなほ嘆かれてしまふ今度の「水戸黄門」つて……
どうしてなのかなあ。

水戸黄門といへばTVドラマの時代劇で東野英治郎や西村晃、佐野浅夫らが演じてゐたアレである、といふことになつてしまつてゐるからか。
確かに、こどもの時分に「月形龍之介の水戸黄門といふものがある」と云つても友人には通じなかつただらうとは思ふ。
「月形龍之介 who?」といふ感じだつたらうとは思ふし。

水戸黄門といふ作品は過去に何度も何度も手を変へ品を変へ新たなものが作り出されてきたものだ、といふ共通認識がすくなからず欠けてゐるのかもしれない。

と、書きながら、「さうぢやないな」と思つてゐる。
世の悲憤慷慨は、「よりにもよつて」「第三部」といふところにある。
さういふことなのではないかと思ふ。
根拠はないけど。

ほんたうに、なんでよりにもよつて第三部なんだらう。
新しく書き下ろすことはできなかつたのだらうか。
できなかつたのかもしれないなあ。

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Wednesday, 08 February 2017

なにか映画を見やうと思つて

「ドクター・ストレンジ」か「マグニフィセント・セブン」を見に行かうと思つてゐる。

なぜかといふと、あひかはらず最近見てゐるものは昭和のものばかりだからだ。
コンテンポラリーも見ておかないとね。
といふ、義務感といふか責任感みたやうなものがある。
我ながらめんどくさい。

「ドクター・ストレンジ」については、以前あまりそそられないといふ話を書いた。
大都市や摩天楼が壊れていく映像つて、なんかもう見飽きたんだよね、と。
予告編で見たかぎりいままで見たことのないやうな壊れ方ではあつた。
でも大都市や摩天楼が壊れていくといふことに変はりはない。
映像の進化、もつといふと映画製作の進化を楽しめる人にはいいのかもしれない。
でも、単に楽しく映画を見たいだけだからねえ。
あまり「それ、もう見たし」といふやうな内容には食指が動かないのだつた。

「マグニフィセント・セブン」にあまりそそられない理由は、「だつて「荒野の七人」なんでせう」といふところか。
「コンテンポラリー」といひきるにはちよつとためらひを覚える。
リメイクだからね。
リメイクだから、現代性が取り入れられてゐるはずだし、正しくコンテンポラリーなんだとは思ふ。
でもさ、きつと「荒野の七人」と比べちやふしさ。
もつといふと、「七人の侍」とも比較してしまふかもしれない。

意味ないのに。

映画批評などに従事してゐる人には意味があるかもしれないが。
やつがれにはない。
単に楽しく映画を見たいといふやつがれには、「マグニフィセント・セブン」を「荒野の七人(こちらも「The Magnificent Seven」であることに変はりはないのだが)やまして「七人の侍」と比べていいことはなにもない。
それぞれにいいところがあり、それぞれに、まあ多分、わるいところもある。
それでいいぢやあないか。
わかつてゐてもさういふ目では見られない。
おそらくね。

義務感といふか責任感のやうなものから見たいと思つてゐる、と書いたが、それでも「見たい」といふ気持ちに変はりはない。
「沈黙」はあんまし見たいと思つてゐないから、これだけは確かだ。
「沈黙」を見たいと思はない理由は、その長さにある。
上映時間が三時間近いといふ。
耐へられるだらうか。
多分ムリ。

「見たい」といふ気持ちは大事にしたいので、ぢやあ「ドクター・ストレンジ」か「マグニフィセント・セブン」かどちらかを見やう。

どちらを見るか。

「マグニフィセント・セブン」は評判がいい。
どこでかといふと、Twitter の我が TimeLine で。
「パシフィック・リム」からこの方TLで評判のよかつた映画はほぼすべておもしろく見た。
「マッドマックス 怒りのロード」とかね。
「シン・ゴジラ」もさうだし。
多分、この三つの映画は、ぼんやりしてゐたらどれも見なかつたことと思ふのだ。
TLで「いい」といふ評判が流れてきて、見に行つたらいづれもよかつた。

「ドクター・ストレンジ」についてはこれといつて情報が流れてきてゐない。

ぢやあ「マグニフィセント・セブン」かな。
さう思つたのだが、どうも行ける映画館の行ける時間帯にちやうどいいものがない。
といふわけで、いまのところ「ドクター・ストレンジ」を見るつもりでゐる。

うーん、でもこのままだと「マグニフィセント・セブン」は見逃すかもしれないなあ。
仕方ないか。

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Thursday, 02 February 2017

早起きして「鬼平犯科帳」を見ない理由

平日は帰宅後に見てゐる「鬼平犯科帳」などを、朝早起きして見た方がいいのではないか。

なぜそんなことを考へてゐるのかといふと、「鬼平犯科帳」とかを見ると気分が昂揚するからだ。
異様にもりあがる。
もりあがらないこともあるけれど、でもなにかしらもりあがる要素はある。

いつもは夜見てゐるので、睡眠によつてご機嫌な気分はリセットされてしまふ。
朝起きてから見れば、その日一日、ご機嫌な状態で過ごせるのぢやあるまいか。
一日はムリでも、朝くらゐはさ。

でも、多分早起きして見ることはないだらうな。

朝、一時間ていどのTVドラマを見られるくらゐに早起きするやうに早寝をするのがむづかしいからといふのが一番の理由だが。

夜、気分がいい状態でゐられるのは、通勤電車などに乗る必要がないからだらうといふ気がするから、といふのも理由のひとつである。

帰宅したら、通勤電車に乗つて、不愉快な人に出会つたり、遅刻しないやう職場につけるか苛々したりすることがない。

早起きして朝見ることにして、いい気分にはなつたものの、乗るべき電車がやつてこなかつたり、それで別の電車に乗つたらぎゆうぎゆう詰めの上、電車がなかなか進まなかつたり、そんなのお互ひさまなのにうるさい客が乗つてゐたりしたら。
それでなくても駆け込み乗車をする客やら、両手でスマートフォンを使つてゐるから電車が揺れると倒れてくる客やら、やたらと大きな音量で音楽を聞いてゐる客やら、そんな客と乗り合はせたとしたら。
せつかく早起きしていい気分になるやうなTVドラマを見ても、まつたく意味ないと思ふんだよね。
意味ないどころかイヤな気分になつてしまふ。

先日の「鬼平犯科帳」はサブタイトルが「凄い奴」、原作でいふ「本門寺暮雪」だつた。
「凄い奴」は天本英世。始終菅笠を深くかぶり、黒い着物に黒つぽい袴姿で表情はよく見えない。「殺気といふか妖気といふか」といふ表現が実によく似合ふ。こんなに似合ふ俳優もまたゐないのぢやあるまいか。

井関録之助は中谷一郎で、ちよつと「助け人走る」を思ひ出させるやうな坊主姿で出てくる。
やつがれ世代だと中谷一郎といへば「水戸黄門」の風車の弥七といふ向きも多からうが、やつがれはどちらかといふと「江戸の鷹」の御鷹組の副長や、諸々の時代劇の悪役、あるいは岡本喜八などの映画に喜劇的な役で出てくる方が好きだつたりする。
もちろんこの録さんも好きなタイプだ。

「凄い奴」の雇ひ主である名張の利兵衛は小栗一也で、上方の肝の据はつた大親分といふ貫禄十分だし、その利兵衛とやりあふ大滝の五郎蔵の内田良平も泥棒の悪の感じと密偵としての責任感とをよく出してゐる。
この利兵衛と五郎蔵との対決もまた緊迫していいんだなあ。

天本英世の凄い奴は鬼平(丹波哲郎)と録さんとのあとを追つたりするのだが、たまに姿をくらます。このステルスな感じが如何にも天本英世的だ。
最後は案外あつさり斬られてしまひ「なーんだ」と思つたところからの階段落ちで、なんかもうおなかいつぱいといつたところ。

さうさう、肺病病みの侍として伊藤久哉が出てくるのもいい。ちよつと胸病んでるみたやうな感じ、することあるぢやあありませんか、伊藤久哉。

といふわけで、なんだかこー、ものすごくもりあがつたんだよね、見てゐて。
見た後も。

早起きして、朝見ることにする?
試してみる価値はありさうだが、さて。

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Wednesday, 28 December 2016

もう森へなんか行かない

今年自分でしたことで一番驚いたことといふと、映画館でホラー映画を見たことかもしれない。

その昔、友人につれられて「トワイライト・ゾーン」を見に行つたことがある。
でもあれはそんなに怖くなかつたなあ。
だいたいロッド・サーリングが出てこない時点でそんなに怖くない。
後年見たTV番組の「ミステリー・ゾーン」の方がずつと怖かつた。
とはいへ、この映画を見たあとは「絶対飛行機の翼の見える位置には乗らない」とかたく心に誓つたものだつたし、「Wanna see something really scary ?」とか口のない女の人とかちよつとトラウマ的に残つたものはある。

さう、TVでは怖いものを見たことがある。
「ミステリー・ゾーン」といふか「トワイライト・ゾーン」といふかは怖がりながら見たし、映画では「サイコ」とか「シャイニング」とかも見た。
古谷一行が金田一耕助を演じてゐた横溝正史ものも大概怖かつたし、天知茂の明智くんシリーズも怖かつた。
なぜ見たのかといふと、いづれも明るいところで一緒に見る人が複数人ゐたからだ。

和物のいはゆる怪談みたやうなものは見たことないかもしれないなあ。
うつかり見ちやつた「まんが日本むかしばなし」の「船幽霊」とかくらゐかな。
あとは芝居で見る「東海道四谷怪談」とか「真景累ヶ淵」とか「かさね」とかだらうか。
松竹座で中村時蔵の豊志賀を見たときは、絶対怖いからといふので三階席の一番奥の席を取つて、それでもなほ怖かつた。

怖いものはダメなのだ。
幽霊屋敷にも入つたことがないしね。
「エクソシスト」「オーメン」「サスペリア」「13日の金曜日」……いづれも見たことがない。
ホラーぢやないけど「2001年宇宙の旅」もとくに最後の部分が怖かつたりするし(「シャイニング」の影響だと思はれる)、「宇宙大作戦」もどことなく雰囲気が怖いことがある。
「ツイン・ピークス」もなぜだかおそろしかつたなあ。

人生損してゐるのかもしれない。
さう思はないでもないけれど、怖いものは仕方がないのだつた。

それが、映画館で、ホラー映画を見る。
なんといふことでせう。

見たのは「呪いの館 血を吸う眼」で、新文芸坐で夜明け前に見た。
岸田森オールナイト上映会の最後の一本だつた。
もう、映画館でホラーは見ない。
これまたかたく心に誓つた。
そのはずだが、よくよく考へてみると、この映画はそんなに怖くはない。
なぜかといふと、襲はれるのは美女ばかりだからだ。
運送会社の運転手は襲はれたのだらうし、をぢいさんも襲はれてはゐたけれど、それはちよつと特殊な例のやうに見受けられた。
なんだ、大丈夫ぢやん。
怖くないぢやん。

ホラー映画が怖いのは、「いつかおなじことが自分の身にもふりかかるかもしれない」といふ気がするからだ。
とくに映画館で見る場合、真つ暗な中で見るわけで、ふつと横を向いたら吸血鬼がゐたりするかもしれないといふ恐怖は捨て難くある。
恐怖ではないのかな。不安かな。

ホラー映画などを見ておそろしいと思ふ気持ちはおとなになると段々薄れていくものなのらしい。
すくなくとも「あれはフィクションである」と認識できるやうになる。
怖いけど、でも、映画だからさ。
さういふ割り切りができるやうになるといふのだ。

それができないおとなは、不安神経症の場合があるといふ。

不安神経症。
いやー、ないな。
多分ない。
そもそも神経症に陥るやうな繊細さは持ち合はせてゐない。

といふことは、即ちやつがれはまだこどもだ、といふことだ。
身体はともかく、精神的にはまつたく成長してゐないのだ。
なんといふことでせう。

まあ、でも、やつぱりもう映画館でホラーは見ません。
暗闇で怖いものを見るだなんて、ぞつとしないからね。

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Wednesday, 30 November 2016

先代の幸四郎の「鬼平犯科帳」を見てゐる

先代の松本幸四郎の「鬼平犯科帳」を毎回楽しみに見てゐる。

もうすぐ第一シーズンが終はる。
終はるまへになんだし録画できてゐなくて見てゐない回が2つほどあるが、いままで見た中で気に入つた話をまとめておきたい。
ベスト3と思つたが、4になつてしまつた。

順不同で以下のとほり。
第三十話 盗法秘伝
第四十話 かわうそ平内
第五十三話 おせん
第六十一話 あほうがらす
以上。

「鬼平犯科帳」を見ながら夕飯を食べてゐる。
そんなに一生懸命見てゐるわけではないのだが、「あれ?」と思ふ瞬間があつて、引き込まれるやうにして見たのがこの四話だ。

第三十話の「盗法秘伝」は、浜松から帰路についた鬼平が盗人(花澤徳衛)と出会ひ、盗人の心得を伝授されるといふ話だ。
第四十話の「かわうそ平内」は、みるからに乞食とおぼしき男(有島一郎)が実は大変な剣豪で、とても敵を討てないやうな兄弟を短期間で鍛えて敵をとらせる話だ。
第五十三話の「おせん」は、放蕩無頼の息子(草野大悟)を持つた老母(原ひさ子)と息子と関係のあつたおせん(堀井永子)との交流を描いた物語である。
第六十一話の「あほうがらす」は、妾を斡旋する女衒である「あほうがらす」の男(加藤武)が商家の主たる兄(江戸屋猫八)とその息子との仲をとりもちつつ、同業者で殺人犯の疑ひをかけられてゐるものを追ひつめる手助けをする、といつたところか。

「おせん」を除き、いづれも見てゐて楽しい気分になつてくる話ばかりだ。
「おせん」だつて、おせんと老女との仲を見てゐると、なんとも幸せな気分になつてくる。

「盗法秘伝」では、高麗屋と花澤徳衛との会話に引き込まれた。
なんとも間がいい。
相手が火付盗賊改方の長谷川平蔵と知らずして「自分の盗人としての技を伝へられるかもしれない」と期待しつつ鬼平に話しかける花澤徳衛と、仕事の上の興味もありつつ相手に惹かれて話を受ける幸四郎と、ふたりのやりとりの妙に思はず箸を止めた。
夕食を食べながらのTV鑑賞は、見てゐるやうで見てゐない。
耳から入つてきたせりふの端々に注意を引きつけられる。
そんな感じだつた。

「かわうそ平内」は、有島一郎の飄然としたやうすに参つてしまつた。
汚いんだよ、匂つてきさうなほど。
風呂には何日も入つてゐないだらう。忠吾(志ん朝)もそんなことを云つてゐた。
しかるに軽妙かつ自在。
この日は日中いろいろとおもしろくないことがかさなつてくさくさした気分でゐたのだが、「かわうそ平内」を見て、といふよりは自由自在融通無碍な有島一郎を見て、一気にご機嫌になつてしまつた。

「おせん」も、原ひさ子につきる。
第二シーズンで前後篇の「狐火」に出る草野大悟の出来や如何にと思つて見始めたはずが、原ひさ子のこのころからとにかく可愛いおばあさんぶりにやられてしまふ。
最初は老女を邪険にあつかつてゐたおせんがだんだん老女に惹かれてゆき、最後は自分のおつかさんのやうに思ふやうになるといふ話にもじんときてしまつた。
ダメなんだよ、可愛いおばあさんとか。
ずるいよ。

「あほうがらす」は、加藤武が江戸屋猫八や堺左千夫、澤村いき雄とやりとりするときのせりふがいい。
江戸前つてかういふのを云ふんだよね、きつと。
鯔背でね。
猫八がちよつと野暮つたいのがコントラストになつてゐる。
澤村いき雄は七代目宗十郎のもとにゐたことがあるとweb検索で知つた。これがまた粋な爺さんでね。
これもせりふがまづ耳に入つてきて引き込まれるやうに見た回だ。

高麗屋の「鬼平犯科帳」には池波正太郎つぽさがあまり感じられない。
でもその点を気にしたことはほとんどない。
原作はあつても全然別物。
さう思つて見てゐる。
楽しければいいぢやん、みたやうな感じかな。

このあと、第二シーズンも引き続き再放送してもらへるのかな。
してもらへるとして、第一シーズン同様に楽しいのだらうか。
いま気になつてゐるのはそこである。

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Friday, 04 November 2016

甘えんぼ

先週の月曜日のこと、職場に着いてもなにも手に着かない。
いつものことなんだけれども、なぜだか心がひどくしづんでしまひ(それもいつものことではあるが)、なにもできない状態だつた。
いつもは「なにもしたくない」状態で、「できない」と思ふことはない。

なぜだらうと考へて、もうこの世に平幹二朗が存在しないと知つてしまつたからだなあ、としみじみ思つたことだつた。

そんなに好きといふわけではなかつた。
追ひかけてもゐなかつた。
それでも、訃報を聞けばショックを起こすくらゐには好きだつたわけだ。

「篤姫」を第一話しか見てゐない所以は、第一話で平幹二朗演じる家老が死んでしまつたからだ。
平幹二朗を出しておきながらもう出ることのない(回想場面では出るかもしれないけど)大河ドラマなんて、見る価値がない。
それくらゐは好きだつた。

あんまりにもなにもできる気にならないので、その日、小林正樹監督作品「切腹」を見に行つた。
平幹二朗は出てはゐないが、俳優の死のショックから立ち直るには、なにか優れた芝居・映画・ドラマを見るしかない。
さう思つたからだ。

正解だつた。
「切腹」を見て元気になるつてなにかがとつても違ふ気がするけれど、でも、ちよつと気分を持ち直した。
「切腹」、おもしろいよね。
主題は重たいけれど、エンタテインメントとして楽しく(といつたら語弊があるかもしれないが)見られる。

「切腹」については双方の甘えが原因と思つてゐる。
おなじ武士だもの、云はなくたつてわかつてくれる。云はなくたつて、武士とはかうしたものだらう?
さういふ互ひの思ひ込み、もつといへば甘えがああした事件を生んだ。
当事者たちが侍だつたから、extreme なことになつてしまつた。
それだけのことだ。

なので、「侍としてのあり方の非情さ」とかはあまり感じない。
「云はなくてもわかつてくれる。おなじ人間だもの」といふのは侍でなくても持つてゐるものだからだ。

それにしても平幹二朗の訃報はショックだつた。
生きてゐて好きな俳優がまたゐなくなつてしまつた。
「ま、まだあの人が生きてるもんね」とか「あの人も存命だ」とか、一生懸命指折つて数へちやつたよ。
あまりにもショックで。

そんなことはあんまり口にしたりしないから、全然通じてないんだらうけどね。

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Thursday, 03 November 2016

映画、見に行く?

「スタートレック ビヨンド」を見てきた。
上映前の予告篇を見て、「自分は今後も映画を見続けるのだらうか」と考へてしまつた。

今後も映画を見続けるのだとしたら、「Dr.ストレンジ」のやうな映画を「楽しみ!」と思へるやうでないとダメだらう。
「Dr.ストレンジ」は、ちよつと楽しみにしてゐた映画だつた。
でも予告篇を見て「見には来ないだらうなあ」と思つてしまつた。
なぜさう思つたのか。
壊れてゆく都市の映像とか、なんかもう見飽きたよ、と思つてしまつたからだ。
うん、CGだね。すごいね。真に迫つてるよね。きつと3Dで見てほしいんだよね。

CGが嫌ひなわけではない。
どちらかといへば好きな方だ。
嫌ひだつたら「スタートレック ビヨンド」とか見に行かないもの。いくら「スタートレック(宇宙大作戦)」が好きだとしても。

黒澤明だつたか、業火に焼かれた廃墟を撮るときに、大道具担当に「これぢやダメ」的な話をしたといふのを聞いたことがある。
焼ける前の建物がどういふ状態だつたのか、考へて作つてないだらう。
さういふのである。

CGだつておなじことだと思ふんだよね。
もしかすると最近では壊れゆくスカイスクレイパー(とはいまは呼ばないのかもしれないが)のやうすを描かうとしたら、元の形と壊れたやうすとを指定すればあるていどはコンピュータが計算してそれらしく壊れてゆく姿を描き出してくれるのかもしれない。
つまりその計算するプログラムなりなんなりを作つた人がゐるつてことだよね。
それつて、すごくない?

または「スター・ウォーズ」だ。
エピソード1のときにはいかにも「CGで作りました」「CGで作れるのはここまでです」みたやうな映像だつた。
それが、エピソード2、エピソード3と進むにつれてどんどん進化していく。
エピソード1のなにがダメかといふと、映像がすごすぎてエピソード6より前のことのやうには見えないことだ。
過去のことなんだよね?
過去のことのはずなのに、どこからどう見ても未来のことに見える。
それがどうだらう。
エピソード7の映像なんか、ちやんとエピソード6につづくものに見えたぢやあないか。
すごい。
でもそれも、エピソード1あつての進化なんだよね、たぶん。

それを考へると、壊れゆく都市の映像を見て「もう見飽きたよ」と思ふのは、映像のせゐばかりぢやあないといふことだ。
さういふ話の展開に飽きた、といふことでもある。

世の中の映画はさういふ話ばかりでもない。
予告篇の中には「聖の青春」もあつたし。

「聖の青春」を見に行くのだらうか。
「見に行くんだらうな」と思ひつつ、そんなに積極的に見たいとは思はない。

将棋を扱つたフィクションを見たり読んだりしても、実際の対局よりおもしろいものに出会つたことがないからだ。
将棋を扱つたフィクションを鑑賞して「おもしろい」と思つたあとに実際の対局を見ると、後者の方がはるかにおもしろい。

「聖の青春」は実際にあつた話をもとにしてゐる。
対局の内容などは実際の対局にかなり近いだらう。
ゆゑに「見に行くんだらうな」と思つたわけだけどもさ。
でも「見に行かなくちや」といふ気にはならない。
お涙頂戴もの系は苦手なのだ。
苦手といふか、好んで見に行くといふのがわからない。
楽しいものの方がいいぢやん、と思つてゐるからで、それはもう個人の好みの問題だ。

たまたま今回は予告篇にあつた映画で「これが見たい!」といふものがなかつただけ、といふ話もある。
でも何作も紹介されたのになー、といふ思ひもある。

などと云ひつつ、「Dr.ストレンジ」は見に行つてゐるやうな気もしないではない。
予告篇と本篇とはまた別ものだつたりするからね。

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Thursday, 22 September 2016

題名を訳す

「座頭市と用心棒」の英語題が「Zatoichi
And Yojimbo」ではなく「Zatoichi Meets Yojimbo」であることを知つた。

え、それつて「A boy meets a girl.」みたやうな?
と思うたが、「粗にして野だが腐ではない」ので、そこで思考は途切れた。
精々、握り飯を頬張りながら走つてきた座頭市が、曲がり角(のちよい手前からやや見下ろすアングルで曲がり角を中心に写す感じ)で用心棒とぶつかつて、「なんだこのヤロー」的な展開になるのだらう、といふのが関の山である。
その前に、座頭市なら曲がり角で人とぶつかつたりしないか。
あ、でも、市つつあん、この映画でなんかにぶつかつてなかつたつけか。
ま、いいか。

さういへば、「もののけ姫」は「Princess Mononoke」だつた気がする。
正しい。
間違つてないけど、なんだか笑ひを禁じ得ない。
なぜだらうか。
「Princess」といふことばと、もののけ姫の佇まひとが一致しないからかな。
なんか違ふよね、「Princess」つて。

といふのは、しかし、やつがれの感想であつて、やはり「もののけ姫」は「Princess Mononoke」でいいのぢやあるまいか。

「蜘蛛巣城」は「Throne of Blood」ださうな。
「血の玉座」か。
あるいは「血まみれの玉座」かな。
それだとホラーつぽくなり過ぎるか知らん。
「蜘蛛巣城」つて、やつがれ的にはホラーなんだよなぁ。
なにしろ山田五十鈴が怖すぎる。
夢に出るレヴェル。
そんなわけで見返す機会があれば是非見たいと思ひつつも腰が引けてしまふのだつた。
いま見たらそんなに怖くないかなぁ。

ところで、「An Officer And A Gentleman」が「愛と青春の旅立ち」になつたり、「Vicky Cristina Barcelona」が「それでも恋するバルセロナ」になるやうなことは、ないのだらうか。
つまり、邦画が英米などに進出する場合。

舶来の映画の題が妙ちきりんになる例はいくらでもあるけれど。
最近も、舶来の女の人向け映画が本邦で上映されるときのあれやこれやが取り沙汰されてゐて、中には邦題がヘンなものになつてしまふ、といふのがあつたやうに思ふ。

邦画に関する知識がほとんどないので、わかんないんだよなー、そこんとこ。

能や狂言、文楽に歌舞伎の作品はどうなんだらう。
ちやんと英訳されるのか知らん。
劇場に行つて英語の説明を見ればわかるか。

個人的には「愛と青春の旅立ち」的な邦題にそれほど文句はない。
おもしろいからね。
話のタネになる。

問題は、「それつてほんとに映画の本質にあつてるの?」といふところだらう。
「蜘蛛巣城」は直訳したら「Spider Web Castle」とかになるのかもしれないが、「Throne of Blood」の方がいい。
「座頭市と用心棒」は、座頭市と用心棒とが出会ふことに違ひはない。出会つて、なんか起こるわけぢやあない(よね?)ので、ちよつと強引な気もするけど、でも「And」でもないんだよなぁ。

とか、考へて楽しい邦題がつくやうになるといいなぁ。

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Friday, 19 August 2016

並行宇宙の「シン・ゴジラ」

「シン・ゴジラ」の世界には、映画「ゴジラ」は存在しない。
あの映画の世界の人々は、ゴジラを知らない。多分、メカゴジラもキングギドラもガメラやモスラもゐないんぢやあるまいか。
ゴジラを知つてゐたら、怪獣をゴジラと名付けるときにあんなに不思議さうに名前を口にしないし、もつと早くに「ゴジラ。似てゐるな」といふやうなせりふがあつたはずだ。

あの世界にはウルトラマンシリーズもないだらう。
あつたとしたら、怪獣が出現したときに「ウルトラマンに出てくる怪獣に似てゐる」といふ反応があるはずだからだ。
あの世界にも円谷プロダクションはあるだらう。
なにを撮つてゐたのかなあ。
「怪奇大作戦」とかその路線ばかりなのだらうか。打ち切りになることなく、延々とシリーズがつづいてゐたりして、岸田森が大活躍してゐたりするのか。
ウルトラマンシリーズがないとしたら、「パシフィック・リム」もないな。

さう考へると、「シン・ゴジラ」の世界は、現実世界からちよつと位相のそれた世界、並行宇宙でのできごとのやうな気がしてきて、クラクラしてしまふ。

「それを云つたら大抵のフィクションはさうでせう」といふ話になるとは思ふ。
でもちよつと違ふんだな。
なにもかも現実世界そのままで、でもある一点がちよこつと違ふ。
さうすると、もしかするとその世界は現実でもあり得たわけで、さらにはあの世界に存在する自分といふのがゐて、得体の知れない巨大生物の動向にハラハラドキドキしてゐるかもしれない。
そんな気がしてしまふのだ。

ウルトラマンシリーズがなかつたら、こどもの時なにを見て育つたらう。
仮面ライダーか。
なんとなく、東映の特撮ヒーローものはあの世界にもありさうな気がする。
でも戦隊ヒーローものの敵は巨大化はしないんだらうな。
してたら「アレに似てゐる」といふ話に絶対なるもの。

さういふバカバカしいことをつひ考へてしまふ。

BBCのTVドラマ「SHERLOCK」でもさうだつた。
「SHERLOCK」の世界では、コナン・ドイルはシャーロック・ホームズものを書かなかつたことになつてゐる。
コナン・ドイルといふ作家は過去に存在して、「ロスト・ワールド」ものとかは書いたのかもしれない。
でも、シャーロック・ホームズものは書かなかつた。
書いたとしても世には出ず、出たとしてもすぐ消へてしまつた。
あれはさういふ世界の話だ。
エドガー・アラン・ポーはゐて、オーギュスト・デュパンを世に遺しはしたらう。
ホームズではなくて、なにかしら似たやうな名探偵の出てくる探偵小説があつたりはしたのかもしれない。
ひよつとすると、モーリス・ルブランもアルセーヌ・ルパンシリーズは書かなかつたんぢやあるまいか。
なんかわりといきなりクリスティだのクイーンだのが出てきたりしたつてことも考へられるよな。
あのドラマを見てゐると、つひつひそんなことを考へてしまふ。

ほんのわづかの違ひから生まれる違和感がたまらなく楽しい。
ちよつと足下のゆらぐ感覚がする。
いま生きてゐるこの世界とは別の、ゴジラとかシャーロック・ホームズとかの存在しない世界があつて、いま自分はスクリーンやTV画面からそれを覗いてゐるのぢやあるまいか。

「シン・ゴジラ」の世界の人々は、ゴジラを知らない。ウルトラマンも「パシフィック・リム」も見たことがない。
その代はり、なにかおもしろいものを見てゐる。
そのはずだ。
それはどんなものなのかなあ。

確認しに、二度めを見に行くことにしやうかな。

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Wednesday, 08 June 2016

お久しぶりね

平日の夕飯は「鬼平犯科帳」第四シーズンを見ながら摂つてゐる。

リアルタイムのときもさうだつた。
夜七時から「ドラゴンボールZ」を見て、そのあと三十分間はあれこれ用事を済ませて、それから「鬼平犯科帳」を見てゐた。

はづかしながら、中村吉右衛門演じるところの長谷川平蔵が見たくて見てゐる。
そのはずで、それはそのとほりなのだが、見続けてゐるとまたちよつと違つた感覚を覚えるやうになる。

火付盗賊改の面々や密偵の面々が、ひどく慕はしい存在のやうに感じられることに気づいたのはいつだつたらう。
いつだつたらうつて、最近見始めたのだからそんなに前のことではない。
先週とか十日前とか、そんな感じだ。

火付盗賊改の同心その他が全員登場する回といふのはほとんどない。密偵もまた同様だ。
密偵が全員揃ふ回つて、第三シーズンの最終回とかかなあ。
さうなつてくると、数回ほど顔を見なかつた密偵や同心が出てくると「あら久しぶり」「元気にしてたかい」「見廻りだつたのかい」などと、心の中で声をかけてゐることに気づく。

昨日はここのところ二回ほどお見限りだつた相模の彦十が出てきて、「をぢさん、どこにござつたえ」などと思つてゐた。
この回では彦十の活躍といふのはなかつたけれど、愛嬌のある表情がなんともいへなくてなあ。

野田昌弘が、かつてこんなことを云つてゐた。
「登場人物が仲間のやうに感じられるスペースオペラはすばらしい」とか。
野田昌弘によると、すぐれたスペースオペラには読者に「お友達になりたい」といふ思ひを抱かせるやうな登場人物たちがゐる、といふのだ。
さう云ひながら、野田昌弘がさういふ登場人物の造形に役立つ作品としてあげてゐたのが柴田錬三郎の「我ら九人の戦鬼」だつた。
「我ら九人の戦鬼」に登場する人物にはお世辞にもお近づきになりたいと思へるやうなものはひとりもゐない。
ゐないけれども、あれやこれやの事件難題が登場人物にふりかかると気になつて仕方がない。
この人、これからどうなつちやふんだらう。
関係ない相手のはずなのに、どうしても引きずられてしまふ。
そんな力が「我ら九人の戦鬼」にはある。
まあ、やつがれは柴錬チルドレンなのでさう思ふといふのもあるけれど、野田昌弘も書いてゐることだし、さう間違つてはゐないだらう。

さういふ、「あの人、最近出てこないけどどうしてゐるのか知らん」「毎回よく出てくるね。お疲れさま」みたやうな感覚、あたかも自分も当事者であるかのやうな感覚を「鬼平犯科帳」を見てゐると覚えるのだつた。

残念ながら「座頭市物語(TV版)」にはこの感覚はない。
座頭市には仲間がゐないからね。
座頭市に対して「市つあん、今日はどこでどうしてござらうぞ」とはあまり思はない。
座頭市は、こちらがあれこれ思ひ悩まなくても生きていけるタイプだからなー。
「座頭市物語」には「座頭市物語」の楽しみがある。それはまた別の話だ。

これまで見てきた時代劇の中で一番さういふ「仲間意識」といふか、こつちも当事者みたやうな気分になつたのつてなんだらう。
「新必殺仕置人」とかかなー。
ちよつと記憶をさかのぼるのもおもしろさうだ。

ところでここ数回、酒井の姿を見てゐない。
どこでなにしてゐるのやら。

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