Friday, 01 June 2018

Never Ending or Beginning on an Ever Spinning Reel

夕べ、「ムーン・リヴァー」が流れてきて、そこから怒濤の映画音楽メドレーがはじまつてしまつた。

「ムーン・リヴァー」は、映画「ティファニーで朝食を」でオードリー・ヘップバーン演じるホリー・ゴライトリーが歌ふ歌である。
歌のお世辞にもうまいとはいへないオードリー・ヘップバーンのために、ヘンリー・マンシーニが最小限の音域で作曲したといふ話を聞いたことがある。

曲や歌詞も含めてだけれども、いつたいどこで覚えたのだらう。
不思議でならない。

映画はそんなに見ない。
「ティファニーで朝食を」はジョージ・ペパードが亡くなつたときかなんかに追悼番組としてTVで放映したんぢやなかつたかな。
さうぢやなかつたかもしれないけれど、とにかくTVで見た。

ヘンリー・マンシーニで映画音楽といふと、ほかにも「シャレード」とか「ピンク・パンサー(ではないのかな、邦題は。ま、いいか)」とか「ひまわり」とかいろいろ出てくる。

思ふに、昔は映画音楽の番組があつたのだらう。
TVに限らずラジオとかで、「なつかしの名画の主題曲集」みたやうな番組があつたのに違ひない。
さうでないと説明がつかないからだ。

「慕情」を歌へば、題名からの類推だらう、「追憶」が出てきて、さらに「卒業」が出てくる。
映画自体に関連性はないが、題名とあとはなんとなく雰囲気でつづいてしまふ。
「ゴッドファーザー愛のテーマ」ははづせないし、「ある愛の詩」なんてのもいまでも聞くことがないでもない曲だ。

「荒野の七人」には「大脱走マーチ」がつづくし、さうしたら次は「クワイ河マーチ」だ。

「007」のテーマが出てくれば、「ロシアより愛をこめて」「ゴールドフィンガー」「死ぬのは奴らだ」「For Your Eyes Only」と、歌へる歌が続く。
007といへばデュラン・デュランのPVの最後でサイモン・ル・ボンが名前を訊かれ、「ボン。サイモン・ル・ボン」つて答へるのにうつかり笑つてしまつたりしたよなあ。

セリフ込みで覚えてゐるものもある。
「カサブランカ」の「As Time Goes By」とか。
「風と共に去りぬ」の「タラのテーマ」とか。
あ、「フラッシュ・ゴードンのテーマ」なんかも歌詞よりセリフの方がメインくらゐの覚え方だつたりするな。

ここでMGMミュージカルに流れてしまふととりとめがなくなつてしまふので、真剣に避けてとほることも忘れない。
でも「カサブランカ」が出てくると連想でウッディ・アレンに行つてしまひ、「カイロの紫のバラ」から「Cheek to Cheek」を思ひ出せばMGMミュージカルまではあとほんの一歩だ。
スリリングである。

終はらない。
永久に終はらないんぢやないかとさへ思ふ。
さうすると「華麗なる賭け」の「風のささやき」が出てきて、さういやリメイク版の「トーマス・クラウンズ・アフェア」は見てないけどスティングのカヴァはイカすよなあ、といふので、つひつひ聞いてしまふ。

一夜明けても脳内には「シェルブールの雨傘」の主題曲が鳴つてゐたり、ときに「太陽がいつぱい」に変はつたり、川原泉ぢやないけれど「ジュテームだのモナムールだの」な世界に埋没しさうになる。

現実逃避?
さうかもしれない。

ここに出てきたので一番新しいのは「美しき獲物たち」だらうか。
その後も映画はたくさん作られてゐるし、いい映画音楽もいくつもあると思つてゐる。
「パシフィック・リム」の主題曲とかイカしてると思ふし、ミュージカル映画だつて作られてゐるし、邦画にもいい曲があると思つてゐる。
なのに出てこないのはなぜだらう。
やはり、「映画音楽特集」みたやうな番組がなくなつてしまつたからなんぢやあるまいか。
聞く機会がなくなつてしまつた、といふかさ。

それでなくても世の中は音楽であふれてゐるので、それはそれでいいのかもしれない。

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Wednesday, 23 May 2018

サルヴェイジしたい「座頭市物語(TV版)」

録画機が動かなくなつて久しい。
修理するか買ひ替へるかすればいいのだが、修理をするには修理の人を呼ばねばならず、買ひ替へるには手元不如意だ。

新しく買ふにしても、いまの録画機に録画されてゐる番組はサルヴェイジしたい。
サルヴェイジしたいのは主に芝居関連の番組と時代劇だ。
内蔵HDDの容量がないものだから、気に入つたものだけ残してあるのでよけいに惜しい。

TV版の「座頭市物語」とそれに続く「新・座頭市」とか、できれば残しておきたい。

「新・座頭市」だつたと思ふが、北村和夫の演じた僧侶が悪くて素敵でねえ。
しみつたれた悪だとかイヤラシい悪、色つぽい悪など、悪にもいろいろあるけれど、まれにそんな形容のつけやうのない、とにかく「悪」そのものとしかいへない悪がある。
北村和夫の僧侶がそれだつた。
記憶がすでに曖昧だが、信者といふか檀家といふかをすつかり操つてゐるカリスマ性(といふことばもいまは安くなつてしまつたが)のある僧侶だつた。
抗はうにも抗ひきれない悪の力。
なにをたくらんでゐるのか底知れない肚の底。
たまらないよなあ。

長い期間放映してゐたドラマなので、何度も出演してゐる俳優もゐる。
小池朝雄はやつがれが見たかぎりでは三回出てゐて、いづれも土地の親分さん的な役回りだつた。
ひとつは原田芳雄回で、原田芳雄が島送りになり到底戻つて来られないだらうといふこともあつて、その妻(赤座美代子)といい仲になる親分さん。恩赦があつて原田芳雄が帰つてきてさあ大変、といふ話なのだが、小池朝雄の演じる親分はこのドラマに出てくる多くの親分と違つてそれほど悪い人ではない。
運が悪かつたよね、といつたところか。
さういふ風情がまたよくてね。
この回は原田芳雄もよくて、かたぎの中には居場所がなくてやくざな道に入つたもののその中でも居場所が見つからない人間の役を云ひ訳をほとんど表現しないままそれが云ひ訳になつてゐる、みたやうな、実にいい役だつた。
原田芳雄もこのあと二回ほど出演してゐるのを見たけれど、そちらは云ひ訳が多すぎるやうに感じた。

小池朝雄のふたつめの役は仇と狙はれてゐる親分。
もとは武士で、碁敵とのもめごとから相手を殺してしまふことになり、その息子(竹脇無我)から命を狙はれてゐる。
人情のあるいい役で、でも思つてゐたことと真逆のことが起こつてしまふ。
いい人がいいことをしやうとして、でも報はれない。
「新・座頭市」の一回目か二回目かの最終話だつたと思ふが、とても印象深い。

みつつめの役は、一見人徳者ながら実は腹黒い親分といふ、まあ、ありがちな役どころながら、これまでの二役とまつたく違つた趣で、「これはもしかしたら小池朝雄の親分さん七変化を楽しむドラマなのではあるまいか」といふ気さへしてくる。

ある俳優を楽しむドラマ、といへば蟹江敬三だ。
蟹江敬三も「座頭市物語」「新・座頭市」には何度も出てゐる。
最初は兄貴分らしきところはあるものの三下のやうな役だつた。出番もちよつとしかなかつたと記憶する。
それがだんだんいい役がつくやうになり、最後の役は市とさしで対するやうになる。
蟹江敬三といふ俳優の成長を見るやうなところがこのドラマにはある。

蟹江敬三といへば石橋蓮司……と話はいくらでもつづけられるけれど、今回はこのあたりにしやう。

あー、やつぱりDVD-Boxを買つてしまはうか、DVDならMacBookでも見られるし。
と、心は千々に乱れるのであつた。

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Wednesday, 02 May 2018

大事なことは描かない

月曜日にラピュタ阿佐ヶ谷で岡本喜八の「斬る」を見てきた。
山本周五郎の原作を映画にしたものだ。
天保の世、上州のさる藩で城代家老が暗殺される。
実行犯は藩の若人八人。
首謀者は藩の重役(神山繁)である。
若人たちはその重役からの命で城代を襲ふ。藩をよりよくしやうといふ志にあふれたものたちだ。
だが、重役は腹黒かつた。
邪魔な城代を殺して自分が藩の実権を握らうとしてゐた。
浪人を募つて若人たちを殺させ、その浪人たちは藩のものを殺したといふことで皆殺しにする、そのすべてを隠密裏にやつてしまはうと考へてゐた。

主人公はそんな藩に足を踏み入れてしまつた元・侍の渡世人(仲代達矢)と浪士組に入つて侍にならうとする元・農民(高橋悦史)なのだが、主人公の話はしない。

重役の計画はかうだ。
山の上の孤立した砦に若人たちを拠らしめる。
そこに浪士組を送り込んで若人たちを斬り殺させる。
そして若人たちも浪士組も、藩のものを集めて作つた鉄砲隊・弓矢隊で遠くから全滅させる。

この遠隔攻撃隊の二番手に島田(天本英世)といふ男がゐる。
島田にはセリフらしいセリフがない。
重役に集められたときも、もの思はしげな表情をするばかりだ。
これからやらうとすることに疑義を抱いてゐることは明らかだが、なぜかはわからない。
でも状況からなんとなくわかる。
おそらく島田は若人たちに sympathy を抱いてゐるのだ。
だが云へない。
こんなことはやめませう、だとか。
自分はこんなことはしたくない、だとか。
みんな、やめやう、だとか。
さういふことは一切口にしない。

主人公の為したことによつて浪士隊を疑ふ遠隔攻撃隊の一番手は、数名とともに浪士隊に抗議をしに行き、殺されてしまふ。
砦にたてこもつた若人たちの首領格(中村敦夫)は云ふ。
「島田ならわかつてくれるはずだ」と。
首領格の若人は島田に向かつて叫ぶ。
こだまとなつたその若人の声を聞いて、島田は立ち尽くす。
周囲には手に手に銃や弓矢を握つた侍がゐる。
苦悩する島田の顔が大写しになり、その後ろ姿が映つたところで場面は切り替はる。

島田がなにを云つたのか、どう行動したのかは、一切描かれない。
描かれないけれど、わかるやうになつてゐる。

岡本喜八の映画はそんなに好きなわけではない。
映像といひ音といひ、騒がしすぎるからだ。
「斬る」にも祭や女郎屋での大騒ぎが挿入されてゐる。
画面狭しと人々が暴れまはり、騒々しく歌ひわめき、めまぐるしくカメラが切り替はる。
Too much なのだ。

なんだけれども、だいたい一作品につき一度は「描かない」場面が出て来る。
「激動の昭和史 沖縄決戦」でいへば対馬号の撃沈だらうか。
「着流し奉行」だと主人公と悪の黒幕との対決場面。まあこれは原作自体もさういふ描き方でもあるが。
そして「斬る」はこの島田の場面。

いづれも重要な場面だと思ふ。
「かうなりました」と描かれることを見る方はそれとなく期待してゐる。
だがさういふ場面はばつさり切り捨てられてしまふ。
ゆゑに印象に残る。

これが見たくて岡本喜八の映画を見るといつても過言ではない。

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Thursday, 26 April 2018

録画機が壊れてしまつたので

TVの地方局で、「傷だらけの天使」の再放送を見てゐる。
録画機が壊れてしまつたので、放映時間に見てゐたのだが、これが案に相違して楽しい。

録画機が壊れるまで、TV番組は録画をしてから見るものだつた。
放映時間にTVの前にゐられないことが多いからだ。
TV番組を録画することに慣れると、放映時間にTVを見やうといふ気が薄れてくる。
放映時間に見るといふことは、束縛されるといふことだ。
番組の時間にあはせてほかの用事を済ませ、TVの前に座らなければならない。
録画機が我が家にくるまでは当たり前だつたことが、ひどく苦痛になつてゐた。

また、録画するとコマーシャルをとばして見ることができるやうになる。
さうすると、リアルタイムで見るときにコマーシャルを見るのがつらくなることがあるのだ。
とくに二時間ドラマや映画などで、話が進むにつれてコマーシャルの時間が増えるやうなとき、「とばせたらなあ」と思ふやうになる。

録画する番組は時代劇が多かつた。
日中再放送されてゐる番組である。
コマーシャルは「膝が痛い」だとか「髪が薄い」だとか「目が疲れる」だとかに効く商品のものが多い。
見てゐると、だんだん憂鬱になつてくる。
そして、毎回見るうちに、「もしかしたらほんたうにこの商品は膝の痛みに効くのかも」といふ気がしてくる。
ヤバい。
とてもヤバいのだつた。

「傷だらけの天使」くらゐの番組になると、当然DVD Boxも出てゐて、見たければそれを買へばいい、といふ話もある。

でもなー、違ふんだな。
見たい番組が、TVで放映されてゐる、といふのがいいのだ。
それも、何曜日の何時からとか、平日毎日何時からとか、定期的に放映されるのがいい。

おそらくこれつて紙芝居を待つこどもの心境なのだと思ふ。
あるいは次回の講釈を待つ人の心境か。

あめはないけれど、TVで放映する。きまつた曜日のきまつた時間、きまつたTV局で、見たい番組を見られる。好きな俳優が見られる。
それがいいんだと思ふんだな。

メディアを買つて、見たいときに見られるといふのももちろんいいし、そんなわけで「必殺仕掛人」のBoxは買ふつもりでゐるのだが。
でも、Boxを買つたとしとても、TVで再放送がはじまつたらまた見るね、「必殺仕掛人」。

ところで「傷だらけの天使」が終はつて、今度は「探偵物語」がはじまつた。
見るでせう。見るよね。

録画機が壊れてゐてもしばらくは楽しく暮らせさうだ。

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Wednesday, 03 January 2018

トワイライト・ウルトラ・ゾーン

「ウルトラセブン」の再放送が終はつてしまつた。
「ウルトラセブン」を見てゐてときをり感じてゐたのは、「なんだかまるで普通のドラマだな」といふことだ。
たとへば最終回に近い「あなたはだぁれ?」だ。
夜、小林昭二演じるサラリーマンがかなりきこしめした状態でタキシーに乗り、団地にある我が家に帰る。
出迎へかと思つた自分の妻も子も自分のことを知らないといふ。
近所の人も同様。
いつも挨拶してゐる交番の警官もまつたく自分のことを知らないやうだ。
困つたサラリーマンは公衆電話から電話をかけて助けを求める。
ここまでのやうすがまるで普通のドラマのやうだつた。
こども向けの特撮ドラマといふ感じがまるでない。
おそらく実際の団地でロケをしたのだらう、なにもかもとてもリアルなのだ。
小林昭二のサラリーマンもさうならその妻とおぼしき三條美紀もさう。近所の人々もだ。
演技もさうなら、衣装その他も大仰なところがまるでない。極めて自然で、当時ならさういふ服装もしてゐたらうといふやうすだつた。

さういへば「仮面ライダービルド」の浜田晃の登場場面にもさういふのがある。
銭湯とか神社の境内とか、さういふところに政界の黒幕がゐて、一見普通の人と変はらぬやうすでゐながらなにか悪事を企んでゐる。
さういふことは普通にありさうだ。すくなくともドラマの中ではあつてもをかしくない。
銭湯は若干唐突ではあつたものの、それ以外のとくに政治家の登場場面のセットが見るからに作りものなことを考へると、浜田晃の演技も含め、このまま二時間ドラマだとかゴールデンタイムに放映するドラマの一場面として用ゐてもをかしくない。

「あなたはだぁれ?」は舞台や人々のやうすをリアルにすることで恐怖感をあふらうとしたのだらう。
どこにでもあるやうな団地で、帰つてくると家族は自分のことは知らないといふ。
団地ごと宇宙人に乗つ取られてしまつたからだ。
あるいは原因は宇宙人ではないかもしれない。
たまたま自分がなにかのタイミングで異次元・異世界にすべりこんでしまつたのかも。
「ウルトラQ」から流れる「トワイライト・ゾーン」のやうな世界がそこにはある。

最近の特撮ヒーローものドラマにはない要素だ。
あるいは東映が「トワイライト・ゾーン」的なものに興味がないのかもしれない。
とくに戦隊ヒーローものは見るからに作りものといつた印象のセットが多いやうに思ふ。
現在のキュウレンジャーの宇宙船にしてもトッキュージャーの電車にしても、あるいはジュウレンジャーの人々が普段集まつてゐた場所の作りにしても、どこをとつても作りもののセットだ。
仮面ライダーもエグゼイドの病院の一室などは同様に見えたし、全般的に喫茶店やバーの作りも「こんな店ないよね」といつたやうすが見てとれる。

さう考へてみると「太陽戦隊サンバルカン」のサファリはよくできてゐたんだな。
セット自体はどこにでもありさうな喫茶店のそれだつた。
外観がうつることがあるからよけいにさう思つたのかもしれない。

作りものめいたセットが悪いといつてゐるのではない。
いつから作りもののセットがあたりまへになつたのかに興味があるのだつた。
いや、そらウルトラ警備隊の基地なんかだつてこれ以上の作りものはないよ。
「ウルトラセブン」の第一話などもよくぞ模型でここまで真に迫つた大火災を撮つたな、と思ふし。
でも、なんていふのかな、戦闘シーン以外の場面、普通の生活を描く場面を如何にも作りものですといつた風のセットで撮るやうになつた時期といふのが多分あるのだと思ふ。

模型で本物と見まがふやうな大火災といへば「怪奇大作戦」の「呪いの壺」だらうか。
去年「帝都物語」を見て、「「呪いの壺」の火災場面の方がずーつとよくできてゐる」と思つた。
残念ながら放映開始50周年を迎へる今年「怪奇大作戦」の再放送はなささうだ。少なくともやつがれの見られる局ではないらしい。
また「呪いの壺」を見て「寺が燃えてる!」と勘違ひする人がゐても困るのかもしれないな。

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Thursday, 26 October 2017

必殺仕掛人が好き

いはゆる必殺シリーズの再放送を日々見てゐる。

「必殺仕掛人」「必殺仕置人」「助け人走る」ときてゐて、このまま「暗闇仕留人」も放映してくれないかなあと思つてゐるところだ。

三作品見て、好きな順番でいふと「必殺仕掛人」「助け人走る」「必殺仕置人」かな。

なぜ「必殺仕掛人」が好きなのかといふと、話の筋が気に入つてゐる回が多いからだ。

再放送は録画をしてゐて、見る端から消してゐる。
「必殺仕掛人」は当初、なかなか消すことができなかつた。
第四話(放映してくれたんですよー。大友柳太朗がよくてねえ)くらゐ見て、「これはDVD Boxを買はう」と決め、消すことにした。
それくらゐ気に入つてゐる。
DVD Boxはまだ手に入れてはゐないけれどもね。

それでも消せてゐないのが第十二話「秋風二人旅」だ。
この回には天知茂が一人二役で登場する。侍の兄弟の役で、弟の素行に困つた兄が仕掛人に弟の始末を頼むといふ話だ。
仕掛人はきちんと依頼を果たすのだが、最後に梅安(緒形拳)は云ふ。
「もしかしたら、悪いのは依頼人だつた兄なんぢやないか」
といふやうなことを。

たいていの場合、必殺シリーズでは依頼人が悪かつたら依頼人も殺される。
さうでないと話に決着がつかないからかな。
なので、このオープンエンディング的な、実は一番悪い奴は野放し状態といふ終はり方にぐつと来てしまつたんだなあ。

必殺シリーズをはじめ、テレビの時代劇ドラマでは多くの場合、悪人は必ず処罰される。
必殺シリーズの場合だと、悪いことをした人間は必ず報復を受ける。
それを見て視聴者は溜飲を下げる。

それでいいのだらうか。

悪いことをした人間は必ず報ひを受ける、それは当然のことなのだらうか。
いやなことをされたら仕返しをしてもいいものだらうか。
現実の世の中では、答へは「否」だ。
さう思つてゐない人も多いよなと通勤電車に乗つてゐるときなどとくにさう思ふけれど、でも報復はよくない。いけないことだ。
いまの常識ではさういふことになつてゐると思ふ。

それはそれとして、やはり気持ちとしては仕返しはしたい。
でもできない。
さうした鬱憤を時代劇を見て晴らす。
晴らすだけならいいんだけどね。
さういふ話ばかり見てゐたら、「自分だつて仕返ししたい」と思ふやうになつてしまふのではないか。

なので、いまでは必殺シリーズを見るたびに「これはテレビの中のことだから」「これは作り話だから」と自分に云ひ聞かせるやうにしてゐる。
これが案外つらい。
つらいけど見てしまふんだけどね。

「必殺仕掛人」ではほかに佐藤慶の出演した第十九話「理想に仕掛けろ」も好きだ。
ちよつとあさま山荘を思はせるやうな話で、佐藤慶がカリスマ的な指導者の役を演じてゐる。
理想をよしとする左内(林与一)とそんなのうさんくさいよとする梅安とのやりとりが、いまはくどいやうな気もするが、これもいい。

あとは左内の過去の話とかもいいなあ。第八話「過去に追われる仕掛人」。
二人一役めいた話の第十話「命売りますもらいます」などはカメラワークもおもしろい。

やつぱりそのうちDVD Boxを買はう、と日記には書いておかう。

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Friday, 15 September 2017

あこがれの総髪撫付

総髪撫付系に弱い。
それも、軍学者系の髪を縛らないのに弱い。
時代劇を見てゐるとつくづくさう思ふ。

先日も「大江戸捜査網」は第三シリーズ第23話「恐怖の爆破作戦!」を見てゐて、天本英世演じる悪役が軍学者(兵法家といつてゐたかもしれない)で、総髪撫付と云ひたいところだが、髪の毛に油分も水分もまつたくないやうな、倉多江美のまんがに出てきてもをかしかないくらゐパサパサとした感じの撫でつけ感のまつたくない髪型で出てきて、それだけでぐつときてしまつた。
この回は理想に燃える若者として誠直也も出てゐて、特撮好きにはちよつとたまらない回だつたりはするが、それはまた別の話。

総髪で、しかも倉多江美ばりのパサパサ感が実に天本英世的でそこもよかつたんだよなあ。

時代劇で総髪撫付といふと、脳裡に浮かぶのは佐藤慶だつたり成田三樹夫だつたりするので、原点はそのあたりなのかもしれない。
似合ふよね、佐藤慶も成田三樹夫も。

「なのかもしれない」と書くくらゐなので、原点の記憶はない。
なぜ総髪撫付を好きになつたのかも不明だ。
基本的にみんな髷を結つてゐる中に、たいていはひとりだけオールバックで長く髪を垂らしてゐるところがよかつたのか。
はたまた、かういふ出で立ちで出てくる人物はほぼ間違ひなく悪役で、さういふところがよかつたのか。
両方かな。
まれに儒家とか山伏だつたりすることもあるけれど、これまたたいていは軍学者とか兵法家のことが多いのでインテリだつたりするしね。

悪のインテリをぢさま
ああ、流れ着く先はそこか。

木原敏江が、「江戸時代は髪の毛が風になびかなくてつまらない」といふやうなことを云つてゐたことがある。
インタヴューに答へた、みたやうな記事だつたやうに記憶する。
それを読んで、「それはそのとほりだなあ」と思つた。
さう云ひながら歌舞伎見るんでせう、といはれるとぐうの音も出ない。
でも、歌舞伎には歌舞伎のよさがある。
お姫さまのかんざしがゆらゆら揺れたりね。
助六さんなら鉢巻がなびいたり。
もつと云ふと、シケ(ほつれ毛)の揺れるさまなんていふのは、はたいふべきにもあらず、といふ感じで実にいい。

まんがでさういふのを表現するのはむつかしいんだらうなあ。

さういへば、時代劇を見てゐて軍学者だの兵法家だのの髪の毛が風になびくやうすといふのはあまり見たことがない。
みづから手を下すことがあまりないからか。
それともあの髪の毛はびつちり撫でつけてあつて、風になびかないやうになつてゐるのか。
単にやつがれが粗忽で見逃してゐるだけなのか。
今後も総髪撫付には注目していきたい。

ところで、ああいふ髪型に対するあこがれといふのもあつたりする。
なんだらう、時代劇でほぼ唯一、まねできさうな髪型だからかな。

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Wednesday, 13 September 2017

よかつたねぇの時代劇

TVドラマの時代劇では、どうしてこんなにたくさん人が殺されてしまふのか。

毎日喜々として「必殺仕置人」を見てゐる人間がなにを云ふ。
我ながらさう思ふが、一昨日見てゐてつくづく思つてしまつたのだ。
なぜ時代劇ではこんなにかんたんに人が殺されるのだらうか。

「必殺仕置人」を見ながらさう思つたのだが、さう思つたときにやつがれの脳内に浮かんでゐたのは別の番組だつた。
前日に見た「大江戸捜査網」とか、もつと前に見た「暴れん坊将軍」や「三匹が斬る!」などだ。

「大江戸捜査網」では、杉良太郎演じる十文字小弥太に変はつて、里見浩太朗演じる伝法寺隼人が登場する回を見た。
隼人と同時に、左右田一平演じる同心が隠密同心に新たに加はることになつた。
左右田一平演じる同心は、物語の前半で殺されてしまふ。

殺すなら出すなよなー。
さう思つてしまつた。

かういふのは見てゐるこちらの心理状態によつて変はつてくる。
おなじドラマを見てもどうとも思はないこともある。
今回はたまたまさう思つてしまふ時期だつたのだらう。

「暴れん坊将軍」で思ひ出したのは、悪人に目を付けられた男が殺される話だ。
それは、いい。
よくはないかもしれないが、話の展開としてはありだ。
だが、その男の妻が殺される段になつて、「それは不要なんぢやない?」と思つてしまつた。
話自体は上様の立ち回りと「成敗!」のひとことで片が付く。
だが殺された夫婦には娘がゐた。
この娘はどうなるのだらうか。
ドラマは、め組の人々や隣近所の人がそれとなく娘を助けてくれさうだ、といふやうすで終はる。
だが、次の回以降、この娘は出てはこない。
そらさうだ。
この回一度きりのゲストだもの。
でも思ふのだ。
あの娘さんはどうなつてしまつたのだらう。
結局暮らしに困つて苦界に身を沈めるやうなことになつてはゐないだらうか。
せめておつ母さんだけでも生きてゐたら……
さう思はずにはゐられない。
母親が生きてゐたからといつて生活が楽になるとは限らないけれど。
だけどひどいでせう。
話の展開としては、男が殺されるだけで十分だつた。
なぜその妻まで殺してしまつたのか。
いまになつてもわからない。

かう書いてゐて、男と女とが逆だつたやうな気もするし、娘ではなくて幼い子供だつたやうな気もする。
が、大勢には影響がないのでこのままにしておく。

「三匹が斬る!」もその伝だつたやうに思ふ。
悪人に目を付けられた村人が殺されて、さらに第二第三の殺人が起こる。
そんなやうな内容だつたと思ふ。

いづれにしても、そんなにたくさん殺さなくても物語に影響はないのに、と思はせてしまふやうな話だつた。

そして、たまたま「そんなにたくさん殺さなくてもいいのに」と思つてしまふやうな精神状態のときに見たドラマだつたわけだ。

なんといふか、時代劇といふのは、もつと、こー、見てゐてほのぼのするもの、といふ勝手な思ひ込みがあるんだらうな。
必殺シリーズほか、例外はあるけれども。

水戸黄門などは見たあと「よかつたねえ」で終はるものだと思つてゐるし。
途中で殺される人がゐても、最後は印籠の力で(違)すべて解決し、芥川隆行のナレーションで終はる。

考へてみたら、水戸黄門が去つたあとも「よかつたねえ」がつづくとは限らないんだよね。
その場はおさまつたかもしれないけれど、御老公が去つたあとはなにごともなかつたかのやうに以前の状態に戻る。
そんなこともあるだらう。
さういふことの方が多いのかもしれない。

でも普通はさういふことは考へない。
めでたしめでたしで終はつたら、「よかつたねえ」と思ふ。

めでたしめでたしで「よかつたねえ」だと、途中の話を忘れてしまひがちなのかもしれないな。
物語の中で罪もない人々がむやみやたらと殺されてしまつたことなど記憶の彼方に消へてしまうのかもしれない。
それで「TVの時代劇イコールなんとなくほのぼのするもの」と思ひ込んでゐるのだらう。

人はやたらと殺されるけど見終はつたあとなんとなくよかつたなと思ふ「座頭市物語」(TV版)のやうな番組もあるしね。
「座頭市物語」(TV版)は、基本的に「善人は死なない」「悪人でも女の人は死なない」「悪人は市に斬り殺される」といふお約束がある。例外もあるけれど、わりとかういふ話が多く、途中殺伐とした気分になつても最後は「よかつたねえ」で終はる。
でも好きなのは浅丘ルリ子回(善人も死ぬ)だつたりするので、つまるところ、やつがれは人の死にすぎる時代劇が好きなのだらう。
毎日「必殺仕置人」を喜々として見てゐるくらゐだもの。

それでも「人が殺されすぎる」と思つてしまふところがある、といふのが人の心といふのはふしぎなものであることよ。

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Thursday, 07 September 2017

「可愛い悪魔」のおそろしさ

九月三日日曜日、新文芸坐で「可愛い悪魔」を見てきた。

以下、「可愛い悪魔」の核心にせまる部分があるので、ネタバレを厭ふ方とはおさらばさらば。

「可愛い悪魔」は「火曜サスペンス劇場」で放映された二時間ドラマである。
リアルタイムで一度見たきりで、忘れられないドラマだつた。
「花筺」公開を記念して新文芸坐で大林宣彦監督作品特集を開催するにあたり「可愛い悪魔」もラインアップされてゐるといふので、万難を排して見に行つた。

見に行つて、すつかり忘れ去つてゐることも多々あつた。
主人公・涼子(秋吉久美子)がドラマの冒頭で精神病院に入院させられる、とか。
番組の最後で精神病院の医師(峰岸徹)とシスターでもある看護婦とがアリス(ティナ・ジャクソン)と一緒にスキップしてゐる、だとか。

見て思ひ出したこともある。
みなみ・らんぼうのゆる〜いアヤシさだとか。
ドラマの中では父親殺しはアリスのせゐではないことになつてゐる、とか。
これは上映後の樋口尚文と秋吉久美子とのトークショーで聞いて思ひ出したことだが、当時「可愛い悪魔」といつたら秋吉久美子のことだつた。その秋吉久美子が「可愛い悪魔」の被害者を演じるといふのが、見てゐて意外だつたしおもしろかつた、とか。

そのトークショーで「可愛い悪魔」の怖さについても語つてゐた。
捨てカットがまるでない、とかね。
全篇緊張感にあふれてゐるのである。
二時間ドラマは気楽に見られる番組だつたやうに思ふ。
放映時間的に、家庭の主婦は夕飯の片付けをしながら見てゐることもあつたのではないか。

そこに捨てカットなしの、つねに緊張感あふれる映像かつ内容の物語が放映されたら。
そりやあ忘れられないよね。

ものの映し方も、人形ひとつとつても怖いし、「あ、あれ、あとで使ふガラスの花瓶だ」と思ふだけで怖い。知らなくても、ガラスの花瓶が空の状態でおいてあるだけで怖い。

アリスがまた怖いしね。
どこまで悪意があるのか。
悪意はまるでないのか。
人が死ぬといふことがどういふことか、理解してゐるのかゐないのか。

このトークショーでは話題にならなかつた点で、もうひとつやつがれが怖いと思ふ点がある。
それは、主要な登場人物の衣装がほぼ白もしくは白つぽい色である、といふことだ。

主人公の涼子がたまに黒つぽい衣装を着ることがあるのと、アリスが学校に行くときの制服が黒つぽいことを除くと、病院関係者はもちろん、渡辺裕之も赤座美代子もみなみ・らんぼうも皆白もしくは白つぽい衣装で出てくる。
渡辺裕之とみなみ・らんぼうとは上下とも白だし、涼子とアリスとも基本は白か白つぽい衣装だ。

それのなにがこわいのかといふと、ドラマ冒頭では赤いセーターに黒つぽいパンツとかだつた涼子が、精神病院に入れられると真つ白な服を着せられるからなのではないかと思ふ。
すなはち、主要な登場人物はみなどこかしら病んでゐるのではないかといふ気がしてくるのだ。
どこかしら精神を。

さう考へてみると、いつたいなにがほんたうなのかわからなくなつてきて、実に怖い。
この物語自体は涼子あるいはアリスの中の妄想なのかもしれないといふ気すらしてくる。

この日、客席には病を押して大林宣彦も来てゐた。
苦しげに呼吸しながらも、いろいろと語つてくれた中に、今回見返してアリスの「死んぢやへ」といふつぶやきがどこから来たのかわかつた、ということがある。
先の大戦中、日本人の戦闘機乗りが「死んぢやへ」と云ひながら英米軍を攻撃する、攻撃されてゐる方は苦しんでゐる表情をしてゐる、といつたポンチ絵のやうなものがあつた。
アリスの「死んぢやへ」はそれがもとになつてゐる、といふのだつた。

なんでもかんでも戦争(反対)に結びつけるのは、やつがれはかはない。
このときも、最初に聞いた時は「なんでもかんでも戦争に結びつけなくてもいいのに」と思つた。
「花筺」の宣伝にしても、だ。

でも考へた。
たぶん、戦争の時、敵国を攻撃する兵隊は相手に対して「死んでしまへ」といふ感情を抱くのだらう。
戦時のとくに兵隊はさういふ気持ちになるのだらうと。
いまなら「それは間違つてゐる」といへる。
だが、その場に自分が置かれたら「間違つてゐる」といへるだらうか。

アリスは通常の世界に住んではゐないのだ。
自分の意に反するものはすべて敵。
敵は死んでもかまはない。
それはおそろしいことなのではあるまいか。

今後、「可愛い悪魔」を見る機会はないかもしれない。
あつたら、そんな視点でドラマを見てみたいものだ。

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Thursday, 24 August 2017

再見「帝都物語」と記憶の編集

昨日、京橋にある東京国立近代美術館フィルムセンターで、「帝都物語」を見てきた。
三十年くらゐまへに一度だけ見た。
「坂東玉三郎が男役を演じる、それも泉鏡花」と聞いたからである。

映画の「帝都物語」で覚えてゐることといへば、この鏡花先生と、高橋幸治演じる幸田露伴、そしてやはり加藤保憲だ。

すこし前に調べたらなんかものすごく豪華な配役陣だつた。
すつかり忘れ去つてゐる。
それだけ加藤保憲の印象が強かつたのだらう。

今回見直して、あまり脳内で作り上げた記憶はなかつたこともわかつた。
記憶の中では露伴が黒い手甲のやうなものをしてゐたけど、たぶん作つたのはそれくらゐだ。

それよりも忘れてゐることの方がずつと多い。
桂三枝(当時)つてこんなに活躍してたつけか、だとか。
これは見ても全然思ひだせなかつた。
島田正吾が二度目に出てくるときはちやんと老けてゐる、とかね。
出番もそんなに多くないし、もともと老けてゐる人物といふ設定だ(らう)から最初から老人然としてゐるのだが、時間の経過を感じさせるんだよなあ。

大滝秀治になんだか妙に説得力があるとか。
序盤の物語に説得力を生み出してゐるのは平幹二郎であるとか。
学天即に触れるときの西村晃の表情とか。
さういふ部分は見て思ひ出した。
東京の改造計画の場面もさう。

高橋幸治を覚えてゐるのは登場場面が多いからだらうくらゐに考へてゐた。
それも確かにさうなんだけれども、見返してこの中で一番影が似合ふ俳優だからだな、といふことにも気がついた。

再見とは、なかなかいいものだ。

最近は忘れないやうに見た芝居や映画、読んだ本のことはできるだけ書き留めるやうにしてゐる。
書き留めて、しかし、疑念もないわけぢやない。
見聞きして読んで覚えた感情をすべて書き尽くせるわけではないからだ。
忘れてゐることもあるしね。
自分のことばで表現できなかつたことは、記録できない。
ゆゑに忘れてしまふか記憶の中で編集されるかどちらかになる。
忘れてしまふのも記憶の編集のひとつかな。

「帝都物語」については、最初に見たあとなにも書かなかつた。
あまり思ひ出すこともない。
ゆゑに忘れるだけで、あまり記憶の編集はされなかつたやうだ。
その方がいいのだらうか。
悩むな。

ところで鏡花先生はやはりよかつた。
夜、背中から映した絵の横顔の後頭部から肩に流れるラインのなんとなだらかで麗しいことよ。
ほぼシルエットのやうな横顔の頭から肩にかけてのラインのうつくしい絵つて、実相寺昭雄のほかの映画にもあつたな。
さういふ絵に弱いらしいことをあらためて確認する夜でもあつた。

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