Friday, 03 July 2020

映画の中の音楽とその使はれ方

先日、T・ジョイ横浜で「ベイビー・ドライバー」を見た。
T・ジョイ横浜は、横浜駅直結のビルにできた映画館だ。NEWoManの中にある。
ここでゲキ×シネの「けむりの軍団」の先行上映をすると聞いて、予告篇のひとつも見られないかと行つてみたのだつた。
「ベイビー・ドライバー」は以前見たことがある。
ほんとはなにか新しい映画または見たことのない映画を見たいところだつたけれども、これといつてなかつたので「ベイビー・ドライバー」になつた。

そんなに好きな映画なのか、と問はれると、「うん」とは云ひ難い。
でも、もう一度、できれば応援上映のときに見てみたいなあと思つてゐた。
「Brighton Rock」とか、一緒に歌つてみたいぢやん。
あるいは「Baby Driver」とかさ。

公開当時この映画の噂はTwitterのTLで見てゐて、「え、そんな映画なのに「Baby Driver」なの? サイモン&ガーファンクルなの?」と思つた。
それで見に行つたら、やつぱりS&Gだつたわけだ。
S&Gには好きな曲はいくつもあるけれど、「Baby Driver」は一番脳内ループしやすい曲だ。
気がつくと歌つてゐる。
しかも、劇中「Brighton Rock」がすばらしい使はれかたをしてゐる。
今回見て、「ああ、これはいい使ひかただな」とあらためて思つた。

自分が好きな曲がドラマや映画に使はれるのつて、なにかとむつかしい。
おなじクイーンでいふと、去年上演された野田秀樹の「Q」だ。
劇中で「オペラ座の夜」に収録されてゐる曲をすべて使ふといふことだつた。
当時Twitterで検索をかけたところ、この件でだいぶおかんむりのクイーン・ファンがゐた。
曲の使ひ方がひどすぎる、といふのだ。
曲がぶつ切りすぎる、とか。
これはまあ、仕方のないことかと思ふ。
全部かけてゐたらそれだけで45分ほどかかつてしまふし。
映画「ボヘミアン・ラプソディ」だつて編集せずに流した曲はほとんどないはずだ。編集がうまかつたといふことはあるけれども。
或は、歌詞の意味などなにも考へずに雰囲気だけで使つてゐる、とか。

実際に観に行つて思つたのは、別段「オペラ座の夜」の全曲を使ふ必要はなかつのたにな、といふことだ。
「Love of My Life」だけでよかつたのではあるまいか。
あとはせいぜい「Bohemian Rhapsody」くらゐで。
さう云ひながら「Lazing on a Sunday Afternoon」の使ひ方にはちよつと背筋がゾッとしたことも確かだけれども。「There he goes again」の部分ね。

一方、「ベイビー・ドライバー」の「Brighton Rock」の使ひ方はどうだらう。
以下は映画の核心に触れる部分があるので、ネタバレを厭ふ向きにはお気をつけ願ひたい。

まづはかんたんに映画の内容を説明しやう。
主人公は耳に障害を負つた孤児の青年、通称ベイビーだ。
こどものころ、両親と車に乗つてゐるときに交通事故にあつて、それ以来耳鳴りがやまない。
両親はこの事故で命を落とした。
耳鳴りを消すためにiPod等で四六時中音楽を聞いてゐる。
運転の腕はピカイチで、強盗を指揮する男の元で働いてゐる。
といふのも、大量の麻薬を乗せた男の高級車を盗み、車を麻薬ごとダメにしてしまつたことがあるからだ。
その負債を返すために男の悪事に加担してゐる。
強盗はベイビー以外は毎回メンバーを入れ替へて行ふ。

あるとき、メンバーのひとりバディがベイビーに何を聞いてゐるのかと問ふ。
「Brighton Rock」だと知ると、バディは「あのすごいギターソロのある曲だろ?」などと云ひ、自分にも聞かせてほしいとベイビーのヘッドホンの片方を借りる。
「何度も聞いたよ、「Sheer Heart Attack」」だとか「兄貴が練習してゐた」などと語る口調もどこか熱い。
さうさう、好きな曲を語る時つてさうなるよね。
それも、おそらくは普段は聞いてゐないけれども、若い頃幼い頃好きで何度も聞いたやうな曲について語る時はさ。
多分、バディは「Sheer Heart Attack」リリース時にはまだ幼かつただらう。
だから「兄貴が」といふセリフが出てくる。
年の離れた兄貴だつたに違ひない。
セリフからさうしたこともわかる。

このメンバーでの強盗は失敗に終はる。
それによつて恋人を失つたバディは、ベイビーを仇とつけねらふ。
ここで「Brighton Rock」が流れるんだなあ。
車の騒音や銃声でかき消される部分もあるし、編集によるカットもある。
だが、この場面の「Brighton Rock」の使ひ方はすばらしい。
ベイビーとバディとがともに聞いた曲であることもひとつ。
それまで比較的理屈の通用するタイプだつたバディが狂気を見せる、そのやうすと曲の狂気とが相乗効果を見せる。
さう、この場面で流れる「Brighton Rock」は狂気だ。
#「The Dark Side of the Moon」ぢやないよ(笑)。
狂気の「Brighton Rock」。
いいなあ。
歌詞も意味深といへばさう。
ずつと正体を隠してきた人間を歌つた歌だもの。

そんなわけで、見に行つてすつかり満足して帰つてきたのだつた。
さういや予告篇で「地獄の黙示録」を見た。
この映画も「ヴァルキューレの騎行」の使ひ方がすごいよね。
あの曲を聞くとヘリコプタが脳裡に浮かぶもの。

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Friday, 29 May 2020

逆輸入: スパイク・スピーゲル

久しぶりに「Tank!」を聞いた。
アニメ「COWBOY BEBOP」の主題歌だ。
ここのところ新型コロナウィルスの流行で演奏家や歌手がそれぞれの居場所にゐながらセッションをしてその動画を投稿するといふことがしばしばある。
「Tank!」もそのひとつだつたやうだ。

「COWBOY BEBOP」といえば、ハリウッドで実写化といふ話はどこにいつたのだらうか。
最初はキアヌ・リーブス主演で、といふ話だつた。
その後実写化の企画は流れたといふ話で、しかし、やはり生きてゐるといふ話を聞いてそのままになつてゐる。

その「Tank!」を聞いたときにこんなことをつぶやいてゐる

そういや、母さん、消えたと思ったら生きてた「COWBOY BEBOP」の実写映画化、どうなつたんでしょうね。ええ、夏、碓氷から霧積へ行く道で見たあの「COWBOY BEBOP」ですよ。母さん、あれは好きなアニメでしたよ。
これへの返信で「松田優作つながり」とも。

こどものころ、松田優作はそんなに好きではなかつた。
といふか、自分には関係のない俳優といふ感じだつた。
主役体質の俳優はあまり好きにならない。
それはいまも昔も変はらない。
脇役の松田優作つてあんまし記憶にないんだよね。
見るときはいつも主役。
そして、一緒に出てゐる脇役に気を取られてしまふ。
有り体にいへば成田三樹夫とかですね。

それが、二年前に「探偵物語」の再放送を見てゐたら、これがなんだかいいのだ。
工藤ちやん、スパイクみたやう。
それが理由だつた。

逆だらう?
「COWBOY BEBOP」のスパイク・スピーゲルが松田優作(&ブルース・リー, and all)だらう?

さうなんだけどさ。
なんかかう、逆輸入的に(違ふか)よかつたのだ。
同時期に「蘇る金狼」とか「最も危険な遊戯」とかを映画館で見る機会があつて、やつぱりスパイクだなあ、としみじみ思つた。
シルエットとかね。動きとか。とつてもスパイク。

スパイク・スピーゲルが好きな理由は、主人公なのに主人公臭がないことだ。
主役なんだけどな。
そして、「COWBOY BEBOP」が好きな理由のひとつもそこにある。
思へば「銀河旋風ブライガー」や「疾風!アイアンリーガー」が好きなのもそれだ。
主人公が主人公つぽくない。

で、「探偵物語」や「蘇る金狼」を見返して松田優作のことが好きになつたかといふと、うーん、多分、さうでもない。
でも、以前より出演作があつたら見てみたいなと思ふやうになつた気はする。
二年前に映画館に行つたのも、「ちよつと確認してみるか」といふ気持ちだつたやうに思ふし。

かくして新たな道が開けることもあるのだなあ。

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Friday, 20 March 2020

自己肯定感と「スローな武士にしてくれ」

NHKの地上波で「スローな武士にしてくれ」の再放送を見た。
衛星放送で放映したときは二時間だつたのが一時間半に短縮されてゐたと見終はつてから聞いたが、自分でどうかうできる問題ではないので仕方がない。

おそらくはあちらこちらで紹介されてゐることとは思ふが念のためあらすじを書いておく。
京都は太秦にある京映撮影所に、NHKから最新技術を駆使したパイロット版の時代劇を撮らないかといふ依頼が舞い込む。
京映側は監督はじめヴェテラン揃ひで、つまりは最新技術には疎いがドラマ作りにおいては一流の人材ばかり。
主役にはパイロット版といふこともあり、殺陣の腕前は抜群だがセリフを云はせると声がひつくり返つてしまふ大部屋俳優・村田茂雄を大抜擢する。
撮るのは新選組のドラマ。主人公は近藤勇で、池田屋討ち入りをクライマックスにもつていく。
NHK技術ラボのほこるさまざまな最新鋭の技術を用ゐて、撮影はつづく。
みたやうな。

あとはもう池田屋の場面を撮るばかり、村田茂雄こと茂ちやんが大部屋で愛妻弁当を食べてゐる場面がある。
そこに仲間である大部屋俳優の城ちやんが入つてくる。
茂ちやんは城ちやんに云ふ。
この撮影ももうあと少し。これが終はつたら晴れて大部屋俳優に戻れる、身の丈にあつた斬られ役に戻る、と。
語り口調も穏やかで、それが一番いいことなのだといつたやうす。

これに城ちやんが食つてかかる。
自分(たち)が茂ちやんのことをどんなにうらやんでゐるか、主役が分不相応だなんてどの口で云へる、どれだけ恵まれてゐるのか、わかつてゐないのか。
違ふところもあらうが、まあ、概ねそんなことをぶちまける。

実は城ちやんは茂ちやんの奥さんのことが好きだつたりもする。それで茂ちやんのことをうらやんでゐるといふこともあるのだが、でも、どちらかといふと、城ちやんは茂ちやんの腕前を認めてゐるんだと思ふ。

チャンバラの腕前は誰にも負けないのに、緊張しがちでセリフを云はせれば声の裏返つてしまふ茂ちやんが、はがゆくて仕方がない。
さういふ面もあるのぢやあるまいか。

翻つて、茂ちやんの気持ちもわかる。
茂ちやんは、おそらくあんまり自己肯定感の高い人ぢやないのだ。
いつでも監督はじめいろんな人からセリフがまづいの演技ができないだのと叱られて、自己肯定感を持てといふ方がムリな状況にずつとゐたんだと思ふ。
だから、主役に抜擢されても「パイロット版でセリフがなくてもすむから」「殺陣の腕を買はれただけだから」「だからこの撮影が終はつたらもとの暮らしに戻るだけ」、そんな風に考へてゐる。
この大抜擢をきつかけにのしあがらうとか思つてゐない。
だいたい年も年だしね、とか。

でも、あんなにすばらしい腕の持ち主なのに。
と、ドラマを見る方は城ちやんに共感するのに違ひない。
自分を卑下しがちな人間は、「さうは云つてもさ」と思つたりするんだらうけれど。

物語の主人公で自己肯定感の高くない人物には、なにかしら他の追随を許さぬやうな能力がそなはつてゐたりする。
現実はなかなかさうはいかないんだけどね。

城ちやんにいろいろ云はれて、茂ちやんは自分の境遇をちよつと見直す。
あとはドラマを見てもらひたい。

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Friday, 10 January 2020

TVドラマと映画

去年映画館や上映会で20本以上映画を見てゐるといふので我ながら驚いた、と先日書いた。
あれこれ見返してゐて、もしかしたら録画機が壊れたことが理由なのではないかと思つた。
四年前に、「地方局でなら時代劇の再放送をしてるかも?」と思つてTV欄を確認してみたら放映してゐるぢやあありませんか。

といふわけで、そこから「鬼平犯科帳」「大江戸捜査網」「座頭市物語」「必殺シリーズ」などを日々見てゐた。
楽しかつたねえ。
ここにも何度か感想めいたものを書いてゐる。
録画を見ながら実況めいたことを呟いたりして、フォローしてくだすつてゐる方々にはさぞかしご迷惑だつたことかと思ふ。

そのころはもうほとんどTVを見てゐなかつた。
日々の天気予報と、日曜の朝のこども向け番組と将棋番組、見てもそれくらゐだつた。
でも、時代劇の再放送を見てゐると、「TV、おもしろいぢやん」と思へた。
そのうち「傷だらけの天使」も見たりとかね。おもしろかつたね。
出演する俳優がかぶつてゐたりするのもよかつたのかもしれない。

それが見られなくなつて、一年くらゐたつ。
あのときの楽しい体験をもう一度。
さう思つて映画を見に行つてしまふのかもしれない。
だから新作映画は4本くらゐしか見てゐないのかも。

映画は好きではあるけれど、映画館にはそれほど行くことはなかつた。
家で見るといふこともあまりしない。
自分はさうだと思つてゐたんだけどね。

今年はどうなるだらうか。

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Friday, 20 December 2019

「アナと世界の終わり」

現在は別の「アナ」の映画が上映されてゐるかもしれないが、いまさらながら「アナと世界の終わり(Anna and the Apocalypse)」である。

ホラー映画は苦手だ。
怖いからだ。

それなのに、なぜ見てしまつたのか。
別の映画に通つてゐるあひだ、何度もこの映画の予告篇を見たからだ。
云ふでせう、ゴキブリだつて毎日見てゐるうちに平気になつてくるつて。
予告篇にはゾンビはほとんど出てこないが、とにかくこの映画を見たくなつてしまふくらゐ何度も見た。

予告篇を見るうち、主役のアナが気になつてねえ。エラ・ハントが演じてゐる。
また、ともにゾンビと戦ふらしいボーイッシュな子もよかつた。ステフといふ名前で、サラ・スワイヤーが演じてゐる。
さらに、アナが決意の表情で云ふ「YOU are my best friend.」といふせりふにぐつときてしまつた。
「ボヘミアン・ラプソディ」とか見てるころだつたからさ。

で、見に行つてよかつたと思つたけれど、でももう二度とホラー映画は見に行かないな、と思った。

なぜといつて、ホラー映画の予告篇はやつぱりホラー映画だからだ、といふのがまづ一つ。
予告篇が怖い映画ばかりなんですよ。

あと、やはりゾンビは怖い。
見てくれが怖いし、動きは緩慢なのになかなか倒せないのも怖い。

でも映画はおもしろかつた。
過去のゾンビ映画へのオマージュがそこかしこにちりばめられてゐたといふ、そのおもしろさは残念ながらわからなかつたけど(見てゐないからね、過去のゾンビ映画を)、ゾンビ映画なのにミュージカル、といふのがとても奇妙でよかつた。
歌もひとつひとつとてもいい。

イギリスのどこか郊外の街で暮らす高校三年生の、先行きの見えぬ状況、見えぬなりに「ああしたい」「かうしたい」といふことはある、さういふ希望と不安と不満とにゆれ動く感じ。
ゾンビだらけのこの街を出て行つたとして、世界中がゾンビだらけかもしれないといふおそろしさ。
なにしろジャスティン・ビーヴァーもゾンビになつてしまふんだからね、この映画の中では。
しかも世の中はクリスマスなのに。

登場人物も魅力的だ。
予告篇で気に入つたアナとステフとは、やつぱりすてきだつた。
ステフはおそらくLGBTなんだと思ふ。親がフリーダムで、その結果娘が生活苦の人々などを助ける運動に邁進してゐて学校と衝突する、といふやうに見えておもしろい。

アナは、魅力的だ。
ちよつとした表情がとてもチャーミングだし、歌も踊りも演技もいい。
振り付けはステフを演じたサラ・スワイヤーが担当したといふ。
アナは、母を亡くして父と二人暮らしで、父には大学に行くといふ話をしてゐるが、密かに海外に出やうとしてゐる。いはゆる gap yaer といふものだと思ふのだが、映画の冒頭でその計画が父にバレて反対される。

父との軋轢、学校での満たされぬ日々、元カレや友人との関係、将来への期待と不安、そこにゾンビ、ですよ。

ほかの登場人物もいいんだけど、中でも悪役な教頭のサヴェッジが「日本でやつたら粟根まこと」といふ感じでよかつたなあ。
ひどい奴なんだよ、このサヴェッジが。名前も名前だけどさ。

サウンドトラックを買ふつもりで買へてゐない。
最近はCDとか出ないんですね。

クリスマスの時期でもあるし、ダウンロードしてみるかな。

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Friday, 13 December 2019

今年見た映画 2019

討入りイヴともなると、もう今年も終はりだなあと思ふ。

夕べは「今年最後の満月」などといつてもりあがつてゐたが、かういふのはあまり好きではない。
満月なんていつだつてこの世で最後かもしれないぢやあないか。
「今年最後」だとかいふ人は、あまり死を思ふことはないのだらう。
思つたからといつていいことがあるわけではないが。
あまり思はない方があつさり死ねるのかもしれないしな。
死のことばかり考へてゐると、去り際が意地汚くなる可能性もある。
よくわからないけれど。

とはいへ、今年一番おもしろかつた本だとか芝居だとか落語だとか映画だとかをあげるのはいいと思つてゐる。
なにかの区切りを設けて、その期間、自分がどうしてゐたのかをふり返るのはよいことだ。
たぶんな。

しかし、本はまだ読むし、芝居はまだ歌舞伎座も国立劇場も新橋演舞場も残つてゐる。落語会にもまだ行く予定だ。
映画は「カツベン!」を見に行くつもりでゐるが、年内はそれくらゐかな。

でも今年見た新作映画はいまのところ四本だけだ。
・映画 刀剣乱舞
・翔んで埼玉
・アナと世界の終わり
・ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス

映画館(上映会も含む)には四十回以上行つてゐるんだけどねえ。
そんなわけで、リヴァイヴァルといふか再上映でおもしろかつたのは「ベン・ハー」とか「雄呂血」とか「聖なる酔っ払いの伝説」とかだらうか。
あ、今年は「仁義なき戦い」の一挙上映も見たのだつた。これはおもしろかつたけれどさすがに疲れた。来年はちよつと考へたい。

新作映画でいふと、「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」が圧倒的におもしろかつた。
ドキュメンタリなので別枠かもしれないが、おもしろいものに境界はない。

図書館とはなにか。
資料を保存するところか。
利用者に本をはじめとする知識・情報を提供するところか。
それはさうなのだけれども、それを端緒にさまざまなことを行つてゐるのがニューヨーク公共図書館だ。
目指すところは人々の幸せ、といふと抽象的か。
如何に自立して生きていけるか。
その手助けをしてゐるところだ。

本邦の図書館もかうなのか。
あるいはかういふ取り組みをしてゐる図書館もあるのか。
不明にして知らない。
本邦では司書の地位がさがるばかりで、といふ話がある。
かつて、図書館といふのはおそろしいところだつた。
かつて、本の貸し借りをするカウンタにゐる司書はひどく無愛想だつた。
それがいまは違ふ。
カウンタにゐる人は明るい人ばかりだ。心なしか依然よりも腰が低いやうな気さへする。
委託の業者から派遣されてゐる人たちなのだ、といふことをのちに知つた。
では以前ゐた司書の人々はどうしてゐるのだらう。

また、数年前から民間の企業が図書館の運営を司るといふ事例が取り沙汰されてゐる。
その結果、重要な資料が大量に廃棄されてしまつたといふニュースも見かけた。

図書館つてなに?
「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」を見て、あらためて考へてしまふ。

ほかの映画についても書きたいが、とくに「絶対見ることはない」と思つてゐたゾンビ映画の「アナと世界の終わり」については書きたいのだが、機会があればまた。

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Monday, 02 December 2019

This-Is-The-BBC Waistcoat

This_Is-The-BBC Waistcoat

スチームアイロンをあてるのはあきらめて(我が家にはもう霧吹きはない。「いだてん」を見て「捨てるのではなかつたか」と思ふことしきり)、とりあへずヴェストを仕上げてみた。

その名も「This-Is-The-BBC Waistcoat」だ。

説明しやう!
このヴェストは映画「ボヘミアン・ラプソディ」でほんものの方のブライアン・メイが着てゐたヴェストをモデルに編んだものだ。

BBCの「トップ・オブ・ザ・ポップス」といふ番組でクイーンが「Killer Queen」を披露する場面に、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラーをはじめとする関係者がモブ的に出演してゐる。

出演してはゐるけれど、人によつてはScreenXでないと確認できないやうだ。
映画のBlu-rayを見てもわからないんぢやないかな。Blu-rayは見てゐないからわからないけれど。

そんなわけで、形もメンズのヴェストを参考にして、色はできうるかぎりモデルに近いものを選んだ。
名前も英国風にwaistcoatだ。全然正装向きぢやないけれど。
でも、ワイシャツにネクタイをしめた上にこれを着て職場に行つても全然問題ないと思ふ。ヴェスト禁止といふことさへなければ。

おなじ場面でほんものの方のロジャー・テイラーの着てゐたカーディガンも編みたいと思つてゐる。
灰色のちよいとへちまカラーみたやうなカーディガンで細い縄編み模様が入つてゐる。
なにもないところが編みはじめることを考へると、かなりの大作だ。すくなくともやつがれにとつては。
また、背中がどうなつてゐるのかわからないといふのも痛い。
いづれにせよ、この冬のあひだに完成することはないと思つてゐる。
まづモデルとおなじ模様が編めないといけないしねえ。

この場面のブライアンのヴェストの色とロジャーのシャツの色とがほぼおなじだつたりするのもおもしろい。

そんなわけで、久しぶりのヲタ編みだつた。

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Friday, 29 November 2019

映画館でスマートフォンを使ふ

最近TwitterのTimeLineで、映画館で映画を見てゐる最中にスマートフォンを使ふことについてのつぶやきがいくつか流れてきてゐる。

今年はずいぶんと映画館に行つたけれど、上映中にスマートフォンを使つてゐる人を見かけたことはそれほどない。
立川シネマシティで「ボヘミアン・ラプソディ」の爆音応援上映のときにスマートフォンを使つてゐる人を見かけたときには仰天したけれどもね。
だつて前売券発売開始直後に即売り切れるやうな、チケットを入手するだけで大変な映画だよ。
スマートフォンを使つてゐた人だつて、さうしてチケットを取つたことだらう。
もしかすると、戻りチケットを取つたのかもしれないが、それだつて戻るのをしよつ中確認する必要がある。
そこまでしてチケットを取つて、それでも上映中にスマートフォンを確認せずにはゐられない。

映画を見てゐる最中にスマートフォンを使ふ人の云ひ分は、「二時間は長すぎる」「二時間も放置すると仲間はづれにされさうで怖い」などだ。

だつたら映画館に映画を見にくる必要はない。
ネット配信や、DVD・Blu-rayになるのを待つて、家で見ればいい。

電車やバスの中でのスマートフォンの使用禁止にはそこはかとない陰険さを感じる。
「マナーモードでご利用ください」はわかるが、優先席付近での使用を禁止するといふのは、初期の携帯電話のころならともかく、いまはどうなんだらうと思ふ。
#間違つてゐたら教へてください。

だが、映画館は違ふ。

なぜ違ふのかといふと、スマートフォンの画面が明るくて映画が見づらくなるからだ。
映画館では暗いところで映画を上映する。
明るくなると映画が見づらくなる。
だから出入り口も廊下などの照明が影響しないやう作られてゐることが多い。
上映中、気分が悪くなつたりどうしてもお手洗ひに行きたくなつたりした客がゐたとき、ドアを開けて外の明かりが入つてきたせゐスクリーンが真つ白になつてしまふといふことを避けるためだ。

映画を見てゐる最中にスマートフォンを使ふ人は、そこの理屈がわからないのだらうか。
わかつてゐても「自分ひとりならかまはない」と思つてゐるのだらうか。
いづれにしても、さういふ人が映画館に行くのは間違つてゐる。

さういふ人が来なくなつたら、ますます映画館はさびれていくのかもしれないが。

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Friday, 08 November 2019

ボヘミアン・ラプソディ発高砂屋経由山村聰行

去年の11/9、映画「ボヘミアン・ラプソディ」が封切られた。
当初、見に行くつもりはなかつた、とは以前書いたとほりだ。
そんなわけで、「ボヘミアン・ラプソディ」には封切りの日ではなく、翌日に行つた。

その日は昼間に国立劇場に行く予定があつた。
「名高大岡越前裁」を見に行つた。
記録を見ると、かなり気に入つたやうである。
なにしろ、中村梅玉の大岡越前がよかつた。
裃が似合ふんだよねえ、高砂屋。
配下のものにもものすごく尊敬されて愛されててさ。
「あー、わかるわー」とか思つてしまつた。

配下のものには坂東秀調、市川男女蔵、坂東彦三郎がゐて、市井のものに化けなきやいけないといふのでそれぞれ「すし屋」の権太、六段目の勘平、「菅原伝授手習鑑」の梅王丸・桜丸・松王丸をチャリ場で演じるといふ場面があつて、おもしろかつたりね。

山内伊賀亮の坂東彌十郎もよかつたんだよねえ。
彌十郎はややもするとせりふがちよつと弱いところがある。
口跡はいいし、声もとどくのだが、いまひとつ真に迫るところに欠けることがある。
それが伊賀亮はよかつたんだよなあ。

伊賀亮といふと、山村聰のイメージだ。
むかし、再放送で見た「大岡越前」で演じてゐたのだ。
大詰の捕物で、この番組にしてはめづらしく加藤剛演じる大岡越前が刀を手にしたりして(記憶違ひかもしれないが)、ものすごくもりあがつた回だつた。
ここの山村聰がよくてねえ。

山村聰といへば、「悪のインテリをぢさま」で、山形勲より出会ひがはやかつた。
佐藤慶の柳生烈堂といふのもゐるのだが、柳生烈堂は悪役ぢやないか。それに、萬屋錦之介の拝一刀もだいぶ悪役に見えたしな、こどものころは。

なんだらうね、山村聰のあのよさ。
につこり笑つた笑顔なんかはとてもいいのだが、悪なんだよ。
ものすごい悪なんだよ。
ステキだつたなー。

と、「ボヘミアン・ラプソディ」のことを考へてゐたはずなのにいつのまにか山村聰で頭がいつぱいなのは通常運行なのだつた。

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Friday, 27 September 2019

一挙上映とbinge-watching

日曜日に新文芸坐の「仁義なき戦い」一挙上映に行つてきた。
これを binge-watching と呼べるのか。

binge-watching とは、主にTVドラマについて使はれることばのやうに思ふ。
binge-watchingとは、NetflixなりAmazon PrimeなりHuluなり、あるいはケーブルTVやディスクなどで、TVドラマを一気に何話もたてつづけに見ることだ。

これにはよい面もあるといふが、鬱や孤独感、肥満などと関係があるといふ研究結果もある。

以前、binge-watchingよりも毎日あるいは毎週一度、決まつた時間に一話だけ見るのが自分には向いてゐる、といふ旨のことをここに書いた。

その方が記憶に残るし、なにしろ「明日はどうなるんだらう」とわくわく待つあひだも楽しい。

でもそれは、家で見るTV番組の話だ。
映画館で見る映画としては、どうだらう。

試してみないことにはよくわからないが、自分の好みとしては、映画も映画館で一作品づつ見た方がいい気がしてゐる。
その方が集中して見られる気がするのだ。

とはいへ、映画館といふのは映画を見るところだ。映画を見ることに特化した場所ともいへる。
そこで見るなら、そして話がつづいてゐるのなら、何本かつづけて見ても binge-watching とはいへないのではあるまいか。

つづけて見ることで気がつくこともあるしね。
「仁義なき戦い」でいふと、「広島死闘編」では極道と県警とのあひだには取引があつて、県警のえらいさんは北村英三だ。
それが「完結編」になると県警側も取締りを強化してゐて、出てくるのは鈴木瑞穂だつたりする。

手打ち式と葬式とは異様に似てゐる、とかね。
一挙に五作品を見て、なんだかものすごくたくさん葬式の場面を見たやうな気がしてゐたけれど、考へてみたらあれは手打ち式、みたやうな場面もいくつかあつた。
手打ち式も葬式も、互ひの結束を確認しあふ場なのだらう。

「つまらん連中が上に立つたから、下の者が苦労し、流血を重ねたのである」とは、「完結編」で主人公・広能昌三が網走刑務所の中で書いた手記の中のことばとして登場する。
これも第一作からつづけて見てゐると、「なぜさうなのか」と思つてしまふ。
そして、第一作から見てくると、締めくくりのことばとしてこれほどふさはしいものもまたないなとしみじみ思ふ。

通して見ると、この映画に出てくる「上に立つ」連中の共通点は、greedy で coward だ。
ことさらにさう描いてゐるのだらうとは思ひつつ、結局生き残るのに必要なのはこの二点なのではないか、この二点のバランスなのではないかといふ気もしてくる。
それくらゐ金子信雄の演じる山守義雄も内田朝雄の演じる大久保憲一も魅力的だ。
第一作などは山守義雄の成長物語なのではないかと思ふくらゐ、話の進展にあはせて変容していくさまが見事である。

欲が深く臆病であることは人としての欠点だらう。
しかし、生き延びていくには欲が深くなければならないし、同時に臆病なほど注意深くなければならない。

おそらく、映画を見る人は、苦労して殺されていく「下の者」たちに感情移入するのだらう。
自分を中のひとりに見立てることもあるだらう。
山守義雄や大久保憲一のやうになりたいと思ふ人間は少ないのではあるまいか。
さうでもないかな。
でも実際に上に立つのはかういふ人物で、下の者の苦労など考へてもみない。
それは、会社の上下関係そのもののやうにも思はれる。
だからよけいに人は苦労の挙げ句殺されていく「下の者」に自分を重ねあはせるのぢやないかなあ。

などといふことは、一挙に見なくても感じたことではある。
ただ、映画館といふ映画を見るための場所で一挙に見たから強く感じ得たこともあると思つてゐる。

見終はつた直後はさすがに「もう一挙上映はいいや」と思つてゐたが、来年もあるのならまた行つてゐるやうな気もする。

一挙上映といへば、「人間の條件」、やらないかなあ。

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