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Friday, 06 March 2026

映画ひまはりを見て泣けない

ウクライナが攻撃され始めたころ、映画館で『ひまはり』がかかつてゐた。
『ひまはり』といへばヘンリー・マンシーニのあのテーマ曲を聞くだけで涙が出てきさうになる。話の筋を思ひ出しても、だ。
誰も悪くないのになあ、とか。多分幸せなんだらうけど、でも幸せぢやない人々のことを考へたり、とか。

そんなわけで、もう泣く用意をして映画館に『ひまはり』を見にいつた。
泣く用意つて、泣く用の手ぬぐひを持つて行つたくらゐだけどさ。

でも泣けなかつた。
全然、一滴も涙が出なかつたのだ。
いま、テーマ曲を聞いても泣きさうなのに。

思ふに、戦争になつてしまつたのはいろいろ不可抗力なこともあるだらうとは思ひつつ、ムッソリーニを選んだのはこの人たちだらう、と思つたりとか。
とにかく雪原に延々と点々と連なる力尽きた兵士の姿が圧倒的すぎるとか。
まあいろいろ理由はあるんだとは思ふけど。

多分、見ながら全然話の筋とは関係ない方に興味が向いてしまつてゐるのかもしれない。
最初にジョヴァンナが訪れる役所のやうすに興味津々になつてしまふ、とか。
部屋のインテリアとか壁のやうすに集中してしまふ、とか。
花瓶にどんな花が何本刺さつてゐる、とか。
さういふことが気になつちやふんだよなあ。

おそらくほかの映画もさうなんだらう。
なんか不意をつかれたら泣けるんぢやないかと思ふんだけど。
その日を待つてゐる。

Sunday, 08 February 2026

なぜYoutubeで映画を見てしまつたのかといふ後悔

夕べYoutubeで『帰ってきたヒトラー』の字幕版を見た。
のだが。
途中CMでぶちぶち切れるので、そこで集中力も切れ、見たやうな見てゐないやうな気分だ。
課金すればいいのかもしれないけれど、Youtubeはあんまり見ないからなあ。毎日のやうに見てゐるのだつたら話は別だが。

そんなこといつて、TVで映画を放映するときだつて途中でぶちぶちCMで切れるぢやないか、といふ向きもあらう。
TVで放映する場合は、それなりに頃合ひを見はからつて一区切りついたところでCMが入る。ぶちぶちぶちぶち切れてもさうである。
Youtubeは違ふ。
とにかくいきなりCMが入るのだ。セリフの途中だらうがなんだらうがお構ひなしに入る。
しかも、CMは途中でスキップできるものとできないものとがあり、スキップしやうと思つたら画面を見てゐる必要がある。スキップサインを見たらすかさずそこをクリックするためだ。

映画館で見ればよかつたなあ、としみじみ思つたが、これ、映画館で見たら怖い映画だよね、多分。

Saturday, 07 February 2026

子どもか!

マルコム・グラッドウェルの『ティッピング・ポイント』を読んでゐたら、子どもは何度も何度もくり返し同じTV番組を見る、といふやうなことが書いてあつた。
さういや子どもがアンパンマンの同じ回を何度も何度もくり返し見るから気が狂ひさうなる親御さんの話などを聞くなあ。
大人になるといふことは、くり返し同じものを見ることができなくなるといふことなのだらうか。
そんなことはないだらう。
といふのは、『トップガン マーベリック』を百回見たといふ人の記事を朝日新聞のWeb版で見たことがあるからだ。
インタヴューを受けた時点で百回だつたのだらうから、記事が出るころにはもつと見てゐたらう。
『鬼滅の刃 無限城編 猗窩座再来』なども百回以上見てゐる人がゐても不思議ではない。推しが出てゐるから、といふ人も多からう。推しもゐなければ、特に原作が好きとか登場人物が好きとか好きな声優が出てゐるといふことのない自分でさへ五回は見たくらゐだ。
大人になつても同じものを何度も見るやうな人は、成長しきつてゐないのだらうか。
或は好きなものを見るときだけは子どものやうになつてしまふのか。
それとも子どもだつて好きなものだから何度も見るわけで、好きぢやないものはさうではないだらうから、大人だとか子どもだとかいふことは関係ないのだらうか。
はたまた『ティッピング・ポイント』にならへば、くり返し視聴に耐へる番組にはsticky point(s)があり、そこに惹きつけられる人は何度も見てしまふのか。

自分の場合、『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』と『ボヘミアン・ラプソディ』とはちよつと云ひたくないくらゐたくさん見てゐて、でも『ボヘミアン・ラプソディ』に限つていふと、映画を見に行くといふよりはライヴに行く感じに近かつたんだよね。
ほかに『ター/TAR』とか『2001年宇宙の旅』とかを何度も見てゐて、『ター/TAR』は謎を解きたいと思つたからで、でも解けなくて結局自分はこの映画が好きだから何度も見てゐるんだなと思つたし、『2001年宇宙の旅』はそこに好きな絵があるから、そしてその絵にぴつたりの音楽が流れてゐるから見に行つてしまふ。
それもすべては云ひ訳のやうなものなのかな。
どの映画にもsticky point(s)があつて、それがひつついて離れないだけなのかもしれない。
とか書いてゐると『2001年宇宙の旅』とか『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』とかを映画館で見たくなつてくるなあ。

Thursday, 29 January 2026

明日は我が身か

先日、映画『切腹』を見て来た。
以下、ネタバレがあるので注意。

多分四回くらゐ見てゐて、毎回なんとなく感想が違ふ。
最近は「無敵の人」の物語だなと思ふことが多くて、それは変はらないのだけれども、ぢやあ井伊さんちがそんなに悪いのかといふと、うーん、どうなんだらうと今回は思つた。

かんたんにあらすじを書く。
寛永年間のある日、彦根藩の江戸屋敷に、玄関先で腹を斬らせてほしいと主人公の芸州浪人があらはれる。
実は何ヶ月か前にやはり芸州浪人を名乗る若侍が同じやうに玄関先で腹を斬らせてほしいと頼みに来た。
江戸家老はその時の話をして、主人公に切腹を思ひ止まるやう伝へる。
近頃は食ひつめた浪人が大名屋敷にやつて来て、玄関先で切腹させろと云つて何がしかの金銭をそれとなく求める、いはゆる強請りが増えてゐた。
井伊家に来たのはこの若侍がはじめてであつた。
こののち同じやうなことが続いてはたまらない、といふ意見が通り、この若侍は切腹させられることになる。
それも、最初はお世継ぎに会はせてやると期待を抱かせてから切腹をするやう迫つたり、若侍の腰に下げてゐた竹光で腹を斬らせたりといふ酷さだつた。
その話を聞いても主人公はなほ腹を斬らせてほしいといふ。

かう書くと、井伊家の人々の所業はほんたうに残酷で、よくそんなことができるな、と思ふし、実はこの若侍の岳父である主人公の怒りももつともだ。
だが、井伊家の人々の身になつてみれば、相手は強請りに来たのだ。そんな相手にやさしくしてやる必要があるだらうか。

主人公は井伊家の人々に云ふ。
今日は他人のことでは明日は我が身といふこともある、と。
これまたその通りで、この映画のテーマはそこだらうと思つてゐる。
実際に、この200年後くらゐには井伊家の人々は我が身のことのやうに感じたことであらう。
だが、実際に自分の身にふりかかつてこなければ、実感にはならないし、もつといふと「知らんがな」といふこともあるのぢやあるまいか。

さう考へた末、「やつぱり無敵の人は作つちやいけないな」と、これはいつも思ふことながら、今回は「だから政府がしつかりしないと」と思つたのだつた。
井伊家だけではどうにもならないこともあるのぢやあるまいか。
現代で云へば、トヨタだけで世の無敵の人をまたその予備軍をなんとかすることができる……のかもしれないが、それはむつかしいやうな気がする。
今回の選挙では、そこらへんのことを加味して投票したいと思つてゐる。

Thursday, 04 November 2021

二十年前のことを描いた映画を見る

文化の日に『2001年宇宙の旅』を見てきた。
見てきて以来、気がつくと「美しき青きドナウ」が脳内でエンドレス再生されてゐる。
小学校の朝の登校時間帯に流れてゐたといふこともあるが、とにかく止まらない。
名曲である。

『2001年宇宙の旅』はTOHOシネマズ日比谷で「100000分の1秒音響映画祭」といふイヴェントがあつて、その一環として上映された。
実は『ボヘミアン・ラプソディ』も見てきたのだが、それはまた別の話。

『2001年宇宙の旅』は一度は映画館で見てみたい映画だつた。
初めて見たのは中学三年生のときのことだ。
高校受験も終はつたころ、理科の教師が「この映画は見ておいてほしい」といふので授業中に生徒に見せたのが『2001年宇宙の旅』だつた。
ヴィデオだつたのだらうか。録画だつたのかもしれない。
でもそのあともう一度今度はTVで見てゐるので、やはりヴィデオだつたのかなあ。
国立フィルムライブラリで上映されたり「午前十時の映画祭」で上映されたりして、行く機会はありながら、と云ひながら国立フィルムライブラリでは激戦だつのたやうなのでおそらく見られなかつただらうが、見る機会を逃してきた。
今度は行くぜ。
といふわけで、行つてきた。

よかつた。
あひかはらずよくわかんなかつたけど、そこはそれだ。
わからないものはわからないと認識してゐればそれでいいのだ。
見に行つて、「人類の夜明け」ではモノリスに触れた猿人たちは道具を使ふことを覚えて、それでモノリスに触れてゐない猿人たちに勝つことができたと思つてゐた部分は、勝てた理由にはもしかすると道具を使ふことを覚えて獲物を倒し肉食を覚えたからといふこともあるのかなと思つたりもした。
また、ひとつひとつモジュールを抜かれてゆくHAL9000のやうすが認知症の進んでいくやうすにも見えた。途中までは忘れる恐怖を感じてゐるのだが、ある瞬間から突然昔のことを云ひ出す、とかね。
あと、思つてゐたより食事の場面が多い映画だなと思つた。宇宙食も覚えてゐるだけで三種類くらゐ出てくる。食べ物の違ひでほかのことも表現してゐたのかなと思つたりした。
それに、とにかく緊迫感がすごい。
息の詰まる場面がいくつもある。
絵もうつくしかつたしなあ。
今回はリマスタ版だと思ふけれど、やはり一度はフィルム上映も見てみたいと思つたりもした。

ところでその緊迫した場面の中に、「木星計画」の冒頭部分がある。
木星に向かふディスカヴァリー号の孤立したやうす。
その船内をぐるぐると走るフランク・プール。
船室の両脇には全部で五つのスリープポッドがあつて、うち三つには人型の棺桶のやうなものが入つてゐて、冷凍睡眠したまま木星に向かふクルーが眠つてゐる。空の二つはフランクとデイヴィッド・ボウマンのものだ。
ここにハチャトゥリアンは「ガイーヌ」のアダージィオが流れてゐる。
それだけでひどく孤独な気分になる。
宇宙にゐるのはあなただけなのです。
宇宙ではあなたの悲鳴は誰にも聞こえない。あ、それは『エイリアン』か?
いづれにせよ、宇宙空間とか深海とか、ほかに人の誰もゐないやうな空間に流れる音楽にまさにうつてつけとしか云ひやうがない。
はじめて聞いたのがこの映画でだつたせゐだらう。
いつ聞いても(といつてバレエ作品「ガイーヌ」は見たことがないのだが)、この映画の宇宙の人類を拒むやうなイメージが蘇る。

思へばリゲティを聞いてみやうと思つたのもこの映画の影響だし、何よりもクラシック音楽を聞かうと思つたのもこの映画を見たからかもしれない。
それくらゐどの曲も映画にぴつたりとはまつてゐる。
見に行つてよかつたし、また機会があれば是非映画館で見たいものだ。

Friday, 01 October 2021

Schadenfreudeな『ローマの休日』

映画の『ローマの休日』といふ題名は『Roman Holiday』の直訳だらう。
一見、これといつて問題はない。
しかし、これでは「Roman holiday」の本来の意味が伝はらない。
「Roman holiday」とは、他人を犠牲にしてそれを楽しむ娯楽のことをいふ。
ローマ人が猛獣や奴隷・闘士等を闘はせて楽しんだことから来たことばだ。
最近よく聞く「Schadenfreude」に近いのではないかといふ気もする。
他人の苦しむさまを見て楽しんでゐることに変はりはない。

さう思つてこの映画を見るとアン王女の勝手な行動にみな困つてゐることがわかる。
乳母やさんなんて、心底王女のことを心配したのぢやあるまいか。
さうでなくても、職を失ふかもしれないと真つ青になつた人も多からう。
アン王女はそんなことはちつとも斟酌しない。
『Roman Holiday』。
実にいい題名だ。

でもおそらくこの映画を見る人は、さう思つて見てゐない。
窮屈な生活を強いられてゐるお姫さまが自由を求めて外の世界に出、正体を知る新聞記者をお供に街のあちこちをめぐり、束の間のロマンスを楽しむ。
さういふ映画だと思つてゐる人がほとんどなのではあるまいか。

主役にあまり興味のないやつがれは、初めてこの映画を見たときに残された人々のことがとても気がかりだつた。
乳母やさんの心境を思ふとゐたたまれないし、クビを切られるかもとお先真つ暗な人々もゐるだらうと思ふとアン王女の逃避行などちつとも楽しめない。
結局これはさういふ映画だつたんだなとRomah holidayの意味を知つてちよつと安心したりもした。

だが、かうも思ふのだ。
ローマ人はアン王女ではなく、もしかしたらこの映画を見てゐる人なのではなからうか、と。
一連の騒動を「あーあ、もう、仕方ないな、王女さまは。でも魅力的だから仕方ないか」とか「かなり年上の記者とのロマンスなんてステキ」だとか、さうして映画を見てゐる人々こそが、ローマ人なのではあるまいか。

見返すかな。

Friday, 09 July 2021

ドクター・フー・ループ

Huluで『ドクター・フー』のシーズン5を見返してゐて、最終話エピソード13までたどり着いた。
え、でも、これまた最初に戻らないとダメ?
少なくともエピソード5には戻らないとダメかな。といふことはエピソード4か。だつて4と5とは続きものだし。
といふのは、最終話にエピソード5の一場面が出てきて、エピソード5を見たときのその場面に抱いてゐた印象がまるで違つたことがわかつたからだ。
前回最終話を見たときはそれに気がつかなかつたといふか、有り体にいつてエピソード4と5とはあまり見返したくない回なのだつた。なぜといつて嘆きの天使回だから怖いんだよ。
でもこの半年ずつと『ドクター・フー』を見てゐるせゐか、怖い映像に対する耐性がちよつとついてきたやうな気もするしな。

といふ感じで、楽しく見てゐる。
最初に見たときは、シーズン5の最終話を見たときにすべて丸くおさまつたと思つたものだつたが、その後クリスマス・スペシャルをはさんでシーズン6のエピソード1を見てとてもとてもそんなものではなかつた、といふことを知ることになる。
多分、シーズン5のエピソード1で仕掛けられてゐることつて、シーズン7の最終話といふか、スペシャルでドクターが再生する回まで見てはじめてあれこれ回収される。
違ふかな。
などとネタバレをできるだけ回避しながら書いてゐるが、まあ、そんな感じで『ドクター・フー』は楽しい。
Huluでは現在『ドクター・フー』のところに「一部終了予定」と出てゐて、やつがれの環境では10代目ドクターのシーズン4が終はつたあとにあつたスペシャル番組に「8/2まで」といふやうなタグがついてゐる。
ええええ、そんな、殺生な。
このあたりのDVDは入手しづらかつたはずだぞ。
それにここをはづしたら、10代目ドクターが11代目ドクターに再生する場面が見られないぢやありませんか。
そこぢやない? そこぢやないかもしれないけれど、再生する前に10代目ドクターがいろいろふり返る場面があつて、そこが好きなんだよなあ。

いづれにせよ、Huluとの契約は早晩解消するのではないかといふ気もしてゐる。
こんな風に配信停止の予定にふり回されるのも疲れるし、『ドクター・フー』が見たくて入つてゐるので、見られなくなつたら意味がなくなるし。
一応、9代目ドクター以降のHuluで見られる話は一通り見たし。

とはいへ、上記のやうに「うわ、このネタ、前に出たアレだよ」みたやうなことがあるからねえ。
そんなんでシーズン4のエピソード8と9(連続した話)は三回は見てゐる。
初回に一度と、リヴァー・ソングの結婚の後に一度と、「リヴァー・ソングの夫(たち)」の後に一度。
このエピソードははじめて見たときに「『ドクター・フー』を見てきてよかつた」としみじみ思つた回で、思ひ入れも深い。
舞台が図書館といふのもいいし、その図書館を作つた理由といふのがまた気が利いてゐる。

それに、11代目ドクターがかうといふことは、12代目ドクターもおそらくさうだらうからシーズン8のエピソード1も見直したい気がするし、さうするとシーズン7のエピソード6とか、いやさエピソード1とかも見返したくなるだらうし、なんかもうエンドレスなのだつた。

かうなつてくると、リヴァー・ソングが年を重ねる順に見返したいやうな気もしてくるしなあ。
まだ見ぬ1代目から8代目のドクターのドラマもあるし。見られるのかどうかわからないけれど、最近DVD Box的なものが発売されたらしい回もあるやうだし。
いづれにせよ、一生かかつても全部を見ることはできない気はしてゐるが、かうして以前見たものを見返すと、時間の中であちらこちらに行き来するドクターのやうな気分になつて、これもまた一興なのだつた。

Thursday, 03 June 2021

TVで映画

明日、金曜ロードショーで『ボヘミアン・ラプソディ』を放映するといふ。
地上波初放送ださうで、最近金曜ロードショーはひとり気を吐いてゐるといつた状況なのらしい。
「なのらしい」といふのは、ちかごろあまりTVを見てゐないから人伝てだといふこと。
どうも日曜日の朝に三十分といふのが限界らしい。
一時間ものとか、ちよつと無理。
ニュースも天気予報だけ見てあとは見ないやうな状態がつづいてゐる。

でも映画はよくTVで見た。
先日若山弦蔵の訃報に接した。
さうなんだよー、ショーン・コネリーは若山弦蔵の声で喋るんだよねえ。
まあ世代的にどちらかといふとTVで見るのはロジャー・ムーアの007の方が多かつたので広川太一郎なのだがそれはともかく、そんな感じで映画はTVで見てきた。
思ひ出すとあの映画もこの映画も最初はTVだつた。
TVで見られると聞いたら見るといふ感じだつたこともある。
だいぶ前にここにも書いたけれど、「このくつ下は『七人の侍』で千秋実が死ぬところを見つつ完成したもの」といふのもある。
なんか、そんな感じなんだよなあ。
『大脱走』とか『荒野の七人』なんかも絶対吹替。
と書きつつ、のちに映画館で見たりもしたけれど。
TVで映画が見られると、特に見たいものでなくても見る。
その結果、見たことのあるものの幅が広がる。
偶然の出会ひがおもしろい方向に進むこともある。
#多分。

日曜洋画劇場では淀川長治が「これは日本では封切られてゐないのだけれども、とくにみなさんに見ていただきたいので」といつて放映した映画もあつた。
まあ、もしかしたらネタ切れだつたのかもしれないけれど、でもわざわざシナリオを翻訳してそれを元にアフレコして、TV用に編集したものを放映してゐたのだから、手間がかかつてゐる。
いまは日本に来なかつた映画はディスクに焼かれたり動画配信サーヴィスにあがることもあるが、それなりにアンテナを張つて注意してゐないと知らぬままに過ぎてしまふ。
多分、ほとんどの場合知らぬままに過ごしてしまふことだらう。

淀川長治、荻昌弘、水野晴郎といつた映画のキュレータと呼んでもいいやうな人々がゐなくなつてのち、TVで放映される映画はほぼ固定化されてしまつたやうな感じだつた。
気がつくとジブリとかさ。
あとは続篇が上映される前に前作が放映されるとか。
そんな状態だつたのに、最近の金曜ロードショーは違ふ。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』三作を週ごとに放映したのがまづよかつた。
だれだ、いいぞ。
そんな感じ。

ところではたしてやつがれは明日の『ボヘミアン・ラプソディ』を見るのだらうか。
もうさんざん映画館で見たのに。
一応、DVDも持つてゐるし、見もした。
吹替版は一度しか見てないから、TVでは第一音声で見るといふ手もある。
音楽部分は元の音源どほりだらうし。
それとも第二音声で見て、一緒に「Not the coffee machine!」と叫ぶ手もあるか?
さて。

Wednesday, 26 May 2021

訛りがわからない

『ドクター・フー』のシーズン11を見てゐる。やつと13thドクターにたどりついたといふ寸法だ。
13thドクターは my first Doctor だ。といふ話は以前も書いた。
ロンドン往復の機内で見たのが13thドクターのおそらく2019年の新年スペシャルだつた。
そんなわけで(?)ダーレクの印象が強い。
「Exterminate!」とか、あの独特の云ひ方込みでその場で覚えちやつたもんね。
#あたりまへだ。

『ドクター・フー』では訛りに関するセリフがいくつもあつて、たとへば9thドクターは北部訛りだといふ。
「宇宙にも北部があるんだよ」といふが、見てゐるときはよくわからなかつた。
ローズはロンドン訛りださうだし、10thドクターはディヴィッド・テナント自身はスコットランド出身であるものの、スコットランド訛りを話すのはおそらくシーズン2エピソード2だけ……なのぢやなからうか。
スコットランド訛りといへばエイミーもさうだし、11thドクターもさう。
さう云はれても実のところはよくわからなかつた。
スコットランド訛りとディヴィッド・テナントといふと、キャシー・テイトと一緒に出てゐるコミックリリーフのスケッチでスコットランド出身の英文学教師を演じてゐるのを見た時は「これか」と思つたけれど、よほど強烈に演じてゐるのだらう。

『トーチウッド』はグウェンなんかは強烈な感じがして、「これがウェルシュ訛りなのかなあ」と思つたけれどまだ二話しか見てゐない。

さういや中学生のころの友人がザ・ビートルズにはリヴァプール訛りがあるといつてゐたけどよくわかんなかつたし、アバの歌を聞いてもあんましスウェーデン訛りとかわかんかなつたなあ。
つまり、耳が悪い。

わかんないなあと思つてゐたのだけれど、『ドクター・フー』のシーズン11はわかる!
と思ふ。
ドクターもグレアムもヤズもライアンも、「bus」を「ブス」、「nudge」を「ヌッジ」に近い音で発音する。
これはもしかしたらシェフィールド訛り?
と思つたら、ドクター役のジョディ・ウィティカーはヨークシャー訛りで有名なのださうな。
でもドクター役ではかなり訛りを抑へてゐるといふ話。
さうなのか。抑へてもわかるくらゐなのか。

先日は過去の世界のランカシャーに行つて、「おなじ北部訛りだ」みたやうな話があつた。
ランカシャーは9thドクターもそのあたりかな。
いま9thドクターを見たらわかるか知らん。

といふわけで、Huluで見られるのは新年スペシャルとシーズン12のみとなつた今、これが終はつたらどこから見直すか考へるのが楽しみである。

Friday, 23 April 2021

東奔西走ドクター・フー

あひかはらずHuluで『ドクター・フー』を見てゐる。

『ドクター・フー』は英国BBC放映の、五十年以上続いてゐるTVドラマだ。
文字通り宇宙(宇宙の宇は空間、宙は時間の意)を旅する異星人のドクターと旅をともにする地球人の冒険の話である。

見始めたのは去年の12/30。年末年始の休みに入つてからのことだ。
最初に見たのはシーズン(以下、S)3エピソード(以下、E)10の「Blink (まばたきするな)」だつた。

それには前段があつて、自分にとつて最初のドクターは十三代目だ。
一昨年の夏、ロンドン旅行の際、行き帰りの機内で見た。
ドクター・フーといふ長いこと放映してゐるTVドラマがあることは知つてゐた。
機内サーヴィスでどんな作品が見られるのか確認して、「これが音に聞くドクター・フーか」といふので見てみたのだつた。
2019年の新年スペシャルだつたと思ふ。
行きの機内で見やうとして、なんだか怖さうだつたので見るのをあきらめたのだが、なにしろロンドンまでは遠い。
そんなわけで、見た。
こ、怖いけど、そ、そんなに怖くないぢやん。
登場人物も多いし、主人公、なんだかやたらとハイ・テンションで喋りまくるし、敵は「Exterminate!」だし、おもしろいぢやん。

滞在中に見られるかと思つたが、かなはなかつた。残念。
といふわけで、帰りの機内でも見た。

しかし、帰国しても見る機会がなかつた。
動画配信サーヴィスには入つてなかつたしね。
BSもCSも含めてTVで放映してゐるやうすもなかつたし。
近所のレンタル・ヴィデオ屋はなくなつて久しい。

ところが、とある本を読んで気が変はつた。
ジェイムズ・グリックの『タイムトラベル』だ。
この本で、『ドクター・フー』の「Blink」といふエピソードのことを知つた。
いはゆる「ブートストラップ・パラドックス」の話だといふ。
すつごくおもしろさう。

さういふわけで、Huluに入つて最初に見たのが「Blink」なのだつた。
いきなり途中からでわからなくないのか、といふ疑問もあらう。
まつたく問題なかつた。
この話は『ドクター・フー』の中でも人気の高いエピソードだが、ドクターはほとんど登場しない。
物語だけで視聴者を引きずり込む魅力がある回だ。

その「Blink」もものすごーく怖かつたんだな。
先に云つてよ、ジム。
よく見たな、自分。
怖かつたし、パラドックスのことを考へると脳内が活性化してくるやうなわくわく感を覚えつつも、なんだか切ない部分もある。
好きなエピソードのひとつだ。

そこからS1E1の「Rose(マネキン・ウォーズ)」に戻り、時折一度見たエピソードを再視聴しつつ、いまは2015年のクリスマス・スペシャルを見終へたところだ。
ドクターも九代目から十二代目まで四人(プラス一人)見てきた。

おもしろいのは、いま十二代目のドクターのシリーズを見てゐても、たまに以前のドクターのエピソードを見たときに自然と受け入れられることだ。
「このドクター、違ふ」といふことがない。
また、ドクターが再生してまつたく別の人物に変はつてしまつたときもさうだ。
九代目から十代目のときは、入れ替はりに多少時間をかけてゐたやうに思ふが、十代目から十一代目に変はるときなどはあつといふ間に十一代目を受け入れることができた自分にびつくりしたものだ。

まあ、個人的な資質かもしれないけれどね。
「何代目のドクターが好き」とか個別の好みがあつたりすると、このかぎりではないのかもしれない。
S1E1から見始めたときは「ドクター、いいなあ」と思つてゐたし、十代目は「さすが人気No.1ドクターだ」と思ひながら見てゐた。
十一代目は「このエキセントリックさ、ドクターとしか思へん」と思つてゐたし、十二代目にはふしぎな説得力があるしとにかく絵になる。

ほんとの理由はわからないけどね。
ひとつには、各エピソードはいはゆるあて書きに近いものがあるのではないかと思ふこともある。
九代目ドクターのエピソードはクリス・エクルストンに、十代目のはデイヴィッド・テナントに、といつた感じで、ドクターを演じる俳優に合はせた部分があるのではあるまいか、といふことだ。
たとへば、十代目ドクターのマスターとのエピソードなどはデイヴィッド・テナントが一番しつくりくるやうな気がする。脳内シミュレーションの結果だからたいした精度の話ぢやないけどね。
クレイグとのエピソードはマット・スミスが、アシルダとはピーター・カパルディが合ふ。
そんな気がする。

そんなわけで、時に以前のシリーズを見てはつづきに戻つてきたりと、ドクター・フーのタイムラインをあちこち行き来してゐる。
さういふ見方もとてもドクター・フーのやうな気がして、いいんぢやないかな。

より以前の記事一覧