Friday, 15 September 2017

あこがれの総髪撫付

総髪撫付系に弱い。
それも、軍学者系の髪を縛らないのに弱い。
時代劇を見てゐるとつくづくさう思ふ。

先日も「大江戸捜査網」は第三シリーズ第23話「恐怖の爆破作戦!」を見てゐて、天本英世演じる悪役が軍学者(兵法家といつてゐたかもしれない)で、総髪撫付と云ひたいところだが、髪の毛に油分も水分もまつたくないやうな、倉多江美のまんがに出てきてもをかしかないくらゐパサパサとした感じの撫でつけ感のまつたくない髪型で出てきて、それだけでぐつときてしまつた。
この回は理想に燃える若者として誠直也も出てゐて、特撮好きにはちよつとたまらない回だつたりはするが、それはまた別の話。

総髪で、しかも倉多江美ばりのパサパサ感が実に天本英世的でそこもよかつたんだよなあ。

時代劇で総髪撫付といふと、脳裡に浮かぶのは佐藤慶だつたり成田三樹夫だつたりするので、原点はそのあたりなのかもしれない。
似合ふよね、佐藤慶も成田三樹夫も。

「なのかもしれない」と書くくらゐなので、原点の記憶はない。
なぜ総髪撫付を好きになつたのかも不明だ。
基本的にみんな髷を結つてゐる中に、たいていはひとりだけオールバックで長く髪を垂らしてゐるところがよかつたのか。
はたまた、かういふ出で立ちで出てくる人物はほぼ間違ひなく悪役で、さういふところがよかつたのか。
両方かな。
まれに儒家とか山伏だつたりすることもあるけれど、これまたたいていは軍学者とか兵法家のことが多いのでインテリだつたりするしね。

悪のインテリをぢさま
ああ、流れ着く先はそこか。

木原敏江が、「江戸時代は髪の毛が風になびかなくてつまらない」といふやうなことを云つてゐたことがある。
インタヴューに答へた、みたやうな記事だつたやうに記憶する。
それを読んで、「それはそのとほりだなあ」と思つた。
さう云ひながら歌舞伎見るんでせう、といはれるとぐうの音も出ない。
でも、歌舞伎には歌舞伎のよさがある。
お姫さまのかんざしがゆらゆら揺れたりね。
助六さんなら鉢巻がなびいたり。
もつと云ふと、シケ(ほつれ毛)の揺れるさまなんていふのは、はたいふべきにもあらず、といふ感じで実にいい。

まんがでさういふのを表現するのはむつかしいんだらうなあ。

さういへば、時代劇を見てゐて軍学者だの兵法家だのの髪の毛が風になびくやうすといふのはあまり見たことがない。
みづから手を下すことがあまりないからか。
それともあの髪の毛はびつちり撫でつけてあつて、風になびかないやうになつてゐるのか。
単にやつがれが粗忽で見逃してゐるだけなのか。
今後も総髪撫付には注目していきたい。

ところで、ああいふ髪型に対するあこがれといふのもあつたりする。
なんだらう、時代劇でほぼ唯一、まねできさうな髪型だからかな。

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Wednesday, 13 September 2017

よかつたねぇの時代劇

TVドラマの時代劇では、どうしてこんなにたくさん人が殺されてしまふのか。

毎日喜々として「必殺仕置人」を見てゐる人間がなにを云ふ。
我ながらさう思ふが、一昨日見てゐてつくづく思つてしまつたのだ。
なぜ時代劇ではこんなにかんたんに人が殺されるのだらうか。

「必殺仕置人」を見ながらさう思つたのだが、さう思つたときにやつがれの脳内に浮かんでゐたのは別の番組だつた。
前日に見た「大江戸捜査網」とか、もつと前に見た「暴れん坊将軍」や「三匹が斬る!」などだ。

「大江戸捜査網」では、杉良太郎演じる十文字小弥太に変はつて、里見浩太朗演じる伝法寺隼人が登場する回を見た。
隼人と同時に、左右田一平演じる同心が隠密同心に新たに加はることになつた。
左右田一平演じる同心は、物語の前半で殺されてしまふ。

殺すなら出すなよなー。
さう思つてしまつた。

かういふのは見てゐるこちらの心理状態によつて変はつてくる。
おなじドラマを見てもどうとも思はないこともある。
今回はたまたまさう思つてしまふ時期だつたのだらう。

「暴れん坊将軍」で思ひ出したのは、悪人に目を付けられた男が殺される話だ。
それは、いい。
よくはないかもしれないが、話の展開としてはありだ。
だが、その男の妻が殺される段になつて、「それは不要なんぢやない?」と思つてしまつた。
話自体は上様の立ち回りと「成敗!」のひとことで片が付く。
だが殺された夫婦には娘がゐた。
この娘はどうなるのだらうか。
ドラマは、め組の人々や隣近所の人がそれとなく娘を助けてくれさうだ、といふやうすで終はる。
だが、次の回以降、この娘は出てはこない。
そらさうだ。
この回一度きりのゲストだもの。
でも思ふのだ。
あの娘さんはどうなつてしまつたのだらう。
結局暮らしに困つて苦界に身を沈めるやうなことになつてはゐないだらうか。
せめておつ母さんだけでも生きてゐたら……
さう思はずにはゐられない。
母親が生きてゐたからといつて生活が楽になるとは限らないけれど。
だけどひどいでせう。
話の展開としては、男が殺されるだけで十分だつた。
なぜその妻まで殺してしまつたのか。
いまになつてもわからない。

かう書いてゐて、男と女とが逆だつたやうな気もするし、娘ではなくて幼い子供だつたやうな気もする。
が、大勢には影響がないのでこのままにしておく。

「三匹が斬る!」もその伝だつたやうに思ふ。
悪人に目を付けられた村人が殺されて、さらに第二第三の殺人が起こる。
そんなやうな内容だつたと思ふ。

いづれにしても、そんなにたくさん殺さなくても物語に影響はないのに、と思はせてしまふやうな話だつた。

そして、たまたま「そんなにたくさん殺さなくてもいいのに」と思つてしまふやうな精神状態のときに見たドラマだつたわけだ。

なんといふか、時代劇といふのは、もつと、こー、見てゐてほのぼのするもの、といふ勝手な思ひ込みがあるんだらうな。
必殺シリーズほか、例外はあるけれども。

水戸黄門などは見たあと「よかつたねえ」で終はるものだと思つてゐるし。
途中で殺される人がゐても、最後は印籠の力で(違)すべて解決し、芥川隆行のナレーションで終はる。

考へてみたら、水戸黄門が去つたあとも「よかつたねえ」がつづくとは限らないんだよね。
その場はおさまつたかもしれないけれど、御老公が去つたあとはなにごともなかつたかのやうに以前の状態に戻る。
そんなこともあるだらう。
さういふことの方が多いのかもしれない。

でも普通はさういふことは考へない。
めでたしめでたしで終はつたら、「よかつたねえ」と思ふ。

めでたしめでたしで「よかつたねえ」だと、途中の話を忘れてしまひがちなのかもしれないな。
物語の中で罪もない人々がむやみやたらと殺されてしまつたことなど記憶の彼方に消へてしまうのかもしれない。
それで「TVの時代劇イコールなんとなくほのぼのするもの」と思ひ込んでゐるのだらう。

人はやたらと殺されるけど見終はつたあとなんとなくよかつたなと思ふ「座頭市物語」(TV版)のやうな番組もあるしね。
「座頭市物語」(TV版)は、基本的に「善人は死なない」「悪人でも女の人は死なない」「悪人は市に斬り殺される」といふお約束がある。例外もあるけれど、わりとかういふ話が多く、途中殺伐とした気分になつても最後は「よかつたねえ」で終はる。
でも好きなのは浅丘ルリ子回(善人も死ぬ)だつたりするので、つまるところ、やつがれは人の死にすぎる時代劇が好きなのだらう。
毎日「必殺仕置人」を喜々として見てゐるくらゐだもの。

それでも「人が殺されすぎる」と思つてしまふところがある、といふのが人の心といふのはふしぎなものであることよ。

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Thursday, 07 September 2017

「可愛い悪魔」のおそろしさ

九月三日日曜日、新文芸坐で「可愛い悪魔」を見てきた。

以下、「可愛い悪魔」の核心にせまる部分があるので、ネタバレを厭ふ方とはおさらばさらば。

「可愛い悪魔」は「火曜サスペンス劇場」で放映された二時間ドラマである。
リアルタイムで一度見たきりで、忘れられないドラマだつた。
「花筺」公開を記念して新文芸坐で大林宣彦監督作品特集を開催するにあたり「可愛い悪魔」もラインアップされてゐるといふので、万難を排して見に行つた。

見に行つて、すつかり忘れ去つてゐることも多々あつた。
主人公・涼子(秋吉久美子)がドラマの冒頭で精神病院に入院させられる、とか。
番組の最後で精神病院の医師(峰岸徹)とシスターでもある看護婦とがアリス(ティナ・ジャクソン)と一緒にスキップしてゐる、だとか。

見て思ひ出したこともある。
みなみ・らんぼうのゆる〜いアヤシさだとか。
ドラマの中では父親殺しはアリスのせゐではないことになつてゐる、とか。
これは上映後の樋口尚文と秋吉久美子とのトークショーで聞いて思ひ出したことだが、当時「可愛い悪魔」といつたら秋吉久美子のことだつた。その秋吉久美子が「可愛い悪魔」の被害者を演じるといふのが、見てゐて意外だつたしおもしろかつた、とか。

そのトークショーで「可愛い悪魔」の怖さについても語つてゐた。
捨てカットがまるでない、とかね。
全篇緊張感にあふれてゐるのである。
二時間ドラマは気楽に見られる番組だつたやうに思ふ。
放映時間的に、家庭の主婦は夕飯の片付けをしながら見てゐることもあつたのではないか。

そこに捨てカットなしの、つねに緊張感あふれる映像かつ内容の物語が放映されたら。
そりやあ忘れられないよね。

ものの映し方も、人形ひとつとつても怖いし、「あ、あれ、あとで使ふガラスの花瓶だ」と思ふだけで怖い。知らなくても、ガラスの花瓶が空の状態でおいてあるだけで怖い。

アリスがまた怖いしね。
どこまで悪意があるのか。
悪意はまるでないのか。
人が死ぬといふことがどういふことか、理解してゐるのかゐないのか。

このトークショーでは話題にならなかつた点で、もうひとつやつがれが怖いと思ふ点がある。
それは、主要な登場人物の衣装がほぼ白もしくは白つぽい色である、といふことだ。

主人公の涼子がたまに黒つぽい衣装を着ることがあるのと、アリスが学校に行くときの制服が黒つぽいことを除くと、病院関係者はもちろん、渡辺裕之も赤座美代子もみなみ・らんぼうも皆白もしくは白つぽい衣装で出てくる。
渡辺裕之とみなみ・らんぼうとは上下とも白だし、涼子とアリスとも基本は白か白つぽい衣装だ。

それのなにがこわいのかといふと、ドラマ冒頭では赤いセーターに黒つぽいパンツとかだつた涼子が、精神病院に入れられると真つ白な服を着せられるからなのではないかと思ふ。
すなはち、主要な登場人物はみなどこかしら病んでゐるのではないかといふ気がしてくるのだ。
どこかしら精神を。

さう考へてみると、いつたいなにがほんたうなのかわからなくなつてきて、実に怖い。
この物語自体は涼子あるいはアリスの中の妄想なのかもしれないといふ気すらしてくる。

この日、客席には病を押して大林宣彦も来てゐた。
苦しげに呼吸しながらも、いろいろと語つてくれた中に、今回見返してアリスの「死んぢやへ」といふつぶやきがどこから来たのかわかつた、ということがある。
先の大戦中、日本人の戦闘機乗りが「死んぢやへ」と云ひながら英米軍を攻撃する、攻撃されてゐる方は苦しんでゐる表情をしてゐる、といつたポンチ絵のやうなものがあつた。
アリスの「死んぢやへ」はそれがもとになつてゐる、といふのだつた。

なんでもかんでも戦争(反対)に結びつけるのは、やつがれはかはない。
このときも、最初に聞いた時は「なんでもかんでも戦争に結びつけなくてもいいのに」と思つた。
「花筺」の宣伝にしても、だ。

でも考へた。
たぶん、戦争の時、敵国を攻撃する兵隊は相手に対して「死んでしまへ」といふ感情を抱くのだらう。
戦時のとくに兵隊はさういふ気持ちになるのだらうと。
いまなら「それは間違つてゐる」といへる。
だが、その場に自分が置かれたら「間違つてゐる」といへるだらうか。

アリスは通常の世界に住んではゐないのだ。
自分の意に反するものはすべて敵。
敵は死んでもかまはない。
それはおそろしいことなのではあるまいか。

今後、「可愛い悪魔」を見る機会はないかもしれない。
あつたら、そんな視点でドラマを見てみたいものだ。

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Thursday, 24 August 2017

再見「帝都物語」と記憶の編集

昨日、京橋にある東京国立近代美術館フィルムセンターで、「帝都物語」を見てきた。
三十年くらゐまへに一度だけ見た。
「坂東玉三郎が男役を演じる、それも泉鏡花」と聞いたからである。

映画の「帝都物語」で覚えてゐることといへば、この鏡花先生と、高橋幸治演じる幸田露伴、そしてやはり加藤保憲だ。

すこし前に調べたらなんかものすごく豪華な配役陣だつた。
すつかり忘れ去つてゐる。
それだけ加藤保憲の印象が強かつたのだらう。

今回見直して、あまり脳内で作り上げた記憶はなかつたこともわかつた。
記憶の中では露伴が黒い手甲のやうなものをしてゐたけど、たぶん作つたのはそれくらゐだ。

それよりも忘れてゐることの方がずつと多い。
桂三枝(当時)つてこんなに活躍してたつけか、だとか。
これは見ても全然思ひだせなかつた。
島田正吾が二度目に出てくるときはちやんと老けてゐる、とかね。
出番もそんなに多くないし、もともと老けてゐる人物といふ設定だ(らう)から最初から老人然としてゐるのだが、時間の経過を感じさせるんだよなあ。

大滝秀治になんだか妙に説得力があるとか。
序盤の物語に説得力を生み出してゐるのは平幹二郎であるとか。
学天即に触れるときの西村晃の表情とか。
さういふ部分は見て思ひ出した。
東京の改造計画の場面もさう。

高橋幸治を覚えてゐるのは登場場面が多いからだらうくらゐに考へてゐた。
それも確かにさうなんだけれども、見返してこの中で一番影が似合ふ俳優だからだな、といふことにも気がついた。

再見とは、なかなかいいものだ。

最近は忘れないやうに見た芝居や映画、読んだ本のことはできるだけ書き留めるやうにしてゐる。
書き留めて、しかし、疑念もないわけぢやない。
見聞きして読んで覚えた感情をすべて書き尽くせるわけではないからだ。
忘れてゐることもあるしね。
自分のことばで表現できなかつたことは、記録できない。
ゆゑに忘れてしまふか記憶の中で編集されるかどちらかになる。
忘れてしまふのも記憶の編集のひとつかな。

「帝都物語」については、最初に見たあとなにも書かなかつた。
あまり思ひ出すこともない。
ゆゑに忘れるだけで、あまり記憶の編集はされなかつたやうだ。
その方がいいのだらうか。
悩むな。

ところで鏡花先生はやはりよかつた。
夜、背中から映した絵の横顔の後頭部から肩に流れるラインのなんとなだらかで麗しいことよ。
ほぼシルエットのやうな横顔の頭から肩にかけてのラインのうつくしい絵つて、実相寺昭雄のほかの映画にもあつたな。
さういふ絵に弱いらしいことをあらためて確認する夜でもあつた。

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Thursday, 13 July 2017

見られないけど水戸黄門

先日、新たに制作されるTVドラマ「水戸黄門」の詳細が発表された。

東野英治郎が主演だつたときのTVドラマの第三部をリメイクするといふので、悲憤慷慨する向きもあつたやうだ。
え、自分の愛する作品が自分の手の届かないところで意にそまぬ方向に改変されたら、「世情を嘆く」でせう?
ま、いいか。

ところで、十一月には国立劇場で「沓掛時次郎」を上演するのだといふ。
「沓掛時次郎」といつたら長谷川伸の代表作のひとつだ。
Wikipedia で見たら八度も映画化されてゐるといふ。
七年前にはまんが化もされたのださうな。

八度も映画化されてゐるといふことは、「沓掛時次郎」はそれだけリメイクされてきたといふことだ。
舞台でも繁くかかつてゐたころもあらうし、TVドラマ化も何度かされてゐる。

「沓掛時次郎」がさうなら、「瞼の母」もさうだらう。
忠臣蔵や遠山の金さんなどもさうだし、水戸黄門だつて何度も違ふ配役で映像化されてゐる。

さう思つて Wikipedia の水戸黄門を見てみたらなんだかすごいことになつてゐた。
映像化の最初は目玉の松つちやんか。
記憶にある昔の水戸黄門といふと月形龍之介なのだが、大河内傳次郎だとか市川右太衛門だとか、すごいメンバーが主演に名を連ねてゐる。

さういへばアニメもあつたなあ、「水戸黄門」。
「最強ロボ ダイオージャ」といふ水戸黄門をベースにしたロボットアニメもあつた。好きでよく見てゐた。

これだけ何度も作られてゐて、それでもなほ嘆かれてしまふ今度の「水戸黄門」つて……
どうしてなのかなあ。

水戸黄門といへばTVドラマの時代劇で東野英治郎や西村晃、佐野浅夫らが演じてゐたアレである、といふことになつてしまつてゐるからか。
確かに、こどもの時分に「月形龍之介の水戸黄門といふものがある」と云つても友人には通じなかつただらうとは思ふ。
「月形龍之介 who?」といふ感じだつたらうとは思ふし。

水戸黄門といふ作品は過去に何度も何度も手を変へ品を変へ新たなものが作り出されてきたものだ、といふ共通認識がすくなからず欠けてゐるのかもしれない。

と、書きながら、「さうぢやないな」と思つてゐる。
世の悲憤慷慨は、「よりにもよつて」「第三部」といふところにある。
さういふことなのではないかと思ふ。
根拠はないけど。

ほんたうに、なんでよりにもよつて第三部なんだらう。
新しく書き下ろすことはできなかつたのだらうか。
できなかつたのかもしれないなあ。

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Wednesday, 08 February 2017

なにか映画を見やうと思つて

「ドクター・ストレンジ」か「マグニフィセント・セブン」を見に行かうと思つてゐる。

なぜかといふと、あひかはらず最近見てゐるものは昭和のものばかりだからだ。
コンテンポラリーも見ておかないとね。
といふ、義務感といふか責任感みたやうなものがある。
我ながらめんどくさい。

「ドクター・ストレンジ」については、以前あまりそそられないといふ話を書いた。
大都市や摩天楼が壊れていく映像つて、なんかもう見飽きたんだよね、と。
予告編で見たかぎりいままで見たことのないやうな壊れ方ではあつた。
でも大都市や摩天楼が壊れていくといふことに変はりはない。
映像の進化、もつといふと映画製作の進化を楽しめる人にはいいのかもしれない。
でも、単に楽しく映画を見たいだけだからねえ。
あまり「それ、もう見たし」といふやうな内容には食指が動かないのだつた。

「マグニフィセント・セブン」にあまりそそられない理由は、「だつて「荒野の七人」なんでせう」といふところか。
「コンテンポラリー」といひきるにはちよつとためらひを覚える。
リメイクだからね。
リメイクだから、現代性が取り入れられてゐるはずだし、正しくコンテンポラリーなんだとは思ふ。
でもさ、きつと「荒野の七人」と比べちやふしさ。
もつといふと、「七人の侍」とも比較してしまふかもしれない。

意味ないのに。

映画批評などに従事してゐる人には意味があるかもしれないが。
やつがれにはない。
単に楽しく映画を見たいといふやつがれには、「マグニフィセント・セブン」を「荒野の七人(こちらも「The Magnificent Seven」であることに変はりはないのだが)やまして「七人の侍」と比べていいことはなにもない。
それぞれにいいところがあり、それぞれに、まあ多分、わるいところもある。
それでいいぢやあないか。
わかつてゐてもさういふ目では見られない。
おそらくね。

義務感といふか責任感のやうなものから見たいと思つてゐる、と書いたが、それでも「見たい」といふ気持ちに変はりはない。
「沈黙」はあんまし見たいと思つてゐないから、これだけは確かだ。
「沈黙」を見たいと思はない理由は、その長さにある。
上映時間が三時間近いといふ。
耐へられるだらうか。
多分ムリ。

「見たい」といふ気持ちは大事にしたいので、ぢやあ「ドクター・ストレンジ」か「マグニフィセント・セブン」かどちらかを見やう。

どちらを見るか。

「マグニフィセント・セブン」は評判がいい。
どこでかといふと、Twitter の我が TimeLine で。
「パシフィック・リム」からこの方TLで評判のよかつた映画はほぼすべておもしろく見た。
「マッドマックス 怒りのロード」とかね。
「シン・ゴジラ」もさうだし。
多分、この三つの映画は、ぼんやりしてゐたらどれも見なかつたことと思ふのだ。
TLで「いい」といふ評判が流れてきて、見に行つたらいづれもよかつた。

「ドクター・ストレンジ」についてはこれといつて情報が流れてきてゐない。

ぢやあ「マグニフィセント・セブン」かな。
さう思つたのだが、どうも行ける映画館の行ける時間帯にちやうどいいものがない。
といふわけで、いまのところ「ドクター・ストレンジ」を見るつもりでゐる。

うーん、でもこのままだと「マグニフィセント・セブン」は見逃すかもしれないなあ。
仕方ないか。

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Thursday, 02 February 2017

早起きして「鬼平犯科帳」を見ない理由

平日は帰宅後に見てゐる「鬼平犯科帳」などを、朝早起きして見た方がいいのではないか。

なぜそんなことを考へてゐるのかといふと、「鬼平犯科帳」とかを見ると気分が昂揚するからだ。
異様にもりあがる。
もりあがらないこともあるけれど、でもなにかしらもりあがる要素はある。

いつもは夜見てゐるので、睡眠によつてご機嫌な気分はリセットされてしまふ。
朝起きてから見れば、その日一日、ご機嫌な状態で過ごせるのぢやあるまいか。
一日はムリでも、朝くらゐはさ。

でも、多分早起きして見ることはないだらうな。

朝、一時間ていどのTVドラマを見られるくらゐに早起きするやうに早寝をするのがむづかしいからといふのが一番の理由だが。

夜、気分がいい状態でゐられるのは、通勤電車などに乗る必要がないからだらうといふ気がするから、といふのも理由のひとつである。

帰宅したら、通勤電車に乗つて、不愉快な人に出会つたり、遅刻しないやう職場につけるか苛々したりすることがない。

早起きして朝見ることにして、いい気分にはなつたものの、乗るべき電車がやつてこなかつたり、それで別の電車に乗つたらぎゆうぎゆう詰めの上、電車がなかなか進まなかつたり、そんなのお互ひさまなのにうるさい客が乗つてゐたりしたら。
それでなくても駆け込み乗車をする客やら、両手でスマートフォンを使つてゐるから電車が揺れると倒れてくる客やら、やたらと大きな音量で音楽を聞いてゐる客やら、そんな客と乗り合はせたとしたら。
せつかく早起きしていい気分になるやうなTVドラマを見ても、まつたく意味ないと思ふんだよね。
意味ないどころかイヤな気分になつてしまふ。

先日の「鬼平犯科帳」はサブタイトルが「凄い奴」、原作でいふ「本門寺暮雪」だつた。
「凄い奴」は天本英世。始終菅笠を深くかぶり、黒い着物に黒つぽい袴姿で表情はよく見えない。「殺気といふか妖気といふか」といふ表現が実によく似合ふ。こんなに似合ふ俳優もまたゐないのぢやあるまいか。

井関録之助は中谷一郎で、ちよつと「助け人走る」を思ひ出させるやうな坊主姿で出てくる。
やつがれ世代だと中谷一郎といへば「水戸黄門」の風車の弥七といふ向きも多からうが、やつがれはどちらかといふと「江戸の鷹」の御鷹組の副長や、諸々の時代劇の悪役、あるいは岡本喜八などの映画に喜劇的な役で出てくる方が好きだつたりする。
もちろんこの録さんも好きなタイプだ。

「凄い奴」の雇ひ主である名張の利兵衛は小栗一也で、上方の肝の据はつた大親分といふ貫禄十分だし、その利兵衛とやりあふ大滝の五郎蔵の内田良平も泥棒の悪の感じと密偵としての責任感とをよく出してゐる。
この利兵衛と五郎蔵との対決もまた緊迫していいんだなあ。

天本英世の凄い奴は鬼平(丹波哲郎)と録さんとのあとを追つたりするのだが、たまに姿をくらます。このステルスな感じが如何にも天本英世的だ。
最後は案外あつさり斬られてしまひ「なーんだ」と思つたところからの階段落ちで、なんかもうおなかいつぱいといつたところ。

さうさう、肺病病みの侍として伊藤久哉が出てくるのもいい。ちよつと胸病んでるみたやうな感じ、することあるぢやあありませんか、伊藤久哉。

といふわけで、なんだかこー、ものすごくもりあがつたんだよね、見てゐて。
見た後も。

早起きして、朝見ることにする?
試してみる価値はありさうだが、さて。

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Wednesday, 28 December 2016

もう森へなんか行かない

今年自分でしたことで一番驚いたことといふと、映画館でホラー映画を見たことかもしれない。

その昔、友人につれられて「トワイライト・ゾーン」を見に行つたことがある。
でもあれはそんなに怖くなかつたなあ。
だいたいロッド・サーリングが出てこない時点でそんなに怖くない。
後年見たTV番組の「ミステリー・ゾーン」の方がずつと怖かつた。
とはいへ、この映画を見たあとは「絶対飛行機の翼の見える位置には乗らない」とかたく心に誓つたものだつたし、「Wanna see something really scary ?」とか口のない女の人とかちよつとトラウマ的に残つたものはある。

さう、TVでは怖いものを見たことがある。
「ミステリー・ゾーン」といふか「トワイライト・ゾーン」といふかは怖がりながら見たし、映画では「サイコ」とか「シャイニング」とかも見た。
古谷一行が金田一耕助を演じてゐた横溝正史ものも大概怖かつたし、天知茂の明智くんシリーズも怖かつた。
なぜ見たのかといふと、いづれも明るいところで一緒に見る人が複数人ゐたからだ。

和物のいはゆる怪談みたやうなものは見たことないかもしれないなあ。
うつかり見ちやつた「まんが日本むかしばなし」の「船幽霊」とかくらゐかな。
あとは芝居で見る「東海道四谷怪談」とか「真景累ヶ淵」とか「かさね」とかだらうか。
松竹座で中村時蔵の豊志賀を見たときは、絶対怖いからといふので三階席の一番奥の席を取つて、それでもなほ怖かつた。

怖いものはダメなのだ。
幽霊屋敷にも入つたことがないしね。
「エクソシスト」「オーメン」「サスペリア」「13日の金曜日」……いづれも見たことがない。
ホラーぢやないけど「2001年宇宙の旅」もとくに最後の部分が怖かつたりするし(「シャイニング」の影響だと思はれる)、「宇宙大作戦」もどことなく雰囲気が怖いことがある。
「ツイン・ピークス」もなぜだかおそろしかつたなあ。

人生損してゐるのかもしれない。
さう思はないでもないけれど、怖いものは仕方がないのだつた。

それが、映画館で、ホラー映画を見る。
なんといふことでせう。

見たのは「呪いの館 血を吸う眼」で、新文芸坐で夜明け前に見た。
岸田森オールナイト上映会の最後の一本だつた。
もう、映画館でホラーは見ない。
これまたかたく心に誓つた。
そのはずだが、よくよく考へてみると、この映画はそんなに怖くはない。
なぜかといふと、襲はれるのは美女ばかりだからだ。
運送会社の運転手は襲はれたのだらうし、をぢいさんも襲はれてはゐたけれど、それはちよつと特殊な例のやうに見受けられた。
なんだ、大丈夫ぢやん。
怖くないぢやん。

ホラー映画が怖いのは、「いつかおなじことが自分の身にもふりかかるかもしれない」といふ気がするからだ。
とくに映画館で見る場合、真つ暗な中で見るわけで、ふつと横を向いたら吸血鬼がゐたりするかもしれないといふ恐怖は捨て難くある。
恐怖ではないのかな。不安かな。

ホラー映画などを見ておそろしいと思ふ気持ちはおとなになると段々薄れていくものなのらしい。
すくなくとも「あれはフィクションである」と認識できるやうになる。
怖いけど、でも、映画だからさ。
さういふ割り切りができるやうになるといふのだ。

それができないおとなは、不安神経症の場合があるといふ。

不安神経症。
いやー、ないな。
多分ない。
そもそも神経症に陥るやうな繊細さは持ち合はせてゐない。

といふことは、即ちやつがれはまだこどもだ、といふことだ。
身体はともかく、精神的にはまつたく成長してゐないのだ。
なんといふことでせう。

まあ、でも、やつぱりもう映画館でホラーは見ません。
暗闇で怖いものを見るだなんて、ぞつとしないからね。

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Wednesday, 30 November 2016

先代の幸四郎の「鬼平犯科帳」を見てゐる

先代の松本幸四郎の「鬼平犯科帳」を毎回楽しみに見てゐる。

もうすぐ第一シーズンが終はる。
終はるまへになんだし録画できてゐなくて見てゐない回が2つほどあるが、いままで見た中で気に入つた話をまとめておきたい。
ベスト3と思つたが、4になつてしまつた。

順不同で以下のとほり。
第三十話 盗法秘伝
第四十話 かわうそ平内
第五十三話 おせん
第六十一話 あほうがらす
以上。

「鬼平犯科帳」を見ながら夕飯を食べてゐる。
そんなに一生懸命見てゐるわけではないのだが、「あれ?」と思ふ瞬間があつて、引き込まれるやうにして見たのがこの四話だ。

第三十話の「盗法秘伝」は、浜松から帰路についた鬼平が盗人(花澤徳衛)と出会ひ、盗人の心得を伝授されるといふ話だ。
第四十話の「かわうそ平内」は、みるからに乞食とおぼしき男(有島一郎)が実は大変な剣豪で、とても敵を討てないやうな兄弟を短期間で鍛えて敵をとらせる話だ。
第五十三話の「おせん」は、放蕩無頼の息子(草野大悟)を持つた老母(原ひさ子)と息子と関係のあつたおせん(堀井永子)との交流を描いた物語である。
第六十一話の「あほうがらす」は、妾を斡旋する女衒である「あほうがらす」の男(加藤武)が商家の主たる兄(江戸屋猫八)とその息子との仲をとりもちつつ、同業者で殺人犯の疑ひをかけられてゐるものを追ひつめる手助けをする、といつたところか。

「おせん」を除き、いづれも見てゐて楽しい気分になつてくる話ばかりだ。
「おせん」だつて、おせんと老女との仲を見てゐると、なんとも幸せな気分になつてくる。

「盗法秘伝」では、高麗屋と花澤徳衛との会話に引き込まれた。
なんとも間がいい。
相手が火付盗賊改方の長谷川平蔵と知らずして「自分の盗人としての技を伝へられるかもしれない」と期待しつつ鬼平に話しかける花澤徳衛と、仕事の上の興味もありつつ相手に惹かれて話を受ける幸四郎と、ふたりのやりとりの妙に思はず箸を止めた。
夕食を食べながらのTV鑑賞は、見てゐるやうで見てゐない。
耳から入つてきたせりふの端々に注意を引きつけられる。
そんな感じだつた。

「かわうそ平内」は、有島一郎の飄然としたやうすに参つてしまつた。
汚いんだよ、匂つてきさうなほど。
風呂には何日も入つてゐないだらう。忠吾(志ん朝)もそんなことを云つてゐた。
しかるに軽妙かつ自在。
この日は日中いろいろとおもしろくないことがかさなつてくさくさした気分でゐたのだが、「かわうそ平内」を見て、といふよりは自由自在融通無碍な有島一郎を見て、一気にご機嫌になつてしまつた。

「おせん」も、原ひさ子につきる。
第二シーズンで前後篇の「狐火」に出る草野大悟の出来や如何にと思つて見始めたはずが、原ひさ子のこのころからとにかく可愛いおばあさんぶりにやられてしまふ。
最初は老女を邪険にあつかつてゐたおせんがだんだん老女に惹かれてゆき、最後は自分のおつかさんのやうに思ふやうになるといふ話にもじんときてしまつた。
ダメなんだよ、可愛いおばあさんとか。
ずるいよ。

「あほうがらす」は、加藤武が江戸屋猫八や堺左千夫、澤村いき雄とやりとりするときのせりふがいい。
江戸前つてかういふのを云ふんだよね、きつと。
鯔背でね。
猫八がちよつと野暮つたいのがコントラストになつてゐる。
澤村いき雄は七代目宗十郎のもとにゐたことがあるとweb検索で知つた。これがまた粋な爺さんでね。
これもせりふがまづ耳に入つてきて引き込まれるやうに見た回だ。

高麗屋の「鬼平犯科帳」には池波正太郎つぽさがあまり感じられない。
でもその点を気にしたことはほとんどない。
原作はあつても全然別物。
さう思つて見てゐる。
楽しければいいぢやん、みたやうな感じかな。

このあと、第二シーズンも引き続き再放送してもらへるのかな。
してもらへるとして、第一シーズン同様に楽しいのだらうか。
いま気になつてゐるのはそこである。

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Friday, 04 November 2016

甘えんぼ

先週の月曜日のこと、職場に着いてもなにも手に着かない。
いつものことなんだけれども、なぜだか心がひどくしづんでしまひ(それもいつものことではあるが)、なにもできない状態だつた。
いつもは「なにもしたくない」状態で、「できない」と思ふことはない。

なぜだらうと考へて、もうこの世に平幹二朗が存在しないと知つてしまつたからだなあ、としみじみ思つたことだつた。

そんなに好きといふわけではなかつた。
追ひかけてもゐなかつた。
それでも、訃報を聞けばショックを起こすくらゐには好きだつたわけだ。

「篤姫」を第一話しか見てゐない所以は、第一話で平幹二朗演じる家老が死んでしまつたからだ。
平幹二朗を出しておきながらもう出ることのない(回想場面では出るかもしれないけど)大河ドラマなんて、見る価値がない。
それくらゐは好きだつた。

あんまりにもなにもできる気にならないので、その日、小林正樹監督作品「切腹」を見に行つた。
平幹二朗は出てはゐないが、俳優の死のショックから立ち直るには、なにか優れた芝居・映画・ドラマを見るしかない。
さう思つたからだ。

正解だつた。
「切腹」を見て元気になるつてなにかがとつても違ふ気がするけれど、でも、ちよつと気分を持ち直した。
「切腹」、おもしろいよね。
主題は重たいけれど、エンタテインメントとして楽しく(といつたら語弊があるかもしれないが)見られる。

「切腹」については双方の甘えが原因と思つてゐる。
おなじ武士だもの、云はなくたつてわかつてくれる。云はなくたつて、武士とはかうしたものだらう?
さういふ互ひの思ひ込み、もつといへば甘えがああした事件を生んだ。
当事者たちが侍だつたから、extreme なことになつてしまつた。
それだけのことだ。

なので、「侍としてのあり方の非情さ」とかはあまり感じない。
「云はなくてもわかつてくれる。おなじ人間だもの」といふのは侍でなくても持つてゐるものだからだ。

それにしても平幹二朗の訃報はショックだつた。
生きてゐて好きな俳優がまたゐなくなつてしまつた。
「ま、まだあの人が生きてるもんね」とか「あの人も存命だ」とか、一生懸命指折つて数へちやつたよ。
あまりにもショックで。

そんなことはあんまり口にしたりしないから、全然通じてないんだらうけどね。

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