Thursday, 10 August 2006

地理を知らないと困ること

先日、「A街からB街へ行かうとしてC街へ行つてしまつたんですよ」と話してゐる女性がゐた。
同じ職場でちがふ会社から来てゐる若い人だが、とてもてきぱきした態度で仕事ができる。
A街とB街は電車で一駅、歩いてもおそらく二十分あるかどうかである。B街とC街はまつたく逆方向だ。
どうもこの女性はA街付近の地理に疎かつたらしく、同行の人も「A街の隣駅からだつたらB街への行き方がわかる」といふので、まづは隣駅、すなはちB街から遠ざかる方へ電車で向かつたといふのだ。

これを聞いて、「ああ、おそらくこの人と同行の人は別の市あるいは都道府県から来た人なんだらうなあ」と思つた。A街もB街も趣はちがふがこのあたりでは若人の集ふ街として有名なところだ。その地理感がないといふことは、よそから来た人なのだらうと推測してもなんらふしぎではない。

だが、どうやらさうではないらしいことが本日判明した。
件の女性は、仕事のできるはきはきした女性は、どうやら地理に疎いらしいのである。

聞くともなしに聞いてゐると、件の女性と同じ会社から来てゐる人が明日は法事でお休みなのださうである。その法事でお休みの人のゐない時に、さらに別の件の女性の上司が、「福井なんだつて」と云つてゐた。
すると件の女性、「福井つて云はれても……」ともごもご云つてゐる。ふだんの歯切れのよさからは考へられないやうなもごもごぶりだ。
すると、上司の人は慣れてゐるのだらう、手帳についてゐる地図を示し乍ら、
「これが福井。これが京都でこれが滋賀」
と教へはじめた。
「えー、福井つてこんなところなんですかー」
とか
「京都つて結構奥(日本海側までつてこと?)まであるんですねー」
とか
「あたし、新潟つてもつとこつちの方かと思つてました」
とか、感想を述べる件の女性。

これをして、バカにするのはたやすい。
しかし世の中の人は案外かうしたものな気がする。

ところが、地理を知らないと困ることがあるのだ。
たとへば、初対面の人に出身地をきいた場合である。
先日、とある人がこぼしてゐた。
「下関なんですよつて云ふと、「九州なんですか」とか「四国から大変ですね」つて云はれるんですよ」
と。
御存知下関は山口県。中には下関と門司がごつちやになるといふ人もゐるが、それくらゐはご愛嬌といふものだらう。
気にしない人はいい。だが、大抵の人は自分の出身地をまちがへられたらむつとするのではないか。
さう、地理を知らないと他人に不快感を与へる可能性がとても高いのだ。

こんな時に競馬競輪競艇オートレースが役に立つ……時もある、といふのはまた別の話か(笑)。

……それにしても不思議である。広辞苑をひくと、競馬競輪はそれなりに詳しく書いてあるものの、競艇は「モーターボートの競争」、オートレースは「オートバイ、自動車などの競争」としか書いてゐない。
いや、まあそのとほりだけどさ。
なんだかちよつとさみしかつた。

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Thursday, 03 August 2006

スポーツはいいねえ

みづから「負けました」とか「ありません」とかいふこともない。
盤面で地を数へて勝敗が明らかになるわけでもない。

囲碁や将棋だつてその勝ち負けにいろいろあやのつけやうはあるといふのに。

つねづね思ふ。
「スポーツマンシップに乗つ取り」といふが、その「スポーツマンシップ」といふのは「審判にバレなければいい」「審判を味方につければいい」といふ精神だ。まちがつてもみづから「負けました」と負けを認める潔さは「スポーツマンシップ」には存在しない。

なんでそんなものをありがたがるのか、やつがれにはとんと理解できない。

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Monday, 17 July 2006

必要な情報を求めて

いやはや、なんだかんだ云つてやつぱりすごいね。
Bloglinesで「モトGPはロッシ4勝目 オートバイ世界選手権」といふ見出しを見つけ、嬉々として見に行つた。
今期不調の囁かれてゐるヴァレンティーノ・ロッシ四勝目とある。ラップタイムまで書いてあつて、中野は六位、玉田はリタイヤとも書いてある。よしよし。
♯いや、玉田のリタイヤは残念だが、情報としては十分といふ意味。

しかし。
だがしかし。
ここには重要な情報が欠けてゐる。

仕方がないので、こちらこちらを見て、やつと知りたい情報を見つけることができた。
今期トップのニッキー・ヘイデンと今回のレースで二位に上がつたロッシとの差は26ポイント。その他、ペドロサとメランドリが優勝戦線に絡んでくると見られてゐる。残念乍らカピロッシはちよつと無理かも、みたやうな記事。

レーシングスポーツにはかういふ「総合成績」みたやうな情報が欠かせないと思ふがどうか。

ちなみに上記記事はFindoryで探してきた。Findory、はじめて試してみた時は「……なんだか全然見たい情報が選択されてこないんだけど」と思つてその後見に行かなくなつた。つい最近ふと思ひたつて見に行つたら、なんだかいい感じだ。とりあへずニュース関連はこちらで見やうかな、といつたところ。

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Thursday, 15 June 2006

大丈夫かと訊かれたら

箱根駅伝で、疲労骨折のため棄権した選手の談話である。
山梨学院大学の選手だつたと思ふが定かではない。

傍からどう見てもこの選手はどこかをかしいといふ状況で、それでもなほ監督は、車の中から、
「大丈夫か」
と訊いてきたさうである。

選手としては「大丈夫か」と訊かれたら「はい」と答へるしかない。
特に種目が駅伝である。自分が襷の流れを断ち切つてしまつたら……と考へると、決して「もうダメです」とは答へられまい。

おそらく、この選手は監督に「もうやめろ」と云つてほしかつたのだと思ふ。
ちがふ大学だが、同じ箱根駅伝でやはり疲労骨折が原因で途中棄権せざるを得なかつた選手に対してその監督は、コートを手にしてみづから車を降り、それでもなほ逃げやうとする選手を抱きとめたことがあつた。

集団として働く場合、時としてかうした判断が必要なのだと思ふ。

先にあげた監督のやうに、さうした判断はすべて選手にまかせるといふのもひとつだ。もう大人なのだもの、自分のことは自分で決める。さうあるべきである。
それは多分正しい。

今やつがれも普段まつたく顔をあはせない上司から「大丈夫か」と訊かれてゐる。
仕事の進捗のことなら冷静に論拠をあげながら大丈夫かどうか語ることはできる。
だが自分のことに関しては……?

未だ「ダメ」とは云へずにゐる。

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Saturday, 15 April 2006

「ファン」をかたる

岡田武史が全日本の監督になれないのは、かつてその地位にゐた時に三浦知良をきつたからだ、とこちらの記事にある。

バカな。
岡ちやんこと岡田武史の最大の功績は、ワールドカップ代表選手から三浦知良をはづしたことである。あの発表をきいた時、やつがれは快哉を叫んだ。「さすが岡ちやん、わかつてる」と思つた。
しかもこの時岡田武史はみづから代表選手を発表した。最近改宗したとかいふどこかのたれかのやうに、連盟の人間に発表をまかせることなく、自分でたれを選びたれをはづすかを公表した。

岡田武史の日本代表監督に異をとなへるのは内部の人間ではない、と、同記事にはある。かつて三浦知良を代表からはづしたといふ「功績」に対し、ファンが不信感を抱いてゐるからだ、といふのだ。

ファン。
日本の勝利をのぞまぬ輩の総称である。

岡田武史が監督としてすぐれてゐるのかどうか、正直云ふとやつがれにはわからない。
仏蘭西の世界杯では一勝もできなかつたし、コンサドーレ札幌の時は途中まではよかつたものの最後はグズグズだつたし、今はやつがれが日産自動車時代から応援してゐる横浜Fマリノスの監督をやつてゐるが、その采配がどうなのかは贔屓筋の常として冷静な判断を下せずにゐる。
以前から書いてゐるが、旧古河電工出身といふこともなんとなくうさんくささを感じさせる要因ではある。

だが、それでもやつがれは、仏蘭西ワールドカップの代表選手から三浦知良をはづしたといふ一点において岡田武史を監督として信頼してゐる。
スター選手でも、それまでどんなに功績のあつた選手でも、どんなに知名度の高い選手でも、使へない選手はきる。選手交代の時、「オレ? オレが交代するのかよ?」と反抗的な態度を見せるやうな、自分がチームの中で機能してゐるかゐないか判断できないやうな選手はすつぱりときる。
余人に出来ることではない。

それがわからないやうな「ファン」とやらの云ふことを、日本サッカー連盟は聞くべきではないし、聞く必要もない。

とはいへ、「次期代表監督に岡田武史……?」と思つてゐるやつがれだつたりはする。すまん。

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Sunday, 26 March 2006

なにがちがふといふのだらうか

本日開催の高松宮記念の結果は出てゐるのに、やはり今日行はれた日本選手権の結果が出てゐないのはどういふ訳?

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Saturday, 25 February 2006

伊太利といへば

やつぱりプッチーニよりヴェルディだよねえ。当然だよねえ。
さすがプルシェンコはよくわかつてゐる。伊達に「プルさま」とか呼ばれてゐるわけぢやない。

…………しかし「プルさま」と聞くとどうしても「プルサーマル」とか思つてしまふんだが、どこかをかしいんぢやなからうか。

つてーか二文字にちぢめて「さま」つけるのをやめんかっっ。

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八年間

長野五輪ではまさにdisasterであつた。
技と技のあひだのつながりがない。
ただただすべつてゐるだけ。
ダメ押しするやうに衣装も凄まじかつた。垢抜けないことこの上ないものだつた。
ほかに代表にたる選手はゐないのか。
たれもがさう思つたことだらう。

同じ選手が八年後、一位に輝くとはねえ。

八年間の重みを感じる。

しかし、ここではあへて村主章枝をたたへたい。
なぜなら村主は本邦のフィギュアスケート選手として非常にuniqueで稀有な存在だからである。
彼女のほかに「ジャンプ以外で」世界とわたりあつていける選手がゐないことを考へればそのuniqueさを理解してもらへることと思ふ。

なぜか世の中にはフィギュアスケートの選手を「ジャンパー」と「スケーター」にわけたがる輩がゐる。
バつカぢやなかろか(是非トニー谷風に)。
ジャンプしたいなら「ジャンプスケート」とでもいふ競技を作つてぴよんぴよんとびはねてゐればいい。フィギュアスケートなんざやめちまへ。

これつて、長いこと「技」「ジャンプ」でしか世界と張り合つてこられなかつた本邦の女子フィギュアスケート界の悪癖なんぢやなからうか。

しかし、やつがれが村主を推すのは実はほかに理由がある。
荒川不調の頃、恩田と村主の二強状態で、なぜか競技中の解説やメディアの取り上げ方などは圧倒的に恩田勝ちだつた。
恩田が日本でも屈指のさるコーチに師事してゐる一方、村主にはこれといつた後ろ盾がなかつたからである。

ジャンプの恩田それも一か八かのばくちみたやうなジャンプの恩田と比べて、村主の安定感はすばらしかつた。はつきり云つて村主の滑走の方が「フィギュアスケートを見た〜」といふ満足感を与へることが多かつた。

なぜ世の中はそんなにふみえちやんに冷たいのっっっっ。

とか云ひながら女子の体操(特に床や平均台)・新体操などとともにフィギュアスケートつてスポーツとしてどうよ、といふ気もする秋のゆふぐれなのだつた。

しかし五時起き……。頭が下がります。

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Sunday, 20 November 2005

オペラ歌手とスポーツ選手

数年前、初めて「ローエングリン」を聞きに行つた時のこと。
白鳥の棋士はルネ・コローだつた。
さう、あの原宿でオヤジ狩りにあつたルネ・コローである。

はじめてのことでよくわからなかつたが、どうやらコロー、調子が悪かつたらしい。
一幕目が終はつた後の幕間に、こんなアナウンスが流れた。

「ルネ・コローは風邪をひいてゐます。でもこの後も続けて出演します」

客席は一瞬戸惑つたやうな沈黙に包まれた後、拍手に覆はれたのだつたが。
やつがれはなんだか納得がいかなかつた。もちろん拍手もしなかつた。

仮にもプロである。しかも、オペラの席は法外な価格ときてゐる。
♯ま、価格については本邦の問題なのかもしれないが。

風邪をひいてゐるのなら最初から出なければいい。
出るんだつたらそんなこと云ふ必要はない。
今だつたらさう思ふ。

東京女子マラソンを見てゐて、そんなことを思ひ出した。

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Sunday, 02 January 2005

悪態の初音

毎年正月といふと、元日にニューイヤー駅伝と天皇杯、二日・三日は箱根駅伝をTVで見るのが常なのであるが。

別段、駅伝が好きといふわけではない。その他の番組、とくにヴァラエティ番組といはれる一連の番組を見るよりはまし、といつたところか。

しかし、特にここ十余年くらゐは、箱根駅伝になんとなく違和感を抱いてゐる。
自分ではなぜだかわからなかつた。
今日、こちらの weblog を拝見してゐて、「ああ、さういふことなのかなあ」と目の前が開ける気がした。

いつたいスポーツの選手といふものは、ちやほやされるものであるらしい。
去年プロ野球の球団から「お小遣ひ」などとて金銭を渡されるアマチュア選手のことが話題になつたが、おそらくもらつてゐる方は、それが特別なことだとは思つてゐなかつたのではないかといふ気がしてゐる。
視野狭窄、と、せんすさんの weblog には書かれてゐるが、多分さうなのだらう。幼い頃から野球だけ蹴球だけ走るだけの生活で、それをしてさへゐれば褒められる生活を送つてゐると、自然とさうなるのだらうことは、容易に想像がつく。

それはスポーツに限らないのかもしれない。勉強のできる子は勉強が、絵のうまい子は絵が、ピアノのうまい子はピアノが、スポーツにとつてかはるのかもしれない。
だが、勉強ができるプロといふのは存在しないし、絵やピアノには存在するが、スポーツのやうにマスメディアにとりあげられる例は少ない。

だが、所詮はスポーツである。たかが野球、たかが蹴球、たかが駅伝である。

さう考へると、みづからの子供にスポーツをすすめるのはどうかといふ気もしてくる。
心身を鍛えるためならよからう。だが、世間を知らせないのは子供のためにはならない。親も一緒になつて世間をせばめては、家族のためにもならない。

……などと書きながら、「考へてみたら、自分は世間を知らないなあ」といふことに思ひ至つた。

人を呪はば穴二つとか。

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