Thursday, 13 August 2020

アニメのエンディング選曲

『泣き虫弱虫諸葛孔明』第伍部の文庫版を読んでゐる。
単行本で一度読んでゐるのに、うつかり笑つてしまふ。
たとへば、北伐に赴く蜀軍を見送る民衆の中に、赤い手ぬぐひを振つてゐる人がゐる、とか。
誰のためでもいいぢやないか、とかロマンとか地の文にあつて、思はず笑つてしまふ。
つづいて十四万八千光年とか出てくると、腹がよぢれるかと思ふ。

「真つ赤なスカーフ」、名曲だよね。
数あるアニメのエンディングの中でも一番好きかもしれない。
と、考へて、だが待てよ、とも思ふ。
『ガンバの冒険』のエンディングがまたいいんだよね。
絵自体はあまり動きがないのに、ものすごく動いてゐる感じがする。
歌詞がまたダークでいい。
ノロイ最強(最凶)。

あるひは黄色いマフラーの昭和の『サイボーグ009』のエンディングもいい。
これもあまり絵に動きがなくて、草原の草が風になびくさまがとてものどやかだ。
この『サイボーグ009』は主題歌もいいけれど、エンディングののんびりとくつろぐやうな、それでゐてちよつと切ない歌がまたいいんだなあ。

切ないといへば『伝説巨神イデオン』のエンディング、「コスモスに君と」。
『イデオン』はあまり見てゐなかつたのだが、なぜかこの歌は歌へる。
傷を舐め合ふ道化芝居ですよ。

同意を得られるかどうかあまり自信がないけれど好きなのが『最強ロボダイオージャ』のエンディング、「よかつたね宇宙」。
題名通りの歌だ。
助さん格さん……もといスケさんカクさん、今日もめでたしめでたしで、よかつたね。
なにせエドワード・ミト王子だから、最後は印籠ぢやないけど紋所を出して成敗してめでたしめでたしなんだよ。
それをかはいい絵柄にあはせたのかこれまたゆつたりとしたテンポで歌ふ。

『COWBOY BEBOP』のエンディング、「THE REAL FOLK BLUES」。
絵はモノクロのやうな感じで、スモーキーなブルースが流れる。
世の中、なにもかもどつちつかずよ、みたやうな。
「All that glitters is not gold.」は英語のことはざだけれども、なんとなくレッド・ツェッペリンの「天国への階段」を思ひ出さないこともない。

個人的には『銀河旋風ブライガー』のエンディング、「さすらひキッド」も好きだけれど、世の中的には『銀河烈風爆シンガー』のエンディング、「アステロイドブルース」の方が有名だらうか。
J9シリーズは山本正之の手がけた歌が多く、ロックだけどどこか演歌な響きもあつて、それもいい。

山本正之といへば、タイムボカンシリーズのエンディング、特に悪役三人がfeatureされてゐる歌はどれも最高だ。
『ヤッターマン』の2度目のエンディングだつたか「悪役主役よモテモテよ」つて、ほんとそのとほりだよ。

アニメのエンディングには、主題歌は勢ひがあつたり明るかつたりするのに、どこかしんみりとしたものがあつたりもする。
『タイガーマスク』に『ドカベン』、『キューティー・ハニー』に『キャンディ・キャンディ』とかね。
いまだと『おじゃる丸』のエンディングが毎回変はつてゐて好きだ。
とくに好きなのが電ボの歌ふ「恋をいたしましょう」。
ハワイアンの波間にゆれるやうなメロディで、電ボの声(岩坪理江)がぴつたりあふ。
いいなあ、恋をいたしませう。

脳内の記憶をはたけばまだ出てきさうな気がするけれど、ぱつと思ひつくのはこんなところかなあ。
なんか、いくらでも歌へさう。

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Friday, 29 May 2020

逆輸入: スパイク・スピーゲル

久しぶりに「Tank!」を聞いた。
アニメ「COWBOY BEBOP」の主題歌だ。
ここのところ新型コロナウィルスの流行で演奏家や歌手がそれぞれの居場所にゐながらセッションをしてその動画を投稿するといふことがしばしばある。
「Tank!」もそのひとつだつたやうだ。

「COWBOY BEBOP」といえば、ハリウッドで実写化といふ話はどこにいつたのだらうか。
最初はキアヌ・リーブス主演で、といふ話だつた。
その後実写化の企画は流れたといふ話で、しかし、やはり生きてゐるといふ話を聞いてそのままになつてゐる。

その「Tank!」を聞いたときにこんなことをつぶやいてゐる

そういや、母さん、消えたと思ったら生きてた「COWBOY BEBOP」の実写映画化、どうなつたんでしょうね。ええ、夏、碓氷から霧積へ行く道で見たあの「COWBOY BEBOP」ですよ。母さん、あれは好きなアニメでしたよ。
これへの返信で「松田優作つながり」とも。

こどものころ、松田優作はそんなに好きではなかつた。
といふか、自分には関係のない俳優といふ感じだつた。
主役体質の俳優はあまり好きにならない。
それはいまも昔も変はらない。
脇役の松田優作つてあんまし記憶にないんだよね。
見るときはいつも主役。
そして、一緒に出てゐる脇役に気を取られてしまふ。
有り体にいへば成田三樹夫とかですね。

それが、二年前に「探偵物語」の再放送を見てゐたら、これがなんだかいいのだ。
工藤ちやん、スパイクみたやう。
それが理由だつた。

逆だらう?
「COWBOY BEBOP」のスパイク・スピーゲルが松田優作(&ブルース・リー, and all)だらう?

さうなんだけどさ。
なんかかう、逆輸入的に(違ふか)よかつたのだ。
同時期に「蘇る金狼」とか「最も危険な遊戯」とかを映画館で見る機会があつて、やつぱりスパイクだなあ、としみじみ思つた。
シルエットとかね。動きとか。とつてもスパイク。

スパイク・スピーゲルが好きな理由は、主人公なのに主人公臭がないことだ。
主役なんだけどな。
そして、「COWBOY BEBOP」が好きな理由のひとつもそこにある。
思へば「銀河旋風ブライガー」や「疾風!アイアンリーガー」が好きなのもそれだ。
主人公が主人公つぽくない。

で、「探偵物語」や「蘇る金狼」を見返して松田優作のことが好きになつたかといふと、うーん、多分、さうでもない。
でも、以前より出演作があつたら見てみたいなと思ふやうになつた気はする。
二年前に映画館に行つたのも、「ちよつと確認してみるか」といふ気持ちだつたやうに思ふし。

かくして新たな道が開けることもあるのだなあ。

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Thursday, 05 September 2019

2色カラー原画を見る

先月末、大英博物館のまんが展に行つてきた。

さまざまな原画が展示されてゐる中に、数は少ないながら二色カラー原稿もあつた。
気がついた範囲では三種類。
さいとうたかをの「無用ノ介」、高橋陽一の「キャプテン翼」、そして竹宮恵子の原画だ。

二色カラーとは文字通り二色しか色を使つてゐないカラー原稿または印刷のことを云つてゐる。
まんがだと主に黒と朱色とを用ゐるといふ。
黄色と茶色の場合もあると聞く。
二色(プラス白)を混ぜあはせてさまざまな色を作つて原稿を彩る。
フルカラーでいきたいのはやまやまだが、費用その他のことを考へての上の二色カラーであつたらう。

「無用ノ介」の二色カラーは1969年と書いてあつたやうに思ふから、連載途中のものだらう。
少年誌の二色カラーといふのはよくいへばはつきりくつきり、悪くいへば大ざつぱなところがあるやうに思ふ。
少女誌と比べてしまふからかもしれないけれどね。
でも「無用ノ介」の二色カラーは思つてゐたよりもずつと多彩で、繊細な色遣ひのところもあつた。
印刷すると印象が変はるのかもしれないな。

「キャプテン翼」は絵柄からいつて、連載開始直後の二色カラーだ。もしかすると連載初回かな。
これも、誌面で見たときよりもずつと多彩で淡い色やぼかしなどもあつて、少年誌の二色カラーを誤解してゐたかな、と思ふほどだつた。

その印象は、しかし、竹宮恵子の二色カラーを見てほぼ吹き飛んでしまふ。
竹宮恵子の二色カラー原稿のすばらしいことよ。
云はなければ、黒と朱色と二色しか使つてゐないとは一瞬思はないかもしれない。
背景は宇宙でほぼ黒なのだが、白く細かい点で星を描き、星雲なのか灰色のグラデーションの部分がある。
宇宙の背景の上にところどころ人物の絵があつて、髪の色、皮膚の色、目の色、衣装の色のうつくしいこと。
そして絵全体を眺めたときのカラフルな印象。
思はずこの絵の前で立ち止まつてしまつた。

二色カラーのまんがは、現在ではほとんどないと聞いてゐる。
カラーはフルカラーばかりだといふ。
たぶん、それがほんたうの姿なのだらう。
苦肉の策の二色カラーは廃れてしまつても仕方がないのかもしれない。

しかし、二色しか使へないといふ拘束状態から生まれるカラー原稿のすばらしさといふのもあると思ふんだよなあ。

木原敏江の二色カラーは二色なのに華やかだつたやうに記憶してゐる。
成田美名子の二色カラーはすみずみまできつちり塗られてゐて可憐。
三原順の「ロング・アゴー」の二色カラーはどこか重厚で話の内容にふさはしい感じだつた。
少年誌では新谷かおるの二色カラーがダントツでうつくしかつたなあ。

かうした原画を見てみたい。
おそらく、さいとうたかをや高橋陽一の二色カラーを見たときに思つたやうに、印刷するとつぶれてしまつたり消へてしまつたりする表現があるんだらう。
原画で見たら、さうした部分もはつきり見えるのではあるまいか。

今回のまんが展では、まんがの原画を収集して適切に保管することが急務である、といふ話も出てゐる。

二色カラー原稿展覧会なんて、開かれたりしないかなあ。

夢ばかり広がる展覧会だつた。

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Wednesday, 24 October 2018

まんがの思ひ出

生まれてはじめて買つ(てもらつ)たまんがの単行本は、有吉京子の「なにクソッ天才!」である。

成績優秀な生徒ばかり集めてゐるとある高校に図抜けて成績のいい女子生徒が転校してくる。
あまりにも出来るのでもとからゐる生徒の反感を買ひ、学校の中でもとくに特待生ばかり集めた校舎へと送り出されるのだが、この特待生といふのが常軌を逸した生徒ばかりで……
といふやうな内容だ。

もうひとつ掲載されてゐたまんがは、こんな内容だ。
母子家庭で、長女・次女・長男・三女の五人家族の家に、ひどく不釣り合ひな高級車が停まる。
中から出てきたのはこれまた裕福さうな人物。
その後、母や姉が突然妹につらくあたりはじめたことを不思議に思ひつつも、長男は三女とともに家出をはかる。
実は、生活があまりにも苦しいので、母親が三女を養女にしやうと計画してゐたのだつた。
高校生か中学生とおぼしき長女と次女とはそのことを知らされてゐたが、小学生の長男と当事者でもある三女はそのことを知らなかつた。
その事実を知らされて長男は……

「なにクソッ天才!」ではカトリーヌ・ドヌーヴだとかブリジット・バルドーだとかの名前を覚えたなあ。
どういふ人物かといふのは知らないけれど、どちらも美女なのだらうといふことはわかつた。
もうひとつのつらい内容のまんがからは、遊園地には入場券がないと入れないといふことを学んだ。
なにしろこの一冊しかまんががないものだから、くりかへしくりかへし読んだのだつた。
そのわりにはあまり覚えてゐないけれどもさ。

のちに「SWAN」に出会つて、「え、あの「なにクソッ天才!」を描いた人のまんが? えー、絵が違ふ」と思つたなあ。
よくよく見比べればおなじ人物の描いたものだとわかつたのだらうけれども。

母自身もまんがが好きだつたせゐか、雑誌を買つてもらふこともあつた。
「なにクソッ天才!」のころは「週刊マーガレット」や「別冊マーガレット」を読んだ記憶がある。
毎週毎月買つてもらへたわけではない。
多分、一冊買つてもらつて、それをしばらく読んでゐたのではないかといふ気がする。
それに、実をいふと「週刊マーガレット」の記憶はあまりない。
「つる姫じゃ〜っ!」を雑誌で読んだ記憶があるので「週刊マーガレット」を買つてもらつたことがあるのだらう、といふくらゐで、ほかのまんがの記憶がないのだつた。
次回予告に怖いまんがのことが載つてゐたので、あまり読まないやうにしてゐたのかもしれない。

「別冊マーガレット」では和田慎二の「わが友フランケンシュタイン」ものを読んだ記憶がある。
ヒルダといふ口のきけない少女が村の人々によつてたかつていぢめられる話だつた。
三原順の「赤い風船のささやき」も読んだ。
「なにクソッ天才!」よりもこちらの方が後のまんがの好みに影響を受けたやうに思ふ。

小学一年生のときに、叔母から「花とゆめ」をもらつてその後しばらくは毎号買つてもらつてゐた、といふ話は以前書いたな。
そのあと「なかよし」「別冊少女コミック」「ひとみ」「Lala」と変遷する。
「別冊少女コミック」は入院したときにお見舞ひとしてもらつて、それで買ふやうになつた。吉田秋生のデヴュー作とおぼしきまんがを読んだ記憶がある。

入院してゐたときはほかにもお見舞ひとしてまんが雑誌をもらつて、中に名香知子の「緑の目の城主」シリーズ三作を掲載してゐるものがあつたなあ。どの雑誌だつたんだらう。
文月今日子のまんがも載つてゐたやうに思ふが別の雑誌だつたかもしれない。

叔母から「花とゆめ」をもらつたときは従姉と一緒だつた。
叔母から「花とゆめ」と「少女フレンド」とどちらがいいか訊かれて、従姉は「少女フレンド」、やつがれは「花とゆめ」を手にしたのだつた。
趣味がわかれてゐてよかつたな。
しかし、このとき「少女フレンド」を選んでゐたら、その後読むまんがもまた違つてゐたんだらうなあ。
従姉もその母である叔母もまんがが好きで、「はいからさんが通る」とか遊びに行つたときに読んだなあ。
従姉は(叔母は、かもしれないが)「プリンセス」を買つてゐて、「悪魔の花嫁」が怖かつたのと、「イブの息子たち」がなにがなんだかさつぱりわからなかつた記憶がある。「イブの息子たち」はそのわけのわからなさがいいんだけどさ。
「母恋千鳥」といふまんがもあつた。のちにオバタリアンと呼ばれるやうなをばさんの家に居候する少女・千鳥の物語だつた。
をばさんとその娘とからひどい扱ひを受ける千鳥だが、何作か読んでゐると千鳥にも抜けたところがあつたりして、一概に可哀想とばかりもいへないまんがだつた。
母が云ふには、以前はかうした「継子もの」のまんががあつたのださうだ。
リアルタイムで読んだのはこの「母恋千鳥」くらゐではないかなあ。

思へば、当時とまんがの趣味はあまり変はつてゐない。
だからいま読むものがあまりないといふ話もある。
健全なまんが読みの人はそのときどきにその場にあるまんがを読んで自分の中の「まんが」をアップデートしていくものなのだらう。
残念ながら、やつがれの「まんが」は「わが友フランケンシュタイン」や「赤い風船のささやき」、「だから旗ふるの」あたりで停まつてしまつてゐるやうだ。

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Thursday, 16 April 2015

実写版映画も悪かない

この土曜日に「ドラゴンボールZ 復活のF(以下「復活のF」)」が公開される。
Fが復活するのなら、そのうちCも、と思ふのは、至極当然のことだらう。
さういふ展開が透けて見えるので、「映画? あーそー」的にかまへてゐる。
見には行くと思ふけれどもね。

映画の前作「ドラゴンボールZ 神と神(以下「神と神」)」のときもさうだつた。
「ドラゴンボールの新作? 見には行かないなー」と思つてゐた。
見に行つた人から、「すつごくいいから」と云はれて、見に行つたらそのとほりだつた。
なにしろ都合三回は見に行つたからね。

なにがよかつたのか、といふと、素の状態に戻つた孫悟空と破壊神ビルスとの戦闘場面だ。クライマックスである。
それまで控へ気味だつたスローモーションからはじまつて、これまたそれまで地上や上空が舞台だつたところを地下といふ閉息した状況にもつてきて、息をもつかせぬ大バトル、といふ、ほんの数分のシーンに毎度見入つてしまつた。
「これは大画面で見たい!」と最初に見たときに思つたので、その後二度も通ふことになつた。

あと細かいところでいふと、ピラフ一味がよかつたな。
きみら、ずーつと一緒でずーつとあーんなことやこーんなことをやつてきたんだね。
ピラフ、シュウ、マイの三人の息がぴつたりで、見てゐるこちらは一瞬「ドラゴンボール」がはじまつたばかりのころに戻つたやうな気分になる。
すこし遅れて、そのころから流れた時間と、その時間をともに過ごしてきたであらうピラフ一味を思ふ。
ピラフ一味、イカすわー。

「神と神」のパンフレットに寄せられた文章などを読むと、この映画が作られることになつたきつかけは、ハリウッドの実写版「ドラゴンボール」であるらしいことが、ぼんやりと見えてくる。

実写版「ドラゴンボール」は飛行機の中で見た。
機内のちいさなモニタで見たくらゐでものを語るな、といふ向きもあるので、絵については語らない。

実写版「ドラゴンボール」は、よくある話である。
いぢめられつ子だつたり極々平凡だつたりする主人公はひよんなことから特殊能力を得る。仲間とともに秘宝を探す旅に出て、邪悪な強敵と戦ふことになる。
ハリー・ポッター?
スターウォーズ?
ホビットの冒険?
こんな内容の話はいくらでもある。
「ドラゴンボール」だつて、多少アレンジはあるものの、大筋はこんなところだ。
そこに「学校ではいぢめられつ子」といふ詳細を付け足す必要はない。
少なくとも「ドラゴンボール」でそれをやる必要はない。
かうした細かい付け足しがことごとくうまくないんだよなあ。

実写版「ドラゴンボール」は、「ドラゴンボール」でなかつたとしてもおもしろいとは思へない。
「ドラゴンボール」といふ名前を冠してゐなかつたら公開されなかつたのではあるまいか。
なんだかよくわからないけれども世界的に人気のあるまんが/アニメーションの実写化だからこれでいいだらう。
そんな映画なのである。
そんな映画なのに、続篇を作る気満々といつたやうなエンディングが用意されてゐる。
見てゐる方はもうこれ以上シラケやうもない状態なのに、さらにシラケることを強要される。
実写版「ドラゴンボール」はそんな映画であつた。

ところが世の中わからないものだ。
この実写版「ドラゴンボール」が引き金となつて、「神と神」が世に出ることになつたといふのだから。
一昨年、「神と神」をはじめて見たときに、心の中で実写版「ドラゴンボール」にちよつとばかり感謝してゐた。
実写版「ドラゴンボール」があつたから、「神と神」が生まれた。
なんとありがたいことではないか。
まんがやアニメーションの実写版つて、悪いばかりでもないんだな、どんな出来であつたとしても。

さて、「復活のF」である。
Fことフリーザさまがすばらしいことは十二分に理解してゐるので、あとはなんか妙ちきりんなことをやらされたりしてゐないことを祈るばかりである。
なにを云つても、ともちやんだしね、フリーザさま。
見終はつて、「復活することなかつたのに」といふ感想を抱くことのないやうな出来でありますやうに。

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Friday, 10 April 2015

読み返したいけどちよつと怖い

こどものころのことである。
叔母がいとことやつがれとに「少女フレンド」と「花とゆめ」を示し、「好きな方をあげるよ」と云つた。
いとこは「少女フレンド」を取つた。
やつがれの手元には「花とゆめ」が残つた。

これがやつがれの少女マンガの趣味嗜好を決める結果となつた。

それ以前にも、「別冊マーガレット」を読んではした。
病院通ひが多かつたためか、母がたまに買つてくれたのだつた。
母は病院にある本を読むのをいやがつてゐた。
読みたかつたのは母だつたのかもしれない。
そこで和田慎二の「わが友フランケンシュタイン」シリーズを読んだりしたのだつた。
この時点で、まんがの好みはある程度決まつてゐたと思はれる。
そこに「花とゆめ」だつた。

当時の「花とゆめ」では「ガラスの仮面」の連載も「スケバン刑事」の連載もまだ開始してはゐなかつた。
連載作品として記憶にあるのは「アラベスク」第二部の終盤だ。
主人公ノンナがラ・シルフィードを踊つてゐる最中に、伴奏してゐたビアニストが突如演奏をやめてしまふ。しかし、ノンナはそれにも気づかず踊りつづける、みたやうな場面を今に至るまで覚えてゐる。
水野英子の連載もあつたやうに思ふが、定かではない。
こやのかずこの連載は終はつてゐたやうに思ふけれど、一度くらゐは巻頭カラーで見たやうな気もする。
読み切りでささやななえ(当時)が怖いまんがを描いたり、山田ミネコが不思議なまんがを描いたりしてゐた。

そんな中に「だから旗ふるの」といふまんががあつた。
「はみだしっ子」シリーズとの出会ひだつた。
やつがれがアンジー派であつてもなんの不思議もない。
中学に通ふやうになつて、友人がグレアムが好きだといふのに驚いたり、実は世の中にはグレアム派が多いのだといふことを知つたりするやうになる。
それまではひとりで三原順を読んでゐた。

そんなわけで四月四日のヤマザキマリの講演会には行きたかつたが、行けなかつた。
水戸に行つたからである。

「ひとりで三原順を読んでゐた」と書いたが、本はひとりで読むものだと思つてゐる。
まんがは少し違ふかな。
まんがは、とくにこどものころはたくさんは買へないので、ともだち同士で持ち寄つて互ひに貸し借りをしてゐた。小学校高学年くらゐのころのことだ。
読むときはひとりなのだが、読んだあとに「あの場面がどうの」「この登場人物がかうの」といふ話を仲間うちでするやうになる。
「はみだしっ子」シリーズの単行本を持つてゐるこどもは、やつがれの周りにはゐなかつた。
やつがれ自身は二巻と四巻とを持つてゐたと思ふ。
なぜか一巻とはなかなか本屋で出会ふことがなかつた。
三巻は買はうとしたら売り切れてゐた。
そんなにお小遣ひがあるわけでもなかつた。
しかも母は三原順が好きではなかつた。
好きだつたら買つてもらふこともできたかもしれない。
残念なことである。

手元に二巻と四巻としかない状況で、ともだちには貸せなかつた。
基本的には一話完結だが、一応話はつづいてゐる。
一巻で出会つた人のつてで三巻に登場する人に会ひに行き、四巻ではそのふたりが重要な役割をはたすやうになる。
やつがれはそのことがわかつてゐるからいいが、はじめて読む人間にはやさしくない。
そんなわけで、当時は「はみだしっ子」仲間が増えなかつた。

しかし、三原順は、ひとりで読む方がいいのかもしれない。
友人と一緒に読んで、「Die Energie 5.2☆11.8」を語り合つたりするだらうか。
語り合つたとして、どんなことを?
あのまんがを友人と「あーでもない」「こーでもない」と喋り倒すところがやつがれには想像できない。
せいぜい、「重たかつたね」「うん、よかつたけどね」「うん」くらゐが関の山だ。

「Die Energie 5.2☆11.8」を「あーでもないこーでもない」と語り合ふやうなこどもだつたらよかつたのになあ、とは思ふがね。

中学生になると、上に書いたグレアム派の友人以外にもまんがを読む同級生が周囲に増え、「花とゆめ」や「Lala」を読んでゐる人も多かつた。
多かつたけれど、さういふ友人たちとしてゐたのは「パタリロ!」の話だつたり「エイリアン通り」の話だつたり、「紅い牙」シリーズの話だつたりした。
掲載誌は違ふけれど、「那由他」の話なんかもあつた。
でも、「はみだしっ子」や「ルーとソロモン」の話をした記憶はほとんどない。
Untouchable。
そんな雰囲気だつた。
敬して遠ざける。
そんな雰囲気もあつた。

かくいふやつがれは、もう長いこと「はみだしっ子」シリーズを読み返してはゐない。
「ロングアゴー」を三年ほど前に読んだかな、くらゐである。
読み返さない理由は、読み終はつたあと「この世」に返つてこられなかつたらどうしやう、と思ふからだ。
来る連休にでも読み返して、五月病にでもかかつてみるか。

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Wednesday, 09 October 2013

覚えきれないキャラクター

録画機が勝手に録画してくれるので、「おじゃる丸」と「忍たま乱太郎」、「それいけ! アンパンマン(以下、「アンパンマン」)」とを見てゐる。
「忍たま乱太郎」だけはなぜだがたまにしか録画しない。一週間に一度とか二週間に一度とか、さういふ気まぐれな感じで録画してゐる。

現在の録画機で一番最初に予約録画したのは「連続人形活劇 新・三銃士(以下、「三銃士」)」だつた。
しばらくしたら、録画機は「アンパンマン」を勝手に録画するやうになつた。
おそらく、「三銃士」に戸田恵子と山寺宏一とが出てゐたからであらう。
その後、録画機は「ドラゴンボール改」を録画するやうになる。これは「アンパンマン」に出てゐる中尾隆聖と鶴ひろみとのせゐなのではないかと思ふのだが、ここではそれはおく。

「おじゃる丸」も一時は予約録画してゐた。そのうち録画を消化できなくなつて、やめた。
やめてしばらくしたら、録画機が勝手に録画するやうになつた。
「忍たま乱太郎」は、「おじゃる丸」からの類推で録画機が「録画しておくか」と思つてするやうになつたのだらう。

ほかにも、録画機が勝手に録画してくれるものはいろいろある。
結局見続けてゐるのは、この三つ、かな。ほかにも「心に刻む風景」とかあるけれど。

「おじゃる丸」、「忍たま乱太郎」、「アンパンマン」に共通することはなんだらうか。
アニメ?
お子様向け?
長寿番組?

そのとほりだが、この三番組に共通してゐて、やつがれの心をぐつとわしづかみにする共通点が、ひとつある。
それは、「登場人物が多い」といふことだ。

とにかく、やたらと登場人物が多い。
「アンパンマン」などは、登場人物が一番多いといふのでギネスブックに載つた、といふ話を聞くほどだ。
基本的な登場人物はきまつてゐる。
「おじゃる丸」なら主人公のおじゃる丸に電ボ、かずまに子鬼のトリオといつたところか。
「忍たま乱太郎」なら主人公の乱太郎にきり丸、シンベヱにヘムヘム、かなあ。学園長・山田先生・土井先生も入れてもいいかもしれない。
「アンパンマン」なら主人公のアンパンマンにジャムをぢさん、バタ子さんにチーズ、ばいきんまんにドキンちやん、か。

基本的にはこんな感じで、加へて準レギュラーのやうな登場人物がゐる。さらに、その時々のゲストキャラクターが出てくる。
正直云つて、「アンパンマン」を見はじめてずいぶんたつが、未だに「え、こんな登場人物(「アンパンマン」の場合は「人物」かどうかはひどくあやしいのだが)、ゐたの?」と思ふやうな登場人物がゐる。
ギネスブックに載つただけでは物足りないとでも云ふのか、この期に及んで新たな登場人物が出てきたりもする。

楽しい。
楽しいぢやあないか。

なぜだか登場人物が多いと心躍る。
なんだらう。こどものころに親しんだ源平ものの本のせゐか。
源平ものつて、やたらと登場人物が多いんだよね。それも、似たやうな名前の人が何人も何人も出てくる。
だから全員を知つてゐる、とか、全員を覚えてゐる、といふことはない。
ないけれど、そこらへんは幼いころに覚えたものといふことなのか、時折ふつと意識の表面に浮かんでくることがある。
名前だけ覚えてゐて、なにをした人だか、どういふ人だかまつたく記憶にない、なんてな人もゐる。

あるいは、推理小説のせゐかもしれない、とも思ふ。
アガサ・クリスティとかエラリー・クイーンとか、やたらと登場人物が多い作品があつたりしないか。
巻頭にならんだ登場人物一覧を見ると、「なんでこんな人物が?」といふやうな人まで並んでゐたりする。
読者の目を惑はせるためだらうとは思ふけれど、「この中に犯人がゐるのかー」とか、読む前から楽しいんだよね、あの登場人物一覧。

まあ、「おじゃる丸」などはやはり源平ものの流れだな。犯人あてとかないし。

「アンパンマン」では、頭にコのつく名前の登場人物がどうもあまり好きになれない。
具体的にはコキンちやんとか鉄火のコマキちやんとかだ。唯一の例外はこむすびまん。こむすびまんはちよつと好き過ぎるくらゐ好きだが、それも今回はおく。
あとメロンパンナちやんがわかんないんだよなあ。なんであんなに人気があるんだらう。理解に苦しむ。ロールパンナちやんのよさはよくわかるんだけど。

といつた感じで、どうもいけ好かない登場人物もゐるにはゐる。
ゐるにはゐるけれど、つい見ちやふんだよなあ。
自分から録画して見やうとは思はないけれど。

ところで、「忍たま乱太郎」と「アンパンマン」とには、もうひとつ個人的に看過できない共通点がある。
それは、配役が豪華、といふことだ。
それゆゑにかなしい思ひをすることもある。

今年、内海賢二が亡くなつた。
内海賢二といへば、毎年六月の頭にむしばきんまんとして「アンパンマン」に登場するのが常だつた。
ちやうど、今年の分が放映されるころ、訃報に接した。
むしばきんまんは毎年六月にはづせない登場人物なので、今後も出てくるのだらう。
おなじことははみがきまんのときも思つたけれど、来年のことを思ふとひどくさみしくなつた。

また、しばらくたつてから、今度は魔法のランプの巨人として登場したことがあつた。
魔法のランプの巨人の最後のセリフが、「またお会ひしませう」だつた。
内海賢二の最後の仕事は「銀の匙」だつたさうだけれど、自分の中では「アンパンマン」の魔法のランプの巨人になつてしまつた。
あーあ。

などといふこともありつつ、それでも「配役が豪華」といふことで見てしまふんだよなあ。
「アンパンマン」にしても「忍たま乱太郎」にしても、いまどきちよつとないくらゐ豪華だもの。
それでゐて(あるいはそれだから、か)登場人物が多い。
やめられませんな。

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Saturday, 29 October 2011

「夢の中 悪夢の中」を読む

「相手の幸せが自分の幸せ」つてことが、お前はわかつてない。

主人公の母はさう云ふ。さう云ふて主人公の結婚に難色を示す。

主人公から見ると、それがわかつてゐないのは母親の方だ。母親は自分の価値観を押し付けてくる。常に明るく賑やかにかつアクティブで食欲旺盛であれ、と。さうあらねば、お前はどこかをかしいのではないか、と。

三原順の「夢の中 悪夢の中」は恐ろしいまんがだ。ホラーといふわけでも、怪奇小説といふわけでもない。「悪意の人」も存在しない。
なのにこの恐ろしさはどうだらう。
「ほんとに恐ろしいのは人間なんだよ」とはこのことか。

「夢の中 悪夢の中」は三原順最後の短編集を文庫化したものだといふ。四篇あつて、うち最初の二篇ははじめて読むまんがだつた。
三原順のまんがでまだ読んでゐないものがあつたなんて、と、感慨深い。

まるで小説を読んだかのやうな読後感。今だつたらどんなまんがを描いてゐただらう。あひかはらず小説のやうな読後感をもたらすまんがを描いてゐたらうか。ますます「イヤな終り方」をする方向にむかつてゐたらうか。それとも、と、読んでゐて妄想は尽きない。

表題作に、エリ・ヴィーゼルの小説が出てくる。セリフにさうあるわけではないが、登場人物の手にしてゐる本に「L'AUBE Eli Wiesel」と書いてある。
確かはみだしつ子ではフランケルを引用した箇所があつたやうに覚えてゐる。
かつて、三原順を読んで、「この本を読みたい」「この曲を聞きたい」と思つたものだつた。
さうして「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」を読み、クリーデンスクリアウォーターリヴァイヴァルの「Someday Never Comes」を聞き、エマーソン、レイク&パーマーを知つた。
サイモンとガーファンクルが使はれてゐれば、ニヤリとし、競馬もちよつとばかり覚えた。
三原順やかつて自分が読んでゐたころの少女まんが家にはさういふ力があつて、そして、今もそれは変はらないのらしい。

作中で、登場人物は云ふ。
「この本(「夜」)は第二部と第三部を読まなきやダメなんだよ」
「夜」を読み終へた時点で感想を述べやうとする主人公は、さう云はれて、第二部、第三部を読む。
そして、「夜」と「夜明け」だけ読んでわかつたつもりになつてゐたことにショックを受ける。

このエピソード自体は本筋ではない。けれども忘れられない。そして、自分も読んでみたいと思ふ。

「夜」は最近復刊されたやうだが、つづきの入手はむづかしさうだ。米Amazonには三部作のペーパーバックが売られてゐる。
買ふしか?

死してなほ、三原順は自分を本屋に走らせる。

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Sunday, 03 December 2006

原作はおもしろいのにねえ

夕べ、新聞のTV欄をみてゐたら、「拝み屋横丁顛末記」といふ文字を見かけて、その時間そのチャンネルにあはせてみた。

……ま、深夜ドラマだからね。しかも土曜の深夜。

とはいふものの。
うーん、もつたいないなあ。原作のまんがはほんたうにおもしろいのに。俗に云ふ「ゴールデン」の時間帯に放映してもいいくらゐだと思つてゐる。
戀愛色がうすいからダメかな? それにあの拝み屋横丁ではスポンサの付きやうがないかな。さうかなさうかも。

来週は原作にもある話を放映するらしいから、それを見てから判断した方がいいかな?
今回の話は原作にはなかつたと思ふ。まあ単行本しか読んでゐないので、どこかでかういふ話があつたのかもしれない。でも男の子が拝み屋横丁にやつてきた理由は「両親から人生修行に出された」とか云つてたから原作とちがふし、大家さんは父娘の感動の場面とかに出会つても涙しないと思ふし、作家の先生はかはいいタイプでなくてやうすのいいタイプだと思ふぞ。

最近実写ドラマ化されるとアニメーション化もされたりするが、これもなるのだらうか。

あんまり好きなものをふやさない方がいいかなと思ふあきのゆふぐれ。
かなしいこともふえるからな。

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Saturday, 23 September 2006

Generation Stand-up Comedy

最近お笑ひ番組を見ることがある。
見てゐて気になることがある。
それは、「そのネタつて、ある一定の年代(とそれ以降)でないとわからないんぢやないの」といふものがあることだ。

たとへば、まんが・アニメーションネタである。
昨今の若手(と目されてゐる)芸人の中には、キン肉マンやドラゴンボールをくすぐりのやうに入れてくるものが多いのだ。

確かに、キン肉マンもドラゴンボールも一世を風靡し、今なほ絶大なるファン層を誇るまんがであるが(ドラゴンボールに至つては全世界の半分くらゐには伝播してゐるのではないかと思はれるが)、それでも、おそらくある一定の年代以上の人にはわからないものなんぢやないかな、と思ふのである。

ためしに職場のもうすぐ四十歳二児の父にそれとなく話をもちかけてみたが、彼はドラゴンボールのことはまつたくわからないと云つてゐた。一方で彼の同期の人間に餃子のフィギュアを見せてみたら「天さんはゐないの?」と逆に訊かれたこともある。
♯ちなみにこの餃子のフィギュア、実によくできてゐるのである。
♯まつこと愛い奴ぢや。

おそらく、ドラゴンボールに関しては四十代を境にわかる人とわからない人が大きくわかれるんぢやないかなあ。キン肉マンもそれくらゐだが、ドラゴンボールよりはまちつと上だらう。

しかし、かうしたネタを披露する芸人たちも人気があるらしい。
しかもTVで見るかぎり、観客はみな笑つてゐる。
客はその場の雰囲気で笑ふこともあるとは思ふが、だが、さういふネタを披露することが許されてゐるといふことは、「わかる人間の方が多い」または「(視聴者の)ほとんどはわかる人間である」とみなされてゐるからなのではないか、と思ふのだ。

んー、さうなのかなあ。

まあお笑ひといふのは差別的なもので、笑ひのわからない人を笑ふといふ面もあるかとは思ふので、そんなに気にすることはないのかもしれない。
でも、芝居噺なんかはあきらかに客席に来るやうな人間はみんな知つてゐるといふ前提で語られてゐたと思ふんだよな。今芝居噺がほとんどかからなくなつてゐるのは、客席に来る人間がみな知らないからだらう。
♯え、噺家自体の素養の欠如?
♯それを云つちやあおしめえよう。

もちろん、万人にわかるネタなんてないだらう。理由はわからなくても、モンティ・パイソンでマルクスがサッカー関連のクイズを出されて答へられずおろおろする姿を見て笑へるといふこともある。
♯マルクスは労働者の味方だからサッカーについて詳しくなければならないのである。

それとも人気がある中でもずば抜けてゐる芸人たちはさういふ「世代に頼つたネタ」は使はないのかな。

夕べ、伊集院光と太田光がこの上なく楽しげに「死神」の内容を披露してゐてうらやましくなり、なんとなくこんなことをあらためて考へてしまつた。ふたりとも、「好きなんだなあ」つて感じでとてもよかつたのだ。キン肉マンやドラゴンボールをネタにする人々も、自分が好きで仕方がなくて使つてしまふ、といふ感じだといいなあ。

ちなみにやつがれは圓生の「死神」で育つた。残念乍ら高座を見ることかなはなかつた。

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