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Thursday, 23 September 2021

好みの要素は少ないが

『ゴールデンカムイ』を無料公開期間中に読んだ。
もう間に合はないかもしれないと思つたら期間が延長されて、それでなんとか読んだ。
実のところ、「もうこの先は読めなくてもいいかなー」くらゐに思つてゐた。
なんとなく読んでゐてのれなかつた。
なぜといつて、とくに好みでないものてんこ盛りだつたからだ。

まづ絵柄がそれほど好みではない。
筋骨隆々とした人とか苦手なのだ。
いはゆる「男臭い」とか「女臭い」とかいふのも苦手。
こー、あんまし生命力のない絵柄が好きなんだな。
倉多江美とか。
# 極端か。

また美食に興味がない。
とくにジビエに興味がない。
これまで美食まんがのやうなものは一つも読んだことがないし(『ミスター味っ子』をアニメで見たくらゐかなあ)、読みたいと思つたこともない。
『美味しんぼ』とか『クッキングパパ』とか『孤独のグルメ』とか『きのう何食べた?』とか一つも読んでないしメディア展開した作品も見たことがない。
まあ、見る機会がなかつたものもないわけぢやない。『孤独のグルメ』はちよつと気になつてはゐる。そのうち読むこともあるかも。

さらにはいはゆる下ネタが好きではない。
スカトロジックなものからセクシュアルなものまで、すべてどうでもいいと思つてゐる。
それと男色ネタが多いのもちよつと……や、同性愛がダメとかいふんぢやなくて、なんていふのかな、なんか、そんなのなくつたつていいぢやん、といふところに出てくるのがダメなんだけど、作者としては「ここに必要」と思つてゐるんだらうから、多分趣味が合はないのだらう。

あと物理的にはスマートフォンとかタブレットでまんがを読むのに慣れてゐないといふこともあつたと思ふ。
旧人類だから。

なのに読んでしまつた。
最新話の291話も読んだ。

200話あたりからおもしろくなつてきたんだよね。
何がほんとで何がうそなのか。
虚実入り乱れはじめてからおもしろくなつてきた。
さういふ話が好きなのだ。
ここにも以前書いた柳家喬太郎の「ウルトラ仲蔵」みたやうなね、いつたいいま中村仲蔵の話をしてゐるのかウルトラなのかどつちなんだ、どつちでもあつてどつちでもない、みたやうな、さういふ話がとても好きだ。

また、ポーランドが出てきたあたりにぐつとくる。
森川久美好きとしては。
さう考へると不死身の杉元は本郷さんになんとなく似たところがありませんか。
ないか。
まあいいや。

ポーランドとは「平らな土地」を意味してゐて、ゆゑに周囲の大国にいいやうに踏みにぢられてきた、みたやうなね。
おおー、森川久美(で覚えた知識)!
と思つたのです。

考へてみたら『TIGER&BUNNY』も「『シメール』だ!」といふので好きになつたからなあ。
あと『TIGER&BUNNY』つて人造人間キャシャーンだよね。
なんか、そんなところに惹かれたりする。
森川久美か。

構成もおもしろい。
鶴見中尉とか土方歳三とか、軍や国家といふ巨大な組織に物申したい人々がゐて、その配下に家族とか近隣の人々といざこざや何かを抱へた人々がゐる。配下の人々がいざこざを抱へてゐる相手は親だつたり兄弟だつたり、往往にしてなにかしら上下関係があつたりする。
さうした重なつた構造がおもしろいなと思つたんだよね。

さうなるとつづきが気になつて仕方がない。

ただ問題もあつて。
スマートフォンやタブレットで読んでゐると、「あれ、あれはどこだつけ?」といふのが探しづらい。
紙の本だと心あてに手に取つてパラパラめくれば出てきたりするんだけど、スマートフォンだとパラパラができないから一枚一枚めくるしかない。
さうなると、あまりおもしろいと思つてゐなかつたころの登場人物とかその逸話とかが確認しづらいんだよね。
まあもう無料公開期間は終はつてしまつからいいんだけどさ。
紙で買ふにしても家に置く場所がないので無理。
まあさうはいつても今後も読むだらうけれども。

ただなー。
読む前はなー。
キャラ萌えできるかと思つてたのになー。
ちよつと残念。

とはいへいま気になつてゐるのは頭巾ちやんの行方ではあるのだが。
きつと来てるよね、頭巾ちやん。
多分。

Wednesday, 04 November 2020

まつたく知らない『鬼滅の刃』

先日映画『鬼滅の刃 無限列車編』を見てきた。
舞台挨拶中継のある日だつたやうで見たい人はそちらに殺到したせゐか、やつがれの見た回は話に聞くほど混んではゐなかつた。
背後が通路の席の通路際の席を選んだら周囲には誰もゐなかつたしね。
映画館はすでに全席売り出してゐる場合が多いが、ひとつ置きよりもなほ疎といつたところだつた。

これまで、少年ジャンプのまんがはちやんと知らなくてもなんとなく知つてゐるものが多かつた。
『ONE PIECE』とか『NARUTO』とか『銀魂』とか、『ジョジョの奇妙な冒険』でさへそんなによくは知らない。
でもなんとなく知つてゐる。
全国的に有名つてさういふことだと思つてもゐた。
たとへばレコード大賞を取るやうな曲は、とくに好きな歌手やグループのものでなくても知つてゐて当然、みたようなね。
まあそんなことはもう前世紀末にはなくなつてゐたやうに思ふけれども。
なにしろ、SMAPが解散するときに騒ぎになつて「え、あんな過去の人々のことで?」と思つたり、「国民的歌手」といふ惹句を耳にして「え、嵐つて歌歌つてたの?」と思つたりする人間のいふことだと思つてもらへるとありがたい。
#一応関ジャニ∞まではメンバの顔と名前とは一致するのだが……

そんなわけで『鬼滅の刃』についてはなにも知らなかつた。
連載が終はつた、といふことくらゐかな。
そもそも「鬼滅」はいいとして、「刃」はなんと読むのかわからなかつたくらゐだ。
「ハ」なのか「ヤイバ」なのか。バランスからいつて後者かな、くらゐだつた。
主人公の名前だつて、最初の字は音読みするのか訓読みするのか悩んだなー。どつちもいけさうぢやない?

なんでかうなつてしまつたのか。
年をとつたから、といふのが正解だらうと思ひつつ、やはりTVを見なくなつたからかな、とも思ふ。
『ONE PIECE』も『NARUTO』も『銀魂』もTVで見たものな。
『ジョジョ』だけはTVで見なくてもなんとなく知つてゐて、なるほど、人気があるとかある種の教養の一部であるといふことはかういふことなのか、とも思ふ。
かういふのつて単なる人気だけぢやないところがある。
たとへばある種の人々には必ず『究極超人あ〜る』の話が通じる、とかね。
世代によつては『宇宙家族カールビンソン』とか、吾妻ひでおの一連のまんがとか、なぜか話が通じることがある。
『ジョジョ』はそれに近くて、でももつと広範にいろんな人が知つてゐるといふ感じかな。
『鬼滅の刃』はまださうはなつてゐなくて、もしかすると今後さうなるのかもしれないし、ならないのかもしれない。

で、まあそんな状態で映画を見に行つて、もちろん謎なことはたくさんあるんだけど、内容がわからないかといふとそんなことはなく、これまで見聞き読みしてきたさまざまなまんがやアニメや小説などのおかげで楽しめたといふところか。

謎なところね。
なんであの三人は一緒にゐるのか、とかね。
#そこからかっっ!
鬼滅隊にはどうやつて入るのかとか。
どこでさまざまな呼吸法を身につけるのかとか。
大正時代といふ話だけれど、刀はどこで入手するのかとか。
鬼滅隊に入るともらへたりするのか知らん。
「柱」にはどうやつてなるのか誰が認めてくれるのか何人ゐるのかとか。

考へてみたら、去年はなんにも知らないのに『刀剣乱舞』の映画を見に行つてゐるので、謎があつても見ちやふ体質なのかもしれないと思はないでもない。
なんといふか、疑問を覚えない体質といふかね。
ものごとをあまり深く考へない体質といふか。

映画の『鬼滅の刃』を見て謎はいろいろあつたけれども、ぢやあ原作を読んだりTVアニメを見たりしてその謎を解かうといふ気にはならない。
そのうち明らかになるのではないかな。
人気があるつてさういふことだと思ふし。

Wednesday, 30 September 2020

少女まんがと銀英伝

脳内に倉多江美の絵で『銀河英雄伝説(以下、銀英伝)』が進行してゐる。
銀英伝といへばどちらかといふとこつてり系の物語だと思ふ。乱暴承知でさう思ふ。
だつて出てくる人出てくる人みんな劇的だもの。
セリフもなんだか凝りまくつてゐるし。
加藤直之とか道原かつみとか藤崎竜とか小林智美(その昔、今はなき『SFアドベンチャー』の増刊号の銀英伝特集に小林智美の描く帝国の人々の絵が掲載されてゐた)とか、いづれもとつてもあふと思ふ。

だといふのになぜか倉多江美なのだつた。
倉多江美といへば橋本治が『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』で水分が足りないと評した絵柄作風のまんが家だ。
『コミックトム』でフランス革命のころのまんがを描いてゐたけれど、やはり全体的になんとなく水分が足りない。それでゐてマリー・アントワネットやナポレオンはちやんと豪奢だつたりなまぐさかつたりするのがおもしろかつたのだけれども、それはまた別の話。

現在銀英伝を読み直してゐて、出てくる人出てくる人みんないろいろ抱へてゐるし、どろつとした部分を内に秘めてゐたりするのだけれども、倉多江美の絵で想像するヤン・ウェンリーは「もしかしたらヤンつてほんとはこんな人物だつたのかも」と思ふし、オーベルシュタインに至つてはこれしかないのではと思ふやうな出で立ちだ。
アンネローゼとラインハルトはもちろんきらきらしてるしね。

なにせ自分の脳内にしかないのでお見せできないのが残念でならないが、水分の足りない人々の銀英伝は、これはこれでとてもおもしろい気がする。

さういへばロイエンタールの生ひ立ちを読んでゐて思ひ出したまんががある。
大和和紀の『KILLA』だ。
確か『はいからさんが通る』の次の連載だつたのではないかと思ふ。
『はいからさんが通る』とはうつてかはつてギャグ顔ギャグ絵のひとつも出てこない、とてもシリアスなまんがだつた。
主人公の名前がキラ・クイーンといふのがいま思へば笑ふところだつたのかもしれない。
キラは複雑な生ひ立ちで、友人といつて目の不自由なチェスマスターであるアレク・フリードキンしかゐない。
アレクが目の見えないわけは母親にある。
アレクは実は不義の子だつた。
生まれてきた我が子の目が密通相手のそれにそつくりで、錯乱した母親が赤子の目を針でついてしまふ。
アレクはそのときの空の色を覚えてゐて、あれは母親の目の色だつたのではないか、と述懐する。

まんがについていふと、キラは俳優として名を成したあと自動車産業の世界でのしあがつていくのだが、唯一の聖域であるアレクに手が及び……みたやうな話になる。
さういへばこのまんがにも「聖域があるのは危険」みたやうな話が出てくるな。
大和和紀の銀英伝……大河ドラマつぼい。

さう考へるとおもしろいな。
一条ゆかりの銀英伝とか。
森川久美の銀英伝とか。
坂田靖子の銀英伝とか。

まんが化作品もアニメ化作品も複数あるから想像できることだらう。

Thursday, 13 August 2020

アニメのエンディング選曲

『泣き虫弱虫諸葛孔明』第伍部の文庫版を読んでゐる。
単行本で一度読んでゐるのに、うつかり笑つてしまふ。
たとへば、北伐に赴く蜀軍を見送る民衆の中に、赤い手ぬぐひを振つてゐる人がゐる、とか。
誰のためでもいいぢやないか、とかロマンとか地の文にあつて、思はず笑つてしまふ。
つづいて十四万八千光年とか出てくると、腹がよぢれるかと思ふ。

「真つ赤なスカーフ」、名曲だよね。
数あるアニメのエンディングの中でも一番好きかもしれない。
と、考へて、だが待てよ、とも思ふ。
『ガンバの冒険』のエンディングがまたいいんだよね。
絵自体はあまり動きがないのに、ものすごく動いてゐる感じがする。
歌詞がまたダークでいい。
ノロイ最強(最凶)。

あるひは黄色いマフラーの昭和の『サイボーグ009』のエンディングもいい。
これもあまり絵に動きがなくて、草原の草が風になびくさまがとてものどやかだ。
この『サイボーグ009』は主題歌もいいけれど、エンディングののんびりとくつろぐやうな、それでゐてちよつと切ない歌がまたいいんだなあ。

切ないといへば『伝説巨神イデオン』のエンディング、「コスモスに君と」。
『イデオン』はあまり見てゐなかつたのだが、なぜかこの歌は歌へる。
傷を舐め合ふ道化芝居ですよ。

同意を得られるかどうかあまり自信がないけれど好きなのが『最強ロボダイオージャ』のエンディング、「よかつたね宇宙」。
題名通りの歌だ。
助さん格さん……もといスケさんカクさん、今日もめでたしめでたしで、よかつたね。
なにせエドワード・ミト王子だから、最後は印籠ぢやないけど紋所を出して成敗してめでたしめでたしなんだよ。
それをかはいい絵柄にあはせたのかこれまたゆつたりとしたテンポで歌ふ。

『COWBOY BEBOP』のエンディング、「THE REAL FOLK BLUES」。
絵はモノクロのやうな感じで、スモーキーなブルースが流れる。
世の中、なにもかもどつちつかずよ、みたやうな。
「All that glitters is not gold.」は英語のことはざだけれども、なんとなくレッド・ツェッペリンの「天国への階段」を思ひ出さないこともない。

個人的には『銀河旋風ブライガー』のエンディング、「さすらひキッド」も好きだけれど、世の中的には『銀河烈風爆シンガー』のエンディング、「アステロイドブルース」の方が有名だらうか。
J9シリーズは山本正之の手がけた歌が多く、ロックだけどどこか演歌な響きもあつて、それもいい。

山本正之といへば、タイムボカンシリーズのエンディング、特に悪役三人がfeatureされてゐる歌はどれも最高だ。
『ヤッターマン』の2度目のエンディングだつたか「悪役主役よモテモテよ」つて、ほんとそのとほりだよ。

アニメのエンディングには、主題歌は勢ひがあつたり明るかつたりするのに、どこかしんみりとしたものがあつたりもする。
『タイガーマスク』に『ドカベン』、『キューティー・ハニー』に『キャンディ・キャンディ』とかね。
いまだと『おじゃる丸』のエンディングが毎回変はつてゐて好きだ。
とくに好きなのが電ボの歌ふ「恋をいたしましょう」。
ハワイアンの波間にゆれるやうなメロディで、電ボの声(岩坪理江)がぴつたりあふ。
いいなあ、恋をいたしませう。

脳内の記憶をはたけばまだ出てきさうな気がするけれど、ぱつと思ひつくのはこんなところかなあ。
なんか、いくらでも歌へさう。

Friday, 29 May 2020

逆輸入: スパイク・スピーゲル

久しぶりに「Tank!」を聞いた。
アニメ「COWBOY BEBOP」の主題歌だ。
ここのところ新型コロナウィルスの流行で演奏家や歌手がそれぞれの居場所にゐながらセッションをしてその動画を投稿するといふことがしばしばある。
「Tank!」もそのひとつだつたやうだ。

「COWBOY BEBOP」といえば、ハリウッドで実写化といふ話はどこにいつたのだらうか。
最初はキアヌ・リーブス主演で、といふ話だつた。
その後実写化の企画は流れたといふ話で、しかし、やはり生きてゐるといふ話を聞いてそのままになつてゐる。

その「Tank!」を聞いたときにこんなことをつぶやいてゐる

そういや、母さん、消えたと思ったら生きてた「COWBOY BEBOP」の実写映画化、どうなつたんでしょうね。ええ、夏、碓氷から霧積へ行く道で見たあの「COWBOY BEBOP」ですよ。母さん、あれは好きなアニメでしたよ。
これへの返信で「松田優作つながり」とも。

こどものころ、松田優作はそんなに好きではなかつた。
といふか、自分には関係のない俳優といふ感じだつた。
主役体質の俳優はあまり好きにならない。
それはいまも昔も変はらない。
脇役の松田優作つてあんまし記憶にないんだよね。
見るときはいつも主役。
そして、一緒に出てゐる脇役に気を取られてしまふ。
有り体にいへば成田三樹夫とかですね。

それが、二年前に「探偵物語」の再放送を見てゐたら、これがなんだかいいのだ。
工藤ちやん、スパイクみたやう。
それが理由だつた。

逆だらう?
「COWBOY BEBOP」のスパイク・スピーゲルが松田優作(&ブルース・リー, and all)だらう?

さうなんだけどさ。
なんかかう、逆輸入的に(違ふか)よかつたのだ。
同時期に「蘇る金狼」とか「最も危険な遊戯」とかを映画館で見る機会があつて、やつぱりスパイクだなあ、としみじみ思つた。
シルエットとかね。動きとか。とつてもスパイク。

スパイク・スピーゲルが好きな理由は、主人公なのに主人公臭がないことだ。
主役なんだけどな。
そして、「COWBOY BEBOP」が好きな理由のひとつもそこにある。
思へば「銀河旋風ブライガー」や「疾風!アイアンリーガー」が好きなのもそれだ。
主人公が主人公つぽくない。

で、「探偵物語」や「蘇る金狼」を見返して松田優作のことが好きになつたかといふと、うーん、多分、さうでもない。
でも、以前より出演作があつたら見てみたいなと思ふやうになつた気はする。
二年前に映画館に行つたのも、「ちよつと確認してみるか」といふ気持ちだつたやうに思ふし。

かくして新たな道が開けることもあるのだなあ。

Thursday, 05 September 2019

2色カラー原画を見る

先月末、大英博物館のまんが展に行つてきた。

さまざまな原画が展示されてゐる中に、数は少ないながら二色カラー原稿もあつた。
気がついた範囲では三種類。
さいとうたかをの「無用ノ介」、高橋陽一の「キャプテン翼」、そして竹宮恵子の原画だ。

二色カラーとは文字通り二色しか色を使つてゐないカラー原稿または印刷のことを云つてゐる。
まんがだと主に黒と朱色とを用ゐるといふ。
黄色と茶色の場合もあると聞く。
二色(プラス白)を混ぜあはせてさまざまな色を作つて原稿を彩る。
フルカラーでいきたいのはやまやまだが、費用その他のことを考へての上の二色カラーであつたらう。

「無用ノ介」の二色カラーは1969年と書いてあつたやうに思ふから、連載途中のものだらう。
少年誌の二色カラーといふのはよくいへばはつきりくつきり、悪くいへば大ざつぱなところがあるやうに思ふ。
少女誌と比べてしまふからかもしれないけれどね。
でも「無用ノ介」の二色カラーは思つてゐたよりもずつと多彩で、繊細な色遣ひのところもあつた。
印刷すると印象が変はるのかもしれないな。

「キャプテン翼」は絵柄からいつて、連載開始直後の二色カラーだ。もしかすると連載初回かな。
これも、誌面で見たときよりもずつと多彩で淡い色やぼかしなどもあつて、少年誌の二色カラーを誤解してゐたかな、と思ふほどだつた。

その印象は、しかし、竹宮恵子の二色カラーを見てほぼ吹き飛んでしまふ。
竹宮恵子の二色カラー原稿のすばらしいことよ。
云はなければ、黒と朱色と二色しか使つてゐないとは一瞬思はないかもしれない。
背景は宇宙でほぼ黒なのだが、白く細かい点で星を描き、星雲なのか灰色のグラデーションの部分がある。
宇宙の背景の上にところどころ人物の絵があつて、髪の色、皮膚の色、目の色、衣装の色のうつくしいこと。
そして絵全体を眺めたときのカラフルな印象。
思はずこの絵の前で立ち止まつてしまつた。

二色カラーのまんがは、現在ではほとんどないと聞いてゐる。
カラーはフルカラーばかりだといふ。
たぶん、それがほんたうの姿なのだらう。
苦肉の策の二色カラーは廃れてしまつても仕方がないのかもしれない。

しかし、二色しか使へないといふ拘束状態から生まれるカラー原稿のすばらしさといふのもあると思ふんだよなあ。

木原敏江の二色カラーは二色なのに華やかだつたやうに記憶してゐる。
成田美名子の二色カラーはすみずみまできつちり塗られてゐて可憐。
三原順の「ロング・アゴー」の二色カラーはどこか重厚で話の内容にふさはしい感じだつた。
少年誌では新谷かおるの二色カラーがダントツでうつくしかつたなあ。

かうした原画を見てみたい。
おそらく、さいとうたかをや高橋陽一の二色カラーを見たときに思つたやうに、印刷するとつぶれてしまつたり消へてしまつたりする表現があるんだらう。
原画で見たら、さうした部分もはつきり見えるのではあるまいか。

今回のまんが展では、まんがの原画を収集して適切に保管することが急務である、といふ話も出てゐる。

二色カラー原稿展覧会なんて、開かれたりしないかなあ。

夢ばかり広がる展覧会だつた。

Wednesday, 24 October 2018

まんがの思ひ出

生まれてはじめて買つ(てもらつ)たまんがの単行本は、有吉京子の「なにクソッ天才!」である。

成績優秀な生徒ばかり集めてゐるとある高校に図抜けて成績のいい女子生徒が転校してくる。
あまりにも出来るのでもとからゐる生徒の反感を買ひ、学校の中でもとくに特待生ばかり集めた校舎へと送り出されるのだが、この特待生といふのが常軌を逸した生徒ばかりで……
といふやうな内容だ。

もうひとつ掲載されてゐたまんがは、こんな内容だ。
母子家庭で、長女・次女・長男・三女の五人家族の家に、ひどく不釣り合ひな高級車が停まる。
中から出てきたのはこれまた裕福さうな人物。
その後、母や姉が突然妹につらくあたりはじめたことを不思議に思ひつつも、長男は三女とともに家出をはかる。
実は、生活があまりにも苦しいので、母親が三女を養女にしやうと計画してゐたのだつた。
高校生か中学生とおぼしき長女と次女とはそのことを知らされてゐたが、小学生の長男と当事者でもある三女はそのことを知らなかつた。
その事実を知らされて長男は……

「なにクソッ天才!」ではカトリーヌ・ドヌーヴだとかブリジット・バルドーだとかの名前を覚えたなあ。
どういふ人物かといふのは知らないけれど、どちらも美女なのだらうといふことはわかつた。
もうひとつのつらい内容のまんがからは、遊園地には入場券がないと入れないといふことを学んだ。
なにしろこの一冊しかまんががないものだから、くりかへしくりかへし読んだのだつた。
そのわりにはあまり覚えてゐないけれどもさ。

のちに「SWAN」に出会つて、「え、あの「なにクソッ天才!」を描いた人のまんが? えー、絵が違ふ」と思つたなあ。
よくよく見比べればおなじ人物の描いたものだとわかつたのだらうけれども。

母自身もまんがが好きだつたせゐか、雑誌を買つてもらふこともあつた。
「なにクソッ天才!」のころは「週刊マーガレット」や「別冊マーガレット」を読んだ記憶がある。
毎週毎月買つてもらへたわけではない。
多分、一冊買つてもらつて、それをしばらく読んでゐたのではないかといふ気がする。
それに、実をいふと「週刊マーガレット」の記憶はあまりない。
「つる姫じゃ〜っ!」を雑誌で読んだ記憶があるので「週刊マーガレット」を買つてもらつたことがあるのだらう、といふくらゐで、ほかのまんがの記憶がないのだつた。
次回予告に怖いまんがのことが載つてゐたので、あまり読まないやうにしてゐたのかもしれない。

「別冊マーガレット」では和田慎二の「わが友フランケンシュタイン」ものを読んだ記憶がある。
ヒルダといふ口のきけない少女が村の人々によつてたかつていぢめられる話だつた。
三原順の「赤い風船のささやき」も読んだ。
「なにクソッ天才!」よりもこちらの方が後のまんがの好みに影響を受けたやうに思ふ。

小学一年生のときに、叔母から「花とゆめ」をもらつてその後しばらくは毎号買つてもらつてゐた、といふ話は以前書いたな。
そのあと「なかよし」「別冊少女コミック」「ひとみ」「Lala」と変遷する。
「別冊少女コミック」は入院したときにお見舞ひとしてもらつて、それで買ふやうになつた。吉田秋生のデヴュー作とおぼしきまんがを読んだ記憶がある。

入院してゐたときはほかにもお見舞ひとしてまんが雑誌をもらつて、中に名香知子の「緑の目の城主」シリーズ三作を掲載してゐるものがあつたなあ。どの雑誌だつたんだらう。
文月今日子のまんがも載つてゐたやうに思ふが別の雑誌だつたかもしれない。

叔母から「花とゆめ」をもらつたときは従姉と一緒だつた。
叔母から「花とゆめ」と「少女フレンド」とどちらがいいか訊かれて、従姉は「少女フレンド」、やつがれは「花とゆめ」を手にしたのだつた。
趣味がわかれてゐてよかつたな。
しかし、このとき「少女フレンド」を選んでゐたら、その後読むまんがもまた違つてゐたんだらうなあ。
従姉もその母である叔母もまんがが好きで、「はいからさんが通る」とか遊びに行つたときに読んだなあ。
従姉は(叔母は、かもしれないが)「プリンセス」を買つてゐて、「悪魔の花嫁」が怖かつたのと、「イブの息子たち」がなにがなんだかさつぱりわからなかつた記憶がある。「イブの息子たち」はそのわけのわからなさがいいんだけどさ。
「母恋千鳥」といふまんがもあつた。のちにオバタリアンと呼ばれるやうなをばさんの家に居候する少女・千鳥の物語だつた。
をばさんとその娘とからひどい扱ひを受ける千鳥だが、何作か読んでゐると千鳥にも抜けたところがあつたりして、一概に可哀想とばかりもいへないまんがだつた。
母が云ふには、以前はかうした「継子もの」のまんががあつたのださうだ。
リアルタイムで読んだのはこの「母恋千鳥」くらゐではないかなあ。

思へば、当時とまんがの趣味はあまり変はつてゐない。
だからいま読むものがあまりないといふ話もある。
健全なまんが読みの人はそのときどきにその場にあるまんがを読んで自分の中の「まんが」をアップデートしていくものなのだらう。
残念ながら、やつがれの「まんが」は「わが友フランケンシュタイン」や「赤い風船のささやき」、「だから旗ふるの」あたりで停まつてしまつてゐるやうだ。

Thursday, 16 April 2015

実写版映画も悪かない

この土曜日に「ドラゴンボールZ 復活のF(以下「復活のF」)」が公開される。
Fが復活するのなら、そのうちCも、と思ふのは、至極当然のことだらう。
さういふ展開が透けて見えるので、「映画? あーそー」的にかまへてゐる。
見には行くと思ふけれどもね。

映画の前作「ドラゴンボールZ 神と神(以下「神と神」)」のときもさうだつた。
「ドラゴンボールの新作? 見には行かないなー」と思つてゐた。
見に行つた人から、「すつごくいいから」と云はれて、見に行つたらそのとほりだつた。
なにしろ都合三回は見に行つたからね。

なにがよかつたのか、といふと、素の状態に戻つた孫悟空と破壊神ビルスとの戦闘場面だ。クライマックスである。
それまで控へ気味だつたスローモーションからはじまつて、これまたそれまで地上や上空が舞台だつたところを地下といふ閉息した状況にもつてきて、息をもつかせぬ大バトル、といふ、ほんの数分のシーンに毎度見入つてしまつた。
「これは大画面で見たい!」と最初に見たときに思つたので、その後二度も通ふことになつた。

あと細かいところでいふと、ピラフ一味がよかつたな。
きみら、ずーつと一緒でずーつとあーんなことやこーんなことをやつてきたんだね。
ピラフ、シュウ、マイの三人の息がぴつたりで、見てゐるこちらは一瞬「ドラゴンボール」がはじまつたばかりのころに戻つたやうな気分になる。
すこし遅れて、そのころから流れた時間と、その時間をともに過ごしてきたであらうピラフ一味を思ふ。
ピラフ一味、イカすわー。

「神と神」のパンフレットに寄せられた文章などを読むと、この映画が作られることになつたきつかけは、ハリウッドの実写版「ドラゴンボール」であるらしいことが、ぼんやりと見えてくる。

実写版「ドラゴンボール」は飛行機の中で見た。
機内のちいさなモニタで見たくらゐでものを語るな、といふ向きもあるので、絵については語らない。

実写版「ドラゴンボール」は、よくある話である。
いぢめられつ子だつたり極々平凡だつたりする主人公はひよんなことから特殊能力を得る。仲間とともに秘宝を探す旅に出て、邪悪な強敵と戦ふことになる。
ハリー・ポッター?
スターウォーズ?
ホビットの冒険?
こんな内容の話はいくらでもある。
「ドラゴンボール」だつて、多少アレンジはあるものの、大筋はこんなところだ。
そこに「学校ではいぢめられつ子」といふ詳細を付け足す必要はない。
少なくとも「ドラゴンボール」でそれをやる必要はない。
かうした細かい付け足しがことごとくうまくないんだよなあ。

実写版「ドラゴンボール」は、「ドラゴンボール」でなかつたとしてもおもしろいとは思へない。
「ドラゴンボール」といふ名前を冠してゐなかつたら公開されなかつたのではあるまいか。
なんだかよくわからないけれども世界的に人気のあるまんが/アニメーションの実写化だからこれでいいだらう。
そんな映画なのである。
そんな映画なのに、続篇を作る気満々といつたやうなエンディングが用意されてゐる。
見てゐる方はもうこれ以上シラケやうもない状態なのに、さらにシラケることを強要される。
実写版「ドラゴンボール」はそんな映画であつた。

ところが世の中わからないものだ。
この実写版「ドラゴンボール」が引き金となつて、「神と神」が世に出ることになつたといふのだから。
一昨年、「神と神」をはじめて見たときに、心の中で実写版「ドラゴンボール」にちよつとばかり感謝してゐた。
実写版「ドラゴンボール」があつたから、「神と神」が生まれた。
なんとありがたいことではないか。
まんがやアニメーションの実写版つて、悪いばかりでもないんだな、どんな出来であつたとしても。

さて、「復活のF」である。
Fことフリーザさまがすばらしいことは十二分に理解してゐるので、あとはなんか妙ちきりんなことをやらされたりしてゐないことを祈るばかりである。
なにを云つても、ともちやんだしね、フリーザさま。
見終はつて、「復活することなかつたのに」といふ感想を抱くことのないやうな出来でありますやうに。

Friday, 10 April 2015

読み返したいけどちよつと怖い

こどものころのことである。
叔母がいとことやつがれとに「少女フレンド」と「花とゆめ」を示し、「好きな方をあげるよ」と云つた。
いとこは「少女フレンド」を取つた。
やつがれの手元には「花とゆめ」が残つた。

これがやつがれの少女マンガの趣味嗜好を決める結果となつた。

それ以前にも、「別冊マーガレット」を読んではした。
病院通ひが多かつたためか、母がたまに買つてくれたのだつた。
母は病院にある本を読むのをいやがつてゐた。
読みたかつたのは母だつたのかもしれない。
そこで和田慎二の「わが友フランケンシュタイン」シリーズを読んだりしたのだつた。
この時点で、まんがの好みはある程度決まつてゐたと思はれる。
そこに「花とゆめ」だつた。

当時の「花とゆめ」では「ガラスの仮面」の連載も「スケバン刑事」の連載もまだ開始してはゐなかつた。
連載作品として記憶にあるのは「アラベスク」第二部の終盤だ。
主人公ノンナがラ・シルフィードを踊つてゐる最中に、伴奏してゐたビアニストが突如演奏をやめてしまふ。しかし、ノンナはそれにも気づかず踊りつづける、みたやうな場面を今に至るまで覚えてゐる。
水野英子の連載もあつたやうに思ふが、定かではない。
こやのかずこの連載は終はつてゐたやうに思ふけれど、一度くらゐは巻頭カラーで見たやうな気もする。
読み切りでささやななえ(当時)が怖いまんがを描いたり、山田ミネコが不思議なまんがを描いたりしてゐた。

そんな中に「だから旗ふるの」といふまんががあつた。
「はみだしっ子」シリーズとの出会ひだつた。
やつがれがアンジー派であつてもなんの不思議もない。
中学に通ふやうになつて、友人がグレアムが好きだといふのに驚いたり、実は世の中にはグレアム派が多いのだといふことを知つたりするやうになる。
それまではひとりで三原順を読んでゐた。

そんなわけで四月四日のヤマザキマリの講演会には行きたかつたが、行けなかつた。
水戸に行つたからである。

「ひとりで三原順を読んでゐた」と書いたが、本はひとりで読むものだと思つてゐる。
まんがは少し違ふかな。
まんがは、とくにこどものころはたくさんは買へないので、ともだち同士で持ち寄つて互ひに貸し借りをしてゐた。小学校高学年くらゐのころのことだ。
読むときはひとりなのだが、読んだあとに「あの場面がどうの」「この登場人物がかうの」といふ話を仲間うちでするやうになる。
「はみだしっ子」シリーズの単行本を持つてゐるこどもは、やつがれの周りにはゐなかつた。
やつがれ自身は二巻と四巻とを持つてゐたと思ふ。
なぜか一巻とはなかなか本屋で出会ふことがなかつた。
三巻は買はうとしたら売り切れてゐた。
そんなにお小遣ひがあるわけでもなかつた。
しかも母は三原順が好きではなかつた。
好きだつたら買つてもらふこともできたかもしれない。
残念なことである。

手元に二巻と四巻としかない状況で、ともだちには貸せなかつた。
基本的には一話完結だが、一応話はつづいてゐる。
一巻で出会つた人のつてで三巻に登場する人に会ひに行き、四巻ではそのふたりが重要な役割をはたすやうになる。
やつがれはそのことがわかつてゐるからいいが、はじめて読む人間にはやさしくない。
そんなわけで、当時は「はみだしっ子」仲間が増えなかつた。

しかし、三原順は、ひとりで読む方がいいのかもしれない。
友人と一緒に読んで、「Die Energie 5.2☆11.8」を語り合つたりするだらうか。
語り合つたとして、どんなことを?
あのまんがを友人と「あーでもない」「こーでもない」と喋り倒すところがやつがれには想像できない。
せいぜい、「重たかつたね」「うん、よかつたけどね」「うん」くらゐが関の山だ。

「Die Energie 5.2☆11.8」を「あーでもないこーでもない」と語り合ふやうなこどもだつたらよかつたのになあ、とは思ふがね。

中学生になると、上に書いたグレアム派の友人以外にもまんがを読む同級生が周囲に増え、「花とゆめ」や「Lala」を読んでゐる人も多かつた。
多かつたけれど、さういふ友人たちとしてゐたのは「パタリロ!」の話だつたり「エイリアン通り」の話だつたり、「紅い牙」シリーズの話だつたりした。
掲載誌は違ふけれど、「那由他」の話なんかもあつた。
でも、「はみだしっ子」や「ルーとソロモン」の話をした記憶はほとんどない。
Untouchable。
そんな雰囲気だつた。
敬して遠ざける。
そんな雰囲気もあつた。

かくいふやつがれは、もう長いこと「はみだしっ子」シリーズを読み返してはゐない。
「ロングアゴー」を三年ほど前に読んだかな、くらゐである。
読み返さない理由は、読み終はつたあと「この世」に返つてこられなかつたらどうしやう、と思ふからだ。
来る連休にでも読み返して、五月病にでもかかつてみるか。

Wednesday, 09 October 2013

覚えきれないキャラクター

録画機が勝手に録画してくれるので、「おじゃる丸」と「忍たま乱太郎」、「それいけ! アンパンマン(以下、「アンパンマン」)」とを見てゐる。
「忍たま乱太郎」だけはなぜだがたまにしか録画しない。一週間に一度とか二週間に一度とか、さういふ気まぐれな感じで録画してゐる。

現在の録画機で一番最初に予約録画したのは「連続人形活劇 新・三銃士(以下、「三銃士」)」だつた。
しばらくしたら、録画機は「アンパンマン」を勝手に録画するやうになつた。
おそらく、「三銃士」に戸田恵子と山寺宏一とが出てゐたからであらう。
その後、録画機は「ドラゴンボール改」を録画するやうになる。これは「アンパンマン」に出てゐる中尾隆聖と鶴ひろみとのせゐなのではないかと思ふのだが、ここではそれはおく。

「おじゃる丸」も一時は予約録画してゐた。そのうち録画を消化できなくなつて、やめた。
やめてしばらくしたら、録画機が勝手に録画するやうになつた。
「忍たま乱太郎」は、「おじゃる丸」からの類推で録画機が「録画しておくか」と思つてするやうになつたのだらう。

ほかにも、録画機が勝手に録画してくれるものはいろいろある。
結局見続けてゐるのは、この三つ、かな。ほかにも「心に刻む風景」とかあるけれど。

「おじゃる丸」、「忍たま乱太郎」、「アンパンマン」に共通することはなんだらうか。
アニメ?
お子様向け?
長寿番組?

そのとほりだが、この三番組に共通してゐて、やつがれの心をぐつとわしづかみにする共通点が、ひとつある。
それは、「登場人物が多い」といふことだ。

とにかく、やたらと登場人物が多い。
「アンパンマン」などは、登場人物が一番多いといふのでギネスブックに載つた、といふ話を聞くほどだ。
基本的な登場人物はきまつてゐる。
「おじゃる丸」なら主人公のおじゃる丸に電ボ、かずまに子鬼のトリオといつたところか。
「忍たま乱太郎」なら主人公の乱太郎にきり丸、シンベヱにヘムヘム、かなあ。学園長・山田先生・土井先生も入れてもいいかもしれない。
「アンパンマン」なら主人公のアンパンマンにジャムをぢさん、バタ子さんにチーズ、ばいきんまんにドキンちやん、か。

基本的にはこんな感じで、加へて準レギュラーのやうな登場人物がゐる。さらに、その時々のゲストキャラクターが出てくる。
正直云つて、「アンパンマン」を見はじめてずいぶんたつが、未だに「え、こんな登場人物(「アンパンマン」の場合は「人物」かどうかはひどくあやしいのだが)、ゐたの?」と思ふやうな登場人物がゐる。
ギネスブックに載つただけでは物足りないとでも云ふのか、この期に及んで新たな登場人物が出てきたりもする。

楽しい。
楽しいぢやあないか。

なぜだか登場人物が多いと心躍る。
なんだらう。こどものころに親しんだ源平ものの本のせゐか。
源平ものつて、やたらと登場人物が多いんだよね。それも、似たやうな名前の人が何人も何人も出てくる。
だから全員を知つてゐる、とか、全員を覚えてゐる、といふことはない。
ないけれど、そこらへんは幼いころに覚えたものといふことなのか、時折ふつと意識の表面に浮かんでくることがある。
名前だけ覚えてゐて、なにをした人だか、どういふ人だかまつたく記憶にない、なんてな人もゐる。

あるいは、推理小説のせゐかもしれない、とも思ふ。
アガサ・クリスティとかエラリー・クイーンとか、やたらと登場人物が多い作品があつたりしないか。
巻頭にならんだ登場人物一覧を見ると、「なんでこんな人物が?」といふやうな人まで並んでゐたりする。
読者の目を惑はせるためだらうとは思ふけれど、「この中に犯人がゐるのかー」とか、読む前から楽しいんだよね、あの登場人物一覧。

まあ、「おじゃる丸」などはやはり源平ものの流れだな。犯人あてとかないし。

「アンパンマン」では、頭にコのつく名前の登場人物がどうもあまり好きになれない。
具体的にはコキンちやんとか鉄火のコマキちやんとかだ。唯一の例外はこむすびまん。こむすびまんはちよつと好き過ぎるくらゐ好きだが、それも今回はおく。
あとメロンパンナちやんがわかんないんだよなあ。なんであんなに人気があるんだらう。理解に苦しむ。ロールパンナちやんのよさはよくわかるんだけど。

といつた感じで、どうもいけ好かない登場人物もゐるにはゐる。
ゐるにはゐるけれど、つい見ちやふんだよなあ。
自分から録画して見やうとは思はないけれど。

ところで、「忍たま乱太郎」と「アンパンマン」とには、もうひとつ個人的に看過できない共通点がある。
それは、配役が豪華、といふことだ。
それゆゑにかなしい思ひをすることもある。

今年、内海賢二が亡くなつた。
内海賢二といへば、毎年六月の頭にむしばきんまんとして「アンパンマン」に登場するのが常だつた。
ちやうど、今年の分が放映されるころ、訃報に接した。
むしばきんまんは毎年六月にはづせない登場人物なので、今後も出てくるのだらう。
おなじことははみがきまんのときも思つたけれど、来年のことを思ふとひどくさみしくなつた。

また、しばらくたつてから、今度は魔法のランプの巨人として登場したことがあつた。
魔法のランプの巨人の最後のセリフが、「またお会ひしませう」だつた。
内海賢二の最後の仕事は「銀の匙」だつたさうだけれど、自分の中では「アンパンマン」の魔法のランプの巨人になつてしまつた。
あーあ。

などといふこともありつつ、それでも「配役が豪華」といふことで見てしまふんだよなあ。
「アンパンマン」にしても「忍たま乱太郎」にしても、いまどきちよつとないくらゐ豪華だもの。
それでゐて(あるいはそれだから、か)登場人物が多い。
やめられませんな。