Thursday, 16 April 2015

実写版映画も悪かない

この土曜日に「ドラゴンボールZ 復活のF(以下「復活のF」)」が公開される。
Fが復活するのなら、そのうちCも、と思ふのは、至極当然のことだらう。
さういふ展開が透けて見えるので、「映画? あーそー」的にかまへてゐる。
見には行くと思ふけれどもね。

映画の前作「ドラゴンボールZ 神と神(以下「神と神」)」のときもさうだつた。
「ドラゴンボールの新作? 見には行かないなー」と思つてゐた。
見に行つた人から、「すつごくいいから」と云はれて、見に行つたらそのとほりだつた。
なにしろ都合三回は見に行つたからね。

なにがよかつたのか、といふと、素の状態に戻つた孫悟空と破壊神ビルスとの戦闘場面だ。クライマックスである。
それまで控へ気味だつたスローモーションからはじまつて、これまたそれまで地上や上空が舞台だつたところを地下といふ閉息した状況にもつてきて、息をもつかせぬ大バトル、といふ、ほんの数分のシーンに毎度見入つてしまつた。
「これは大画面で見たい!」と最初に見たときに思つたので、その後二度も通ふことになつた。

あと細かいところでいふと、ピラフ一味がよかつたな。
きみら、ずーつと一緒でずーつとあーんなことやこーんなことをやつてきたんだね。
ピラフ、シュウ、マイの三人の息がぴつたりで、見てゐるこちらは一瞬「ドラゴンボール」がはじまつたばかりのころに戻つたやうな気分になる。
すこし遅れて、そのころから流れた時間と、その時間をともに過ごしてきたであらうピラフ一味を思ふ。
ピラフ一味、イカすわー。

「神と神」のパンフレットに寄せられた文章などを読むと、この映画が作られることになつたきつかけは、ハリウッドの実写版「ドラゴンボール」であるらしいことが、ぼんやりと見えてくる。

実写版「ドラゴンボール」は飛行機の中で見た。
機内のちいさなモニタで見たくらゐでものを語るな、といふ向きもあるので、絵については語らない。

実写版「ドラゴンボール」は、よくある話である。
いぢめられつ子だつたり極々平凡だつたりする主人公はひよんなことから特殊能力を得る。仲間とともに秘宝を探す旅に出て、邪悪な強敵と戦ふことになる。
ハリー・ポッター?
スターウォーズ?
ホビットの冒険?
こんな内容の話はいくらでもある。
「ドラゴンボール」だつて、多少アレンジはあるものの、大筋はこんなところだ。
そこに「学校ではいぢめられつ子」といふ詳細を付け足す必要はない。
少なくとも「ドラゴンボール」でそれをやる必要はない。
かうした細かい付け足しがことごとくうまくないんだよなあ。

実写版「ドラゴンボール」は、「ドラゴンボール」でなかつたとしてもおもしろいとは思へない。
「ドラゴンボール」といふ名前を冠してゐなかつたら公開されなかつたのではあるまいか。
なんだかよくわからないけれども世界的に人気のあるまんが/アニメーションの実写化だからこれでいいだらう。
そんな映画なのである。
そんな映画なのに、続篇を作る気満々といつたやうなエンディングが用意されてゐる。
見てゐる方はもうこれ以上シラケやうもない状態なのに、さらにシラケることを強要される。
実写版「ドラゴンボール」はそんな映画であつた。

ところが世の中わからないものだ。
この実写版「ドラゴンボール」が引き金となつて、「神と神」が世に出ることになつたといふのだから。
一昨年、「神と神」をはじめて見たときに、心の中で実写版「ドラゴンボール」にちよつとばかり感謝してゐた。
実写版「ドラゴンボール」があつたから、「神と神」が生まれた。
なんとありがたいことではないか。
まんがやアニメーションの実写版つて、悪いばかりでもないんだな、どんな出来であつたとしても。

さて、「復活のF」である。
Fことフリーザさまがすばらしいことは十二分に理解してゐるので、あとはなんか妙ちきりんなことをやらされたりしてゐないことを祈るばかりである。
なにを云つても、ともちやんだしね、フリーザさま。
見終はつて、「復活することなかつたのに」といふ感想を抱くことのないやうな出来でありますやうに。

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Friday, 10 April 2015

読み返したいけどちよつと怖い

こどものころのことである。
叔母がいとことやつがれとに「少女フレンド」と「花とゆめ」を示し、「好きな方をあげるよ」と云つた。
いとこは「少女フレンド」を取つた。
やつがれの手元には「花とゆめ」が残つた。

これがやつがれの少女マンガの趣味嗜好を決める結果となつた。

それ以前にも、「別冊マーガレット」を読んではした。
病院通ひが多かつたためか、母がたまに買つてくれたのだつた。
母は病院にある本を読むのをいやがつてゐた。
読みたかつたのは母だつたのかもしれない。
そこで和田慎二の「わが友フランケンシュタイン」シリーズを読んだりしたのだつた。
この時点で、まんがの好みはある程度決まつてゐたと思はれる。
そこに「花とゆめ」だつた。

当時の「花とゆめ」では「ガラスの仮面」の連載も「スケバン刑事」の連載もまだ開始してはゐなかつた。
連載作品として記憶にあるのは「アラベスク」第二部の終盤だ。
主人公ノンナがラ・シルフィードを踊つてゐる最中に、伴奏してゐたビアニストが突如演奏をやめてしまふ。しかし、ノンナはそれにも気づかず踊りつづける、みたやうな場面を今に至るまで覚えてゐる。
水野英子の連載もあつたやうに思ふが、定かではない。
こやのかずこの連載は終はつてゐたやうに思ふけれど、一度くらゐは巻頭カラーで見たやうな気もする。
読み切りでささやななえ(当時)が怖いまんがを描いたり、山田ミネコが不思議なまんがを描いたりしてゐた。

そんな中に「だから旗ふるの」といふまんががあつた。
「はみだしっ子」シリーズとの出会ひだつた。
やつがれがアンジー派であつてもなんの不思議もない。
中学に通ふやうになつて、友人がグレアムが好きだといふのに驚いたり、実は世の中にはグレアム派が多いのだといふことを知つたりするやうになる。
それまではひとりで三原順を読んでゐた。

そんなわけで四月四日のヤマザキマリの講演会には行きたかつたが、行けなかつた。
水戸に行つたからである。

「ひとりで三原順を読んでゐた」と書いたが、本はひとりで読むものだと思つてゐる。
まんがは少し違ふかな。
まんがは、とくにこどものころはたくさんは買へないので、ともだち同士で持ち寄つて互ひに貸し借りをしてゐた。小学校高学年くらゐのころのことだ。
読むときはひとりなのだが、読んだあとに「あの場面がどうの」「この登場人物がかうの」といふ話を仲間うちでするやうになる。
「はみだしっ子」シリーズの単行本を持つてゐるこどもは、やつがれの周りにはゐなかつた。
やつがれ自身は二巻と四巻とを持つてゐたと思ふ。
なぜか一巻とはなかなか本屋で出会ふことがなかつた。
三巻は買はうとしたら売り切れてゐた。
そんなにお小遣ひがあるわけでもなかつた。
しかも母は三原順が好きではなかつた。
好きだつたら買つてもらふこともできたかもしれない。
残念なことである。

手元に二巻と四巻としかない状況で、ともだちには貸せなかつた。
基本的には一話完結だが、一応話はつづいてゐる。
一巻で出会つた人のつてで三巻に登場する人に会ひに行き、四巻ではそのふたりが重要な役割をはたすやうになる。
やつがれはそのことがわかつてゐるからいいが、はじめて読む人間にはやさしくない。
そんなわけで、当時は「はみだしっ子」仲間が増えなかつた。

しかし、三原順は、ひとりで読む方がいいのかもしれない。
友人と一緒に読んで、「Die Energie 5.2☆11.8」を語り合つたりするだらうか。
語り合つたとして、どんなことを?
あのまんがを友人と「あーでもない」「こーでもない」と喋り倒すところがやつがれには想像できない。
せいぜい、「重たかつたね」「うん、よかつたけどね」「うん」くらゐが関の山だ。

「Die Energie 5.2☆11.8」を「あーでもないこーでもない」と語り合ふやうなこどもだつたらよかつたのになあ、とは思ふがね。

中学生になると、上に書いたグレアム派の友人以外にもまんがを読む同級生が周囲に増え、「花とゆめ」や「Lala」を読んでゐる人も多かつた。
多かつたけれど、さういふ友人たちとしてゐたのは「パタリロ!」の話だつたり「エイリアン通り」の話だつたり、「紅い牙」シリーズの話だつたりした。
掲載誌は違ふけれど、「那由他」の話なんかもあつた。
でも、「はみだしっ子」や「ルーとソロモン」の話をした記憶はほとんどない。
Untouchable。
そんな雰囲気だつた。
敬して遠ざける。
そんな雰囲気もあつた。

かくいふやつがれは、もう長いこと「はみだしっ子」シリーズを読み返してはゐない。
「ロングアゴー」を三年ほど前に読んだかな、くらゐである。
読み返さない理由は、読み終はつたあと「この世」に返つてこられなかつたらどうしやう、と思ふからだ。
来る連休にでも読み返して、五月病にでもかかつてみるか。

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Wednesday, 09 October 2013

覚えきれないキャラクター

録画機が勝手に録画してくれるので、「おじゃる丸」と「忍たま乱太郎」、「それいけ! アンパンマン(以下、「アンパンマン」)」とを見てゐる。
「忍たま乱太郎」だけはなぜだがたまにしか録画しない。一週間に一度とか二週間に一度とか、さういふ気まぐれな感じで録画してゐる。

現在の録画機で一番最初に予約録画したのは「連続人形活劇 新・三銃士(以下、「三銃士」)」だつた。
しばらくしたら、録画機は「アンパンマン」を勝手に録画するやうになつた。
おそらく、「三銃士」に戸田恵子と山寺宏一とが出てゐたからであらう。
その後、録画機は「ドラゴンボール改」を録画するやうになる。これは「アンパンマン」に出てゐる中尾隆聖と鶴ひろみとのせゐなのではないかと思ふのだが、ここではそれはおく。

「おじゃる丸」も一時は予約録画してゐた。そのうち録画を消化できなくなつて、やめた。
やめてしばらくしたら、録画機が勝手に録画するやうになつた。
「忍たま乱太郎」は、「おじゃる丸」からの類推で録画機が「録画しておくか」と思つてするやうになつたのだらう。

ほかにも、録画機が勝手に録画してくれるものはいろいろある。
結局見続けてゐるのは、この三つ、かな。ほかにも「心に刻む風景」とかあるけれど。

「おじゃる丸」、「忍たま乱太郎」、「アンパンマン」に共通することはなんだらうか。
アニメ?
お子様向け?
長寿番組?

そのとほりだが、この三番組に共通してゐて、やつがれの心をぐつとわしづかみにする共通点が、ひとつある。
それは、「登場人物が多い」といふことだ。

とにかく、やたらと登場人物が多い。
「アンパンマン」などは、登場人物が一番多いといふのでギネスブックに載つた、といふ話を聞くほどだ。
基本的な登場人物はきまつてゐる。
「おじゃる丸」なら主人公のおじゃる丸に電ボ、かずまに子鬼のトリオといつたところか。
「忍たま乱太郎」なら主人公の乱太郎にきり丸、シンベヱにヘムヘム、かなあ。学園長・山田先生・土井先生も入れてもいいかもしれない。
「アンパンマン」なら主人公のアンパンマンにジャムをぢさん、バタ子さんにチーズ、ばいきんまんにドキンちやん、か。

基本的にはこんな感じで、加へて準レギュラーのやうな登場人物がゐる。さらに、その時々のゲストキャラクターが出てくる。
正直云つて、「アンパンマン」を見はじめてずいぶんたつが、未だに「え、こんな登場人物(「アンパンマン」の場合は「人物」かどうかはひどくあやしいのだが)、ゐたの?」と思ふやうな登場人物がゐる。
ギネスブックに載つただけでは物足りないとでも云ふのか、この期に及んで新たな登場人物が出てきたりもする。

楽しい。
楽しいぢやあないか。

なぜだか登場人物が多いと心躍る。
なんだらう。こどものころに親しんだ源平ものの本のせゐか。
源平ものつて、やたらと登場人物が多いんだよね。それも、似たやうな名前の人が何人も何人も出てくる。
だから全員を知つてゐる、とか、全員を覚えてゐる、といふことはない。
ないけれど、そこらへんは幼いころに覚えたものといふことなのか、時折ふつと意識の表面に浮かんでくることがある。
名前だけ覚えてゐて、なにをした人だか、どういふ人だかまつたく記憶にない、なんてな人もゐる。

あるいは、推理小説のせゐかもしれない、とも思ふ。
アガサ・クリスティとかエラリー・クイーンとか、やたらと登場人物が多い作品があつたりしないか。
巻頭にならんだ登場人物一覧を見ると、「なんでこんな人物が?」といふやうな人まで並んでゐたりする。
読者の目を惑はせるためだらうとは思ふけれど、「この中に犯人がゐるのかー」とか、読む前から楽しいんだよね、あの登場人物一覧。

まあ、「おじゃる丸」などはやはり源平ものの流れだな。犯人あてとかないし。

「アンパンマン」では、頭にコのつく名前の登場人物がどうもあまり好きになれない。
具体的にはコキンちやんとか鉄火のコマキちやんとかだ。唯一の例外はこむすびまん。こむすびまんはちよつと好き過ぎるくらゐ好きだが、それも今回はおく。
あとメロンパンナちやんがわかんないんだよなあ。なんであんなに人気があるんだらう。理解に苦しむ。ロールパンナちやんのよさはよくわかるんだけど。

といつた感じで、どうもいけ好かない登場人物もゐるにはゐる。
ゐるにはゐるけれど、つい見ちやふんだよなあ。
自分から録画して見やうとは思はないけれど。

ところで、「忍たま乱太郎」と「アンパンマン」とには、もうひとつ個人的に看過できない共通点がある。
それは、配役が豪華、といふことだ。
それゆゑにかなしい思ひをすることもある。

今年、内海賢二が亡くなつた。
内海賢二といへば、毎年六月の頭にむしばきんまんとして「アンパンマン」に登場するのが常だつた。
ちやうど、今年の分が放映されるころ、訃報に接した。
むしばきんまんは毎年六月にはづせない登場人物なので、今後も出てくるのだらう。
おなじことははみがきまんのときも思つたけれど、来年のことを思ふとひどくさみしくなつた。

また、しばらくたつてから、今度は魔法のランプの巨人として登場したことがあつた。
魔法のランプの巨人の最後のセリフが、「またお会ひしませう」だつた。
内海賢二の最後の仕事は「銀の匙」だつたさうだけれど、自分の中では「アンパンマン」の魔法のランプの巨人になつてしまつた。
あーあ。

などといふこともありつつ、それでも「配役が豪華」といふことで見てしまふんだよなあ。
「アンパンマン」にしても「忍たま乱太郎」にしても、いまどきちよつとないくらゐ豪華だもの。
それでゐて(あるいはそれだから、か)登場人物が多い。
やめられませんな。

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Saturday, 29 October 2011

「夢の中 悪夢の中」を読む

「相手の幸せが自分の幸せ」つてことが、お前はわかつてない。

主人公の母はさう云ふ。さう云ふて主人公の結婚に難色を示す。

主人公から見ると、それがわかつてゐないのは母親の方だ。母親は自分の価値観を押し付けてくる。常に明るく賑やかにかつアクティブで食欲旺盛であれ、と。さうあらねば、お前はどこかをかしいのではないか、と。

三原順の「夢の中 悪夢の中」は恐ろしいまんがだ。ホラーといふわけでも、怪奇小説といふわけでもない。「悪意の人」も存在しない。
なのにこの恐ろしさはどうだらう。
「ほんとに恐ろしいのは人間なんだよ」とはこのことか。

「夢の中 悪夢の中」は三原順最後の短編集を文庫化したものだといふ。四篇あつて、うち最初の二篇ははじめて読むまんがだつた。
三原順のまんがでまだ読んでゐないものがあつたなんて、と、感慨深い。

まるで小説を読んだかのやうな読後感。今だつたらどんなまんがを描いてゐただらう。あひかはらず小説のやうな読後感をもたらすまんがを描いてゐたらうか。ますます「イヤな終り方」をする方向にむかつてゐたらうか。それとも、と、読んでゐて妄想は尽きない。

表題作に、エリ・ヴィーゼルの小説が出てくる。セリフにさうあるわけではないが、登場人物の手にしてゐる本に「L'AUBE Eli Wiesel」と書いてある。
確かはみだしつ子ではフランケルを引用した箇所があつたやうに覚えてゐる。
かつて、三原順を読んで、「この本を読みたい」「この曲を聞きたい」と思つたものだつた。
さうして「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」を読み、クリーデンスクリアウォーターリヴァイヴァルの「Someday Never Comes」を聞き、エマーソン、レイク&パーマーを知つた。
サイモンとガーファンクルが使はれてゐれば、ニヤリとし、競馬もちよつとばかり覚えた。
三原順やかつて自分が読んでゐたころの少女まんが家にはさういふ力があつて、そして、今もそれは変はらないのらしい。

作中で、登場人物は云ふ。
「この本(「夜」)は第二部と第三部を読まなきやダメなんだよ」
「夜」を読み終へた時点で感想を述べやうとする主人公は、さう云はれて、第二部、第三部を読む。
そして、「夜」と「夜明け」だけ読んでわかつたつもりになつてゐたことにショックを受ける。

このエピソード自体は本筋ではない。けれども忘れられない。そして、自分も読んでみたいと思ふ。

「夜」は最近復刊されたやうだが、つづきの入手はむづかしさうだ。米Amazonには三部作のペーパーバックが売られてゐる。
買ふしか?

死してなほ、三原順は自分を本屋に走らせる。

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Sunday, 03 December 2006

原作はおもしろいのにねえ

夕べ、新聞のTV欄をみてゐたら、「拝み屋横丁顛末記」といふ文字を見かけて、その時間そのチャンネルにあはせてみた。

……ま、深夜ドラマだからね。しかも土曜の深夜。

とはいふものの。
うーん、もつたいないなあ。原作のまんがはほんたうにおもしろいのに。俗に云ふ「ゴールデン」の時間帯に放映してもいいくらゐだと思つてゐる。
戀愛色がうすいからダメかな? それにあの拝み屋横丁ではスポンサの付きやうがないかな。さうかなさうかも。

来週は原作にもある話を放映するらしいから、それを見てから判断した方がいいかな?
今回の話は原作にはなかつたと思ふ。まあ単行本しか読んでゐないので、どこかでかういふ話があつたのかもしれない。でも男の子が拝み屋横丁にやつてきた理由は「両親から人生修行に出された」とか云つてたから原作とちがふし、大家さんは父娘の感動の場面とかに出会つても涙しないと思ふし、作家の先生はかはいいタイプでなくてやうすのいいタイプだと思ふぞ。

最近実写ドラマ化されるとアニメーション化もされたりするが、これもなるのだらうか。

あんまり好きなものをふやさない方がいいかなと思ふあきのゆふぐれ。
かなしいこともふえるからな。

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Saturday, 23 September 2006

Generation Stand-up Comedy

最近お笑ひ番組を見ることがある。
見てゐて気になることがある。
それは、「そのネタつて、ある一定の年代(とそれ以降)でないとわからないんぢやないの」といふものがあることだ。

たとへば、まんが・アニメーションネタである。
昨今の若手(と目されてゐる)芸人の中には、キン肉マンやドラゴンボールをくすぐりのやうに入れてくるものが多いのだ。

確かに、キン肉マンもドラゴンボールも一世を風靡し、今なほ絶大なるファン層を誇るまんがであるが(ドラゴンボールに至つては全世界の半分くらゐには伝播してゐるのではないかと思はれるが)、それでも、おそらくある一定の年代以上の人にはわからないものなんぢやないかな、と思ふのである。

ためしに職場のもうすぐ四十歳二児の父にそれとなく話をもちかけてみたが、彼はドラゴンボールのことはまつたくわからないと云つてゐた。一方で彼の同期の人間に餃子のフィギュアを見せてみたら「天さんはゐないの?」と逆に訊かれたこともある。
♯ちなみにこの餃子のフィギュア、実によくできてゐるのである。
♯まつこと愛い奴ぢや。

おそらく、ドラゴンボールに関しては四十代を境にわかる人とわからない人が大きくわかれるんぢやないかなあ。キン肉マンもそれくらゐだが、ドラゴンボールよりはまちつと上だらう。

しかし、かうしたネタを披露する芸人たちも人気があるらしい。
しかもTVで見るかぎり、観客はみな笑つてゐる。
客はその場の雰囲気で笑ふこともあるとは思ふが、だが、さういふネタを披露することが許されてゐるといふことは、「わかる人間の方が多い」または「(視聴者の)ほとんどはわかる人間である」とみなされてゐるからなのではないか、と思ふのだ。

んー、さうなのかなあ。

まあお笑ひといふのは差別的なもので、笑ひのわからない人を笑ふといふ面もあるかとは思ふので、そんなに気にすることはないのかもしれない。
でも、芝居噺なんかはあきらかに客席に来るやうな人間はみんな知つてゐるといふ前提で語られてゐたと思ふんだよな。今芝居噺がほとんどかからなくなつてゐるのは、客席に来る人間がみな知らないからだらう。
♯え、噺家自体の素養の欠如?
♯それを云つちやあおしめえよう。

もちろん、万人にわかるネタなんてないだらう。理由はわからなくても、モンティ・パイソンでマルクスがサッカー関連のクイズを出されて答へられずおろおろする姿を見て笑へるといふこともある。
♯マルクスは労働者の味方だからサッカーについて詳しくなければならないのである。

それとも人気がある中でもずば抜けてゐる芸人たちはさういふ「世代に頼つたネタ」は使はないのかな。

夕べ、伊集院光と太田光がこの上なく楽しげに「死神」の内容を披露してゐてうらやましくなり、なんとなくこんなことをあらためて考へてしまつた。ふたりとも、「好きなんだなあ」つて感じでとてもよかつたのだ。キン肉マンやドラゴンボールをネタにする人々も、自分が好きで仕方がなくて使つてしまふ、といふ感じだといいなあ。

ちなみにやつがれは圓生の「死神」で育つた。残念乍ら高座を見ることかなはなかつた。

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Sunday, 06 August 2006

英國的なるもの

It is elementary, my dear Watson.
このあたりがイギリス初体験だらうか。
おそらく子供のころ一番最初に意識した外国といふのはアメリカ合衆国で。
次くらゐに米国とはちがふ、まだ女王様がゐて皇太子もゐていはゆる王族がゐる、でも統治はしない、仏蘭西みたやうな革命のなかつた國として、「グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国」すなはちイギリスに出会つた。そんなやうな気がする。

シャーロック・ホームズで印象的だつたのは、ホームズとワトソンが互ひの名字を呼び合ふところ。英語の授業では「あちらの人はなかよし同士ならファーストネームで呼び合ふ」と習ふのだが、これをいきなりくつがへしてくれてゐる。しかも呼び捨て。つまりさういふ付き合ひもあるといふことがここからわかる。さういへばポアロとヘイスティングスもさういふ呼び方をしてゐたか。ポアロはヘイスティングスのことを「Mr.」つきで呼んでゐたかな。
♯そしてこのあたりからやつがれは「ワトソン=女性説」はあり得ないと思ふものだが……
♯どんなもんだらう。

そして次にくるのがThe Beatles。
「革命を起こしたいつて? でも破壊に手をつける時はぼくは仲間にやならないよ」
とか
「たれも聞くことのない説教の文句を書いてゐる神父」
とか
「1, 2, 3, 4 もうチトもらつていいか知らん」
とか
「世界を見たら回つてゐることがわかつたんだ」
とか
そんなことを歌ふ本邦の歌を当時のやつがれは知らなかつた。今も知らない。
だから当然好きなのは後期。特に「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド」。
ビートルズ以降順調に洋楽を聞くやうになつたのだが、プログレくらゐで前に行くのをやめてしまつた、といふのはまた別の話。
たとへば「愛こそはすべて」なんかでも佐藤くんこと佐藤良明の「ラバーソウルの弾み方」を読むと「ははー、さういふとらへ方もできるのね」と、深くうなづくことしきり。単純に「愛があればほかのものなんて」みたやうな歌ぢやないといふこと。
そして、二十歳を過ぎるあたりから、初期のころの歌も好きになつてゐた、といふのもまた別の話。

もうかうなると次にくるのはモンティ・パイソン。

となるはずなのだが、やつがれにはビートルズとモンティ・パイソンのあひだにもうワンステップあつた。
それが速星七生である。
Googleで検索してもあまり情報の出てこないまんが家だが、「たいした問題じゃない」「ナナオの症候群」は実におもしろかつた。ミステリだしイギリス風味いつぱいだし、とてもよかつた。基本的には喜劇なのだが、風刺といふか皮肉といふか(satireといふか)もきいてゐて、ちよつとこんなまんが家ゐないといふ感じでなあ。
♯坂田靖子のまんがにも(「バジル氏」以外でも)イギリス趣味あふれるものがあつていい。

そこからモンティ・パイソンといふのはかなり自然な流れといへる。
実はモンティ・パイソンより先にサタデー・ナイト・ライヴに出会つてゐて、チャビー・チェイスが「Welcome to New York. It's Saturday night!」と冒頭で云ふてたころのが一番好きだつたりはするのだけれど、そしてそれはジム・ヘンソンのblackなマペットショーが好きだつたからだつたりはするのだけれど。
ジム・ヘンソンはともかく、サタデー・ナイト・ライヴはモンティ・パイソンにはやはりかなはないわけで。そら標榜するものに勝てるわけはなかなかないわけで。
故・山田康夫は「なにがおもしろいのかねえ」みたやうなことをインタヴューで云つてゐるが、おもしろいでせう。なんでマルクスはサッカー事情に詳しくなければならないのか、とかさ。当然マルクスはサッカーのことなんて全然知らないわけだけれど、インタヴュアは「知つてて当然だらう?」といふ態度である。サッカーといへばなぜサッカーの選手は碌々インタヴュアの質問に答へられないのか、とかさ。「Hells Grannies」とかもをかしかつたよなあ。

そんなところがやつがれ的「英國的なるもの」はじめだつたりはする。
あとはまあ、行つたことのない國だしね。よくはわからんのだつた。

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Monday, 31 July 2006

再会にも似た出逢ひ

本屋でまんが文庫の棚のあたりをぶらぶらしてゐた時のことだ。
思はず足を止めてしまつた。
まさかこのまんが家の作品を読めることがあらうとは思つてゐなかつたからだ。

まんが家の名は、樹村みのり。

残念乍らといはうかなんといはうか、やつがれ自身は樹村みのりには間に合はなかつた世代である。からうじて少女コミックの広告ページに名前を見つけることがありやなしやといつた状態だつた。
なのになぜ、この名前を覚えてゐるかといへば、やつがれが少女まんがを読んでゐた当時、「樹村みのりが好き」「樹村みのりのやうな作品を描きたい」といふまんが家が多かつたためである。

どんなまんがを描くんだらう。どんなすてきな作品か知らん。

さう思つてはみたものの、さて、それではとあたりをみまはしてもなかなかまんがは手に入らない。あるいは書店に存在してもこちらに先立つものがない。

もう長いこと忘れてゐたと思つてゐたのに。

一読、「なるほど、かういふ作品を描きたいといふ気持ちはわかる」といつたところ。さらりとふかい。そんな感じ。

しかし……今の若人には「なにがかいてあるんだか、わかんない」と云はれてしまふのかもしれないなあ。「ユージュアル・サスペクツ」の結末がわからない人が多かつたといふ話を聞いてから、どうも読み手の力を見くびりがちでよくないのだが、ついさう思つてしまふ。

それにしても、樹村みのり。
もう一冊文庫が出てゐるといふので、探してみたい。

……でもこれがなかなか見つからなかつたりするんだよね。

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Saturday, 24 September 2005

おもしろすぎる……

いいのか、こんなにおもしろくて。

といふのは「拝み屋横丁顛末記 一」である。

時は平成、といふことになつてゐるが、どこか古くさいかほりのするとある横丁が舞台になつてゐる。神主・神父・陰陽師もしくは元さうした職についてゐたものが集ひ、さうした強烈な個性を持つ店子たちをうまくあしらふ年の頃三十半ばの大家がゐて、事態をかきまはす小説家と大家の甥の高校生がゐる。このあたりが主要な登場人物で、ほかに「拝み屋」たちが作り上げてしまつた霊・絹代ちやんがのりうつつた喋るカラスや江戸川乱歩の本名と同姓同名の幽霊、大家の甥に戀する女子高生なんぞも出てくる。
なんかもうしつちやかめつちやか。だがそこらへんが実におもしろい。

少し前だつたら、否、二十年も前だつたら、かういふ絵柄で女の子はまあかはいいけど主役になるほどぢやなくてジジイに異様に魅力があるやうな作風だと、「少女まんがには向きませんね」なんぞと一蹴されてゐたんぢやないかと思ふ。

たとへどんなに絵がうまくておもしろいまんがを描こうが、だ。

だが今はきちんと掲載してくれて、単行本にしてくれるところがある。
それだけ趣味が多様化してゐるといふことだらうし、そしてそれはいいことなのだと思ふ。

ちよいと試しに一巻だけ買つてみたのだが、続き、買つちやふよ、これぢやあ……。

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Monday, 30 May 2005

子どものころのことを覚えてゐますか

夕べ、アニメーション専門チャンネルで「ドラゴンボールZ」の映画とやらを見た。
冒頭、TV放映時最初のオープニングが流れたりして、映画館の中は大合唱(正確には「大斉唱」?)だつたのだらうなあ、としみじみ。

絵は大変すばらしかつたのだが(なにをいつても山室直儀だ)。
内容がどうにも、なあ……。

あのー、「お子さま」をあまりにも見くびつてはゐないだらうか。

突然、かつて楽隊にゐた時のことを思ひ出す。
年に一度か二度、近所の小学校なんぞに演奏会に行つたりするのだが。
ある時、小学校四年生を対象にしたものがあつた。

すると、練習のときにこんなことを云ふものがあるのだ。
「小学四年生相手だから」
とか
「ほんとの観客は教師や親だから」
とか。

まあ、演奏会に来てくださいと依頼するのは教師や親だらうから、「ほんとの観客」が彼らなのは確かかもしれないが。
君たち、自分が小学校四年生だつた時のことを忘れちやあゐないか。

思ひ出すのもはづかしいが、小学四年生の時のやつがれはもうほんたうにつつぱらかつた子どもだつた。
妙な抵抗はかへつてこどもつぽいからやらない、とかね。
見るもの聞くもの読むものはみんな背伸びして選んでたりとかね。
やたらと人の輪の外からものごとを見るやうにしやうと思つてたり(多分成功してなかつたとは思ふが)とかね。

十歳だぜ。
お子さま扱ひしたら怒られつちまふよ。

と、心の中では思つたが口に出しては云はないやつがれであつた。

今回の映画もその伝ですませる予定だつたが、大人気なくも書いてしまつた。

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