Thursday, 04 October 2018

物欲の秋

先週末、東京インターナショナルペンショーに行く気満々で、結局行けなかつた。
三連休にあひだに高熱を出し、その後咳と鼻水とがぬけない。
つひ一昨日くらゐまでは嗅覚が麻痺してゐたやうで、ほとんど匂ひもしない状態だつたし、あひかはらず咳込んでは周囲の人々に迷惑をかけてゐる。

そんな状態なので、泣く泣く浅草行きはとりやめたのだつた。

それでよかつたやうな気もしてゐる。
現在万年筆に対する物欲がまるでないからだ。

物欲がまるでない、とか云ひながら、七月にはhelico の sucre を買つたのだが、いまのところそれを最後に買つてゐない。
プラチナの薫風やprocyonも買つてゐない。
薫風は名前が、なー。
KとPつて音が強すぎる気がするんだよね。
しかもどちらもあとにくるのがUの音で、やはらかさに欠ける。
あとで考へたら、レ点を打つて「風かをる」とでも読めばよかつたのかもしれないと思つたが、手遅れだつた。
procyonは、出会ふ機会がなくて、そのままになつてゐる。
出会ふ機会がないといへば薫風もさうか。
procyonはもしかするとそのうち入手してゐるかもしれないけれど。

といふのは、手持ちのペンで十分に使へてゐないものがたくさんあるからだ。
もつと持つてゐるペンを活用したい。
活用、といふとちよつと違ふかな。
とにかく使ひたい。
書きたいのだ。
しかるに時間がない。

書くことにはこと欠かない。
なにも書くことがなかつたら、気に入つた文章などを書写すればいいのである。
文章でなくてもかまはない。
芝居の外題だとか名せりふだとか、名でなくても好きなせりふだとか、書きたいことはいくらでもある。
しかるに時間がない。

時間なんて探せばあるんですよ。
人はさう云ふ。
ほんたうだらうか。
家に帰る。
支度をして夕飯を食べ片づける。
風呂を沸かしながらラジオ講座を聞く。
入浴して冷ましながらラジオ講座のつづきを聞き、あとはぼんやりする。
時間が来たら寝る。

この中で変更が効くことがあるとしたら入浴後の過ごし方だが、実際のところ、ここでぼんやり過ごすからなんとか一日平穏に過ごせてゐるのであつて、なかつたら……なかつたらおそろしいことになる気がする。
それに、ぼんやりしないのだつたらさつさと寝るべきなのだ。ほんたうは布団の中でぼんやりすればいい。さうも思ふ。
とにかく睡眠時間が足りてゐない。
だから熱など出すわけで。

これは時間のない云ひ訳だらうか。
さうは思はない。
日々なににどれくらゐ時間がかかつてゐるか数ヶ月調べて、だいたい平均的なところを出してみて、削れるところがあるとしたら通勤時間と勤務時間で、それは削りたくても削れない時間なのだつた。
あとは夕飯を食べるのをやめるくらゐかな。

手持ちのペンさへ満足に使へてゐないのに、ましてや新たなペン。
いまはそんな気持ちだ。

それは、長引く不調のせゐかもしれないし、いつまでも止まらない咳のせゐかもしれない。
元気になつたあかつきには(そんな日が来るとして)、また新たなペンを求めてゐるかもしれない。

でもいまは手持ちのペンで思ふ存分書く時間がほしいな、といふのが正直なところだ。

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Thursday, 16 August 2018

夏にはポメラ

現在愛用してゐるポメラはDM100だ。
その前にDM10を使用してゐた。
DM10はそれなりに持ち歩いてはゐたものの、あまり使ふことはなかつたやうに思ふ。
理由は、意外とかさばるからだ。

DM10は折りたたみ式のポメラで、ゆゑに小さくはなるのだが、その分厚みができる。
これが思つてゐたよりかばんの中で場所を取るのだつた。

折りたたみ式といふことで、使用してゐる際にキーボードがなんとなくたはむ感じのするのも気になつてゐた。
ほかの人に比べてキーボードを打ち込む力は弱い方だとは思ふのだが、ときに画面表示が遅れるやうなスピードで打つてゐるとそれなりにキーボードにも負荷がかかるのだらう。

そんなわけで、DM10を使用することはあまりなかつた。

DM10を使用しなかつたのだから、DM100も同様だらう。
折りたたみ式ではない初のポメラであるDM100が発表されたとき、さう思つた。
すでにDM10があるのだから、DM100は必要ない。
さうも思つた。

つまり、ほしかつたわけだ。

DM100のいいところはといふと、DM10に比べて薄いといふことだ。
折りたたまないから持ち歩くときに厚みは出ない。
そのかはり幅がある。
だが、B5サイズの資料の入るやうなかばんの場合、幅はあまり気にならない。
薄いからどこにでも入る。
さういふわけで、DM10のときよりも持ち歩く頻度が増えた。

また、折りたたまないタイプなので、キーボードを打つてゐてもたはむやうな感覚はない。

いいぢやあないか、ポメラDM100。

といふわけで、すつかり帳面代はりになつてゐるポメラDM100なのだつた。
いまの時期、なにか書きたいと思つても、手がすぐに汗ばんでしまひ、紙に字を書くのが億劫なことがある。
また、MacBook などだとマシン自体が発熱して熱い場合も多い。
そんなときにポメラを出してきて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくる。
ありがたう、ポメラ。

いつでもポメラ 夏にもポメラ。
そんな感じでひとつ。

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Thursday, 09 August 2018

ペネックとカクノと情報カード

あたぼうステーショナリーのペネックでパイロットの万年筆カクノを持ち歩かうと思つたのには、ふたつ理由がある。

ひとつは増殖するkakunoをまんべんなく使ひたいと思つたからだ。
毎日「今日のカクノ」を決めて、ペネックに入れて持ち歩く。
かうすればそのカクノを確実に使ふことになる。
出先でなにも書かないこともあるだらうつて?
それはそのとほりだ。
だが、毎日ペンを入れ替へるので、帰宅後はペネックを机のうへにおいてゐる。
そこらへんにぬかりはないのだつた。

もうひとつの理由は、カクノがコレクトの5×3カードと相性がいいことだ。
コレクトの5×3カードではセクションと呼ばれる方眼罫の情報カードを愛用してゐる。
このカードに普段使つてゐる金ペンで書くと、なんとなく書きにくいことがある。
その日の温度や湿度、気圧によつても違ふのかもしれないし、やつがれの気分によつても違ふ。
中屋万年筆の十角軸でよく書けるなあと思つたら、翌日はあんましよくなかつたりとか、かなり頻繁にあるし、ほかのペンでも同様だ。

カクノはさういふことがあまりない。
ペン先はEF、F、Mと持つてゐて、いづれも書き味にはそれほど差はない。
中に入れてゐるインキもペンによつてさまざまだ。
パイロットの色彩雫を入れてゐるものもあれば、プラチナの古典インクを入れてゐるものもある。
最近お気に入りなのは、中字にLANYのペトロールを入れたペンだ。
これがちよつとぬめりのあるなんともいへないたまらない書き味なのだつた。
ぬらぬらよりも粘り気があるやうに感じる。
書いてゐて、ペン先と紙とがはなれたがらない、そんな感覚を覚える。
コレクトの5×3カードに書いても同様だ。

ペネックにカクノを入れて持ち歩くやうになつてからといふもの、情報カードの字が読みやすくなつたやうに思ふ。
書きやすいから字を書くときに気をつける余裕が生まれるからだらう。

情報カードについても増殖しつつあり、しかもやつがれの暮らしやうではこれは役に立たないのではあるまいかといふ気がしてならないのだが、それを考へなければ、いまのところいいことづくめだ。

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Wednesday, 08 August 2018

その後のペネック

あたぼうステーショナリーのペネックを持ち歩くようになつて早三週間。
時が経つのは早いものだ。
さう思ひつつも、「え、まだ三週間しか経つてゐないの?」といふ気分でもある。
なんか、もう馴染んでしまつてゐるのだ。
生活の一部とでもいはうか。

職場にゐるときはいつでも社員証と一緒にぶら下げてゐて、出勤退勤途中はかばんの中に入れてゐる。
休日はストラップをかばんの持ち手などに結はへつけて持ち歩くことが多い。
前回も書いたやうに、休日は襟のない服を着ることが多いからだ。
出勤するときは社員証を首から下げないといけないので襟のある服を選ぶやうにしてゐる。
社員証を下げてゐるストラップが直接首にあたるのが気になるからだ。
とくにいまの時期は汗を吸ふだらうしさ。
まあ襟があつたところで吸ふんだらうけども。

馴染んでしまふと持ち歩いてゐることを意識しなくなる。
そんなわけで、使ひ心地云々といふのもあまり感じない。
あたりまへにそこにあり、あたりまへのやうに使ふ。
さういふ存在になつてゐる。

そんなペネックだが、ひとつだけ心配な点がある。
それは、ボタンがなんとなくゆるい気がすることだ。
ペネックは上部のぺらぺらした部分をストラップに巻きつけてボタンでとめるやうになつてゐる。
このボタンがぱつちりとまりはするものの、どことなく手応へに欠ける気がするのだつた。
これ、何度もつけたりはづしたりをくり返してゐたら早晩ダメになるんぢやあるまいか。
いまのところ一日に一度はつけはづしをしてゐる。
そのたびにそこはかとなく不安になるのだつた。

だつて、もうあるのがあたりまへなんだもの。

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Thursday, 26 July 2018

かたづける快感: あたぼうステーショナリーのペネック

先週の木曜日からあたぼうステーショナリーのペネックを持ち歩いてゐる。
一本差しのペンシースで、ストラップなどを利用して首からさげることができるやうになつてゐる。

一週間使つてみて、かたづけることの気持ちよさつてあるな、と思ふやうになつた。

ペネック

多分、最初はひらくPCバッグnanoだつたんだと思ふ。
ひらくPCバッグnanoは、職場で引き出しが使へなくなつて、それで購入した。
ひらくPCバッグnanoの口を開けた状態で机の上に置いておくと、手帳や筆記用具などを即取り出せる状態でしまつておくことができる。
きれいに入れればいはゆる「見せる収納」ができるといふ寸法だ。
使ふときに取り出し、使つたらかばんにしまふ。
取り出しやすくしまひやすい。
それになにしろかたづくといふのがいい。

ペネックは、当初は増殖し続けるPILOTのkakunoを持ち歩くために購入した。
万年筆自体もこれ以上増やすまいと思つてゐるのに、kakunoはなぜか増える。
気がつくと十本を超えてゐる。
十本くらゐ、たいしたことないぢやあないかといふ向きもあらうが、やつがれは別段コレクタといふわけでもないし、マニアといふわけでもない。
必要なペンが必要なだけあればいい。
kakunoはちよつと増えすぎた。
増やしたのはやつがれだけどさ。

その増えすぎたkakunoをできるだけ使ひたい、それには毎日或は毎週持ち歩くkakunoをとりかへればいいのぢやあるまいか。
さう思つて持ち歩く筆箱に出し入れしてゐたのだが。
ここにペネックが登場した。
これ、毎日kakunoを入れ替へて持ち歩くのにいいんぢやないか。

さう思つて購入して、そのとほりに使つてみて、これがいい。
なにがいいつて、使つたらしまへるといふのがいいのだ。

それまでは、使ひ終へたペンはうつかり机の上に出しつぱなしになつてゐることもあつた。
どうせまたすぐ使ふからといふのでいちいちペンケースに戻さないことがあるからだ。

でもペネックを使ふやうになつてからは違ふ。
首から下げたペネックからkakunoを取り出し、書いたあとはまたペネックにしまふ。
この流れがとても自然なのがまたいい。

kakunoにはペンクリップがないので、ペネックから取り出すときは一番下の方をつまむやうにして押し出す必要があるが、これはそんなに苦にならない。

目下の悩みは休日ペネックをどうやつて持ち歩くか、だ。
平日は社員証のストラップにつけてゐる。
この土日は、口の開いたかばんの持ち手にストラップを巻き付けて、ペネック本体はかばんの中に入れてゐた。
使ふときはストラップを引けば即出てくる。
この使ひ方もいいけれど、いつもいつも口の開いたかばんを使ふわけでもないしなあ。
しばらく試行錯誤がつづくやうだ。

ペネック

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Thursday, 14 June 2018

いまさらorenz nero

ORENZ NEROはずつと気になつてゐるシャープペンシルだつた。
シャープペンシルは使はなくなつて久しい。
いつのころからか、えんぴつを好んで使ふやうになつた。
それでなければ万年筆だ。
気になる理由は、その売れ行きだつた。
どこに行つてもない。
いつでも品切れだ。
そこで、どんなものだらうといふので、ORENZを買つてみた。

最近のシャープペンシルの芯の書き心地といつたら。
考へてみたら、高校生のころからシャープペンシルの芯はぺんてるのものを使ふことが多かつた。
たまにUni。そんな感じ。
しばらく使はないうちに、シャープペンシルといふのはこんなに書きやすいものになつてゐたのだなあ。
しみじみさう思つた。
なんていふのかな、それこそ「三日会はざれば刮目して相待すべし」といつたところだらうか。
シャープペンシルとの邂逅は、三日ぶりなんてなものではない。
まさに刮目して相待するしかない。
そんな感じだつた。

普通のORENZで満足したので、ORENZ NEROはもういいかな。
正直云つて、さう思つた。
相変はらず店頭では見かけないし、Webで検索をかけても売り切ればかりだし、これはもう手には入らないのだ。
さう思つてゐた。

出会つちやつたんだな、これが。

たまたま東京駅付近に用事があつたので、ぶらりと丸善丸の内店に立ち寄つたのが運の尽きであつた。
あるぢやないか。
ORENZ NERO。
あるにはあるけれど、0.2はもう残り一本だつた。
気がついたら会計の列に並んでゐた。

ORENZはすでに使つたことがあつたので、使用するのに戸惑ふことはなかつた。
ただ、最初に芯が見えるところまでノックするといふことは忘れてゐた。
そこはちやんと取扱説明書を見てゐたので問題なかつた。

ORENZとORENZ NEROとの違ひは、重さだらうか。
ORENZ NEROは書かうとしたときにずつしりとした重さがある。
重心は握るあたり、或はもつと先の方だらうか。
万年筆では尻軸の方に重心がある方が好きだが、書いてみるとシャープペンシルならこれも悪くない。
万年筆だと太めの軸が好きだが、えんぴつならこれくらゐだよね、といふ太さでもある。

芯は、これはもう、好き好きの問題で、ぺんてるの芯は好きだなあと思ふ。
なめらかな書き心地で、個人的にはRhodiaとの相性が抜群だと思つてゐる。すひつくような感触があつて、ずつと書いてゐたい気になるのだ。

なるほどねえ。
売れるわけだよね、ORENZ NERO。

マットブラックなところもいいし、お気に入りの一本がまたここに、といつたところだ。

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Thursday, 05 April 2018

苦手な文具

苦手な文具がある。

付箋と蛍光ペンだ。

学校に通つてゐる時分はどうしてゐたのかといふと、付箋はとにかく使はない。
ノートになにか書き足したい場合はメモ用紙のやうなものに書いてのりやセロテープなどでノートに貼りつけてゐた。
蛍光ペン代はりに色鉛筆を使つてゐたことはここにも書いたやうに思ふ。
いろいろ使つてみてファーバー・カステルのポリクロモスが一番気に入つてゐる。
贅沢な話だ。

蛍光ペンはいまだに苦手だが、付箋はそれほどでもなくなつてきた。
最近では読んでゐる本に印をつけるのに常用してゐる。
お気に入りはココフセンの細長いものだ。
赤・黄色・水色・緑のものが一番気に入つてゐる。
最近ではクリップに貼りつけて本の表紙にはさんで使つてゐる。
ココフセンを使ふやうになつた結果、付箋に対する心の障壁が瓦解したのだらう。
その他の付箋も使ふやうになつた。

付箋も蛍光ペンも「これ見よがし」なところがダメだつた。
如何にも勉強してます風なところ。
目立ち過ぎるのである。
また、蛍光ペンについて云ふと、褪色が激しいのも気になる点だ。
色褪せてうつくしいのならいい。
どうも蛍光色といふ目にも鮮やかな過去の栄光にしがみつくやうな、そんな色合ひになるのが気に入らなかつた。
いまはさうでもないのかなあ。

付箋を使ふといまでも「これ見よがし」な感じになるが、それよりも使ひ勝手の方が勝つてゐる。
本を再読する際、以前は付箋を貼らなかつた部分に付箋を貼る。
そのとき一瞬脳裡に飛来する「なぜ過去の自分はここを見過ごしてゐたのか」「なぜ自分はいまここに付箋を貼らうとしてゐるのか」といふ他愛もない疑問。
さういふのがいい。

今後は手帳の見直しをする際にも付箋を使つていきたいなあと思つてゐる。
あれこれ書き足して、付箋を貼りつける。
以前はメモ帳に書いてのりで貼つてゐたが、付箋があるのだから付箋を使へばいいぢやあないか。

あるいは、marginalia 代はりに付箋にあれこれ書いて読んでゐる本に貼る、とかかな。いいかもしれない。

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Wednesday, 04 April 2018

トラベラーズノートを使ひたい

トラベラーズノートをもつと使ひたい。

いままでトラベラーズノートを使つたなあと思つたことは二度ある。
日々なんでも書き込む「なんでも帳」として使用したことが一度、NHKラジオ講座の復習用として使用したことが一度だ。

「なんでも帳」のときは、A5スリムサイズといふ大きさを生かして、講演会や美術展でもらふA4サイズやA3サイズの資料を貼り込んでゐた。
基本的に「なんでも帳」は、Moleskine のポケットサイズくらゐの手帳を好んで使つてゐるが、このサイズの手帳にはちよつとできない芸当だ。

芝居や映画のチラシはもらつても始末に困る。
クリアファイルに綴じればいいのだが、たまつてくるとファイル自体の管理もしなければならないし、なにかと面倒だ。
最近ではWeb上に画像のあるものはそれをダウンロードすることが多い。
さうして取つておいた方が検索も可能だし、なにしろ物理的に場所をとらない。

しかし、それも日誌代はりのノートに貼りつけるとなつたら話は別だ。
チラシや展示物一覧などと一緒に感想その他を書くことができるといふのが大きい。
実際には、先に感想めいたことを書いて、あとからチラシや展示物一覧の端だけにのりを付けて感想を書いた上に貼つてゐた。
チラシ等をめくると感想が出てくるわけだ。
チケットの半券などもさうやつて貼つてゐた。
貼り込んでいくうちにノートが分厚くなるので多少使ひづらくはなるが、なにもかもひとところにまとめることができるといふのがよかつた。

いまは感想は Bullet Journal に書いてゐるからなあ。
Bullet Journal なので箇条書きだから、それを文章にまとめたものをトラベラーズノートに書くやうにすればいいだろうか。

ラジオ講座の復習用は、なんとか半年使ひつづけたが、あまりうまく使へたとは思へなかつた。
やつたことといつて、ダイアローグを書き写して、単語の意味や文法的な指摘事項を書き加へるやうにしてゐた。
まつたくためにならなかつたかといふとそんなことはなかつたと思つてゐる。
というか、思ひたい。
ただ、リフィルをそのまま縦にして一日一ページ使用するやうにしてゐたので、なんとなく手狭な感じになつてしまつたことは否めない。
見返しても読みづらいといふかね。

見開きで使ふとかリフィルを横にするとかしたらもうちよつと見やすいものができるかなあ。

月曜日からNHKラジオ講座も新年度といふことで新たな番組がはじまつた。
「なんでも帳」は現在ロイヒトトゥルムを使つてゐる最中なので、またラジオ講座用のリフィルを復活させてみるかなあ。

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Friday, 23 March 2018

なにが贅沢か

昨日は「新たに手帳や筆記用具を買ふのではなくて、手持ちのものを使ひたい」といふやうなことを書いたが。

でも、万年筆に関しては、たくさん使つてきたので「かういふペンが好き」といふことがわかつた、といへる。
無駄遣ひの云ひ訳?
そのとほりだ。

万年筆がほしかつた、といふ話はここにも何度か書いてゐる。
なぜなのかはいまとなつては不明だが、高級感とブルーブラックのインキとがよかつたのだらうと思ふ。
いまこそボールペンにもブルーブラックのインキのものがいくつもあるが、やつがれがこどものころはなかつた。
ボールペンといへば黒・赤・青、あつて緑くらゐだつたと記憶する。
そこにブルーブラックだ。
いい色だ。
万年筆のインキにも黒や青、赤もあるけれど、ブルーブラックこそ万年筆だと長いこと思つてゐた。

はじめての万年筆は、モンブランのマイスターシュテックはショパン・エディションだつた。
建て替へ前の日本橋丸善で求めた、といふ話も以前書いたやうに思ふ。
これが実に書きやすいペンで、なあ。
長いこと一番自分らしい字の書けるペンとして君臨してゐた。

はじめてのペンがすばらしいペンだつたのだから、それ以上求めるものはない。
理屈でいへばさうなる。
しかし人生は理屈どほりにはいかないのだつた。

ペリカンがペリカーノJr.といふ習字用の万年筆を出してゐるといふことを聞きつけて、どんなものなのかと買つてみたところ、これがまたいい。
白いキャップの時代のペリカーノJr.で、青い軸のものを買ひ、ターコイズのインキを入れた。
これが至極使ひやすい。
廉価なので気軽に使ひやすいし、インキの色も明るくていい。なにより書きやすい。
ここから、気になるペンを買ひまくるやうになつた。

ファーバー・カステルのペルナンブコを手にしたとき、その書き味のやはらかさにびつくりした。
ペン先自体がやはらかくしなふといふ印象はなかつた。
ただ、紙にペンを滑らせたときのなんとも云ひ難いやはらかな感触に、陶然とした。
いまでもする。
このときに、自分はやはらかな書き味のペンが好きなのだな、とやつとわかつたのだつた。

しかし、好きなペンと書きやすいペンとはまた違ふ。
そこでプラチナ萬年筆である。
あるいは中屋万年筆。
そんな感じで、いまは中屋万年筆の中軟が、一番自分らしい字の書けるペンになつてゐる。

去年は久しぶりに大物を購入して、その後はペンに対する物欲はおさまつてゐる。
いまは手持ちのペンでもつと書きたいし、もつと書く時間がほしい。
それが一番贅沢なことなのかもしれない。

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Thursday, 22 March 2018

手持ちの文具を使ひたい

一年のいまごろ文房具店に行くと、新学年に向けてノートや筆記用具などが麗々しく並べられてゐるものだ。

どうもここ二、三年、さうした華やかな印象から遠ざかつてゐる気がする。
三月も終はりにさしかかつたころに文房具屋に行つても、心浮き立つやうな光景を見たといふ記憶がない。

単に、自分が新学年とはまつたく関係のない立場だからかもしれない。
それと、ノートやら筆記用具やらは、もうたくさん持つてゐるから、といふこともある。

先日も文房具屋に行つて、買つたのは消耗品ばかりだつた。
システム手帳のリフィルに付箋、万年筆のインキカートリッジ、以上。
いづれも現在使つてゐてそろそろなくなりさうなものばかりだ。
いまの時期は四月はじまりの手帳などもたくさんならんでゐて、いちいち目移りするものだ。
でも、新しいものはなにも買はなかつた。

いまの自分に必要なのは、手持ちのノートや筆記用具を使ふことだ。
わざわざ文房具屋まで出向いて消耗品しか買つてこなかつたことに気づいたときにさう思つた。

活用する、とはあへて云はない。
手帳やノートの類はいくつも持つてゐるし使つてもきたけれど、活用してきたとは思つてゐない。
たぶん、今後も活用することはできないだらう。
活用はできなくても手帳は日々必要だし、ノートにもあれこれ書き込んでゐる。
それでいいぢやあないか。

活用することはあきらめて、しかし、では手元にある膨大な量のノートブックや筆記用具を如何せん。
がんがん使へばいい。
そのとほり。
でもどのやうに?
結局、手帳やノートの空白を筆記用具で一文字一文字埋めていくしかない。
絵を描いてもいいけれど、どちらかといふと字で埋める方が好きだ。

さうすると、そんなにたくさんノートといふものは必要ないことに気がつく。
やつがれの場合、Moleskineのポケットサイズ一ページを埋めるのにだいたい15分くらゐかかる。
書きながら手が止まることはほとんどない。ほぼ一気呵成くらゐのいきほひで一ページ書く。
さうすると、調子のいいときにはまた別に書きたいことを思ひつくので、次のページにあれこれ書く。
といつた具合だ。
書きながら手を止めることがほぼないので万年筆を愛用できてゐるのだらうとも思ふ。

問題は、書き始めるまでに助走が必要だといふことか。
助走といふか、準備期間といふか、「書かう」と思ひたつこととでもいはうか。
職場にゐるあひだはさうあれこれ書けはしないし、通勤途中も然り。
落ち着いて書けるのは家にゐる時間だけといふことになる。

ほんたうに、ひとりの人間にとつてノートや筆記用具といふのはそんなにたくさん必要ではないのだ。
しかるに手元には未使用のノートがたくさん積まれてをり、出番を待つてゐる筆記用具が山とある。
どうしたものかなあ。

それでもいつかは使ふつもりでゐるので、手放すことができない。
いつになつたら手放すふんぎりがつくだらう。
どうしたらつくのだらうか。

などと考へてゐるあひだに字を書けばいいのだとわかつてはゐるのだが。

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