Thursday, 14 June 2018

いまさらorenz nero

ORENZ NEROはずつと気になつてゐるシャープペンシルだつた。
シャープペンシルは使はなくなつて久しい。
いつのころからか、えんぴつを好んで使ふやうになつた。
それでなければ万年筆だ。
気になる理由は、その売れ行きだつた。
どこに行つてもない。
いつでも品切れだ。
そこで、どんなものだらうといふので、ORENZを買つてみた。

最近のシャープペンシルの芯の書き心地といつたら。
考へてみたら、高校生のころからシャープペンシルの芯はぺんてるのものを使ふことが多かつた。
たまにUni。そんな感じ。
しばらく使はないうちに、シャープペンシルといふのはこんなに書きやすいものになつてゐたのだなあ。
しみじみさう思つた。
なんていふのかな、それこそ「三日会はざれば刮目して相待すべし」といつたところだらうか。
シャープペンシルとの邂逅は、三日ぶりなんてなものではない。
まさに刮目して相待するしかない。
そんな感じだつた。

普通のORENZで満足したので、ORENZ NEROはもういいかな。
正直云つて、さう思つた。
相変はらず店頭では見かけないし、Webで検索をかけても売り切ればかりだし、これはもう手には入らないのだ。
さう思つてゐた。

出会つちやつたんだな、これが。

たまたま東京駅付近に用事があつたので、ぶらりと丸善丸の内店に立ち寄つたのが運の尽きであつた。
あるぢやないか。
ORENZ NERO。
あるにはあるけれど、0.2はもう残り一本だつた。
気がついたら会計の列に並んでゐた。

ORENZはすでに使つたことがあつたので、使用するのに戸惑ふことはなかつた。
ただ、最初に芯が見えるところまでノックするといふことは忘れてゐた。
そこはちやんと取扱説明書を見てゐたので問題なかつた。

ORENZとORENZ NEROとの違ひは、重さだらうか。
ORENZ NEROは書かうとしたときにずつしりとした重さがある。
重心は握るあたり、或はもつと先の方だらうか。
万年筆では尻軸の方に重心がある方が好きだが、書いてみるとシャープペンシルならこれも悪くない。
万年筆だと太めの軸が好きだが、えんぴつならこれくらゐだよね、といふ太さでもある。

芯は、これはもう、好き好きの問題で、ぺんてるの芯は好きだなあと思ふ。
なめらかな書き心地で、個人的にはRhodiaとの相性が抜群だと思つてゐる。すひつくような感触があつて、ずつと書いてゐたい気になるのだ。

なるほどねえ。
売れるわけだよね、ORENZ NERO。

マットブラックなところもいいし、お気に入りの一本がまたここに、といつたところだ。

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Thursday, 05 April 2018

苦手な文具

苦手な文具がある。

付箋と蛍光ペンだ。

学校に通つてゐる時分はどうしてゐたのかといふと、付箋はとにかく使はない。
ノートになにか書き足したい場合はメモ用紙のやうなものに書いてのりやセロテープなどでノートに貼りつけてゐた。
蛍光ペン代はりに色鉛筆を使つてゐたことはここにも書いたやうに思ふ。
いろいろ使つてみてファーバー・カステルのポリクロモスが一番気に入つてゐる。
贅沢な話だ。

蛍光ペンはいまだに苦手だが、付箋はそれほどでもなくなつてきた。
最近では読んでゐる本に印をつけるのに常用してゐる。
お気に入りはココフセンの細長いものだ。
赤・黄色・水色・緑のものが一番気に入つてゐる。
最近ではクリップに貼りつけて本の表紙にはさんで使つてゐる。
ココフセンを使ふやうになつた結果、付箋に対する心の障壁が瓦解したのだらう。
その他の付箋も使ふやうになつた。

付箋も蛍光ペンも「これ見よがし」なところがダメだつた。
如何にも勉強してます風なところ。
目立ち過ぎるのである。
また、蛍光ペンについて云ふと、褪色が激しいのも気になる点だ。
色褪せてうつくしいのならいい。
どうも蛍光色といふ目にも鮮やかな過去の栄光にしがみつくやうな、そんな色合ひになるのが気に入らなかつた。
いまはさうでもないのかなあ。

付箋を使ふといまでも「これ見よがし」な感じになるが、それよりも使ひ勝手の方が勝つてゐる。
本を再読する際、以前は付箋を貼らなかつた部分に付箋を貼る。
そのとき一瞬脳裡に飛来する「なぜ過去の自分はここを見過ごしてゐたのか」「なぜ自分はいまここに付箋を貼らうとしてゐるのか」といふ他愛もない疑問。
さういふのがいい。

今後は手帳の見直しをする際にも付箋を使つていきたいなあと思つてゐる。
あれこれ書き足して、付箋を貼りつける。
以前はメモ帳に書いてのりで貼つてゐたが、付箋があるのだから付箋を使へばいいぢやあないか。

あるいは、marginalia 代はりに付箋にあれこれ書いて読んでゐる本に貼る、とかかな。いいかもしれない。

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Wednesday, 04 April 2018

トラベラーズノートを使ひたい

トラベラーズノートをもつと使ひたい。

いままでトラベラーズノートを使つたなあと思つたことは二度ある。
日々なんでも書き込む「なんでも帳」として使用したことが一度、NHKラジオ講座の復習用として使用したことが一度だ。

「なんでも帳」のときは、A5スリムサイズといふ大きさを生かして、講演会や美術展でもらふA4サイズやA3サイズの資料を貼り込んでゐた。
基本的に「なんでも帳」は、Moleskine のポケットサイズくらゐの手帳を好んで使つてゐるが、このサイズの手帳にはちよつとできない芸当だ。

芝居や映画のチラシはもらつても始末に困る。
クリアファイルに綴じればいいのだが、たまつてくるとファイル自体の管理もしなければならないし、なにかと面倒だ。
最近ではWeb上に画像のあるものはそれをダウンロードすることが多い。
さうして取つておいた方が検索も可能だし、なにしろ物理的に場所をとらない。

しかし、それも日誌代はりのノートに貼りつけるとなつたら話は別だ。
チラシや展示物一覧などと一緒に感想その他を書くことができるといふのが大きい。
実際には、先に感想めいたことを書いて、あとからチラシや展示物一覧の端だけにのりを付けて感想を書いた上に貼つてゐた。
チラシ等をめくると感想が出てくるわけだ。
チケットの半券などもさうやつて貼つてゐた。
貼り込んでいくうちにノートが分厚くなるので多少使ひづらくはなるが、なにもかもひとところにまとめることができるといふのがよかつた。

いまは感想は Bullet Journal に書いてゐるからなあ。
Bullet Journal なので箇条書きだから、それを文章にまとめたものをトラベラーズノートに書くやうにすればいいだろうか。

ラジオ講座の復習用は、なんとか半年使ひつづけたが、あまりうまく使へたとは思へなかつた。
やつたことといつて、ダイアローグを書き写して、単語の意味や文法的な指摘事項を書き加へるやうにしてゐた。
まつたくためにならなかつたかといふとそんなことはなかつたと思つてゐる。
というか、思ひたい。
ただ、リフィルをそのまま縦にして一日一ページ使用するやうにしてゐたので、なんとなく手狭な感じになつてしまつたことは否めない。
見返しても読みづらいといふかね。

見開きで使ふとかリフィルを横にするとかしたらもうちよつと見やすいものができるかなあ。

月曜日からNHKラジオ講座も新年度といふことで新たな番組がはじまつた。
「なんでも帳」は現在ロイヒトトゥルムを使つてゐる最中なので、またラジオ講座用のリフィルを復活させてみるかなあ。

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Friday, 23 March 2018

なにが贅沢か

昨日は「新たに手帳や筆記用具を買ふのではなくて、手持ちのものを使ひたい」といふやうなことを書いたが。

でも、万年筆に関しては、たくさん使つてきたので「かういふペンが好き」といふことがわかつた、といへる。
無駄遣ひの云ひ訳?
そのとほりだ。

万年筆がほしかつた、といふ話はここにも何度か書いてゐる。
なぜなのかはいまとなつては不明だが、高級感とブルーブラックのインキとがよかつたのだらうと思ふ。
いまこそボールペンにもブルーブラックのインキのものがいくつもあるが、やつがれがこどものころはなかつた。
ボールペンといへば黒・赤・青、あつて緑くらゐだつたと記憶する。
そこにブルーブラックだ。
いい色だ。
万年筆のインキにも黒や青、赤もあるけれど、ブルーブラックこそ万年筆だと長いこと思つてゐた。

はじめての万年筆は、モンブランのマイスターシュテックはショパン・エディションだつた。
建て替へ前の日本橋丸善で求めた、といふ話も以前書いたやうに思ふ。
これが実に書きやすいペンで、なあ。
長いこと一番自分らしい字の書けるペンとして君臨してゐた。

はじめてのペンがすばらしいペンだつたのだから、それ以上求めるものはない。
理屈でいへばさうなる。
しかし人生は理屈どほりにはいかないのだつた。

ペリカンがペリカーノJr.といふ習字用の万年筆を出してゐるといふことを聞きつけて、どんなものなのかと買つてみたところ、これがまたいい。
白いキャップの時代のペリカーノJr.で、青い軸のものを買ひ、ターコイズのインキを入れた。
これが至極使ひやすい。
廉価なので気軽に使ひやすいし、インキの色も明るくていい。なにより書きやすい。
ここから、気になるペンを買ひまくるやうになつた。

ファーバー・カステルのペルナンブコを手にしたとき、その書き味のやはらかさにびつくりした。
ペン先自体がやはらかくしなふといふ印象はなかつた。
ただ、紙にペンを滑らせたときのなんとも云ひ難いやはらかな感触に、陶然とした。
いまでもする。
このときに、自分はやはらかな書き味のペンが好きなのだな、とやつとわかつたのだつた。

しかし、好きなペンと書きやすいペンとはまた違ふ。
そこでプラチナ萬年筆である。
あるいは中屋万年筆。
そんな感じで、いまは中屋万年筆の中軟が、一番自分らしい字の書けるペンになつてゐる。

去年は久しぶりに大物を購入して、その後はペンに対する物欲はおさまつてゐる。
いまは手持ちのペンでもつと書きたいし、もつと書く時間がほしい。
それが一番贅沢なことなのかもしれない。

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Thursday, 22 March 2018

手持ちの文具を使ひたい

一年のいまごろ文房具店に行くと、新学年に向けてノートや筆記用具などが麗々しく並べられてゐるものだ。

どうもここ二、三年、さうした華やかな印象から遠ざかつてゐる気がする。
三月も終はりにさしかかつたころに文房具屋に行つても、心浮き立つやうな光景を見たといふ記憶がない。

単に、自分が新学年とはまつたく関係のない立場だからかもしれない。
それと、ノートやら筆記用具やらは、もうたくさん持つてゐるから、といふこともある。

先日も文房具屋に行つて、買つたのは消耗品ばかりだつた。
システム手帳のリフィルに付箋、万年筆のインキカートリッジ、以上。
いづれも現在使つてゐてそろそろなくなりさうなものばかりだ。
いまの時期は四月はじまりの手帳などもたくさんならんでゐて、いちいち目移りするものだ。
でも、新しいものはなにも買はなかつた。

いまの自分に必要なのは、手持ちのノートや筆記用具を使ふことだ。
わざわざ文房具屋まで出向いて消耗品しか買つてこなかつたことに気づいたときにさう思つた。

活用する、とはあへて云はない。
手帳やノートの類はいくつも持つてゐるし使つてもきたけれど、活用してきたとは思つてゐない。
たぶん、今後も活用することはできないだらう。
活用はできなくても手帳は日々必要だし、ノートにもあれこれ書き込んでゐる。
それでいいぢやあないか。

活用することはあきらめて、しかし、では手元にある膨大な量のノートブックや筆記用具を如何せん。
がんがん使へばいい。
そのとほり。
でもどのやうに?
結局、手帳やノートの空白を筆記用具で一文字一文字埋めていくしかない。
絵を描いてもいいけれど、どちらかといふと字で埋める方が好きだ。

さうすると、そんなにたくさんノートといふものは必要ないことに気がつく。
やつがれの場合、Moleskineのポケットサイズ一ページを埋めるのにだいたい15分くらゐかかる。
書きながら手が止まることはほとんどない。ほぼ一気呵成くらゐのいきほひで一ページ書く。
さうすると、調子のいいときにはまた別に書きたいことを思ひつくので、次のページにあれこれ書く。
といつた具合だ。
書きながら手を止めることがほぼないので万年筆を愛用できてゐるのだらうとも思ふ。

問題は、書き始めるまでに助走が必要だといふことか。
助走といふか、準備期間といふか、「書かう」と思ひたつこととでもいはうか。
職場にゐるあひだはさうあれこれ書けはしないし、通勤途中も然り。
落ち着いて書けるのは家にゐる時間だけといふことになる。

ほんたうに、ひとりの人間にとつてノートや筆記用具といふのはそんなにたくさん必要ではないのだ。
しかるに手元には未使用のノートがたくさん積まれてをり、出番を待つてゐる筆記用具が山とある。
どうしたものかなあ。

それでもいつかは使ふつもりでゐるので、手放すことができない。
いつになつたら手放すふんぎりがつくだらう。
どうしたらつくのだらうか。

などと考へてゐるあひだに字を書けばいいのだとわかつてはゐるのだが。

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Thursday, 15 March 2018

すがれた色のインキ

プラチナ萬年筆の古典インクは、六色全部試した。
あまり使はないだらうなと思つてゐたシトラスブラックを一番使つてゐることに気づき、マイスターシュテックに入れることにした。
いまは、カシスブラック以外は日々使ふペンに入つてゐる。
カシスブラックを使はない理由は、似たやうな色合ひのモンブランのバーガンディレッドを使つてゐるからだ。使ひわけの工夫を思ひつかないので、いまは使つてゐない。最近バーガンディレッドを見かけないのでそのうちカシスブラックを使ふやうになるのではないかと思つてゐる。

カーキブラックは、使ひはじめた当初はあまり使はないかもしれないな、と思つてゐた。
セピアブラック、カーキブラック、シトラスブラックは、時間をおいたときに似たやうな色になるだらうと思つてゐたからだ。

また、カーキブラックはセピアブラックに比べて色が淡い。
字を書くにはもうちよつと黒みがかつた色の方がいいのではないか。
さうも思つた。

それが使ひつづけてゐると、この色の淡さがいい感じなんだなあ。
主張しない色なのである。
ちよつと存在感の薄いところがとてもいいのだつた。
書いたあとはだんだん黒くなつてくるので存在感を増しはするのだが、でもほかの色ほどではない気がする。
褪色したやうなところもあつて、実に風情がある。
すがれた感じとでもいはうか。
いいなあ、カーキブラック。

使ふ前は、ラヴェンダーブラックとセピアブラックとを使ひつづけるやうになるんぢやあるまいかと思つてゐた。
使つてみないとわからないものだねえ。
フォレストブラックも実にいい色だし。
それぞれに金ペンを用意するやうだらうかと思ひつつ、いまのやうに廉価なペンに入れてゐるので気兼ねなく使へていいのかもしれないとも思ふ。

古典インクはスチールペンで使ふとペン先がさびたりなんだりする、といふが。
もうしばらくはこのまま使ひつづけてみるか。

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Wednesday, 14 March 2018

Bullet Journal 向きのノート

Bullet Journal をはじめたのが二年前の二月のこと。
我ながらつづいてゐる。

最初に使つてゐたのは、MIDORI の MD NOTEBOOK の新書サイズだ。

Bullet Journal に使ふノートにはほんたうはA5サイズくらゐの大きさがほしい。
百歩譲つてB6サイズだらうか。
Monthly Log を一ページにおさめるにはA6サイズではチト小さい。見開きにすればいいかもしれないけれど、さうすると月ごとのToDoリストは別のページを見ることになつてしまふ。

A6サイズを Bullet Journal として使ふなら、Rollbahn の手帳がいいのではないか。
カレンダー型の月間予定表があらかじめ一年分(おまけもあるかもしれない)ついてゐて、残りは全部方眼罫のページだからだ。

A6サイズの Rollbahn の手帳がよささうと思つて試してみたことがないのは、MD NOTEBOOK のあとバイブルサイズのシステム手帳にうつつたかからだ。
これが自分にはちやうどいい感じで使へてゐて、なかなかほかのノートに移らうといふ気分にならない。

Bullet Journal にはあるていど大きいノートが向いてゐるだらうと思ひながら新書サイズのノートにしたのは、持ち歩くことを考へたからだ。
必ずしもA5サイズのノートの入るかばんを持ち歩くとは限らないし、そもそもA5サイズではかさばることもある。
持ち歩かなくなると手帳は使はなくなる。
逆に持ち歩くとなると、どんどん使ふやうになるし、愛着もわいてくる。

これは Smythson の SCHOTT'S MISCELLANY DIARY (以下、SCHOTT'S) を使つてゐるときに覚えたことだ。
SCHOTT'S はほぼ貯金通帳サイズで、薄いのににぢみも裏抜けもほとんどしないやうな紙でできてゐて、ゆゑに手帳自体も薄い。
手持ちのどんなかばんにも入るし、いつでも持ち歩ける。
結果、しよつ中書き込むやうになるし、しよつ中確認するやうにもなる。

ほぼ日手帳カズンの例もある。
ほぼ日手帳カズンはA5サイズの分厚い手帳だ。
書き込みたい気持ちをとてもそそる作りの手帳である。すくなくともやつがれの書き込みたい気持ちはとてもそそられる。
でも、ほとんど書き込むことはなかつた。
持ち歩かないからだ。
大きくてかさばり、分厚く重たい。
結果、あまり活用することなく一年が過ぎてしまつた。

さういふことがあつたので、Bullet Journal をはじめるときにはできるだけ小さくて、でも Bullet Journal として使つてムリのないサイズのノートを選ばうとした。
そこで新書サイズといふことになつた。

結論からいふと、新書サイズだとやはりちよつと小さすぎる。
メモを書き始めるとあつといふ間に見開きが埋まつてしまふからだ。
もちろん、めくつて次のページにうつることになんの問題もないのだが、なんとなくできれば一日の記録は見開きていどにおさめたいやうな気もする。見やすいからだ。

それに、MD NOTEBOOK はページ数もそれほど多くない。
通常のノートに比べれば多いが、できれば二百ページくらゐはほしいところだ。

それでも「これはいい」と思つたのは、持ち運びが便利なこと、そして、「これ一冊持つてゐれば大丈夫」といふ安心感のあるところだ。
システム手帳をバイブルサイズにしたのも、持ち運ぶことを考へてのことだ。

とはいへ、その他のサイズのノートにも興味はある。
A5はムリでもB6なら持ち歩けるかなあ、だとか。
でも Bullet Journal にはあるていどページ数もほしいからB6だと重たくなるかな。

といふ感じで、結局バイブルサイズのシステム手帳からはなれられないのだ。

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Thursday, 08 March 2018

クリアーキャンディの思ひ出

A.S.Manhattaner's とセーラーとのコラボレーション製品のひとつであるクリアーキャンディ万年筆にインキを入れた。

クリアーキャンディ

セーラーのクリアーキャンディ万年筆には思ひ出がある。
昔から万年筆がほしかつた。
母のおさがりを何本かもらつたりはしたが、いづれもインキがない。
瓶入りのインキがあつたので、当時はつけペンのやうにして使つてゐた。

入学のをりに誰か万年筆をくれたりしないかなと思つてもゐた。
兄弟は叔母からもらつてゐた。
クレージュの万年筆とボールペンとのセットだつたと記憶する。
ひどくうらやましかつた。
就職もして、でも誰も万年筆を送つてくれることはなかつた。

とにかく万年筆にあこがれてゐて、そんなをりに発売されたのがセーラーのクリアーキャンディ万年筆だつた。

ほしかつたねえ。
真つ赤な軸にポイントとして白やピンクがあしらつてあるものや、逆の色味や、目にもあざやかなペンが店頭に並んでゐた。
六百円くらゐだつたらうか。
お小遣ひでは買へなかつた。
貯めれば買へる。
しかし、ほかにもほしいものはいくらもあつた。

親にねだることもなかつた。
あるいはねだつたところ、おさがりをもらつたやうにも思ふ。
結局クリアーキャンディを手にすることは一度もなかつた。

クリアーキャンディ万年筆は何年か前に復刻されて、それは買つた。
A.S.Manhattaner'sとのコラボレーション製品は、それより前に販売されたものだ。
絵柄もかはいいし、なにしろあのクリアーキャンディの末裔だ。
即購入した。

プラチナ萬年筆がプレピーを出し、パイロットがkakunoを売り、廉価な万年筆はそれなりに市民権を得てゐるやうに見受けられる。
最近店頭でクリアーキャンディをあまり見かけないのがなんとも惜しい気がしてしかたがない。
プレピーともkakunoとも違ふ魅力のあるペンなのに。

もつとも売られてゐたらつひ買つてしまふにきまつてゐるので、懐のためにはいまの状態の方がいいのかもしれない。

クリアーキャンディ

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Wednesday, 07 March 2018

つくしペンケース: 荷物minimumの友

最近、荷物ミニマムのときは、つくしペンケースだけで出勤してゐる。

以前は、Pen & message.の三本差しのペンシースやコクヨのネオクリッツの薄いタイプを使つてゐた。

三本差しだと三本しか入らない。
ネオクリッツでもkakunoが五本がいいところだとは以前書いた。

つくしペンケースだとkakunoが十二本は入る。
それでネオクリッツの薄いタイプとそれほどかさばり具合は変はらない。
筆立てのやうに使ひたいときはネオクリッツ、さうでないときはつくしペンケースといふ風になつてきてゐる。

つくしペンケースは長いことほしいと思つてゐた。
でもその「ほしい」といふ気持ちが強くなるときとさうでないときとある。
たまたま店頭で出会つたのは後者のときだつた。
文房具カフェに行つたら売られてゐたのだつた。
そのときに、買はうかどうしやうかさんざん悩んだ。
そして見送つてしまつた。
これ以上ペンケースを増やして持ち歩くペンを増やしてどうする。
そのときはさう思つたのである。

実際につくしペンケースを手にしてみて、持ち歩くペンを増やすことになることもあるが、減らすことにもなることに気づいた。
冒頭に書いたとほり、荷物を最小限にまとめたいときに、つくしペンケースに入るものだけ入れて持ち歩くやうになつたからだ。
kakunoやセーラーキャンディといつた万年筆七、八本のほか、uniのStyle*fitの三色ペンが二本、修正テープとフリスクフォンといふのが最小限の布陣だ。
ここに一本差しのペンシースに入れた中屋万年筆のペンやラヴァンド、マイスターシュテックなどを入れることもある。
それでも十分薄いしかさばらない。
もつと早く入手しておくのだつた。

ファスナーがほぼ三百六十度ぐるりと開くのもいい。
ペンを取り出すときは頭の部分だけ開けて取り出すことが多い。
便利に使つてゐる。

手芸をたしなむ人は、つくしペンケースに刺繍をほどこしたりするのださうな。
タティングレースのモチーフなどはりつけてみたいやうな気もするけれど、さうするとこのシンプルな味はひが失はれてしまひさうな気もする。
むつかしいところだ。

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Thursday, 22 February 2018

一年後のプラチナ古典インク

プラチナ萬年筆の古典インクが気に入つてゐる。

一年前のいまごろ、友人たちに「タミつて」もらつて、プラチナ萬年筆の古典インク六色を入手した。
同時期に買つたパイロットの KAKUNO のくまもんヴァージョンにシトラスブラックとラヴェンダーブラックとを入れた。

当時、シトラスブラックはインク好きのあひだではかなり話題になつてゐたやうに思ふ。
書いた直後はレモンのやうな色なのに、またたくまに色が変はつてカーキとでも呼びたいやうな色になる。
六色の中では一番色の変化が楽しめるインクだらう。
最初はそんなに好きなインクではなかつたが、使つてゐるうちに好きになつて、六色の中では一番使つてゐる色である。

ラヴェンダーブラックはぱつと見たところそれほど色が変はるやうには見受けられないが、いま一ヶ月前に書いたものを見るとかなり黒みの強くなつてゐる印象がある。
どちらかといふと赤系の紫で、青系ならもつと使ふのになと思つてゐる。

カシスブラックを使つてゐた時期もあるが、モンブランのバーガンディレッドと色味が似てゐるのでいまは使用してゐない。

カーキブラック、フォレストブラック、セピアブラックの三つはずつと手つかずでゐたが、今月、三つともペンに入れてみた。

シトラスブラック、カーキブラック、セピアブラックは、結局似たやうな色味になるのではないかと使ふ前は思つてゐたが、さうでもなかつた。
シトラスブラックはひとり孤高とでもいはうか、いつ見ても「あ、これはシトラスブラックで書いたな」といふのがわかる。
今後年を経て変化していくとどうなるかはわからないが、一年くらゐだと他との違ひは歴然としてゐる。

カーキブラックとセピアブラックとは、あまり明るくないところで見ると「そんなに変はらないよなあ」といふ感じだつた。
それがなんの気なしに二日後くらゐに見てみたところ、どちらでなにを書いたのわかるやうになつてゐた。

セピアブラックは書いた直後の変化に乏しいやうな気がしてゐたが、これも二日後に書いた文字の下にあらためて字を書くと、違ふ色のやうに見えた。
ペンとの相性かとも思ふのだが、書き始めのペン先にたまつてゐたインクで書くとかなり黒々とした印象で、書いていくうちにすこし色が淡くなる。キャップをしてしばらくして書くと、またすこし色が濃くなる。

カーキブラックは、いま手元にある日曜日に書いた文字を見ると、ちよつと淡いセピアといふやうな色合ひに見える。
セピアブラックと比べると赤みがあるやうに思ふ。
見せる前提で書いたものがないのでここに写真を載せられないのが残念だが、隣のページにセピアブラックで書いた文字とくらべると違いは一目瞭然だ。

フォレストブラックは、書いた直後はサップグリーンのやうな色で、紙によるのかもしれないがちよつと透明感を感じることもある。
一昨日書いたものを見てみると、透明感はすつかりなくなつて、黒みがかつた深緑といふ色になつてゐる。
思つてゐたよりも使ひやすい色味かもしれない。

こんな感じで、一年を経たいまも楽しすぎるプラチナ萬年筆の古典インクである。
パイロットの万年筆は、自社のさらさら流れるやうなインキを入れる前提で作られてゐるので他社のインキは向かないといふ話を聞いたが、シトラスブラックとラヴェンダーブラックとを入れたKAKUNO は一年たつたいまもなんら不都合なく使へてゐる。

フォレストブラックとセピアブラックとも最近発売されたくまもんヴァージョンのカクノに入れてゐる。

シトラスブラックはかなり使ふことがわかつたし、金ペンに入れて使ひたいなと思つてゐる。
問題は、シトラスブラックを入れたいやうな金ペンが手元にないことだ。

忍野? いやいやいや。

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