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Friday, 03 January 2025

Podcastを聞いてゐる

BBCのPodcastをいくつか聞いてゐる。
最初のうちは英語学習のPodcastを聞いてゐたが、最近気に入つてゐるのは「More or Less」「Moral Maze」「Cautionary Tales」「Infinite Monkey Cage」の四つだ。「Moral Maze」は一時間近くかかるやうになつてしまつたのであまり聞かなくなつてしまつてゐるけれど。

その「Moral Maze」を、ここのところちよつと移動時間が長いので聞いてみた。
モラル的に見て民主主義はどうか、といつた内容だつた。
「Moral Maze」はラジオ番組で、司会が一人、パネリストが四人、ゲストが四人で構成されてゐる。
ゲスト一人につきパネリストが二人一人づつゲストとことばでバトルする。
民主主義回のゲストは、
1. シンガポールのやうな一党独裁的な状態をよしとする記者
2. アナーキスト
3. 英国共産党員
4. ……いつも寝てしまつてわからない。とほほ
といつたところだ。

ゲストの部分を見てもわかるやうに、正直云ふとわからない部分が多くて、もう三回くらゐは聞いてゐるのだが、なかなか四人目にたどりつかない。
わからないからと聞き直すのだが、そのたびに「君が英国で書いてゐるやうな記事をシンガポールで書いたら即逮捕だよ」と云はれてしまふ一番目、「アナーキーな状態とは」をうまく説明できない二番目、「中国では選挙で正当に議員が選ばれてゐる」と主張する三番目といつた主張を聞いてゐると「……ヲレはなぜこんなことを何度も聞いてゐるのか」といふ気分にはなる。
最近では「民主主義のいいところつて、かういふ人たちでも自分の意見を主張できるところ?」と思ふに至つてゐる。

多分、きちんと理解できる日はやつてこないのだが、しばらくは四人目を確認するために聞き続けるのだらう。

Wednesday, 25 August 2021

ドクター・フーの英語教本と言語技術

『ドクター・フー』を基にした英語教材を入手した。
Pearson English Readersといふシリーズの中のひとつのやうだ。
購入したのは、Level2の Robot of Sherwood とLevel 3の Flatline だ。
Robot of Sherwoodが表紙なども含めて60ページ、Flatlineが同様に68ページで、非常に薄い本である。その割には写真が多いやうに思ふ。
以下に構成を書くけれど、登場人物紹介のページがあつてドクターはもちろんクララやその他主要な人物の写真がついてゐるし、各チャプターとは云はないが、ところどころに写真が配されてゐる。

構成は以下の通りだ。

  • 登場人物紹介
  • 概要とDoctor Whoの説明
  • 各チャプター
    • Robot in Sherwood: 全7章
    • Flatline: 全11章
  • 課題
    • 各章ごと
      • 読む前の課題
      • 読んでゐる最中の課題
      • 読後の課題
    • 作文課題
  • 語彙集

Robot in SherwoodがLevel 2 (600語)、FlatlineがLevel 3 (1200語)なので文章はとても簡単だが、課題がなかなかおもしろさうなのだ。
たとへば「読む前の課題」には、「ドクターやロビン・フッドについて知つてゐることはなんですか?」とか「flatlineとはどういふ意味ですか? あなたの母語ではなんといふでせう」といつた問ひが並んでゐる。
「読んでいる最中の課題」ではセリフがいくつか並んでゐて誰のセリフかあてるものがあつたり、二択問題などがある。
「読後の課題」では「なぜドクター(またはクララ或はその他の登場人物)はかういふことをしたのか、ほかの生徒(another student)と話し合つてみませう」などといふ、授業や英会話教室で使ふことを前提にした課題がある。

一番面白いのは「作文課題」だらう。
「ノッティンガムの代官の末路について新聞記事を書いてみませう」だとか「この後ドクターとクララとの間にどんな会話があつたか想像して書いてみませう」とかいふ課題が全部で十前後並んでゐる。
おもしろさう。
英語で書くのかと思ふとアレだが、国語の授業もこんなだつたらいいのになあと思はずにはゐられない。
「羅生門」を読んで、下人の行方について書いてみるとかさ。
「山月記」を読んで、李徴の妻子について書いてみるとか。
「こゝろ」を読んで、「わたし」のその後について書いてみるとか。
おもしろいと思ふんだよなあ。
時間はかかるだらうし、採点する方も大変だらうけども。

三森ゆりかの言語技術の本を読むと、欧米の学校ではかういふ教育をするといふ。
ただ、三森ゆりかの本には英米についてはあまり出てこなくて、とくに米国での教育にはちよつと言語技術の要素が不足してゐる部分があるといふ。
三森ゆりかは映画を見ればわかるといふ。ドイツ映画やフランス映画は見る側にいろいろと考へさせる要素が多いけれど、ハリウッド映画はそんなことはない、と。
ただ、英国についてはあまり言及した例を見たことがないんだよなあ。やつがれがあまり三森ゆりかの本や講義にあたつたことがないせゐかもしれないけれど。
でもこの課題を見る限り、英国でもやはり三森ゆりか云ふところの言語技術を用ゐた授業をするし、英語を教へる際にも同様なのだらうといふことが見てとれる。

課題からいくつか選んでやつてみたいなあ。
どちらもすでに見たことのあるエピソードなのでもう内容を知つてゐるといへばさうだし、「ドクターについて知つてゐることはなんですか?」と訊かれると困るといふこともあるのだが……

 

Wednesday, 27 May 2020

時間をかけること

先日、反訳トレーニングについてあれこれ書いた。
反訳トレーニングとはNHKラジオ講座の「高校生からはじめる「現代英語」」で取り入れてゐる外国語学習法だ。
関口存男の「初等ドイツ語講座」にもおなじことをせよと書いてある。
和訳した文章から外国語を作るといふ方法だ。
「作る」はちよつと違ふかな。まあ、でも、そんな感じ。

三年前にはじめて「高校生からはじめる「現代英語」」を聞いたときにはなかなかできなかつた反訳トレーニングが、この四月に再開してみたところ以前よりできるやうになつてゐる。
前回さう書いた。

その後、ひとつ、気がついたことがある。
四月中は、時間があつたといふことだ。
反訳トレーニングと称して復習をする時間があつた。
できるやうになつた気がしたのはそのせゐなのではあるまいか。

今月は先月ほど時間がないので、あまり復習する時間をとれてゐない。

三年前よりはできるやうになつてゐる気がするけれども、四月よりできなくなつてゐる気がする。

つまり、如何に時間をかけるかが問題、といふことだ。
あたりまへの展開に、「ああ」と思ふばかりである。

語学を習得するには、どれだけ時間をかけたかがものをいふ。
どれだけ効果があるのか知らぬが、ただ聞き流すだけでいいと云はれてゐた教材もひたすら時間をかけて聞き流す必要があつたらう。
さういふことなのだな。単純なことだ。

なにごとにも一万時間かけてみよ、といふ話もあつた。
最近では「ただやるだけではダメ。ちやんと集中してなにを鍛えるのか考へてやらないと」みたやうな話もあるにはあつて、でも、そもそも一万時間かけられるといふのがすごいことなのでできればそれだけのことはあると思ふ。

NHKラジオ講座の場合は、各教材に「ここではこれを覚えられるやうに」と考へて作られてゐるはずだ。
だからただただ反訳トレーニングをしてゐても、なにかしら得るものはあるのぢやあるまいか。

といふか、さう思ひたい。

Thursday, 21 May 2020

その後の反訳トレーニング

先月からまた「高校生からはじめる「現代英語」」を聞きはじめた。
なんとなく、以前より反訳トレーニングができるやうになつた気がする
なんでだらう。

思ひつく可能性は三つ。
以前よりテキストがかんたんになつた。
その他のラジオ講座で反訳トレーニングをしてゐたのがよかつた。
ひとつの教材(といふか)をひたすらくりかへし見聞きしてゐたのがよかつた。
あ、その他といふ可能性とか全部とかいふ可能性もあるか。

「高校生からはじめる「現代英語」」は、三年前に放送を開始したときに聞いてゐた。
「反訳トレーニング」といふ勉強の仕方もこのときするやうになつた。
教材であるニュースを日本語に訳した文章を英語に戻すといふトレーニング方法だ。
これをずつとやつてゐたんだけど、なんだか全然力がついた気はしないし、反訳トレーニング自体ができるやうになつたといふ気もしなかつた。

そんなわけで聞くのをやめた。
「高校生からはじめる「現代英語」」は聞いてはゐなかつたけれど、その他のラジオ講座では反訳トレーニングを試してみてはゐた。
復習としていいんだよね、反訳トレーニング。

なのに、なぜ「高校生からはじめる「現代英語」」をふたたび聞くやうになつて、以前より反訳トレーニングができるやうになつた気がするのだらうか。
三年前よりテキストがかんたんになつたのだらうか。
それはありうる気がする。
比較する三年前のテキストがないから確認はできないけれど。

それとも、他の講座でではあるけれども徒労だと思ひつつも反訳トレーニングをつづけてゐたのがよかつたのだらうか。
他の講座でも反訳トレーニングができるやうになつた気はそれほどしてゐない。
他の講座は、会話体の教材が多く、ひとつの日本語にふさはしい英語の表現がたくさんある。
ゆゑに、お手本とは違ふことをいつてしまふことが多々あるのだつた。
お手本とは違つてゐても表現としてあつてゐればいいんだけどね。でもそれつて自分では判断できないこともあるぢやん。

或は、一昨年から映画館でひたすら「ボヘミアン・ラプソディ」を見てゐたのが功を奏したか。
ひとつの教材を何度もくりかへして使用することは、外国語習得の上でいいことだといふ。
さういふなら、モンティ・パイソンとか何度も何度も見てるんだけどなあ。
家でぼんやり見てゐるのがいけないのかもしれない。
映画館で見るのがよかつたのかも。

そんなわけで、なぜできるやうになつた気がするのかはよくわからない。
反訳トレーニングはできるやうになつたけど、英語ができるやうになつた気は全然しないし。
考へてみたら、どういふ状態をもつて「英語ができる」とするか、といふ問題もあるしな。

しかし、「反訳トレーニング、前よりできるやうになつたかも!」といふのは自分にはめづらしくちよつとポジティヴな感覚なので、大事にしつつ聞き続けていきたい。

Thursday, 09 April 2020

NHKラジオ講座二週目

先週は、聞くNHKラジオ講座を減らしてなんだか心許ない、と書いた。
以前よりも勉強しなくなつた気がしたからだ。

いまは、この状態でいいのではないかといふ気がしてゐる。
聞く数が減ったことで、ひとつの講座にかけられる時間が増えたからだ。
より復習をするやうになつた、といふかね。

三月までも、番組を聞いたあとは日本語訳を見ながらもとの外国語を口にするといふ、「高校生からはじめる現代英語」でいふところの「反訳トレーニング」はやつてゐた。
でも、その日の分をやるのが精一杯で、前の日の分や先週の分などはなかなかできずにゐた。

それがいまはできてゐる。
スキットといひダイアログといふ、その内容だけでなく、問題の部分の反訳トレーニングもできてゐる。

いまはたまたま自己隔離中であまり出かけないからといふこともあるとは思ふ。
でも、聞くものをしぼつたからできてゐることも確かだ。

この調子で半年くらゐつづけて、下期にまた講座を増やすか変へるか決めたいと思つてゐる。

Wednesday, 09 May 2018

役に立つのか反訳トレーニング

外国語習得は、自分の意見を持たない人間にはできないことなのだらう。

去年の四月からNHKラジオ講座の「高校生からはじめる「現代英語」」といふ番組を聞いてゐる。
ニュース記事を高校英語程度でわかるやう書きなほしたテキストで勉強する講座だ。

この講座の特徴は反訳トレーニングを推奨してゐることだ。
反訳トレーニングとは、テキストの英語本文を日本語で訳した文章を見て英語の文章を組み立てなほす練習である。
大変骨のあるトレーニングではあるが、つづけると必ず力がつきますよ、と講師の伊藤サムはいふ。

半信半疑のまま、この反訳トレーニングをやつてみた。
最初のうちはこの講座で扱つたテキストだけ、今年に入つてからはほかのNHKラジオ講座のテキストでも折りにふれ挑戦してみた。

去年の四月から一年とすこし、反訳トレーニングについては慣れてきたな、といふ気がしてゐる。
以前はできるやうになるのにかなり時間がかかつたし、「できるやうになつた!」と思つても一週間後にはもとにもどつてゐた。
あまりにも時間がかかるので、反訳できるやうになつたといふよりは暗記してしまつたといふ方が正しいのではないかと思ふこともしばしばだつた。

それが最近になつて、記憶したわけではなく日本語を見て「かういふ英文だらう」と反訳できるやうになつてきたといふ実感がわくやうになつた。
「高校生からはじめる「現代英語」」の日本語訳の文章は、反訳トレーニング用なのかかなりいびつな文章ではある。
ことばの並びが英文そのままだつたり、反訳を助けるやうな直訳に近いものになつてゐたりする。
また、とりあげる内容はニュースなのでさまざまではあるものの、おそらく文章を書いてゐる人はさう何人もゐないやうに見受けられるので、その人の書く英文の癖を覚えたからできるやうになつてきたのではないかといふ疑念もある。
それで別の講座でも反訳を試みるやうにした。

ものすごくよくできるやうになつたとはいへないものの、以前よりはトレーニングにかかる時間も少なくなり、過去のものも前よりはスムースにできるやうになつてきた。
少なくとも反訳トレーニングに関しては。

ぢやあ英語力がついたのか、といふと、どうもさういふ気はしない。
英語力がついたかどうか確認する術がないせゐもあるが、英語ができるやうになつたといふ実感がない。
もしかすると、反訳の力がついたわけではなく、単に記憶力がよくなつただけなのかもしれない。

「高校生からはじめる「現代英語」」にはもうひとつ英語力をつける方法として、ニュースでとりあげた話題について英語で話し合ふといふトレーニングをあげてゐる。
最近の講座ではサウジアラビアで女の人も車を運転できるやうになつたといふニュースを扱つてゐた。
何人かでディスカッションするといいし、それができない場合は一人二役でやつてもいいですよ、と講師は云ふ。

これはやつたことがない。
ニュースを聞いて、自分の意見を述べることなど長いことしたことがないからだ。
英語はおろか、日本語でさへろくなことが云へない。
まづは日本語で意見を述べられるやうにならないと、英語でなど到底云へるやうにはならないだらう。
道は遠いな。

さうすると、苦労してやつてゐる反訳トレーニングも無駄な気がしてくる。
どうしたものかなあ。

Thursday, 25 January 2018

本当には必要ではないこと

結局、英語は必要ないといふことなんだな。

以前「日本人の9割に英語はいらない」を読んだときもさう思つたし、「日本語が亡びるとき」を読んだときもさう思つた。
そのことについてはここにも書いてゐる。

今回「史上最悪の英語政策」を読んだときもさう思つた。

必要なら覚える。
必要なら使へるやうになる。
しかるにできないといふことは、必要ないからだ。

この三冊に共通してゐるのは、乱暴にまとめてしまふと、「基本的な対人能力のないものに英語での会話はムリ」といふことなのだと思つてゐる。

たとえば、「史上最悪の英語政策」に出てくる「パーティの場などで英語で話すことができない」だ。
日本語でなんとかなるのは、日本が高文脈文化だからだ。
低文脈文化の中にはふりこまれたら、それなりの対応をするものだ。
パーティなら事前にどのやうな人々が出席するのかわかる場合もある。
さういふときは、予めあたりさはりなく話せるやうな話題を仕込んでおくものだ。
さもなければ、直接会話をしながら無難な話題を探る必要がある。
本に書かれてゐることはさういふことだと思ふ。

さういふ準備や能力なしには、文脈を異とする人々とのパーティでぺらぺら喋れたりはしないものだ、と。
さういふことがしたいのなら英語の実力とは別の力が必要だといふことだ。

成毛眞や水村美苗の云つてゐることは少し違つて、必要のない勉強をするくらゐなら日本語の良書をたくさん読め、である。
まとめかたが乱暴で恐縮だ。
でも、要するに「英語を勉強する以前に必要なことつてあるでせう」といふ話だと思つてゐる。

「史上最悪の英語政策」の著者・阿部公彦は、英語は必要なものではなく、あつたらうれしいといふ贅沢なものだ、といふ旨のことを述べてゐる。
なるほどなあ。
もうひとつなるほどなあと思つたのは、中高六年間英語を学んできて喋れるやうにならないといふ説に対する反論だ。
公立校では週に英語の授業は三〜五時間だといふ。
一年間で五.八日間ていどださうだ。
予習復習を含めても一年間に十日あるかないかだらう。
それで英語ができるやうにならうといふのは、そらまあムリだよな。

私立校には英語教育にもつと時間を割いてゐるところもあらうとは思ふ。
さういふ風にして格差がひろがつていくんだらうな。

個人的には、必要ないから楽しいんぢやん、と思ふのだが。
受験生ともなるとそんな余裕はないだらう。
とはいへ、受験勉強にも楽しみがあつてもいいとは思ふので、といふか、やつがれ自身は受験勉強をしてゐたころは世界史のノートを作るのが楽しくて楽しくて仕方がなかつたのだが、さういふ感じで英語を学習するといふのもいいとは思ふんだけれどもね。

Friday, 22 March 2013

趣味のNHK語学講座

来年度、すなはち来月からのNHKラジオ語学講座は、今年とおなじく「ラジオ英会話」と「実践ビジネス英語」と「まいにちドイツ語」を聞く予定にしてゐる。
「入門ビジネス英語」はテキストは買はないつもりだが、多分聞くだらう。

をかしいなあ。
毎年この時期は「今年はどれを聞かう」つて楽しみにしてるんだけどなあ。
今年はずいぶん守りの姿勢に入つてゐる。

今年度はTV語学講座もいくつか見たが、来年度は、少なくとも四月開講分は見る予定はない。
今年度の四月開講分はねえ、イタリア語が北村一輝で、ドイツ語が勝村政信といふ、まるでやつがれのためのやうな配役(?)だつたからねえ。
しかも、イタリア語講座については、十月開講分は去年度の高橋克実の再放送といふことで、これも見た。

見はして、別段イタリア語を覚えたわけぢやあないのだが。
でも、なんとなくすこし親しくなつたやうな気はするし、これは引き続き今度はラジオ講座を聞いてみるかなあ、と思はないでもないのだが。

多分、いま、あんまり気持ちにゆとりがないんだな。

ところで、TV語学講座にいまのやうにタレントが出るやうになつたののはじまりは、イタリア語講座の吉岡美穂だつたんぢやあるまいか。
ジローラモとダーリオにはさまれて、なんだかいい感じだつた。
当時は、これはこれでありかな、と思つてゐた。

だが、その後の展開が、ねえ……
来年度にいたつては、なんだかまつたく見る気にならないぞ。

まあ、なかにはいい感じの番組もないわけぢやない。
それこそ去年度の高橋克実とか、今年度の北村一輝、勝村政信なんかは結構よかつたやうに思ふ。勝村政信の赤頭巾ちやんはどうなることかと思つたが、さすがは役者、おもしろくしあがつてゐた。

もつと前だと、スペイン語の笑い飯とか、ドイツ語のペナルティーなんてのは冒険だつたのではないかと思ふ。ペナルティーはお笑ひ枠といふよりは、サッカー枠での登場だつたのかもしれないけど、それはそれでまたよし、と思つてゐた。

といふわけで、それなりに趣のある出演者もなかつたわけぢやあないのだが。
なんかね、もう、いいよつて感じなんだよなあ。

もつと違ふところに力を入れやうよ。

とか云ひつつ、十月に今年度四月開講分の再放送がはじまつたら、またイタリア語とドイツ語は見てしまふんだらう。

あ、あと、チャロは新シリーズがはじまるのださうで、それはちよつと楽しみだ。
おそらく、たまたまTVをつけたらやつてゐた、といふ感じでないと見ないとは思ふがね。

Thursday, 30 August 2012

旧枢軸国のことばを学ぶ

これまでNHKのTV語学講座はあまり見たことがなかつた。
ラジオ講座を聞きはじめたころ、TV講座もあるといふことを知つて、ちよこつと見てゐたのと、たまにドイツ語講座を見るくらゐだつた。それも、半年間聞き続けられたことはほとんどない。

今年度上半期は、TVでイタリア語とTVでドイツ語を見つづけてゐる。ドイツ語は一度だけ見られないことがあつたが、イタリア語は今のところ皆勤賞。

もともと、旧枢軸国の言語が好き、すなはちイタリア語とドイツ語が好き、といふのもあるが、今回見てゐるのは、北村一輝と勝村政信目当てだつたりする。
この二月には伯母と「最近見たいTV番組がなくてねえ。NHKの語学番組も、なんだかタレントが出てちやらちやらしちやつて」なんぞと話してゐたといふのに。

まあ、でも、北村一輝も勝村政信も、タレントではないし、ちやらちやらもしてないからなあ。
俳優だよね、ふたりとも。

あと、イタリア語講座は、講師の先生の聲が好き、といふのもある。
ラジオでイタリア語講座がはじまつたばかりのころ、うーん、二期目か三期目くらゐだつたかな、この武田好先生が出演してゐて、「なんてかはいい聲の人なんだらう」と思つてゐた。
なんていふのかな、いはゆる、最近の聲優にありがちなベタベタしたアニメ聲とは一線を画す、すつきり甘い聲。
このとき、もう一人の先生もまたちがつた趣のかはいい聲の持ち主で、「イタリア語の先生つて、こんな人ばかりなのか知らん」とか真剣に思つたものだつた。

毎週月曜日がイタリア語で、火曜日がドイツ語。
そんなわけで、イタリア語を見てからドイツ語の今週のフレーズを予想したりしてゐる。
上半期の毎週のフレーズは毎回テキストに載つてゐるんだけど、なるべく見ないやうにしてね。
今週はイタリア語が「Mi dispiace」だつたので、ドイツ語は「Tut mir leid」とかかなあと思つてゐたら「Schade」だつた。残念。「Tut mir leid」は「ごめんねー」くらゐな感じなんだらうか。
さうさう、この毎週のフレーズ、Euro 24とかいふて、イタリア語、ドイツ語、フランス語、スペイン語のフレーズが全部掲載されてゐるのもおもしろい。とりあへずイタリア語のテキストを買へば、ほかの言語で同じことをなんて云ふかわかるといふ寸法になつてゐる。

見つづけてきた講座も来月で終はる。
下半期はどうなるのかなあ。

Wednesday, 29 August 2012

NHKの語学番組のサイトでラジオ講座を聞く

どうしやうと思ひながら、あひかはらずNHKラジオの語学講座を聞きつづけてゐる。

「どうしやう」の内訳は、以前もチト書いたが、成果が感じられないから、だ。
単に聞き流してゐるだけでは、さうなるよな。
今「どうしても英語/ドイツ語でこれがしたい!」といふやうな目標もないし。

だらだら聞きつづけるよりは、ほかのことをした方がいい。
わかつちやゐるけどやめられない。

ところで、ひよんなことから先週は録音に失敗してしまつてゐた。
普通だつたらここで聞くのをやめるいい口実になるところなのだが、今はちがふ。
NHKの語学番組のサイトにいけば、一週間限定で先週分の放送を聞くことができるのだ。
たとへばラジオ英会話ならこちら

普段はAMラジオの放送を録音して聞いてゐる。
それと比べると圧倒的に音質はいい。
比べちやいけないか。

ただ、我が家はあまり回線環境がよくないので、ときどき止まつたりする。
大抵はしばらく待つと再開するけど、たまにそこで止まつてそのままになつたりする。
さうすると最初から聞きなほさないといけないんだよねー。
うーん……

最初からテキストを買ふときに一緒にCDを買つてしまふといふのも手だとは思ふのだが。
個人的には、毎日せつせとラジオ放送を聞くといふところに意味がある気がしてゐる。

NHKの語学番組のサイトでは、一週間分まとめて聞けるけど、これも毎日ひとつずつ聞くやうにしてゐる。

やめられさうにないねえ。