Friday, 07 December 2018

芝居見物 楽しかつたりさうでもなかつたり

まだふり返るにはすこし早いのだが、今年見た芝居の話を少々。

今年は一月歌舞伎座の高麗屋三代同時襲名披露興行にはじまつて、全部は見てゐないけれど毎月のやうに歌舞伎を見てはゐる。
文楽は東京の公演は九月の国立劇場をのぞいては見てゐると思ふ。
そのほかに劇団☆新感線の「髑髏城の七人」の下弦の月と修羅天魔、「メタルマクベス」のdisc 1〜3。
コクーン歌舞伎とNaruto。
それと東京芸術劇場の「贋作 桜の森の満開の下」といつたところか。

今年のはじめは、とにかく歌舞伎が全然おもしろいものに感じられなかつた。
お正月には去年十一月の定九郎がいまひとつで「ほんたうにこれで幸四郎になるのだらうか」と思つてゐた染五郎が、「車引」の袖からの声だけで「松王丸の声だ!」と思はせ、さらには「勧進帳」の弁慶で大きな成長ぶりを見せてくれたにも関はらず、だ。
そしてその「勧進帳」の富樫が吉右衛門であつたにも関はらず、だ。
さらには四月には愛してやまない鶴屋南北の「絵本合法衢」がかかつたにも関はらず、だ。

なんか、もう、歌舞伎、楽しくないのかも。

さう思つてゐたはずなのに、九月の歌舞伎座で「俊寛」を見て、なにかひどく心打たれたのだつた。
「俊寛」はもともとそんなに好きな芝居ではない。
泣けるといふことでいへば「平家物語」の俊寛の話の方がずつと泣ける。
さう思つてきたし、いまでもさう思つてゐる。
でも、あれはちよつとなにか特別だつたな。
芝居に使ふことばではないかもしれないが、「適材適所」といふ感じ。
これ以外ない配役、これ以外ない床、これ以外ない道具等々。

芝居は、たとへひとり芝居であつたとしても、芝居を構成するすべてのものがかつちりとかみあつたときに最高になるのであつて、ひとりだけとか主役陣だけよければなんとかなるものぢやあない。
好きな役者が出てゐればいいといふものではない。
#すくなくともやつがれにとつては、ね。
その後「メタルマクベス」のdisc1〜3を見てさらにその思ひを強くした。

あらためて考へると、九月の「俊寛」には前段があつた。
八月の歌昇・種之助の勉強会「双蝶会」の「関の扉」がそれである。
歌昇の黒主に児太郎の小町姫・桜の精が大変によくてねえ。
なにがいいのかと問はれるとよくわからないのだが、これまでこの会では背伸びしてゐるやうにしか見えなかつた(そしてそれが悪いわけではない)歌昇にどこか余裕が見え、児太郎の方はといふと品があつてはかなげでそれでゐて立女方の強さも見せてゐたやうに思ふ。
多分、この芝居が今年の転換点だつた。

以降は見る芝居見る芝居楽しく、十月は名古屋でこれ以上の江戸の若旦那はまづゐまいといふやうな梅玉の与三郎が見られたかと思つたら翌月は京都で極上の上方の若旦那、遊蕩に溺れた忠兵衛を仁左衛門で見られるといふ、「なに、これ、なんのご褒美?」的な日々を送つてゐる。
歌舞伎座では何年ぶりだらう、吉右衛門と時蔵とが一緒に芝居してたしね。
それも吉右衛門演じる白蓮が時蔵演じる十六夜を腕にして「悪かあねえなあ」だよ。
うわー、かういふのが見たかつたんだよ!

といふわけで、来年も芝居通ひはつづきさうな予感がする。

ところで、「もう歌舞伎見ないかも」と思つてゐた時期に一番楽しかつたのが、歌舞伎座三月の「於染久松色読販」だつた。
通常は「お染の七役」といつてお染を演じる役者の早変はりを見せる芝居だが、この月は土手のお六の強請場だけが出た。
それつてどうなのよ、と思つたが、これが案に相違の楽しさでなあ。
とにかく、出てくるもの出てくるもの、すべてムダになるものがない。
ちよつとした小道具でさへ、あとでちやんと芝居の筋にからんでくる。
すごいよ、南北先生、すごいよ。
いつもは、早変はりは一休みの幕といつた感じで見ていたから気づかなかつたけれど、こんなによくできた芝居だつたとは。

好きな役者はゐるけれど、それだけで見てるわけでもない。
むしろ、それ以外のところで芝居を見てゐるのかもしれない。
そんな気がした平成最後の戌年だつた。

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Thursday, 11 October 2018

古き世のみぞ慕はしき: だんまり

昨日、歌舞伎や時代劇は昔のものの方がいい、といふ旨のことを書いた。

しかし、こと歌舞伎に関しては実際のところ、しかとさうだとはいへない。
比べて見ることができないからだ。
昔見た芝居は見た人の記憶の中にしかない。
たとへ映像で残つてゐたとしても、それは実際の舞台ではない。
映像といふことは撮影した人がゐて、その人或はその人に指示した人の思惑で映す部分が変はる。
ゲキシネなどを見てゐて、「ここが見たいんぢやないのに!」と思ふのもさういふことだらう。

また、舞台を見たときに見えたはずのものが映像だと見えないこともある。
十三代目片岡仁左衛門の「車引」の時平を見たことがあつて、登場する場面で陽炎がたつやうに時平とその周囲がめらめらと揺れたやうに見えた。
あんなに妖しい時平は以降見たことがない。
だが、そのとき(その日ではないかもしれないが)の映像を後に見たら、陽炎のやうなゆらめきなど皆無だつた。
をかしいなあ。あのとき、さう見えたはずなのに。

時代劇のやうに比較して見られたとしても、判定には主観が入るからむつかしい。
ある人は古いものの方がいいといひ、ある人は新しいものの方がいいといふ。
多数決でもとれば白黒つくのかもしれないが、多数決で決まるものでもない。

でも確実に新しいものの方がどうかしてるよ、といふものがあつて、それはだんまりだ。
今月歌舞伎座で「宮島のだんまり」がかかつてゐるといふ。
まだ見に行つてゐないのだが、見た人の感想をちらほら見るに、あまりかんばしくない出来のやうだ。
次から次へと人が出てきて漫然と動いてゐるだけ、みたやうな感じなのだらうと推測する。

だんまりといふのは、月が雲にかくれてしまつて真つ暗闇の中、といふ前提のもとに演じられる。
夜でも灯りのついてゐる現代に暮らしてゐるとわかりづらいかもしれないが、さういふものの一切ない状態で月が隠れると、これはもう一寸先も闇だ。

歌舞伎役者は巡業に出るので夜の月の明るさを体験することはあるだらうと思ふのだが、その逆の闇を体験することはあまりないのかもしれない。

菊之助がお岩さまを演じたときだつたらうか、地獄宿で灯りを消して真の闇の中を歩くといふ演技を小山三で見たことがある。
なるほど、見えないとき人はかういふ動きをするよな、といつたとてもすばらしい動きだつたと記憶する。
小山三はおそらく知つてゐたのだらう。
灯りもない真つ暗な夜のことを。

役者として体験したことのないことができないといふのは致命傷だとは思ふ。
だつてさうしたら人殺しの役とかできないわけでさ。
舞台の上で死ぬことだつてできない。
だつてやつたことないんだから。
それでは話にならないが、体験できることは体験しておいた方がいいのだらう。
先代の芝翫が六代目についてゐたとき、藁打ちやなにやかや「やれ」と云はれ、のちに役の上でやることになつて「やつておいてよかつた」といふことがあつたと云つてゐるし。

だんまりは「東海道四谷怪談」の地獄宿の場とははちがつてもつと形式的な場面だ。
よつて、あまりリアルな動きをしても雰囲気を壊すことになる気はする。
でも、闇の中で人がどう動くか、自分がどう動いたかを覚えてゐれば、また違ふのではないのかなあ。
実際にやつてみやうといふ役者はゐないのだらうか。

役者だけではない。
やつがれが歌舞伎を見始めたころ、もう染料の劣化を嘆く声があつた。
「最近の赤の染料はよくない。安つぽくてぺかぺかした色になる」などといふ話を聞いたものだ。
昔の色を知らないのでなんともいへないが、さうした劣化はあちこちにあるものと思ふ。

いま御園座で「切られ与三」を上演してゐて、「源氏店」の場では与三郎は藍微塵の着物を着ることになつてゐる。
この藍微塵を織れる人はもうゐないと何年か前に聞いてゐたが、どうやらまだおひとり残つてゐるのらしい。
その人に頼んだのかどうかは知らないが、与三郎を演じる梅玉は新たに藍微塵を織つてもらつて衣装を仕立てたのださうだ。

また、昔ながらの豆絞りの手ぬぐひも払底してゐる。
有松ではまだ染めてゐるものの、なくなるといふので「浜松屋」の弁天小僧のために菊五郎が一疋買つた、といふ話をこれも何年か前に聞いたことがある。

小道具なんかもさうなんだらうなあ。
いまはもうないものもあるのだらう。
きつと小道具担当があれこれ工夫してゐるんだらうなあ。
小道具の工夫は昔からあつたものだらうけれど、これまであつてあたりまへだつたものがどんどんなくなつていくのに対処するやうな工夫ではなかつたのではないかといふ気がする。

大道具は、大道具担当自体が劣化してゐる気がする。
歌舞伎座の大道具はちよつとひどい。
床にしく畳や板間を表現する布が、どこかしらたるんでゐるのだ。
昔からさうだつたか知らんと思つてゐたが、国立劇場で見るとさうでもない。
よくよく場面転換のときに見てゐると、布の両端を引つ張らずに片側だけ引つ張つてよしとしてゐる大道具の人がゐる。
それで皺がよつたままになつてしまふのだ。
実際、たるんだ布に足を取られて転びさうになつた役者もゐたと聞く。
それでもあらたまらない。
誰かが大けがをするまでこのままなんではないか、否、大けがをしてもこのままなんではないか。
かういふ劣化もある。

さう考へると、「新しい方がいいことつてなんだらう」と疑問に思つてしまふんだよなあ。
新しい方が現在の嗜好にあつてゐるんぢやあるまいか、といふことはある。
現代人の感覚にあはせて演出や細かいところを変更してゐる場合はね。
でも一口に「現代人」といつても大勢ゐるからなあ。

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Wednesday, 10 October 2018

当たり前のこと

八月に双蝶会に行つた。
双蝶会は歌舞伎役者の中村歌昇・種之助兄弟の自主公演である。
このとき、背後の席にかなりの中村吉右衛門贔屓とお見受けする方が座つてゐた。
背後なのでそちらの方は見なかつたが、幕間に隣の席の人と話してゐるのをちらと耳にしてそんなことを思つた。

吉右衛門が父の幸四郎・兄の染五郎とともに東宝から松竹に戻つてきたときの舞台の話をしてゐたり、吉右衛門襲名の興行を見た話をしてゐたり、最近の舞台の話でも吉右衛門のことを手放しでほめ称へてゐたり、双蝶会についても「たとへつたなくても「播磨屋に教はつた」といふことが大事。それが歌昇・種之助のためになるし、稽古を見てゐた人々みんなのためになる」みたやうな話をしてゐたり、大変失礼とは思ひつつ「いいこと云ふなあ」と思つてゐた。

そのうち、なぜだか話は文楽のことになり、一緒に話してゐた人が「最近は席がとりづらくて」とこぼすと、「さうなんだつてね」とあまりよくご存じのないやうす。
「文楽には行かれないんですか」との問ひに、「だつて僕は、越路太夫や津太夫を聞いてるからね」と云ふではないか。

ちよつとかちんとこなかつた、といへば嘘になる。
しかし、この後この人の語つた過去に聞いた義太夫の話は大変すばらしかつた。
もう細かいところは忘れてしまつたが、誰の何はそれはすばらしくて、某の何の何段目なんか涙が止まらなくて、通へるだけ通ひつめた、みたやうな話を熱く語つてゐた。
そこに自慢はなかつたやうに思ふ。

歌舞伎では「團菊爺」または「菊吉爺」などと呼ばれる人々がゐる。
若い頃に九代目市川團十郎・五代目尾上菊五郎を見てゐて、年を取つたいまなにを見ても「團十郎はよかつたなあ」「菊五郎はああぢやあなかつた」と「昔はよかつたなあ」と云ふ人々のことを指す。
さすがに九代目と五代目を見た人はもうゐなくなつてしまつて、その後は六代目尾上菊五郎・初代中村吉右衛門を見た人のことを「菊吉爺」などと
呼ぶ。

そんなこと云つたつてね。
聞く方はさう思ふ。
だつて見たことないわけだしさ。
見られもしない。
六代目と初代とならまあ映像も残つてゐないわけぢやあないけれど、それと実際の舞台とはまつたく違ふだらうしさ。

しかも、そこはかとなく自慢げなのが気障りだ。
「俺は見たもんね」「お宅は見たことないだらうけど」みたような、ね。

でもなあ。
なんとなく、わかるんだよなあ。

たとえば時代劇である。
一時、八代目松本幸四郎の「鬼平犯科帳」とTVドラマの「座頭市物語」「新・座頭市」、「大江戸捜査網」の第三シーズンの再放送を見てゐた時期がある。
鬼平が1969年、座頭市が1974年、「大江戸捜査網」が1973年の放映だといふ。
見てゐると、鬼平が一番「それらしい」のだ。
なにが「それらしい」のかといふと、市井の人々のやうすだ。
井戸端会議をしてゐる長屋の奥さん連中なんか、もうほんとに鬼平の時代にはかうしてゐたんぢやないか知らんと思ふやうなリアルさなのだつた。
鬼平は八代目幸四郎、丹波哲郎、萬屋錦之介、中村吉右衛門が演じたドラマがあつて、おなじ話をどの鬼平でも映像化したものがある。
「昔のおんな」の昔のおんなの女ともだちに関しては、八代目幸四郎のときが圧倒的にいい。
髪の結ひやうから着物の着方、佇まひ、どれを取つてもそれつぽい。

無論、当時の江戸がどうだつたかなんて知るよしもないし、実際には全然違つたのかもしれないとも思ふ。
この「それらしさ」がどこから生まれるのかさへわからない。
わからないけれども、昔の作品の方が「よくできてゐる」やうに思へてしまふんだなあ。
「座頭市物語」だつて「新・座頭市」よりそれらしい感じがすることがある。
なんだか世の中さういふものらしいのだ。

さうすると、菊吉がよかつたのは当然で、團菊がよかつたのは云ふも愚かといふことになる。

時の流れとともになにかが失はれてゆく。
さういふものだとするならば、今後歌舞伎や文楽になにを求めてゆけばよいのか。
ぼんやりと途方にくれてしまふ。

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Friday, 21 September 2018

「幽玄」とクール・ジャパン

今月歌舞伎座の夜の部で「幽玄」といふ演目がかかつてゐる。
その中で「羽衣」と「石橋」、「道成寺」とが演じられる。
坂東玉三郎が太鼓芸能集団鼓童をfeatureした舞台で、そのほかに若手の歌舞伎役者が出演してゐる。

これを見て、「東京オリンピックの開会式や閉会式はこんな感じになるのかもしれないな」と思つた。

「羽衣」も「石橋」も「道成寺」ももともとは能の演目である。
そこから派生した歌舞伎の演目にもある。
いづれもきちんと物語や背景がある演目ばかりだ。

この中で一番もとの演目の物語が表現されてゐたのは「羽衣」だ。
地上に降り立つた天人が松にかけておいた羽衣を漁師・伯竜が手にする。天人は羽衣を返してくれと訴へ、伯竜は天人の舞を見せてくれたら返さうといふ。天人は伯竜に舞つてみせ、やがて天へと帰つてゆく。

「幽玄」の「羽衣」を見てもそのあたりの内容はおぼろげに理解できる。
なぜか伯竜が十一人もゐるけれど。
若手役者一人では玉三郎に太刀打ちできないからか、萩尾望都でもやりたかつたのか(伯竜が「十一人いる!」)、舞台が静岡だけにサッカーをイメージしたのか、そこのところはよくわからない。
でも、「ああ、「羽衣」つて、さういふ話なんだな」といふことはなんとなくわかる。

「道成寺」は能のそれといふよりは歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」の色合ひが強い。
ちやんと道行もある。
安珍清姫といふ背景があることは見てはとれないけれど、なに、「京鹿子娘道成寺」だつてただ見聞きしてゐるだけではそこまではわからない。
「鐘に恨みは数々ござる」といふ詞章と踊りとからうすうす知れる、といつたところか。
おお、なんだか幽玄ぢやん。
一方、「幽玄」の「道成寺」はといふと、「京鹿子娘道成寺」を知つてゐるからわかるけれど、途中なにがなんだかよくわからない部分があつて、「なんでこれが「道成寺」なんだらう」と疑問をいだいてしまふ。
道行から出したことを考へると、玉三郎はできることなら「京鹿子娘道成寺」を踊りたいのかもしれない、といふ気もしないではないが、見てゐるうちに「これはなんだか全然違ふことをしたいのだな」といふ気分になつてくる。

一番よくわからないのは「石橋」だ。
能の「石橋」には、この世には清涼山といふところがあつて、その深山幽谷に自然の為したる石橋があり、文殊菩薩の獅子があらはれて……みたやうな背景があるのだが、「幽玄」の「石橋」にはさういふ背景はきれいさつぱりなんにもない。
単に獅子の扮装をした役者が五人出てきて、毛振りを見せて終はり。
さういふ演目だ。
幽玄といふ奥深い趣は微塵もない。
これぢやあ「石橋」ぢやなくて「Lion Dance」だよ。

それが悪いとは云はない。
はじめて歌舞伎を見る人には、めんどくさい背景は抜きにして華やかな「Lion Dance」を見るだけの方が楽しいといふこともあらう。
そもそも最近の歌舞伎の客は「外国人の目」で歌舞伎を見ているといふ。
外国人の目で見たら、獅子が文殊菩薩に由来するもので、だとか、清涼山といふところがあつて、だとか、さういふことはどうでもいいのかもしれない。
つまり、グローバルな表現としての「石橋」が「幽玄」の「石橋」である、と、さういふことなのかとも思ふ。

それが悪いとは云はないが、それでいいのかなあ。
どことなく「クール・ジャパン」の匂ひがしてこないか。
入り口としてはこれでいいのかもしれない。
さうも思ふ。
でもこれ、歌舞伎座でかける演目ぢやないよな。
玉三郎と「幽玄」といふわび・さびを思はせるやうな題名にだまされてゐる。
そんな気がしてくる。

そして、東京オリンピックが行はれるとして、その開会式や閉会式にはかうした演目が出てくるのぢやないか。
演目や物語の背景は全部取つ払つてしまつて、派手で見栄えのするところだけ集めてくる。
さうなるんぢやないかな。
たかがオリンピックの開会式だ。
それで全然かまはない。
この件に関してはさう思ふ。
それと歌舞伎座とは違ふ。
さう思ふんだけどなあ。

でもまあ世の中、見栄えさへよければいい、といふ向きもたくさんあるので、かうしたものなのかもしれない。

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Wednesday, 18 July 2018

上期の芝居がしぼれない

役者や俳優より舞台や映画・ドラマそのものの出来を云々してしまふ。

「ニノチカ」が好きで、見るたびにグレタ・ガルボばかり目が追ひかけてしまふのだが、だつたらガルボの出てゐる映画はなんでも好きかといふとさうでもない。
これに限るといふことはないけれど、できれば「ニノチカ」。
さう思つてゐる。

先日、池袋の新文芸坐で「蜘蛛巣城」を見てきた。
山田五十鈴が怖いのであまり見ない映画なのだが、「メタルマクベス」を見る前に見たいと思つてゐたので渡りに船だつた。
見返してやはり山田五十鈴が夢に出るレヴェルで怖く、三船敏郎もすばらしいのだが、でもだつたら別の映画でもいいわけでさ。
「蜘蛛巣城」でなければならないその理由は、「蜘蛛巣城」が作品としてすばらしいと思ふから、すくなくともやつがれは「蜘蛛巣城」が映画として好きだからだ。
ちなみに、山田五十鈴も三船敏郎も取り立てて好きな俳優といふわけではない。

自分の好きなもの・好きな人を無条件にほめたたへることができない。
まづは欠点を探す。
それをあげつらふ。
自分は客観的に自分の好きなもの・好きな人をとらへてゐると、内外に示す。
なぜさうなつてしまつたのかといふと、こどものころみーちやんはーちやんといふものが嫌ひだつたからだ。

自分の周りにゐるのはみなミーハーだつた。
家族も近所の子どもたちも、ひとりとしてミーハーでない人はゐなかつた。
ミーハーは醜い。
昨日はあの人が好きと騒いでゐたくせに、翌日には手のひらを返したやうに別の人を好きだといふ。それまで好きだつた人のことなど忘れてしまつたかのやうなふるまひをする。それだけならまだしも昨日までは神のごとくたたへてゐた人のことを悪く云ふ。
しかも、ミーハーは自分の好きなものの欠点を見やうとしない。
あんなに明らかな汚点を、ミーハーはないものにしてしまふ。
なんてイヤなんだらう、ミーハーであることつて。

その後、ミーハーとは和解した、と以前書いた。
ミーハー的のふるまひをしてみたら、とても楽ちんだつたからだ。
いつたい自分はこれまでなにと戦つてきたのだらう。

さう思つたけれども、身に染みついてしまつたものといふのはなかなかとれないのだらう。
三つ子の魂百までもとはよく云つたものだ。
好きな役者の出る芝居でも「この芝居は好きぢやないんだよなあ」とか「ほかの配役がよくないなあ」とか文句をつけてしまふ。
今年も後半に入つたので、一月から六月までに見た芝居の中でなにがよかつたかと考へてみると、「これ!」といふものがひとつもない。
一月歌舞伎座の「勧進帳」はよかつたけれど、襲名演目として最高だつたとは思ふが、「勧進帳」としてよかつたとは思つてゐない。
「七段目」は芝居として好きぢやない。
「絵本合法衢」は片岡仁左衛門一世一代といふふれこみだつたが、大阪松竹座のときの方がいい出来だつた。配役も松竹座の方がよかつた。

いろいろ考へて、おもしろかつたといふ意味では三月の「於染久松色読販」かなあ、といふところに落ち着く。
普段は人気女方の早変はりが見どころの芝居だが、今回は土手のお六のくだりだけ出した。
芝居全体の中では早変はりのない地味といへば地味な芝居だが、ここだけ取り出して見ると、これが隅から隅までよくできたいい芝居なのだつた。
無駄な仕掛がなにもない。
登場人物の来歴や、死体・早桶に至るまで、実にさりげなくさまざまなものがちりばめられてゐる。
よくできてるなあ。
さすが南北。
まあ、鶴屋南北が書いたそのままが上演されてゐるかどうかは定かではないがね。

映画・ドラマでもさうで、この俳優を見てみたいと思ひつつ、一度見て作品として好きにならなかつたものは二度・三度と見る気にはならない。
まれに「まあたまには見てみやうかい」といふので見て、「やつぱりこれぢやないんだよなあ」と思つてしまつたりする。

無論、作品としてはいまひとつでも、たつた一場面、たつたひとつのセリフのために見るといふこともないわけぢやあないのだが。
最近はなかなかそんな気力・体力もなくてね。

結局は気力・体力・財力か。

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Wednesday, 11 July 2018

江戸の風つれづれ

江戸前つてなんだらう。
なんとなく口にはするけれど、実のところよくはわかつてゐない。
でもたとへば「め組の喧嘩」の藤松は、坂東八十助(当時)のあとはなんだかパリつとしない。
江戸つ子味が足りないのだ。
さういへばどこかで読んだ気がする。
江戸つ子を演じられるのは十世坂東三津五郎が最後だらう、と。
青山の家に純粋培養の江戸つ子の祖母(曽祖母だつたかもしれない)がゐて、それを見て育つてゐるから、といふ話だつたと思ふ。

森茉莉はよく「伊右衛門役者に出会へなかつた不幸」について書いてゐる。
十五世市村羽左衛門の伊右衛門ではダメなのださうな。
それを云ふとやつがれは「勧進帳」の弁慶役者にも出会へなかつたし、与三郎役者にも出会へなかつた。今後も望み薄だと思つてゐる。
「与話情浮名横櫛」の与三郎には、やはり江戸前な雰囲気がほしい。
江戸前ですつきりとした色男といふのが理想だ。
でももうその「江戸前」の役者がゐない。
昔の「演劇界」の花形特集で中村歌六の与三郎を待望する記事を読んだことがある。
江戸前ですつきりした二枚目で爽やかな口跡の与三郎になるだらうといふやうな内容だつたと思ふ。
手元に資料がないので確認できないけれど。
そのときはそのとほりだなあと思つたけれど、その後歌六の与三郎を拝む機会に恵まれずにゐる。
おそらく今後もないだらう。

柳亭市馬の落語には江戸の風が吹くといふ。
ふしぎと江戸の空気がある。
市馬は大分県の出身と聞くから、江戸前な雰囲気を出すにはなにも東京の生まれでなくても構はないといふことだ。

関西の人はわりと「あの役者の上方のセリフはなつてゐない」だとか、TV番組で話される関西弁についても「なつてゐない」といふやうなことを指摘するといふ印象がある。
でも関東の人が「あの役者のセリフは江戸つ子らしくない」と指摘するのはあまり聞いたことがない。
関東の人(或は東京の人)の大半は別の地方から引つ越してきた人だからだらうか。
江戸前なことばを使用する(或は使用してゐた)人の住んでゐた範囲がそんなに広くなかつたからか。
いづれにしても、標準語といふのは江戸なまりや東京なまりとはまた違つたものなんだな、と思ふ。
みんな、江戸前なことばなんて知らないのだ。
知らないのに、かうして「江戸前ぢやないんだよ」とか書いてゐる自分は何様だらう。

今後はもう、「江戸の風」なんぞといふものはなくなつていくんだらう。
演じる方も見る方もわからないのだし。
いま見聞きできるものが最後なんぢやあるまいか。

この後江戸の歌舞伎とか江戸の落語とかになにを求めればいいのだらう。
江戸の世話物は、次第に演じられなくなるんぢやないか。
それとも物語としてはわかりやすいから上演はされるのか。
上演はされるのかな。でももうそこに江戸らしさはなくなつてしまふのだらう。
「髪結新三」の鰹売りも代替はりするたびになにかが欠けている気がしてゐる。
それは気のせゐなのかもしれないし、そもそも鰹売りなんて見たことないんだから勝手な思ひ込みなのかもしれないとは思ふ。
でももうきつと、そんなことはどうでもいいのだ。
「髪結新三」といふ芝居の筋とはまつたく関係がないのだから。

歌舞伎は、さうやつて変はつていくのだらう。
落語はどうだらうか。
落語は、落語としてどうかうというよりも、そのひとつ上のサブセットの話芸としての出来で良し悪しを判断するやうになるのかもしれない。
話芸でしかできないこと、たつた一人で表現するからこそ展開できる世界、さうしたものでいい噺家か否かが決まるやうになるのぢやあるまいか。
そんな重たいものはもう落語ではないし、とくに江戸落語ではないといふことになる気はするな。

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Thursday, 28 June 2018

歌舞伎が好きな理由を考へる

なぜ歌舞伎が好きなのか。
考へてゐると、「歌舞伎なんか好きぢやないのでは」といふ気分になつてくる。

三森ゆりかの提唱する言語技術では、こどものうちにまづ自分がなにを好きかを表明してその理由を述べ「だからわたしはそれが好きです」としめくくる、といふ練習をするといふ。
ただなんとなく好きではダメなのだ。
これこれかういふ理由で好きだと述べることができてはじめてコミュニケーションが成り立つ。
さういふことだと理解してゐる。

それではといふので、歌舞伎からはじめてみやうと思つたのだが、これが実に手強い。
歌舞伎のなにが好きなのか。
好きな役者がゐるから、といへば、「ではなぜその役者が好きなのか」といふ話になつてくる。
そんなの、「好きだから好き」だよなあ。

よくよく考へてみると、ひとつには「よく知つた人々が出てくるから」といふのがある。
歌舞伎には源平時代の人々が出てくる。
これがなんとなく慕はしい。
こどものころの愛読書が「牛若丸と弁慶」だつたからだ。
「牛若丸と弁慶」といふ本については以前もここに書いた。
短編小説がいくつも入つたやうな体裁で、最初こそ五條大橋で牛若丸と弁慶とが出会ふ話だが、倶利伽羅峠の話や宇治川の一番乗りの話、ひよどり越えの逆落とし、那須の与一、熊谷と敦盛、安宅の関、しづやしづしづの苧環くりかへし、とひととほり源平の戦ひを見た後に、三つの鉢の話や日蓮の話、最後には元寇の話が出てくるといつた本だつた。
その後、「源義経」といふ伝記めいた本ももらひ、小学三年生のときにこども向けの「平家物語」といふ本を買つてもらつた。
どちらもよく読んだ。

そんなわけで、この三冊の本に出てきた人々のことはなんとなく慕はしく思つてゐる。
こどものころのことだから、何度もくりかへし読んだ。
それで、「知らない人とは思へない」といふ感じがするのだらう、大げさに云へば。

歌舞伎を見ると、本に出てきた人がたくさん出てくる。
それも、なぜ斎藤実盛は髪を染めてゐたのかといふ理由が出てきたり、佐藤忠信が狐だつたり、弁慶が生涯一度しかしなかつたことと二度しかしなかつたこととをうまく取り入れたりした話が出てくる。
おもしろいよねえ。
よくそんなこと考へたねえ。
うなるしかない。

だから歌舞伎が好きなのです、で理由になるだらうか。
理由にはなつてゐると思ふが、人に話すにはくだくだしい。
それに、源平時代の人々の出てくる芝居ばかりとも限らない。

そこでさらに考へてみた。
なぜ自分は歌舞伎が好きなのか。
好きかどうかはともかく、なぜ見に行くのか。

つまるところ、物語が好きだから、なのかもしれないな。

物語といふのは「いまはむかし」である。
「いまはむかし」といつて、いつの時代ともしれぬ世のことを語り、そしてそれは現代にもつながつてゐる。

歌舞伎の芝居もさうなんぢやあるまいか。
今月歌舞伎座でかかつた「妹背山婦女庭訓」は、大化の改新のころを舞台にした芝居だ。
でも出てくる人の風俗は江戸の(それもおそらくは今の我々の考へる江戸の)風俗で、建物はかなりのところ想像の産物である。
そして語られるのは今の世にあつてもそんなに不思議ではない(疑着の相云々はともかくとして)話だ。
多分、みる人にはお三輪の心情はよくわかる。
通じてゐる部分があるからだ。
それをもつて普遍的とは云ひたくないが、「いまはむかし」のいつともしれぬ世の話をしてゐて、でもそれは現代とつながつてゐる。

そして、さういふいつのどことも知れぬ世の物語が展開されるのを見るのが好きなのだ。
歌舞伎以外の演劇をあまり見に行かないことを考へると、さういふことなんぢやないかな、といふ気がする。

といつたところで、歌舞伎が好きな理由になるだらうか。
他人には伝はらないやうな気がするからダメか。

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Friday, 22 June 2018

隣の男が壁を抜けたつてね

「怪奇大作戦」の上映会イヴェントがあるのださうな。
ときは2018/8/19(日)、ところは和光大学ポプリホール鶴川とのこと。
まだ詳細は確認してゐないが、「壁抜け男」と「霧の童話」を上映するのらしい。

「怪奇大作戦」は放映開始から今年で五十年、なにかしら記念イヴェントがあるだらうと思つてゐた。
よかつたよかつた。

円谷で五十周年でイヴェントといふことで、一昨年の「ウルトラマン落語」や去年の「ウルトラセブン落語」のやうに「怪奇大作戦落語」もあるとといいんだけどなー、と思ひはすれど、もちろんあるとは思つてゐない。
今年も「ウルトラセブン落語」は開催されるのだとは聞いてゐる。
こちらはときは2018/9/16(日)、ところは日本教育会館一ツ橋ホールださうな。
落語家は柳家喬太郎と柳家喬之助、ゲストに森次晃嗣とひし美ゆり子が出るといふ。今年は紙切りの林家二楽の名前がないのがチト残念。

去年の「ウルトラセブン落語」は上野の鈴本演芸場で、このときはゲストに森次晃嗣が来た。
いやー、もりあがつたねー、「特別ゲストです」つて呼ばれて出てきたときには。
場所が鈴本だからか、あまりウルトラに興味のない客もゐたやうなのだが、といふのは最初に「私情最大の侵略」のマクラで喬太郎がかなり客席のやうすを探つてゐたやうに見受けられたのでさう思ふのだが、いやでもさ、「ウルトラセブン落語」ですよ。ちやんとさう銘打つてるんだからさ、盛り上がるでせう、そりや。

登壇した当初は年相応に落ち着いて見えた森次晃嗣が、喬太郎・喬之助・二楽とのトークが進むうちにどんどん生気に満ち、若返つていくのがわかつて、とてもおもしろかつたし、さういふ姿を見てこちらも気分が昂揚していくのを覚えたことが忘れられない。

さういやこのとき二楽は「フジ隊員はお姉さんといつた趣だつたけれど、アンヌ隊員は、ね」と、アンヌ隊員好きなことを話してゐた。
もともとは別の人が配役されてゐたのが急遽変はつので制服の変更が間に合はず、ぴちぴちな感じで着てゐた、といふ話の流れからだつたと思ふ。
実相寺昭雄は逆なことを云つてゐたやうな気がするけれど、おもしろいねー、さういふものなのねー、と思つたりもした。
さういへば、冒頭に書いた怪奇大作戦イヴェントにはそのフジ隊員・桜井浩子もくるのださうな。

一昨年の「ウルトラマン落語」のときはやつぱり鈴本演芸場で下席の十日間、「ウルトラ喬タロウ」と題して喬太郎がウルトラマンネタの噺をかけたのだが、ウルトラセブン落語はその日一度きりだつた。
このときかかつた噺は「ウルトラ仲蔵」や「抜けガヴァドン」などほかの落語会で聞くこともある噺もあるのだが、「私情最大の侵略」と「セブン段目」がほかでかかつたといふ話は寡聞にして聞いたことがない。あるのかなあ。
九月の会では新作をかけるのか、それとも「私情最大の侵略」をリファインしてくるのか、気になるところではある。

「セブン段目」も好きなんだよなあ。
おそらく、元ネタの「七段目」にしたつて、歌舞伎を見たことのない人にはなにがおもしろいのかよくわからない噺なのだと思ふ。
若旦那と貞吉とのやりとりがなんとなくおもしろいから笑へるのであつて、元ネタがわかつて笑つてゐるばかりでもないだらう。
聞いたことはないけれど、昔は声音でやつたりもしたんぢやないかなあ。
圓生の「掛取万歳」の芝居の部分はものまねが入つてゐて、あんな感じで「七段目」をかけることもあつたんぢやあるまいか。
「あたしは播磨屋でいくから。貞吉、おまへはどうする」「あたしはぢやあ、歌右衛門で」「大成駒。おまへも目が高いねぇ、うんうん」なんてな感じでさ。

でもいまそれをやつてもおほかたのご見物には通じない。
それでとくに誰といふことに言及せずにやるやうになつてゐるのぢやないかなあ。
だつて芝居好きだよ、若旦那も貞吉も。
絶対自分の好きな役者のまねでやりたくなるつて。

「七段目」の不満になつてしまつたが、ともかく、「セブン段目」は「マニアつてかうだよね」といふ楽しさにあふれた噺なので、聞きたいのだが、しかし、多分、話して二席だよね。
一席は新作がほしいし、さりとては、だ。
九月までこんな感じで楽しめるといふのもまた一興ではある。

ところで、二月の落語会で、喬太郎はちらりと「今年は「怪奇大作戦」が放送開始五十周年」と云つてゐた。
そこはそれだけで終はつてしまつたのだけれども、なんかどこかでちよこつと話したりしないか知らん。
しないか。
しないな。
「ウルトラセブン落語」のマクラとかで、ちよろつと、とかさ。
期待はすまいと思ひつつ、してしまふ。

まあでも、「怪奇大作戦落語」つて、素人でも考へつくよね。
以前こんなことをつぶやいてゐる。

牧さん 隣の男が壁を抜けたつてね
ノム へえ
改訂版はこんな感じ。
助さん 隣の男が壁を抜けたつてね
ノム へえ
さおりちやん カッコい〜!
これでちやんと「怪奇大作戦落語」になるぢやないですか。
#なりません。

そんな「壁抜け男」の上映される八月、そしてよくわからないけれども「ウルトラセブン落語」のかかる九月と、今年も円谷的に楽しめさうでなによりぢやよ。

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Wednesday, 20 June 2018

はじめての歌舞伎の本

中学生の時にたまたま入つた音楽室の準備室に歌舞伎の本があることを発見した。
A4変形だらうか大きなサイズで、写真がたくさん載つてゐる、ムックのやうな体裁の本だつた。
音楽の先生に無理にお願ひして借りてきて読んだ。
といふよりは、見た、かな。なにしろ写真の多い本だつた。

題名も忘れてしまつたし、出版社はどこか大手だつた、くらゐしか覚えてゐない。講談社だつたかなあ。
表紙は写真を寄せ集めてきて作つたやうな感じで、開くと坂東玉三郎の藤娘の写真が掲載されてゐた。
この本を見る前に知つてゐた役者は玉三郎くらゐだつたと思ふ。
この本で、中村歌右衛門と実川延若とを覚えた。
ふたりともヴィジュアルが強烈だつたからだ。

実川延若は、「関の扉」の関兵衛実ハ大伴黒主の写真が抜群によかつた。
鉞を下にして足をかけた形がいいし、とにかく表情といはうか顔の造作といはうかがこの世のものではないかのやうな様相で、このまま浮世絵にしたいやうな風情だつた。
ほかには当然「楼門五三桐」の五右衛門や、「封印切」の忠兵衛など、結構いろんな写真が載つてゐたやうに思ふが(なにしろこの本で覚えたんだからね)、なにをおいても黒主。

歌右衛門といへば忘れられないのが「鴛鴦襖恋睦」だ。
鴛鴦になつてからの姿で福助だつたころの梅玉と踊つてゐる場面の写真があつたのだが、失礼ながら化け物にしか見えなかつた。
幽霊といへばさうなのでさう間違つてはゐないのかもしれないが、実際に見るまでは「鴛鴦襖恋睦」は怪談なのだと信じてゐた。
それにしては明るいし衣装も華やかだなあ、とふしぎではあつたのだが。

あと、道成寺の道行の花道で鐘を見込んだところの表情なんかもものすごく怖かつた。
延若の黒主もさうだつたけれど、「これ、絶対この世のものぢやないから!」といふ顔付きだつた。
写真だから怖いのであつて舞台を見てゐれば自然と流れていくのでそんなことはなかつたのかもしれない。
とはいつても歌右衛門の玉手御前は怖かつた。
花道から出てきて戸の前にたどりつくまでの幽鬼のやうな風情や、「かかさん、かかさん、ここ開けて」の黄泉の国からやつてきたかの如き声音がいまでも忘れられない。

異形のもの。
ふたりともそんな感じだつた。

この本には、実際に芝居を見るやうになると「え、この人、ほんとにこんな役やつたの?」といふやうな役の写真が出てゐたりもする。
福助だつたころの梅玉のお嬢吉三とかね。きれいですてきだけれど、つひぞ見たことがない。見てみたかつたなあ。
見てみたかつたといへば、菊五郎と孝夫時代の仁左衛門のおまんまの立ち回りの写真もあつた。
「岡崎」は二世鴈治郎と扇雀時代の藤十郎。
海老蔵時代の十二代目の團十郎の弁天小僧菊之助の写真もあつたなあ。
おそらく染五郎時代の白鸚の春永と吉右衛門の光秀の「馬盥」もあつた。
「河内山」の写真が羽左衛門だつたのもいまとなつてはちよつと意外だ。先代の白鸚とか十七世勘三郎とか、いくらでもありさうなものなのに。

それから忘れられないのが宗十郎・先代の時蔵・先代の錦之助が赤姫のこしらへでならんで写つてゐる写真。モノクロだつたけれど、これがきれいで可愛くてねえ。
どんな芝居だつたんだらうか。芝居ぢやなかつたんだらうか。楽屋で撮つた写真のやうでもあつたし。

こんな感じで実際に芝居を見る前から芝居や役者の名前は覚えてゐた。
それでいまでも頭でつかちなところが抜けないのかとも思ふ。

それにしても、この本、ほしかつたなあ。
古本屋に行けばいまでもあつたりするか知らん。
表紙を見ればそれとわかるとは思ふのだけれども。

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Friday, 08 June 2018

疾走感考

先月シアターコクーンで「切られの与三」を見た。
コクーン歌舞伎の中で見たものとしては、結構おもしろいと思つた。
第一幕こそ単なるダイジェストだなと思つたものの、第二幕のいはゆる「源氏店」で、掛軸の絵が抱一の寒牡丹を模したもののやうに見えて、そこからすつと芝居の世界に入つていけたやうに思ふ。
「抱一でございますね」などといふやりとりはいつさいなかつたけれど、ないのに抱一といふのが気に入つた。
もつともやつがれの見た狭い範囲でいふと、あの抱一の掛軸は芝居の中の季節よりは実際に上演されてゐる季節にふさはしい絵をかけるやうで、そこは違ふんだけど、まあ、細かいことはいい。

見てきた人の感想などを見ると、一様に「疾走感を感じた」といふやうな表現に出くはした。
劇評家の評の中にもあつた。

疾走感。

あつたつけか、「切られの与三」に。

感じなかつたなあ、不明にして。

どちらかといふと、struggling で crawling な印象を受けた。agonizing といふかさ。
疾走する agony といふものもあるのかもしれないが、どちらかといふと身を絞つて悶える感じかなあ、agony。

なぜさう感じたのか。
「切られの与三」の中で、与三郎は、あまり自分からどうかうしやうとはしない。
流されるままに木更津に行き、一目惚れの勢ひにまかせてお富といい仲になり、切り刻まれて元の暮らしに戻れなくなつたところを蝙蝠安に拾はれて、成り行き任せで押借強請を覚える。
なんか、かう、「自分からかうしやう」と思つてしたことがほとんどない。

これが「切られ与三」といはうか「与話情浮名横櫛」の与三郎だと、木更津に行くのは一応みづからの意思である。
こどものない家に養子としてもらはれて行つたら弟が生まれてしまつた。
親は実子に家をつがせたからう。
さう勝手に思ひなしての放蕩三昧、その末の木更津行きだつた。
そこが「切られの与三」の与三郎とは違ふ。

みづから思ふところもなくただ流されていく状況には疾走感を覚えなかつたんだよなあ、多分。
ただ流されるにしても、もつと急転直下の大波乱とかあれば、感じたかもしれない。
あのあと、いろいろ考へた。自分はどういふものに疾走感を感じるのか、と。
「マッハGoGoGo」の主題歌が最初に頭に浮かんだが、あれは曲想がさうなのであつて、あまり参考にならない気がした。

はたと気がついたのが、「早發白帝城」だ。

朝辞白帝彩雲間
千里広陵一日還
両岸猿声啼不住
軽舟已過万重山
の「千里広陵一日還」なんて最高に疾走してゐる感じがするし、「軽舟已過万重山」といふのも軽快で速い。
辞すといつてゐるのだから、みづから白帝城をたつて広陵に向かつたのだらう。
舟をあやつつてゐるのは船頭だらうが、広陵に向かふのは自分の意思だと見受けられる。

あと「赤壁賦」の「短歌行」引用から「固一世之雄也」までのくだりにも疾走感を覚える。
壬戌の秋七月だつたはずの長江が、一気に建安十三年の冬に様変はりする。
蘇子と友とを乗せた舟だけだつたはずが、千里と連なる船団が江に浮かび、はためく旗が空を覆ふ。
それがほんの数十文字のうちに展開される。
その速さ。

ここにはそれほど登場人物の意思の力は感じない。
その一方で、流されてゐるといふ印象もない。

おそらく、自分にとつて疾走感とはみづからの意思を伴ふものなのだらう。
それで「切られの与三」には疾走感を覚えなかつたのだ。

だからといつて、「切られの与三」がつまらなかつたといふわけではない。
最初に書いたとほり、おもしろく見た。
ただ、見た人々の云ふ「疾走感」といふものがどこからやつてきたのかがわからない。
知りたいと思つても、もう見ることもかなはぬやうだ。
残念。

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