ふたりの尾上
『加賀見山再岩藤』の尾上はお初のはずなのに、なんだか初代の尾上と変はらないよねー。
なんてな話をしてゐたのだが、今月の尾上は違ふ。
少なくとも今日見てきた萬壽(自分の中ではまだ「時蔵」だつたりはするのだがそれはさておき)の尾上は『加賀見山旧錦絵』の尾上とは明らかに違ふ。元はあのおきやん(といふか)なお初なのだ。
かんたんに説明すると、『加賀見山再岩藤』は『加賀見山旧錦絵』を受けて河竹黙阿弥の書いた芝居だ。
黙阿弥の書いたにしては伏線の張り方がお粗末……といふのはまた別の話。
『加賀見山旧錦絵』では、お家転覆を図る兄を持つ岩藤が姫君大事の尾上を陥れ、室内履きの草履で打ち、失意のうちに尾上は自害する。尾上に仕へるお初は岩藤を討ち、尾上の無念を晴らして二代目尾上になる。
『加賀見山再岩藤』では、岩藤の亡霊が二代目尾上に報復しやうとする。
初代の尾上と二代目とが違つて見えるのは、一月に『加賀見山旧錦絵』を見たばかりだからといふこともあらう。
だから両方の尾上を比較することができた。
それは確かな気がする。
でも、やはり今月の尾上には初代にない芯の強さや多少はねかえりの部分が見て取れるんだなあ。
これがとてもおもしろかつた。
時蔵の尾上もおそらくさうなつてゐるのだらう。一月に尾上を演じたばかりだしね。
それにしても、萬壽で『加賀見山旧錦絵』の尾上が見たいねえ。
『伽羅先代萩』の政岡も。
『仮名手本忠臣蔵』の九段目の戸無瀬も。
もうせん萬壽は(当時は「時蔵」だつたが)、片外しがやりたいと云つてゐて、こちら「おお、おお、そのとほりだ。見たい見たい」と思つてここまでやつてきた。
国立劇場で『妹背山婦女庭訓』の定高を見られたときはほんとにうれしかつたものだ。
もうさういふことはないのかなあ。
国立劇場がないことが恨まれる。

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