Tuesday, 07 July 2020

エンドレス・タティングは不可能か

ひたすらあみものばかりしてゐるので、タティングレースとはちとご無沙汰してゐる。
一応、シャトルに糸を巻いたものは出かけるときには毎回持ち歩いてゐるのだが、そもそも出かけない。
また在宅勤務のターンに入つたからだ。

いま編んでゐる Don't Touch Your Face は、昨日も書いたとほり14段1模様で、5段メリヤス編みを編んで2段模様編みをするといふネックウォーマだ。
1段150目をひたすらメリヤス編みで編む。
これがなかなかいい。
これまでストップウォッチで測るときは1秒1目の壁を破れなかつたが、今回はじめて1秒に1目を超えることができた。
ストップウォッチで測らなければ多分超えてゐるときもあるんだと思ふけど、測ると思ふと緊張するんだらうね、多分。

Don't Touch Your Face を編んでゐて思ふことは、とにかく手を針からはなさずひたすら編むのが好きだといふことだ。
タティングレースでいへば、とにかくタティングシャトルから手をはなさずひたすら結ぶのが好き、といふことになる。
だが、実際はなかなかさうはいかない。
リングの糸を引き締めるたびにシャトルから手がはなれる。
実際にはシャトルを握つたままだけれども、ダブルスティッチがそこで途切れてしまふ。
おそらくは、シャトル一つに糸玉の構成で、シャトルでひたすら糸玉の糸を結んでいく、すなはちチェインだけで作れるやうな作品が自分にはむいてゐるのぢやあるまいか。

無論、さういふ作品もないわけではない。
Mary Konior の Tatting With Visual Patternsにさういふ作品がある。
藤戸禎子のビーズをあしらつたネックレスにもさういふ作品がある。
藤戸禎子のネックレスは何度か作つてゐるけれど、ビーズが入るせゐかそこでつながりが途切れる気がする。

では自分にはタティングレースは向かないのか。
うーん、どうなんだらう。
とりあへず、持ち歩いてゐるシャトルでは栞を作るつもりでゐる。
今度出かけるのはいつになることやら。
そして、そのときタティングをしてゐる余裕があるかどうか。

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Tuesday, 30 June 2020

ちよつと元に戻る

今日は健康診断だつた。
気がつくと、タティングシャトルにレース糸を巻いてゐた。
なんか、ちよつとやる気が出てきたのかもしれない。

シャトルはAirLit、レース糸はLisbeth #40、手を伸ばしてとどくところにあつもたのだ。
なにを作るか決めず、とにかく糸をボビンに巻いた。
巻いて、「栞でも作るかな」と突然ひらめいた。
それで、最初のリングだけ作つて出かけた。

結局、タティングなどしなかつたけれど、でももう長いこと家に置きつぱなしの濱野のがま口にシャトルをつめて、カバンに入れて出かけた。
以前は、毎日さうしてゐた。
出先でタティングをすることはなくてもさうしてゐた。

いまは、腱鞘炎だから、といふこともある。
タティングをするのにはそんなに支障はないけれど、それでもたまにシャトルを取り落としてしまふこともある。
腱鞘炎はちつともよくならないけれど、でも、タティング用具を持ち歩かうといふ気になつた。
ちよつと気持ちが上向いてゐる証拠ぢやあるまいか。

もともとやる気はない。
気持ちも沈んでゐることが多い。
以前ここに書いたやうな気がするが、もしこの状態が鬱なのなら、やつがれは鬱なのが常態なのだと思ふ。
だつて昔から、それこそ子どものころからさうだもの。

だから、やる気が出てきたとか気持ちが上向いてきたとかであまり一喜一憂しない。
出てきたものはやがてひつこみ、上がつたものはやがて下がるからだ。

でもタティング用具を持ち歩くやうになつた。
これはいいことだ。
そんな気がする。

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Tuesday, 23 June 2020

無気力はつづく

タティングレースはこれといつてしてはゐない。
昨日も書いたとほり、かぎ針編みのスカーフをせつせと編んでゐる。
これまた昨日も書いたとほり、あひかはらず無気力と戦つてゐることもあつて、進んだやうな進まないやうな、だ。

やる気がないわりには、まだ冷凍したご飯があるにも関わらずご飯を炊き、炊きたてのご飯を食べたりもしてゐる。
昨日も、やる気がないと云ひながら、常には片付けない机の端の方に積んであるものをちよつと片付けた。
やる気、あるぢやん。
無気力ぢやないぢやん。
あみものもしてるしさ。

違ふんだな。
無気力だからするのである。
無気力と戦つてゐるあひだ、なにもしないことに耐へ得ず、さういふことをするのだ。
だから、ご飯はともかく、机の端のものは別の場所にうつしただけといふものもあつて、一向にかたづいたやうには見えないし、あみものもそんなに進んだわけではない。

そんなわけで、無気力状態はつづいてゐるし、去るやうすもない。
とはいへ、もう、これでいいのかなと思はないでもない。

やる気がないときは、もうあきらめて寝るのが一番と思ひつつ、それはできない。
一応、平日の日中は家にゐても働かなければならないからだ。
在宅勤務の身の上だもの、やる気がないからといつて寝てゐるわけにはいかない。
ただひたすら、時間の過ぎるのを待つしかないのである。
それでも、職場でさういふ状態でゐるよりは、家にゐる方がまだましな気はする。
職場ではやる気のないやうすでゐることははばかられる。
実をいふと、職場にはゐるだけでいい、といふことはある。
在宅勤務の場合はなにかしら目に見える成果をあげなければならない。
職場では必ずしもさういふ必要はない。
ただ来てゐるだけで働いてゐることになる。
さういふこともある。

それが本邦における在宅勤務のひろがりを妨げてゐて、引いては国民一人の生産性を阻害してゐる、なんてな記事が出てゐたが、だからといつてやつがれひとりの力でどうにかできるものでもない。
どちらかといへばそれは、各企業の幹部、役員、さうした人々がどうにかしなければどうにもならない問題だ。
ちよつと、オフピーク通勤に似てゐる。
以前もあつたことだけれども、鉄道会社各社が乗客に対してオフピーク通勤をするやう訴へてゐるが、それは間違つてゐる。
乗客ひとりひとりにどうかうできる問題ではないからだ。
政府や企業のトップにいふべきことで、それができないなら黙つてゐてくれないか、といふ問題だ。

政府や企業のえらい人々は、国民一人における生産性などどうでもいいのだらう。
国全体として稼ぎをあげてゐればいい。
さう考へてゐるに違ひない。
そして、さう考へる人々をさういふ場においておくからなにもよくならないのだ。

それはともかく、あみものはやはり楽しい。
以前からここにも書いてゐるやうに、どうも自分はモチーフを作つていちいち糸を切りながら進むよりも、長いものをひたすら編んでいくのが好きなのらしい。
タティングレースもさうだらう。
モチーフつなぎに挑戦するから挫折するのであつて、タティングシャトルを持ち替へることなく長いエジングをひたすら作つていくうちになんとかなるやうなものを作つたら案外大きいものを作れるのかもしれない。

それはわかつてゐるのだが、なかなかいいパターンに出会へずにゐるのだつた。

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Tuesday, 16 June 2020

ショール向きのモチーフ

腱鞘炎なので、タティングレースも思ふやうにできない。
でもしたい。
さういつても、これといつて作りたいものはないのだけれど。

これといつて作りたいものはないのだけれど、ショールのやうなものは作つてみたい。
スカーフとかね。
先日、藤戸禎子のショールの一部であるモチーフを作つて思つたのだが、ショールを構成するモチーフはそれ自体やはらかいものがいいといふことだ。
すなはち、かつちりしたモチーフはショールなどには向かない。
考へてみたら、以前極細毛糸で作つたタティングレースのスカーフに使つたモチーフはやはりやはらかいといふか、くたつとした印象のモチーフだつた。

Mary Konior の Masquerade とか Patchwork とかを使つてスカーフを作つてみたいんだけどねえ。
実際、作つた人の写真も見て、いいなあとは思つてゐるのだけれど。
でも自分で作るとモチーフがかつちりしすぎてしまふ。

それ以前の問題として、何枚も何枚もおなじモチーフをおなじやうな手の加減で作る自信もない。

スカーフにしやうとは思はないで、途中で飽きたらドイリーだとかテーブルランナーだとか云ひ訳することにして、作りはじめてみやうかなあ。

などと思ひつつ、「腱鞘炎が……」と悩んでゐる。

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Tuesday, 09 June 2020

失敗と時間

タティングレースでモチーフを作りはじめて、しばらくいつたところで致命的な間違ひに気がついた。
戻つてやりなほす気にならず、そのまま作るのをやめてしまつた。

どうといふことはない。
そのはずなのだが気にかかる。
世の中のタティングをする人、もつと広く手芸をする人は、ものをとても大切にするからだ。
もの全般にしてもさうだし、手芸道具や材料にしてもさう。

あみものをする人は切り捨てた端糸に至るまで保存しておき、なにかの時に使ふといふ。
なにに使ふんだらう。
あみぐるみでも作つてゐれば、綿として中につめるんだらう。
針刺しを作つたときにも入れられるか。
すこし長い糸なら刺繍に使つたり、編み込みに使つたりできる。
だが端糸。
とつておいて、なにに使つてゐるんだらう。

タティングする人は、間違へに気がついたらひたすらほどいて修正するといふ。
最近は、だいぶほどけるやうになつてきたのでほどくこともある。
でも、ほどく時間がもつたいないと思つたら切つてしまふな。

時間は大切だ。
お金で買へることもあるけれど、多くの場合は買へない。
買へる時間は精々のところ、歩いたら一時間半かかるところをバス代を出してバスに乗つていくだとか、鈍行で行つたら一日かかるところを特急料金を出して新幹線で三時間で行くだとか、そのていどの話だ。

時間は、いままさに必要だ、といふときに買へるものではない。
そして、貯めてとつておくこともできない。
とても貴重なものなのだ。
それを、どれだけかかるかわからない糸をほどくことに費やすなど、もつたいなくて到底できない。

価値観の違ひとは、かうしたものか。

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Tuesday, 02 June 2020

おそまつ

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やつとタティングレースのドイリーの整形に着手した。
2月ごろにはできてゐた Renulek の Spring Doily 2014、先月できた Iris Niebach の Eleonora、そして最近できた藤戸禎子のストールに用ゐられてゐるモチーフの3枚である。

 

Eleonora、ねえ。
途中、何度かあきらめやうと思つた。
出来が悪かつたからだ。
長いチェインがなぜかねぢれる。
どうにも美しくない。
だが、一度は最後まで作らなければ。
さう思つてここまでこぎつけた。
円にならずうねるかと思つたけれど、平らにはなつた。
最悪の状態にはならなかつたわけだ。
もう一度作るかなあ。
作るとして、もつとちやんとチェインが作れるやうになつてからだな。
糸は Lisbeth #40。

 

Spring Doily 2014はまた作つてみたい。
もつと大きくできるけれど、このくらゐの大きさがいいやうに思ふ。
作つてゐて、とくに3段目を作つてゐてとても楽しかつたし。
なんだか、「ヲレはいま、タティングをしてゐる!」といふ感じだつたんだよね。
ときどき、さういふ作品がある。
「ヲレは、いま、猛烈にタティングをしてゐる!」といふ感じのする作品が。
Spring Doily 2014 は自分にとつてさうした作品なのらしい。
これも糸は Lisbeth #40。

 

藤戸禎子のモチーフは、「タッチングレース(DIYシリーズ)」に掲載されてゐる桃色のストールの一部だ。
このモチーフやその他のモチーフをいくつもつないでストールにしてゐる。
気が遠くなるよなあ。
このモチーフは DMC のコルドネ・スペシャル #40の白で作つた。
いい糸なんだよなあ。
まだ残つてゐるけれど、なにを作つたものかのう。

 

その後、ちよつとした栞を作つた。
栞はかつちり結んで作つた方がいいね。

 

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Tuesday, 26 May 2020

整形できない

タティングレースのモチーフができあがつた。
藤戸禎子の英訳された本「Tatted Fashion (「タッチングレース(DIYシリーズ)) 」に載つてゐたショールの一部分である。
このモチーフやその他モチーフを何枚かつないでショールになつてゐる。
モチーフと書いたが、ドイリーといつてもいい作りだ。

糸はDMCのコルドネ・スペシャル#40 Blancを使つた。
久しぶりに使ふけど、やつぱりDMCのコルドネ・スペシャルはいい。
なんだかうまくなつた気がする。
#40の色糸がなくなつてしまつたことはほんたうに惜しまれる。

白い糸でタティングするのは久しぶりだ。
これまたいいものだ。
レースといへば、白、または生成。
もともとはそんな感じだつた。
タティングをはじめて、しばらくすると、そんな風潮はなくなつてしまつたやうに思ふ。
タティングレースの本に掲載される作品はあひかはらず白や生成が多かつたけれど、Webなどで見かける作品はそれ以外の色を使ふものが次第に多くなつていつた気がする。
いまでは白や生成以外の作品を目にする機会の方が多いのぢやあるまいか。

だといふのに、なぜDMCはコルドネ・スペシャル#40の色糸を作るのをやめてしまつたかなあ。

以前も書いたやうに、やつがれがタティングをはじめたころは、「国産のレース糸は褪色するけれど、DMCの色糸はしない」といふ噂があつた。
「噂」と書いたのは、実際に自分でためしてゐないからだ。
そんなわけで、色糸を使ふことには慎重だった。

そのうち、「褪色したらそれはそれで味ぢやああるまいか」と考へるやうになつて、現在に至る。

ところで、整形待ちのドイリーが三枚になつてしまつた。
RenulekのSpring Doily 2010と、Iris NiebachのEleonora、そして今回のモチーフといふかドイリーといふかである。

整形、苦手でね。
なんかうまくできないんだよね。
ピンを打つ手間を省くのがいけないとわかつてはゐるものの、どうにもならない。

とくにEleonoraはなんども作つては挫折してやつとできたものなので、整形したいのだが。

と、云つてゐる最中に水通しでもすればいいのか。

次回にはここで三枚のドイリーを紹介できるだらうか。
さて。

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Tuesday, 19 May 2020

タティングレースの糸始末

タティングレースは最初と最後が気が重たい。
つまり、糸端の始末である。

いまは、magic thread で始末してゐる。
パッチワーク用の糸を半分に折つて輪にして、最初にこれを仕込むやうにしてゐる。
これが面倒でね。
最後、糸を引きこむのはだいぶうまくなつたのだけれども。
でも糸同士を結んで始末するよりはマシかなと思つてゐる。
わりと早い時期から magic thread で糸を処理するやうになつた。
GR-8 Tatting Shuttle を使ふやうになつてからだから、20年はやつてゐるんだらう。

はじめて見たタティングレース(「タッチングレース」と書いてあつたが)の本には、糸端は結んで始末しろ、と書いてあつた。
これが苦手でね。
表に響かない位置で小さく結ぶといふのができなくて。
不器用なので、こまかい作業が苦手なのだ。
唯一、極細毛糸でタティングをするときだけは結ぶこともある。
最終的に結んだ糸の両端をリングやチェインに縫ひこむときに結んでできたこぶの位置をなんとか目立たない位置にもつていけることが多いからだ。

最初と最後とが面倒だと、なかなか手に取るつもりにならない。
とくにやる気の著しく減退してゐるときは。

まだ緊急事態が解除されてゐないといふのに、日々県の境を越えて職場と家とのあひだを行き来してゐる。
電車はともかくバスは土曜ダイヤだから本数は少ないし、ひどく混む。
もしいま新型コロナウィルスに感染することがあつたら、上司を恨み呪つて死ぬだらう。
職場ではできるだけ在宅勤務をしろといつてきてゐるから恨めない。

そんなわけで毎日疲れ切つてゐる。
世の中はいよいよきな臭くなつてきてゐるといふが、その証跡を調べる気力もない。

新型コロナウィルスに感染することがなくても、いづれ世の中はろくでもない方向に進むのかもしれない。
さう思ふと、タティングどころぢやないんだよなあ。

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Tuesday, 12 May 2020

タティングレースに向いてない?

さういへばタティングレースを洗ふといふことがほとんどない。

仕上げに水通しをするときに洗ふのだらうが、そのときもあまり洗剤は使はない気がする。
本来は手垢などで汚れてゐるだらうし、洗剤を使ふべきなのだらうが、見て汚れがなければそのままにしてしまふ。

唯一洗ふのは、極細毛糸で編んだスカーフだ。
これは首に巻くし、汗もかくので洗ふ。
さういや最近使つてないな、タティングレースのスカーフ。
新しいものを作りたいといふ気もするのだけれど、なかなか着手できずにゐる。

さう、スカーフを作るつもりでおなじ色のレース糸を何玉も買つてあるのだが、まつたく進捗してゐないとは以前も書いたとほりだ。
理想としては、モチーフを作りためておいて、外周を作りつつつなげていくものがいいと思つてゐる。
だが、なかなか「これ!」といふものに出会へない。
出会へないのなら自分で作ればいいのだが、さういふ才能が皆無なのだよねえ、残念ながら。
タティングレースの本は何冊もあるのになあ。

向かない?
さうなのかもしれない。

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Tuesday, 05 May 2020

フランケンシュタイン博士とわたくし

この連休中は、あちらこちらで見るものがたくさんあつてうれしい悲鳴をあげてゐた。

実際には連休前からか。
落語やオペラ、歌舞伎にミュージカル等々、動画配信がたくさんあつた。
全部を追ひかけることはできないながら、あれこれ見てみた。

今日は、英国は National Theatre の「フランケンシュタイン」を見た。
ミラー怪物版の方だ。
カンバーバッチ怪物版は、一昨々日、友人と示し合はせて見てゐた。
二度目のためか、前回よりもわかりやすかつたやうに思ふ。
みんな(主に博士)あんまり怒鳴らないからかな。

前回はところどころ話しながら見てゐたこともあつて、「ここでインゴルシュタットの話をしてゐたのか」とか「原罪について語つてゐたのか」とかいまさら気がついたこともあつた。

自分の中では「フランケンシュタイン」は、第三者が姉(確か)にあてて「こんな話を聞いたんですよ」といふやうな内容の手紙に書かれた物語だ。
メタなのだ。
でも今回見た「フランケンシュタイン」にはさうしたところがない。
もしかすると見た観客は「こんな芝居を見たんだよ」とよそで話をすることを求められてゐるのかもしれない。
そんなわけで、ちよつと書いてみた。

ところで、ミラー版を見ながらこんなものを作つてゐた。

連休中、片づけをしてゐる最中に藤戸禎子の本を発掘した、そこに掲載されてゐるショールのモチーフの一部だ。
ショールを作る気力はないので、ひとまづモチーフを作つてみやうと思つてゐる。
レース糸も、片づけの最中に発掘したDMCのコルドネ・スペシャル40番だ。
ものすごく久しぶりに使ふ糸だ。
やつぱり使ひやすいよね。
下手な人間はいい糸を使ふに限る。

フランケンシュタイン博士は神の領域に近づかんとして(といつていいのかな)、怪物を生み出すわけだが。
不器用な自分がかうしてレース作品などに挑むのはある意味神の領域に近づかんとする、神の領域を侵さうといふ行為に近い気がする。
分不相応なことをしてゐる感じがね。

とりあへずこのモチーフは仕上げるつもり。

連休中にできるかどうかはチトわからないが。

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