Tuesday, 15 August 2017

予備のシャトルを持ち歩く

予備のタティングシャトルを持ち歩いてゐる。

予備の、といふとをかしいか。
糸を巻いてあつて、なにかを作り始めることのできる状態にしたシャトルをがま口にしのばせてゐる。
さうして、なんだか手持ち無沙汰になつたときにタティングをする。
読書家が出かけるときにいま読んでゐる本を読み終はつたとき用に予備の本をも持ち歩いてゐるのと似たやうな状態かと思ふ。

それで「予備の」と書いたわけだが、「予備のタティングシャトル」といふと糸を巻いてゐないものを連想するかもしれないな、とも思ふ。
いま使つてゐるシャトルの糸が不意になくなつて、さういふときにぱつと糸を巻いて使へるシャトルを予備のシャトルといふのではあるまいか、とね。

出かけるのが苦手なのは、かういふところにあらはれるのかもしれないな。
とにかく出かけるのが苦手である。
徒歩三分と離れてゐないコンヴィニエンスストアに行くにも躊躇する。
ゆゑに無駄遣ひしなくて済んでゐる面があることも確かなんだけれどもね。

出かけたときに困るのは、なにもすることのない状態である。
車中はいい。
ぼんやりと車窓から外を眺めてゐるうちに目的地についてゐたりするからだ。
飯田に行くときがさうである。
ぼんやりと窓の外を流れていく山々や空、雲などを眺めてゐるうちに飯田に着く。
その間、眠つてしまふこともある。
それはそれでいい。
あまり時間の無駄をしたとも思はない。

問題は、待ち合はせの場所に早めについてしまつたときなどだ。
芝居や映画の開演時間までのあひだなども同様である。
最近ではスマートフォンを眺めるといふ手もある。
文庫本かKindleを大抵持ち歩いてもゐる。
さはさりながら、かういふときはタティングシャトルの出番だつたりもする。

また、車中でぼんやり車窓を眺めてゐるときなども、手はタティングをするといふのはありだ。

なんでこんなに手持ち無沙汰なことを厭ふのか。
もつとなにもせずにぼんやりできるやうになりたいものだ。

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Tuesday, 08 August 2017

Where I have never gone before

タティングレースのモチーフつなぎは、まち用のモチーフをつなぐところまでこぎつけた。
立体的になつてきたといふことでもある。

タティングレースで立体的なもの、かあ。
ミニチュアのトートバッグを作つたことがあるから二度めか。

立体的になつてくると、いよいよつなぎ方に注意が必要だ。
うつかり妙なところ同士をつないでしまつたら目も当てられない。
妙なところ同士をつないでしまつたときに目も当てられない状況になるのは平面的なものを作つてゐるときも同様だ。
でも平面的なものをつないでゐるときなら「うーん、これも、あり?」といふことにできることがある。
今回は箱型になるやうに作る予定なのでさうもいかないのだつた。

ここに来てまた進まない。
昼休みになると照明が落ちるからといふこともあるけれど、立体的につなぐことに本能が反抗してゐる。

もともと、タティングレースで立体的なものを作りたいとはあまり思はない。
ビー玉を包むやうに結ぶのはやつてみたいやうな気もするし、ビーズをあしらつたポーチのやうなものも作つてみたい気持ちはある。
でもポーチは平面と平面とをかさねたやうな形だしなあ。
今回のやうに底とまちとがあるやうなものをまさか自分が作るとは思つてゐなかつた。
だいたいできたとしても底もまちもよくわからないやうなものになるだらうしね。

そんなわけで、未知の領域に踏み出して、ちよつと恐れが先に立つてゐるのかもしれない。
モチーフつなぎ自体の終はりは見えてきている。
果敢にモチーフをつなぎつづけていきたい。

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Tuesday, 01 August 2017

手本のないかなしさ

こどものころ、筒井康隆の書く字にあこがれてゐた。
この話はここにも何度か書いてゐる

新潮社のハードカバーフェアのやうなものがあつて、その四六判だかA5だかのパンフレットの下3/1か4/1のところに、筒井康隆自筆の随筆が書かれてゐた。
その字がよくてなあ。

その後「大いなる助走」を手にして、表紙カヴァにこれまた筒井康隆自筆の原稿が用ゐられてゐてうなるのだつた。
装丁は山藤章二だつたかと思ふ。

まねしたわけですよ、当時は。
万年筆で書いた字を鉛筆でまねをするわけだからもちろんうまくはいかないわけだが、そこはもう雰囲気といふものだ。

ところで、字には基本といふものがある。
基本を身につけてしかるのちに自分流にするのはかまふまい。
本来はさういふものなのだと思ふ。

いまもむかしもやつがれは悪筆であつた。
そのの基本も身につけずにゐた状態で、他人の字をまねしたらどうなるか。

まあ、悲惨なことにしかならない。

でもいまでも思ふのだ。
筒井康隆の字、いいよなあ、と。

ひるがへつてタティングレースである。
タティングレースにもいろいろあつて、大きくわけると手のきつい人とゆるい人とがゐる。
きついといつても、ダブルスティッチも糸の引き加減もきつい人もゐれば、やつがれのやうにダブルスティッチはだいぶゆるいが糸の引き加減はややきつめといふ人もゐる。
どれをいいと思ふか、だ。

もちろん、きつすぎずゆるすぎず、丁度いいのが一番いいだらうとは思ふ。

でもさういふお手本に出会つたことがない。
「こんな風にタティングしてみたい」と思ふやうなお手本に、長いこと会へずにゐた。
ただ本を見て見やう見まねで結ぶ。
ずつとさうやつてきた。

タティングレースつて、案外さうやつて身につけた人が多いのぢやあるまいか。
イデアのない状態で学びつづけてゐる、といふかさ。

それはそれでいいのかもしれないし、つづけていくうちに「かうあるべきだ」といふ状態がわかつてくるのかもしれない。
でも、お手本があった方がいいし楽だつたよなあ。

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Tuesday, 25 July 2017

タティングレースで作りたいもの

タティングレースで作りたいものはなんだらう。

答へはわかつてゐる。
ショールのやうな大きいものが作りたい。
できれば糸は40番手かそれより細いものもしくは極細毛糸で、モチーフつなぎよりはブレイドといはうかエジングといはうかさういふ長いものをつないだものが作りたい。

わかつてゐるのになぜ作らないのか。

いま作つてゐる Mary Konior のデザインしたモチーフ Masquerade をひたすらつないでゐるものは、作りたいものの準備のつもりでゐた。
Masquerade はとても好きなモチーフで、これまでも何度か作つてゐる。
これをたくさんつないでショールが作れないか。
さう思つて、Lisbeth #40 を一玉使つてモチーフがいくつ作れるかを確認しやう。
さうしてはじまつたのがこのモチーフつなぎなのだつた。

モチーフをつないでゐるうちに、目的は忘れられ、「なんとかこのつないだものを形にしやう」としはじめたのがいけなかつたのかもしれない。
いまはモチーフを箱型になるやうにつないで小物入れのやうなものを作るつもりでゐる。
糸があまつたら、別にモチーフつなぎのちいさなドイリーでも作らうかと思つてゐる。
さうやつて、とりあへずは「一玉でモチーフをいくつ作れるか」を確認するつもりだ。

とはいふものの。
いま使つてゐるレース糸を全部使ひきつたあかつきに、また Masquerade をつなぎ続けるやうなものを作るのか。
それはないやうな気がしてゐる。
Masquerade は好きなモチーフだし、作つてゐても楽しい。
でも、そろそろなにか別なものを作りたいな。
さういふ気分なのだ。

なにかもつと小さいもので作りたいと思ふものがあるといいのだが。
ないんだよねえ。
タティングレースでは、イヤリングのやうなアクセサリーを作る人が多いと聞いてゐる。
自分もさういふものを作りたいと思へるやうならよかつたのだが、残念ながらあまり興味がない。
小さいものはすぐできてしまふので、いくつもいくつもおなじものを作ることになりがちだからだ。
いくつもいくつもおなじものを作ると、その始末に困る。
だからショールが作りたいと思ふのかもしれない。

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Tuesday, 18 July 2017

省エネルギー対策つて、ほんとに効果上がつてるの?

タティングレースのモチーフつなぎはあまり進んでゐない。
進んでゐない理由ははつきりしてゐる。
昼休み中、職場の照明が消へてしまふからだ。
省エネルギー対策なのださうである。

省エネルギー対策と称していろんなことが行はれてゐる。
冷房の設定温度を摂氏28度以上にするとか。
クールビズとやらいふドレス・コードであるとか。
ごみの分別とか。
いづれも施行されて長いことたつてゐると思ふのだが、毎年夏は暑くなつてゐる気がする。
下手をすると五月の連休のときから暑い。
省エネルギー対策なんて、全然きいてないんぢやないの?

もちろん、冷房の設定温度は28度以上などといふことをまつたく無視してゐる場合も多からうし、クールビスといつたつて客先を訪問するときはそれなりの恰好をしなければならない。
ゴミの分別だつて人間のすることだから間違へることもあらう。

それに、地球温暖化にしたつて長年にわたる二酸化炭素等の排出が原因なのだらうから、対策もまた何十年もかけないと結果が出ないものなのかもしれない、とも思ふ。

そんなわけでタティングレースは進んでゐない。
今日は久しぶりに明るいところでタティングできる予定だ。
先週あきらめた端糸の始末をしなくちや。
それで今日一日は終はりさうだな。

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Tuesday, 11 July 2017

タティングレースと水戸黄門と名前

タティングレースでパイナップル模様を再現したものを見たことがある。

パイナップル模様といふのはかぎ針編みのレースによくある模様だ。
パイナップルといふよりは松ぼつくりではなからうかと昔から思つてゐる。
好きな模様だ。
中には「レースに「パイナップル」なんてトロピカルな名前はふさはしくない」といふ向きもあるやうだが、なに「名がなんぢや。薔薇はなんといふ名で呼んでもいい香りがする」とシェイクスピアも書いたとほりである。
# とはいへ、薔薇を騾馬と呼んだらやはり香りは幾分か落ちる気はする。

かぎ針編みのパイナップル模様をタティングレースで再現する。
興味はある。
見たところ、ちやんとパイナップル模様だ。
だが待てよ。
タティングレースでパイナップル模様を、やつがれはほんたうに作りたいと思つてゐるのだらうか。

あみものでいへば、棒針編みの縄編み模様をかぎ針編みでそれらしく見せる編み方がある。
編んでみては、「うーん、だつたら棒針編みにすればいいのでは?」と思つてしまふ。
本邦では棒針編みもかぎ針編みもひとしく「あみもの」なのでそれほどでもないが、米国では knitting と crochet とははつきりと違つたものと認識されてゐるやうだ。
Elizabeth Zimmermann は「棒針編みでできることはなんでも棒針編みでする」と豪語してゐたし、Wendy D. Johnson は人に棒針編みとかぎ針編みとの違ひを説明して「だから棒針編みの方がすぐれてゐる」と結んだといふ話を blog に書いてゐたやうに記憶するし、とあるかぎ針編みミステリでは棒針編みをする人とかぎ針編みをする人とが「そつちの編み方ぢやあこんなものは作れないだらう」と張り合ふ場面があつた。

別の名前を持つといふことは、それだけで紛争の火種になるのだなあ。
と思つたわけではなく、話は「水戸黄門」である。

武田鉄矢といふ人が水戸光圀を演じるといふ噂をすこし前に聞いて「ご冗談でせう、ファインマンさん」と思つたことであつたが、全然ご冗談ではなかつたのらしい。
しかもよりにもよつて(と一部では云つてゐる)東野英治郎が主演だつたTVドラマの第三部をリメイクするのだといふ。
え、ちよつと待つて、第三部つて、あの、成田三樹夫が出て来るアレかい?
といふわけで、成田三樹夫が演じた役もほかの誰かが演じるのらしい。

第三部にはリアルタイムでは間に合つてはゐない。
日のあるうちに見てゐた記憶があるからあれは再放送だつたらう。
山形勲の柳沢吉保がいいことはリアルタイムで見てゐた第何部かでよくわかつてゐた。
山形勲の柳沢吉保。
あこがれの悪のインテリをぢさま第二号である。
第一号は山村聰の役はなんだか忘れたがやはり時代劇のおえらいさんだつた。が、今回は関係のない話である。

配役を見て「……なんか違ふものなんだらうな」としみじみ思つた。
津田寛治の風車の弥七だけはちよつと見てみたい気はする。
中谷一郎は悪役をよくする俳優だつた。
やつがれにとつてはじめての中谷一郎は風車の弥七だつたので、あとづけの知識である。
後年、古い映画やTVドラマで悪役の中谷一郎を見るにつけ「いいぢやん、中谷一郎」と思つた。
さう、別に風車の弥七はそれほど好きではなかつた。
悪ぢやなかつたからだらうな。
でも中谷一郎演じる悪役を見たあと見ると、弥七も悪かない。

中谷一郎の風車の弥七のなにがいいかといふと、あんなにデッカいのに忍び、といふところである。
おそらく忍びといふのは、あまり躰は大きくない方がいい。
その方が忍びやすいし、人混みにもまぎれやすからう。
なのに中谷一郎はデカい。
なのに忍び。
しかも一流。
ひよつとすると時代劇最強。
いいぢやあないか。

津田寛治はそんなに大きくはないとは思ふが、悪い人の役もよくやる。
いま放映されてゐる朝の連続テレビ小説ではいい人だけどさ。
内藤剛志もさうだつたか。
大きくはないけれど、悪もよくする俳優の弥七といふのはいいんぢやないかなあ。

といふわけで、話がだんだんそれてきたが、つまり、だ。
名前はおなじでも全然別もの、といふのは存在する。
名前がおなじで、すでにあるものと同様にしやうとしたものでも、やつぱり違ふ。

おなじだと云ひ張りたい人がゐるのもわかる。
「こつちの方が断然いいものなのだ」と主張したい。
さういふことつてあるよね。
あるけど、いいんぢやないかな、別ものつてことで。

名前をつけるといふことはかくもめんどうを呼ぶことなのか。
タティングのパイナップル模様は、やつぱりやらない気がする。

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Tuesday, 04 July 2017

好きなことでも予定をたてる

タティングレースはちまちまとではあるが進んでゐる。
昼休みにすると決めてゐるからだ。

好きなことや趣味でも「いつどれだけやる」と決めないとなにも進まないといふことだらう。

「だらう」と書いてしまふくらゐなので、この考へ方には違和感を覚えてゐる。
好きなことは好きなときに好きなだけしたい。

しかし、「好きなときに」「好きなだけ」はむつかしい。
電車の中でいきなり「いま編みたい! どうしても編みたい!」と思つてもムリな話だし、仕事で打ち合はせ中のときも同様だ。

休みの日もさうで、諸々のことをこなしてからでないとできない。
諸々のことは無視して編むこともある。
さういふときはうしろめたい気分になるものだ。
なっても「人生短いんだから、好きなことをした方がいい」などと云ひ訳をするわけだけれどもね。

昨日、編んでゐるネクタイが進まないと書いた。
ネクタイは家で気が向いたときに編んでゐる。
先週は全然編む気にならなかつた。
主な原因は寝不足である、とは昨日も書いた。
家に帰ると眠くてだるくてなにもする気にならない。
ゆゑにあみものを手に取ることはなかつた。

職場の昼休みといふのはどうだらう。
職場でも眠くてだるいことにはかはりない。
だらだらしてもいいけれど、昼食をとつた直後といふのは案外眠くないものだ。
眠くなつてくるのは三十分くらゐたつて後のことだつたりする。
手持ち無沙汰も手伝つて、ちまちまと結んでしまふわけだ。
進み具合はあまりよくないけれど、でも日々やつてゐるからいつのまにか進んでゐる。

あみものも「帰宅後、食事をすませたらする」といふことに決めればいいのかもしれない。
決めたところで、好きなことなんだからしたくないわけぢやない。
予定をたてるといふと、やりたくないことについて「やらなきや」といふのですること、といふ感じがしてしまふ。
実際には旅行の予定をたてるなど、好ましいことについてもするのだが、だいたい予定をたてるのつて仕事上のことだつたりして、必ずしもしたいことの予定ではない方が多い気がするんだよなあ。
仕事が好きといふ人にはわからないだらうけれど。

好きなことなので、予定をたてるとしても「いつやる」くらゐだ。
なにをやるか、どこまでやるかは定めない。
そんな感じでやつていかうかなあ、と、日記には書いておかう。

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Tuesday, 27 June 2017

楽しいからいいかなつて

昨日、ネクタイを編んでゐる話を書いた。
考へてみたら、去年のいまごろタティングレースのネクタイを作つてゐたことを思ひ出した。

Tatted Necktie

Jan Stawaszのデザインで、両端がモチーフつなぎのひし形になつたものだ。
作つたら満足してしまつて、整形したあとはしまひこんだままである。

無駄ではないのか。
作つておいて使ふこともなくしまひこんだままだなんて、作つた甲斐がないのぢやあるまいか。
自分でもさう思はないでもない。
でも作つてゐるあひだ楽しかつたからいいのだ。
作るのが楽しくて作る。
さういうのもあつてもいい。

いま作つてゐるタティングレースのモチーフつなぎも袋状に仕立てることは決まつてゐるけれど、実用的なものになるかどうかはわからない。
まだ内袋もどうするか決めてゐない。

今回作らうとしてゐる形はやつがれにとつてタティングレースでは作つたことのないものだ。
そこがちよつと楽しい。
できあがつてみたら「こんなの使へないよ」といふものになる可能性は高いが、そのときはそのときだ。

といふ感じで今日もせつせと結びつづけるのであつた。

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Tuesday, 20 June 2017

佐賀錦の持ち腐れ

手持ちの糸の中に佐賀錦がある。
黒が二巻、perwinkle と呼びたいやうな淡い紫が一巻の合計三巻だ。
黒の一巻にはビーズをとほしてタティングレースのブレスレットのやうなものを作つてゐる途中だ。
Jan Stawasz のデザインで、もとはチョーカーになつてゐる。
これをブレスレットにしやうと思つたんだな。
はじめたのが三年前で、そのまま止まつてゐる。

とまつてゐる所以は、自分でも定かではない。
もともとは旅行中の暇つぶしにと思つてはじめたものだつた。
旅行中もちよこちよこ結んではゐたのだが、なにぶんイヴェントももりだくさんであまり進まなかつた。
帰つてきてからつづければよかつたものの、そのままになつてゐた。

先日、糸の確認などをしてゐてその存在に気がついた。

ビーズはTOHOのスリーカットビーズで色は黒だ。
黒い糸にビーズを通すと糸の色がビーズにうつつてビーズの色がちよつと濁ることがある。
マットなビーズでもさうなることがあるので注意が必要だ。
でも黒なら大丈夫。
黒い糸には黒いビーズがよく似合ふ。

さう思ふのだが、なかなかつづける気にならないのはなぜなのか。
作りはじめたものは、一気に作らねばならないといふことか。
でも、あみものについては、夏物や冬物は季節がすぎてしまつたら次の季節まで持ち越して、ちやんと完成させてゐる。
この場合は季節がすぎてしまつたからといふ理由ではない、といふのが問題なのかもしれない。

紫色の糸はどうするかねえ。
一巻だとどれくらゐのものが作れるのだらうか。
あまり糸を消費しないやうなデザインならスカーフのひとつも作れるかな。

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Tuesday, 13 June 2017

糸の在庫

タティングレースのモチーフつなぎは24枚目をつなぎ終へて、これから25枚目に入るところだ。

近頃はレース糸も増やしてゐない。
オリムパスのタティングレース用の糸をためしに買つたくらゐだ。
買はなくなつた理由はなにか。
すでに手持にたくさんあるから、といふのがひとつ。
でもそれまでだつてたくさんレース糸を持つてゐても買つてゐたのだ。
買はなくなつた理由その二は、行動半径内にレース糸を買へる店がなくなつてしまつたから、だ。
行動半径がせまくなつた、といふこともある。
以前は蒲田のユザワヤなどにしげく訪れてゐたけれど、ここのところさつぱりご無沙汰してゐる。
行動半径の狭くなつた所以は、体力がなくなつたからだな。
以前だつたら蒲田または吉祥寺のユザワヤの閉店前に間に合ふやうにはりきつて職場を抜け出たものだつたが、最近はさういふやる気がない。
また、行き着けの手芸屋が次々と店じまひしてしまつたといふこともある。
なんだかんだいつて、最寄りの手芸屋が頼りになるんだよなあ。

すでにたくさんレース糸を持つてゐるのだから、買う必要はないぢやないか。
もつともな意見だ。
しかし、「かういふものが作りたい」と思つたときに、手持の糸では作れないことがある。
もちろん、糸を買つたときは「かういふものを作らう」と思つて買つてゐるわけだが、すでに放置して久しい。
いま作りたいものはそれとは違ふもの。
贅沢すぎる、わがままだ、と云はれやうとさう思つてしまふのだから仕方がない。
それに、糸はそのときに買つておかないとあとで出会へないこともあるからなあ。

Ravelry に、手元に毛糸をためることがない、といふ人がゐてちよつと驚いたことがある。
一つ編んだら次に編みたいものの毛糸を買つて編む。編み終はつたらまた次に編むものの毛糸を買ふ、といふやうにしてゐるといふのだ。
理想だよなあ。
自分もさうしたい。
でもそれには毛糸や糸を持ち過ぎてゐる。

タティングレースのモチーフつなぎが終はつたら、と、ここにも何度か書いてゐる。
栞のやうなものを作らうか、とか。
糸の在庫を見てゐたら佐賀錦があつたので、それでスカーフのやうなものでも作つてみやうか、とも思つてゐる。
いづれにしても、手持の糸でなんとかすることを考へないと、な。

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