Tuesday, 18 July 2017

省エネルギー対策つて、ほんとに効果上がつてるの?

タティングレースのモチーフつなぎはあまり進んでゐない。
進んでゐない理由ははつきりしてゐる。
昼休み中、職場の照明が消へてしまふからだ。
省エネルギー対策なのださうである。

省エネルギー対策と称していろんなことが行はれてゐる。
冷房の設定温度を摂氏28度以上にするとか。
クールビズとやらいふドレス・コードであるとか。
ごみの分別とか。
いづれも施行されて長いことたつてゐると思ふのだが、毎年夏は暑くなつてゐる気がする。
下手をすると五月の連休のときから暑い。
省エネルギー対策なんて、全然きいてないんぢやないの?

もちろん、冷房の設定温度は28度以上などといふことをまつたく無視してゐる場合も多からうし、クールビスといつたつて客先を訪問するときはそれなりの恰好をしなければならない。
ゴミの分別だつて人間のすることだから間違へることもあらう。

それに、地球温暖化にしたつて長年にわたる二酸化炭素等の排出が原因なのだらうから、対策もまた何十年もかけないと結果が出ないものなのかもしれない、とも思ふ。

そんなわけでタティングレースは進んでゐない。
今日は久しぶりに明るいところでタティングできる予定だ。
先週あきらめた端糸の始末をしなくちや。
それで今日一日は終はりさうだな。

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Tuesday, 11 July 2017

タティングレースと水戸黄門と名前

タティングレースでパイナップル模様を再現したものを見たことがある。

パイナップル模様といふのはかぎ針編みのレースによくある模様だ。
パイナップルといふよりは松ぼつくりではなからうかと昔から思つてゐる。
好きな模様だ。
中には「レースに「パイナップル」なんてトロピカルな名前はふさはしくない」といふ向きもあるやうだが、なに「名がなんぢや。薔薇はなんといふ名で呼んでもいい香りがする」とシェイクスピアも書いたとほりである。
# とはいへ、薔薇を騾馬と呼んだらやはり香りは幾分か落ちる気はする。

かぎ針編みのパイナップル模様をタティングレースで再現する。
興味はある。
見たところ、ちやんとパイナップル模様だ。
だが待てよ。
タティングレースでパイナップル模様を、やつがれはほんたうに作りたいと思つてゐるのだらうか。

あみものでいへば、棒針編みの縄編み模様をかぎ針編みでそれらしく見せる編み方がある。
編んでみては、「うーん、だつたら棒針編みにすればいいのでは?」と思つてしまふ。
本邦では棒針編みもかぎ針編みもひとしく「あみもの」なのでそれほどでもないが、米国では knitting と crochet とははつきりと違つたものと認識されてゐるやうだ。
Elizabeth Zimmermann は「棒針編みでできることはなんでも棒針編みでする」と豪語してゐたし、Wendy D. Johnson は人に棒針編みとかぎ針編みとの違ひを説明して「だから棒針編みの方がすぐれてゐる」と結んだといふ話を blog に書いてゐたやうに記憶するし、とあるかぎ針編みミステリでは棒針編みをする人とかぎ針編みをする人とが「そつちの編み方ぢやあこんなものは作れないだらう」と張り合ふ場面があつた。

別の名前を持つといふことは、それだけで紛争の火種になるのだなあ。
と思つたわけではなく、話は「水戸黄門」である。

武田鉄矢といふ人が水戸光圀を演じるといふ噂をすこし前に聞いて「ご冗談でせう、ファインマンさん」と思つたことであつたが、全然ご冗談ではなかつたのらしい。
しかもよりにもよつて(と一部では云つてゐる)東野英治郎が主演だつたTVドラマの第三部をリメイクするのだといふ。
え、ちよつと待つて、第三部つて、あの、成田三樹夫が出て来るアレかい?
といふわけで、成田三樹夫が演じた役もほかの誰かが演じるのらしい。

第三部にはリアルタイムでは間に合つてはゐない。
日のあるうちに見てゐた記憶があるからあれは再放送だつたらう。
山形勲の柳沢吉保がいいことはリアルタイムで見てゐた第何部かでよくわかつてゐた。
山形勲の柳沢吉保。
あこがれの悪のインテリをぢさま第二号である。
第一号は山村聰の役はなんだか忘れたがやはり時代劇のおえらいさんだつた。が、今回は関係のない話である。

配役を見て「……なんか違ふものなんだらうな」としみじみ思つた。
津田寛治の風車の弥七だけはちよつと見てみたい気はする。
中谷一郎は悪役をよくする俳優だつた。
やつがれにとつてはじめての中谷一郎は風車の弥七だつたので、あとづけの知識である。
後年、古い映画やTVドラマで悪役の中谷一郎を見るにつけ「いいぢやん、中谷一郎」と思つた。
さう、別に風車の弥七はそれほど好きではなかつた。
悪ぢやなかつたからだらうな。
でも中谷一郎演じる悪役を見たあと見ると、弥七も悪かない。

中谷一郎の風車の弥七のなにがいいかといふと、あんなにデッカいのに忍び、といふところである。
おそらく忍びといふのは、あまり躰は大きくない方がいい。
その方が忍びやすいし、人混みにもまぎれやすからう。
なのに中谷一郎はデカい。
なのに忍び。
しかも一流。
ひよつとすると時代劇最強。
いいぢやあないか。

津田寛治はそんなに大きくはないとは思ふが、悪い人の役もよくやる。
いま放映されてゐる朝の連続テレビ小説ではいい人だけどさ。
内藤剛志もさうだつたか。
大きくはないけれど、悪もよくする俳優の弥七といふのはいいんぢやないかなあ。

といふわけで、話がだんだんそれてきたが、つまり、だ。
名前はおなじでも全然別もの、といふのは存在する。
名前がおなじで、すでにあるものと同様にしやうとしたものでも、やつぱり違ふ。

おなじだと云ひ張りたい人がゐるのもわかる。
「こつちの方が断然いいものなのだ」と主張したい。
さういふことつてあるよね。
あるけど、いいんぢやないかな、別ものつてことで。

名前をつけるといふことはかくもめんどうを呼ぶことなのか。
タティングのパイナップル模様は、やつぱりやらない気がする。

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Tuesday, 04 July 2017

好きなことでも予定をたてる

タティングレースはちまちまとではあるが進んでゐる。
昼休みにすると決めてゐるからだ。

好きなことや趣味でも「いつどれだけやる」と決めないとなにも進まないといふことだらう。

「だらう」と書いてしまふくらゐなので、この考へ方には違和感を覚えてゐる。
好きなことは好きなときに好きなだけしたい。

しかし、「好きなときに」「好きなだけ」はむつかしい。
電車の中でいきなり「いま編みたい! どうしても編みたい!」と思つてもムリな話だし、仕事で打ち合はせ中のときも同様だ。

休みの日もさうで、諸々のことをこなしてからでないとできない。
諸々のことは無視して編むこともある。
さういふときはうしろめたい気分になるものだ。
なっても「人生短いんだから、好きなことをした方がいい」などと云ひ訳をするわけだけれどもね。

昨日、編んでゐるネクタイが進まないと書いた。
ネクタイは家で気が向いたときに編んでゐる。
先週は全然編む気にならなかつた。
主な原因は寝不足である、とは昨日も書いた。
家に帰ると眠くてだるくてなにもする気にならない。
ゆゑにあみものを手に取ることはなかつた。

職場の昼休みといふのはどうだらう。
職場でも眠くてだるいことにはかはりない。
だらだらしてもいいけれど、昼食をとつた直後といふのは案外眠くないものだ。
眠くなつてくるのは三十分くらゐたつて後のことだつたりする。
手持ち無沙汰も手伝つて、ちまちまと結んでしまふわけだ。
進み具合はあまりよくないけれど、でも日々やつてゐるからいつのまにか進んでゐる。

あみものも「帰宅後、食事をすませたらする」といふことに決めればいいのかもしれない。
決めたところで、好きなことなんだからしたくないわけぢやない。
予定をたてるといふと、やりたくないことについて「やらなきや」といふのですること、といふ感じがしてしまふ。
実際には旅行の予定をたてるなど、好ましいことについてもするのだが、だいたい予定をたてるのつて仕事上のことだつたりして、必ずしもしたいことの予定ではない方が多い気がするんだよなあ。
仕事が好きといふ人にはわからないだらうけれど。

好きなことなので、予定をたてるとしても「いつやる」くらゐだ。
なにをやるか、どこまでやるかは定めない。
そんな感じでやつていかうかなあ、と、日記には書いておかう。

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Tuesday, 27 June 2017

楽しいからいいかなつて

昨日、ネクタイを編んでゐる話を書いた。
考へてみたら、去年のいまごろタティングレースのネクタイを作つてゐたことを思ひ出した。

Tatted Necktie

Jan Stawaszのデザインで、両端がモチーフつなぎのひし形になつたものだ。
作つたら満足してしまつて、整形したあとはしまひこんだままである。

無駄ではないのか。
作つておいて使ふこともなくしまひこんだままだなんて、作つた甲斐がないのぢやあるまいか。
自分でもさう思はないでもない。
でも作つてゐるあひだ楽しかつたからいいのだ。
作るのが楽しくて作る。
さういうのもあつてもいい。

いま作つてゐるタティングレースのモチーフつなぎも袋状に仕立てることは決まつてゐるけれど、実用的なものになるかどうかはわからない。
まだ内袋もどうするか決めてゐない。

今回作らうとしてゐる形はやつがれにとつてタティングレースでは作つたことのないものだ。
そこがちよつと楽しい。
できあがつてみたら「こんなの使へないよ」といふものになる可能性は高いが、そのときはそのときだ。

といふ感じで今日もせつせと結びつづけるのであつた。

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Tuesday, 20 June 2017

佐賀錦の持ち腐れ

手持ちの糸の中に佐賀錦がある。
黒が二巻、perwinkle と呼びたいやうな淡い紫が一巻の合計三巻だ。
黒の一巻にはビーズをとほしてタティングレースのブレスレットのやうなものを作つてゐる途中だ。
Jan Stawasz のデザインで、もとはチョーカーになつてゐる。
これをブレスレットにしやうと思つたんだな。
はじめたのが三年前で、そのまま止まつてゐる。

とまつてゐる所以は、自分でも定かではない。
もともとは旅行中の暇つぶしにと思つてはじめたものだつた。
旅行中もちよこちよこ結んではゐたのだが、なにぶんイヴェントももりだくさんであまり進まなかつた。
帰つてきてからつづければよかつたものの、そのままになつてゐた。

先日、糸の確認などをしてゐてその存在に気がついた。

ビーズはTOHOのスリーカットビーズで色は黒だ。
黒い糸にビーズを通すと糸の色がビーズにうつつてビーズの色がちよつと濁ることがある。
マットなビーズでもさうなることがあるので注意が必要だ。
でも黒なら大丈夫。
黒い糸には黒いビーズがよく似合ふ。

さう思ふのだが、なかなかつづける気にならないのはなぜなのか。
作りはじめたものは、一気に作らねばならないといふことか。
でも、あみものについては、夏物や冬物は季節がすぎてしまつたら次の季節まで持ち越して、ちやんと完成させてゐる。
この場合は季節がすぎてしまつたからといふ理由ではない、といふのが問題なのかもしれない。

紫色の糸はどうするかねえ。
一巻だとどれくらゐのものが作れるのだらうか。
あまり糸を消費しないやうなデザインならスカーフのひとつも作れるかな。

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Tuesday, 13 June 2017

糸の在庫

タティングレースのモチーフつなぎは24枚目をつなぎ終へて、これから25枚目に入るところだ。

近頃はレース糸も増やしてゐない。
オリムパスのタティングレース用の糸をためしに買つたくらゐだ。
買はなくなつた理由はなにか。
すでに手持にたくさんあるから、といふのがひとつ。
でもそれまでだつてたくさんレース糸を持つてゐても買つてゐたのだ。
買はなくなつた理由その二は、行動半径内にレース糸を買へる店がなくなつてしまつたから、だ。
行動半径がせまくなつた、といふこともある。
以前は蒲田のユザワヤなどにしげく訪れてゐたけれど、ここのところさつぱりご無沙汰してゐる。
行動半径の狭くなつた所以は、体力がなくなつたからだな。
以前だつたら蒲田または吉祥寺のユザワヤの閉店前に間に合ふやうにはりきつて職場を抜け出たものだつたが、最近はさういふやる気がない。
また、行き着けの手芸屋が次々と店じまひしてしまつたといふこともある。
なんだかんだいつて、最寄りの手芸屋が頼りになるんだよなあ。

すでにたくさんレース糸を持つてゐるのだから、買う必要はないぢやないか。
もつともな意見だ。
しかし、「かういふものが作りたい」と思つたときに、手持の糸では作れないことがある。
もちろん、糸を買つたときは「かういふものを作らう」と思つて買つてゐるわけだが、すでに放置して久しい。
いま作りたいものはそれとは違ふもの。
贅沢すぎる、わがままだ、と云はれやうとさう思つてしまふのだから仕方がない。
それに、糸はそのときに買つておかないとあとで出会へないこともあるからなあ。

Ravelry に、手元に毛糸をためることがない、といふ人がゐてちよつと驚いたことがある。
一つ編んだら次に編みたいものの毛糸を買つて編む。編み終はつたらまた次に編むものの毛糸を買ふ、といふやうにしてゐるといふのだ。
理想だよなあ。
自分もさうしたい。
でもそれには毛糸や糸を持ち過ぎてゐる。

タティングレースのモチーフつなぎが終はつたら、と、ここにも何度か書いてゐる。
栞のやうなものを作らうか、とか。
糸の在庫を見てゐたら佐賀錦があつたので、それでスカーフのやうなものでも作つてみやうか、とも思つてゐる。
いづれにしても、手持の糸でなんとかすることを考へないと、な。

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Tuesday, 06 June 2017

タティングレースで糸の使用量をみつもるには

タティングレースの Lisbeth #40 一巻使ひ切り作戦(時々名前が変はる作戦であつた)もだいぶ進んできた気がする。
糸が残り少なくなつてきたからだ。
あと Masquerade を8枚作るつもりなのだが、足りるだらうかと心配になつてくるほどだ。

だいたい、本来であれば使ひ切るまでモチーフを作りつづける必要はない。
タティングレースにはちやんと糸の使用量を割り出す方法がある。

まづ糸に何cmか置きに印をつける。
以前やつたときは10cm単位に印をつけて、50cmと1mとにちよつと色を変へて印をつけた。
印を付けるのにはチャコペンを使つたと記憶してゐる。
印を付けた糸をシャトルに巻いて、10スティッチのリングを5つ作る。10個でもいい。
50スティッチまたは100スティッチに使用した糸の長さが判明する。
50スティッチや100スティッチのリングやアーチをひとつ作ればいい、といふ話もあるけれど、おそらくリングひとつひとつに微妙に手加減が変はるので、それでいくつか作るのだらうと思つてゐる。
あとは作るモチーフなりなんなりのスティッチ数を数へて糸の量を割り出すのだ。
実際はピコがあつたりするし、リングとリングとのあひだに糸を渡すこともあるだらうからそこのところを考慮しないといけない。
でもこの方法は有効だと思ふ。
すくなくともやつがれには有効だつた。

ではなぜ今回それをしなかつたのか。
糸の色が濃くて、印を付けるのがむづかしかつたからだ。
いまはチャコペンを使つてゐないしね。
白いペンや色鉛筆でも持つてゐればよかつたのかもしれないけれど、残念ながら手持になかつた。
買へばよかつたのかなあ。
ま、いいか。

そんなわけで半年もかけてひたすら使ひきり作戦をつづけてゐるわけだ。
我ながらどうかしてゐると思ふが、まあ、趣味などといふものはそんなものだらう。

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Tuesday, 30 May 2017

細さへの挑戦 いまむかし

TwitterのTimeLineにビーズバッグに関するつぶやきがRTされてきた。
過去に作られたビーズバッグ用のビーズは現在製作されてをらず、貴重だ、といふ話だ。
同様にがま口といふか口金の部分もさうなのらしい。

三年前にスウェーデンに行つたとき、北方民族博物館でビーズ細工の展示をしてゐた。特別展だつたと記憶してゐる。
特小サイズとほぼおなじやうな大きさのビーズをふんだんに使つた装飾品がいくつもあつた。
装飾品を作つた人もすばらしいが、ビーズを作つた人もすごい。
こんなに小さなビーズをそれも大きさもそれなりにそろへた状態でどうやつて作つてゐたのだらう。
需要あるところに供給あり、といふことか。

北方民族博物館では、昔の織物や編物の展示もしてゐる。これは常設。
見ると、すくなくともレース糸の40番手くらゐの糸で作られたマクラメ作品があつたりする。あらためてマクラメはレースなんだなあと感心することしきりだ。
かういふ需要もあつたといふことなんだらう。

アイルランド風のかぎ針編みにも、かつてはものすごく細い糸で編んだものがあつたといふ話を聞く。
いまでは到底編めない、といふ話も。
かつてはさういふ需要があつて、大変な技巧を持つ職人がゐたわけだ。

現在ものすごく細い糸で編んだり結んだりするのは、申し訳ないが酔狂の域の話だと思つてゐる。
さういふ糸で作つたものがほしいといふわけではない。
細さへの挑戦、己が技巧の証明。
そんな感じがする。

それが悪いといふのではない。
むかしといまとでは動機が違ふ、といふだけのことだ。
細さに挑戦できるのなら、やつがれだつてしてみたいよ。
だが残念ながらそんな技巧はないし、今日も Lisbeth #40 を結びながら「Lisbeth は #20 が一番だよねー」などと思つたりするのである。

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Tuesday, 23 May 2017

Mindless Tatting

タティングレースのモチーフつなぎは現在23枚めをつないでゐるところだ。

タティングレースについてはまづはこのモチーフつなぎをなんとかしやうと思つてゐる。
Lisbeth #40 1玉で Mary Konior の Masquerade といふモチーフを何枚作れるか、といふ experiment なので、正確に云ふと糸を使ひ切るところまでやつてみるつもりだ。

ところで、この土日にあみものをしてゐて、手が機械的に動く感覚がとてもこころよかつた。
ひたすらメリヤス編みをするあひだなにも考へなくても動く手の感覚に「久しぶりだなあ」と思ふと同時に、自分の意思と関係なく動いてゐるやうな感じに脳内麻薬の出る思ひがした。
世に Mindless Knitting といふそれだ。

あみものにしてもタティングレースにしても、基本的にはつねに作つてゐるものに注意をしてゐる状態だと思ふ。
手加減はどうだとか糸の張り具合は適切かとか、目が乱れてないかとか次の模様はどこに入れるのか、だとか。
でもそれを超えてとにかく手が動く、といふことがある。
土日のメリヤス編みがまさにそれだつた。
無になつてひたすら編んでゐる感じ。
悪くない。

タティングレースはどうだらうか。
メリヤス編みのみの mindless な境地に達することができるのか。
うーん、やつがれにはできてゐないやうに思ふ。
タティングは何目に一度ピコを作るとか何目に一度別のピコとつなぐとか、結構しよつ中やることがある。
なかなか mindless といふわけにはいかない。

いかないけれど、ここのところのやうにひたすらひとつのモチーフを作りつづけてゐるとときになにも考へてゐないことに気づくことがある。
さういふときはつなぐところなどを間違へてゐることが多いので注意が必要だ。

シャトルを動かす手については、でも結構 mindless かな。
一目一目に糸の引き具合とか気にしないし。
#だからダメなのか。
タティングシャトルを操る手の動きといふのは実に楽しいものだ。

Mindless Knitting といふことばには、ちよつと揶揄するやうな響きがある。
編み図と首つぴきで編むやうな大作を編んでゐるわけぢやないんですよ、といふやうなね。
でもこのなんにも考へない感じ、一種 zone に入つてしまつたやうな感じがいいと思ふんだよねえ。
タティングもスティッチとピコとのパターンを覚えてしまつてなにも見ずに作れるやうになつたあたりからが楽しい。

まあ、やうするに、今後もつづける、といふことだな。

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Tuesday, 16 May 2017

断捨離のビーズタティング

去年のいまごろ、ビーズタティングをしてゐたやうだ。

タティングレースをしてゐると、ときに狂ほしくビーズを使つてタティングしたくなるときがある。
あみものもビーズを入れるのはちよつと楽しい。
かぎ針編みだとがま口なんか作つたなあ。
方眼編みの巾着の長編み部分にビーズを入れたこともあつた。
棒針編みでもリストウォーマとかネックウォーマとか作つたことがある。ネックウォーマの方はローワンのキッドシルクヘイズにスワロフスキーのビーズを通すといふなんだか贅沢なものだ。

あみものやタティングレースにビーズを取り入れるのはとてもいい。
毛糸だとビーズを通して移動させてゐるときに糸がすりきれさうな心配があるが、綿などのレース糸ならその心配もあまりない。
そんなわけで我が家には一生かかつても使ひきれないだらう量のビーズがある。

毛糸同様、ビーズも「かういふものを作らう」と思つて買へばいいのだが、「きれいだから」とか「なかなか見ないビーズだから」といふので買つてしまつて収拾がつかなくなつてゐる。
買ふときには考へる。
このビーズでこんなものを作つたらどうか、とか。
でもさういふときのイメージは曖昧なものが多く、結局買つてそのままになつてしまふ。

萩尾望都も書いてゐたよね、「新作のビーズはとにかくほしくなる」とか。

糸もビーズもふんだんにあるのだから、あみものやタティングレースにどんどんビーズを取り入れたらいいのだが。
さうならなのは、なにを作つたものやら思ひうかばないからだ。
デザインする能力に乏しいんだよね。
勢ひすでにある作品を参考にすることになる。
このときに「これが作りたい!」といふ作品になかなか出会へない。
それまでは「これが作つてみたいなー」と漠然と考へてゐるのだが、いざ作る段になると「それほど作りたいわけでもないなー」に変はることもしばしばだ。
また、ビーズタティングの作品には大仰なものが多く、「作りたいのはこれぢやない」と思つたりもする。

ビーズタティングは気力の充実してゐるときでないと始められない。
糸にビーズを通すのに根気がゐるからだ。
デザインにしたがつて順番にビーズを入れる場合はなほさらだ。
「んー、今日は気力が満ちてゐない」といつて、ビーズタティングをあきらめることもある。

糸にビーズさへとほしてしまへば、あとはシャトルに糸を巻いてタティングをはじめるだけなのだが。
なかなかそこにたどりつかない。
かくして糸もビーズも減らないといふ次第だ。

ものを片づけるためにもビーズタティングをはじめるかなあ。

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