Tuesday, 16 July 2019

Bullet Journal とタティングレース

三年前に Bullet Journal をはじめた。
最初はミドリのMDノートの新書サイズを使つてゐた。
次にバイブルサイズのシステム手帳を二年半くらゐ使つた。
今年の一月からLEUCHTTRUM1917のA5サイズを使つてゐて現在に至る。
そろそろページも尽きかけてゐて、次のノートに移るころだ。
次はロルバーンのB6サイズ相当のノートと決めてゐる。

ロルバーンのB6サイズにする理由は、A5サイズの手帳は持ち歩くのに不便だからだ。
手帳は常に持ち歩きたい。
A5だとかばんにうまくおさまらならいことがある。
でもあるていどの大きさはほしい。
さう考へるとB6サイズが妥協点な気がしてゐる。
ほんとは Moleskine のポケットサイズくらゐがいいんだけど、Bullet Journal に使ふにはちよつと小さい気がするんだよね。
測量野帳も気に入つてゐるけれど、こちらはページ数が少ない。

といふわけで、ロルバーンにすることにしたのだが、ここにひとつ問題がある。
ロルバーンには栞がついてゐない。

MDノートには一本だが栞がついてゐた。
システム手帳は財力さへあれば好きなだけ栞用のリフィルを足すことができる。
LEUCHTTRUM1917には二本栞がついてゐる。
ロルバーンにはない。

さてどうしたものか、といつたときに思ひつくのが「さうだ、タティングレースの栞を作らう」なのは、まあ誰でも予想のつくことかと思ふ。

問題は、ロルバーンに固定された栞ではないといふことだ。
ページを開ければ栞は手帳からはなれた場所におく必要がある。
これだとなくしてしまふのではあるまいか。
なくしたらまた作ればいい?
ごもつともではある。

ロルバーンはスパイラル綴じのノートだ。
ピコをスバイラルに通すやうにしたらどうだらう。
さうしたら栞を固定できるのでは?

といふわけで、その路線でひとつかふたつ作つてみやうと思つてゐる。
どの栞にしやうかなあ。

と、考へてゐるときが一番楽しい。

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Tuesday, 09 July 2019

縄を結んで文字にはしたのに

糸や縄を結ぶことは太古の昔からあつて、結縄文字や結縄数字なんてなものもあつて、日本にもあつたといふのは歴史の授業でちよこつと出てきたりする話だ。


手芸でいふとマクラメが糸を結んで作るもので、本邦ではプラントハンガーやベルトなど縄に近いやうな太い糸を結んで作るものがよく知られてゐるけれど、北方民族博物館などにいくと、40番手やひよつとするともつと細いやうなレース糸で作られたマクラメ作品が展示されてゐたりする。
マクラメは、ヨーロッパに渡つたものはアラビアにはじまつたとされてゐる。
また、中南米でも独自の発展をしたものもある。ミサンガなんかはそれなんではあるまいか。
タティングレースも古代エジプトにまでさかのぼれるとWikipediaにはある。

なんで日本では発展しなかつたんだらうかな。
結んで字や数字にするところまで来ながら、なぜその先には進まなかつたのだらう。
日本ではレース編みといふものも発展しなかった。
似たやうなものでいふと、漁に使ふ網くらゐだらうか。
網を作つたのなら、その先に行つてもいいのに。結縄文字・結縄数字はわりと同時多発的といはうか、伝播したわけではないけれど異なる地域で似たやうなことが行はれてゐたやうだといふのに。

刺繍は発展したのになあ。
てなことは、すでに誰かが研究してゐるやうにも思ふ。

機会があつたら探つてみるか。

 

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Tuesday, 02 July 2019

商売・売買

藤戸禎子と盛本知子の合同タティングレース展示会に行つたときのことだ。
時折レース作品を指さして「これほしいんですけどおいくらくらゐするものでせう」などと訊ねる客がゐる。
するとおそらく盛本知子だと思ふが、「お売りしてはゐないんですよ。母は「是非ご自身でお作りになつて」と云ふんです」といふ旨のことを答へてゐた。

さう。
おそらくそれが正しい。
手芸作品といふものは、売るものではないのだ。
なぜといつて、こちらが提示した額を相手が「諾」と云ふことはなかなかないだらうからだ。

金額を提示されたら客は云ふだらう。
「そんなにお高いの」と。

Twitterにたまにこんなつぶやきが流れてくる。
自分で作つたものをネット上で売つてゐると、「原価はこれこれなんだからこの売値は高すぎる」などと文句をつけてくる客がゐる、と。

価値のわからない人間には売れない。
価値がわかるがとうかネット上で判断するのはむつかしい。
フリーマーケットなどでもおなじやうな会話が交はされてゐるのだらうなあといふ気もする。

以前、リカちやんサイズの服を編んで売つたことがある。
はじめて売りに行つたとき、お隣の人に「それぢやあ安すぎる」と云はれた。
お隣の人はリカちやんやジェニーサイズの服をもう長いこと売つてゐるヴェテランで、固定客もかなり多かつた。
お隣の商品もさほど高いといふ感じではなかつたが、「安すぎると周りも迷惑」といふことはわかつた気がする。

その後、もう一度売りに行つて、それつきりになつてゐる。
たまにスーパードルフィーサイズの一点ものを自分の家にゐる子のためだけに作るのがせいぜいな感じだ。
タティングレースのドイリーなど作つて頭にかぶせたりするといい感じだつたりするんだよね。

たぶん、自分は自分の作つたものを売るのに向いてゐない。
そんなにいいものができるわけぢやないし。
商売つて、なんかむつかしい気がする。

それは逃げではないのか、とも思ふが、君子危ふきに近寄らず、とも云ふのだつた。

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Tuesday, 25 June 2019

タティングシャトルをよくなくす

よくものをなくす人がゐる。
さうでない人にはおそらく理解できないと思ふが、さういふことはある。

Yarn Harlot aka Stephanie Pearl-McPheeはテープメジャーをよくなくすと書いてゐたやうに記憶する。
「えー、テープメジャー?」と思つてゐたら、先日テープメジャーが見つからないといふ事態に陥つた。
幸ひなことにすぐに出てきたけれど、それ以来テープメジャーといふものはなくなるものであると認識するやうになつた。
ちなみに、いつもは右側の手芸用具入れに入れてゐたのに何かのはづみで左側に入れてゐたのが敗因だつた。

自分がよくなくすものはなんだらう。
いろいろ考へてみたが、もしかするとタティングシャトルかもしれない。
クロバーの鼈甲風タティングシャトル(いまではさうは云はないのかもしれないが)は、いくつ買つたかわからないくらゐだが、どうも手元にはそれほどない気がする。

どこに消へたのだらう。
おなじクロバーの色付きのシャトルはそんなことないんだけどな。
色付きで五つセットで売られてゐるシャトルはいままで三セット買つたことがあつて、いづれも行き先はわかつてゐる。
二セットめは色が増えたから買つて、三セットめはその前に遣つてゐたシャトルの角が豪快におれてしまつたりして遣ひづらくなつたから買つた。

それと、木製のものとかちよつと特殊なタティングシャトルはなくしてはゐない。
一時なくしたかと思つて青くなつたこともあるが、ちやんと出てきた。

といふことは、クロバーの鼈甲風シャトルに限つてなくしやすいといふことだ。
なぜだらう。
タティングをしはじめたはいいものの、途中で挫折してそのまま忘却の彼方に行つてしまつたのだらうか。
多分さうなんだらうな。

鼈甲風シャトルは二つセットになつてゐて、片方に金、もう片方には銀のシールが貼つてあつて、二つ遣ひがしやすいんだよね。
あと当時出てゐた五色のシャトルは色があまり好きではなかつた。
でもシャトルを四つ一度に遣ふ作品を作つてみたくて買つた。
つまり、あまり積極的に遣ひたいタイプのシャトルぢやあないといふことだ。

さう考へると、鼈甲風シャトルは手に入れやすくて遣つてゐてもちよつと嬉しいし、そんなんでつひ買つては遣つてゐるうちにどこかに行つてしまふ、とか、さういふ感じなのかなあ。
なにしろどこかに失せるメカニズムがわからないのでどうしやうもない。

いづれにせよ、お道具はもつと大切にしなければ。

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Tuesday, 18 June 2019

いつかルノワールの絵の前で

タティングはモバイルに向いてゐる。
Nina Libin も「ノマド向き」といふやうなことを書いてゐた。
糸にビーズを通してシャトルに巻き付ければ持つて出かけてタティングすることができる。
そんな内容だつたと思ふ。

Medium にも「飛行機でタティングをしてゐると「それはなに?」と声をかけられる」といふやうなことを書いてゐる人がゐる。
この人はフィラデルフィア美術館でルノワールの「タティングする少女」の絵の前でタティングシャトルを手に絵の中の少女とおなじポーズをして写真を撮つてもゐる。

ボビンレースとかだとかうはいかないよなあ。

そんなわけで、タティングはすつかりモバイル手芸となつているわけだが、ときに「それでいいのか」と思ふこともある。
家で落ち着いた状況でするべきぢやあないのか。
さうしないときちんとしたものを作れないのでは。

つねに同じ状態で落ち着いてシャトルを遣ふ。
それではじめて成り立つものではあるまいか。
目の具合だとかピコの具合だとか、一定に作るのには精神的にも安定した状態が必要だ。

とは思ふのだが、でも、さうかなあとも思ふ。
あみものにしてもタティングにしても手の動きは機械的になるものだ。
ものはあまり考へない。
むしろ考へた方が失敗する。
さういふ状況さへたもてれば、どこでしやうとあまり関係ないのではないかなあ。

そんなわけで、今日もシャトルを持ち歩いてゐる。

フィラデルフィア美術館に覗きに行つたあかつきには、ルノワールの絵の前で写真を撮つて来ることにしたい。

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Tuesday, 11 June 2019

タティングレースをはじめたきつかけ

あみものをしたいと思つた理由は思ひ出せないが、タティングレースをしてみやうと思つたきつかけは覚えてゐる。

リカちやんやジェニーの服を編むことに夢中だつたころのことだ。
手芸店のレース編みのコーナーに行くと、出版されたばかりの藤重すみの「かわいいタッチングレース」が並んでゐた。
おそらく当時ちよつとばかり改訂されたクロバーの鼈甲風シャトルも目立つところに陳列されてゐた。

人形の服にレースをつけたい。
でも自分で編むと人形用にはごついものができてしまふ。
なにかいいものはないだらうか。

といふわけで、「かわいいタッチングレース」とタティングシャトル(当時風に云ふと「タッチングシャトル」)とを求めたのだつた。

店頭で本を見て、「これでは自分がほしいと思つてゐる人形用のレースは作れないかもしれない」と思つてはゐた。
理想のレースはもつと目のつんだものだ。
タティングレースは空間が大きい。
スカートの裾は飾れても着るものにはならない。
なつてもなにかしら下に着せる必要がある。

わかつてゐて、手を出した。

とにかく苦労したし、それなりにタティングができるやうになるには次の本である藤戸禎子の「華麗なるレース タッチングレース」を入手してからのことなのだが、こんなきつかけにしてははまつたねえ、タティングレースに。

細々といまでもつづけてゐるのだからよほど気に入つたのだらう。

なにがきつかけになるのか、わからないとはほんとのことだなあ。

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Tuesday, 04 June 2019

悪しき成果主義

かぎ針編みのヴェストをせつせと編んでゐるせゐだらうか、タティング熱は少々おさまつてゐる状況だ。

人の命は短い。
道半ばを過ぎた人間にはさらに短く感じられる。
さうしたときに、あみものもタティングレースもするといふのはどうだらうか。

ひとつにしぼるべきではないのか。
あみものかタティングレースか。
あみものにしても、棒針かかぎ針か。

なにがいいといつて、ひとつのことに時間がかけられるのがいい。
所詮短い人生だもの、あれもこれもと手を出すよりは、ひとつのことに打ち込んだ方が成果を得やすいのぢやあるまいか。
うまくもなるだらうしさ。

だがここで、「成果」について考へてしまふ。
自分はなにがしかの成果を得るためにあみものやタティングをしてゐるのだらうか。
それは、まあ、さうだらう。
作れば何かができる。
その何かが成果だ。

しかし、成果を得るためだけにあみものやタティングをしてゐるのかといふと、それもまた違ふ。
してゐて楽しいから。
だから編むしタティングもする。
さう考へると、成果を得やすいといふのは、することをひとつにしぼる理由にはならない。

でもつひ、成果でものを考へてしまふんだよなあ。
悪しき会社人の習性だ。

楽しいといふことでいふと、棒針編みには棒針編みの、かぎ針編みにはかぎ針編みの、タティングにはタティングの楽しみがある。

さう考へると、「やつぱりどれもちよこちよこやつていかうかなあ」と思つてしまふのだつた。

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Tuesday, 28 May 2019

独学の限界

藤戸禎子の「華麗なるレース タッチングレース(復刻版は「タティングレース」かもしれない)」に掲載されてゐる初心者向きのドイリーをちまちま作つてゐる。

作つてどうするといふあてはまつたくない。
ドイリーつてさういふものぢやないかな。
作つたあと「かうする」といふ目的をもつてドイリーを作ることはまづない。
「これが作りたい!」といふ気持ちだけで作る。
それがドイリーだと思つてゐる。

たぶん、サイズとしても丁度いいんだな、ドイリーは。
大きすぎず、小さすぎず、しかもレースつぽい。

さう、レース編みといつたらドイリーだ。

数をこなすといふ意味では、ドイリーくらゐの大きさのものをいくつも作るのがいいやうな気もする。

今回のドイリーは小さいモチーフをいくつもつないだもので、むつかしい技術は遣はない。
本当に初心者向けだと思ふ。
なのにうまくできない。

もうちよつと気を遣つて作れよ、と思ふが、どうもうまくいかないんだよなあ。
かういふのつて習ひに行つたらうまくできるやうになつたりするのか知らん。
うまくできるコツを教へてもらへる、とか?

しかし前世紀からやつてきてこれなんだから、いまさらといふ気もするな。

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Tuesday, 21 May 2019

技術が自分か

「絵がうまくなりたいのか」「絵のうまい自分になりたいのか」といふ呟きが、先日TLに流れてきた。

前者ならいいけど、後者はね、といふ呟きだつた。

自分はどちらなんだらう。
「あみもの/タティングがうまくなりたい」のか。
「あみもの/タティングのうまい自分になりたい」のか。

なんとなく後者な気がするんだよなあ。
ヤバい。

ここにも何度も書いてきたやうに、これまで生きてきて自分より不器用な人間を見かけたことがない。
こどものころから親にも教師にもずつと「不器用だ」と云はれつづけてきて、自分でもさうだな、と思ふ。

あみものとタティングとは、もう長いことやつてきてゐることもあつて、人並みにはできるんぢやないかと思つてはゐるが。
問題は、周囲にあみものやタティングをする人がゐないので比較対象が存在しない。
ゆゑにできてゐると思ふことに根拠は存在しない。

「比較対象」とか云つてゐる時点でダメだ。

たぶん、うまく編めるとかうまく結べるといふことは、他人との比較ではない。
以前よりうまく編めるとか前よりうまく結べるとか、さういふことなのだと思ふ。
でも、うまく編めたりうまく結べたりしたとき、どううれしいと思ふだらうか。
「前よりうまくなつたなあ」か。
「前よりうまい自分になつたなあ」か。

やつぱり後者な気がするんだよなあ。

斯様に「不器用」と云はれつづけた経験は大きい。
事実不器用だから仕方がないのだが。
不器用な自分を受け入れられずにゐるんだなあ。
いろいろめんどくさい。

そんな中、久しぶりにはじめて作つたドイリーに用ゐたモチーフを作つてみた。

Tatted Rosetta Motif

藤戸禎子の「華麗なるレース タッチングレース」に掲載されてゐた初心者向けのドイリーだ。
モチーフはよくあるロゼッタである。
はじめてシャトル一つと糸玉一つを使つて作ることのできたタティングレースのドイリーだつた。

うーん、いま作つても今一つだ。
でも当時はもつとひどかつた。
なにしろほぼはじめてだつたしなあ。
でも前よりはうまくなつてゐる。
そしてまだまだ改善点がある。

さう前向きになれればいいのだが、なかなかむつかしいな。

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Tuesday, 14 May 2019

質も大事

極細毛糸のスカーフは停滞してゐる。

連休前にひさしぶりにレース糸でタティングしてみたら、えらく下手になつてゐた。
毛糸でばかり結んでゐたからか知らん。

ショックだつたので、しばらくレース糸で練習ばかりしてゐる。
シャトルやボビンにあまつた糸で小さいモチーフや短いエジングを作つたりね。

以前、ここに「質より量」といふやうなことを書いた。
まさにそれを目指してゐたのだけれど、でもなにかが違ふ気がして仕方がない。

質より量は確かだけれど、やはりなにか「作品」となるものを作らないとダメなのではあるまいか。

小さいモチーフや短いエジングも作品といへばいいのかもしれないが、どうも自分ではさういふ気持ちにならない。
「練習」と思つてゐるからいけないのかもしれない。
「本番」と思つて作ればいいのかも。

とはいへ、小さいモチーフとか短いエジングはどうもサンプルといふ感じがして、あまり「本番」といふ気にはならないんだよなあ。
なにかもつと「作つた!」といふ気持ちになるやうなものを作るべきぢやらうか。

でもそろそろ極細毛糸にも戻らないと先に進まないし。

ときどき阿修羅くらゐ腕があればな、と思ふよ。

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