Wednesday, 19 December 2012

未だに将棋は指せないが

将棋を見るやうになつたのは、何年かまへに「将棋の日」イヴェントのやうすをTVで見たのがきつかけだつた。

当時の名人(今も名人)と当時の竜王が、「次の一手」戦とやらで対局をしてゐた。
途中、何度か対局を中断して、会場の客に次の一手をあてさせる、といふ趣向なのだが、どこぞの地域のホールの舞台上で、ライトを浴びて衆人環視のなかで、大のおとながふたり、真剣な顔で将棋盤に相対してゐる。こんなに気の散らされる環境もまたないだらうといふやうな状況で、完全に集中してゐる。

大のおとながこんなに真剣になるのだから、これはさぞかしおもしろいものなのだらう。

さう思つて、NHKの将棋講座やNHK杯を見るやうになつた。
これは今でもつづいてゐる。

指せるやうにならう、と思つたこともあつた。
あつたが、将棋はひとりでは指せない。

近所には将棋道場のやうなものはない。
土日に通へるやうな教室もない。
職場のそばで探したが、当時は客先勤務で、時間が自由にならなかつた。

いまでも、将棋は指せない。

結局、たまに詰め将棋を解いたり(解けなかつたり)するくらゐだ。

当時、囲碁は、「ヒカルの碁」連載中といふこともあり、一大ブームを迎へてゐた。
また、ほんとかどうか知らないが、囲碁は企業や政治家にはたらきかけて資金源をひろげてゐる、といふ話もあつた。

将棋は、資金繰りは知らないが、指す人がへつてゐる、といふ話だつた。一時は一千万人と云つてゐた将棋人口も落ち込みつつあつた。

やつがれが将棋を見始めたころの会長は二上達也。
その後会長職を襲つた米長邦雄は、まづ学校を標的に定めたのらしい。「ゆとり教育」を利用して小学校などで将棋を教へる仕組みを作つたりしてゐたやうだ。
この点については、ほかに詳しい人がいくらもあると思ふので、ここでは書かない。
やつがれが知つてゐるのは、夏の将棋祭りなどでも、こども相手の指導対局が増えたな、といふことくらゐ。

どこを見ても相手は「こども」だつた。

さうか、将棋には、自分のやうな年経た入門者は、必要ないんだな。
さう思つてゐた。

最近、小学生のこどものゐる友人に会つた。
こどもが、囲碁や将棋に興味があるといふので、棋院や連盟に電話してみたのだといふ。「こども教室のやうなものはありますか」といふて。
棋院は、即welcomeだつたさうだが、連盟は、現在予約待ち状態なのだ、といふ話だつた。

こども対象の戦略は、ある程度の成功を見たのだらう。
この話を聞いて、「連盟はもつたいないことをしてるな」と思ふたことも事実だが、さりとては、人出と場所がなければどうにもならない。

そんな恨みつらみはあるものの、その一方で、テレビ棋戦の解説ではいろいろ楽しませてもらつた。

当時はまたあつた早指し戦の最終回。将棋を見るやうになつた直後だつたせゐもあるが、あれは忘れられない。

NHK杯なんかも、楽しかつたなぁ。

さういへば将棋番組の余興で、加藤一二三とはさみ将棋を指してゐるのを見たことがある。
あれもおもしろかつたなぁ。
余興と書きはしたものの、まつたく「余興」といつた感じではなかつた。まじめに指してたよなあ。

まさか、この日がこんなに早くくるなんて。

宝井其角ぢやないけれど、「年の瀬や川の流れと人の身は」とつぶやかずにはゐられない。

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Monday, 09 January 2012

面白過ぎる王将戦

王将戦といへば、やつがれにとつては第一局から見るやうになつた記念すべき棋戦だ。
ここではじめておやつとかお昼ご飯とかがfeatureされることを知つた。当時は驚愕したものだつた。

それにしても、おもしろすぎるぜ。


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Monday, 14 January 2008

釣つた魚に餌をやれ

新規契約と機種変更とは、なぜあんなに待遇がちがふのだらうか。

長いことふしぎであつた。
今でもふしぎである。

ちよつと調べればそこんとこのからくりはわかるのだらうが、別段理由を知りたいわけぢやあない。
両者間にある差別を撤廃してくれればいい。
それだけの話だ。

なにも携帯電話の話をしてゐるのではない。
将棋や芝居も同じこと。
そんな気がする。

将棋は斜陽産業。
そんなやうなことを新四段のスピーチで述べた兵もゐると聞き及ぶ。
かつて千万人単位でゐた将棋人口も、今や見るべくもないといふ話もある。

そんなわけでここのところ将棋界では「将棋人口を増やさう」といふキャンペーンをずつとおこなつてゐる。
対象はこども。悪名高い「ゆとり教育」とかで本来読み書き算盤のためにあつたものを削り取つた、その時間を使つてちいさいうちから将棋に親しんでもらはう。
さういふ試みがつづいてゐる。

おとなはこの一大キャンペーンの対象たり得ない。これは身をもつて経験してゐるので間違ひない。
また、興味をもつてはじめてみて、初心者を卒業するくらゐに育つた人間の受け口はない。こちらは断言できないが、傍から見てゐてあるやうには思へない。

好きになつたら先のことは自分でなんとかしろよ。
さういふことなのかもしれない。
好きになつたんだからそこから先は自分でなんとかできるやうでないと将棋人口として数へるわけにはいかない。
さういふ考へ方もあるかもしれない。
それはそれで正しいやうな気もするが、なんかそれつて、新規契約で集めるだけ顧客を集めておいて、あとは放置プレイな携帯電話業界とどこか似てはゐないだらうか。

ちなみにやつがれはDDIポケット時代からWILLCOMを使つてゐて八年くらゐにはなるが、WILLCOMは一向に迷惑メール対策をしてくれない。ほかのWILLCOM ユーザの方のweblogなんぞを拝見してゐると、あまりに迷惑メールが多すぎるのでメールアドレスを変更する人ばかりなのだが、それはしたくない。迷惑メールが多いからメールアドレスを変更するなんて、やつがれにとつては「負け」以外のなにものでもないからだ。Docomoのアドレス宛にはもうまつたく迷惑メールなんぞ届きはしない。DocomoにできてWILLCOMにできないわけがあらうか(ここでも各企業ごとに事情はあるだらうが……おそらく客にはそんなこと関係ないはずである)。

芝居はどうか。
芝居もまた新規契約もとい新規顧客獲得にいそがしい。
初心者向けの公演といふのは年に何回かある。国立劇場の六月七月とかね。あれは基本的には学校用なのだらうが、席さへあいてゐれば一般の人間だつて見ることができる。まあ、悪い学校にあたつて「親の顔を見てみたいぜ」と内心で毒づくことになることも多いにあるがね。

だがしかし。
その初心者向けの公演を見て、「あれ、歌舞伎つて案外おもしろいぢやん」と思つた後、どうすればいいかといふと、これがチトむづかしい。
歌舞伎座とかに行けばいい?
しかし、それにはかなりいろいろ調べなければならない。
たまたま行つてみたら、難解なものばかりで「やつぱりダメだ」といふ気分になつてしまふかもしれない。あるいは去年の八月は第二部のやうに「……これが歌舞伎?」といふやうな演目ばかりでがつくりきてしまふかもしれない。
そばにあるていど歌舞伎を知つてゐる人がゐれば助けになつてくれるかもしれないが、世の中さう甘くはない。

好きになつたんだから、それくらゐは調べて劇場に来てほしい。
さう思ふのも人情。
けれども、ここで今ひとつ「歌舞伎つてかういふものよ」といふやうな本公演があつてもいいんぢやないか。そんな気がするのである。
さうすると、たとへばあるていど芝居に通つてゐる人も初心者を誘ひやすい。案外「歌舞伎、見てみたいんだけどさー」といふ人を誘ふのはむづかしい。この演目・配役ぢやなあ、と見送る月のなんと多いことか。

かくして顧客を逃してゐることつて結構あるんぢやないかな。

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Thursday, 17 August 2006

素人考への穴熊

よく「相手の玉は下段に落とせ」といふ。
玉は八方に動ける駒だ。上段に行くとあちらこちらに逃げ道ができてしまふ。したがつて逃げ道を塞ぐやうに一番下の段に行くやうにしむけろ、といふのだらう。

さうすると、穴熊といふのは実は一番弱い囲ひなのではないか。
玉はどこにも行く場所がないからだ。
ほかの駒に囲はれてゐるから大丈夫なのだらうが、ほかの駒であそこまで囲はなければならないのは玉が一番弱い位置にゐるからだらう。

指せない人間が云ふのもをかしいが、そんなわけでどうしても穴熊は強いとは思へないのだつた。

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Thursday, 03 August 2006

スポーツはいいねえ

みづから「負けました」とか「ありません」とかいふこともない。
盤面で地を数へて勝敗が明らかになるわけでもない。

囲碁や将棋だつてその勝ち負けにいろいろあやのつけやうはあるといふのに。

つねづね思ふ。
「スポーツマンシップに乗つ取り」といふが、その「スポーツマンシップ」といふのは「審判にバレなければいい」「審判を味方につければいい」といふ精神だ。まちがつてもみづから「負けました」と負けを認める潔さは「スポーツマンシップ」には存在しない。

なんでそんなものをありがたがるのか、やつがれにはとんと理解できない。

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Wednesday, 02 August 2006

衣食足りて礼節を知る

管子に出てくるといはれるこのことば、「ウソだらう。昨今の日本を見てみろよ」といふ評が多いかと思ふ。

けれども、「ああ、このことばにも一理ある」と思つたのはこの記事を読んで。

少し前からパイの多くをとつてゆく人々が礼節ある発言をしてきたが、パイの残りをとる人には肯んじ得ぬ部分があつたのだらう。
勘違ひをしてもらふと困るのだが、後者を責めてゐるわけではない。やつがれが同じ立場なら同じやうに行動しただらうと思ふからだ。

翻つて、やはり本邦では衣食は足りてゐないのだらうと思はれる。あるいは肝心な「住」が欠けてゐるのが一番大きな問題かもしれない。

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Friday, 21 July 2006

森茉莉は升田派

「だよね〜」と、「ベスト・オブ・ドッキリチャンネル」を読んで我が意を得たりとばかりにうなづいてゐた。
肝心要の大山康晴・升田幸三のことを云々してゐる部分が抜けてゐるのでよくわからないが、同書には都合二箇所、森茉莉は升田派だつたことがわかる文章が掲載されてゐる。

それにしても残念でならない。森茉莉は大山・升田のことをどう書いてゐたのだらうか。またその他の棋士の名前が出て来たりするのだらうか。
このくだり、ひよつとしたらおもしろくないのかもしれないが、やつがれは中野翠のせゐだらうと推測してゐる。きつと中野翠は「囲碁・将棋」に興味がないのだ。

なぜさう云へるのか。
中野翠著の「今夜も落語で眠りたい」にその答へがある。

この本の中で、中野翠は花魁の説明をしてゐる。花魁といふのはとにかくなんでもできないといけなくて、といふくだりがあるのだが、その中に「琴棋書画」の「棋」がまつたく出て来ないのだ。
花魁あるいは松の位の太夫職のたしなみをあらはすことばに「琴棋書画」といふことばがある。「棋」に長けてゐること、すなはち碁が打てることが花魁の条件だつた。すなはち、「花魁であれば碁が打てる(碁が打てなければ花魁ではない)」といふことである。それも、客層を考へればかなりたくみに打てたのにちがひない。
さういへば浄瑠璃にも「碁太平記白石噺」といふのがある。姉の花魁宮城野の部屋には囲碁・将棋・双六の盤が飾られてゐる。中野翠は落語はこのとほり本を出すほどだし芝居もそれなりに見てゐるから、「白石噺」を見たことはないにしても知つてゐるはずだ。

どうやら中野翠は「棋」に興味がないらしい、といふのは、このことに触れずにゐて平気でゐるからである。
そして、ここに肝心のくだりを読めずに悶々とする読者を作つてしまつたのである。

うーん、「ドッキリチャンネル」を図書館にでも探しに行くかなあ。

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Sunday, 09 April 2006

テキスト買つちやはうかな

日曜の朝は将棋講座。
ここ数年さう決まつてゐる。といふか、決めてゐる。

しかしこれまで講座のテキストを購入したことはなかつた。
買つてもわからないからである(……情けない)。

でも、今回は買つてみやうかなあ。

橋本治の「双調平家物語」の冒頭に、聖徳太子の話が出てくる。
中に、蘇我蝦夷が「頭のいい人といふのは、相手にあはせて話をできるものである」といふのを聖徳太子を例に引いて述べる場面がある。蝦夷があることをわからないといふと、聖徳太子は相手のレヴェルにあはせてわかるやうに説明してくれる。それでもわからないといふと、さらに話をかみくだいてくれる。
頭のいい人といふのはさういふものである、といふわけだ。

天才といふと、故岡本太郎とか長嶋茂雄とか、失礼ながら「わけわかんないよ」といつた話し方をするといふイメージもないわけではないが。
♯どうも「天才」といつた時に長嶋ははづせない。
♯なぜかはわからないけれど。

先週今週と日曜日の朝、十時からの二十分、「蝦夷の云つてゐたのはかういふことか」と思ひながら、ぼんやりTVを眺めてゐる。

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Saturday, 25 March 2006

遺聲

矢内理恵子女流名人がそのタイトルを決めた後、「囲碁・将棋ジャーナル」で矢内女流名人の軌跡といつた映像が流れた。
御両親の話すやうすがでてきた後涙する女流名人を見て、「ああ、どちらかを亡くしてゐるにちがひない」と思つた。御母堂ださうである。

もうだいぶ前になるが、学生時代お世話になつた先生が不慮の事故で他界した。不慮の事故といふが、まあ有り体に云へば理不尽にも他人から命を奪はれたのだつた。やつがれは「理不尽にも」と書くが、殺す方には殺す方の理由があつたのらしい。だからといつて先生が殺害されていいわけがなかつた。

旧都庁跡の立派な建物で先生を偲ぶ会が催され、不良学生だつたやつがれは迷つたすゑ、出席した。
卒業してからずいぶんたつ。不良だつたやつがれはさほど先生と付き合ひのあつたわけではなかつた。

会が進むと、先生の在りし日の姿を映したヴィデオが上映された。
別段たいした感慨もなく見てゐるうち、突然と胸を突かれる思ひに泣きさうになつた。
どこか遠くの国の荒涼とした大地を歩く先生が、画面の中で喋つてゐた。
もうずいぶんと聞いてゐない、ほとんどは授業中にしか耳にしてゐない、先生のなつかしい聲だつた。
もう二度と聞くことのない聲だつた。

遺影といふものがある。
家族を亡くした家にあつたりはする。
毎日眺めて毎日手を合はせる人もあらう。

しかし遺影は喋らない。なにも云はない。ただそこにあつて動かずにゐる。

聲は記憶にだけあつて、たまに脳裡に響くばかり。
記憶にあるといふことは、時間とともに劣化する。
それがいきなり外からやつてくると、記憶が蘇る。

そして覚えず涙するのだらう。

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Sunday, 19 March 2006

無神経なアナウンサ

「感想戦の時、少し悔しさうでしたが」ぢやないだらうっっっ。
「また来年も挑戦お待ちしてます」つてそれがどれだけ大変なことかわかつて云つてゐるのかっっっ。

あーもー、無神経きはまりないこんな輩をなぜTVに出しておくのだ、NHKっっっっ。

前々から思つてゐたのだが、どうも将棋関連の番組に出てくるNHKのアナウンサは無神経・非常識な輩が多過ぎる。以前に見た時はまだ若いアナウンサで大変緊張してゐるやうに見えたからそのせゐかと思つたこともあつた。だが、プロなのだから「若さ」は云ひ訳にならない。またひよつとしたら台本があつて責任はそちらにあるのかもしれないとも思ふ。しかし、リハーサルの段階でアナウンサには「この質問はちよつと失礼なのでは……」と主張する場があるはずだ。

囲碁や将棋は両対局者の対決の場だといふことを理解してゐないんぢやないか。
碁盤・将棋盤は木目のジャングルといつていい。対局のあるたびに、今日も嵐が吹き荒れるのだ。
その激しい嵐を感じ取れないやうな鈍感な輩にインタヴューなんぞさせるなよ。

「感想戦の時少し悔しさうでしたが」つて負けて悔しくない棋士がゐると思つてゐるのかっっっ。「少し」だ? 莫迦にしてやがる。
相撲に負けて土俵から降りて来た力士に「少し悔しさうでしたが」なんぞといふふざけた質問をするアナウンサがゐるだらうか。

受信料を取り立てたいならかういふところから考へなほした方がいいんぢやないか。
日曜だといふのにまつたく不愉快極まりない。

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