Monday, 16 July 2018

編まない生活は続く

先週もこの三連休もまつたく編んでゐない。
編まなくても大丈夫なんだな、と思ふ。

あみものは好きだ。
と書いて、ほんたうだらうかと思つてしまふ。
実は自分はあみもののことなどたいして好きではないのかもしれない。
時々編んでゐてさう思ふ。
それではなぜ編むのか。
それは、数少ない自分にできることのひとつだからで、編んでゐるとなにがしかできあがるものがあるからだ。

えうはなにもしないでゐることができないんだらう。
なにかしら生産的なことをしたいのだ。
それなら部屋の片づけや掃除をすればいい。
なのにそれはできない。
といふわけで、なにかしら形に残るあみものに逃げるわけだ。

TVを見るといふのも自分にとつては生産的なことではない。
なので見ながら編みたい。
ところがTVを見なくなつてしまつたものだから編むきつかけがつかめなくなつてしまつた。
だからといつて見たいTV番組があるわけでもないしねえ。

なるほど、編まなくなつたのは、腱鞘炎のせゐもあるけれど、生活習慣が変はつてきてしまつたからといふ原因もあるんだな。
TVを見てゐるあひだに編んでゐたのに、そのTVを見なくなつてしまつたから編まなくなつた。
わかつてみればなんのことはない。

こののちもずつと編まないのだらうか。
腱鞘炎は、よくなつたやうなさうでもないやうなで、とりあへず拳を握ることはできない。
すこしは動かした方がよいといふ話もあるので、ちよつとあみものを再開してみるかなあ。

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Monday, 09 July 2018

あみものの終活

腱鞘炎のため編まなくなつて一ヶ月弱。
このまま編まなくなるのかな、とも思ふ。

編まなくなつた場合、毛糸をどうするかが問題になる。
我が家にはひよつとすると一生かかつても編みきれないくらゐ毛糸がある。
それでも毎日編めばなくなるのかな。あまり自信がない。

毛糸は、虫食ひやカビなどがなければ寄付できる。
さう聞いてゐる。
「ちやんと編んでくれる人のところに行くんだよ」と送り出す。
それがいいだらう。

あみもの道具はどうするか。
これといつてヴィンテージなものなどないし、一度は使つたものばかりなので、これは捨てる一手だらう。
もしかすると編み込みをするときに使ふヤーンガイドなんかはほしい人がゐるかもしれないが、自作しやうと思へばかんたんに作れるらしいので気にしない。

残りはあみものの本か。
あみものの本といふのはなかなか再版されないと聞く。
図書館にもないことが多いのらしい。
保存状態はよくないけれど、ほしい人もゐるかもしれない。
以前はあみもの専門の古書店などあつたけれど、いまはない。
それとも探せばあるのかな。
一般的な古本屋に売つてもあみものの本は埋もれてしまふだけかもしれない。
そもそも売れない可能性も高い。
さう考へるうちにめんどくさくなつて廃品回収に出してしまふんだらうな。
いままでの流れからいつてさうだ。

趣味に使用した/するつもりだつたあれこれをどうするかといふことを真剣に考へる時期がきてゐるのかもしれない。

腱鞘炎は、多少よくなつてゐる気もするが、それでもまだ痛い。
注射を打つしかないのかな。
あるいは手術とか。
まあもうちよつと様子を見やう。

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Monday, 02 July 2018

不器用なわけ

腱鞘炎になつてからといふもの、編むときには案外左手を使ふものであるといふことに気がついた。
右手で糸をかけて編む方法ならもう少し左手を使はずに済むのだらうか。
いづれそちらに鞍替へすることも検討するか。

ところで、あみものやタティング以外にもやつがれはどうやら利き手でない方の手をほかの人よりはよく使ふのらしい。
コンピュータのマウスを左手で使ふのは、これは意図してはじめたことだ。
職場で同僚が右脳活性化のためと左右の手のバランスをとるためと云つて、左手でマウスを使つてゐた。
それはいいかもしれない、といふのではじめたのだつた。
それ以前は右手で使つてゐたし、おそらくいまでも右手で使ふ方が楽にマウスをあやつることができると思ふ。

本来利き手ですることを逆の手でする方であるらしいことに気がついたのはスピンドルで糸を紡ぐやうになつたときだ。
教はりに行つて、どうもほかの人と手が逆である。
目の前に座つてゐる人のやるとほりにやつてゐるからさうなつたわけではない。
自分でやりやすいと思つたのがそちらだつたのだと思ふ。
糸を紡ぐにはどちらの手で毛を持つてどちらの手でスピンドルを使ふといふのが決まつてゐるらしいので、これはそののちなほした。

確信したのは昨日のことだ。
左手の中指が腱鞘炎になつてからといふもの、缶の飲み物のプルトップが開けづらくて困つてゐた。
プルトップは左手の指にかけて引つ張る。ゆゑに中指に力が入らない状態はすこぶる都合が悪い。
困つたなあとつぶやいたところ、スプーンを使ふといいとかバターナイフがいいとかいろいろご教示たまはつた。
ぢやあ次に開けるときは試してみやう、と思つてゐたところ、トマトの缶を見たらプルトップの開け方が図示されてゐるではないか。
その絵では、どう見てもプルトップは右手で開けてゐた。
世の中の多くの人は右利きだらう。
最近は左利きの人も左利きのままでゐるのらしいが、すくなくともやつがれの世代までは左利きの人は厳しく矯正されてゐた。
つまり、世の中の人は缶のプルトップを利き手で開けるのぢやあるまいか。

さうなのかー。
あまり深く考へたことはなかつたし、観察したこともなかつた。
ちなみに、利き手である右手でプルトップを引くと、なれないせゐか爪が折れさうになつてしまつた。

考へてみると、昔から左手の方が握力は強かつた。
小学生のときに計測したときにはすでにさうだつたから、ずつとさうなのだらう。
思へばラケットベースといふテニスラケットをバットに見立てた野球の一種でバッターボックスにたつときは左側に立つてゐた気がする。
力は左の方が強いのだつた。
でも左手では字も書けないしお箸も使へない。
制御がきかないのである。
ラケットは両手で持つから制御は右手がするのだらう。

なるほど、やつがれが不器用なのはそのせゐなのかもしれない。
利き手が利き手の役目を果たせないからだ。
そして逆の手は利き手の代はりにはならない。
この中途半端な状態では器用にはなりやうがない。

さうだつたのかー。
きつと世の中にはおなじやうな人がゐるのに違ひない。
先にも書いたもともと左利きなのに矯正されて右利きにしたやうな人にゐたりしないかなあ。

これから左手でやつてきたことを右手に置き換へていくのはひどく難儀な気がする。
どうしたらいいのか。

とりあへず腱鞘炎をなんとかすることが肝要かな。

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Monday, 25 June 2018

腱鞘炎は続く

腱鞘炎の影響で編めてゐない。
以上。

といつたところだが、昨日はちよつと編んでしまつた。
腱鞘炎はといふと、指の可動領域がひろがりつつあり、痛いと思ふことも減つた。
ただ、こぶしを握ることはできず、缶ビールを開けることができない。
仕方がないので缶は右手で開けたが、不都合極まりない。
缶ビールを飲むのはやめろといふ神のお告げかもしれない。

編めずにゐて、それほど痛痒を感じることもないのは、寝不足だからだ。
とにかく眠い。
家に帰つて食事をすませるともう眠い。
だがそこで即寝るわけにもいかない。
それで食後三時間は起きてゐなければといふので起きてゐて、そのうち布団に入るころには眠たくなくなる、といふのがいつもの流れである。

ところで昨日つひ編んでしまつたのにはわけがある。
手持ち無沙汰だつたからだ。
なにか、かう、することがほしい。
そして、目の前には編みかけのリカちやん用の上着が放置されてゐる。
といふわけで編んでしまつた。
編んで、指にはあまりよくないかなあといふので即やめた。
無念である。

もしかしたらタティングレースの方が負担が少ないかな、といふ気もしないでもない。

……やめておくが吉か。

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Monday, 18 June 2018

小さ過ぎる

腱鞘炎はあひかはらずだが、ばね指にはならなくなつたやうに思ふ。
夜寝るときだけテーピングをしてゐて、これがいいのかな、とも思ふ。
朝目が覚めたときにうつかり握つてしまつてばね指になつてしまつてゐたからだ。
なるべく使はないやうに、と思つてゐたのだが、日曜日にはこんなものを編んでゐた。

Experiments

リカちゃんのオールシーズンクローゼット」を参考にしながら、フード付きの上着を作らうと思つた。
それで土曜日に久しぶりに手芸屋に行つて、エミーグランデを買つてきたのだつた。

この本に掲載されてゐる上着はスフレや25番刺繍糸、モヘアなどを使つたものばかりで、エミーグランデで編んだものがない。
そこで長さだけ参考にしつつ、目数段数は探りながら編んでみた。
その結果がこれである。

Experiments

をかしいなあ。
はかりながら編んでゐたはずなのになあ。
どうも、くさり編みのあと細編みや長編みをしばらくすると短くなるんだな。
それをうつかり忘れてゐて、こんなことになつてしまつたのらしい。
ゲージはとりませう、といふことか。

Experiments

でもまあ仕組みはわかつたので、気を取りなほして新たに編み始めた。
失敗した方は、参考になるのでしばらくはこのままとつておくつもりである。

それにしても、リカちゃんはなにを着せてもらりぃであることよのう。

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Monday, 11 June 2018

心理的ブレーキ

あひかはらず、このまま編めなくなるのではないかと思ふくらゐ編めてゐない。

理由はわかつてゐる。
ひとつは疲れてゐるからだ。
先週は日曜から月曜にかけて福岡に行つてゐて、その疲れのとれぬままに日々働き、土曜日は落語会に行つて、昨日の日曜日にはおそらくは低気圧からくる不調に負けてしまつた。
その前の週からずつと疲れは引きずつたままだしね。

もうひとつの理由は、編みかけがふたつあるからだ。
編みかけで、どちらももうすぐ編み終はる。
編み終はつたら仕上げをしなければならない。
仕上げる気力がどうにもわかない、といふ話は先日も書いたとほりだ。

編んでゐる最中のものがあるのだから、新たなものを編み始めてはならない。
さういふ心理的なブレーキがきいてゐる。

以前は、気にせず編み始めてしまつたこともあつた。
さうしていづれも仕上がらないなんてなことも日常茶飯事だつた。
その轍を踏んではならない。
さういふ思ひもあるのだらう。
といふか、ある。

解決策は、ふたつほど考へられる。
ひとつは、かまはずに新たなものを編み始めることだ。
今度編むものは着るものになる予定なので、いづれにしてもゲージをとる必要がある。
ゲージを編むといふ名目で、新たに編み始めるといふのも手だ。

もうひとつは、しかかり中のものを最低でも編み終へてしまふことだ。
とりあへず編んでしまへばあとの仕上げは時間のあるときで、といふことになる。
編む必要はないのだから、新たなものを編み始めてもかまはない。

後者が理想的ではある。
といふわけで、今夜にでも「探偵物語」でも見ながらかぎ針編みのショールを編み上げてしまはうかな。

と、書いておけばするだらう。多分。

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Monday, 04 June 2018

仕上げる気力

かぎ針で編んでゐたポーチはあと片方の持ち手をつけて糸端の始末をすればできあがるのだが。
そこでとまつてゐる。

仕上げをするときには気力が必要だ。
すくなくともやつがれはさうだ。
そしてその気力がいまはない。

「はじめることができたら五割はできたやうなもの」といふ話を聞く。
はじめるまでが大変だ、といふわけだ。
それもそのとほりかな、とは思ふ。
五月の連休にあはせて買つた糸にいまだ手をつけてゐないことを考へると、まさにはじめるまでが大変といふことだらう。

しかし、ことあみものに関しては、はじめるのはそれほど大変なことではないやうな気がしてゐる。
編みかけのまま放置してきたものがたくさんあるからだ。
最近ではさすがに編みかけで放置するものはほとんどない。
あつたとしても、冬のあひだ編んでゐて暑くなつてきたからやめた、みたやうなものばかりだ。
寒くなつてきたらまた手にして完成させてゐる。

「こんなものが編んでみたい」「手元に毛糸も針もある」「ぢやあちよつと編んでみるか」といふのが、あみものは容易な気がする。

問題は仕上げだ。
編み上げて形を整へて糸端を始末する。
これが如何に大事業であることか。
それまで編んできた手間とおなじくらゐの労力が必要な気がする。
百里の道は九十里をもつて半ばとせよ、といふやうなことばがあるが、そのとほりだと思ふ。

セーターなどでいふと、袖も編めたし、あと少しでできあがる、と思つて袖つけや脇のとじはぎに手をつけたが運の尽き、徹夜しても終はらなかつた、といふ過去もある。
それで、袖が編めたらその日はまづそれまでとして、翌日以降その後のことをするやうにしたほどだ。

今回作つてゐるのはポーチで、整形は必要ないと思つてゐる。
とにかく、編み上げて糸端の始末をするだけでいい。
それだけのことをする気力がわかない。

さうかうするうちに、市販のポーチでちやうどいいサイズのものを見つけてしまつた。
うーん、どうしたものかなあ。

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Monday, 28 May 2018

かばんを新調したので

「これは必要だ」といふので日曜日に急遽編み始めたものがある。
バッグ・イン・バッグだ。

バッグ・イン・バッグはすでにいくつか持つてゐる。
しかし、最近入手したひらくPCバッグnanoに向いたものがない。
ひらくPCバッグnanoは、かばんの口を開いたまま机の上に置いて使ふかばんだ。
かばんの中に入れたものが出し入れしやすくなつてゐる。
机の上が片付くし、かばんを持つて移動すれば必要なものを持ち歩くことができるといふ寸法だ。

ひらくPCバッグのころからほしいと思つてゐたのだが、大きすぎるといふので購入を見送つてゐた。
持ち歩くものから考へるとひらくPCバッグくらゐの容量がほしいのだが、電車に乗ることを考へると大きすぎる。
満員電車では邪魔だらうし、座れば膝からかばんがはみ出るといつた寸法だ。

その後、ひらくPCバッグminiといふ縦に細長くなつたかばんが発表された。
電車で座れたときに膝からかばんがはみ出ることはなくなつたが、今度は縦長といふことが気になつた。
縦長のかばんは、底に入れたものが沈みがちになる。
説明を読むと、ひらくPCバッグminiはそこのところも考慮した作りになつてゐるといふのだが、使つてみないことにはわからない。
これもまた購入を見送つてゐた。

ひらくPCバッグnanoは、横幅はひらくPCバッグminiより少し広く、縦につぶした横長のかばんだ。
ふだんPCを持ち歩かない人用のPCバッグ、といふ、「なにを云つてゐるのかわからないな」といつたところがある。
自分の持ち歩く荷物を考へると、これだと小さいな、といふ気がした。
いままで持ち歩いてゐたものから、筆入れを二つ減らし、文房具一式を入れてゐた合切袋をあきらめた。
それで日々職場に持つてきてゐる。

もう少し大きければ、と思ふこともあるが、通勤に使用するにはこれくらゐのサイズが最適かとも思ふ。
口を開いた状態で机の上に置いて使ふと、これが実に具合がいい。
手帳や筆入れの類を必要に応じて出し入れできるといふのがこんなにいいとはねえ。
いままでは、手帳や筆入れは机の上、端の方に出しておいて必要に応じて手元に持つてきてゐた。
それで不便を感じたことはないけれど、使はないときは片付いてゐて、使ふときに即取り出せるといふのは至極いい感じだ。
片付けの苦手な人間でもこれなら机の上がすつきりするんぢやあるまいか。

ただ一つ、困つたことがあつた。
それが、ひらくPCバッグnanoにちやうどいいバッグ・イン・バッグがないといふことだ。
社内でちよつと移動するときに持ち歩くものをまとめて入れておけて、さらにはひらくPCバッグnanoに入れて出し入れかんたんな入れものがない。

だつたら編めばいいんぢやない?
といふわけで編み始めてみた。
持つてゐたエミーグランデを0号針で編むことにした。
底は Granny Square を参考に真四角に編み、立ち上がりをつけるために細編みをすじ編みにして一周編み、側面は方眼編みの要領で編んでゐる。
ちよつとスケスケ過ぎるなーと思ふが、まあ、なにもないよりはいい。
ひとつ編んでみて、ダメだつたら別のものを編むといふ手もある。
方眼編みつぽい模様にしたのは、いちいち前の段の頭に針を刺さなくてもいい模様にしたかつたからだ。編むときの簡便性を取つたわけだ。

縫ひものが得意な人なら、ここで即布を用意してささつと縫つてしまふのだらうが。
縫ひもの、ダメなんだよなあ。
ミシンも壊れたままだし。

持ち手はしじみ袋の要領で編むつもりでゐるが、いつそこにたどりつくだらうか。
できれば早く使ひたいのだが。

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Monday, 21 May 2018

理屈はどうでもよくて

先週は林ことみの「エストニアで習ったレース」に掲載されてゐるかぎ針編みの三角スカーフをちよこつと編んだくらゐだ。
そろそろ終はりが見えてきてゐて、さうなると段々と編む手がにぶる。
ちやつちやと編む場合もあるけれど、仕上げのことを考へ出すとどうしたらいいか考へてしまつて、なかなか先に進めないのだつた。

この三角スカーフはそんなにきつちり整形しなくてもそのまま使へるので、あんまし仕上げのことは考へなくてもいいんだけどね。

そんなわけで、先週危惧したやうなリカちやんサイズのものばかりがんがん編んでしまふのでは、といふことはなかつた。
エミー・グランデや金票40番の在庫があまりないから、といふことはあるかもしれない。

ところであみものをしてゐると、「買つた方がやすい」だとか「売られてゐるものの方が堅牢だ」だとか「編んだものは洗ふのがめんどくさくて」だとかいふ考へが脳裡をかけめぐることがある。

くつ下を編んでゐると「Walmartでは一足一ドルで売られてるわよ」と云はれる、といふ話は Socknitters から折に触れ聞く話だ。ほんたうにそんなことがあるのかどうかは知らないけれど。

そこら中で安価に売られてゐるやうなものをなぜ編むのか。

編みたいから。

それに尽きる。

時折「手編みのセーターは機械で編んだものよりずつとやはらかくあたたか(くて着やす)いし、さらには糸も手で紡いだもので編んだらさらにさう」みたやうな話を耳にする。
手で作つたものが機械で大量生産されるものよりも尊い。
さういふことは確かにあるとは思ふ。

編んだものはほどくのが容易だからリサイクルにも向いてゐる。
それも確かにさう。

でも、だから手編みをするのだ、といふ人がどれくらゐゐるのか不明だ。

もちろん、手編みをする理由のひとつとして、さういふことをあげることもあらうとは思ふ。
でも、さういふのは、なんかこー、副産物といふかさ、二次的な理由なんぢやないのかなあ。

楽しいから編む。
好きだから編む。

さうなんぢやないの?
それに一々ほかの理由をつけなければいけないやうな世の中なのかもしれないけどさ。

ちなみに、最近はめつきりしなくなつてしまつたが、自分で紡いだ糸で編んだこともあるけれど、手入れが大変なのがちよつとなー、と思ふ。
市販の糸の方が洗濯に耐へる気がする。
毛の状態でスーパーウォッシュのものもあると聞くけど、さういふ毛で紡いだらいいのかなあ。

くつ下に関して云ふと、くつ下用毛糸で編んだものはかなり堅牢で、洗濯機でがんがん洗つても数年は使へる。
以前ここにも書いたやうに、手で編んだものは履き口をゆるめに編んだりそれでゐて脱げないやうにしたりが可能なので、さういふ点では市販のくつ下にまさつてゐると思つてゐる。
だから編むわけぢやないけどね。

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Monday, 14 May 2018

人形サイズのものを編む

先週の月曜から通勤先が変はつた。
これまでより時間もかかるし混んでゐる。そのうへ先週は一日たりともまともに電車の動いた日がなかつた。

そんなんでもうへとへとで、自宅に帰り着いてもぼーつとしてしまひ、なにもできない状況である。
そんな状態なので、あみものも全然進んでゐない。
あまりにも進まないので、こんなものを編んでしまつた次第である。

Dress for Dolls

ものは「週末で完成! かわいいかぎ針編み リカちゃんのオールシーズンクローゼット」に出てゐるワンピースである。
色は違ふが指定糸のエミー・グランデをおなじく指定針の0号で編んだ。
スナップが手元にないので完成してはゐない。
あ、あと肩のストラップを編み忘れてゐるな。
日曜日に編みはじめて、とりあへずここまでは編めた。

もともと、あみものを再開したのは人形のものを編みたかつたからだ。
人形サイズだと毛糸も少なくて済むし、即できあがる。
それになにしろモデルがいいものだから、多少アレな出来でも着せるとそれなり出来に見える。

人形サイズのものを編むといいことに、とりあへず全行程を短期間でこなすことができる、といふことがある。
それまで人間サイズのセーターは完成させたものより挫折したものの方が多かつた。
さうすると脇を綴ぢるとか襟ぐりの目を拾ふとか、経験が足りない技術が増える。
作り目ばかりうまくなつたりね。

人形サイズのセーターだつたら、糸と針とは細いものの、前身頃も後ろ身頃もあつといふ間に編みあがるし、短いながらも脇の綴ぢもあり、肩のはぎもあり、襟ぐりを拾つて襟を編むこともできる。
まあ、正直云ふと、人形サイズだつたらセーターは最初から輪にして編んで綴ぢはぎのごろごろとした目のできないやうにしたいところだが、練習としては最適なのではないかと思つてゐる。

そんなわけで、しばらくは人形ものばかり編んでしまふかも。
その前にスナップを買つてくる必要があるがな。

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