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Monday, 15 July 2024

再開

編むことができるやうになつてきた。
いろいろ記録を見ると、どうやら去年の今頃から腱鞘炎がひどくなり、編めなくなつてゐたやうである。
痛いのは左手の薬指。
左手なのに、と思ふが、棒針編みをしてもかぎ針編みをしても左手といふのは案外使ふものだ。さういふことにあらためて気がついた。
タティングもできなかつた。
これまでも腱鞘炎で編めなくなることは二度あつて、一度は左手でもう一度は右手だつた。
どちらも湯舟の中でマッサージをし、薬を塗つて安静にしてゐたらさう長くかからずによくなつたので、今回も高を括つてゐた。
するといつまでたつてもよくならない。
このblogにも十月ごろに「毛糸を処分するやうだらうか」と書いてゐる。

よくなつてきたのは五月の半ばくらゐだつた。
去年の今ごろ編み始めたハマナカのポームで編むニッタオルを再開してみたら、さほど痛みを感じなかつた。
痛くなつたらその日はもう編まず、翌日編めさうだつたら編むをくり返してゐたらいつのまにかハンカチサイズのニッタオルが完成してゐた。
編んでゐるといふことは安静にしてゐないといふことで、腱鞘炎は悪化するのではないかと思つたがさうでもなかつた。
反対に、だんだんよくなつていく感覚があつた。
なにしろある日気がついてみたら両手で手ぬぐひをしぼつてゐたくらゐである。
これまでは手ぬぐひを洗つても、右手でしぼつてゐて、桜木花道ではないが「左手は添へるだけ」だつたのだ。

その後、もう一枚ニッタオルを編み、ハマナカのポームでくるぶし丈のくつ下を二足編んだ。
まだ痛みはあるものの、手もだいぶ握れるやうになつてきたし、今後も様子を見ながら編んでゆきたいと思つてゐる。

毛糸を処分しなくてよかつたかもしれない。

Monday, 23 October 2023

毛糸を寄付する?

なんとなくよくなつてきてゐるつもりでゐた腱鞘炎が先週末また痛くてどうしやうもなくなつてきた。
土日と芝居見物に行く予定だつたからそれほどでもなかつたけれど、でもやはり編めないとなるとなんとなく手持ち無沙汰だ。
しかも、時間を無駄に過ごしてゐる気がする。
あみものをすると、結果としてくつ下であつたりスカーフであつたりなにがしか目に見えて手に取れる結果が出るから時間を有効に過ごせたやうな気分になるのだ。
それがまやかしなやうな気もして、それで「やつぱりあみものは時間の無駄だらうか」と悩むこともあつた。
だが、かうして編めなくなつてみると、「編んでおくのだつた……」と切実に思ふ。

このままだと毛糸はどこかに寄付するやうだらうか。
しかし寄付するにしても、着分ある毛糸はほとんどない。
大抵一玉とか二玉とかしか買はないからだ。
大物を作ることが少ないし、ひとまづ新作毛糸を試してみたくて買ふことが多かつたからだ。
そんなんでもいいのかなあ。

いづれにしても、腱鞘炎はすこしでもよくなるやうつとめてはゐる。
そのうちまた編める日が来るやうに。

Monday, 16 October 2023

編みかけのままのもの

すこし前の写真などを見てゐると、「ああ、このころは編めてゐたんだなあ」と思ふ。
直近は八月二日に編み始めたベルント・ケストラーの手袋で、ハマナカの洗えるリネンでウェディング・グラヴを作るつもりだつた。
途中で腱鞘炎が再発して挫折したままだ。

夏のあひだ、手の甲の日焼けが気になつた。
たまたま五月にダイヤモンド毛糸のダイヤマフィンでおなじくベルント・ケストラーのオメネといふ手袋を編んでゐたので、これをはめて外出するやうにした。
オメネはレース編みの手袋で穴がかなり空いてゐる。しかしはめてみると案外穴が気にならない。無論、炎天下にずつと外にゐたりしたら穴の部分が日焼けしてしまふのだらうが、幸ひそんなことをする必要はなかつた。

そんなわけで、一対では足りないなと思つて麻の糸で指なし手袋を編んでみやうと思つたわけだ。
ハマナカの洗えるリネンは麻100パーセントなのださうだが、洗濯機で洗へるといふ。
そこが気になつて買つてみたんだけどなあ……。
手袋を使つてみてよささうならちよつと襟元に巻くやうなものも作つてみたいと思つてゐた。
だが、いまに至るまで編めるやうになつてはゐない。

このまま編めるやうにはならないのかな、と思ふこともある。
編めるときに編んでおけ、といふのは実に正しいことばであることよ。

Monday, 09 October 2023

腱鞘炎

ここ四、五年ほど腱鞘炎に悩まされてゐる。
全然なんでもないときもあるが、いま、左手の薬指とその周辺が痛くてたまらない。
利き手は右手だから左手なら問題は少ないではないかといふとさうでもなくて、たとへば缶飲料のプルトップは左手で引くし、昨日気がついたのだがビニル袋に入れた肉を揉むときも左手で揉む。
風呂場を掃除する際には左手でブラシやスポンジを持たないと掃除をしづらい場所もあつて不便だし、風呂場に限らず雑巾をうまくしぼれない。

そんなわけで、掃除をはじめとする家事は「腱鞘炎だから」でいい加減――で悪ければできる範囲でしてゐるのだが。

あみものができない。
あみものをして気がついたが、棒針編みにしろかぎ針編みにしろ、左手もよく使ふ。編んでゐると痛い。
痛くないやうに編むことができない。

さういへば、マクラメもダメだつたなあ。三年前にやはり左手が痛くてあみものの代はりといつてはなんだがマクラメをしてみたら、痛くてうまく結べないのだつた。

それでしばらくぼーつとしてゐて、「この毛糸の山はどうすればいいのか」と暗澹とした心持ちになることもあつた。
だが待てよ。
ノールビンドニングがあるぢやあないか。

ちよつとやつてみたところ、腱鞘炎には響かない。
ずつと手をおなじ形のままにしてゐると動かすときに痛くなつたりはするのだが、そこにさへ気をつければあとは大丈夫。
よかつた。ノールビンドニングがあつて。

以前は、棒針編みもかぎ針編みもやるなんてちよつと無謀なんぢやないかと思つてゐた。
好きだからどちらもしちやふけど、でも、なんだかどつちつかずになつてしまふな、といふ気がしたのだ。
やるんだつたらどちらかに集中した方がいいのではないか、とか。
その上タティングにも手を出したりしてるし。

でも、今回手が痛くてあみものができなくて、ノールビンドニングをやつたことがあつたからなんとかものづくりをつづけてゐられる。
本で読んで覚えた自己流だけど、なんとかなつてゐる。
見境なくあれこれやつておいて、よかつた。
かういふこともあるんだな。

Monday, 08 November 2021

ひざ掛け pros & cons

土曜日にHemlock Ring Doily Throwを編み始めた。
Brooklyn Tweedで見かけて以来ずつと編みたいと思つてゐたひざ掛けだ。
多分十年前に毛糸を買つて、そのままになつてゐた。
毛糸はダルマのシェットランド島の羊だ。15玉買つたと思つてゐたのに10玉しかない。
足りるだらうか。

なぜ今まで編まずにゐたのか。
ひとつにはひざ掛けが必要なかつたから、かな。
寒かつたら着る毛布を着ればいいぢやん。
それにひざ掛けは編むのが大変といふイメージがある。
ある程度大きさが必要だからね。
いままで一枚だけひざ掛けを編んだことがある。
林ことみのデザインで、15目ごとに表編みと裏編みとを切り替へるガーター編みのひざ掛けだ。
毛糸を二色使つて二段ごとに色を変へる。
これをパピーのプリンセスアニーで編んで、いまひざにかけてゐる。
ただ薄いので、冬本番になると着る毛布になつちやふんだよね。

もうひとつの理由は、このひざ掛けは編むのがむつかしいだらうと思つてゐたことだらう。
なぜさう思つてしまつたのか。
Brooklyn Tweedで見た写真が美しすぎて自分には無理だと思つてしまつたといふことはある。
また、元になつたのが棒針編みのレースのドイリーだといふのでむつかしいだらうといふ先入観を抱いてしまつたのかなとも思ふ。
実際に編んでみたら思つてゐたほどにはむつかしくもなく、といふか、編み方に従つて編めばすいすいと編めてなんだか肩透かしを食らつた気分だつた。
あとは整形がうまくいくかどうかだ。
そして、多分うまくいかないんぢやないかなと思つてゐる。

さう、整形をはじめて問題もいくつかある。
ひとつは上にも書いたとほり毛糸が足りないかもしれないこと。
あるだけ使つて編むつもりだけれど、そんなに大きくならないんぢやないかと危ぶんでゐる。
計算したところ段数だけは十分かなと思ふんだけれども、そもそもの計算方法が間違つてゐるかもしれないしな。
これはちよつと今回確認したい点でもある。

整形については、苦手であることと、そもそも広げる場所がないのをどうしたらいいかといつたところだ。
とりあへず真ん中部分が広がればいいかなと思つてゐる。

あとこれは毛糸の不足にも関係してゐるのだけれど、できあがつたひざ掛けをかけてもそんなに暖かくないのではないかといふ不安がある。
もともとは半分に折つて使ふ想定だつたのだけれども、仕上がりが小さいとそれもできないよね。

いづれにせよ、編んでゐて楽しいんだからいいか。
十年越しのひざ掛けなんだしさ。

Monday, 01 November 2021

十年越しのカウル

十年くらゐ前の編みかけのCowlを見つけて編んでゐる。

先日編み始めたTen Stitch Twistが発端だつた。
これ用にくつ下毛糸のあまりがほしい。
やつがれの場合、くつ下毛糸のあまりは多くても30g程度で、編んでゐると即なくなつてしまふ。
そんなわけで、ぱつと手に入る毛糸がなくなつてしまひ、昔くつ下を編んで残つた毛糸があるはずと発掘してゐたら見つけてしまつたのだつた。
編みかけのCowlを。

記憶に照らすとだいたい十年くらゐ前に編んでゐたものだと思ふ。
毛糸はLANGのCARPE DIEMといふメリノとアルパカ混紡の極太で、実にやはらかく、「チクチクする」といふ概念を知らないのではないかと思ふやうな糸だ。
これの焦げ茶色とごくごく淡いピンク色とでブリオッシュ編みのメビウスの輪状態のネックウォーマを編んでゐる途中なのだつた。
すつかり忘れてゐたなあ。
こんなの、編んでたなあ。
あの時期、ブリオッシュ編みにはまつて極太の糸でいくつか編んだものがある。
帽子が一番印象深いかな。とてもふかふかとしてあたたかい出来で、寒がりの人にあげてしまつた。
ブリオッシュ編みは自分にとつてはちよつと手間のかかる編み方で、なかなか早く編めない。
それで途中で暑い季節がやつてきて投げ出したままになつてしまつたのではないかと思つてゐる。

そんなに時間のたつたものを編みつづけやうと思つたきつかけは、とにかく触つてゐて気持ちのいい糸だからだが、もう一つ理由がある。
使つてゐる針がAddiの6mmの輪針なのだつた。
それつてHemlock Ring Doily Shawlで使ひたいと思つてゐるサイズぢやん。
13号の輪針で編みたいんだよね。
でも我が家には13号の輪針がない。
それで買ひに行くまでおあづけと思つてゐたが、どうやらこのCowlが編みあがるまでおあづけに変はつたやうだ。

現在は伏せどめの途中である。
一目ゴム編みどめにしやうかと思つたけれど、結局伸縮性のあるといふ編みながらとめていく方法にしてしまつた。
メビウスの輪になつてゐるから外周が結構長いんだよね。

このCowlは編みあがつてもすぐに使ふことはできまいと思つてゐる。
編み地が結構厚い上におそらく折つて二重にして使ふやうだからだ。
でもちよつと楽しみだな。
サイズ的にヘアバンドとしても使へるんではないかと期待してゐる。

今年は三月くらゐまではブリオッシュ編みにはまつてゐた。
くつ下は二足、Cowlを一つ編んだくらゐだけれど、時間がかかつたのでたくさん編んでゐた気がする。
かういふ自分の中の流行といふのは巡るんだなあ。

このCowlと同時期に編んでゐたと思しき編みかけのくつ下も見つけたのだが、それは次回の講釈で。

Monday, 25 October 2021

あまり毛糸を有効活用できるかも

Ten Stitch Twistを編み始めた。
その名の通り1段10目で編んで円形の作品ができあがる。
先行作としてTen Stitch Blanketがある。こちらは1段10目で四角形になる作品だ。こちらには日本語訳の編み方があるのだが、円形の方があみものらしいかなと思つてTen Stitch Twistにした。
ひざ掛けにするつもりだが、適当な大きさでやめるかもしれない。
それができるのがTen Stitch Twistのいいところだ。Ten Stitch Blanketも同様。

先週書いたやうに、ほんたうはHemlock Ring Doily Throwを編みたいのだが、手持ちにちやうどいいサイズの針がなかつた。
10号以上だつたらどんな針でもいいぢやんと思ふのだが、どうも13号で編みたい。そして適当な輪針を持つてゐないのだつた。
そんなわけで、買ひに行くまでのあひだ編まうと思つてTen Stitch Twistを選んだ。
かういふ「ちよつと編んでみやう」ができる作品でもある。

Ten Stitch Twistにはくつ下毛糸のあまり糸を使ふつもりでゐる。
実際、いまのところ使つたのはOpalのBlack DragonとRegiaのDesign Line、それとJaegerのMatchmaker Merino 4 Plyだ。
このあとOpalのHundredwasserが控へてゐる。

このイエーガーのマッチメイカー・メリノ・4プライが編みやすくてねえ。
ほかの毛糸にくらべて断然編みやすい。
くつ下毛糸にくらべてちよつとむつちりした編み地になつてしまふのは仕方がないとして、とにかく編んでゐて楽しい。
かういふ糸だつたよねえ。
まだ手持ちに手付かずのマッチメイカー・メリノ・4プライはあるけれど、もつたいなくて使へずにゐる。
ああ、こんな編みごこちだつたなあ。
しかも1段10目だからギリギリまで使へるといふのもいい。
それだけでTen Stitch Twistを編むことにしてよかつたと思つたくらゐだ。

これまでもくつ下毛糸に限らずあまり毛糸の活用には心を砕き、そして砕けてしまつた経験ばかりがある。
唯一うまくできたのはドミノ編みの帽子くらゐか。あ、あとかぎ針編みで編んだスリッパへの刺繍はうまくできたと思ふ。
ほかはとりあへずあまつた毛糸でモチーフを編んでみて取つておいてあとでつなぐつもりがなんかモチーフを編むだけで疲れてしまつたり、ちよつとした端糸はあみぐるみにでもつめやうと思つてとつておいたけれど、あみぐるみ自体を作らなかつたり。

うまくできたドミノ編みも、メインとなる色の毛糸は買ひ足した。
群ようこの本に「あまり毛糸を活用するには新たな毛糸を買つてきて合はせるといい」といふ旨のことが書かれてゐたやうに思ふが、そのとおりだと思つた。
いまのところTen Stitch Twistにはその必要性を感じてゐない。
もしかしたらこの先とんでもない色合ひの毛糸が出て来て「やつぱりなんか統一感がほしいな」と思つて毛糸を買ひ足すこともあるかもしれないけれど、そのときはそのときかな。

1段10目なので、バックメリヤス編みが必要かと思つてゐたけれど、それも必要なかつた。
PIショールを編んだときに端に6目のガーター編みを編みつけたのだが、このときは編み地をひつくり返すのが手間でバックメリヤス編みを習得したのだつた。その方が早かつたし、なにしろ編み地をひつくり返すのが億劫だつた。
Ten Stitch Twistも編み地が大きくなつてくればバックメリヤス編みをしたくなるかもしれないけれど、いまのところは大丈夫。

Ten Stitch Twistの欠点としては、あまり毛糸がなくなつたらしばし待たねばならないといふことがある。
まづはくつ下でも編んで、それであまり毛糸が出たらまた再開。
そんな風になるんぢやないかと思ふ。
でもそれはそれでいいかなといふ気もする。
なにしろ気軽に編めるからね。
しばらくおいておいて、また手に取つてもいいんぢやないかといまは思つてゐる。

また、できるだけおなじ太さの毛糸で編む必要があるといふことはある。
モチーフつなぎだつたらモチーフの大きささへそろへれば、太さの違ふ毛糸で編んだものでもつなげる。厚みが違ふといふのなら薄い方を重ねてもいい。
Ten Stitch Twistだとそれはむつかしい。
なので、これからHemlock Ring Doily Throwを編み始めるとTen Stitch Twistに必要な毛糸がなかなか手に入らないことになるのだが、まあ、そこはそれかな。

とにかくいまは編んでゐて楽しい。
Ten Stitch Twistを編むことにしてよかつた。

Monday, 18 October 2021

老後と毛糸

突然冷えてきた。
こんなことならひざ掛けを編んでおくのだつたと思へども後の祭り。
だいたいつひ最近までは暑かつたのだ。ひざ掛けなど編んでゐる場合ではなかつた。
この先もこんな感じで一年が過ぎていくのだらうか。
ものすごく暑い日が長く続いて、あるとき突然涼しくなる。或は vice versa。
そんな気がするな。日本に、少なくとも自分の住んでゐるあたりに四季がなくなつて久しい。
夏と冬しかなくて、そのあひだはひどく不安定で短くなつた。
もともと秋と春とはさうした季節だつたのかもしれないけれど。

ひざ掛け用の毛糸はもうだいぶ前に買つてある。
ダルマのシェットランドウールだ。
Hemlock Ring Doily Throw を編むつもりで買つた。
今日、かるく衣替へついでに毛糸を発掘した。

以前はよく思つたものだつた。
一生かかつても使ひきれないほど毛糸があるな、と。
それははづかしいことでもあり、もつたいないとも思つた。
自分の死後に誰かがしかるべき筋に寄付でもしてくれればいいけれど、地球温暖化で寄付どころかもらつてほしいくらゐだつてなことになつてゐたらどうしやう、とかね。
もう毛糸を買つてはいけない。
書籍や文房具、ビーズと同じやうに、これ以上増やしてはいけない。
さう思つてゐた。

だが、最近少し考へが変はつた。
だつて年をとつたら毛糸を買ふ金銭的余裕がないかもしれないぢやない?
いまだつて近所に毛糸を売つてゐる店などない。
定年退職したらなにが一番やつかいといつて、定期券がなくなることだ。
……まあ、いまもないけどね。在宅勤務だなんだで。
さうすると、まづ毛糸を買ひに出かけるといふことがむつかしくなる。
オンラインで買ふ? うん、さうかもしれないけれど、いづれにしてもそんな資金がない可能性はある。

さう考へると、毛糸にしても書籍、文房具にしても買つてもいいかなあといふ気もしてくるのだつた。
使ひきれなかつたらそのときはそのときだ。
ビーズだけはもう絶対使ひきらないので話は別だけれども。

Monday, 11 October 2021

『どこにもない編み物研究室』から考へるSDGsなど

どこにもない編み物研究室』を読み終はつた。
読み始めて久しぶりに糸を紡いでゐる。アフガン編みに使ふつもりで単糸はS撚りにして双糸をZ撚りにするつもりだつたのに気が付いたら単糸をZ撚りにしてゐてがつくりした、といふ話は書いたやうな気がする。
でもその後も糸は楽しく紡いでゐる。あーまー時々うまくいかなくてイライラすることもないわけぢやないけれど。

この本を読んでゐると、ところどころに「SDGs」といふことばが出てくる。
Sustainable Development Goalsの略、といふことはおそらく会社勤めなどをしてゐるとよく知つてゐるのではないかと思ふ。なぜといつて各企業にSDGsに従つてゐることが求められてゐたりするからだ。
全部で17の目標があつて、環境に配慮し、多様性の問題に対処する、みたやうな内容だと思つてゐる。

あみものをする人、もつといふと手芸が好きな人といふのはいはゆる「地球にやさしい」みたやうなことが好きな人が多いといふ印象がある。
ちよつと前でいふと「ロハス」とかさ。
なんでもできるだけ手作りで生活したい、とか。

『どこにもない編み物研究室』にはラッダイト運動やネオ・ラッダイト運動に関する話も出てくる。
AIに仕事が取られさうな人は、自分にできることはそれだけだと考へず、見る角度を変へたらほかにもできることがあるよ、といふ旨の話だ。
いままさに職を失ふかもしれない自分から見ると、それは余裕があるから云へることで、実際に失職に直面してゐる人にはそんな余裕はない。
どちらかといふと、人を失職に直面させるやうな方向に向かはせるやうなことをしないことからはじめる必要があると思ふ。
なのに、いきなりラッダイト運動が前提になつちやふんだよなあ。うーん。

必要なものを必要なだけ作る、といふのは大事だとは思ふ。
でもそれでどうやつてこれまでものを作ることで生活してゐた人の暮らしを成り立たせていけるのか、それを考へないといけないんぢやないかなあ。
たとへば、製糸業に携はる人々や広くいへば羊を飼育する人々もみな「ものを作る人」だ。
さういふ発想が欠けてゐる気がするんだよなあ。
以前だと、コンピュータ化された社会は冷たいとか、もつと前だと工場で作つたものは心がこもつてゐないみたやうなことを云ふ人もゐたけれど、コンピュータや工場の機械は誰かが作つたもので、コンピュータに関していへば誰かがプログラムを作つてゐる。
さういふものも、やつがれは「ものづくり」だと思ふのだけれど、いはゆる「地球にやさしい」とかが好きな人はさう考へないやうなんだよなあ。

今日の「まいにちドイツ語」で、ドイツにおける狼の話があつた。
かつてはドイツにも狼がゐたけれど、人が駆除したりしたので絶滅してしまつた。
それが最近ポーランドから移り住んできた狼がゐて、今度は保護するやうになつた。
それで狼が定住するやうになつたのはいいのだけれど、今度は家畜の被害が問題になつてゐる、といふ話だつた。

この話のなにが問題かといふと、狼からの視点の話がまるでないことだ。
人間の勝手で駆除して人間の勝手で保護する。
だからうまくいかないのぢやないかなあ。
もしかすると狼自身はうまくいつてゐると思つてゐるのかもしれない。
狼がよければそれでよしといかないのは、人間がよければそれでよしといかないのと同じではあるけれど。

SDGsもこのドイツの狼の話と似てゐる気がする。
すべては人間の目から見てよかれと思ふことをしやうとしてゐるだけ、といはうか。
SDGsを考へた人々はちやんとできうる限りいろいろなことを考慮に入れてゐたのだらうとは思ふ。
でも、「これをやりなさい」と云はれて各企業がそれぞれにあれこれやらうとすると、いきなりことが矮小化する気がするんだよなあ。
全然地球のためにならないぢやん、それ、みたやうな。
人間から見ていいと思ふことしかしない。
さらにいふと、それをした結果、いろんな影響が出ることを考へないでとにかくやる、とかさ。

レジ袋削減なんかもさうなんぢやないかなあ。
ほんとにレジ袋を削減してマイクロ・プラスチックは減つてゐるのだらうか。
近所の環境の話をすると、レジ袋があつたころはそのレジ袋に入れられて捨てられてゐたゴミが、容器や箸などがバラバラに散乱した状態で捨てられてゐるやうになつたけどなあ。
おそらく近くのコンヴィニエンスストアで買つてきたのだらう弁当の空きがらや使用済みの箸の話だ。
そんなの、ゴミを放置して去る人がいけないんぢやん、といふ人もあらう。
でもどちらかといふと、さういふ人が存在すると考へないことがまづ問題なのだとやつがれなどは思ふ。
禁じられたことをする人はゐる。知つてゐやうとゐずとに関はらず、存在する。
さういふ発想がないのがダメなんぢやあるまいか。
だからレジ袋を削減しやうと決めた時に「かういふこともあるよね」といふ影響を思ひつかない。
レジ袋を削減したらほかにもいろいろ影響があるはずだ。
それを考へることがおろそかになつてゐる気がしてならない。

もつとおそろしいのは「レジ袋の削減→マイクロ・プラスチックの削減」としか考へてゐないのではないかといふことだが……うーん、それはない。と思ひたい。
それも、海辺の環境がよくなつたら住宅街の環境は悪くなつても(ゴミが散乱するやうになつて環境は明らかに悪くなつてゐる)「地球にやさしい」といふのならまあそれもありなのかもしれないとは思ふけれども。

いづれにしても、大勢には流されるしかないので、こんなところで疑問を抱いてゐてもどうしやうもないのかもしれないとは思ふけれど。

Monday, 04 October 2021

好き勝手に編むくつ下

くるぶし丈のくつ下を編み終へた。
コットンソックスといふ糸の緑色のグラデーションを使つて、0号の5本針で編んだ。あ、つま先はUS0号の輪針を使つてマジック・ループで編んだ。
参考にしたのはAmy RappのPink Lemonade。色合ひからいふとまさにレモネードまたはモヒートといつた感じになつた。

くるぶし丈にしたのは夏用だつたからだが、このところまた暑さが戻つてきてゐてちやうどいいかもしれない。
まつたく、「暑さ寒さも彼岸まで」とはどういつた了見なんだかといつたところだが仕方がない。
Pink Lemonadeを参考にした、と書いたのは、実はつま先部分を変へたからだ。
足袋のやうに親指とその他の指の部分とを分けたのである。
なぜといつて、辻屋履物店の室内用の草履を履きたかつたからだ。
夏でも少し冷える時もある。また、その後も草履を履きたい。
足袋のやうなくつ下や5本指のくつ下を買はうかなあ。
さう思つてゐたところだつた。

それが最近『どこにもない編み物研究室』を読み始めて、なんか、好きに編んでいいんだなと思つたんだな。
足袋のやうなくつ下がほしいのならば自分で編めばいい。
もとにした作品の作者への敬意や著作権を忘れてはならないけれど、それさへ忘れなければ好きに編んでいいんぢやあるまいか。
さう思つたらちよつと楽しくなつてきて、つま先部分はいろいろ考へながら編んだ。
足袋のやうなつま先に編むくつ下もいくつかあるが、それは参考にしなかつた。
だいたい1:2くらゐで編めばいいんだなと思つて、まづ最初に編んだ右足の方は親指部分も残りの指の部分も普通につま先を編む要領で減らし目をした。
それでも問題はないけれど、履いた時に親指の先があまるやうに見える。
そこで左足はその他の指部分は普通のつま先を編む要領で減らし目をし、親指の方は最初の2目だけ減らしてあとはそのまま編み、最後で2目一度をくりかへしてぐつと減らしてからしぼつた。
この方がよささうな感じだ。

この先は季節柄もう少し長いくつ下を編みたいと思つてゐるが、つま先部分はやはり足袋のやうにしたいと考へてゐる。
ほかにもダブルフックアフガン針を使つたものやヴェスト、ひざ掛けを編みたいと思つてゐるのだがどうやることやら。
毛糸の在庫次第かな。
さうするとひざ掛けといふことになるのだが。うーん。
アフガン編みでひざ掛けを編むといふ手もないわけぢやないけれど、それだと時間がかかるし。
悩むところだなあ。

より以前の記事一覧