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Friday, 13 March 2026

俳文もどき

今日は寒かつた。
なるほど、これが「冴え返る」といふアレか、と、俳句を作るやうになつたから思ふ。
自分のことを「俳人」とは思へない。俳句をはじめてまだ二年半くらゐなのだから、そんなものだらうと思ふ。それより少し前にはじめた短歌もさうで、「歌人」とはちよつと思へない。実は短歌は角川『短歌』に歌が載つたときに「「歌人」、かも……」と思つたりもしたけれど、そんな気分はあつといふ間になくなつた。

詩のオンラインイヴェントで、東直子がこんな旨のことを云つてゐた。
「自分は自分のことを「歌人」とはなかなか云へなかつた。短歌で食べてゐるわけではないから。最近の若い人は結構自身のことを「歌人」と云ふ」
と。
これは、おそらく職業としての「歌人」か自認(identity)としての「歌人」かの違ひなのではないかと思ふ。
東直子は――いまでは短歌以外の創作活動もしてゐるけれど――歌人だらう。東直子が歌人でなければ誰が歌人だ。

自分が「俳人」だとか「歌人」だとかいへないのは自認の問題である。
毎日俳句も短歌も作つてゐるけれど、一句一首作るのが精々だ。
「俳人」ならば、「歌人」ならば、もつと作れるだらう。とくに俳人はたくさん作る印象がある。
それに、連作といふものがどうもいまひとつよくわからない。
歌集とか句集とかをもつと読むべきなんだらう。短歌の本も俳句の本も可能な限り呼んでゐるけれど、選集とかアンソロジーとかが多いせゐか、なかなか連作のイメージがつかめずにゐる。
連作が作れるやうになつたら、そのときはじめて「俳人」だとか「歌人」だとか名乗れるんぢやあるまいか。
そんな気もしてゐる。
ただの逃げかもしれない。

パンジーの寄りかたまりて冴え返る

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