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Monday, 16 March 2026

毛糸が減らない

もうせん、生きてゐる間に毛糸を使ひ切れるだらうかと思つてゐた。
多分できる。これ以上買はなければ、大丈夫。
さう思つてゐたのはいつのことだらう。
どうやら、指の腱鞘炎に悩むやうになつたのは、六年前のことらしい。
当時、マクラメをやらうとして結ぶだけならなんとかなつたのだけれども、形を作らうとするとうまくできず、残念なものを作つてしまつたことがあつた。
そのときの写真が出てきたので判明した。
マクラメをしたのは、したかつたからといふこともあるけれど、編み棒を持つのがつらかつたからマクラメならなんとかなるのではないかと思つたからだ。
ダルマの鴨川糸もあつたし。
結局、糸を切るだの端糸の始末をするだの細かい作業がダメなんだよね。
つまり、糸を使ふやうな手芸は無理、といふことだ。
いまも針を使ふだけならノールビンどニングはできるけれども、糸を切つたりつないだりといふのがつらいことがある。

毛糸は残る。
毛糸だけではない。ビーズは大半が残るだらう。
どうにもしやうがない。

Friday, 13 March 2026

俳文もどき

今日は寒かつた。
なるほど、これが「冴え返る」といふアレか、と、俳句を作るやうになつたから思ふ。
自分のことを「俳人」とは思へない。俳句をはじめてまだ二年半くらゐなのだから、そんなものだらうと思ふ。それより少し前にはじめた短歌もさうで、「歌人」とはちよつと思へない。実は短歌は角川『短歌』に歌が載つたときに「「歌人」、かも……」と思つたりもしたけれど、そんな気分はあつといふ間になくなつた。

詩のオンラインイヴェントで、東直子がこんな旨のことを云つてゐた。
「自分は自分のことを「歌人」とはなかなか云へなかつた。短歌で食べてゐるわけではないから。最近の若い人は結構自身のことを「歌人」と云ふ」
と。
これは、おそらく職業としての「歌人」か自認(identity)としての「歌人」かの違ひなのではないかと思ふ。
東直子は――いまでは短歌以外の創作活動もしてゐるけれど――歌人だらう。東直子が歌人でなければ誰が歌人だ。

自分が「俳人」だとか「歌人」だとかいへないのは自認の問題である。
毎日俳句も短歌も作つてゐるけれど、一句一首作るのが精々だ。
「俳人」ならば、「歌人」ならば、もつと作れるだらう。とくに俳人はたくさん作る印象がある。
それに、連作といふものがどうもいまひとつよくわからない。
歌集とか句集とかをもつと読むべきなんだらう。短歌の本も俳句の本も可能な限り呼んでゐるけれど、選集とかアンソロジーとかが多いせゐか、なかなか連作のイメージがつかめずにゐる。
連作が作れるやうになつたら、そのときはじめて「俳人」だとか「歌人」だとか名乗れるんぢやあるまいか。
そんな気もしてゐる。
ただの逃げかもしれない。

パンジーの寄りかたまりて冴え返る

Thursday, 12 March 2026

あの曲はどこへ行つた

小学校には登校の曲と下校の曲があつた。
登校のときはシュトラウスの「美しき青きドナウ」で、下校はサン=サーンスの「白鳥」だつた。
この話をすると、「下校の音楽はドヴォルザークの第九番第二楽章だつたな」といふ人も多い。
昨今の小学校には登校の曲も下校の曲もないやうだ。
さういや自分が通つてゐたころも、ご近所からの苦情があつたといふ。「うるさい」つて。
いやいや、うるさいもなにも、小学校のそばに引つ越してきたのはそちらでせうがよ、といふ話なのは、小学校のそばには新築の団地しかなかつたからだ。
まあでも、「うるさい」といふ声は多かつたのだらう。

小学校といへば、運動会で流れる曲は大抵きまつてゐた。
「クシコスポスト」「電光と雷鳴」「トリッチ・トラッチ・ポルカ」……
いまでも徒競走の場面を思ひ起こせば脳内に流れる曲ばかりだ。
題名は知らなくても知つてゐた。
いまはかういふことはないらしい。
なんだらう。JASRACに文句でも云はれたのかなあ。

家族はクラシック音楽などほぼ聞かなかつたから、学校で出会ふ曲は貴重だつた。
授業ではない場で聞けるといふことがまた貴重だつたと思ふ。

Wednesday, 11 March 2026

エフェクチュエイションことはじめ

エフェクチュエイションといふものを知つた。
起業家に人気(といふのか)なのださうで、さういつたものには普段は興味がないのだが、今回はちよつと違つた。
今敏のことばを思ひ出したからだ。

ゴールは設定するものではない。道行く途中で行く先はおのづと定まつてゆくもの

15年前、NHKのドキュメンタリーで知つたことばだ。
前後は覚えてゐないので何についてさう云つたのか記憶が定かではない。
しかし、「映画作りつて、さうなの?」と思つたことは覚えてゐる。
映画は、明確に終りがあつて、それで作るんぢやないんだらうか。
もしかしたら途中でいろいろなことが発生して、それで予定してゐたラストシーンは撮れなかつた、といふことはあるかもしれないけれど。
 
エフェクチュエイションは、ゴールを定めないとはいはないものの、とりあへず小さく始めてみて、途上のさまざまなことを取り入れつつゴールに向かはうぜ、といふ考へ方だと理解した。
それで生成AIに「Explain effectuation to me as I were an eighth grader.」みたやうな感じで聞いてみた。
生成AIの答への中には、不確実なできごとに不安を覚える人には向いてゐる考へ方である、といふやうなこともあつた。
 
んー、だが、どうも自分向きではなささうである。
といふことを生成AIに云つたら、さらにいろいろ教へてきた。
まだ全部読めてないけど。

Tuesday, 10 March 2026

ビーズバッグ

ここのところTLにビーズバッグが流れてくる。
ビーズバッグはビーズ刺繍だけれど、ビーズタティングでも作れるなあと思ふ。ビーズクロシェットでもいい。
さう思つて買ひ置いたビーズがたくさんある。がま口も少々だがある。
さういへば最近は穴ぢやなくてフレームに直に編みつけるタイプのがま口が売られてゐるのだつた。
とんだ浦島太郎である。

正直云ふと、ビーズバッグは作つても使はないと思ふ。
スマートフォンサイズに作ればもしかしたら使ふかもしれないが。
ああ、でも、ひとつくらゐは作つてみやうかな、ビーズバッグ。タティングでもいいし、かぎ針編みでもいいし、棒針編みでもいい。
最近ちよつと腱鞘炎がよくなつてきたし、もうちよつと痛くなくなつたら、作つてみやうかな。

Monday, 09 March 2026

ノールビンドニングのネックウォーマ

今日は少し冷えたこともあり、ノールビンドニングのネックウォーマをしてみた。
パピーのブリティッシュファインで作つた、極々小さいものである。タートルネックのセーターのネック部分だけみたやうな感じ。

このネックウォーマは、ブロディエン・スティッチで作つたと思ふ。伸縮性があるのは糸が細いからぢやないかな。
ほんとはもうちよつとゆとりのある作りになるはずだつたが、多分途中で目を落とすか二目一度をしたかしたんだらう、首にぴつたりくる。
細い糸で作つたわりには編み地がしつかりしてゐてあたたかい。ノールビンドニングつてさうなるよね、特にブロディエン・スティッチ。
といふほどにはスティッチの数を知らないのだが……『はじめてのノールビンドニング』に出てゐるスティッチしか知らないんだよね。

自分の住んでゐるあたりで使ふには、中細くらゐの糸でノールビンドニングするのがよささうな気がする。並太だとかなり編み地が厚くなるからだ。最初のころはブリティッシュエロイカで作つてゐて、大変あたたかいものができ、それはそれでよかつたけれども。
あと、ノールビンドニングでよく見かけるピンやブローチで留めるタイプのマフラーといふかスカーフを作つてみたいとは思つてゐて、これは中細だとさすがになかなかできないからもうちよつと太めの糸で作りたい。
留めるピンとかブローチがないのが問題だが、作つてゐる間に見つければいいかな。
作るとして。

Saturday, 07 March 2026

ふたりの尾上

『加賀見山再岩藤』の尾上はお初のはずなのに、なんだか初代の尾上と変はらないよねー。

なんてな話をしてゐたのだが、今月の尾上は違ふ。
少なくとも今日見てきた萬壽(自分の中ではまだ「時蔵」だつたりはするのだがそれはさておき)の尾上は『加賀見山旧錦絵』の尾上とは明らかに違ふ。元はあのおきやん(といふか)なお初なのだ。

かんたんに説明すると、『加賀見山再岩藤』は『加賀見山旧錦絵』を受けて河竹黙阿弥の書いた芝居だ。
黙阿弥の書いたにしては伏線の張り方がお粗末……といふのはまた別の話。
『加賀見山旧錦絵』では、お家転覆を図る兄を持つ岩藤が姫君大事の尾上を陥れ、室内履きの草履で打ち、失意のうちに尾上は自害する。尾上に仕へるお初は岩藤を討ち、尾上の無念を晴らして二代目尾上になる。
『加賀見山再岩藤』では、岩藤の亡霊が二代目尾上に報復しやうとする。

初代の尾上と二代目とが違つて見えるのは、一月に『加賀見山旧錦絵』を見たばかりだからといふこともあらう。
だから両方の尾上を比較することができた。
それは確かな気がする。
でも、やはり今月の尾上には初代にない芯の強さや多少はねかえりの部分が見て取れるんだなあ。
これがとてもおもしろかつた。
時蔵の尾上もおそらくさうなつてゐるのだらう。一月に尾上を演じたばかりだしね。

それにしても、萬壽で『加賀見山旧錦絵』の尾上が見たいねえ。
『伽羅先代萩』の政岡も。
『仮名手本忠臣蔵』の九段目の戸無瀬も。
もうせん萬壽は(当時は「時蔵」だつたが)、片外しがやりたいと云つてゐて、こちら「おお、おお、そのとほりだ。見たい見たい」と思つてここまでやつてきた。
国立劇場で『妹背山婦女庭訓』の定高を見られたときはほんとにうれしかつたものだ。
もうさういふことはないのかなあ。
国立劇場がないことが恨まれる。

Friday, 06 March 2026

映画ひまはりを見て泣けない

ウクライナが攻撃され始めたころ、映画館で『ひまはり』がかかつてゐた。
『ひまはり』といへばヘンリー・マンシーニのあのテーマ曲を聞くだけで涙が出てきさうになる。話の筋を思ひ出しても、だ。
誰も悪くないのになあ、とか。多分幸せなんだらうけど、でも幸せぢやない人々のことを考へたり、とか。

そんなわけで、もう泣く用意をして映画館に『ひまはり』を見にいつた。
泣く用意つて、泣く用の手ぬぐひを持つて行つたくらゐだけどさ。

でも泣けなかつた。
全然、一滴も涙が出なかつたのだ。
いま、テーマ曲を聞いても泣きさうなのに。

思ふに、戦争になつてしまつたのはいろいろ不可抗力なこともあるだらうとは思ひつつ、ムッソリーニを選んだのはこの人たちだらう、と思つたりとか。
とにかく雪原に延々と点々と連なる力尽きた兵士の姿が圧倒的すぎるとか。
まあいろいろ理由はあるんだとは思ふけど。

多分、見ながら全然話の筋とは関係ない方に興味が向いてしまつてゐるのかもしれない。
最初にジョヴァンナが訪れる役所のやうすに興味津々になつてしまふ、とか。
部屋のインテリアとか壁のやうすに集中してしまふ、とか。
花瓶にどんな花が何本刺さつてゐる、とか。
さういふことが気になつちやふんだよなあ。

おそらくほかの映画もさうなんだらう。
なんか不意をつかれたら泣けるんぢやないかと思ふんだけど。
その日を待つてゐる。

Thursday, 05 March 2026

NHKラジオ講座と国立の博物館

国立の博物館や美術館も収益を上げないと閉館させる。
そんなニュースが流れたが、いままた色々な話が出てきてゐて予断を許さない感じではある。
でも、なんとなく、さういふ流れなのかな、と思ふのは、国立劇場再建の目処が立つてゐないからだ。
多分、自分が生きているうちに国立劇場が再建されることはない。
そんな気がしてゐる。

一方、四月から(正確には三月三十日から)NHKラジオ講座はFMに移り、多くは放送時間帯が変はる。そして、ほぼ放送時間枠が減る。
いまはネットで聞くから問題ないといふ向きもあるやうだが、ラジオ講座のいいところは録音して何度も聞けることだ。
ストリーミングだと放送日から一週間くらゐしか聞けない。
それだけ聞ければ問題ないだらうといふ人もゐるかもしれないが、たとへば講座の内容が二週間単位だつたりすると、最後の日に最初の日の放送を聞くのは無理になる。
そこは講座内容を変へればいいのかもしれないが、だつたら今すでに対応してゐるはずである。つまり、現在二週間で一単位の語学番組が存在するといふわけだ。

などと文句を云ひつつ、自分もストリーミングで聞くやうになるんだらうなといふ気はしてゐるが、気になるのはそこではない。
なんといふか、廉価で勉強のできる環境が狭められてゐる気がするのだ。
TVの語学番組も、いはゆる「タレント」といはれるやうな人々が出るやうになつててんでつまんなくなつたしね。
はしりはイタリア語会話だつたやうな気もするが、イタリア語会話の最初のころはそれでもよかつたやうな気がする。
あとドイツ語会話のペナルティーも、当時ドイツでサッカーのW杯があるからといふので、それなりにふさはしい配役だつたのではないかとは思ふ。

「勉強する」「学ぶ」といふことがおろそかになつてゐる。
そんな気がするんだよね。
TVやラジオで学ばなくてもいくらでも学ぶ手段はあるだらう、といふのも最もだし、いまはストリーミングだけでなくネット上にさまざまなコンテンツやサーヴィスもある。
単に、保有効果が働いてゐるだけなのかなあ。

でもやつぱり国連の公用語であるアラビア語講座をなくしてしまふといふのは暴挙だと思ふんだけどなあ。
それだけこの国にとつて国連はどうでもいい存在になつてゐるつてことなのかもしれないけれど。

ただ、ことは語学講座だけではないといふ気がしてならないのだつた。

Wednesday, 04 March 2026

文化つて

国立劇場はあひかはらず再建の目処が立たず、今日は文化庁が国立の博物館などへ「利益をあげろ」的な「え、博物館法とか、どうなつてるの?」といふやうなことを云ひ出したといふ報を耳にした。
文楽や歌舞伎は見にいくものの、展覧会にはここのところ年に一、二度行くていどの自分ではあるものの、この様相には「さうなるよなあ」といふ気がしないでもない。
文楽はここのところ国立文楽劇場以外は劇場がまちまちだからよくわからないけれど、歌舞伎座でいふと定員が二千人弱。月に二十日前後の公演が昼の部と夜の部とある。そこにリピータがゐるとして、いつたい月に何人が見られるのだらう。それに、常に満員御礼とも限らない。
また、歌舞伎座は比較的交通の便のよいところにあるとは思ふけれど、行ける人は限られてゐる。もちろん遠方からやつてくる人もゐることは承知してゐるが、さういふ人々も限られてゐるのぢやあるまいか。
展覧会にしても、混雑してゐてなかなか見たいものが見られないなどといふ話を聞くが、行く人は行くけど、行かない人はまるで興味がないやうに見受けられる。
さう、大半の人は、文楽や歌舞伎、展覧会といつたものに興味がないのではあるまいか。
さうしたものに税金が使はれることに、「そんなことに使ふんなら、もつと別のことに使つてよ」と思ふ人とか。
芝居見物はしないし展覧会にも行かないけれど、文化の大切さ・重要さを理解してゐる人も大勢ゐるとは思ふ。
でも、「そんなの、どうでもいいよ」と思つてゐる人が多いんぢやないかなあ。
といふのが、国立劇場の現状や今日の報道の向かうに透けて見える気がする。
大勢はそんなこと気にしないのだから、それでいいぢやないかといふ為政者の姿が。
ぢやあどうすればいいのかといふとそれはわからない。即効性のある手立てはなにも思ひ浮かばない。
せめて学校などで、図画工作や美術、音楽、そして国語の授業で、文化の大切さを学ぶやうな機会が増やせれば、と願ふばかりである。

Tuesday, 03 March 2026

糸始末ができない

腱鞘炎だ腱鞘炎だといひながら、タティングはしてゐる。
といふか、せずにはゐられない。
なんなのだらうか、この衝動は。
先日とあるユザワヤでモネの睡蓮をあしらつた缶に入つたオリムパス金票40番の去年の新色6色(+既存色2色)を見つけて思はず買つてしまつたからかもしれない。発売当時はどこを見ても売り切れだつた気がするんだがなあ。あるところにはあるものだ。
最近、オリムパス金票40番をよく使つてゐる。
以前はDMCとか、そののちはLisbethだとかを使つてゐた。
DMCを使つてゐた理由は、色が褪せないといふ話だつたからだ。
国産のレース糸は色が褪せるが、DMCは褪せない、といふ話をどこかで耳にした。
だつたらDMCだらう、といふので、手に入る限りはDMCを使つてゐた。
当時はDMCのコルドネスペシャルにも色のついたレース糸があつたしね。
考へ方が変はつてきたのは、ストックホルムのとある喫茶店に行つたときのことだ。
その店の各テーブル、もつといふと各椅子の前にはかぎ針編みのドイリーが置かれてゐた。エミーグランデくらゐの太さの糸で編んだドイリーだつた。
中にはコーヒーだらう或は紅茶だらうか、染みのついたドイリーもあつた。
それが、なんとなくいい感じだつたんだなあ。
使はれてゐる、といふか。
ドイリーは編んでも使ふことがほとんどない。我が家にはレースのドイリーの似合はないし、自分もドイリーは編むのはよくても使ふのはちよつとなー、と思つてゐる。
でも、使はれてゐるドイリー、日常使ひのドイリーつて、なんだかいいなとそのとき思つた。
帰国した後、ひたすらエミーグランデでドイリーを編んだりしたものだつた。
そんなわけで、色が褪せるといふのもそれはそれでいいものなのではないか、と思ふやうになつた。
オリムパス金票40番は、タティングもしやすいしね。
少なくとも、去年の新色は、まだ全部使つたわけぢやないけれど、使つた色は全部いい感じだつた。
それでなにを作つてゐるのかといふと、Jon YusoffのChinese Coin Bookmarkをいくつも作つてゐる。
作つてゐるのはいいけど、糸始末ができてゐないので、できあがつたとはいへない。
糸始末をするには、やはり指が痛いんだよなあ。細かい作業ができない。
のりで留めて切つちやはうかなあ。

新色といへば今年のオリムパス金票40番の新色にも気になる色がある。
手芸店の少なくなつた今、どこで手に入れられるものやら。

Monday, 02 March 2026

もつたいない

この冬は、アフガン編みのヴェストを編んでゐた。
秋口からはじめて、いい感じで編めてゐたのだが、腱鞘炎である。
左身頃と右身頃と分けて編むタイプで、右側は編めて左側に入つたところだつた。

このままだと編めないままあたたかくなつて、そして、結局編み終へることはないのではないか。
そんな気がしてならない。

アフガン編みは時間がかかる。
「そんなことありませんよ」といふ人がゐたから、自分の編み方が悪いのかもしれない。
とにかく時間がかかる。
だから早めにはじめて、せつせと編んでゐたんだがなあ。
せつせと編んだから腱鞘炎になつてしまつたのか。

「これなら仕上がるぞ」と思ひながら編んでゐたときもあつた。
とりあへず、腱鞘炎がよくなるのを待つしかない。

Sunday, 01 March 2026

2月の読書メーター

2月の読書メーター
読んだ本の数:6
読んだページ数:1254
ナイス数:33

ゆきどけ産声翻訳機 Best selection 100 現代川柳アンソロジーゆきどけ産声翻訳機 Best selection 100 現代川柳アンソロジー感想
暮田真名の選ぶ川柳とその鑑賞がおもしろいことはもちろん、川柳というとサラリーマン川柳がすぐに脳裡に浮かぶだろうけど、というそうした川柳とこの本でいう現代川柳に関する葛藤が読み物としてついていて、これがまたおもしろかった。川柳は作れないけれど、読めたら、読み解けたらおもしろいだろうなと思って購入した。
読了日:02月09日 著者:暮田真名
永井陽子歌集♯(シャープ) (短歌研究文庫)永井陽子歌集♯(シャープ) (短歌研究文庫)感想
私性について意識的な歌人ということで読んでみた。短歌や俳句は大抵の場合歌人・俳人自身のことを詠っていると捉えられるけど、そうなんだろうか。そんな私性に関する話題が以前Twitterでも少し取り沙汰されていて、「いやー、自分のことなんて詠まないでしょ」と思ったんだけれど(そして同じような主張をする人もいたけれど)、そこからいくとこの本には思ったよりは歌人自身のことを詠んでいるのではないかという歌が多いように感じた。フラットも読んでみようかな。
読了日:02月09日 著者:永井陽子
楽天生活楽天生活感想
詩人白楽天と白猫ハク・ラクテンの歌が交錯し、白楽天の詩が下の句になりまた短歌になり、いろいろな読み方ができる歌集。白楽天の詩の訳は、武部利男のそれに準じているようにも思う。オマージュというべきか。
読了日:02月13日 著者:紀野 恵
近現代短歌 (河出文庫 ほ 6-7)近現代短歌 (河出文庫 ほ 6-7)感想
歌人別の選集で読んだことがある歌人の場合あまり記憶にない(とほほ)歌が選ばれていたりしておもしろい。知らない歌人の歌もそうなんだろうな。五首選ぶうちの一首はくすっと笑えるような歌を選んだりしていることがあったりするの、好きだなあ。解説で東直子も書いているように、続篇にも期待。
読了日:02月22日 著者:
フラワーズ・カンフーフラワーズ・カンフー感想
小津夜景の著作でポピュラーなのはどちらかというと漢詩の本なのかもしれないと思いつつ、最初の出会いが句集だったので読み返しがちなのかもしれない。不思議な句が多いところが好きなんだな。
読了日:02月24日 著者:小津夜景
The Tipping Point: How Little Things Can Make a Big Difference (English Edition)The Tipping Point: How Little Things Can Make a Big Difference (English Edition)感想
イノヴェータ理論に興味を抱きこの本を読んでみた。提示されている例に興味深いものが多い。何故独立前のアメリカ人はイギリス軍の攻撃に備えることができたのか、何故『セサミストリート』は成功し何故『ブルーズクルー』はその『セサミストリート』を超えることができたのか、ゴアテックスの戦略(というのか)、ヘヴィースモーカになるのは何故か等々。自分にできることはない気がするのは、人の持つ資質・才能によるところが大きい気がするからだが、流行を見てなぜそうなったのかを考えるのは面白いと思う。
読了日:02月25日 著者:Malcolm Gladwell

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