忠臣蔵は九段目だ
『仮名手本忠臣蔵』を通して見ると、全ての話は九段目に向かつてゐるのがわかる。
つまり九段目のために大序から八段目までは存在する。
『仮名手本忠臣蔵』に限つたことではないものの、当時は実名での上演ができなかつたので、時代も太平記の時代にし、名前も元の名前はわかるものの「違ふ人なんですよー」といふ風に変へて芝居にしてゐる。
ゆゑにできたこともあるのではないかといふのが九段目の「あさきたくみのえんやどの」だ。
要は、浅野内匠頭の思慮不足からこんな大変なことになつちやつたんですよねと云つてゐる。
『仮名手本忠臣蔵』のクライマックスは九段目で、でも昨今の忠臣蔵はどうだらう。
昨今、と書いたが、案外百年くらゐはこんな調子なのかもしれない。
こんな調子といふのは、『仮名手本忠臣蔵』ではもともとそれほど重要な場面ではなかつた討入がクライマックスになつてゐる、といふことだ。
『仮名手本忠臣蔵』で討入がそれほど重要ではないのは、遅い時間に上演しなければならないからといふ物理的な理由だらうとは思ふ。
ただ、なんていふのかなー、討入を見る人は、ある種のカタルシスのやうなものを覚えるんぢやないかといふ気がしてゐる。
いぢめられ不公平な目にあひつらい暮らしを耐へ忍んできた人々がやうやく敵を討つ、それに快哉を叫ぶ。
それつて、どうなんだらう。
自分は人一倍復習心の強い方だから、あまり大きなことを云へないが、復讐つて、どうなんだらうな、と正気に返ることもある。
それをクライマックスにしちやふつていふのも、どうなんだらう。
忠臣蔵ではやはりどこかで内匠頭の非も語つてほしい。
そんな気がする秋のゆふぐれ。
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