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Tuesday, 17 February 2026

顔回のすぐれたところ

まだ自分の中でうまくまとまつてゐないが、考へてゐることを書く。

孔子の弟子の中で一番優れてゐるといはれる顔回。
どこが優れてゐるのか。
たとえば中島敦の「弟子」では子路は顔回のどこがいいのかよくわからないといふ旨のことをいふ。
顔回には、なんといふか、自我のやうなものが稀薄といはうか、「かうしたい」といふやうなことが見てとれない。

顔回といへば「一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り」で、それを楽しんでゐるといふ。余人にはおよそ耐へられぬやうな境遇を、だ。
孔子にも似た話があつて、「疏食を飯いて水を飲み、肱を曲げてこれを枕とす」ことを楽しむ。
なぜさうしたことを楽しむ必要があるのか。楽しめねばならないのだらうか。

孔子の教へでは、必ずしも主君に忠節を尽くすわけではない。
ダメな上司と見れば見限つて野に降れといふ。
だが、生きるために糧が必要ならば、さうもいかない。
ダメ上司とわかつてゐても、仕へつづけねばならない。

最低限の飲食物を摂取するのみといつた質素な生活を楽しめれば、そこに迷ひの生じる確率は限りなく低い。
だから顔回は優れてゐるといはれるのだらう。

また、孔子にはよき君主に仕へて己の理想とする国を現実のものにしたいといふ欲がある。
顔回にはさうしたものがない。あるのかもしれないけれど、描かれてゐない。
孔子にはさうした欲があるから、ダメな上司だと思つても「もしかしたらまだなんとかできるかもしれない」と望みをつながうとしてしまふことがあつたらう。
顔回にはそれがない。

或はかうもいへるかもしれない。
『論語』に何度もあらはれる、「人に知られぬを憂へず人を知らぬを憂ふ」といふ類の文句。
孔子もまた、他人に評価されないことに悩んでゐたことがあるのではあるまいか。
それとも、さうした悩みを抱へる弟子がたくさんゐたのかもしれない。
だが、おそらくその弟子の中に顔回はゐなかつたのぢやあるまいか。

孔子は、「自分はとても顔回には及ばない」といふ子貢に、「吾と汝と如かざるなり」といふ。
子貢を慰めやうといふ気持ちのあらはれ。
そのとほりであらうとは思ふが、孔子はどこかで自分は顔回には及ばないと思ふことがあつたのだらう。

といふやうなことを、近頃考へてゐる。

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