他人の作品を読むこと
「わたしね、他の人の俳句は読まないやうにしてゐるの」
ある日の午後、電車に乗るとそんな話が聞こえて来た。
見るとはなしに見ると、観光地帰りと思しきお髪に白いものの混じるご婦人が二人、座つてゐた。
「読むと影響を受けちやふでせう? キシモトヨウコさんも本にさう書いてゐたのよ」
喋つてゐる方のご婦人がさう云つた。
このころはまだ俳句をはじめてゐなかつた。岸本葉子のことも知らなかつた。
だから、「そんな無責任なことを書く作家がゐるのか」と思つたものだつた。
いまだつたらわかる。岸本葉子はそんなことを書く人ではない。岸本葉子の全作品を読んだことがあるわけではないが、いまならあのご婦人はなにか勘違ひをしてゐたのだらうと思ふ。
たとへば、句作をする際には影響を受ける可能性が高いから他の人の句は読まないやうにする、とか、さういふことは書くかもしれない。
それはちよつとわかる。
兼題が季語の場合、歳時記でその季語を見、そこに挙げられてゐる句を読むと、その句(たち)が頭から離れないことがある。
でも、他人の句を読まないと、特に先人の優れた句にたくさん触れないと、俳句つて作れなくない?
話を聞いてゐる方のご婦人は、俳句の嗜みがないのか、もともと寡黙なのか、或は何を云つても聞き入れない相手であることがわかつてゐるのか、ことば少なだ。
話してゐる方のご婦人は続ける。
「俳句の先生はね、いつも「他に同じやうな句がありさうよ」つて云ふの」
おそらくご婦人の句に対する先生の指摘だらう。
そりやさうなるよね。
他人がどのやうな句を作つてゐるのか知らないままでゐたら、すでにあるやうな句ばかり作つてしまふのぢやあるまいか。
小説家になりたいけれど、他の人の書いた小説を読まない人の書いたものは、似たやうなものになるといふ話もあるし。
さうした類想を避けるためにも、他人の作品を読むことは必要だ。
すごく気になる話だつたので、当時その場でスマートフォンにメモした。
俳句をはじめて、時折このときのことを思ひ出す。
あのご婦人はいまでも俳句をつづけてゐるだらうか。
他人の句は読まないままで? それとも読むやうになつてゐるだらうか。
自分は十分に他人の句を鑑賞してゐるだらうか。
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