どうなる言語
水村美苗が『日本語が亡びるとき』を、成毛眞が『日本人の9割に英語はいらない』を書いてもうずいぶん経つ。
日本語の未来は相変はらずお寂しい限りに見える。
ぢやあ英語の未来は明るいのかといふと、必ずしもさうではないらしい。
Lingua francaの払ふ代償とでも呼べばいいのだらうか、英語の英語らしい表現が失はれつつある、といふのだ。
英語を外国語として使用する人たちは、なんかよく意味のわからない英語の表現は使用しなくなるからなのらしい。
具体的な例は見かけなかつたが、思ふにいはゆるイディオム、たとへば”break a leg”のやうに並んだ単語自身の意味では通じない表現や、あと文学に由来することばなんかも入るのぢやあるまいか。”Neither a borrower or a lender be.”とか、はたまたnursery rhymesとか子どもの歌とかもさうかもしれない。いまぱつと思ひ浮かんだのは「バケツの穴」だ。
英語を母国語とする人よりも英語を外国語とする人の方が数は圧倒的に多いだらう。
直接的で「わかりやすい」表現は残る。さうでないことばや表現は淘汰される。
さうなつた場合、「英語は残つた」といふことになるのだらうか。
ことばといふのはどんどん変化してゆくものであるし、上にあげた”break a leg"などもさうした変化の中から生まれてきた表現だらうとは思ふ。
また、これまでも時代の流れとともに失はれた表現もあるだらう。
さう考へると、使ふ人のゐるうちは、どんなに変化したとしても英語はやはり残つたといふことになるに違ひない。
日本語はどうかなあ。
« 情念と執着 | Main | ニトムズのStalogy »

Comments