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Saturday, 31 January 2026

選択肢は多い方がいい

編み物、タティングレース、マクラメ、ノールビンドニング。
不器用だといふのに、いろいろな手芸に手を出して来た。
時に思つたものだ。
なにかひとつにしぼつた方がいいのではあるまいか。
編み物にしたつて、棒針編みかかぎ針編みかどちらかに注力した方がよいのでは。

さう思ひながら、いづれも楽しくてやめられずにここまできた。
それでよかつたと思ふ。
一昨年くらゐから指の腱鞘炎に悩まされるやうになつた。
一年の半分くらゐは編んだり結んだり縫つたりできない状態だ。
さうはいひながら、なにかしらできることもある。
たとへばいまは、ノールビンドニングならできる。
タティングならできることもある。
いろいろやつてきたから、なにかしらできることがあるのだ。

いづれも大成はしなかつたし、なにをやつても中途半端なままだけれど、できることがあるといふのはすばらしいことだ。
あれこれ手を出して来て、正解だつた。
いまはさう思ふ。

Friday, 30 January 2026

NHKラジオ語学講座を続けるか否か

はじめて聞いたのは、小学四年生の時だと思ふ。
高熱を出して寝込み、目が疲れてTVを見たり本を読んだりすることができず、ラジオを聞くくらゐしか気晴らしがなかつた。いろいろ聞いてゐるうちに、NHK第二放送の基礎英語に出会つた。
実際にテキストを買つ(てもらつ)て聞き始めたのは十二月だつた。形容詞・副詞の比較級・最上級からだつたと思ふ。
この頃は月曜日から土曜日まで放送があつて、土曜日には米国・英国のフォークソングを紹介してゐた。「シェナンドー」「峠の我が家」「ジョニーが凱旋する時」「あの子が山にやつてくる」「我が祖国」「テキサスの黄色い薔薇」……まだまだあつた。これが好きでねえ。
四月からはフォークソングはマザーグースになつた。白秋や谷川俊太郎のマザーグースを読むきつかけでもある。
当時は基礎英語の次は続・基礎英語で、ジョン・マケーレブとマーシャ・クラカワーが出てゐた。
英語会話も聞いた。最初のキーフレーズが「I’m coming.」だつたと思ふ。行くのに「come」なんだ、とショックだつた。

と、思ひ出は尽きない。
しばらく聞いてゐない時期があつたが、職場の同僚が聞いてゐるといふので遠山顕のラジオ英会話を聞き始めて以来、ずつと何かしら聞いてゐる。
遠山顕といへば百万人の英語の木曜深夜の「Far out!」なんだけど……これももう知る人も少ないのかなあ。
英語以外の語学講座も一応ちよつとは聞いたことがあつて、イタリア語講座ははじまつたばかりのころ「先生の声が好きだなあ」と思ひつつ聞いてゐたし、コロナ禍のころは「プロジェクト月島」と銘打つてロシア語講座を聞いてゐた。さうさう、さうしたらその年『シン・ウルトラマン』が上映されて中にロシア語での会話があつて、ちよつとだけ何を云つてゐるのかわかつたのが嬉しかつたなあ。

なぜラジオの語学講座なのかといふと、やはり手軽だからだらう。
テキストも安いし、最近は聞き逃しても期間限定ではあるもののネット上で聞くことができる。

ところが、安いとばかりも云つてゐられなくなつてきた。
ちよつと前までは一冊450円だつたテキストも、いつのまにか660円、680円とどんどん値段があがつてゐる。
# ちなみにはじめて聞いたときは120円だか140円だかだつたと記憶する。
自分が聞き始めてからは下半期は同年の上半期の復習だつたビジネス英語やエンジョイ・シンプル・イングリッシュが、今年度は下半期に別の年の復習を放送するやうにもなつた。
ビジネス英語はたまたま(無精だから)その時のテキストが手元にあつたものの、エンジョイ・シンプル・イングリッシュは聞き始める以前の放送分の再放送でいまはテキストなしで聞いてゐる。
ハン・ガンを読んでハングル語がわかるやうになりたいなあと思つたのも束の間、この価格ではちよつと踏み切れない。

とはいへ、語学を学ぶ手段としてはそれでも一番手軽な気がする。
それにやめたい時にやめやすい。
テキストなしでもそれなりにいけることがわかつたから、今後はテキストを買はずにラジオだけ聞くといふ手もある。
いつそ聞くのをやめてしまふ、といふ手もあるし、時折「もう聞くのやめやうかな」とも思ふのだが、なんといふか、サンクコストのやうになつてゐてなかなかやめられない。
これはやめる機会なのかもしれないな。

Thursday, 29 January 2026

明日は我が身か

先日、映画『切腹』を見て来た。
以下、ネタバレがあるので注意。

多分四回くらゐ見てゐて、毎回なんとなく感想が違ふ。
最近は「無敵の人」の物語だなと思ふことが多くて、それは変はらないのだけれども、ぢやあ井伊さんちがそんなに悪いのかといふと、うーん、どうなんだらうと今回は思つた。

かんたんにあらすじを書く。
寛永年間のある日、彦根藩の江戸屋敷に、玄関先で腹を斬らせてほしいと主人公の芸州浪人があらはれる。
実は何ヶ月か前にやはり芸州浪人を名乗る若侍が同じやうに玄関先で腹を斬らせてほしいと頼みに来た。
江戸家老はその時の話をして、主人公に切腹を思ひ止まるやう伝へる。
近頃は食ひつめた浪人が大名屋敷にやつて来て、玄関先で切腹させろと云つて何がしかの金銭をそれとなく求める、いはゆる強請りが増えてゐた。
井伊家に来たのはこの若侍がはじめてであつた。
こののち同じやうなことが続いてはたまらない、といふ意見が通り、この若侍は切腹させられることになる。
それも、最初はお世継ぎに会はせてやると期待を抱かせてから切腹をするやう迫つたり、若侍の腰に下げてゐた竹光で腹を斬らせたりといふ酷さだつた。
その話を聞いても主人公はなほ腹を斬らせてほしいといふ。

かう書くと、井伊家の人々の所業はほんたうに残酷で、よくそんなことができるな、と思ふし、実はこの若侍の岳父である主人公の怒りももつともだ。
だが、井伊家の人々の身になつてみれば、相手は強請りに来たのだ。そんな相手にやさしくしてやる必要があるだらうか。

主人公は井伊家の人々に云ふ。
今日は他人のことでは明日は我が身といふこともある、と。
これまたその通りで、この映画のテーマはそこだらうと思つてゐる。
実際に、この200年後くらゐには井伊家の人々は我が身のことのやうに感じたことであらう。
だが、実際に自分の身にふりかかつてこなければ、実感にはならないし、もつといふと「知らんがな」といふこともあるのぢやあるまいか。

さう考へた末、「やつぱり無敵の人は作つちやいけないな」と、これはいつも思ふことながら、今回は「だから政府がしつかりしないと」と思つたのだつた。
井伊家だけではどうにもならないこともあるのぢやあるまいか。
現代で云へば、トヨタだけで世の無敵の人をまたその予備軍をなんとかすることができる……のかもしれないが、それはむつかしいやうな気がする。
今回の選挙では、そこらへんのことを加味して投票したいと思つてゐる。

Wednesday, 28 January 2026

Healthy BackBagとわたくし

出会つたときの名前はマーガリーバッグだつた。
通販生活で見つけて、価格に躊躇したものの、当時肩こりといふか肩の張りにひどく悩まされてゐたこともあり、悩んだ末購入した。
斜めかけにはせずに使つてゐて、肩にかけてゐるときは気にならないのに、かばんを下ろす時にずつしり重たいことが印象的だつた。つまり、かばんを持ち歩いてゐるときは重たくなかつた。
革のかばんだつたけれどもそんなわけで毎日使つてゐて、使ひつぶして二つ目を買つた。
香港に行つたときもこのかばんだつたと思ふ。ファスナーが背中側に来るのでちよつと安心な気がしたんだよね。
その後、通販生活では取り扱はなくなり、困つてゐたところ、しばーらくしてアメリバッグといふ名前のかばんを見かけた。
これ、マーガリーバッグだよね。
ただその時は買ふには至らなかつた。ほかに使つてゐるかばんもあつたし、いいかばんであることは知つてゐるものの、A4の書類を折らないと入れられないといふのがネックだつたからだ。
さう、自分が使つてゐたマーガリーバッグで唯一困る点が、A5サイズのノートや本もちよつと入らない、入れるとマチが死んでしまふといふことだつた。多分Sサイズだつたんだらう。
それからまた見かけなくなつて、気がついたら丸善丸の内店にHealthy BackBagといふ名のかばんが売られてゐた。色がいろいろあつて、よくよく見ると素材もさまざまだつた。
いつの間に……。以前は黒か茶色の革のかばんしかなかつたのに。

そんなわけで、Mサイズのヴィンテージインディゴのヘルシーバックバッグを買つてしまつた。
MサイズだとA5のノートも余裕で入る。といつて現在使つてゐるのは文庫サイズの手帳だが、大は小を兼ねるつていふし。
13インチのノートPCもなんとか入るが、これまた入れるとマチを殺してしまふことになるので、よほど荷物を軽くしたいとき以外は入れないと思ふ。
出かけるのは好きぢやないのに、このかばんに荷物を詰め込んで出かけるのが楽しみである。

Tuesday, 27 January 2026

腱鞘炎とのつきあひ

先週末はアクリル毛糸でクイックルワイパー用のモップ(といふのか)を編んでゐた。
ワッフル編みのものとリング編みのものを一つづつ編んだ。
このアクリルモップ(と呼ぶことにする)はTLに流れてきたもので、自分のアイディアではない。
TLに流れてきたのはリング編みでモップのやうになつてゐた。
ただ、さうするとゴミやほこりを取るのに最終的に掃除機が必要だといふので、自分用にはワッフル編みのものを作り、いまも使つてゐる。
今回、リング編みのものも編んでみて、やつぱりモップ状のもいいなあといふ気がした。
でも、ワッフル編みのときに編む長編みの引き上げ編みが好きなんだよね。
いづれにせよアクリル毛糸はまだあまつてゐるので自分用にも編まうかなあと思つてゐる。

と云ひたいところだが。
またぞろ腱鞘炎で指が痛くて編めずにゐる。
腱鞘炎なんだからそもそも編むなよ、とも思ふが、でも編みたかつたんだもん。
そんなわけでかぎ針編みはあきらめたが、「何か作りたい!」といふ気分已み難く、タティングレースの栞など作らうとしたものの、やはりうまくいかない。
ただでさへ不器用なのに、指がうまく動かなくてなにもかも下手になつてゆく。
あみものだけでなく、日々のあれこれも、だ。

年をとるつてかういふことかな、と思ふ。
しばらく安静にすればいいとは思ひつつ、それで治る保証もまたない。
糸を巻いたタティングシャトルを前に、ぼんやりとしてしまふのだつた。

Monday, 26 January 2026

ポエムと詩

初心に帰らうと思つて藤田湘子の『20週俳句入門』を読んでゐる。
中に俳句に盛り込むと失敗することとしていくつかある中に、「風流ぶり、気どり、低劣な擬人法」や「俗悪な浪花節的人情」といふのがある。
これつて、世間で(対象がデカいが)「ポエム」だと思はれてゐることなんぢやないか知らん。
著者は、新聞俳壇にはかういふ俳句を作つて送つてくる人がごまんとゐる、と書いてゐて、その理由の二つのうちの一つに「俳句が韻文といふ意識がない」といふことをあげてゐるのだが、うーん、さういふ人は、韻文といふか詩といふのはかういふものだと思つて書いてゐるんだと思ふのだがあなたどう思ひますか。

多分、人が(これまた主語がデカいが)「ポエム」といふことばを揶揄するために使ふときも、「気どり」だとか「浪花節的人情」のやうな表現をさしてゐるんぢやないかと思ふ。
「詩的」といふことばをさういふ風に使つた例は寡聞にして知らないが(単に世間を知らないだけかもしれない)、「でも詩つてさういふものでせう?」と思つてゐる人も多いんぢやないかなあ。間違つてゐるかもしれないけど。

ここでも何度か書いてゐるけれど、山本夏彦は「人は気取つて書く」といふ旨のことを云つてゐて、それはもうその通りだと思つてゐる。
たとへば、ビジネス文書とか(これも何度も書いてゐるけれど)、本来口語で書くことになつてゐるけれど、絶対文語とか文語的表現が混ざつてくる。指摘してもなほさないし、そもそも文語と口語とはなにかがわかつてゐない人だらけなのは、まあ、学校教育がさうだから仕方ないとは思ふけれど、だつたらビジネス文書だつて文語で書くことにすればいいんだよなー、とはいつも思ふことではある。

普通に書いたつて気取つちやふんだから、俳句や詩になつたらもつとさうなるんぢやないかなあ。

といふわけで、やはり初心に帰らねばとの意を強くするのであつた。

Sunday, 25 January 2026

邪魔なんでせう?

今日ドラゴンボールのゲンキダマツリといふイヴェントで、『ドラゴンボール超ビルス』がこの秋に公開されるといふ情報が解禁になつたといふ。
それだけ聞いたときに、なんだかイヤな予感がした。
『ドラゴンボールZ神と神』は文字通り神映画だつた。
この世には十二の宇宙があつて、ドラゴンボールの世界は第7宇宙で。
各宇宙に破壊神がゐて。
そして、その破壊神にはそれぞれ師匠がゐるといふことがあとで明らかになつて。
つまり、上には果てしなく上がゐるのだ、と。
そして『Z』の孫悟空は「まゐつたな」といつてその事実を受け入れるのだ。
おそらくは天津飯やピッコロさんと同じ心境に至つたのだらう。
この世には自分の手の届かない場所がある。
でも修行は続けるのだ、といふ。

なんといふ美しい決着!
もうこれでオシシ仮面状態は終はつたのだ。
『ドラゴンボールZ神と神』を見たとき、さう思つた。

ところが『復活のF』。
さらには『超』。

見ながら思ふ。
ああ、もう、アニメを作つてゐる人たちにとつては「破壊神」つて邪魔でしかないんだな。
悟空に超えられない存在があるといふことが、アニメ作りには支障でしかない。
挙句の果てに全王様である。
あーあ。

『ドラゴンボール超ビルス』の話を聞いたときは、そんなことしなくていいのに、と思つた。
破壊神の再定義をするつもりなんだらうと思つたし。
再定義をして、破壊神の力を削ぐつもりなんだらう、と。

ただ、予告篇を見た限りはさうでもないのかなあ、といふ気もしてゐる。
ゲンキダマツリでの話を聞いてゐるとイヤな予感しかしないけれど。

いづれにしても、秋にTVで放映される作品は見るんだらうと思ふ。
それまでこのことについては忘れることにしたい。

Saturday, 24 January 2026

体力のない悲しみ

「体力がない」でWeb検索をかけると、「体力がない人の仕事術」といつたやうな仕事と関係のある結果しか出てこなくてがつくりきてゐる。
ただでさへ体力がなくてがつくりきやすいといふのに。
仕事ができないのももちろんなんだけど、趣味の時間も取れないんだよね、体力がないと。
たとへば展覧会。
美術館に行きたいと思へども美術館はあまりに遠し。
といふか、駅から結構歩く美術館が多い。時にバスに乗つてもバス停からさらに距離があつたりする。
さらに、館内で歩くは歩くは。
しかも普通の歩き方ではない。
ゆつくりゆつくり、場合によつては他人のペースに合はせて歩く必要がある。
これ、体力ないとつらいんですわ。
体力のない人間は自分のペースで歩かないと即疲れる。
駅伝なんかでも一人旅の方が記録が伸びたりすることがあるでせう。
他人に気をつけながら気を遣ひながら走る(歩く)のは疲れる。
スリップストリームを使つて、といふか、とにかく前をゆく走者のあとにぴつたりつけてゴール手前で追ひ抜くなんてな選手もゐるけれど、どんだけ体力おばけなんだらうと思ふ。

自分の例でいふと、十二月一月にかけて、なかなか芝居を見に行けない。チケットを取つてあつても寝込んでしまつたりする。
また、平日の夜でないと見られないからと映画に行つては躰を壊してしまつたりする。そんなわけでもうしばらく平日の夜の上映には行けてゐない。

体力がないせゐで我慢しなければならないことが多すぎる。
我慢しなければいいのかもしれないが、さうするとあとでしつぺ返しが来て寝つかなければならない。

多分に、他人と比べて体力がないことに気がつかずにここまで来たといふか、薄々気づいてはゐたけれど気づかないふりをして来た代償なのだと思ふ。
もつと早い時点で気づいて対処してゐればこんなことにはならなかつたのかも。

そんなわけで、今月は加賀見山を見に行けてゐない。
まだあと三日くらゐあるけれど、おそらく行けないだらう。
あーあ。

Friday, 23 January 2026

自己憐憫はしないこと

三原順は自己憐憫する登場人物に厳しい。
読める作品はほぼ読んでゐるはずなのに、そして上記のことを理解してゐるはずなのに、なぜ自分は自己憐憫してしまふのだらう。
なぜ自己憐憫はいけないのだらうか。

たとへば『はみだしっ子』の「雪だるまに雪は降る」。
心臓疾患だらうか、虚弱児の女の子が母親を意のままに動かす。母親は娘の躰の弱いことがわかつてゐるから逆らへない。
その母親の姿に主人公の一人サーニンは自身の母の姿を重ね、「ああ、かわいさうだね」「でもボクもう疲れちやつたよ」と思ふ。

或は『夢の中 悪夢の中』。
陽気なスポーツ大好き一家の中でただ一人静寂と本とを愛する主人公は、家族から、特に母親から理解されず、或は理解されてゐないと思つてゐて、自分に子どもが生まれたら好きなだけ本を読ませてあげるのだと思つてゐる。
ところが生まれてきた子は自分の家族そつくりで本など見向きもしないし粗暴で騒がしく、主人公は時に手をあげ、子どもの鼓膜を破つてしまつたりもする。
理解ある夫から「君がぼくたちの子にやつてゐることは、君のお母さんが君にしてゐたことと同じぢやないかな。ちよつと一人で落ち着いて考へてみたらどうだらう」と云はれ、主人公は(おそらく)事実を受け入れられない。

なんてかわいさうな私!
でもだれもさう思つてはくれない。
だつたら自分で自分を憐れむしかないぢやない。

だがそれはやつてはいけないことなのだ。
そんなことをしてもさらに不幸になるだけだから。

問題は、どうやつたらこのやつかいな気持ちを捨て去ることができるのか、である。

Thursday, 22 January 2026

たとへば『アマデウス』

映画『アマデウス』は、天才を知りながらその天才には及ばない者の苦悩を描いた作品、といふやうな話を聞く。
さうだらうか?
いや、まあ、さうかもしれない。さういふ面もある。
でも、なんていふか、それつて全部アヤシい話つて感じがしない?
あの人物がサリエリかどうかも含めて、さ。

『フランケンシュタイン』もさうだと思ふんだよね。
あれつて、船でたまたま出会つた人から聞いたことを手紙に書いて送つた話でせう?
どこまでほんとでどこまで作り話なのか。
定かではない。
フランケンシュタインの怪物の孤独、みたやうな話があるけれども、それもまたどこまで信用していいのか。
さういふ話だと思ふんだけどなあ。

真剣にすべてを信じてはいけない、といふかさ。
まあ自分がさういふ話が好きといふ話なんだけどさ。
メタ、といふのか。
ちよつと「シャブ浜」の、どこまでが幻覚でどこまでが現実なのかわからない感じが好きなのに似てゐるかもしれない。
# そんなことない?

Wednesday, 21 January 2026

憧れの多版刷り

プリントゴッコを買つてやつてみたかつたことのひとつが多版刷りだつた。
なんか、かう、浮世絵のやうぢやないですか。
でもなかなかうまく絵を合はせることができなくて、結局あまり複雑な絵は刷れなかつた記憶がある。
それでも年賀状を作るたびに多版刷りに挑戦してはゐたんだけどね。

去年の大河ドラマが蔦屋重三郎を取り扱つてゐたり、最近念願の学研『大人の科学』の活版印刷機を入手したりして、またぞろ多版刷りへの野望が昂まつてゐる。
なんでなのかなあ。
世の中にはもつと便利なものがたくさんあるし、多版刷りなんてする必要ないのに。

Tuesday, 20 January 2026

かつこいい銀不成

『NHK俳句』二月号に、拙句が佳作として掲載されてゐた。
先月は空振りだつたこともあり、また別の理由でとても嬉しく思つてゐる。
 
先日、句会で「囲碁や将棋の句はあるあるになりやすくむつかしい」と云はれた。
そこで俄然火がついちやつたんだな。
「将棋の句をヲレは作る!」みたやうな。
 
将棋は指せない。
ひとりでできないことはできない。
詰将棋はたまにすることがあるけれど、三手詰めが精々で五手詰めが解けたら天変地異が起きるんぢやあるまいかと思ふくらゐだ。
そんな自分でも、詰将棋で銀不成とか桂不成とか出てくるとぐつときちやふんだなあ。
将棋の駒は敵陣に入つて金になるといい感じだといふことになつてゐる。
少なくともと金はさうだ。
でも銀や桂馬は、成ることによつてその駒本来の長所が失はれてしまふことがある。
その長所を生かした手がかつこいい。
そんな感じを句にした。つもり。
 
かういふ天邪鬼なすなほぢやないところが句作の上達を阻んでゐるのかな、といふ気もしてちよつと複雑ではある。

Monday, 19 January 2026

詩心

一生懸命歌集とか句集とか読んでゐるけれど、どうも自分には詩心といふものが欠けてゐるやうな気がしてならない。
辞書を引くと、「詩心」には「詩を作つてみやうと思ふ心」といふ意味もあるさうで、それならば短歌だとか俳句だとかを作らうといふ気持ちはあるのだから詩心はあるのかもしれないと思ふ一方、「趣」とかなんとかには弱いやうに思ふ。
これまで詩とはあまり縁がなかつたからなあ。
なんといふか、「ポエム」といふ呼び方がいけない気がしてゐる。
「詩」つていへばいいのに、と思ふのだ。
それもいろいろむつかしいらしいといふのはあとから聞いた話で、もともと日本では「詩」といふと海外の詩、もつといふと、えうは漢詩のことで、和歌なんかは詩ではないといふことになつてゐて、その「詩」といふことばを明治以降西洋の作品にもあててしまつたのが混乱のもとだといふ。
ところが、なんかかう、「詩」といふものが、自分の認識してゐる「詩」と全然違ふものらしいといふことに最近気がついた。
『GOAT』の第二号を読んでゐたら途中に現代詩が何篇か載つてゐて、これがもう、「これが詩なのか!」といふ感じでインパクトの瞬間ヘッドが回転してしまつたのである。
これ、ね、「ポエム」ぢやないですよ。そんなふにやんとした感じのことばでは語れない作品だと思ふ。
「詩」。もしくは「現代詩」。
さう呼ぶのがふさはしい気がする。
豊崎由美と広瀬大志の『カッコよくなきゃ、ポエムじゃない! 萌える現代詩入門』が俄然気になつてくるが、この本を読むよりもひとまづは『GOAT』に作品を寄せてゐた詩人の詩集を読む方がいいかなあ。
詩心がないから読んでも意味ないか知らん。

Sunday, 18 January 2026

手帳に何を書くか

Bullet Journalを始めた理由はさまざまあるが、つづいてゐる理由は、
1. 手帳一冊になんでも入つてゐる安心感
 予定もメモも一冊におさまつてゐる
2. 予実どちらも書けること
 ほかの手帳だつてさうぢやん、とも思ふが、手帳つて基本的に予定を書くものな気がして
といつたところ。

ただ、実際に書きつけることを見てみると、予実といつても実績の方が多いといふか、えうはメモが多い気がしてゐる。
それは問題ではないのだが、なんかちよつと多すぎるかな、とは思つてゐる。なんといふか、予定とかが埋もれてしまふ、といふか。
いまはコレクションに分けたりしてみてゐるけど、もうちよつと工夫した方がいいかなあと思つてゐる。

10年目にしてこれだ。
Bullet Journalは奥深い。
……なんでもさうか。

Saturday, 17 January 2026

なぜあの店では買物をしないのか

不買運動はいろいろしてゐる。
たとへば雪印。
いまだとスターバックスとかマクドナルドとか。
スターバックスとマクドナルドについては、「だつたらマイクロソフトとかアップルとかありとあらゆるものが対象になるだらう?」といふ話もあるが、できることからコツコツと、だと思つてゐる。

不買運動は意味がない。
さういふ人もゐる。
自分一人で買はないぞ、とがんばつたところで企業は痛くも痒くもないといふことかな。
さう思つたら、どうもさうではないらしい。
「欲しかつたり好きだつたりする商品やサーヴィスを買はないなんて意味ない」と、どうやらさういふことらしい。

違ふんだなあ。
欲しいと思つたり好きだと思つたりするものならば買つてゐる。
それに不二家は自分としてはOKになつて久しい。山崎製パンの傘下に入つたから大丈夫だらうと思ふからだ。
だから上にあげた企業の製品も、いつかまた買ふやうになることもあるかもしれない。

いづれにしても、不買運動は「自分にできることはそれくらゐしかない」といふ無力感からしてゐるのかもしれない。

Friday, 16 January 2026

ぬひ活ビギナー

コロナ禍もあつてずつと会へずにゐた遠方の友にこの夏会つてみたらこは如何に。
なんと、大阪万博に通ひまくつてゐるといふ。
そして、ミャクミャクにはまつてぬひぐるみを所持し、日々つれ歩いてゐるといふ(職場には連れて行かないのらしいが)。
先月も会つて、ぬひ活を勧められた。

実は、ぬひ活には一度挫折してゐる。
国立劇場のくろごちやんのぬひぐるみを入手して、「芝居見物のときはいつも一緒に行かう」と思つてゐたのだが、一度としてつれて行つたことはない。
一応ボールチェインもついてゐるし、身長(といふのか)も10cmあるかないかだ。
つれ歩くには最適。
だが、なんとなく荷物が増えさうな気がして(実際増えるのだが)つれて行けずにここまで来てしまつた。
ちなみに国立劇場の売店で一番かはいい子をつれて帰つたつもりでゐる。

アクリルスタンドも一時は持ち歩いてゐたことがあつたが、なんか汚れさうな気がするし折れさうな気もするし最近は持ち歩いてゐない。だいたい、取り出すところがないやね。
身長5cmくらゐのミニフィギュアはたまにつれ歩く。ちやうどいいサイズのポーチがあるからだ。それもしかしつけるのが億劫な場合があつて、いつもいつもつれてゐるわけではない。

そんな自分にぬひ活? できるのだらうか。

疑問に思ひつつも、ひとまづはぬひ用のポーチを買つてみた。
つれ歩かうと思つてゐるのはドラえもん体型のぬひぐるみで、四角い形のポーチに入れると思ひきり顔がつぶれてしまふ。
腹囲もそこそこある。
悩んだ末、円筒型のポーチを買つてみた。蓋と底とに色がついてゐて、その間は透明のポーチだ。
円筒型で正解だと思つたが、それでも入れると目の位置が蓋と透明部分との境目ぎりぎりの感じで、「きみは見えてゐるのかい?」とちよつと心配にはなる。
また、円筒型といふのはおさまりのあまりよくない形だ。たいした大きさでなくてもかさばる。
でもせつかくポーチを入手したのだからと一度だけ、映画を見るときにつれて出た。
いろいろ考へてHayakawa Factoryのトートバッグに入れていつた。すると、なんだかいい感じだ。
帆布のトートバッグだから、荷物が少なければ円筒型のポーチを入れてもたいして気にならない。
ポーチは入れずにかばんにぶらさげればよいのでは、といふ話もあるかもしれないが、歩いてゐるあひだに落ちさうな気がして不安だ。
問題は、普段から荷物が多いといふことだな。このときは映画を見たら即帰るつもりだつたので荷物は最低限しか入れてゐなかつた。普段持ち歩いてゐる荷物を入れた状態でポーチも入れたらかううまくはいかないかもしれない。

ぬひ活をしてゐる人々はそこんとこ、どうしてゐるんだらう。
全然気にしてゐないのかな。つれ歩く喜びの方が大きいのだらうか。
この土日も出かける予定があるけれど、つれて行くかどうか迷つてゐる。
多分つれて行かないんぢやないかな。

ちなみにドラえもん体型のぬひぐるみといふのは、映画『ドラゴンボール超スーパーヒーロー』に出てきたあのぬひぐるみである。ピッコロさんちに山とゐるあのぬひぐるみ。

Thursday, 15 January 2026

オタクは引用が好き

「オタクは引用が好き」といつたのは水玉螢之丞だつたと思ふ。
自分は残念ながらオタクにはなれなかつたが、オタクの好きになるやうなものが好きだ。
たとへば、戦国鍋TVとかHorrible Historiesがさうだ。
どちらも巷間よく知られた歌をもとに歌を作つてゐたりして(そしてHorrible Historiesは特に「え、こんなの子どもは知らないでせう?」といふやうな歌を元にしてゐたりして)、これが実にをかしいし、楽しい。
ちよつと趣は異なるが、Melodica Menもさうだと思ふ。
有名な楽曲のあちこちをはしよつて鍵盤ハーモニカで演奏する。このはしより方がまた秀逸なんだよなあ。

歌舞伎もさうだ。大江戸歌舞伎。
世界があつて趣向がある。
世界には前太平記とか曽我、平家、太平記といつたものがあり、そこに趣向を載せる。
『仮名手本忠臣蔵』は世界は太平記で趣向が赤穂浪士の討入(多分)だが、『東海道四谷怪談』になると世界が忠臣蔵でそこに伝説といふ趣向を取り込んだことになる。『盟三五大切』になると世界が忠臣蔵で趣向が『五大力恋緘』に『東海道四谷怪談』だ。
知つてゐるものはより楽しく、さうでない人はそれなりに。

落語はもつと引用が多いかもしれない。
ただ、さういふ作品を楽しめる客が少なくなつてきてゐるやうな気はする。だからかからなくなる。
引用はたくさんあるが、知らなくても楽しめる、さういふ作品でないとダメ、といふのはあたりまへのことながら、淘汰される。
だから見られるうちに聞けるうちに見て聞いておかう。
といふのは云ひ訳だらうか。

Wednesday, 14 January 2026

ニトムズのStalogy

今年のBullet JournalはニトムズのStalogy 文庫サイズの一年タイプだ。ほんとは半年タイプにしたかつたのだが、買はうと思つてゐた赤と青とがなかつた。
考へてみれば黒でもかまはないのだが、赤と青といふのが頭から離れなかつたのだらう、赤を買つた。

紙は薄いがインクのにぢみとか裏抜けはさほど気にならない。自分の使つてゐる筆記用具の中ではぺんてるのEnergelがちよつと裏抜けするかなといつたくらゐ。
最初、この紙がめくりにくくでまゐつたが、それも少し慣れてきたやうだ。

文庫サイズの手帳を横にして見開きでA5のつもりで使つてゐる。
これが、案外いい。
一年タイプはそれなりに厚いので真ん中部分はやはりちよつと書きにくいのが難なくらゐで、いまはまだ楽しんでゐる。

去年までは2年間ほどMD NOTEのA5サイズを使つてきた。これもとても気に入つたノートだつたが、A5の入らないカバンもあつて、どうしたものか悩んでゐたのだつた。
MD NOTEは虫がつきにくいのもいいんだよね。
Stalogyはその点どうだらうか。

Tuesday, 13 January 2026

どうなる言語

水村美苗が『日本語が亡びるとき』を、成毛眞が『日本人の9割に英語はいらない』を書いてもうずいぶん経つ。
日本語の未来は相変はらずお寂しい限りに見える。
ぢやあ英語の未来は明るいのかといふと、必ずしもさうではないらしい。
Lingua francaの払ふ代償とでも呼べばいいのだらうか、英語の英語らしい表現が失はれつつある、といふのだ。
英語を外国語として使用する人たちは、なんかよく意味のわからない英語の表現は使用しなくなるからなのらしい。
具体的な例は見かけなかつたが、思ふにいはゆるイディオム、たとへば”break a leg”のやうに並んだ単語自身の意味では通じない表現や、あと文学に由来することばなんかも入るのぢやあるまいか。”Neither a borrower or a lender be.”とか、はたまたnursery rhymesとか子どもの歌とかもさうかもしれない。いまぱつと思ひ浮かんだのは「バケツの穴」だ。
英語を母国語とする人よりも英語を外国語とする人の方が数は圧倒的に多いだらう。
直接的で「わかりやすい」表現は残る。さうでないことばや表現は淘汰される。
さうなつた場合、「英語は残つた」といふことになるのだらうか。

 

ことばといふのはどんどん変化してゆくものであるし、上にあげた”break a leg"などもさうした変化の中から生まれてきた表現だらうとは思ふ。
また、これまでも時代の流れとともに失はれた表現もあるだらう。
さう考へると、使ふ人のゐるうちは、どんなに変化したとしても英語はやはり残つたといふことになるに違ひない。
日本語はどうかなあ。

Monday, 12 January 2026

情念と執着

今日、東京藝術大学大学院馬車道校舎で「川本喜八郎]] 生誕 101 周年 知られざる長編作品との邂逅」といふ公開講座を聞いてきた。二部制で、第一部では映画『蓮如とその母』が上映された。
この校舎には以前も来たことがある。ちよつと調べたら11年も前のことだつた。その時もやはり川本喜八郎を取り上げてゐて、このブログにも書いたが、いま読み返して我ながら何を云つてゐるのかよくわからない。

11年前は、川本喜八郎とその作品のグローバル性についての講座で、実に日本的な川本喜八郎作品がなぜ世界的に受け入れられてゐるのか、といふやうな話だつたやうに記憶する。結論としては、日本的だからこそグローバルなのだ、といふ話だつたやうに思ふ。個人的には、川本喜八郎自身の目も世界を向いてゐたのではないかとこの講座を聞いて思つた。

今回は、情念を描いてきた川本喜八郎は『蓮如とその母』では従来の情念ではない、もつと母と子の情であるとか夫婦の情であるとかいふものを描いてゐる、といふやうな話があり、作り手としての転換点だつた、といふ話があつた。

情念か。
それはあんまり考へたことはなかつたな。
川本喜八郎作品は、といふか、いはゆる不条理三部作と『死者の書』については、執着の物語のやうに感じてゐる。
それはもしかするとNHKのドキュメンタリーで川本喜八郎が執着と解脱について語つてゐたのを見たからさう思ふのかもしれないが、でも「鬼」の母親のあれは執着な気がするし、「道成寺」の女の思ひは恋といふよりはやはり執着、もしかすると最初は恋だつたのかもしれないけれど、若い僧に裏切られた瞬間執着に変はる、そんな気がしてゐる。

一方『蓮如とその母』は、執着といふよりは、母と子の恋慕、夫婦の恋慕、師を慕ふ弟子(といふのかなあ)を描いてゐるやうな気がする。 恋慕といふよりは慕ふ心、かなあ。

「情念」も「執着」もとらはれる心のことといふ意味では同じなのだけれども、解脱と相性がいいのは執念だと思ふし。

といふわけで、いままで考へたことのなかつた面から川本喜八郎作品を考へることができて実に有意義だつたし、なんだかワクワクする時間を過ごすことができた。
かういふワクワクに日々飢ゑてゐる。

Sunday, 11 January 2026

ちやつちやと話を進めてくんな

川野芽生の『AはアセクシュアルのA』を読んで、ぶんぶんと首を縦に振つたくだりがある。
物語の中などで恋愛の場面になるとつまらなく感じる、といふ部分だ。
さうなんだよ、映画とか見てゐてもまんがや小説を読んでゐても恋愛の場面になると、「ちやつちやと話を先に進めてくんな」と思つてしまふ。
「え、少女まんがとか、読んでたんでせう?」とふしぎに思はれるかもしれないが、少女まんがでもさうだつた。はじめて定期購読した少女まんが雑誌が『花とゆめ』で、比較的恋愛ものではないまんがを掲載してゐる雑誌だつたのではないかといふ気もしてゐる。
# さういへば川野芽生はまんがは読まないのだとこれは『かわいいピンクの竜になる』か何かに書いてゐた気がする。

そんなわけで『曽根崎心中』とか見てもなにがいいのかよくわからない。
そりや人気なくて上演されなくなるよね、くらゐに思つてゐる。
なんといふか、かう、びつくりする部分がなにもないんだよね、『曽根崎心中』には。
見ながら「あー、そりやさうなりますわなあ」と思ふ。意外性がまるでない。
これが『心中天網島』だとおさんと小春の心の葛藤があつてまだましなんだけどなー。

歌舞伎だと一見恋愛ものでも、なんだかよくわからない因果関係とか実ハのやうな身顕しとかあるのでおもしろかつたりはするけれど、やつぱり惚れたのなんだのといふ場面は不要だなあと思つてしまふ。十六夜清心とかね。
考へてみれば『与話情浮名横櫛』がいいと思ふのもお富と与三郎との場面(の上演)が少ないからだらうなあ。

Saturday, 10 January 2026

雅楽之助

『傾城反魂香』又の名を「吃又」(といふ名前のくだりを云々し出すと長いのでここではとりあへずこのまま)に、狩野雅楽之助といふ役がある。
いはゆる注進の役で、芝居の中盤、花道から駆けてきて戦場のやうすを物語し、また花道を駆けて戦場に戻つて行くといふ役どころだ。
いまの中村又五郎が中村歌昇と名乗つてゐたころ演じたのを何度か見てゐる。
勇壮で、最後花道で決まつた姿のよさに惚れ惚れしたものだつた。子どもの時見てゐたら絶対真似したらうなといふかつこよさである。
雅楽之助といふと、さうした勇壮なイメージが強いやうに思ふのだが、又五郎の兄・中村歌六が演じたときは違つた。
確か三代目猿之助の吃又だつたと記憶する。
歌六の雅楽之助は、手負ひの色気がシケから滴るやうな雅楽之助だつた。
爾来、さういふ雅楽之助が見たいと常々思つてゐたのだが、どうもやはり世の中の主流といふか、本来雅楽之助といふ役は勇ましいものなのらしいとあきらめてゐたのである。
当月浅草公会堂でこの演目がかかり、雅楽之助を市川染五郎が演じると聞いて、もしかしたら手負ひの色気再び、と期待しなかつたといつたら嘘になる。
が。
染五郎の雅楽之助は、「え、シケ、ある?(ありました)」といふ具合で、どうやらあまり手負ひつぽくない。
この仁、案外陽気な性分なのかもしれない、と思つた次第。

Friday, 09 January 2026

生成AIの結果からことばを選ぶ

プレゼンテーションを録音しておいて生成AIに文字起こしをさせると、かなりいい感じに仕上がつてくるやうになつた。
それでも時折ヘンテコリンなことが書いてあつたりして楽しい。
楽しむついでに、それを利用することを考へた。
たとへば、ヘンテコリンなものには固有名詞が多い。
つまり、その固有名詞はあまり知られてゐない、といふことではなからうか。
さう考へたのだ。
よく、電話口などで自分の名前や役職、社名などを名乗るときはゆつくり話せといはれるが、それに近いのではないかと思ふ。
知らない人の名前なんて聞き取りづらくて当然なのだ。
# なのに人は自分の名前は早口に喋るよなー、といふのはまた別の話

或は誤変換するやうな単語や云ひ回しは、多分に口頭では伝はりづらいことばなのではないかと思はれる。
文章で使ふにはいいけれど、喋りことばには向かない表現なのだ。多分。

Thursday, 08 January 2026

節約は後ろ向き

年明け最初の資源ごみの日に、本を50冊ほど処分した。そのほかNHK語学講座のテキストも併せると100冊くらゐかもしれない。
今日年明けてはじめて近所にスーパーマーケットに行つた。
お菓子売場に行くと、クッキーやビスケットの類が何も何もミニチュアのやうに小さくなつてゐる。
さもなければ箱や袋の中の枚数が減らされてゐる。
会計の時、これまでだつたらもう千円安く済んだのにな、と思つた。

さうやつて考へると、とにかくどこかで節約しなければならない。
食料品については、惣菜・ジャンクフード・加工食品は買はないやうにする、だらうか。
しかし衣食住に関しては節約しきれない部分もある。
あとは生き延びていくことには関はらないものは買はないやうにするしかない。

本はできるだけ図書館で借りる、とか。
NHK語学講座のテキストもどんどん値上がりしてゐるので、ヒアリングを鍛へるといふ意味でもテキストは買はずに済ませる、とか。
3月からはJR東日本が運賃を値上げするといふからできるだけ出かけないやうにする、とか。

後ろ向きなことばかり考へてしまふ。
あ、ヒアリングを鍛へるはちよつと前向きかな。

Wednesday, 07 January 2026

働いてゐるとTVを見られない

『なぜ働いていると本が読めないのか』といふ本が話題になつてしばらく経つ。
さうなんだらうか。本、読めない? さうかなあ。
これつておそらく「本を読む」とはどういふことかといふ定義にあるのぢやないかと思ふ。
小津夜景がこんな旨のことを云つてゐた。一ページ読んだだけでも読書になる、と。
それを聞いて思つた。
一文字ぢやさすがにダメかもしれないけれど、一行といふか一文読んだだけでも読書になりうる。
そして本は持ち歩けば、まあ、大抵のところで読むことができる。
忙しすぎて本が読めないと思つてゐる人の「本を読む」は、一冊読み終はることなのぢやあるまいか。
或は自分が満足するまで、とか。
でも多分、一ページ読んだだけでも満足できる読書といふのがある。
その積み重ねで、自分は日々本を読んでゐる。
ほんたうはもつと読みたいけれど、時間には限りがある。こんなもんだらう。
さう思つてゐる。

それよりも、忙しいとTVの方が見られない。
TVはここではTVドラマといふことにする(アニメとかでもOK)。
TVを見るにはまとまつた時間が必要だ。
それにその時間にTVの前にゐなければならない。
いまは録画するとかTverなどのサーヴィスを使ふなどして「その時間」でなくても見ることができるやうになつてゐるけれど、それでも見てゐるあひだは拘束される。
ときどき友人に配信サーヴィスにある映画などを勧めるのだが、しばしば「洗濯物を畳みながら見られないものは無理」と云はれる。
さうなんだよなあ。動画とかつて、時間がないと見られない。
それに、TVだと一分見ただけでは見たことにならない。
それで通勤や帰宅の電車の中で見たりする人もゐるのかもしれないが、小さい画面で見るのも、なあ。あと、電車の乗り降りとかでぶちぶち切れるわけぢやない?

そんなわけでTVを見なくなつて久しい。配信サーヴィスも一時利用してゐたけれど、すつかりやめてしまつた。
時間には限りがあるからなあ。

Tuesday, 06 January 2026

句会がしたい

句会がしたいと思つていはゆるカルチャースクールの俳句教室に通つてゐるが、何かが違ふ気がする。
自分の考へる句会では、他人の評価を聞いて考へを変へて「わたし、その句、取ります!」といふ機会がある。
カルチャースクールだと時間の制限とかもあつて、さういふことがない。
先生は「その句、取ることにします」と云つてくださることはあるけれど。

句会をしたいと思つたきつかけが「東京マッハ」だからなあ。
なので、別に自分は俳句を作らなくてもいいから、「作らない句会」をしたいと常々思つてゐた。
作らない句会といふのは、参加者が各自秘密裡に俳人を選んでその俳人の句を出して行ふ句会のことだ。
これ、選ぶ俳人がかぶつたりしないのかなあと思ふこともあるのだが、そこはそれなのかもしれない。
あとは通常の句会の通りに行ふ。
いいぢやあないか。
と思つたのだが、賛同してくれる人が現れず、実施できないままでゐる。

そんなわけで自分で句を作る句会……つてそれがほんたうなのだが……に参加するにはどうすればいいのか考へ、手つ取り早いのはカルチャースクールか、といふことになつた。
かういふ経緯だから、結社に入りたいといふ気持ちはまつたくなかつたしいまでもない。

ここまで書いて気づいたのだが、自分は他人と一緒に何かするのがとても苦手だ。
だから囲碁も将棋も麻雀もできないし、合唱団にも入れなければ管弦楽団とか吹奏楽団でも失敗ばかりしてゐた。
さう考へると、句会ができないこともむべなるかな。
俳句、向かないかも。

Monday, 05 January 2026

記録

Bullet Journalをはじめてそろそろ10年が経たうとしてゐる。
最初はMDノートの新書サイズで始めて、当時はまだFuture Logsがなくて不便だなーと思つてバイブルサイズのシステム手帳を使ふやうになつた。
その後、やはり綴じノートの方がいいと思ふやうになり、何年かロルバーンのLサイズを使つたあと、NOLTYがドラゴンボールとコラボレーションしてA5サイズの手帳を出したのでカヴァだけ使つてMDノートのA5サイズをまた三年ほど使つた。
どのノートも好きなので、「次はあのノートに戻らうか」と思ひつつ、今年はニトムズはStalogyの文庫サイズを使つてゐる。
Bullet Journal公式でA6サイズのノートをサブノートとして販売してゐて、「なるほど、それもいいかもしれないな」と思つたのがきつかけだ。
ノートが変はつたこともあつてか、今のところきちんと記録を取つてゐる。
自分が手帳に求めるのは、予定と記録が3:7くらゐの感じなので、思ひついたら書き留めたいと常々思つてゐる。
だが、去年はそれがなかなかできなかつた。手帳のせゐではない。多分気持ちのせゐ。
だから目先を変へただけで書きつけるやうになるのだらう。
カンダミサコのくるみ型手帳カヴァを使つてゐるのもいいのかもしれない。これはほぼ日手帳用に随分前に入手したもので、今年久しぶりにひつぱり出してきたものだ。

いまのところStalogyにはちよつとページをくりにくいといふ難点があるのだが、それも慣れかもしれない。
とにかく書けてゐるあひだは大丈夫。そんな気がする。

Sunday, 04 January 2026

休んだ気がしない

この年末年始の休みは六日間。そのうち三日は寝込んでしまつた。
どうも年末年始の休みは寝込みがちである。新入社員の時からさうだつた。仕事が終はつて飲み会に行つて、その場でなんとはなし寒気を覚え、帰宅したら40度近い熱があつた。その12月は土曜はすべて出勤で、日曜も出たり出なかつたり、終電を逃すまじと走る毎日で、それなのに新人向けのレヴュー研修が泊まりがけであるといつた、「そんなの当たり前ですよ」「帰宅できてゐるだけマシ」といふ向きもあらうが、いま考へると過酷な状況だつた。
それで、今日で仕事がとりあへず一段落つくといふので気が抜けたのだらう。翌日はもう救急外来に行くしかなく、なんだかすごい注射を打つてもらつた。
おそらく12月といふのはさういふ月なのだ。もう休みに入るから、それまでは我慢と働いて、それで休みに入ると気が抜けて、どつと疲れが出るといふ、そんな月。
いい加減学べよ、とも思ふが、しかし、実際のところ、そんなに自由がきくものだらうか。

今回は熱が出なかつただけマシで、しかし鼻がつまつてなかなか寝つけないし、尾籠な話で恐縮だが(と云ひつつ口の話をするのだが)うがひすると鮮血の混じつた痰が出るといつた状態で、なんとはなし胸が苦しい。喘息の発作の起きる前によくある感覚だ。
こんな体たらくなのに明日にはもう仕事が始まるといふ。働けるのか。といふか、休んでゐる場合ではないといふのは有給休暇が足りないからだ。
働く体で休みつつ、といつたところだらうな。

Saturday, 03 January 2026

派手な色でお洒落な傘

雨傘はできるだけ派手な色を選ぶやうにしてゐる。
ひとつ前の傘は黄緑色だつた。カヘルを思はせるやうな色である。
派手な色の方が、自動車や自転車を運転する人も気づいてくれるのではないかと思つてゐる。
さう云ひながら、いま使つてゐる傘は紺色だ。細く2本水色の線が入つてゐて、それがちよつと目立つといへばさうだが、黄色や黄緑色ほどではない気がする。
デザイン的といふか、見た目にはstylishといつてもよく、その点では気に入つてゐるのだが、雨の夜、街灯の少ないところなどでは気づいてもらひにくい色合ひだ。
考へてみれば、傘だけに頼らず、晴れの日でも反射板などを使へばいいのかもしれないが、反射板といふものはなぜか取れやすいボールチェーンでつなぐものが多くて心もとない。
それに傘を刺してしまつたら見えづらくなる可能性もある。
ここはやはり派手な色でお洒落な傘があればなー、といふか、派手な色で自分好みのデザインの傘があればなー、と思ふのだが、見つけられずにゐる。
無精してゐるともいへる。

Friday, 02 January 2026

早寝早起き

見出しと出だしを軽く読んだくらゐだけれど、ティム・ハーフォードが「なぜ自己啓発(self-improvement)はセルフメンテナンスからはじまるのか」といふ記事を公開してゐる。
さうだよなあ。まづは心身を整へるところからはじめないと、改善もなにもあつたもんぢやない。
といふわけで、今年の目標は早寝早起きなのだが、実をいふと早寝早起きはもう何年も目標なのだつた。
いつになつたらできるやうになるのだらう。
とりあへず、早寝だけでもできるやうになりたいと思つてゐる。

Thursday, 01 January 2026

12月の読書メーター

12月の読書メーター
読んだ本の数:7
読んだページ数:1401
ナイス数:34

土佐日(英文版) ― The Tosa Diary (タトルクラシックス)土佐日(英文版) ― The Tosa Diary (タトルクラシックス)感想
左ページに原文(「男もすなる日記といふものを……」)、右ページに訳文という構成。「そ、そー訳すのか!」とこれが実におもしろい。「馬の餞す」は最初に直訳風の表現があって訳注がついており、以下は「贈り物をした」というような表現になっていたり。訳注からはそこはかとなく翻訳の苦労が垣間見えたりもする。また和歌はほぼ五七五七七の音節になるように訳してあり、さらに下の句には脚韻があって唸る。書店で見つけて「これは!」と思ったもののずっと積ん読状態だった。いまだからおもしろく読めたのかもしれない。
読了日:12月02日 著者:Ki no Tsurayuki,紀 貫之
The Bell Jar (English Edition)The Bell Jar (English Edition)感想
ニューヨークで華やかな生活を送るのかと思ったら。この部分はちょっと映画『バリの恋人』の冒頭部分を思い出しながら読んでいたので、その後の展開が急転直下な印象を受けたけれど、なにしろ医学部生の幼馴染を頼りに(していると主人公は思っていないとは思うが)他人の出産を見学したり遺体を見たりして、それでも大丈夫と確認したいような人だからなあ、と思ったりもする。半年前に買って読み始めた時はピンと来なかったのだが、先月読み始めたら面白くてやめられなくなった。詩も読んでみたい。
読了日:12月07日 著者:Sylvia Plath
松明のあかり: 暗くなっていく時代の寓話松明のあかり: 暗くなっていく時代の寓話感想
詩のようでもあるショートショート(超短編というのかな)集で、どの話にも息苦しさを感じるのは、匂いに関する記述が多いからかもしれない。いずれも鼻を塞ぎたくなるような、しかし塞いでも防げないような、胸の悪くなるような悪臭だ。コロナ禍のときの短編集にも逃げ場のなさのような雰囲気があったけれど、こちらは逃れようと思えば逃れられないわけでもない、でもやはり逃れられない空気を感じる。「なんでこうなってしまったんだろう」と思う時にはもう遅いのだろうな。
読了日:12月10日 著者:バリー・ユアグロー
怖い短歌 (幻冬舎新書)怖い短歌 (幻冬舎新書)感想
短歌初心者というよりは歌集初心者である人間にとって、こういうテーマがあって歌の評価も載っているアンソロジーはとてもありがたい。その一方で、アンソロジーで見つけた歌人の歌集なり歌なりを見つけるのが案に相違して大変であるということも学んだ。怖い短歌は「電圧が高い」歌を作る歌人には少ないという旨のことが書かれていて、「電圧が高い」とはどういう意味だろうかと悩んでいたが、ここに紹介されていない歌人に答えがあるのかもしれない。たとえば俵万智。
読了日:12月14日 著者:倉阪 鬼一郎
AはアセクシュアルのA 「恋愛」から遠く離れてAはアセクシュアルのA 「恋愛」から遠く離れて感想
性的志向の前に「なぜ自分は自分のままだと受け入れられないのだろう」という点が気になった。いくら「自分はこうでしかいられない」と主張しても「そんなことはない」「知らないだけだ」と否定され続けること。否定してくる相手は善意である(少なくとも悪意はない)こと。そうして孤立してしまうせいか、この本でも紹介されているデッカーの『見えない性的指向』では大変細かく性的指向を分類している。おそらく所属するところがほしくなるんだろう。この本は違う。人は一人一人異なる特別な存在。そういうことなんだろうなと思う。
読了日:12月18日 著者:川野 芽生
はじめまして現代川柳はじめまして現代川柳感想
大変おもしろくてつるつる読んでしまった。自分には絶対思いつかないような言葉の並びの作品に、それをきちんと解説した文章。解説というよりは評価だろうか。この解説というか評がなければどう読んでいいかわからない作品もたくさんある。今年文学フリマで2冊ほど買い求めた本が入門書としては最適で、ただ名前しか知らない柳人もおかげで増えた。そうした名前しか知らなかった人たちの作品もたくさん載っていてるところも気に入った。ここから先に進むにはどうしたらいいのか。それはちょっと悩むところではある。
読了日:12月22日 著者:小池正博
オーギー・レンのクリスマス・ストーリーオーギー・レンのクリスマス・ストーリー感想
本当の話なのか作り話なのか、どちらでもいいじゃあないか。以前出勤時にバス停から見える風景を毎日写真に撮っていたことがある。パチンコ屋がなくなって大学ができたりしたけれど、ニューヨークだとそういうことはないのかもしれない。マクベス夫人の死を聞いてマクベスが云うセリフが出てきて、云う方も聞く方もそれとわかるという場面があるけれど、米国では当たり前にあることなのだろうか。学のある人たちなのかなという気もする。去年、柴田元幸の朗読で聞いて読みたかった本。またクリスマスの時期に読み返したい。
読了日:12月24日 著者:ポール オースター,柴田 元幸,タダ ジュン

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