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Monday, 12 January 2026

情念と執着

今日、東京藝術大学大学院馬車道校舎で「川本喜八郎]] 生誕 101 周年 知られざる長編作品との邂逅」といふ公開講座を聞いてきた。二部制で、第一部では映画『蓮如とその母』が上映された。
この校舎には以前も来たことがある。ちよつと調べたら11年も前のことだつた。その時もやはり川本喜八郎を取り上げてゐて、このブログにも書いたが、いま読み返して我ながら何を云つてゐるのかよくわからない。

11年前は、川本喜八郎とその作品のグローバル性についての講座で、実に日本的な川本喜八郎作品がなぜ世界的に受け入れられてゐるのか、といふやうな話だつたやうに記憶する。結論としては、日本的だからこそグローバルなのだ、といふ話だつたやうに思ふ。個人的には、川本喜八郎自身の目も世界を向いてゐたのではないかとこの講座を聞いて思つた。

今回は、情念を描いてきた川本喜八郎は『蓮如とその母』では従来の情念ではない、もつと母と子の情であるとか夫婦の情であるとかいふものを描いてゐる、といふやうな話があり、作り手としての転換点だつた、といふ話があつた。

情念か。
それはあんまり考へたことはなかつたな。
川本喜八郎作品は、といふか、いはゆる不条理三部作と『死者の書』については、執着の物語のやうに感じてゐる。
それはもしかするとNHKのドキュメンタリーで川本喜八郎が執着と解脱について語つてゐたのを見たからさう思ふのかもしれないが、でも「鬼」の母親のあれは執着な気がするし、「道成寺」の女の思ひは恋といふよりはやはり執着、もしかすると最初は恋だつたのかもしれないけれど、若い僧に裏切られた瞬間執着に変はる、そんな気がしてゐる。

一方『蓮如とその母』は、執着といふよりは、母と子の恋慕、夫婦の恋慕、師を慕ふ弟子(といふのかなあ)を描いてゐるやうな気がする。
恋慕といふよりは慕ふ心、かなあ。

「情念」も「執着」もとらはれる心のことといふ意味では同じなのだけれども、解脱と相性がいいのは執念だと思ふし。

といふわけで、いままで考へたことのなかつた面から川本喜八郎作品を考へることができて実に有意義だつたし、なんだかワクワクする時間を過ごすことができた。
かういふワクワクに日々飢ゑてゐる。

Sunday, 11 January 2026

ちやつちやと話を進めてくんな

川野芽生の『AはアセクシュアルのA』を読んで、ぶんぶんと首を縦に振つたくだりがある。
物語の中などで恋愛の場面になるとつまらなく感じる、といふ部分だ。
さうなんだよ、映画とか見てゐてもまんがや小説を読んでゐても恋愛の場面になると、「ちやつちやと話を先に進めてくんな」と思つてしまふ。
「え、少女まんがとか、読んでたんでせう?」とふしぎに思はれるかもしれないが、少女まんがでもさうだつた。はじめて定期購読した少女まんが雑誌が『花とゆめ』で、比較的恋愛ものではないまんがを掲載してゐる雑誌だつたのではないかといふ気もしてゐる。
# さういへば川野芽生はまんがは読まないのだとこれは『かわいいピンクの竜になる』か何かに書いてゐた気がする。

そんなわけで『曽根崎心中』とか見てもなにがいいのかよくわからない。
そりや人気なくて上演されなくなるよね、くらゐに思つてゐる。
なんといふか、かう、びつくりする部分がなにもないんだよね、『曽根崎心中』には。
見ながら「あー、そりやさうなりますわなあ」と思ふ。意外性がまるでない。
これが『心中天網島』だとおさんと小春の心の葛藤があつてまだましなんだけどなー。

歌舞伎だと一見恋愛ものでも、なんだかよくわからない因果関係とか実ハのやうな身顕しとかあるのでおもしろかつたりはするけれど、やつぱり惚れたのなんだのといふ場面は不要だなあと思つてしまふ。十六夜清心とかね。
考へてみれば『与話情浮名横櫛』がいいと思ふのもお富と与三郎との場面(の上演)が少ないからだらうなあ。

Saturday, 10 January 2026

雅楽之助

『傾城反魂香』又の名を「吃又」(といふ名前のくだりを云々し出すと長いのでここではとりあへずこのまま)に、狩野雅楽之助といふ役がある。
いはゆる注進の役で、芝居の中盤、花道から駆けてきて戦場のやうすを物語し、また花道を駆けて戦場に戻つて行くといふ役どころだ。
いまの中村又五郎が中村歌昇と名乗つてゐたころ演じたのを何度か見てゐる。
勇壮で、最後花道で決まつた姿のよさに惚れ惚れしたものだつた。子どもの時見てゐたら絶対真似したらうなといふかつこよさである。
雅楽之助といふと、さうした勇壮なイメージが強いやうに思ふのだが、又五郎の兄・中村歌六が演じたときは違つた。
確か三代目猿之助の吃又だつたと記憶する。
歌六の雅楽之助は、手負ひの色気がシケから滴るやうな雅楽之助だつた。
爾来、さういふ雅楽之助が見たいと常々思つてゐたのだが、どうもやはり世の中の主流といふか、本来雅楽之助といふ役は勇ましいものなのらしいとあきらめてゐたのである。
当月浅草公会堂でこの演目がかかり、雅楽之助を市川染五郎が演じると聞いて、もしかしたら手負ひの色気再び、と期待しなかつたといつたら嘘になる。
が。
染五郎の雅楽之助は、「え、シケ、ある?(ありました)」といふ具合で、どうやらあまり手負ひつぽくない。
この仁、案外陽気な性分なのかもしれない、と思つた次第。

Friday, 09 January 2026

生成AIの結果からことばを選ぶ

プレゼンテーションを録音しておいて生成AIに文字起こしをさせると、かなりいい感じに仕上がつてくるやうになつた。
それでも時折ヘンテコリンなことが書いてあつたりして楽しい。
楽しむついでに、それを利用することを考へた。
たとへば、ヘンテコリンなものには固有名詞が多い。
つまり、その固有名詞はあまり知られてゐない、といふことではなからうか。
さう考へたのだ。
よく、電話口などで自分の名前や役職、社名などを名乗るときはゆつくり話せといはれるが、それに近いのではないかと思ふ。
知らない人の名前なんて聞き取りづらくて当然なのだ。
# なのに人は自分の名前は早口に喋るよなー、といふのはまた別の話

或は誤変換するやうな単語や云ひ回しは、多分に口頭では伝はりづらいことばなのではないかと思はれる。
文章で使ふにはいいけれど、喋りことばには向かない表現なのだ。多分。

Thursday, 08 January 2026

節約は後ろ向き

年明け最初の資源ごみの日に、本を50冊ほど処分した。そのほかNHK語学講座のテキストも併せると100冊くらゐかもしれない。
今日年明けてはじめて近所にスーパーマーケットに行つた。
お菓子売場に行くと、クッキーやビスケットの類が何も何もミニチュアのやうに小さくなつてゐる。
さもなければ箱や袋の中の枚数が減らされてゐる。
会計の時、これまでだつたらもう千円安く済んだのにな、と思つた。

さうやつて考へると、とにかくどこかで節約しなければならない。
食料品については、惣菜・ジャンクフード・加工食品は買はないやうにする、だらうか。
しかし衣食住に関しては節約しきれない部分もある。
あとは生き延びていくことには関はらないものは買はないやうにするしかない。

本はできるだけ図書館で借りる、とか。
NHK語学講座のテキストもどんどん値上がりしてゐるので、ヒアリングを鍛へるといふ意味でもテキストは買はずに済ませる、とか。
3月からはJR東日本が運賃を値上げするといふからできるだけ出かけないやうにする、とか。

後ろ向きなことばかり考へてしまふ。
あ、ヒアリングを鍛へるはちよつと前向きかな。

Wednesday, 07 January 2026

働いてゐるとTVを見られない

『なぜ働いていると本が読めないのか』といふ本が話題になつてしばらく経つ。
さうなんだらうか。本、読めない? さうかなあ。
これつておそらく「本を読む」とはどういふことかといふ定義にあるのぢやないかと思ふ。
小津夜景がこんな旨のことを云つてゐた。一ページ読んだだけでも読書になる、と。
それを聞いて思つた。
一文字ぢやさすがにダメかもしれないけれど、一行といふか一文読んだだけでも読書になりうる。
そして本は持ち歩けば、まあ、大抵のところで読むことができる。
忙しすぎて本が読めないと思つてゐる人の「本を読む」は、一冊読み終はることなのぢやあるまいか。
或は自分が満足するまで、とか。
でも多分、一ページ読んだだけでも満足できる読書といふのがある。
その積み重ねで、自分は日々本を読んでゐる。
ほんたうはもつと読みたいけれど、時間には限りがある。こんなもんだらう。
さう思つてゐる。

それよりも、忙しいとTVの方が見られない。
TVはここではTVドラマといふことにする(アニメとかでもOK)。
TVを見るにはまとまつた時間が必要だ。
それにその時間にTVの前にゐなければならない。
いまは録画するとかTverなどのサーヴィスを使ふなどして「その時間」でなくても見ることができるやうになつてゐるけれど、それでも見てゐるあひだは拘束される。
ときどき友人に配信サーヴィスにある映画などを勧めるのだが、しばしば「洗濯物を畳みながら見られないものは無理」と云はれる。
さうなんだよなあ。動画とかつて、時間がないと見られない。
それに、TVだと一分見ただけでは見たことにならない。
それで通勤や帰宅の電車の中で見たりする人もゐるのかもしれないが、小さい画面で見るのも、なあ。あと、電車の乗り降りとかでぶちぶち切れるわけぢやない?

そんなわけでTVを見なくなつて久しい。配信サーヴィスも一時利用してゐたけれど、すつかりやめてしまつた。
時間には限りがあるからなあ。

Tuesday, 06 January 2026

句会がしたい

句会がしたいと思つていはゆるカルチャースクールの俳句教室に通つてゐるが、何かが違ふ気がする。
自分の考へる句会では、他人の評価を聞いて考へを変へて「わたし、その句、取ります!」といふ機会がある。
カルチャースクールだと時間の制限とかもあつて、さういふことがない。
先生は「その句、取ることにします」と云つてくださることはあるけれど。

句会をしたいと思つたきつかけが「東京マッハ」だからなあ。
なので、別に自分は俳句を作らなくてもいいから、「作らない句会」をしたいと常々思つてゐた。
作らない句会といふのは、参加者が各自秘密裡に俳人を選んでその俳人の句を出して行ふ句会のことだ。
これ、選ぶ俳人がかぶつたりしないのかなあと思ふこともあるのだが、そこはそれなのかもしれない。
あとは通常の句会の通りに行ふ。
いいぢやあないか。
と思つたのだが、賛同してくれる人が現れず、実施できないままでゐる。

そんなわけで自分で句を作る句会……つてそれがほんたうなのだが……に参加するにはどうすればいいのか考へ、手つ取り早いのはカルチャースクールか、といふことになつた。
かういふ経緯だから、結社に入りたいといふ気持ちはまつたくなかつたしいまでもない。

ここまで書いて気づいたのだが、自分は他人と一緒に何かするのがとても苦手だ。
だから囲碁も将棋も麻雀もできないし、合唱団にも入れなければ管弦楽団とか吹奏楽団でも失敗ばかりしてゐた。
さう考へると、句会ができないこともむべなるかな。
俳句、向かないかも。

Monday, 05 January 2026

記録

Bullet Journalをはじめてそろそろ10年が経たうとしてゐる。
最初はMDノートの新書サイズで始めて、当時はまだFuture Logsがなくて不便だなーと思つてバイブルサイズのシステム手帳を使ふやうになつた。
その後、やはり綴じノートの方がいいと思ふやうになり、何年かロルバーンのLサイズを使つたあと、NOLTYがドラゴンボールとコラボレーションしてA5サイズの手帳を出したのでカヴァだけ使つてMDノートのA5サイズをまた三年ほど使つた。
どのノートも好きなので、「次はあのノートに戻らうか」と思ひつつ、今年はニトムズはStalogyの文庫サイズを使つてゐる。
Bullet Journal公式でA6サイズのノートをサブノートとして販売してゐて、「なるほど、それもいいかもしれないな」と思つたのがきつかけだ。
ノートが変はつたこともあつてか、今のところきちんと記録を取つてゐる。
自分が手帳に求めるのは、予定と記録が3:7くらゐの感じなので、思ひついたら書き留めたいと常々思つてゐる。
だが、去年はそれがなかなかできなかつた。手帳のせゐではない。多分気持ちのせゐ。
だから目先を変へただけで書きつけるやうになるのだらう。
カンダミサコのくるみ型手帳カヴァを使つてゐるのもいいのかもしれない。これはほぼ日手帳用に随分前に入手したもので、今年久しぶりにひつぱり出してきたものだ。

いまのところStalogyにはちよつとページをくりにくいといふ難点があるのだが、それも慣れかもしれない。
とにかく書けてゐるあひだは大丈夫。そんな気がする。

Sunday, 04 January 2026

休んだ気がしない

この年末年始の休みは六日間。そのうち三日は寝込んでしまつた。
どうも年末年始の休みは寝込みがちである。新入社員の時からさうだつた。仕事が終はつて飲み会に行つて、その場でなんとはなし寒気を覚え、帰宅したら40度近い熱があつた。その12月は土曜はすべて出勤で、日曜も出たり出なかつたり、終電を逃すまじと走る毎日で、それなのに新人向けのレヴュー研修が泊まりがけであるといつた、「そんなの当たり前ですよ」「帰宅できてゐるだけマシ」といふ向きもあらうが、いま考へると過酷な状況だつた。
それで、今日で仕事がとりあへず一段落つくといふので気が抜けたのだらう。翌日はもう救急外来に行くしかなく、なんだかすごい注射を打つてもらつた。
おそらく12月といふのはさういふ月なのだ。もう休みに入るから、それまでは我慢と働いて、それで休みに入ると気が抜けて、どつと疲れが出るといふ、そんな月。
いい加減学べよ、とも思ふが、しかし、実際のところ、そんなに自由がきくものだらうか。

今回は熱が出なかつただけマシで、しかし鼻がつまつてなかなか寝つけないし、尾籠な話で恐縮だが(と云ひつつ口の話をするのだが)うがひすると鮮血の混じつた痰が出るといつた状態で、なんとはなし胸が苦しい。喘息の発作の起きる前によくある感覚だ。
こんな体たらくなのに明日にはもう仕事が始まるといふ。働けるのか。といふか、休んでゐる場合ではないといふのは有給休暇が足りないからだ。
働く体で休みつつ、といつたところだらうな。

Saturday, 03 January 2026

派手な色でお洒落な傘

雨傘はできるだけ派手な色を選ぶやうにしてゐる。
ひとつ前の傘は黄緑色だつた。カヘルを思はせるやうな色である。
派手な色の方が、自動車や自転車を運転する人も気づいてくれるのではないかと思つてゐる。
さう云ひながら、いま使つてゐる傘は紺色だ。細く2本水色の線が入つてゐて、それがちよつと目立つといへばさうだが、黄色や黄緑色ほどではない気がする。
デザイン的といふか、見た目にはstylishといつてもよく、その点では気に入つてゐるのだが、雨の夜、街灯の少ないところなどでは気づいてもらひにくい色合ひだ。
考へてみれば、傘だけに頼らず、晴れの日でも反射板などを使へばいいのかもしれないが、反射板といふものはなぜか取れやすいボールチェーンでつなぐものが多くて心もとない。
それに傘を刺してしまつたら見えづらくなる可能性もある。
ここはやはり派手な色でお洒落な傘があればなー、といふか、派手な色で自分好みのデザインの傘があればなー、と思ふのだが、見つけられずにゐる。
無精してゐるともいへる。

Friday, 02 January 2026

早寝早起き

見出しと出だしを軽く読んだくらゐだけれど、ティム・ハーフォードが「なぜ自己啓発(self-improvement)はセルフメンテナンスからはじまるのか」といふ記事を公開してゐる。
さうだよなあ。まづは心身を整へるところからはじめないと、改善もなにもあつたもんぢやない。
といふわけで、今年の目標は早寝早起きなのだが、実をいふと早寝早起きはもう何年も目標なのだつた。
いつになつたらできるやうになるのだらう。
とりあへず、早寝だけでもできるやうになりたいと思つてゐる。

Thursday, 01 January 2026

12月の読書メーター

12月の読書メーター
読んだ本の数:7
読んだページ数:1401
ナイス数:34

土佐日(英文版) ― The Tosa Diary (タトルクラシックス)土佐日(英文版) ― The Tosa Diary (タトルクラシックス)感想
左ページに原文(「男もすなる日記といふものを……」)、右ページに訳文という構成。「そ、そー訳すのか!」とこれが実におもしろい。「馬の餞す」は最初に直訳風の表現があって訳注がついており、以下は「贈り物をした」というような表現になっていたり。訳注からはそこはかとなく翻訳の苦労が垣間見えたりもする。また和歌はほぼ五七五七七の音節になるように訳してあり、さらに下の句には脚韻があって唸る。書店で見つけて「これは!」と思ったもののずっと積ん読状態だった。いまだからおもしろく読めたのかもしれない。
読了日:12月02日 著者:Ki no Tsurayuki,紀 貫之
The Bell Jar (English Edition)The Bell Jar (English Edition)感想
ニューヨークで華やかな生活を送るのかと思ったら。この部分はちょっと映画『バリの恋人』の冒頭部分を思い出しながら読んでいたので、その後の展開が急転直下な印象を受けたけれど、なにしろ医学部生の幼馴染を頼りに(していると主人公は思っていないとは思うが)他人の出産を見学したり遺体を見たりして、それでも大丈夫と確認したいような人だからなあ、と思ったりもする。半年前に買って読み始めた時はピンと来なかったのだが、先月読み始めたら面白くてやめられなくなった。詩も読んでみたい。
読了日:12月07日 著者:Sylvia Plath
松明のあかり: 暗くなっていく時代の寓話松明のあかり: 暗くなっていく時代の寓話感想
詩のようでもあるショートショート(超短編というのかな)集で、どの話にも息苦しさを感じるのは、匂いに関する記述が多いからかもしれない。いずれも鼻を塞ぎたくなるような、しかし塞いでも防げないような、胸の悪くなるような悪臭だ。コロナ禍のときの短編集にも逃げ場のなさのような雰囲気があったけれど、こちらは逃れようと思えば逃れられないわけでもない、でもやはり逃れられない空気を感じる。「なんでこうなってしまったんだろう」と思う時にはもう遅いのだろうな。
読了日:12月10日 著者:バリー・ユアグロー
怖い短歌 (幻冬舎新書)怖い短歌 (幻冬舎新書)感想
短歌初心者というよりは歌集初心者である人間にとって、こういうテーマがあって歌の評価も載っているアンソロジーはとてもありがたい。その一方で、アンソロジーで見つけた歌人の歌集なり歌なりを見つけるのが案に相違して大変であるということも学んだ。怖い短歌は「電圧が高い」歌を作る歌人には少ないという旨のことが書かれていて、「電圧が高い」とはどういう意味だろうかと悩んでいたが、ここに紹介されていない歌人に答えがあるのかもしれない。たとえば俵万智。
読了日:12月14日 著者:倉阪 鬼一郎
AはアセクシュアルのA 「恋愛」から遠く離れてAはアセクシュアルのA 「恋愛」から遠く離れて感想
性的志向の前に「なぜ自分は自分のままだと受け入れられないのだろう」という点が気になった。いくら「自分はこうでしかいられない」と主張しても「そんなことはない」「知らないだけだ」と否定され続けること。否定してくる相手は善意である(少なくとも悪意はない)こと。そうして孤立してしまうせいか、この本でも紹介されているデッカーの『見えない性的指向』では大変細かく性的指向を分類している。おそらく所属するところがほしくなるんだろう。この本は違う。人は一人一人異なる特別な存在。そういうことなんだろうなと思う。
読了日:12月18日 著者:川野 芽生
はじめまして現代川柳はじめまして現代川柳感想
大変おもしろくてつるつる読んでしまった。自分には絶対思いつかないような言葉の並びの作品に、それをきちんと解説した文章。解説というよりは評価だろうか。この解説というか評がなければどう読んでいいかわからない作品もたくさんある。今年文学フリマで2冊ほど買い求めた本が入門書としては最適で、ただ名前しか知らない柳人もおかげで増えた。そうした名前しか知らなかった人たちの作品もたくさん載っていてるところも気に入った。ここから先に進むにはどうしたらいいのか。それはちょっと悩むところではある。
読了日:12月22日 著者:小池正博
オーギー・レンのクリスマス・ストーリーオーギー・レンのクリスマス・ストーリー感想
本当の話なのか作り話なのか、どちらでもいいじゃあないか。以前出勤時にバス停から見える風景を毎日写真に撮っていたことがある。パチンコ屋がなくなって大学ができたりしたけれど、ニューヨークだとそういうことはないのかもしれない。マクベス夫人の死を聞いてマクベスが云うセリフが出てきて、云う方も聞く方もそれとわかるという場面があるけれど、米国では当たり前にあることなのだろうか。学のある人たちなのかなという気もする。去年、柴田元幸の朗読で聞いて読みたかった本。またクリスマスの時期に読み返したい。
読了日:12月24日 著者:ポール オースター,柴田 元幸,タダ ジュン

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