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Monday, 23 October 2023

毛糸を寄付する?

なんとなくよくなつてきてゐるつもりでゐた腱鞘炎が先週末また痛くてどうしやうもなくなつてきた。
土日と芝居見物に行く予定だつたからそれほどでもなかつたけれど、でもやはり編めないとなるとなんとなく手持ち無沙汰だ。
しかも、時間を無駄に過ごしてゐる気がする。
あみものをすると、結果としてくつ下であつたりスカーフであつたりなにがしか目に見えて手に取れる結果が出るから時間を有効に過ごせたやうな気分になるのだ。
それがまやかしなやうな気もして、それで「やつぱりあみものは時間の無駄だらうか」と悩むこともあつた。
だが、かうして編めなくなつてみると、「編んでおくのだつた……」と切実に思ふ。

このままだと毛糸はどこかに寄付するやうだらうか。
しかし寄付するにしても、着分ある毛糸はほとんどない。
大抵一玉とか二玉とかしか買はないからだ。
大物を作ることが少ないし、ひとまづ新作毛糸を試してみたくて買ふことが多かつたからだ。
そんなんでもいいのかなあ。

いづれにしても、腱鞘炎はすこしでもよくなるやうつとめてはゐる。
そのうちまた編める日が来るやうに。

Friday, 20 October 2023

出かけたくないけどカバン

出かけるのが好きではない。
好きではないといふよりは、出かけることが負担になる。
たとへば土日の休み両日とも外出したりすると、月曜日からひどく疲れてたまらない。週の半ばくらゐには休まうかと思つてしまふくらゐだ。

出かけることに向かないのだ。
おそらく。
体力がないともいふかもしれない。
或は出かけるとその分できないことがあるのがストレスになるのかもしれない。

いづれにせよできるだけ外出は避けたい。
だといふのにカバンが好きだ。
最近はさすがにうつかり買つてしまふことも減つたが、お気に入りなのになかなか持ち出せないカバンなどもあつて、時々どうしたものやら考へてしまふ。
持ち出せない理由のひとつに、通勤時間帯の電車に乗るとカバンに傷がつくから、といふのがある。
日々の出勤に気に入つたカバンを提げて行ければ問題は解決するのになあ。

といふわけで、休みの日の外出にはどのカバンを持つたものか頭を悩ませることしきり。

なんの因果だらうか。

ところで、比較的ちいさめのカバンが好きだつたりする。
荷物はちいさい方が身軽でいい。
だが、いま日々の記録に使つてゐるのはA5サイズのMDノートである。
最低限、A5サイズのノートの入るカバンが必要だ。
しかしお気に入りの中にはA5サイズの入らないカバンもある。
どうしたものかー。

ときどき思ひ切つてMDノートは家において行くことにして、測量野帳を持つて出かけることもある。
この週末もさうするか或は。

Thursday, 19 October 2023

短歌と俳句

今年の二月下旬、短歌を作り始めた。
きつかけは朝の連続テレビ小説『舞いあがれ!』だつたと思ふが、その以前から歌集はぼちぼち読んではゐた。
これもきつかけはNHKのTVドラマ『恋せぬふたり』だつたやうに思ふ。そこからいろいろWeb検索をするうち川野芽生にめぐりあひ、そこから派生して大滝和子やその他いまの歌人の歌集を探して読むやうになつてゐた。

おもしろかつた。
短歌つて、こんなにおもしろいんだな。
歌集を読むやうになつてよかつたと心底思ふ。
読まなければかうした作品のあることを知らずに生きてゐただらう。

歌集に比して句集はそれほど読んだことがなかつた。
東京マッハのチケットはできるだけ取るやうにしてゐたし、さういふ意味では短歌よりは俳句への興味の方が強かつたにもかかはらず、だ。
好きな句集もないではないけれども。『虎の夜食』とか、あ、成田三樹夫の句集もいい。

とはいへ、俳句はなんとなく自分に向かない気がしてゐた。
一度だけ句会に参加して、「なんかちがふ」といふ気がしたからだ。
その句会で選句された句のなかにとあるホテルを詠んだ句があつて、そのホテルを知る人からは「あのホテルでせう? すぐわかつた」と大絶讃だつたのだが、残念ながらやつがれはそのホテルには一度も行つたことがなかつた。
したがつて、その句自体を鑑賞することはできたものの、知つてゐればできたはずの見方はできなかつた。
選句つて、そんなことでされちやふんだな。
そんなこと、といふのは、参加する人たちの趣味嗜好にあつた句が選ばれるんだな、といふことだけど。
それつてなんかちがふのでは、と思つたが、後に西村麒麟が「句会で選ばれる句つてそんなもんなんですよ」といふやうなことを書いてゐるのを詠んだので、さういふものなんだらう。
世の中、人気のあるものといふのはさうしたものなのだ。

いづれにしてもそんなんで細々と歌を作つたり句を作つたりしてゐる。
二月の末に短歌を作りはじめたころ、愛知県の緒川のあたりに行く機会があつた。
このとき、二両編成の電車に乗つて見た景色から作つた歌が二首ほどある。
その歌を見てゐると、あのとき見た車窓のやうすがありありと蘇つてくる。
ちよつと不思議な感覚だつた。
日記や旅行記などにしてきちんと説明して残したものより、つたない三十一文字ていどの文の方が記憶を呼び覚ますといふのは。

世の中には言語隠蔽効果といふものがあつて、記憶をことばにすることで失はれてしまふ事実があるのだといふ。
もしかしたら、それと関係があるのかもしれない。

そんなわけで、今後もほそぼそと歌とも思へない歌や句とは云へないやうな句を作つていくんだらうといふ気がする。

さう、いまは俳句も作るのだが、それはまた別の機会に。

Wednesday, 18 October 2023

職場で断捨離

職場から私物をある程度引き取つてこなければならない。
大きなものは書籍だが、大半は文房具である。
ぱつと見て目立つのは、ほぼ日手帳カズンのカヴァ付きのものやおなじくA5サイズのノートカヴァ、ほかに筆箱と呼びたいやうなものも含めてペンケースが複数ある。
大きなものはそんな感じで、ペンや鉛筆、鉛筆削りなど、ひとつひとつは小さいけれどたくさんあるからどうにもならなくなつてゐるものもある。

さて、どうしやう。

書籍は仕事に関係のあるものばかりだが、考へてみればここ数年使つてゐない。
かういふものに限つて捨てた途端に必要になつたりするのが常ではあるが、なに、最近はWeb検索すればどうにかなることもある。
問題は、情報が古くなつて使へなくなつてはゐるものの、いい本だつたりする場合だ。
もちろんかうした本ももうまつたく読まなくなつてはゐるのだが、だからといつて捨ててしまふ気にはならない。
最後まで考へるしかないか。

文房具については、できるだけ回収するつもりではゐる。
こちらも考へてみれば職場のロッカーに入れたままで全然使つてゐないんだから捨ててしまつてもいいといへばさうなのだが、しかし、なんかのときに取り出して気分を変へることもできる。
ただ、家にももう置き場がないといへばさうなのだが。

Tuesday, 17 October 2023

綿の糸と絹の糸

タティングでは、栞とブレスレットとを作つてゐる最中だ。
栞はLisbeth #40で、ブレスレットは佐賀錦で作つてゐる。
最近、糸の選択は逆の方がよかつたのではないかといふ気がしてならない。

ブレスレットはクロバーの手芸&手あみ用ニットリングを使つて作つてゐる。
ニットリングに糸を結びつけていくのだが、絹糸のせゐか結んでゐてすべるのだ。
綿の糸だつたらかうではないのではあるまいか。
試してないからわからないけど。
ただ、絹糸だけあつて、結び目の光沢はとてもうつくしいし、装飾品には向いてゐる気がする。

栞の方はとくにこれといつた問題はない。
でも一緒に作つてゐるのが絹糸を使つたブレスレットのせゐか、いまひとつ光沢に欠ける気がする。
Mercerised Cotton Thread だと思ふんだけどな。
さすが絹糸、といつたところか。

ブレスレットにはハート型の諏訪部順一……ぢやなくてスワロフスキーの大玉を留め具代はりにしてゐる。
色違ひでもうひとつ作るつもりでゐる。
ニットリングに結びつけてゆくタティングもいつものタティングと違つておもしろいのだけれども、ちよつと時間のかかるのが難点かな。

ともあれ、急ぐものでなし、のんびり作ることにする。

Monday, 16 October 2023

編みかけのままのもの

すこし前の写真などを見てゐると、「ああ、このころは編めてゐたんだなあ」と思ふ。
直近は八月二日に編み始めたベルント・ケストラーの手袋で、ハマナカの洗えるリネンでウェディング・グラヴを作るつもりだつた。
途中で腱鞘炎が再発して挫折したままだ。

夏のあひだ、手の甲の日焼けが気になつた。
たまたま五月にダイヤモンド毛糸のダイヤマフィンでおなじくベルント・ケストラーのオメネといふ手袋を編んでゐたので、これをはめて外出するやうにした。
オメネはレース編みの手袋で穴がかなり空いてゐる。しかしはめてみると案外穴が気にならない。無論、炎天下にずつと外にゐたりしたら穴の部分が日焼けしてしまふのだらうが、幸ひそんなことをする必要はなかつた。

そんなわけで、一対では足りないなと思つて麻の糸で指なし手袋を編んでみやうと思つたわけだ。
ハマナカの洗えるリネンは麻100パーセントなのださうだが、洗濯機で洗へるといふ。
そこが気になつて買つてみたんだけどなあ……。
手袋を使つてみてよささうならちよつと襟元に巻くやうなものも作つてみたいと思つてゐた。
だが、いまに至るまで編めるやうになつてはゐない。

このまま編めるやうにはならないのかな、と思ふこともある。
編めるときに編んでおけ、といふのは実に正しいことばであることよ。

Friday, 13 October 2023

貧乏者には断捨離は向かない

衣更へといへば、2019年の秋のこと、あまり家にもゐないし余分な部屋着は捨ててしまはうといふので、必要最小限の服だけ残して処分してしまつた。
年が明けて、3月ごろにはひどく後悔した。
コロナ禍で出かけられなくなつてしまつたからだ。

もともとあまり出かけたい方ではないが、なぜか芝居見物が好きなものだから必然的に出かけざるを得なかつた。
それが、芝居といふ芝居が軒並み休演になつてしまひ、出かける必要がなくなつてしまつたのだつた。
願つたりのはずだつたが、しかし家にゐて着る服がない。まつたくないわけではないが足りない。しよつ中洗濯をするやうである。

もう二度と断捨離なんてしない。
さう心に誓つた。

いまでも部屋着は若干不足気味である。
断捨離とは、持てる人間のすることなのだとしみじみ思ふのだつた。

Thursday, 12 October 2023

むつかしい衣更へ

「履く毛布」なるものを購入した。「着る毛布」のズボン版である。
試しに履いてみただけで汗をかきさうなくらゐあたたかい。
こんなに暑くなるとは。
実際に使へるだらうか。

さうも思ふが、使ふだらう。
冬になつたら履いてもあたたかいと感じはしても、汗をかくなどといふことはないにちがひない。

毎年五月の連休中に衣更へをする。
そのとき、麻の羽織ものをためしに羽織つてみたりすることがある。
すると、ひどく涼しい。もつといふと寒いくらゐだ。
こんなたよりないものを羽織るのだらうかと思ひつつ、実際に夏になつてから使つてみればこは如何に。
ちやんと冷房除けになるのだから驚きだ。
五月に羽織つてみたときの寒さなど微塵もない。

衣替への機会に着ないものは処分したりもするのだが、かういふことがあるとなかなかむつかしいなあ。

Wednesday, 11 October 2023

冷奴と季語

冷奴にして食べやうと思つて買つた豆腐をどうしたものやら悩んでゐる。
いや、まあ、冷奴を食べてもいいのだが、なんだかそんな雰囲気ではなくなつてしまつた。
十月なんだから当然だらうとも思ふが、豆腐を買つたのも十月に入つてからなんだがな。

歳時記などを見てゐると、季語は旧暦をもとに考へるから、たとへば広島の原爆記念日は夏だが長崎の原爆記念日は秋になるのだといふ。「原爆忌」自体は秋の季語らしい。
さういへば七夕も秋の節句だ。
蚊は夏の季語だが、最近よくかまれたりするといふ。
だんだん混乱してくる。

さういへば、七月ごろは角川春樹の句集を三冊ほど読んだ。
なんとなく冷奴や湯豆腐の句に目が止まつた。
豆腐、好きなのかな、とも思つた。
冷奴と湯豆腐とはしばらくは自分の思つたとほりの季節の季語のままだらう。
さう思ふとちよつと安心するのは、やはり変化についていけないからなのかな。

Tuesday, 10 October 2023

まだ見ぬ佐賀錦

タティングもまた、腱鞘炎にはいまのところそれほど影響しない。
ノールビンドニングもさうなのだが、ずつとやつてゐると指を動かすときに痛いのでそこだけは気をつけるやうにしておけば大丈夫だ。
つまり、長時間はできないといふことである。
だが、やつてゐるあひだは痛くないので、うつかり忘れてしまひがちといふのが困りどころか。

去年はずいぶんとタティングをした。
主にビーズを入れてネックレスばかり作つてゐた。
ビーズも、丸ビーズは新たに買つたものもあつたが、スワロフスキーや大玉のチェコビーズなどは手持ちのものを利用できてなかなかよかつた。
さうさう、糸は東京に出たときに越前屋で佐賀錦を求めたのだつた。
佐賀錦のなにがいいかといふと糸がZ拠りであることだ。
手縫ひ糸は基本的にはS拠りで、タティングにはあまり向かない。
気にしなくてもいいといふ話もあるし、普段は自分も気にしないが、絹穴糸と比べてみると佐賀錦の方が結びやすいし結び目もきれいだと思ふ。

九州の人に「佐賀錦」といつたら「お菓子?」と訊かれた。
どうやらいまはもともとの刺繍よりお菓子の方が有名なのらしい。
九州には行きたいとつねづね思つてゐるので、いつかお菓子の佐賀錦にも出会へたら、と思つてゐる。
物産展やアンテナショップで探すのもいいかもしれないけど、おみやげとして買ひたい気がするんだよね。

Monday, 09 October 2023

腱鞘炎

ここ四、五年ほど腱鞘炎に悩まされてゐる。
全然なんでもないときもあるが、いま、左手の薬指とその周辺が痛くてたまらない。
利き手は右手だから左手なら問題は少ないではないかといふとさうでもなくて、たとへば缶飲料のプルトップは左手で引くし、昨日気がついたのだがビニル袋に入れた肉を揉むときも左手で揉む。
風呂場を掃除する際には左手でブラシやスポンジを持たないと掃除をしづらい場所もあつて不便だし、風呂場に限らず雑巾をうまくしぼれない。

そんなわけで、掃除をはじめとする家事は「腱鞘炎だから」でいい加減――で悪ければできる範囲でしてゐるのだが。

あみものができない。
あみものをして気がついたが、棒針編みにしろかぎ針編みにしろ、左手もよく使ふ。編んでゐると痛い。
痛くないやうに編むことができない。

さういへば、マクラメもダメだつたなあ。三年前にやはり左手が痛くてあみものの代はりといつてはなんだがマクラメをしてみたら、痛くてうまく結べないのだつた。

それでしばらくぼーつとしてゐて、「この毛糸の山はどうすればいいのか」と暗澹とした心持ちになることもあつた。
だが待てよ。
ノールビンドニングがあるぢやあないか。

ちよつとやつてみたところ、腱鞘炎には響かない。
ずつと手をおなじ形のままにしてゐると動かすときに痛くなつたりはするのだが、そこにさへ気をつければあとは大丈夫。
よかつた。ノールビンドニングがあつて。

以前は、棒針編みもかぎ針編みもやるなんてちよつと無謀なんぢやないかと思つてゐた。
好きだからどちらもしちやふけど、でも、なんだかどつちつかずになつてしまふな、といふ気がしたのだ。
やるんだつたらどちらかに集中した方がいいのではないか、とか。
その上タティングにも手を出したりしてるし。

でも、今回手が痛くてあみものができなくて、ノールビンドニングをやつたことがあつたからなんとかものづくりをつづけてゐられる。
本で読んで覚えた自己流だけど、なんとかなつてゐる。
見境なくあれこれやつておいて、よかつた。
かういふこともあるんだな。

Sunday, 01 October 2023

9月の読書メーター

9月の読書メーター
読んだ本の数:6
読んだページ数:1291
ナイス数:54

The Picture of Dorian Gray (Penguin Classics)The Picture of Dorian Gray (Penguin Classics)感想
『緋色の研究』を読み返していたところ、同時代のアイルランド出身作家であるワイルドのことをふと思い出して手に取った。たぐいまれな美少年が独特の美学を持つ貴族の意見にとらわれてしまうあたり、昔の少女まんがにありそうだなと思いつつ読み進むと、上流階級の人々の会話のセリフのやりとりが生き生きしていて洒落ていて、さすが戯作者としみじみ思う。愛を知ると愛を演じられなくなるというのもおもしろい。見た目の美しさだけが美しさなのか。阿片窟にホームズとの関連を見る。
読了日:09月12日 著者:Oscar Wilde
A STUDY IN SCARLET (annotated) (English Edition)A STUDY IN SCARLET (annotated) (English Edition)感想
子どものころはこれと『四つの署名』とが苦手で、というのは解決篇が退屈だったからなのだが、『緋色の研究』はワトソンとホームズとの出会いがおもしろくてたびたび読み返してしまう。ワトソンが従軍経験のある医師であるという設定はしみじみうまい。死体とか見ても怖がったりしないし、いろいろと医学的所見も述べてくれたりするし。解決篇のブリガム・ヤング絡みの話は今だったら書けないんだろうなぁ。過去のことだと抗弁しても。
読了日:09月13日 著者:Sir Arthur Conan Doyle
言語ゲームの練習問題 (講談社現代新書)言語ゲームの練習問題 (講談社現代新書)感想
考えることのおもしろさを教えてもらった気分。本書にもあるとおり「哲学」というと過去の哲人の説を覚え主張を云々するもの、という印象が強いが、そうではないんだよ、というのがこの本の云いたいことだろう。自分の考えることなんてもうとっくに過去の人が悩みに悩み抜いているというのはその通りで、過去の哲人の説を学ぶのはムダなことではないけれど、自分であれこれ考えることには、脳細胞が活性化するような楽しみがある。
読了日:09月13日 著者:橋爪 大三郎
はじめての短歌 (河出文庫 ほ 6-3)はじめての短歌 (河出文庫 ほ 6-3)感想
何度も読み返してしまう自分は「ボブ」や「だあだあおじさん」の仲間だ。ほんとは仲間になりきれていないのだが、世の中の目に見えない壁にぶつかると、「ああ、いまの自分は「ボブ」だ」と思ってしまう。読み返してあらためて「改悪例」というのがすばらしい。何度も読み返したい一冊。
読了日:09月15日 著者:穂村 弘
字幕屋のホンネ (知恵の森文庫)字幕屋のホンネ (知恵の森文庫)感想
映画会社のせいでそんなに字幕(や吹替もそうだろう)が改変されてしまうのなら、やはりできるだけ字幕で見てわかる範囲でセリフを聞き取れたらなあ、と思う。著者は吹替に批判的だが、声優人気というものがあるのを失念しているのかあえて書いていないのか。また2007年当時はどうだかわからないけれど、今はIMAXの巨大な画面で字幕を探して読むのは大変だし、4DXで揺れたりしたらますます字幕を読むのは困難だと思う。その一方で邦画の日本語字幕版なんてのも出て来ているから、やはり観る側の資質は低くなっているんだろうけれど。
読了日:09月22日 著者:太田直子
大人も読みたい こども歳時記大人も読みたい こども歳時記感想
「大人も読みたい」とある通り、大人が読んでもおもしろい。季語の並びは普通の歳時記のように、時候・天文・地理・人事……といった風になっているのもいい。季語に対して俳人にまじって小中学生の作があるのもおもしろく、「この季語にはこどもの句がないのか」としみじみ感じたりもする。句会の仕方があるのもすてき。西村麒麟が紹介していたので読んでみた。
読了日:09月25日 著者:季語と歳時記の会

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