今年の二月下旬、短歌を作り始めた。
きつかけは朝の連続テレビ小説『舞いあがれ!』だつたと思ふが、その以前から歌集はぼちぼち読んではゐた。
これもきつかけはNHKのTVドラマ『恋せぬふたり』だつたやうに思ふ。そこからいろいろWeb検索をするうち川野芽生にめぐりあひ、そこから派生して大滝和子やその他いまの歌人の歌集を探して読むやうになつてゐた。
おもしろかつた。
短歌つて、こんなにおもしろいんだな。
歌集を読むやうになつてよかつたと心底思ふ。
読まなければかうした作品のあることを知らずに生きてゐただらう。
歌集に比して句集はそれほど読んだことがなかつた。
東京マッハのチケットはできるだけ取るやうにしてゐたし、さういふ意味では短歌よりは俳句への興味の方が強かつたにもかかはらず、だ。
好きな句集もないではないけれども。『虎の夜食』とか、あ、成田三樹夫の句集もいい。
とはいへ、俳句はなんとなく自分に向かない気がしてゐた。
一度だけ句会に参加して、「なんかちがふ」といふ気がしたからだ。
その句会で選句された句のなかにとあるホテルを詠んだ句があつて、そのホテルを知る人からは「あのホテルでせう? すぐわかつた」と大絶讃だつたのだが、残念ながらやつがれはそのホテルには一度も行つたことがなかつた。
したがつて、その句自体を鑑賞することはできたものの、知つてゐればできたはずの見方はできなかつた。
選句つて、そんなことでされちやふんだな。
そんなこと、といふのは、参加する人たちの趣味嗜好にあつた句が選ばれるんだな、といふことだけど。
それつてなんかちがふのでは、と思つたが、後に西村麒麟が「句会で選ばれる句つてそんなもんなんですよ」といふやうなことを書いてゐるのを詠んだので、さういふものなんだらう。
世の中、人気のあるものといふのはさうしたものなのだ。
いづれにしてもそんなんで細々と歌を作つたり句を作つたりしてゐる。
二月の末に短歌を作りはじめたころ、愛知県の緒川のあたりに行く機会があつた。
このとき、二両編成の電車に乗つて見た景色から作つた歌が二首ほどある。
その歌を見てゐると、あのとき見た車窓のやうすがありありと蘇つてくる。
ちよつと不思議な感覚だつた。
日記や旅行記などにしてきちんと説明して残したものより、つたない三十一文字ていどの文の方が記憶を呼び覚ますといふのは。
世の中には言語隠蔽効果といふものがあつて、記憶をことばにすることで失はれてしまふ事実があるのだといふ。
もしかしたら、それと関係があるのかもしれない。
そんなわけで、今後もほそぼそと歌とも思へない歌や句とは云へないやうな句を作つていくんだらうといふ気がする。
さう、いまは俳句も作るのだが、それはまた別の機会に。
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