1冊にまとめるだけではダメなのだつた
『情報は1冊のノートにまとめなさい【完全版】』を読んだ。
以前から気になつてはゐたものの、読まずにゐた。
影響を受けたくないといふこともあつたし、自然と手帳は1冊になつてゐたからといふこともある。
実際この本を読んでみて、1冊にまとめる部分はBullet Journal形式をとることでほぼできてゐるなと思つた。
でもこの本で重要なのは1冊のノートにまとめることだけではない。
もうひとつ大切なのは、さうして1冊のノートに書きためた情報を活用することだ。
それには書いたことをおそらくは何度も見返すことになる。
情報を収集する方法にはいろいろあつて、どれにも必要なことがこの「集めた情報をどう活用するか」だ。
梅棹忠夫は『知的生活の方法』で京大カードに情報を書き出し、書いたカードを何度もくることが大切だといふ旨のことを書いてゐる。
書いたら書きつぱなしでは意味がないのだ。
それを考へるとノートに手書きをするよりはデジタルメモのやうなものを残す方がいいのかなあといふ気がしてくる。
ノートだと過去のものは必ずしも手元にあるとは限らないからだ。とくに出先では何十冊と前のノートを参照するのはむつかしからうと思ふ。
ライアン・ホリディは必要なカードは常に持ち歩いてゐる、といふやうなことを書いてゐたと思ふが、その時なにが必要なのかわかつてゐればそれもできるけれども、「あの情報は確かあそこに書いてあつたはず」といふことになつたらお陀仏だ。
その点電子情報にしてしまへば、サーバ(いまだとクラウドか)においておけば、ノートよりも楽に過去のデータを見返すことができる。
ノートの利点として手元に残るといふ話もあるが、これも燃えてしまつたらそれまでだし、水没してぼろぼろになつてしまふといふことも考へられる。
データの方が消へやすいかもしれないが、いづれにせよ絶対といふことはない。
『情報は1冊のノートにまとめなさい【完全版】』でも、集めた情報を活用するためにカードにあらためて書き出したり、目次をExcelで作つたりしてゐる。
なかなか1冊で完結するのはむつかしいのだらう。
えうは、情報がどこにあるか、そしてそれをどう活用するかが肝要なのであつて、それには1冊のノートに全部まとめるのがいいよ、といふことなのだと理解してゐる。
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