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Thursday, 04 November 2021

二十年前のことを描いた映画を見る

文化の日に『2001年宇宙の旅』を見てきた。
見てきて以来、気がつくと「美しき青きドナウ」が脳内でエンドレス再生されてゐる。
小学校の朝の登校時間帯に流れてゐたといふこともあるが、とにかく止まらない。
名曲である。

『2001年宇宙の旅』はTOHOシネマズ日比谷で「100000分の1秒音響映画祭」といふイヴェントがあつて、その一環として上映された。
実は『ボヘミアン・ラプソディ』も見てきたのだが、それはまた別の話。

『2001年宇宙の旅』は一度は映画館で見てみたい映画だつた。
初めて見たのは中学三年生のときのことだ。
高校受験も終はつたころ、理科の教師が「この映画は見ておいてほしい」といふので授業中に生徒に見せたのが『2001年宇宙の旅』だつた。
ヴィデオだつたのだらうか。録画だつたのかもしれない。
でもそのあともう一度今度はTVで見てゐるので、やはりヴィデオだつたのかなあ。
国立フィルムライブラリで上映されたり「午前十時の映画祭」で上映されたりして、行く機会はありながら、と云ひながら国立フィルムライブラリでは激戦だつのたやうなのでおそらく見られなかつただらうが、見る機会を逃してきた。
今度は行くぜ。
といふわけで、行つてきた。

よかつた。
あひかはらずよくわかんなかつたけど、そこはそれだ。
わからないものはわからないと認識してゐればそれでいいのだ。
見に行つて、「人類の夜明け」ではモノリスに触れた猿人たちは道具を使ふことを覚えて、それでモノリスに触れてゐない猿人たちに勝つことができたと思つてゐた部分は、勝てた理由にはもしかすると道具を使ふことを覚えて獲物を倒し肉食を覚えたからといふこともあるのかなと思つたりもした。
また、ひとつひとつモジュールを抜かれてゆくHAL9000のやうすが認知症の進んでいくやうすにも見えた。途中までは忘れる恐怖を感じてゐるのだが、ある瞬間から突然昔のことを云ひ出す、とかね。
あと、思つてゐたより食事の場面が多い映画だなと思つた。宇宙食も覚えてゐるだけで三種類くらゐ出てくる。食べ物の違ひでほかのことも表現してゐたのかなと思つたりした。
それに、とにかく緊迫感がすごい。
息の詰まる場面がいくつもある。
絵もうつくしかつたしなあ。
今回はリマスタ版だと思ふけれど、やはり一度はフィルム上映も見てみたいと思つたりもした。

ところでその緊迫した場面の中に、「木星計画」の冒頭部分がある。
木星に向かふディスカヴァリー号の孤立したやうす。
その船内をぐるぐると走るフランク・プール。
船室の両脇には全部で五つのスリープポッドがあつて、うち三つには人型の棺桶のやうなものが入つてゐて、冷凍睡眠したまま木星に向かふクルーが眠つてゐる。空の二つはフランクとデイヴィッド・ボウマンのものだ。
ここにハチャトゥリアンは「ガイーヌ」のアダージィオが流れてゐる。
それだけでひどく孤独な気分になる。
宇宙にゐるのはあなただけなのです。
宇宙ではあなたの悲鳴は誰にも聞こえない。あ、それは『エイリアン』か?
いづれにせよ、宇宙空間とか深海とか、ほかに人の誰もゐないやうな空間に流れる音楽にまさにうつてつけとしか云ひやうがない。
はじめて聞いたのがこの映画でだつたせゐだらう。
いつ聞いても(といつてバレエ作品「ガイーヌ」は見たことがないのだが)、この映画の宇宙の人類を拒むやうなイメージが蘇る。

思へばリゲティを聞いてみやうと思つたのもこの映画の影響だし、何よりもクラシック音楽を聞かうと思つたのもこの映画を見たからかもしれない。
それくらゐどの曲も映画にぴつたりとはまつてゐる。
見に行つてよかつたし、また機会があれば是非映画館で見たいものだ。

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