Schadenfreudeな『ローマの休日』
映画の『ローマの休日』といふ題名は『Roman Holiday』の直訳だらう。
一見、これといつて問題はない。
しかし、これでは「Roman holiday」の本来の意味が伝はらない。
「Roman holiday」とは、他人を犠牲にしてそれを楽しむ娯楽のことをいふ。
ローマ人が猛獣や奴隷・闘士等を闘はせて楽しんだことから来たことばだ。
最近よく聞く「Schadenfreude」に近いのではないかといふ気もする。
他人の苦しむさまを見て楽しんでゐることに変はりはない。
さう思つてこの映画を見るとアン王女の勝手な行動にみな困つてゐることがわかる。
乳母やさんなんて、心底王女のことを心配したのぢやあるまいか。
さうでなくても、職を失ふかもしれないと真つ青になつた人も多からう。
アン王女はそんなことはちつとも斟酌しない。
『Roman Holiday』。
実にいい題名だ。
でもおそらくこの映画を見る人は、さう思つて見てゐない。
窮屈な生活を強いられてゐるお姫さまが自由を求めて外の世界に出、正体を知る新聞記者をお供に街のあちこちをめぐり、束の間のロマンスを楽しむ。
さういふ映画だと思つてゐる人がほとんどなのではあるまいか。
主役にあまり興味のないやつがれは、初めてこの映画を見たときに残された人々のことがとても気がかりだつた。
乳母やさんの心境を思ふとゐたたまれないし、クビを切られるかもとお先真つ暗な人々もゐるだらうと思ふとアン王女の逃避行などちつとも楽しめない。
結局これはさういふ映画だつたんだなとRomah holidayの意味を知つてちよつと安心したりもした。
だが、かうも思ふのだ。
ローマ人はアン王女ではなく、もしかしたらこの映画を見てゐる人なのではなからうか、と。
一連の騒動を「あーあ、もう、仕方ないな、王女さまは。でも魅力的だから仕方ないか」とか「かなり年上の記者とのロマンスなんてステキ」だとか、さうして映画を見てゐる人々こそが、ローマ人なのではあるまいか。
見返すかな。
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