はじめてのBullet Journalを見返す
はじめてのBullet Journalを見返した。
今夜紀尾井町家話の第五十夜を聞いてゐて、さういや以前は歌舞伎夜話の内容をメモしたものだつたなあと思ひ出したのだつた。
時期的にBullet Journalをはじめたばかりのころだ。
Bullet Journalをはじめたのは2016年2月のことだつた。
なぜ1月からではないのかと思ふが、Bullet Journalを知つたのがそのころだつたのだらう。
知つてすぐはじめたいと思つた。
それで手持ちのノートを物色してMDノートの新書版を使ふことにした。
そして、このノートがとてもよかつた。
にぢみや裏抜けがほぼなくペンを選ばないところがいいし、大きさがちやうどよかつた。
当時、「ここになんでも書いてある」といふ安心感を覚えたことを記憶してゐる。
また、水戸駅の駅ビルにある川又書店でもらつた人形劇三国志のブックカヴァをかけて使つたのもいい感じだつた。関羽のカヴァだ。
以降、Bullet Journalをつづけてゐる。
当時と今とでは大きく違ふ点もある。
まづ、Future Logsがない。
Bulletsも、ToDoは四角いチェックボックス、メモが・になつてゐる。
いづれも、当時の説明動画がさうなつてゐたからだ。
Future Logsはその後3月に追加してゐる。
未来の予定の管理がとてもしづらく、再度公式webサイトなどを見に行つたらFuture Logsが増えてゐた。
Bulletsの種類もToDoは・、メモは−に変はつてゐたが、そこはMDノートを使つてゐるあひだは変へることはなかつた。
もつとも大きく異なるのは、「なんでも書いてゐる」といふ点だ。
いまでもそうしてゐるつもりでゐたけれど、当時の方がよほどいろんなことを書いてゐる。
「よい客とはどんなものだらうか」とかね。
「出てくるだけで「歌舞伎だ」と思はせる役者がゐなくなつて久しい」とかね。
思ひついたことを片つぱしから書いてゐる。
多分、Bullet Journalをはじめたばかりであれもこれも書きたかつたんだらうな。
また、その前から長いこと「なんでも帳」のやうなものをつけてゐて、その延長といふ点もあつたのかもしれない。
でも、なんといふのかな、いま書かなくなつてゐるのは、やる気が失せてゐるのかもしれない。
或は生きる気力のやうなものがなくなつてきてゐるのかも。
だつてやつぱり読んだ本や見た芝居のことを書くのは楽しいもの。かきはじめると、だけどね。
MDノートダイアリーを買つてみやうかと思つたが、新書版はメモ部分が8mm罫なのらしい。惜しいな。方眼用紙なら買つてゐたな
今後、書くことが少なくなるやうなら、能率手帳のやうな手帳に乗り換へる手もある。
書きたいことは「なんでも帳」に書けばいいんだし、とか。
でもBullet Journalの「この一冊に全てがおさまつてゐる」といふ安心感には捨てがたいものがある。
いまはちよつとその安心感が欠けてゐるのかもしれない。
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