『どこにもない編み物研究室』から考へるSDGsなど
『どこにもない編み物研究室』を読み終はつた。
読み始めて久しぶりに糸を紡いでゐる。アフガン編みに使ふつもりで単糸はS撚りにして双糸をZ撚りにするつもりだつたのに気が付いたら単糸をZ撚りにしてゐてがつくりした、といふ話は書いたやうな気がする。
でもその後も糸は楽しく紡いでゐる。あーまー時々うまくいかなくてイライラすることもないわけぢやないけれど。
この本を読んでゐると、ところどころに「SDGs」といふことばが出てくる。
Sustainable Development Goalsの略、といふことはおそらく会社勤めなどをしてゐるとよく知つてゐるのではないかと思ふ。なぜといつて各企業にSDGsに従つてゐることが求められてゐたりするからだ。
全部で17の目標があつて、環境に配慮し、多様性の問題に対処する、みたやうな内容だと思つてゐる。
あみものをする人、もつといふと手芸が好きな人といふのはいはゆる「地球にやさしい」みたやうなことが好きな人が多いといふ印象がある。
ちよつと前でいふと「ロハス」とかさ。
なんでもできるだけ手作りで生活したい、とか。
『どこにもない編み物研究室』にはラッダイト運動やネオ・ラッダイト運動に関する話も出てくる。
AIに仕事が取られさうな人は、自分にできることはそれだけだと考へず、見る角度を変へたらほかにもできることがあるよ、といふ旨の話だ。
いままさに職を失ふかもしれない自分から見ると、それは余裕があるから云へることで、実際に失職に直面してゐる人にはそんな余裕はない。
どちらかといふと、人を失職に直面させるやうな方向に向かはせるやうなことをしないことからはじめる必要があると思ふ。
なのに、いきなりラッダイト運動が前提になつちやふんだよなあ。うーん。
必要なものを必要なだけ作る、といふのは大事だとは思ふ。
でもそれでどうやつてこれまでものを作ることで生活してゐた人の暮らしを成り立たせていけるのか、それを考へないといけないんぢやないかなあ。
たとへば、製糸業に携はる人々や広くいへば羊を飼育する人々もみな「ものを作る人」だ。
さういふ発想が欠けてゐる気がするんだよなあ。
以前だと、コンピュータ化された社会は冷たいとか、もつと前だと工場で作つたものは心がこもつてゐないみたやうなことを云ふ人もゐたけれど、コンピュータや工場の機械は誰かが作つたもので、コンピュータに関していへば誰かがプログラムを作つてゐる。
さういふものも、やつがれは「ものづくり」だと思ふのだけれど、いはゆる「地球にやさしい」とかが好きな人はさう考へないやうなんだよなあ。
今日の「まいにちドイツ語」で、ドイツにおける狼の話があつた。
かつてはドイツにも狼がゐたけれど、人が駆除したりしたので絶滅してしまつた。
それが最近ポーランドから移り住んできた狼がゐて、今度は保護するやうになつた。
それで狼が定住するやうになつたのはいいのだけれど、今度は家畜の被害が問題になつてゐる、といふ話だつた。
この話のなにが問題かといふと、狼からの視点の話がまるでないことだ。
人間の勝手で駆除して人間の勝手で保護する。
だからうまくいかないのぢやないかなあ。
もしかすると狼自身はうまくいつてゐると思つてゐるのかもしれない。
狼がよければそれでよしといかないのは、人間がよければそれでよしといかないのと同じではあるけれど。
SDGsもこのドイツの狼の話と似てゐる気がする。
すべては人間の目から見てよかれと思ふことをしやうとしてゐるだけ、といはうか。
SDGsを考へた人々はちやんとできうる限りいろいろなことを考慮に入れてゐたのだらうとは思ふ。
でも、「これをやりなさい」と云はれて各企業がそれぞれにあれこれやらうとすると、いきなりことが矮小化する気がするんだよなあ。
全然地球のためにならないぢやん、それ、みたやうな。
人間から見ていいと思ふことしかしない。
さらにいふと、それをした結果、いろんな影響が出ることを考へないでとにかくやる、とかさ。
レジ袋削減なんかもさうなんぢやないかなあ。
ほんとにレジ袋を削減してマイクロ・プラスチックは減つてゐるのだらうか。
近所の環境の話をすると、レジ袋があつたころはそのレジ袋に入れられて捨てられてゐたゴミが、容器や箸などがバラバラに散乱した状態で捨てられてゐるやうになつたけどなあ。
おそらく近くのコンヴィニエンスストアで買つてきたのだらう弁当の空きがらや使用済みの箸の話だ。
そんなの、ゴミを放置して去る人がいけないんぢやん、といふ人もあらう。
でもどちらかといふと、さういふ人が存在すると考へないことがまづ問題なのだとやつがれなどは思ふ。
禁じられたことをする人はゐる。知つてゐやうとゐずとに関はらず、存在する。
さういふ発想がないのがダメなんぢやあるまいか。
だからレジ袋を削減しやうと決めた時に「かういふこともあるよね」といふ影響を思ひつかない。
レジ袋を削減したらほかにもいろいろ影響があるはずだ。
それを考へることがおろそかになつてゐる気がしてならない。
もつとおそろしいのは「レジ袋の削減→マイクロ・プラスチックの削減」としか考へてゐないのではないかといふことだが……うーん、それはない。と思ひたい。
それも、海辺の環境がよくなつたら住宅街の環境は悪くなつても(ゴミが散乱するやうになつて環境は明らかに悪くなつてゐる)「地球にやさしい」といふのならまあそれもありなのかもしれないとは思ふけれども。
いづれにしても、大勢には流されるしかないので、こんなところで疑問を抱いてゐてもどうしやうもないのかもしれないとは思ふけれど。
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