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Thursday, 16 September 2021

九月文楽 第一部

先週の土曜日、国立劇場の九月文楽第一部を見てきた。
演目は『寿式三番叟』と『双蝶蝶曲輪日記』から「難波裏喧嘩の段」と「八幡里引窓の段」。

ことに三番叟がよかつた。

初めて文楽に行つたころは、若かつたこともあつてか耳がよかつた。
太夫の云ふことはほぼすべてわかつた。
ことばの意味はわからなくても、いま「あ」と云つたのか「わ」と云つたのかわかつた、といふことだ。
一時、文楽のチケットが手に入りづらくなり遠去かつてゐたが、ありがたいことに声をかけてくれることがあつてまたぼちぼち見出したのが8年前とかだつたらうか。
愕然とした。
太夫がなにを云つてゐるのかわからないのだ。
いまのが「あ」だつたのか「が」だつたのか、それとも「な」だつたのかもしかすると「お」?
そんなやうな状態だつた。
その頃にはもう字幕があつたらか確認すればいいのだけれども、なにしろ確認しやうと思つて字幕を見るともう先に進んでゐるからなにを云つてゐたのかわからない。
衰へた……
さう落ち込んだものだ。
これは今もほぼ変はらない。

それが三番叟はわかるぢやあありませんか。錣太夫、いいぞいいぞ。
文楽や、それや歌舞伎の浄瑠璃や唄でなにがいいかといふと、ある程度聞き取れると次にどんなことばが続くのか予想がつくところだ。
たとへば三番叟の出だしで「豊島の秋津洲ダイ〜〜〜」と来たら、次に続く言葉はもう「日本」に決まつてゐる。
そんなわけで、なにを云つてゐるか聞き取れるといふのはとても大事だと思つてゐる。

三番叟は、大きくわけで二つ、そのそれぞれの中でさらに二つにわかれてゐる。
翁と千歳が静、三番叟が動。
翁が静、千歳が動。
色の白き尉が静(といふほどでもないかもしれないが)で、色の黒き尉が動。
だから見てゐてもメリハリがあつたわかりやすい。

今回ちよつと思つたのは、文楽の千歳は舞といふより踊りなのかなといふ感じがした。
歩むといふか進むときにちよつと体が上下する感じが強かつたんだよね。
静だけれども動の役目なので大変なのかな。
数を見たことがないのでよくわからないけれど、むつかしいのかもしれないな。

翁はゆつたりたつぷりで、かうしたものと思ふ。

後半、三番叟の場面になると、俄然動きが加はつて楽しくなる。
語りのない三味線だけの場面のノリノリ感、ね。
聞いてて体が動き出しさうになる感覚、ね。
それに合はせて三番叟が舞台狭しと動き回る。
三味線の手はおなじことをくり返してゐるやうで、毎回少しづつ違ふやうに聞こえる。
三番叟がそれぞれバテてきてサボりだすときはもちろんだけれども、その前の二人ちやんと動いてゐるときでも、くり返しごとにちよこつと前と違ふ感じ。
ここがうまく表現できないのがもどかしい。
その、同じことをしてゐるのに同じに聞こえない感じ、また三番叟の動きもさうした感じといふのが、聞いてゐて見てゐて飽きさせないところなのかとも思ふ。

なにしろめでたい演目だしね。
しかも生き生きとして楽しい演目なので、見られてよかつた。
このご時世に全席売りなのでちよつと敷居が高いのが玉に瑕なのが惜しい。
とはいへ、死活問題だからなあ。

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