敬して遠ざけるサブスクリプション
WorkFlowyがとても気に入つてゐる。
『ライティングの哲学』を読んで、「Twitterにつぶやく感覚でMemoFlowyに書き込んでWorkFlowyに渡す」といふのがとてもよささうに感じた。
なぜかTwitterといふのはつぶやきやすい。
140文字といふ制限がいいのだらうか。
人はある程度は制限や規制のあつた方が創造的になるともいふし。
実際のところ、Twitterは誰が読んでゐるかわからない。
だからつぶやくことには慎重になる必要がある。さもないと炎上するかもしれない。
……気をつけてゐても炎上はするか。
まあ、いづれにしても、Twitterにつぶやくといふことは全世界に向かつてなにごとかを云ふといふことで、誰が読むかわからない。
MemoFlowyならそんなことはない。
クラックされたといふやうなことでもない限り、そしてWorkFlowyを他人と共同で使用してゐない限り、それは「王様の耳はロバの耳!」と穴の中に叫んだのとおなじだ。
あ、それつてバレちやふんだつけ。
ま、いいか。
#よくない。
いづれにせよ、そんな感じでMemoFlowyにあれこれ書くやうになつたせゐかここのところつぶやきがぐつと減つてゐる。
なにも全世界に向かつて発信する必要はなかつたのだ。
単に、なにか打ち込んで発信ボタンのやうなものを押したかつた。
それだけだつたのだらう。
そんなに気に入つてゐるWorkFlowyだが、いまだ有料サーヴィスには加入してゐない。
金額には納得してゐる。問題はそこではない。
悩んでゐるのは、自分の死後のことだ。
自分が有料サーヴィスに加入したまま死んだら、誰かがサブスクリプションを解除するのだらう。
その時の手間は如何ほどのものだらうか。
それをつひ考へてしまふのだ。
WorkFlowyにはその旨質問してみた。
返事を見るとかういふ場合のサブスクリプションの解除は思つてゐた以上にかんたんだつた。
手続きをしてくれる誰かがやつがれのメールアドレスか氏名を連絡して、「この人、死んだからサブスクリプションを解除してほしい」といふだけでいいらしい。
なんだ、そんなにかんたんなのか。
ただ、まあ、英語で書く必要があるだらうから、それは手間かもしれない。
そこは「かう書いてここにメールを送つてくれ」と一筆書いておけばいいのかなとも思ふ。
そんなに悩むほどのこともなくかんたんだとわかつた今でもWorkFlowyの有料サーヴィスに入れないのはなぜなのか。
死者の代はりのサブスクリプション解除が実に大変だといふ話を耳にするからだ。
Microsoftの対応が最悪だ、とかね。
けんもほろろとはこのことかと思ふ。
死んだ家族の代はりに電話してゐるのだと云つても聞き入れず、そのうち「あと何秒で電話が切れます」とか云ひ出す始末だといふ。
さういや携帯電話やスマートフォンの解約も大変だといふ。
SoftBankは本人をつれて来いと云ふと聞く。
死んでるんだよ。
どうやつてつれて来るんだよ。
「らくだ」みたやうにつれて来てかんかんのうでも踊らせてやらうか?
粂寺弾正のやうに閻魔様への手紙の一本も書いて「おまへが行つてつれて来い」とつきはなすか?
auは親切だつたと経験者が語つてくれたが、auには仕事の上でさんざんひどい目にあつたのでもう二度と関わり合ひになりたくない。
残るはdocomoか。
いづれにしても手間がかかることには違ひはない。
お金でなんとかなることならその分を残して死ねばいいのかなとも思ふが。
#それもできないかなあ、こんな世の中ぢや。
手続きが大変なのはどうも、ね。
そんなわけで最近やつとFlickrのサブスクリプションを解除した。
人は死んだらいづれにせよ残つた人に迷惑をかける。
大なり小なりかけることになる。
それはもう仕方がないことだと思つてゐる。
でもまあできる範囲でできることをやれたらとは思ふんだよね。
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