« August 2021 | Main | October 2021 »

Thursday, 30 September 2021

弘法は紙をも選ばず?

セーラー万年筆のオンラインショップで買物をした。
セーラーショップオリジナルのレクルふでDEまんねん万年筆の宵闇を買ひ、一緒に買つた女子いろdaysのレディカクテルを入れた。
これがとても書きやすい。
これまでも深緑色の軸のふでDEまんねんを使つてはゐたが、どうもうまく使へた試しがない。
年賀状用と思ひ、つねより丁寧に書かうとするからだらうか。
それともペンについてくるインクとの相性がよくないのか。
そんなわけで、結局ふでDEまんねんの出番はなく、セーラー万年筆の長刀研ぎで年賀状を書くことが多い。
なぜ長刀研ぎなのかといふと、ある程度太く書けて、ペンをひつくり返せば細くも書けるからだ。
全体的には普通に書き、自分の住所と名前の部分だけ細く書くといふ風に使つてゐる。

ふでDEまんねんは使ひこなせないなと思つてゐたのに、レクルふでDEまんねん万年筆は書きやすい。
自分なりに書いてみてインクがかすれるといふことがないといふのがとにかくうれしい。
いままでのふでDEまんねんだと書き出しがかすれがちだつたんだよね。
万年筆を使ふときはどちらかといふとペンを寝かせがちなので、ふでDEまんねんだと基本的には太い線で書くことになる。
ボールペンのときは立てがちなので、さうやつて書くと細字になる。
不器用な自分でもそのあたりはわりと自由自在にできる。
楽しいなあ。

セーラー万年筆ではズームといふペン先も好きで使つてゐる。ナガサワ文具センターオリジナルの甲南マルーンといふ万年筆のペン先にズームを選んだ。
これがまたすこぶるよい。
ズームはペン先に工夫があつて、わりとどんな角度で書いても書けるやうになつてゐるといふ。
例によつて基本的には太い線で書くことになるのだが、さうするとインクの色が楽しめていいんだよね。
線が太いからインクの濃淡が出やすい。
それでゐて必要に応じて細字でも書ける。
さうなるとそのペン一本あればいいぢやんといふ話になるが、さうもいかないのが我ながら情けない。

ところで、最初、レクルの試し書きにはロディアのメモ帳を使つてゐた。
線が太くなりすぎることがあつて制御しづらいなあと思つてゐたが、かういふものなのかなとも思ひながら書いてゐた。
それがなんの気なしに丸善の萬年筆物語の便箋に書いてみたらばこはいかに。
書きやすいぢやあないですか。
同じやうに書いてゐるつもりなのに、線が太くなりすぎるといふことがない。
もしかして紙のサイズが違ふからペンの持ち方が変はりそれで違ひが出るのかとも思つたが、どうもさうではないやうだ。
紙の吸水性のせゐなのかなあ。
Rhodiaのメモ帳だとわりと書いたままの太い線になるのだが、萬年筆物語ではちよつときゆつとしまつた感じの線になる。

紙によつて書き味が違ふことは重々承知してゐたつもりだ。
たとへば同じペンを使ふのでもMoleskineに書いたときとSmythsonのPanamaに書いたときとではまつたく書き味が異なるし、そもそも線の太さも変はる。
Moleskineに書いた時の方が太字になり、Panamaに書いたときの方が細字になる。
でも、書いた字の見栄えがこんなに変はるとは思はなかつたなあ。
紙によつてうまく書け(たやうな気にな)るなんて、はじめてかも。
いつもどうせうまく書けないよと思つてゐたからなあ。

弘法大師は紙も選ばぬのかもしれないが、さうでないものは紙も選ばないとダメなんだなあ。

| | Comments (0)

Wednesday, 29 September 2021

昔の歌を聞く機会

先日、宝塚歌劇団宙組の「シャーロック・ホームズ The Game is Afoot!」と「Delicieux 甘美なる巴里」のライヴ・ヴューイングに行つた。
元々はどちらかといふとお芝居(といふよりはミュージカルだらうか)の方が好きで、レヴューはどうもと思つてゐたのだが、あらためて見ると宝塚歌劇団のレヴューは楽しい。
贔屓の組子がゐればもつと楽しいのだらうけれども、よく知らなくても見てゐておもしろい。
なにしろ選曲もいいしね。
今回はわりと冒頭に「パリの空の下川は流れる」が使はれてゐて、ヴェルサイユなのかプチ・トリアノンなのかマリー・アントワネットの出てくる場はクラシック音楽の編曲を多用してをり、ほかにも「ベサメ・ムーチョ」とか「誰にも奪へぬこの思ひ」とかいくつもの名曲を使つてゐた。
「Je Te Vous」とか大好きなんだよねー。

「バリの空の下川(セーヌ)は流れる」とか「ベサメ・ムーチョ」とか、今時のお若い方は聞く機会がないのではないかと思ふが、ずつと宝塚を見てゐるとくりかへしくりかへしあちらこちらのレヴューで使つてゐたりして覚えてしまふのだらうなあ。うらまやしい話である。
いづれにしても、かう、舶来版懐かしのメロディを聞く感じがあつて、悪くない。
帰宅後久しぶりにビートルズの「ベサメ・ムーチョ」とか聞いちやつたもんね。
いま聞くと「チャチャ、ウッ!」とか可愛い。

結局、古い歌が好きなんだなあ。
柳亭市馬ではないけれど、「あたしは昭和40年代までの歌しか聞かないんです」くらゐのいきほひでさうかもしれない。
親世代の知つてゐる曲しか聞かない、とかね。
それこそビートルズの「Your Mother Should Know」ぢやないけれど、「君のママの生まれる前に流行つた歌で踊らうよ 君のママは昔々の生まれだけれど 君のママなら知つてゐるはずさ」みたやうな、ね。
踊れないけど「Cheek to Cheek」とか「Anything Goes」とか「I Got Rhythm」とか、聞いて知つてゐる。
下手すると親の生まれる前に流行つた歌だつて知つてはゐる。

いまはYouTubeなどのおかげでさうした古い歌を聞くことが可能だ。
昔だつたら「懐かしのメロディ」の放映を待たなければならなかつたのに。
でも知らないと聞くことはないだらう。
そもそも検索しないと出てこなかつたりするわけだし。
知らなければ検索のしやうもない。

それを考へると、宝塚に馴染みがあるととつかかりといはうか、入口があつていいなあといふ気がする。
昔の曲なんて知らなくてもかまはないとは思ひつつ、でもフランスの歌なんて最近聞かないし、さう思ふとありがたいなあといふ気がするのである。

| | Comments (0)

Tuesday, 28 September 2021

不恰好なモチーフ

タティングレースのモチーフを一枚作つた。
Jon YusoffのChinese Coin Bookmarkのコインを一枚だけ作つてみた。
この栞はコインの形のモチーフを一列につなげたものだ。
スプリットリングでどんどんつないで一度も糸を切ることなく作ることができる。
それが気に入つて何度か挑戦してゐるのだが、いつもどこかで間違へてしまひ、糸もほどけなくなつて一度も成功したことがない。
でも一枚だけならできるかなと思つて作つてみた。

一枚だけ作つたわけはほかにもある。
色を変へてコインのやうな丸い形のモチーフをつなぎたかつたからだ。

モチーフ自体はどうもうまくできなかつた。
糸の撚りがキツすぎたり、そもそも下手だつたりして、しつくりこない。

でもできあがつたモチーフはなんだか可愛い形をしてゐる。
さうか、だから作つてみたかたつんだなとはじめて気がついた。
ほかの色でも作つてみて、よささうならつないでみるかな。
つないでみたらアラもそんなに目立たないのではないか……
そんなことないか。

| | Comments (0)

Monday, 27 September 2021

夏は去つたけれども

金曜日からくるぶし丈のくつ下を編んでゐる。
この夏買つた糸を使つてしまはうと思つたからだ。

この夏は三種類の糸を買つた。
最初はハマナカのウォッシュコットンクロシェ。これはアフガン編みのストールになつた。
二つ目はワンダーコットングラデ。これはかぎ針編みのショールになつた。
三つ目はコットンソックス。これが手付かずのままだつた。

くるぶし丈にしやうと思つたのは、夏に履くならその方がいいだらうと思つたからだ。
いま考へてみると別段夏にこだはることはなかつたのだが、もともとさういふつもりでゐた。
コットンソックスではくるぶし丈のくつ下を編んで、あまつたらヨガソックスにしやうといふつもりだつた。
計画通りといへばさうである。

Amy RappのPink Lemonadeといふくつ下を編むことにした。
編み方ではピンク色の毛糸を使つてゐるからかういふ名前になつてゐる。こちらの糸は黄緑色のグラデーションなのでよりレモネードに近い。いや、どちらかといふとライムかなあ。

くるぶし丈だからすぐ編み上がるだらうと思つてゐたがあまかつた。
まだ最初のくつ下を編んでゐる最中だ。
衰へたなあ。
でもまあ楽しく編んでゐる。

この先、ちよつと工夫する予定だ。
手編みなんだし、それくらゐしてもいいかなつて。
うまくいつたらまたここに書きたい。

| | Comments (0)

Friday, 24 September 2021

連想のつながるとき

連想がつながるときは調子のいいときだ。

先日、あまりにも世の中納得がいかないので、「傷だらけの人生」とか「昭和ブルース」とかをつひ歌つてしまつたりしてゐた。
すると、そこからTVや映画音楽に流れていつて、といふのも子どものころ映画といふのはTVで見るものだつたからだが、それで「慕情」とか歌ひ出してしまひ、そこから「ロシアより愛をこめて」とか二文字の題名といふことで「追憶」とかを思ひ出す。

「ロシアより愛をこめて」は「エロイカより愛をこめて」といふ題名の元になつてゐて、「エロイカより愛をこめて」に出てくるエーベルバッハ少佐はなんとなく「ニノチカ」のニノチカに似たところがある。
そしてニノチカもまたちよつと「ロシアより愛をこめて」だ。

また「ロシアより愛をこめて」の歌詞に「プライドが許さない」といふやうな歌詞があつて、そこから「SHERLOCK」の「Love is a dangerous disadvantage.」なんてなセリフを思ひ出したりもした。

「追憶」といへば……とどんどんつながつてとめどがない。
かういふのがとても楽しい。
これがどこまでも続くときは冒頭にも書いたとほり調子のいいときだ。
いくらでもいつまでもひとりで楽しんでゐられる。

綯ひ交ぜの世界が好きなのもこれと関係してゐるんだらうな。
仮名手本忠臣蔵と五大力恋緘を合はせると盟三五大切になる、とか。
隅田川ものと清玄ものとを混ぜると桜姫東文章になる、とか。
すごく楽しい。

それには知つてゐないといけない、といふのがあつて、そこに限界がある。
なんか、もつといろいろ見聞き読んでおくんだつたな、と後悔する瞬間だ。

| | Comments (0)

Thursday, 23 September 2021

好みの要素は少ないが

『ゴールデンカムイ』を無料公開期間中に読んだ。
もう間に合はないかもしれないと思つたら期間が延長されて、それでなんとか読んだ。
実のところ、「もうこの先は読めなくてもいいかなー」くらゐに思つてゐた。
なんとなく読んでゐてのれなかつた。
なぜといつて、とくに好みでないものてんこ盛りだつたからだ。

まづ絵柄がそれほど好みではない。
筋骨隆々とした人とか苦手なのだ。
いはゆる「男臭い」とか「女臭い」とかいふのも苦手。
こー、あんまし生命力のない絵柄が好きなんだな。
倉多江美とか。
# 極端か。

また美食に興味がない。
とくにジビエに興味がない。
これまで美食まんがのやうなものは一つも読んだことがないし(『ミスター味っ子』をアニメで見たくらゐかなあ)、読みたいと思つたこともない。
『美味しんぼ』とか『クッキングパパ』とか『孤独のグルメ』とか『きのう何食べた?』とか一つも読んでないしメディア展開した作品も見たことがない。
まあ、見る機会がなかつたものもないわけぢやない。『孤独のグルメ』はちよつと気になつてはゐる。そのうち読むこともあるかも。

さらにはいはゆる下ネタが好きではない。
スカトロジックなものからセクシュアルなものまで、すべてどうでもいいと思つてゐる。
それと男色ネタが多いのもちよつと……や、同性愛がダメとかいふんぢやなくて、なんていふのかな、なんか、そんなのなくつたつていいぢやん、といふところに出てくるのがダメなんだけど、作者としては「ここに必要」と思つてゐるんだらうから、多分趣味が合はないのだらう。

あと物理的にはスマートフォンとかタブレットでまんがを読むのに慣れてゐないといふこともあつたと思ふ。
旧人類だから。

なのに読んでしまつた。
最新話の291話も読んだ。

200話あたりからおもしろくなつてきたんだよね。
何がほんとで何がうそなのか。
虚実入り乱れはじめてからおもしろくなつてきた。
さういふ話が好きなのだ。
ここにも以前書いた柳家喬太郎の「ウルトラ仲蔵」みたやうなね、いつたいいま中村仲蔵の話をしてゐるのかウルトラなのかどつちなんだ、どつちでもあつてどつちでもない、みたやうな、さういふ話がとても好きだ。

また、ポーランドが出てきたあたりにぐつとくる。
森川久美好きとしては。
さう考へると不死身の杉元は本郷さんになんとなく似たところがありませんか。
ないか。
まあいいや。

ポーランドとは「平らな土地」を意味してゐて、ゆゑに周囲の大国にいいやうに踏みにぢられてきた、みたやうなね。
おおー、森川久美(で覚えた知識)!
と思つたのです。

考へてみたら『TIGER&BUNNY』も「『シメール』だ!」といふので好きになつたからなあ。
あと『TIGER&BUNNY』つて人造人間キャシャーンだよね。
なんか、そんなところに惹かれたりする。
森川久美か。

構成もおもしろい。
鶴見中尉とか土方歳三とか、軍や国家といふ巨大な組織に物申したい人々がゐて、その配下に家族とか近隣の人々といざこざや何かを抱へた人々がゐる。配下の人々がいざこざを抱へてゐる相手は親だつたり兄弟だつたり、往往にしてなにかしら上下関係があつたりする。
さうした重なつた構造がおもしろいなと思つたんだよね。

さうなるとつづきが気になつて仕方がない。

ただ問題もあつて。
スマートフォンやタブレットで読んでゐると、「あれ、あれはどこだつけ?」といふのが探しづらい。
紙の本だと心あてに手に取つてパラパラめくれば出てきたりするんだけど、スマートフォンだとパラパラができないから一枚一枚めくるしかない。
さうなると、あまりおもしろいと思つてゐなかつたころの登場人物とかその逸話とかが確認しづらいんだよね。
まあもう無料公開期間は終はつてしまつからいいんだけどさ。
紙で買ふにしても家に置く場所がないので無理。
まあさうはいつても今後も読むだらうけれども。

ただなー。
読む前はなー。
キャラ萌えできるかと思つてたのになー。
ちよつと残念。

とはいへいま気になつてゐるのは頭巾ちやんの行方ではあるのだが。
きつと来てるよね、頭巾ちやん。
多分。

| | Comments (0)

Wednesday, 22 September 2021

マルマンのクロッキーダイアリーがほしい

マルマンのクロッキーダイアリーを使つてみやうかと思つてゐる。
マルマンのクロッキー帳の最初の15ページくらゐが自分で日付を書き込むやうになつてゐるカレンダー式の予定表になつてゐて、あとはクロッキー用紙といふ手帳だ。
ほぼA6横サイズのものと真四角に近い形のものとある。

もうせん使つてみたいと思ひつつ、Bullet Journal形式にするやうになつてから無地は使ひつらいなあと思つて手帳の選択肢からはづしてゐた。
今回なぜ候補にあがつたかといふと、とにかく書き留めたいことがあることに気づいたからだ。
Bullet Journal形式は、インデックスやコレクション・ログから考へて、あとから検索することも視野に入れた手帳だ。
つまり、ある程度といふよりはできるかぎり読み返しやすく書くことを前提としてゐる。
さう思つてゐる。

でもさうできないこともあるよね。
いま咄嗟にメモを取りたいときとか。
自分でいへば『ドクター・フー』などを見ながら「このセリフはメモにとりたい!」と思つたときとか。
さういふときは走り書き、もつといへば殴り書きになつてしまふ。
Bullet Journalに走り書きしてあとで清書してもいいけれど、それだといくらページがあつても足りない。

そこで、下書き用といはうか、昔でいふ計算用紙のやうな手帳がひとつあるといいなあと思つたのだつた。
実際、今年は手持ちのマルマンのクロッキー帳で似たやうなことをしてゐた。
なぜ「マルマン」と書くかといふと、別段こだはつてゐるわけではなく、手に入りやすいのがマルマンのものだからだ。
もちろん、マルマンのクロッキー帳の紙がいいといふこともあるけれどもね。
万年筆で書いてもにぢまないしもちろん裏抜けもしない。やつがれの持つてゐるペンやインキの範囲では、だけれども、それで十分だ。
難点は、ぱらぱらとページをめくりにくいといふことか。
手帳やノートといふのは、使ひ終へたページをなんとなくめくつてゐるときにはつと気づくことがあつたりする。
それは情報カードでやればいいのではといふ話もあるのだが、うーん、さうなんだよなあ。
このあたりの情報と情報との連携については、悩むところではある。

だが、いづれにしても下書き用にクロッキー帳があるといいなと思ふ一方で、だつたら手帳形式のものを使つてみたいなと思つたのである。
考へてみたら、普通のクロッキー帳を買つてきて、最初の何ページかに自分でカレンダーを書いて使へばいいやうな気もしてきたが。
この文具屋の店先に手帳の並ぶ季節、見つけたら買つてみたいと思つてゐる。
クロッキー帳だと無地といふのもいいんだよね。
子どものころ使つてゐたお絵描き帳の延長のやうな感じがするところが気に入つてゐる。

| | Comments (0)

Tuesday, 21 September 2021

求む中級者向けのタティングレースの本

季節なので書店に行くとあみものの棚などを見る。
「若くてスタイルのいい人が着るにはいいけど……」といふものが多くて、ちよつと引いてしまふ。
でも、なんですか、今年は脇を綴ぢずに腰のあたりで結ぶだけのヴェストが流行りなんですか?
それは編んでみやうかなあ。ストールを二枚編んで背中でつなげればできるし。

もちろん、タティングレースの本も見る。
見るのだが……うーん。
新しい本も出てはゐる。
出てはゐるのだが、どうも一日千秋といはうか、いづれを見ても初心者向けといはうか、モチーフを一枚作りませう、といふ、そのモチーフもまたそんなに手の込んだものではなかつたりするといふ、まあ、そんなやうな本が多い。
モチーフを一枚作つてどうするのかといふと、イアリングにしたりブローチにしたりペンダントヘッドにしたりする。
時にモチーフを何枚かつないで作品を作るやうなものもあるが、そんなにものすごく引かれない。

もうせん、タティングレースの本については、もうちよつとむつかしいもの、せめて中級者向けの本が出てもいいのではないか、といふ話がある。
たとへばシャトルに糸を巻いたりスティッチを作るところからはじめたりといつた説明はもう省いて、そこらへんのことはもうできる人向けの本を出してはどうだらう、と思ふのだ。
さういふ説明があるから悪いといふのではないけれどね。
昔の本、それこそ「タッチングレース」と呼んでゐたころの本などはさうした説明があつてもそれなりに手の込んだ作品が載つてゐたりする。

本を期待するからいけないのかな。
独創性がないから自分で作品を創造することはできないけれど、既存のモチーフをたくさんつないで大きいものを作ればいいのかもしれない。
或はエヂングを長く作つてつなぐとかね。

タティングにさういふものを求めてゐる人が少ないといふことなのかな。

| | Comments (0)

Monday, 20 September 2021

wip ネックウォーマ2枚目

リヴァーシブルアフガン編みのネックウォーマの二つ目を編んでゐる。
今回は往きの糸も追ひの糸も同じものを使つてゐる。
模様はgobelin stitch (ゴブランスティッチ)といふ編み方にした。
追ひの糸をすつぽり拾つて往きの目を編む方法だ。
ちよつと綾織りのやうな見た目になつておもしろい。アフガン編みにしては伸縮性のある編み地になるのもいい。まあ伸びるといつても縦方向にだけだけどね。それと、編み地がふつくらしてあたたかい。
難があるとしたら、編み地が丸まりやすいといふことかな。アフガン編みはどちらかといふと丸まりやすいからさういふものかなとも思ふ。

それにしても、ダブルフックアフガン針でくるくるちよこちよこ編むのが楽しすぎる。
くつ下からネックウォーマくらゐの大きさの輪をくるくるちよこちよこ編むのが好きなんだよね。
アフガン編みでヴェストを編みたいと常々思つてゐるのだが、ダブルフックアフガン針で平たく編むかなあ。
それとも普通に編むか。
普通に編むと編みづらさうなんだよね、編み地が横に長くて。
編んでゐると縦にも長くなるし。
いづれにしても、それには糸が必要なのでいますぐには着手はできない。
棒針編みでヴェストを編まうと思つて買つてある糸はあるけれど……うーん、アフガン編みにした時にあの量で足りるかどうかちよつと自信がない。

それと、なんだか冷えてきたのでいい加減ひざ掛けも編み始めたいところだ。
それもダブルフックアフガン針で編めばいいぢやん、といふ話もあるのだが、それだと今から編んだらますます間に合はないと思ふんだよね。
うーん。悩む。
編みたいものと編みたい技法とが合はないんだなあ。
もうちよつとアフガン編みを速く編めればいいんだけれどもねえ。

| | Comments (0)

Friday, 17 September 2021

忘られぬ三番叟

昨日は今月国立劇場でかかつてゐる文楽の三番叟について書いた。
歌舞伎だと三番叟にもいろいろあつて、寿式三番叟といつて上演するものもあるが、操り三番叟や二人三番叟などといつたものがある。

中でも二人三番叟では忘れられない舞台がある。
1993年7月の歌舞伎座での舞台だ。
現在は猿翁を名乗る三代目市川猿之助と市川段四郎によるもので、文楽座太夫三味線を呼んでの大変贅沢な一幕だつた。
しかも翁は市村羽左衛門ときてゐる。呼んだんだらうね、橘屋を。

実をいふと、猿之助一座の芝居はあまり数を見てゐない。
人気が高くてなかなか席が手に入らなかつたこともあるし、「だつたらいいや」とあきらめてゐたからといふこともある。
歌舞伎を見はじめて最初の四年ほどは東京や京都・大阪といつたところからはちよつと離れた鄙の地に住んでゐたこともあつて、なかなか都会に出て行かれなかつたといふのも大きな理由だと思ふ。

まあでも、あまり一座に興味がなかつたんだらうね。
あつたら行くもの。
なんとかしてチケットを手に入れやうとしただらう。

そんな自分が忘れられないのだから、やはりこれはすばらしい一幕だつたのだと思ふ。
記憶の中でかなり美化してゐるだらうことは否めないけれど。

まー楽しい一幕でしたよ。
猿之助も段四郎も踊り巧者であることは言を俟たないしね。
その二人が一緒に踊るんだから、その楽しさは二倍どころか三倍にも四倍にもなる。
顔をするとよく似てゐるといふのもおもしろさの要因のひとつだ。
よく似た顔で、でも一応顔の白き尉と顔の黒き尉とに分かれてゐて、それぞれおなじ振りで踊りつつもその特徴が出ることになる。
しかも文楽座の語りと三味線ときてゐる。
今でも、三番叟がそれぞれくたびれてサボり出すくだりのをかしさ楽しさは忘れられない。
ずつとこの舞台が続けばいいのに。
さう思つたほどだ。

これ、当時TV放映されたりしたか知らん。
記憶がない。
あまりTVで舞台を見ることに興味がなかつたこともあるし、自宅でそんなに時間がなかつたといふこともある。
この三番叟は昼の部の切りで、その前に『源平布引滝』の「義賢最期」と「実盛物語」とが出てゐる。
夜の部は『当世流小栗判官』の通しだ。
小栗判官はともかく、実盛物語なら放映しててもいいやうな気もするがなあ。

放映したにせよしなかつたにせよ、記録として映像を残してゐるんぢやないかといふ気もする。
さうだとするならば、この二人三番叟はぜひ見たいものの一つだ。
多分、自分が見た中でも屈指の舞台だと思ふ。

でも放映する機会がないかなあ。
猿翁にはいい舞台がいくつもあるし、それは段四郎もさうだらう。
二人一緒に特集することがあれば、まづこれを放映してもらひたいものだがなあ。

| | Comments (0)

Thursday, 16 September 2021

九月文楽 第一部

先週の土曜日、国立劇場の九月文楽第一部を見てきた。
演目は『寿式三番叟』と『双蝶蝶曲輪日記』から「難波裏喧嘩の段」と「八幡里引窓の段」。

ことに三番叟がよかつた。

初めて文楽に行つたころは、若かつたこともあつてか耳がよかつた。
太夫の云ふことはほぼすべてわかつた。
ことばの意味はわからなくても、いま「あ」と云つたのか「わ」と云つたのかわかつた、といふことだ。
一時、文楽のチケットが手に入りづらくなり遠去かつてゐたが、ありがたいことに声をかけてくれることがあつてまたぼちぼち見出したのが8年前とかだつたらうか。
愕然とした。
太夫がなにを云つてゐるのかわからないのだ。
いまのが「あ」だつたのか「が」だつたのか、それとも「な」だつたのかもしかすると「お」?
そんなやうな状態だつた。
その頃にはもう字幕があつたらか確認すればいいのだけれども、なにしろ確認しやうと思つて字幕を見るともう先に進んでゐるからなにを云つてゐたのかわからない。
衰へた……
さう落ち込んだものだ。
これは今もほぼ変はらない。

それが三番叟はわかるぢやあありませんか。錣太夫、いいぞいいぞ。
文楽や、それや歌舞伎の浄瑠璃や唄でなにがいいかといふと、ある程度聞き取れると次にどんなことばが続くのか予想がつくところだ。
たとへば三番叟の出だしで「豊島の秋津洲ダイ〜〜〜」と来たら、次に続く言葉はもう「日本」に決まつてゐる。
そんなわけで、なにを云つてゐるか聞き取れるといふのはとても大事だと思つてゐる。

三番叟は、大きくわけで二つ、そのそれぞれの中でさらに二つにわかれてゐる。
翁と千歳が静、三番叟が動。
翁が静、千歳が動。
色の白き尉が静(といふほどでもないかもしれないが)で、色の黒き尉が動。
だから見てゐてもメリハリがあつたわかりやすい。

今回ちよつと思つたのは、文楽の千歳は舞といふより踊りなのかなといふ感じがした。
歩むといふか進むときにちよつと体が上下する感じが強かつたんだよね。
静だけれども動の役目なので大変なのかな。
数を見たことがないのでよくわからないけれど、むつかしいのかもしれないな。

翁はゆつたりたつぷりで、かうしたものと思ふ。

後半、三番叟の場面になると、俄然動きが加はつて楽しくなる。
語りのない三味線だけの場面のノリノリ感、ね。
聞いてて体が動き出しさうになる感覚、ね。
それに合はせて三番叟が舞台狭しと動き回る。
三味線の手はおなじことをくり返してゐるやうで、毎回少しづつ違ふやうに聞こえる。
三番叟がそれぞれバテてきてサボりだすときはもちろんだけれども、その前の二人ちやんと動いてゐるときでも、くり返しごとにちよこつと前と違ふ感じ。
ここがうまく表現できないのがもどかしい。
その、同じことをしてゐるのに同じに聞こえない感じ、また三番叟の動きもさうした感じといふのが、聞いてゐて見てゐて飽きさせないところなのかとも思ふ。

なにしろめでたい演目だしね。
しかも生き生きとして楽しい演目なので、見られてよかつた。
このご時世に全席売りなのでちよつと敷居が高いのが玉に瑕なのが惜しい。
とはいへ、死活問題だからなあ。

| | Comments (0)

Wednesday, 15 September 2021

続いてゐるテキストファイルの日誌

テキストファイルの日誌をつけはじめて半年くらゐたつ。
今年の四月一日からはじめた。
いまも続いてゐる。
このblogにも形式がどうとか書いてゐたが、ちやんとChangeLog形式に落ち着いたし。

基本的にはしたことを書いてゐる。
行つた場所とか、見た芝居や映画、買つたり読んだりした本、あとToDoとしてあがつてゐることをしたら書く、とか。
あとニュースとかね。
本や芝居、映画についてはちよこつと感想をつけたりもしてゐる。
時折『ドクター・フー』の感想が溢れてゐることがあるが、だいたいは多くても二、三行におさまる感じ。
ChangeLog形式だからね、だいたいは一行におさまるやうに書いてゐる。
無理やりさうしてゐるといふよりは自然とさうなる感じかな。
このあたりは紙の手帳でBullet Journalをつづけてゐるので鍛えられたといつたところか。
さうやつて簡潔に書くやうにしてゐるからつづいてゐるのかもしれない。

それに、デジタルならではのいい面がある。
加筆・訂正がしやすいといふことだ。
あとから思ひついたときに付け足しやすいし、日付を間違つてゐたりしても修正しやすい。
「ここまで書いておいて、あとは時間のあるときに書き足せばいいや」といふのがきく。
紙の手帳はここがむつかしいやね。
Bullet Journalはこのあたり、かなり融通がきくんだけどね。

Bullet Journalをここ6年ほど続けてゐて、それでなぜ突然テキストファイルで日誌をつけることにしたのかといふと、紙の手帳だと検索性がやはりいまひとつだからだ。
この点もBullet Journalはインデックスをちやんと作つたりコレクション・ログズを作つたりと工夫をすればなんとかなるやうにはなつてゐて、そんなわけでインデックスには気を遣つてゐるし、マンスリー・ログを簡易なインデックスとして使ふやうにはしてゐるんだけれど、それではカヴァできない点もある。
テキストファイルで日誌をつけるやうにして、実際のところそんなに検索をしてゐるかといふとさうでもないのだが、まあこれはこの先もつと内容がたまつてきたら役にたつのではないかといふ気はする。

あとは、ファイルの処遇だなあ。
ほんたうはオンラインにあげるといいのかもしれない。ローカルのファイルをうつかり消してしまつたときのことなどを考へるとね。
でもさうすると今度はセキュリティが心配といふか、なあ。
内容的には人に知られて困ることはそんなに書いてゐないつもりだけれど、なにが個人を特定するかわからないしね。

そんなわけで、いまのところテキストファイルに日誌をつけることにしたのはよかつたと思つてゐる。

| | Comments (0)

Tuesday, 14 September 2021

やる気はどこからやつてくるの

昨日は思はぬ色合はせのことを書いたが。
考へたみたらタティングレースでも『ドクター・フー』の10代目ドクター風色合ひでなにか作るつもりでゐたのだつた。
だがまつたく進んでゐない。
これも昨日かいたとほり、なにもやる気がしないからだ。
編んだぢやん、と云はれるかもしれないが、編んでゐるときも「なにもしたくない」と思ひながら手だけ動いてゐたやうな状況だつた。
これ、あまりいい編み方ぢやないかもしれないね。
やる気はないけれど、とりあへずできあがつたら使へるもの、役に立つものができるから編んでゐる。
そんな感じ。
タティングだとできあがつたものが役に立つといふことがあまりないのでますます遠ざかつてしまふのかも。

それにしてもこの「なにもやる気がしない」気分といふのはどこからやつてくるのだらう。
それまでもやる気があつたわけではない。
なにもしない状態がつづいてゐたりはするわけだ。
なのに、突然「なにもしたくない」とか思ふ。
どうかしてるよ。

でも、色合はせとか考へるとちよつと楽しい。
ほんたうは人形劇三国志の人形の色合ひでもなにか作つてみたいと思つてゐる。
関羽とか、と書いて、関羽は紫と緑なのでよく作つてゐるといへる。
タティングだつたら曹操とかもいいかもなあ。
赤と黄色とのバランスがむつかしさうな気がするけど。

かうやつて楽しいことを考へるうちにやる気が戻つてくるといいんだけどな。

| | Comments (0)

Monday, 13 September 2021

普段はしない色の組み合はせ 

突然だかアフガン編みのネックウォーマを編んだ。

もともとはアクリルたはしを編んでゐた。
なにもする気がしなかつたからだ。
なにもする気がしないので、編んだらなにか役に立つものでも編まうといふのでアクリルたはしを編むことにしたのだつた。
アクリルたはしにはアフガン編みが向いてゐる。
編み地がデコボコして、汚れを取りやすいのだといふ。
そんなわけでアクリルたはしを編むうちに、もうちよつとアフガン編みがしたくなつた。

しかしなにしろ糸がない。
仕方なく毛糸の在庫を探してゐたら、PuppyのNew4Plyの白が二玉とくすんだ黄色が一玉出てきた。
普段だつたら絶対こんな色合はせはしない。
だが、そのとき、なにか記憶に働きかけるものがあつた。
この色合ひはどこかで見たことがあるぞ、と。

iPhoneの写真を探してみたら、あつた。
今年の四月、国立文楽劇場のロビーに飾られてゐた人形の色合ひに似てゐた。
「小鍛冶」といふよりは刀剣乱舞なのだらうか、の小狐丸である。
ふさふさとした髪の毛が白、衣装の色が黄色といふかきつね色なのかな、そんな色合ひなのだつた。
これはいけさうだといふので編み始めてみた。
パターンはクロバーのかのこ編みのネックウォーマにした。六段六目の模様編みだ。

自分の好みで選んだ色合ひではないものだから、編んでゐてとにかく新鮮だつた。
時に黄色の追ひの黄色い色がカステラで、往きの白い糸が砂糖を溶かして作つた飾りに見えることがある。
また、思つてゐたよりずつと華やかな色合ひだつた。
往きの白い糸の下に追ひの黄色い糸がのぞくので、ちよつと襲の色目のやうでもある。
しかもアクリル毛糸に比べたらパピーの中細毛糸は格段に編みやすい。
そんなわけで楽しく編みあげることができた。

写真と見比べると、小狐丸といふのならどこかに一筋灰色がほしかつた気がするが。
まあいいでせう。

ダブルフックアフガン針でぐるぐる編むのは楽しい。
なにかもう一つくらゐ編んでみたい気がするのだがさて。

それにしても、東京でも「小鍛冶」見たいね。

| | Comments (0)

Friday, 10 September 2021

中庸の難点

あひかはらず『論語』の素読を続けてゐる。
もつと早くはじめればよかつたと思ひつつ、若いころは儒教といふものが好きではなかつた。
ちつとも理解してゐないくせに嫌ひだつた。
自分が親や教師といつた目上の人相手に自由にものを云へないのは、儒教のせゐだと思つてゐたからだ。

でも「中庸」といふ考へ方は好きだつた。
どこにもかたよらない。
中正である。
よつて身贔屓のやうなみつともないことをしない。
そもそも「身贔屓」をみつともないことだと思ふやうな子どもだつたわけだよな。
そりや好きだらう、「中庸」とか。

それではやつがれが中庸な人間かといふと、もちろんそんなことは全然ないわけだけどさ。
情けないことに。
もう遅いけれど、いまから中庸であることを目指して生きていくといふのはいいかもしれないか。

辞書を引くと、「中庸」といふのは、洋の東西を問はず人としての徳目の一つだといふ。
アリストテレスも「中庸いいよ」みたやうなことを云つてゐたのらしい。

だが、実際には中庸といふことはあまりといふか、まあまづない。
大抵はどちらかにかたよつてゐる。
政治的にいえば、保守だ革新だ、右翼だ左翼だと、大抵はどちらかよりな気がする。
あつても中道左派とかか。

理想的には、保守も革新も、右翼も左翼も、議会では同人数づつくらゐゐて、それぞれ議論を戦はせ、どちらも納得できるやうな結論に至るのが一番いいと思つてゐる。
ひとりひとりの人間はかたよつても、全体で中庸ならそれでいいかなつて。
でも実際にはさうはならない。

思ふに、中庸だつたり中正だつたりすると、かたよつてゐる側のいづれもが「自分の側が損した」と思つてしまふんぢやないかなあ。
たとへば、議会のやうな場で議論を戦はせて、この部分はAといふ考へ方の人々の意見を容れるが、別の部分は対するBといふ考へ方の人々の意見を取るとかした場合。
Aの側はBの意見を取ることにした部分について自分たちは損したと思ひ、vice versaといふわけだ。
譲歩した分、損をした。
「譲つた」と思ふ時点で損をしてゐると思ふ。
さういふことなんぢやないかなあ。

なんで中庸にこだはるのかといふと、かたよりすぎると反動がおそろしいからだ。
なんとなく、世の中極端な方向向かふとそのあとの反動がとても大きい気がする。
戦争になつたり、内乱になつたり、いいことがない。
これは感覚的にだがさう思つてゐる。

その大きく極端から極端に振れるといふこと、それ自体がもしかしたら中庸なのかなと思はないこともない。
平均をとるやうにして真ん中をとればさういふことにならないかな、とか。

でもそれはきつと孔子とかアリストテレスとかが考へた中庸ぢやないんだらうな。

| | Comments (0)

Thursday, 09 September 2021

書きづらい「書」といふ字

「書」といふ字が書きづらい。
手帳にあれこれ書きつけることが多いのだが、さういふときに困るのが「書」といふ字の字画の多さと書きづらさだ。
なぜこんなに字画が多いのだらう。
手で書くと、ぐちやつとしてしまつてなんだかよくわからなくなつてしまふ。
字が下手だからだけどさ。

でももうちよつとすつきりした字体なら、もうちよつとなんとかなる気がするのだ。
結果、「書」と書くときは、上部の横線下二本を省いてしまつたりする。

なぜ「書」といふ字はもつとかんたんにならなかつたのかなあ。
「読」は新漢字になるときにかんたんになつたのに。
「売」といふ字に引きずられたのかもしれないけどもさ。
「書」もかんたんになつてよかつたのになあ。

とはいへ、どうやつたらかんたんになるのか、よくわからないのが「書」といふ字だ。
字としては上下二つのパーツに分かれるが、どちらもこれ以上かんたんにしやうがない気がする。
強いて云へば上部はもつとかんたんになつてもいいと思ふが、どうすれば元の字が残るのか謎だ。

それにしても、自分はなぜ「書」といふ字についてのみさう思ふのだらうか。
かんたんに書きやうがないからかな。
「機」といふ字ももつとかんたんに書けないかと思ふことはあるけれど、いざとなれば木偏に「キ」と書けば済む。
「書」にはそれがないんだよなあ。あるのかもしれないか。草書体を調べてみればいいのかな。

あと、手で書いてゐると、なぜか「書」といふ字を記すことが多いのだ。
「どこそこのスターバックスで書いてゐる」とか。
「敢て書く」とか。
「書きたくて書きたくて仕方がない」とか。
そもそも書くことが好きなのだ。
だから「書」といふ字も書く。
なのに書きづらい。

練習すればいいのかな、とは思ふ。
でも縦に分かれる字つて苦手なんだよね。バランスがとりづらい。
へんとつくりとに分かれる字の方が書きやすい。
ここのところの元号でいふと、「平成」はとても書きづらかつた。「令和」はちよつとマシ。
「昭和」とか「明治」とかが書きやすくていいなあ。
個人的にバランスが取りやすいといふだけの話だけれど。

そこからいくとやはり「書」は書きづらいんだよなあ。
ひらがなで書けばいいのかもしれないけれど。
練習しつつなんとかするしかないのかな。

| | Comments (0)

Wednesday, 08 September 2021

織りとか編みとか軽視され過ぎ

麻冕。
「マベン」と読む。
古代中国の冠といはうか帽子といはうか、そんなやうなものだ。
加地伸行の『論語』には

二尺二寸(四九・五センチメートル)幅に、二千四百本の麻の経糸を織り込んだ緻密な布(黒色)で作る冕。
といふ註がついてゐる。

いやー、経糸は織り込まないんぢやないかなあ。
いづれ何かの書物に書いてあつたのをそのまま引いてきたのだらうけれど、どう織るのか考へたらわかりさうなものだと思ふのだがなあ。

辞書などでも、織物やあみものに関する語の語釈には首をひねるものが多い。
多分、語釈を考へる人は織つたことも編んだことないのだらう。
ちよつと織つたり編んだりしたことがあればわかりさうなものだもの。
織りは道具がないとむつかしいと思はれるかもしれないが、百円均一の店にいけば小さくて簡易な織り機を買ふことができる。
昔は百円均一の店なんてなかつたよなといふ向きもあるかもしれないが、カゴや段ボール箱、或はお菓子の箱でもいい、さうしたものを使つて織り機モドキを作ることはできる。

おそらく、辞書を編まうといふやうな人は、さうしたことに興味がないのだ。
織りとか編みとか、わかんないけどさういふものなんだらうと思つてゐる。
だつて参考にした辞書にもさう書いてあるもん。
だからきつとさうなんだらう。
さう信じて次の辞書にも織る人や編む人が首を傾げてしまふやうな語釈を載せてしまふ。

辞書を使ふ方も織りや編みに関することばは引かないのだらう。
引いても「さういふものなんだ」と思ふのかもしれない。
たとへば手元にある学研の現代新国語辞典改訂第三版にはかうある。

織物 多数の縦糸と横糸をくみ合わせて、機で織って作った布。

さうすると「織る」とは「くみ合わせる」ことなのかといふと「糸を機にかけて布にする」とある。
「織物」と「織る」との関係や如何に、と問ひたくなつてくるではないか。
うるさい? さう、こんな些事につつこむなんて、やつがれはうるさい輩なのかもしれない。
そして辞書を編む人はそんなところには整合性を求めてゐないのかもしれない。

でも、なんかこー、もーちよつと織つたり編んだりすることについても考へてみませうよと思ふのだが、間違つてゐるだらうか。

まあ、ひとつには、国語辞典といふものが百科事典的な役割も担つてゐるのがいけないといふこともあるのかもしれないとは思はないでもない。
とはいへ、なんとなく、辞書の編者の間に「織りや編みはどうでもいいもの」といふ意識が脈々と受け継がれてゐる気がして仕方がないんだよね。無意識なんだらうけども。

| | Comments (0)

Tuesday, 07 September 2021

使へるものなら

あまりにもやる気がなくて、アクリル毛糸を買つてきてしまつた。
近所のスーパーマーケットに行く必要があつたので、おなじ建物にあるセリアに寄つてしまつたのだつた。
セリアは百円均一の店の中では手芸ものに定評があると思つてゐる。
タティングシャトルなどもほかの百円均一の店のものよりいいと聞いてゐる。
そんなわけで一度は使つてみたいと思つてゐるのだが、ここのところ近所のセリアにはあみもの用具が見当たらない。
編み針さへないほどだ。
いづれ気温が下がつてあみものの季節がくればもしかすると店頭に並ぶのかもしれないけれど。

ところでアクリル毛糸はアクリルたはしを編むために買つてきた。
アクリルたはしはいづれ使ふので、編んでゐてもあまり罪悪感にかられずにすむ。
「これで掃除するんだもーん」といふ云ひ訳がきくからだ。
実際、これまで編んできたアクリルたはしはいづれもちやんと台所や風呂場で役に立つてきた。
今度のたはしもさうなるだらう。
さう思ひながら編んでゐる。

アクリルたはしはなんとなくアフガン編みで編みがちだ。
編み地がでこぼこしてゐる方が汚れを取りやすいのだといふ。
アフガン編み、うつてつけぢやん。
そんなわけで、普段はあまり使はないアフガン針など出してきてせつせと編んでゐる。
糸のすべりさへよければ、タティングといふのもありなのかもしれない。
タティングだとスティッチがわりとでこぼこしてゐるので汚れが取れるのぢやあるまいか。
一度やつてみるかな……と思つたが、いま使つてゐるアクリル毛糸はあまり表面がすべすべしてゐるとは云ひ難く、またお世辞にも編みやすいとはいへない。
百十円だからな。文句はいへない。

そんな状態で、ぢやあタティングはどうしてゐるのかといふと、先週書いた間違ひは無事解消できた。
あのあと、やる気の波の高くなるのを待つて、間違へたリングをほどいてみたのだつた。
無事解けた。
芯糸をきれいに引くことができた。
よかつたよかつた。
思つたよりずつときれいに解けたので気が抜けたほどだ。

そんなわけで、リングを正しく作りなほしたところでとまつてゐる。
なんでかなあ。
やる気が出ないんだよなあ。
タティングだけでなくて、全体的に。

タティングに関してはいま作つてゐるものが全体的になんだかあまりうつくしいできではないから、といふのも理由のひとつだ。
なんでだらうなあ。
糸に撚りがかかりすぎてゐるのかな。
そんな気はする。
撚りを少し戻しながら結んだらもうちよつと結びやすいかもしれない。

いづれにしてもやる気の到来を待つた方がよささうだ。

| | Comments (0)

Monday, 06 September 2021

地球温暖化とあみもの

突然冷えてきた。
いまもこの夏編んだ『エストニアで習ったレース』に掲載されてゐるかぎ針編みのショールを羽織つてゐるところだ。
襟の広い服を着るときにはストールを編んであまつたカシミヤ糸で編んだカウルをかぶることもある。

いま羽織つてゐるかぎ針編みのショールは、綿と化繊とが半々の糸で編んだものだ。
綿はいい。
いまのところ十分あたたかいし、おそらく真冬以外は使へるのではないかと思ふ。
真冬だつて羽織りものの重ね使ひをするならいいと思ふ。
地球温暖化の叫ばれる世の中、綿、いいんぢやないかな。

さう思ふ一方で、地球温暖化によつて冷えるといふこともあるのだといふ。
たとへば英国のあたりを流れる暖流は、水の下にもぐつてしまふのだとか。
南極の氷が溶けると海の塩分濃度が下がつてさういふことが起こるのだと聞いた。
暖流が水の下にいつてしまふので、英国はいまのやうにはあたたかくならない。
さういふ寸法なのだといふ。
だから冬に冷えるやうになつたからといつて、地球温暖化なんて起きてゐないと考へるのは間違ひなのださうだ。

そんなわけで、「地球温暖化つていふし、毛糸で編んでもなー」などと考へずにどんどん編むのが吉なのだらう。
すくなくとも手持ちに毛糸があるのなら、編むべし編むべし。

| | Comments (0)

Friday, 03 September 2021

Scrapbookを使ふ

Scrapboxを使ひはじめて一週間ほどたつ。
主にWorkFlowyに書いたものを保存するのに使用してゐる。
Memoflowyでとにかくインプットしたものをその日の終はりに見返してWorkFlowyからScrapboxに移動する。
このとき、テキストエディタを開いておなじものを貼り付ける。
二度手間だが、Scrapboxはオンラインでないと使へないので用心のためだ。

Scrapboxはいいなと思つてはゐた。
最低限の機能をもつWikiといつたところか。
複数人で使用することもできるし、ひとりで使ふこともできる。
企業や大学のゼミなどでは複数人で使つてゐるのかもしれない。
複数人で使ふ場合はメンバ以外に見えないやう設定するには料金がかかるやうだが、ひとりだと無料で使へる。
ひとりだとサブスクリプションの問題などはかからないといふことだ。
ではなぜこれまで使はずに来たのかといふと、オフラインでは使へない、使へたとしてもめんどくささうだからだ。
いまどきオンラインでない状態なんて考へられない。
さういふ人もある。
でもいつなんどきネットワーク障害が起こるとも知れないし、さう考へるとオフラインでも使用できるといふのは重要なことだ。
WorkFlowyだつてオフラインでアウトラインエディタのやうに使用できるのがいいと思つてゐるしね。

Scrapboxのどこが気になつてゐたのかといふと、連携機能だ。
Scrapboxでは入力したものがページになる。いくつもページを作る要領だ。
自分はインデックスカードのやうなものかなと思つて使つてゐる。
できるだけ一ページ一内容。POidに近い使いかたをしてゐる。
WorkFlowyから移してきたものを、時間のある時にScrapbox上で見返す。
そして関係のあるものページ同士をリンクする。
ものによつてはタグをつける。
Scrapboxにはタグをつけると、おなじタグをはつたページの一覧を表示する機能がある。
これがなかなかい。

インデックスカードのいいところは、(ある程度のスペースが必要だが)カードを見ながらあれこれ自在に並べ替へることができることだ。
さうして関連のあるカードをまとめることができる。
ときには一見関係があるとは思へないカード同士をまとめることもできる。
これをコンピュータ上でやるのはちよつとむつかしい。
さうだなあ、いまでこそさうではないけれど、以前はコンピュータ上で絵を描くといふのはかなりむつかしいことだつた。
いつの話だよ、といふ話もあるが、だいぶたつてもそれなりにハードウェアやソフトェアをそろへないとアナログで描くやうに絵を描くのはむつかしかつたやうに思ふ。
いまでもさうした環境を整へてゐないので、コンピュータやiPadなどを使用して絵を描くことはできずにゐる。
インデックスカードはアナログでやつた方がいいことの一つ、とでもいはうかなあ。

Evernoteでインデックスカードを用ゐてするやうなことができないかと思つてゐたが、Evernoteはアプリケーションが重たいしWebブラウザで使つても重たい。
とくに、とにかく情報をためこんでいくと重たくなる一方だ。最近ではEvernoteはとにかく情報蓄積用とわりきつて使つてゐる。

Scrapboxはその点、いまのところは動作も軽快だし、ページとページとを関連づけることもかんたんにできるので、インデックスカードを用ゐてできることにかなり近いことができるのではないかと思つてゐる。
ただこの集約する作業が苦手で、なあ。

とはいへ、いまのところかなり気にいつてゐるので、他のWikiサーヴィスで作つてゐる情報を全部移動しやうかなと思つてはゐる。

| | Comments (0)

Thursday, 02 September 2021

敬して遠ざけるサブスクリプション

WorkFlowyがとても気に入つてゐる。
『ライティングの哲学』を読んで、「Twitterにつぶやく感覚でMemoFlowyに書き込んでWorkFlowyに渡す」といふのがとてもよささうに感じた。
なぜかTwitterといふのはつぶやきやすい。
140文字といふ制限がいいのだらうか。
人はある程度は制限や規制のあつた方が創造的になるともいふし。
実際のところ、Twitterは誰が読んでゐるかわからない。
だからつぶやくことには慎重になる必要がある。さもないと炎上するかもしれない。
……気をつけてゐても炎上はするか。
まあ、いづれにしても、Twitterにつぶやくといふことは全世界に向かつてなにごとかを云ふといふことで、誰が読むかわからない。
MemoFlowyならそんなことはない。
クラックされたといふやうなことでもない限り、そしてWorkFlowyを他人と共同で使用してゐない限り、それは「王様の耳はロバの耳!」と穴の中に叫んだのとおなじだ。
あ、それつてバレちやふんだつけ。
ま、いいか。
#よくない。

いづれにせよ、そんな感じでMemoFlowyにあれこれ書くやうになつたせゐかここのところつぶやきがぐつと減つてゐる。
なにも全世界に向かつて発信する必要はなかつたのだ。
単に、なにか打ち込んで発信ボタンのやうなものを押したかつた。
それだけだつたのだらう。

そんなに気に入つてゐるWorkFlowyだが、いまだ有料サーヴィスには加入してゐない。
金額には納得してゐる。問題はそこではない。
悩んでゐるのは、自分の死後のことだ。
自分が有料サーヴィスに加入したまま死んだら、誰かがサブスクリプションを解除するのだらう。
その時の手間は如何ほどのものだらうか。
それをつひ考へてしまふのだ。

WorkFlowyにはその旨質問してみた。
返事を見るとかういふ場合のサブスクリプションの解除は思つてゐた以上にかんたんだつた。
手続きをしてくれる誰かがやつがれのメールアドレスか氏名を連絡して、「この人、死んだからサブスクリプションを解除してほしい」といふだけでいいらしい。
なんだ、そんなにかんたんなのか。
ただ、まあ、英語で書く必要があるだらうから、それは手間かもしれない。
そこは「かう書いてここにメールを送つてくれ」と一筆書いておけばいいのかなとも思ふ。

そんなに悩むほどのこともなくかんたんだとわかつた今でもWorkFlowyの有料サーヴィスに入れないのはなぜなのか。
死者の代はりのサブスクリプション解除が実に大変だといふ話を耳にするからだ。
Microsoftの対応が最悪だ、とかね。
けんもほろろとはこのことかと思ふ。
死んだ家族の代はりに電話してゐるのだと云つても聞き入れず、そのうち「あと何秒で電話が切れます」とか云ひ出す始末だといふ。

さういや携帯電話やスマートフォンの解約も大変だといふ。
SoftBankは本人をつれて来いと云ふと聞く。
死んでるんだよ。
どうやつてつれて来るんだよ。
「らくだ」みたやうにつれて来てかんかんのうでも踊らせてやらうか?
粂寺弾正のやうに閻魔様への手紙の一本も書いて「おまへが行つてつれて来い」とつきはなすか?

auは親切だつたと経験者が語つてくれたが、auには仕事の上でさんざんひどい目にあつたのでもう二度と関わり合ひになりたくない。
残るはdocomoか。
いづれにしても手間がかかることには違ひはない。

お金でなんとかなることならその分を残して死ねばいいのかなとも思ふが。
#それもできないかなあ、こんな世の中ぢや。
手続きが大変なのはどうも、ね。
そんなわけで最近やつとFlickrのサブスクリプションを解除した。

人は死んだらいづれにせよ残つた人に迷惑をかける。
大なり小なりかけることになる。
それはもう仕方がないことだと思つてゐる。
でもまあできる範囲でできることをやれたらとは思ふんだよね。

| | Comments (0)

Wednesday, 01 September 2021

2022年の手帳

来年の手帳として、まづはRollbahnのTagesbuch+Notizbuchを買つた。
例年だとこの時点で二冊は買ふのだが、今年は干支柄の表紙のものを一冊だけ買つた。
明るいブルーグレイの地に白い虎のゐる表紙だ。
ロルバーンの干支柄の表紙は毎年気にいつてゐて、今年も牛柄を使つた。
さういや今年のロルバーンも地は青いな。ちよつと紫がかつてゐて、periwinkleとでも呼びたいやうな色合ひだ。
例年この時期にRollbahnの手帳を二冊買つてゐたのは、だいたい三ヶ月で一冊を使ふペースだからだ。自分のペースでBullet Journalをやつてゐるとそんな感じになる。
一冊めの半ばをすぎるくらゐには四月始まり用の手帳が店頭に並ぶのでそこから一冊選び、二冊目を終へ三冊目も二ヶ月目に入るころ十月始まりの手帳が世に出回るのでそれを買ふ。
さうして一年に四冊ペースで使つてきたのだが。
今年ほぼ日手帳weeks MEGAを使つてみたらことのほかよかつたのでやはりこれも使つてみたいのだつた。

そんなわけで、今年はあと来年用のほぼ日手帳weeks MEGAを買ひ、LEUCHTTRUM1916のソフトカヴァーのB6サイズを買つてみたいと思つてゐる。

LEUCHTTRUMのB6サイズは去年、「もうこれ以上来年の手帳は不要だ」と思つた時期に発見した。
LEUCHTTRUMにB6サイズがあつたならあとかねがね思つてゐたので楽しみである。
ただ、内容がどうなつてゐるのかよくわからないのがちよつと難だな。
実物を手に取つて中身を見てみたら「自分にはむかない」といふことがわかるかもしれない。
とにかく自分はRollbahn形式で、月間予定表があつて、残りは全部方眼用紙といふやうな手帳を求めてゐるからだ。
それにそぐわはない手帳はちよつと買ふ気にならない。

そんなわけで、来年はほとんど冒険はしない。
今年使つてよかつた手帳をまた使ふといふ感じだ。
手帳もやはり使つてみないとわからない点とかあるしな。
Rollbahnを使つてゐるときはこれを超える手帳はないと思つてゐるが、ほぼ日手帳weeks MEGAを使つてゐると「この程度の大きさなのになんでも入るなんてすぐれものだ」と思つてゐる。

いまのところの課題は、最近MemoFlowyを使つてメモをよくとるやうになつたことで、デジタルと手書きとの融合をどのやうに行ふか、だ。
いまはとにかくなにか思ひ浮かんだらMemoFlowyに記入してWorkFLowyにうつす。そして時にWorkFlowyを見直し、最終的にはScrapboxへと移送する。
デジタルのすぐれてゐるところは、検索性が高いことだ。
手書きのメモでは記憶を頼りにページを繰つて目的の内容にたどりつくことが多い。
デジタルなら検索をかければ一気に結果を取得できる。
この便利さはほかには変へがたい。

手書きとデジタルとをもつとうまく連携できるといいんだがな。
来年の課題はそれかな。

| | Comments (0)

8月の読書メーター

8月の読書メーター
読んだ本の数:6
読んだページ数:1174
ナイス数:25

The Eyre Affair: Thursday Next Book 1 (English Edition)The Eyre Affair: Thursday Next Book 1 (English Edition)感想
「銀河ヒッチハイクガイド」も読み直したし「ドクター・フー」も履修したから読み直してみるかと手に取ったら冒頭からかなり「ドクター・フー」だった。考えてみたらサーズデイのお父さんは元クロノガード、時の旅人なのだった。でも著者の年齢的に影響を受けているとしたらクラシック・シリーズの「ドクター・フー」だろう。だけどなんとなく主人公がエイミーでランデンがローリーでお父さんがドクターな場面を想像してしまった。相変わらず「リチャード三世」の下りは面白いし、どこにいっても大企業はいけすかない。全編翻訳されないかなあ。
読了日:08月03日 著者:Jasper Fforde
ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論 (星海社 e-SHINSHO)ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論 (星海社 e-SHINSHO)感想
「書かないで書く」というのがよかった。掃除が苦手だから「掃除しないで掃除することにすればいいのか」と思った。どうすればいいのか具体的にはまだわからないけれど。何かをできないのは「これはかくあらねばならない」という規範が自分の中にありそれを遵守しようとしてしまうからなのだろう。我執を忘れて取り組めばできるようになる、のかもしれない。書きたいと思わない人は書けないと思わないだろう。何かがとてもしたいのになぜか取り組めない人には参考になるのではないだろうか。
読了日:08月11日 著者:千葉雅也,山内朋樹,読書猿,瀬下翔太
死の練習 - シニアのための哲学入門 - (ワニブックスPLUS新書)死の練習 - シニアのための哲学入門 - (ワニブックスPLUS新書)感想
時間の考え方が書いてあつたので手に取ってみた。ブルーバックスに並ぶような本を読んでみると時間はないことになっていたりして、科学で解明できないことは哲学しかないかと思ったからだ。読んでみておもしろかったしこういう考え方をするのかとも思ったけれど、個人的には吉田健一の『時間』とかジェイムズ・グリックの『タイムトラベル』にあるような話の方が好きかな。でも今後の時間の使い方について考えたいならこの本だと思う。
読了日:08月16日 著者:中島 義道
Lost in a Good Book: Thursday Next Book 2 (English Edition)Lost in a Good Book: Thursday Next Book 2 (English Edition)感想
前作『ジェイン・エアを探せ!』より確実におもしろくなっている。世界も広がり(その設定のまたおもしろおかしいこと)登場人物も増えた。ミス・ハヴィシャムと赤の女王との戦いやカフカの『審判』の場面には笑みを禁じ得ず、夫を取り戻そうとし、さらには世界を救おうとするサーズデイの姿は読んでいてつらい。エイオーニスってもしかしたらドクター・フーのサイレンスのもとじゃないか知らんと思ったりもする。続きがまた楽しみすぎる。って一度読んでるんだけどね。
読了日:08月25日 著者:Jasper Fforde
勉強の哲学 来たるべきバカのために 増補版 (文春文庫)勉強の哲学 来たるべきバカのために 増補版 (文春文庫)感想
その場の話のノリには乗れないけれど、全然勉強していないことに気づく。著者は「全然勉強していない人なんていません」とは云っているけれど、意識的にしないとダメなんだな。意味もなくせっせと「おことば帖」と称したノートに読んでいて気になったことばとかを書き抜いてきたけれど、今後はもっと意識的につづけていきたい。あと欲望年表は作ってみたいなあ。
読了日:08月28日 著者:千葉 雅也
英語の読み方 ニュース、SNSから小説まで (中公新書)英語の読み方 ニュース、SNSから小説まで (中公新書)感想
新書ゆえの問題として英文と解説とが離れすぎてしまってしょっ中ページを行き来しないといけないのがちょっと難。はからずも先に薬袋善郎の『英語リーディングの秘密』を読んでおいたのは英文法の復習ができたのでよかったと思う。ただ、なんというか、「ああ、もう一生英語を読めるようには(精読できるようには)なれないなあ」と思ってしまった。日暮れて道遠しってこんな感じかな。
読了日:08月29日 著者:北村一真

読書メーター

| | Comments (0)

« August 2021 | Main | October 2021 »