好きな理由を追求する
昨日は Pearson English Readers にあるドクター・フーを元にした英語教本のことを書いた。
そのときに、特に課題がいいと書いた。
その後 Pearson の Webサイトを見に行つたら「演習」と書いてあつた。
あらあら。まあいいか。
なぜ課題がいいと思つたかといふと、三森ゆりか云ふところの言語技術の課題のやうだつたからだ。
それと、まあ、ヲタクにはおもしろいのではないかなといふ気がする。
おもしろいでせう、話の内容をもとに新聞記事を書くとか、物語が終はつたあとのドクターとコンパニオンとの会話を想像して書くとか。
ところで三森ゆりかの言語技術に関する著書の中には、子どもに言語技術を身につけさせるドリルのやうなものがある。
その本の中では、最初に子どもに好きなものについて説明するやううながす。
このときに型があつて、
最初に「私は何々が好きです」と宣言し、
つづいてその理由を語る。「なぜならこれこれかうだからです」と。
そして最後に「だから私は何々が好きです」と〆る。
どうやら、言語技術を身につけるには、まづ好きなものを説明できないとダメなのらしい。
だが、やつがれは多くの場合それができない。
最近読み返して「やつぱりおもしろいわ」としみじみしてゐる文学刑事サーズデイ・ネクスト・シリーズのなにが好きなのかよくわからないし、これまた最近読んでおもしろかつた『クイーンズ・ギャンビット』もどこが好きなのかわからない。
もつといふと、歌舞伎もなにが好きなのかよくわからないのだ。
歌舞伎のことは大好きだと思ふ。
でも理由がわからない。
最初に見たいと思つたのは小学生のときで、坂東玉三郎の写真を見たからだつた。
ほんたうにうつくしかつたんだよね。
世の中にはこんなにきれいな人がゐるんだ、と思つた。
実際に見てみたい。
動機はそれだつた。
そんなわけで最初の歌舞伎は玉三郎が出演してゐるものにしたのだが。
ぢやあ今玉三郎が好きか、といふと、好きだけど、歌舞伎ほどには好きではない気がする。
歌舞伎を見たいと思つたとき、親には「自分で稼げるやうになつてから行け」と云はれて、せめてできることといつたら図書館などから本を借りてきて読むくらゐだつた。
最初に借りてきたムックのやうな本で覚えた役者が中村歌右衛門と實川延若だつた。
うまく説明できないけれど、だから自分は歌舞伎が好きなのではあるまいか。
なぜといつて、歌右衛門のやうな役者や延若みたやうな役者は歌舞伎以外には存在しないぢやん。
歌右衛門も延若も実際の舞台をなんとか見ることは叶つたが、どちらもそんなにたくさん見ることは叶はなかつた。
あの「見たい」と思つたときに見てゐたら、もつとたくさん見られたのにな、と思ふが、仕方がない。
いまの歌舞伎界には歌右衛門のやうな役者も延若のやうな役者もゐない。
だから段々自分は歌舞伎から離れつつあるのかもしれないと思つたりもする。
以前、確かここに「綯ひ交ぜの物語が好きだから歌舞伎が好きだ」と書いたやうに思ふ。
それもあると思ふ。
そして、サーズデイ・ネクストも、ときにドクター・フーも「綯ひ交ぜの物語」だつたりする。
だから好きなのかなあ。
でも『クイーンズ・ギャンビット』はさうではないと思ふんだよなあ。
うーん、考へてみたらわかるかなあ。
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