なぜ編むのか
先週、オリンピックのメダリストであみものをする人がfeatureされてゐた件について書いた。
それはそれとして、その後もなんだかあみものに関する記事を見かけた。
あみものをしてゐるのは男の人で、気分が楽になる、正気を保てるからしてゐる、といふやうな話だつた。
メダリストもそんなやうな話だつたやうな気がする。
そしてなんだかひつかかるものを感じてゐる。
人はなぜ編むのだらう。
編みたいから。
いまはだいたいさうだらう。
かつては生活のために編む人も多かつた。
自分の中ではそれは何十年とか百年とか単位で昔の話だが、以前職場で一緒だつた人の話を聞くとさうでもないのかもしれない。
その人は米国に行つたときに親戚のもとで過ごしたのださうだが、親戚の内職(だらう、多分)だつたあみものを手伝つたと云つてゐた。
棒針編みだと機械で編んだと思はれるかもしれないので、かぎ針編みだつたといふ。
それでいろいろ編んで生活の糧の一部にしてゐたといふのだ。
でも日本ではそれは通用しない。
日本では手作りをする人、もつといふとクリエイタの地位が低い。
ちよつと何かできると「無料で作つて」と頼んでくる人がゐたり、フリーマーケットなどでは原価で売れと無理無体を云つてくる人がゐたり、COCOAなどのプログラマも中抜きの上の中抜きで相当低い賃金で開発したりしてゐると聞く。
つまり、なにかを作る、ここではあみものにしやう、編んでなにかを作るといふことは、個人の趣味の問題といふことになる。
それに「癒し」みたやうないやしいことばをあてはめるのがイヤなんだな、個人的に。
無論、やつがれだつて正気を保つために編んでゐたりはする。
なにかしら達成感がほしいから、今日なにか形に残ることをしたといふ証がほしいから編んでゐるといふこともある。
でも普段はそれを公には云はないし、なんといふか、あんましいはゆる「スビリチュアル」な話にしたくないんだよね。
さうするか否かは人の自由だけどさ。
これであみものに人気が出るといいなとは思ふので、自己中心的な話ではあるのだけれど。
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