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Thursday, 19 August 2021

ダニング=クルーガー効果下の『論語』考

七月から『論語』の素読を再開した。
素読自体は去年の四月からはじめて一ヶ月とちよつとくらゐしてゐたのだが、続かなくなつた。
忙しくなつたからである。
去年の四月は在宅勤務をはじめたころで、少なくとも通勤に使つてゐた時間は自由に使へるやうになつた。
それでぢやあ一度はやつてみたいと思つてゐた『論語』の素読をやつてみんとてするなり、といつた状態だつた。
それが五月から出勤するやうになつて、素読に使つてゐた時間はまた通勤時間になつてしまつた。
いままた在宅することになつて、ぢやあひとつまた素読を再開してみるか、と思つたのである。
前回途中までしか読めてゐなかつたし。

ところで素読といふのは意味を考へずに声に出して読むことなのだといふ。
どうしたらそんなことができるかと思つたが、原文にできるだけ近いものを読めばさうなるのではないだらうかと思つてやつてゐる。
読んでゐるのは講談社学芸文庫の『論語』だ。我が家には岩波文庫と中公文庫ともあるのだが、この中で最近読んだのが講談社学術文庫の『論語』だつたため、即手のとどくところにあつたのでかうなつた。
講談社学術文庫の『論語』には、原文に句読点のついた文が記載されてゐる。
これを見て読む。
もちろんいきなりは読めないので、読めない部分は最初のうちは読み下し文を盗み見ながら読む。
そのうち原文に句読点のついただけの文も読めるやうになる。

前回素読をはじめたときはなにも考へずに読んでゐたが、今回は週に一篇づつ読むことにした。
一週間で一篇読めるやうになる。
そんな感じで、いま述而第七まできてゐる。

そんな状態なのに、もうなんか思ひついたことを書きたくて仕方がない。
これがダニング=クルーガー効果かと思ふ。
まさにそれだらう。
わかつてゐるので書かせてください、といつたところだ。
読み始めてまだ一月半、それも第七篇までしか読んでゐないけれど、それと知りつつ思ひついたことを書きたい。

孔子の弟子に顔淵といふ人物がゐて、この人が大層すばらしかつたのだといふ。
若くして亡くなつてしまつて、なにか業績を残すといふことはなかつたのだが、『論語』の中ではすごい人として語られてゐる。
なにしろ孔子自身も「我と爾(子貢)と(顔淵に)如かざるなり」と云ふくらゐだ。
まあ、この発言自体はもしかしたら孔子が子貢に「答へづらいことをきいてごめん」くらゐの気持ちで云つたことかもしれないが、さう云つたと記されてゐる。

孔子も及ばないと云つた顔淵とはどういふ人物だつたのか。
ここまで読んだ中では、以下のやうな逸話が語られてゐる。
「侘び住ひをしてゐるが楽しんでゐる(一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り)」
「話をしてゐても全然反論しないけどあとになつて考へてみるといい感じ」
「一を聞いて以て十を知る」
「三月仁に違はず」
「願はくは善に戈ることなく労を施すこと無けん」
「求められれば働き、舎てられれば蔵る」

この中ですごいのは「一を聞いて以て十を知る」なのだが、でも実際どういふ感じに敏かつたのかといふ逸話はない。ただ子貢が「顔淵つてかうですよね」と語るのみだ。

で、考へてみると、孔子にも顔淵と似たところがあつて、たとへば「疎食を飯ひ水を飲み肘を曲げてこれを枕にす、楽しみこの中にあり」と云つてゐる。
これつて顔淵の「一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り」とほぼおなじことだ。
思へば孔子の教へつて、仕へてはみたものの主君がダメなら辞して野に下れ、なんだよね。
「ベンチがアホやから野球ができん」みたやうなもので。
# 違ふか。
たとへば日本の江戸時代のやうに、ダメな主君の敵打とか、しないのだ。
主君がダメなら仕方がない。
さういふ考へ方なのである。

でも、それつてさ、辞めても暮らしていけないとムリだよね。
不労所得でもなければそんな贅沢はできない。
主君は阿呆だが、仕方がない、口を糊するために働かねばならない。

ところが、ここで「一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在」る生活を楽しめたり、「疎食を飯ひ水を飲み肘を曲げてこれを枕にす」ることを厭はなかつたりすれば、問題は解決する。
……実際のところはさうでもないか。でもまあ、わづかにでも収入があれば、そしてその暮らしを楽しむことができれば、別にえらくなんかならなくてもいい。
もちろん、さういふ侘び住ひをしながらも仁(なんだかよくわからないけれど)に背いてはいけないけれど、孔子も顔淵もそこのところは大丈夫だつたのだらう。

ほかにも思ふところはいろいろあるのだが、なにしろ読み始めてから一月半しか全篇通して読んだわけではないので(その昔読みはしたけれど)、きつとこんなことはすでに書いてゐる人はゐるし、そんなこといまさら書いてなにになるといふ向きもあらうが、どうしても書きたかつたので書いてみた。
この先読み進めていつたらまた異なる感想を抱くかもしれないしさ。
その時のよすがのために残しておきたい。

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