延々と作れるものを探す
昨日は、「外であみものをしてゐる人を見かけてもさう驚きはしない」といふ話をした。
ではタティングレースならどうだらうか。
Nina Libinが自著の終はりに、「現代のノマドへ」といふやうな一文を載せてゐる。
ノマドといへば遊牧民だとか居どころを定めぬ人のことをいふのだらうと思ふが、Nina Libinは通勤通学をする人などに話しかけてゐる。
糸にビーズを通してシャトルに巻けば、ノマドの手芸になる。
大ざつぱにいへばさういふ話だ。
これを読んだときに、痛く心を動かされた。
さう。もしかしたら自分は現代のノマドかもしれない。
自宅の机の前で長いこと過ごすことはできないけれど、毎朝毎晩の電車やバスの中でシャトルを動かすことは可能なのではないか、と。
ビース・タティングはちよつと敷居が高いけれど(シャトルに巻く糸にビーズを通す場合は、ビーズを入れる間隔が重要になつてくる。この間隔がうまくつかめないともたもたすることになつてしまふ)、普通のタティングならいいんぢやない?
なにしろ日本は電車の中ではあみものをしてはいけない国なのださうだからなあ。
かつて、電車の中であみものをしてゐて周囲の人を傷つけた例があるのだとか。
「世界の車窓から」とか見てると、電車に揺られながらあみものをしてゐる人が出てくることがある。
トルコのときだつたらうか、二色でくつ下を編んでゐて、片方の糸を首の向かうに回してゐたのが印象的だつた。
ここのところ在宅してゐることが多いが、それでも心はノマド……といふよりはスキゾ? やつがれはどちらかといふとパラノだと思ふのだが、なにかにつけ逃げたがるのはスキゾの要素も持つてゐるといふことだと思つてゐる。
先日、林ことみの『エストニアで習つたレース』に掲載されてゐるかぎ針編みの三角ショールを編み終へたので(水通しして整形までしてまだ端糸の処理が終はつてゐない)、久しぶりにタティングシャトルに糸を巻いてサンプルを作つてみた。
リング三つで三角形を作り、下二つをスプリットリングにして延々つなげてゆき、端で上の一つをスプリットリングにして段を上がつてまた延々とつないでいくといふ、あみものでいふ連続編みみたやうな感じの作品だ。
残念ながらデザインした人の名前がわからない。
もう実に秀逸なデザインだと思ふ。
やつがれのやうな、端糸の始末を厭ふものにはたまらないデザインだ。
サンプルは楽しく作つたけれど、さて、ではなにを作らうかといつたときになにも思ひつかない。
このデザインではなにか大きいもの、それこそショールのやうなものを作りたいと思つてゐるのだが、何分久しくシャトルに触れてゐなかつたので目もリングの大きさも全然揃はない。
すこし練習が必要だ。
さういふときに作れるものがないんだよねえ。
あみものなら、適当な幅のものを延々編んでいけばマフラーになるし、適当な大きさの輪にして延々と編んで行けばアームウォーマとかレッグウォーマとかになるのになあ。
タティングだとエジングならいいのか。しかしエジングつてなにに使ふの? ハンカチの縁につける趣味はないしなあ。
といふわけで、栞かなあなどと考へてゐる。
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