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Tuesday, 31 August 2021

間違へた間違へた

ここのところ放置したままだつたタティングレースのサンプル作成を再開した。
楽しく結んでゐたところ、うつかり間違へてしまつた。
楽しく結んでゐたのになあ。
しかも直前にもやつぱり間違へてリング一つをほどいたばかりだ。
サンプルだし、糸の途中にこぶのやうなものがあつて一度糸を切つて始末したりしてるし、なんだかちよつと凹んでしまつて、これはもうこのままサンプルとしてあきらめて、心も新たになにか新しいものに着手しやうか。
そんなことを考へてゐる。

タティングレースの失敗をなほすのは手間と時間とがかかる。
一度は締めたリングをゆるめ、と書いて、これがまづできないことがある。
締めた芯糸がもとに戻らないのだ。
ペンチを使ふといいらしいといふ話を聞いたことがあるが、生憎とペンチが手元にない。
たとへあつたとしてもこの不器用大王な自分のことだ、きれいにほどけるとは到底思へない。
やり方も知らないしね。

まあでも芯糸をゆるめることができたとして、だ。
今度は一目一目スティッチをほどく。
結んだときほどかんたんにはほどけない。結んだときの四、五倍くらゐは時間がかかるのではないかと思ふ。
これでリングはほどける。
……いや、無理だつて。

でもなあ。
よくよく見たら今回はスプリットリングを一つほどければ復旧できさうだ。
このリングの芯糸をゆめるめことができるやうなら修正しやうかな。
とりあへず、今夜一晩寝てみて起きたらどうするか決めることにしたい。
それでなくてもなんだかあんまりきれいにできてないしね。
以前も書いたやうにリハビリ作品としてはスプリットリングは向かないやうだ。

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Monday, 30 August 2021

欲望年表とひざ掛け

欲望年表を作つてゐる。
欲望年表は千葉雅也の『勉強の哲学』に出てくる。
この年表を作ることで、自分の興味の移り変はりがわかることなつてゐる。
自分はずーつとおなじものに興味を抱いてきたとか、ずーつとあることが好きだつたといふのは思ひ込みかもしれない。
もしかしたら案外移り気かもしれない。

欲望年表では二種類の年表を作る。
一つはメインの年表で、基本的に事実を書いたものだ。
いつどこで生まれて、いつ学校に入学して卒業して、いつ就職したかといつたことを書く。
就職後はどんな仕事をしたかを書いてもいいかもしれない。
また、歴史的なできごとも書いたりする。
バブル崩壊とかリーマン・ショックとか災害とかを起きた年代と一緒に書き込む。

もう一つはサブの欲望年表だ。
こちらはメインの年表を元に、そのころ何が好きだつたか、自分の興味はどんなものにあつたかを書く。
幼稚園にあがるまでは百科事典が好きだつたとか、どんな遊びが好きだつたかとか、或はスターウォーズを見て映画の虜になつたとか。
かうしたことを書き込んでいくことで、自分の好みや興味の移り変はりがわかるといふ寸法だ。

いまのところはまだメインの年表ができたところだ。
かうしてみると子どものころの方がにぎやかだ。
幼稚園にあがるまで三回引つ越しをしてゐるし、十歳になるまでに二回入院してゐる。二回めの入院の原因は喘息で、県の主催する喘息児・虚弱体質児を健康にするといふ合宿に参加したおかげで宝塚と歌舞伎とを知ることになるのでここははづせない。
高校は四つ変はつてゐる。
二十歳をすぎてからはあまりおもしろくない。
最初に就職したところにずつとゐるからだ。

あみものはこの中だと小学三年生のときに出てくることになる。
三年生のときにかぎ針編みを母に教はつた。
きつかけはクラスのクリスマス会でかぎ針編みのマフラーがあたつたことだつた。
誰が編んだかも覚えてゐる。
クラスメイトが編めるのなら自分にも編めるだらう。
さう思つた。
それでなくともあみものはずつとやりたいと思つてゐた。
それで自分も三月にあつたお別れ会かなにかのプレゼントに自分で編んだマフラーを出したと記憶してゐる。

四年生のときにやはり母に棒針編みを習つた。
そんなわけで、かぎ針編みの方が長いこと身近な気がしてゐた。
目を落としたところで修正に苦労することはないし、形も作りやすい。それであみぐるみの多くはかぎ針編みなのではないかと思ふ。
その後棒針編みの方が身近になるわけだが、でもまあどちらも好きだなあ。
片方ばかりやつてゐると、もう片方をやりたくなつてくる。

そんなわけで悩んでゐる。
我が家には推定ニーチェアXがあつて、いまは風通しのいいところに置いて座つてゐる。
だがそのうち寒くなるだらう。
さうしたらひざ掛けのやうなものが必要になると思ふのだ。
もちろん編まうと思ふのだが、そしてひざ掛けを編まうと買つておいた毛糸もあるのだが。
#ダルマ毛糸のシェットランドである。
どんなひざ掛けを編んだものかなあ。
棒針編みもいいし、かぎ針編みもいい。
アフガン編みといふ選択肢もある。
PIショールなんかいなあと思ひつつ、なかなか決まらない。
太いかぎ針でざくざく編むのもよささうだし。

とりあへずサブの欲望年表作成に着手することにするか。

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Friday, 27 August 2021

果物入りのお菓子のよさがわからない

白桃のゼリーを食べた。
ワクチンを打つて副反応がひどかつたら食べやうと思つてゐたゼリーだ。
副反応に悩んでゐたときもゼリーは食べたのだが、あまりにもおいしくて「こんな状態の悪いときに食べるのはもつたいない」と思つてしまつた。
実際はいつ食べてもそんなに変はらないと思ふ。味覚に異常さへなければ。
でもまあそんなわけで今日はゼリーにありつけたといふわけだ。

果物が入つてゐる食べ物で、ゼリーほどおいしいものを食べたことがない。
もつといふと、果物が入つてゐるお菓子はあまり好きではない。
ショートケーキがいい例だ。
ショートケーキは甘い生クリームのせゐでイチゴがひどく酸つぱく感じられて食べられない。
おなじことはフルーツサンドにも云へる。
なんでこんなまづいものに人気があるんだらうと不思議に思ふくらゐだ。

まづく感じるのには理由があつて、やつがれは酸味が好きではないのだ。
梅干しとか問題外だと思つてゐる。
柑橘類の酸味は比較的大丈夫で、レモン味のものには食べられるものもある。それに最近は柑橘類は全般的にとても甘くなつてゐると思ふ。
甘くなつてゐるのは柑橘類だけぢやないか。野菜もさうなのかな。
からいものは好きだが、酸味の強いからさは好きではない。

そんなわけで、果物を使つたお菓子、とくにほかになにか甘いものと一緒に果物を使つたお菓子が好きになれない。
ただゼリーは違ふ。
果物入りのゼリーはゼリー自体がその果物の味に近くなる。
たとへば今日食べた白桃のゼリーは桃の味がほんのりした。
ゆゑに、ゼリーを食べてもその中に入つてゐる果物を食べても、味はほとんど変はらない。
そこがいい。

どうも味が極端に変はつたり、強い味のもののあとに弱い味のものを食べたりすることが苦手なんだな。
複数の種類の果物が一緒に出てくると、まづ一番酸つぱさうなものから手を付ける。
時折判断を誤ることもあつて、酸つぱいと思つて先に食べた果物がとても甘いこともある。
その時の悲しさといつたらない。
そのあと食べる果物はすべて酸つぱいのだ。
上にも書いたとほり、柑橘類は以前より甘くなつてゐるものが多いので危険だ。
基本的にはラズベリーがあつたらまづラズベリーからはじめるやうにしてゐる。
あと最近のブルーベリーはとても甘くなつてゐるので最後に手を付けるやうにしてゐる。

それは甘いものとか酸つぱいものだけに限らないかもしれない。
食事のときはできるだけ味の薄いものから食べるやうにしてゐる。
まあ、基本的には味噌汁からといふことになるのだが、そこは別として、そんなわけでまづご飯から食べることになり、その後おかづに手を付けることになる。
さうしないと食品の味がしなくなるからだ。
味気のないものをただただ噛むのは悲しい。

世の人はこの点をどうしてゐるのだらう。
水やお茶などを飲んで舌をリセットしてゐるのだらうか。

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Thursday, 26 August 2021

好きな理由を追求する

昨日は Pearson English Readers にあるドクター・フーを元にした英語教本のことを書いた。
そのときに、特に課題がいいと書いた。
その後 Pearson の Webサイトを見に行つたら「演習」と書いてあつた。
あらあら。まあいいか。

なぜ課題がいいと思つたかといふと、三森ゆりか云ふところの言語技術の課題のやうだつたからだ。
それと、まあ、ヲタクにはおもしろいのではないかなといふ気がする。
おもしろいでせう、話の内容をもとに新聞記事を書くとか、物語が終はつたあとのドクターとコンパニオンとの会話を想像して書くとか。

ところで三森ゆりかの言語技術に関する著書の中には、子どもに言語技術を身につけさせるドリルのやうなものがある。
その本の中では、最初に子どもに好きなものについて説明するやううながす。
このときに型があつて、
最初に「私は何々が好きです」と宣言し、
つづいてその理由を語る。「なぜならこれこれかうだからです」と。
そして最後に「だから私は何々が好きです」と〆る。

どうやら、言語技術を身につけるには、まづ好きなものを説明できないとダメなのらしい。
だが、やつがれは多くの場合それができない。
最近読み返して「やつぱりおもしろいわ」としみじみしてゐる文学刑事サーズデイ・ネクスト・シリーズのなにが好きなのかよくわからないし、これまた最近読んでおもしろかつた『クイーンズ・ギャンビット』もどこが好きなのかわからない。
もつといふと、歌舞伎もなにが好きなのかよくわからないのだ。

歌舞伎のことは大好きだと思ふ。
でも理由がわからない。
最初に見たいと思つたのは小学生のときで、坂東玉三郎の写真を見たからだつた。
ほんたうにうつくしかつたんだよね。
世の中にはこんなにきれいな人がゐるんだ、と思つた。
実際に見てみたい。
動機はそれだつた。

そんなわけで最初の歌舞伎は玉三郎が出演してゐるものにしたのだが。
ぢやあ今玉三郎が好きか、といふと、好きだけど、歌舞伎ほどには好きではない気がする。

歌舞伎を見たいと思つたとき、親には「自分で稼げるやうになつてから行け」と云はれて、せめてできることといつたら図書館などから本を借りてきて読むくらゐだつた。
最初に借りてきたムックのやうな本で覚えた役者が中村歌右衛門と實川延若だつた。
うまく説明できないけれど、だから自分は歌舞伎が好きなのではあるまいか。
なぜといつて、歌右衛門のやうな役者や延若みたやうな役者は歌舞伎以外には存在しないぢやん。
歌右衛門も延若も実際の舞台をなんとか見ることは叶つたが、どちらもそんなにたくさん見ることは叶はなかつた。
あの「見たい」と思つたときに見てゐたら、もつとたくさん見られたのにな、と思ふが、仕方がない。
いまの歌舞伎界には歌右衛門のやうな役者も延若のやうな役者もゐない。
だから段々自分は歌舞伎から離れつつあるのかもしれないと思つたりもする。

以前、確かここに「綯ひ交ぜの物語が好きだから歌舞伎が好きだ」と書いたやうに思ふ。
それもあると思ふ。
そして、サーズデイ・ネクストも、ときにドクター・フーも「綯ひ交ぜの物語」だつたりする。
だから好きなのかなあ。

でも『クイーンズ・ギャンビット』はさうではないと思ふんだよなあ。
うーん、考へてみたらわかるかなあ。

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Wednesday, 25 August 2021

ドクター・フーの英語教本と言語技術

『ドクター・フー』を基にした英語教材を入手した。
Pearson English Readersといふシリーズの中のひとつのやうだ。
購入したのは、Level2の Robot of Sherwood とLevel 3の Flatline だ。
Robot of Sherwoodが表紙なども含めて60ページ、Flatlineが同様に68ページで、非常に薄い本である。その割には写真が多いやうに思ふ。
以下に構成を書くけれど、登場人物紹介のページがあつてドクターはもちろんクララやその他主要な人物の写真がついてゐるし、各チャプターとは云はないが、ところどころに写真が配されてゐる。

構成は以下の通りだ。

  • 登場人物紹介
  • 概要とDoctor Whoの説明
  • 各チャプター
    • Robot in Sherwood: 全7章
    • Flatline: 全11章
  • 課題
    • 各章ごと
      • 読む前の課題
      • 読んでゐる最中の課題
      • 読後の課題
    • 作文課題
  • 語彙集

Robot in SherwoodがLevel 2 (600語)、FlatlineがLevel 3 (1200語)なので文章はとても簡単だが、課題がなかなかおもしろさうなのだ。
たとへば「読む前の課題」には、「ドクターやロビン・フッドについて知つてゐることはなんですか?」とか「flatlineとはどういふ意味ですか? あなたの母語ではなんといふでせう」といつた問ひが並んでゐる。
「読んでいる最中の課題」ではセリフがいくつか並んでゐて誰のセリフかあてるものがあつたり、二択問題などがある。
「読後の課題」では「なぜドクター(またはクララ或はその他の登場人物)はかういふことをしたのか、ほかの生徒(another student)と話し合つてみませう」などといふ、授業や英会話教室で使ふことを前提にした課題がある。

一番面白いのは「作文課題」だらう。
「ノッティンガムの代官の末路について新聞記事を書いてみませう」だとか「この後ドクターとクララとの間にどんな会話があつたか想像して書いてみませう」とかいふ課題が全部で十前後並んでゐる。
おもしろさう。
英語で書くのかと思ふとアレだが、国語の授業もこんなだつたらいいのになあと思はずにはゐられない。
「羅生門」を読んで、下人の行方について書いてみるとかさ。
「山月記」を読んで、李徴の妻子について書いてみるとか。
「こゝろ」を読んで、「わたし」のその後について書いてみるとか。
おもしろいと思ふんだよなあ。
時間はかかるだらうし、採点する方も大変だらうけども。

三森ゆりかの言語技術の本を読むと、欧米の学校ではかういふ教育をするといふ。
ただ、三森ゆりかの本には英米についてはあまり出てこなくて、とくに米国での教育にはちよつと言語技術の要素が不足してゐる部分があるといふ。
三森ゆりかは映画を見ればわかるといふ。ドイツ映画やフランス映画は見る側にいろいろと考へさせる要素が多いけれど、ハリウッド映画はそんなことはない、と。
ただ、英国についてはあまり言及した例を見たことがないんだよなあ。やつがれがあまり三森ゆりかの本や講義にあたつたことがないせゐかもしれないけれど。
でもこの課題を見る限り、英国でもやはり三森ゆりか云ふところの言語技術を用ゐた授業をするし、英語を教へる際にも同様なのだらうといふことが見てとれる。

課題からいくつか選んでやつてみたいなあ。
どちらもすでに見たことのあるエピソードなのでもう内容を知つてゐるといへばさうだし、「ドクターについて知つてゐることはなんですか?」と訊かれると困るといふこともあるのだが……

 

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Tuesday, 24 August 2021

タティングこの夏の残課題

タティングレースもなんとなくいろいろ滞つてゐる。
くすんだモスグリーンのやうな色で延々続く模様のなにかを作る実験をしてゐるが、これがあまり進んでゐない。

考へてみれば、その前に『ドクター・フー』の十代目ドクター的ななにかをタティングレースで作るつもりでゐたことを思ひだす。
東京駅に出たをりに越前屋に立ち寄り、レース糸を三巻き求めた。
色はそれぞれ茶色、こげ茶色、紺色だ。
どれもどことなくデイヴィッド・テナント演じる10thドクターを思はせる色だ。
これでモチーフつなぎのなにかでも作らうと思つてゐたが、計画は頓挫してゐる。
どんなモチーフにするか決まらないんだよね。
ほら、もともとモチーフつなぎはあまり好きぢやないからさ。
それではメインの色をリングにしてチェインをサブの色にしてなにか作らうかとも思つたが、これだと三色にはしがたい。
以前、フレディ・マーキュリーのハーレクインの衣装をイメージしたモチーフつなぎのドイリー(といふのだらうか)を作つたことがあつたけれど、あのモチーフにしやうかなあ。
問題は、配色だ。
紺色はポイント的に使ふのがいいやうに思ふ。
全体的に茶色とこげ茶色で、ちよこつと紺色。
なんとなく10thドクター風でせう。

10thドクターはかうやつて色合ひでなんとなく表現できるのだが、ほかのドクターはちよつとむつかしい。
4thドクターのマフラーを編むといふ手もあるのだが、同じ毛糸であの色全色ある毛糸つてあるのかなあ。
似たやうな毛糸同士にするとしても太さが同じでないと合はないし。
それにとにかく長い。
刺繍糸にしてネクタイを編むといふ手もあつて、これだと刺繍糸ならいろんな色があるからそこは心配することはないし、幅も長さも短くて済む。
問題は配色の比率をもとのマフラーと同じにしないとなにがなんだかわからないといふことか。

11thドクターの話に登場するグラニースクエアのブランケットを研究して編むといふ手もある。
ここでいふ研究とはドラマを見てどんな色を使つてゐてどれくらゐの大きさのブランケットかを確認することをさす。
11thドクターのエピソードでは「Amy's Choice」と「The Lodger」とに出てきた記憶があるのでどちらにするかなー、とか選択する必要がある。
11thドクターといへば、エイミーの巻いてゐたマフラーを再現したといふ人がRavelryにゐて、それもいいなあと思つたりする。

あとは各ドクターのターディスの色を研究して(つまりドラマを見て確認して)、似たやうな色の糸を探してくるといふ手もあるな。
さういやターディスを模したくつ下とかマフラーとかRavelryで見かけたことがある。
さういふものを作るといふのも手か。

だがやはりその前にせつかくレース糸を買つてきたのだし、なんとなく10thドクターめいた何かを作るのが先かな。
とりあへずモチーフを選択するところからはじめるか。

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Monday, 23 August 2021

この夏の残課題

この夏は、毛糸を二巻き買つた。
そのうち一巻きで三角ショールを編み、あまつた糸で手書き用指なし手袋も編んだ。
そのあとが続かない。
タティングをしたりしてゐることもあるが、二巻きめに手が付かない。

この毛糸、といつて綿と化繊との混紡糸だが、ではくつ下を編むつもりでゐた。
100gの中細から合太くらゐの糸で、普通に一足分くらゐの糸だと思ふ。
これで二足編むつもりでゐた。

一足はヨガソックスだ。
夏でも冷える時はある。だが、毛糸のくつ下では暑い。
さういふ時に、つま先とかかとのないヨガソックスがいいんぢやないかと思つたんだよね。
とりあへず足首付近を温められればいい。
よく「首」といふ名前の部位を温めるといいといふしね。
だつたら甲の部分は不要なのではないかとも思ふが、あると安定するやうな気もする。
レッグウォーマにするつもりはないのでね。
と云ひつつ、レッグウォーマにも甲の部分をつけたりするけれど。

もう一足はごくごく短い、くるぶし丈のくつ下を編みたいと思つてゐた。
ああ、なんで過去形で書いちやふかな。
でもまあ、そんな気持ちなのだ。
くるぶし丈で、できれば足袋のやうに親指とその他の指との部分を分けて編みたかつた。
といふのは、辻屋履物店のおうちTIMEといふ室内履きの草履を愛用してゐるからだ。
暑いうちは素足で履くが、すこし冷えてきたらくつ下を履くやうになり、草履が履けなくなつてしまふ。
この室内履き用の草履は実にすぐれもので、履いたまま歩いても音がしないやうにできてゐる。
さう考へると、くつ下を履くやうになつても使ひたいと思ふんだよね。
それには少なくとも足袋のやうな足先のくつ下が必要だ。

さう思つてゐたはずだつたんだがなあ。

どうにもあまり編む気にならない。
なぜかはわからない。
暑いからといふのはあると思ふ。
暑いといふよりは蒸してゐる、かな。湿度は人のやる気を奪ふ。
……主語が大きすぎたかな。すくなくともやつがれのやる気は奪はれてしまふ。
そんなわけでタティングもろくろく進んでゐないのだが、まづは作り目をしてみるかなあ。
さうしたらそのうちできあがつてゐるやうな気もするし。

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Friday, 20 August 2021

再びダニング=クルーガー効果の『論語』考 -- 巧言令色鮮なし仁とは

再び『論語』に関連して書きたいことがあるので書く。
例によつてダニング・クルーガー効果のなせる技なので悪しからず。

『論語』には、「巧言令色少なし仁」といふことばが出てくる。
ことば巧みにして(ほんたうはさうでもないのに)善人のごとくふるまふことは仁に欠ける。
さういふ意味だと理解してゐる。
世の中には「沈黙は金(Silence is gold.)」といふ格言があつて、儒教圏だけのことではないやうだ。
# ドクター・フーに出てくるサイレンスは金といふわけぢやないのはことはるまでもないことか。
だが、どうも欧米などを見てゐると、ことば巧みであることが尊ばれてゐるやうに思はれてならない。
ケネディがニクソンに勝てたのも巧言令色だつたからといふのも一因だと思ふし。
それでなくてもことばであれこれ説明してわかつてもらへないとダメ、といふところがあるやうに思はれる。
それはもうアリストテレスの昔からさうなやうな気もする。
中国も最近ではやつがれは政治家の人しか見かけないのだがレトリックがすぐれてゐるといふか弁舌巧みな人が多いやうに思ふ。
それは政治家だからさうなのだといふこともあるかもしれないが、なんていふのかなあ、ことばの国の人だなあと思ふのだ。云はれても負けてゐないといはうか。

なんで孔子はわざわざ「巧言令色鮮なし仁」などと云つたのだらう。
そして『論語』を編集した人々はこのことばを残したのか。
先日、『ライティングの哲学』を読んでゐた時、もしかしたらこれが理由かもしれないと思ふことがあつた。
この本に登場する四人、千葉雅也・山内朋樹・読書猿・瀬下翔太に共通する点について、千葉雅也があとがきで述べてゐる。

ちゃんとしなければならない、だらしないのはダメだという規範に縛られてきたということだ。

『ライティングの哲学』は上記四人が書きたいし書かねばならないこともあるのに書けないといふ悩みを解決しやうとしたことから成つた本だ。
書けない理由は、規範に縛られてゐるから。
自爆してゐるものをはづせば書きやすくなる。
すなはち、みづからを律する規範をもつ者は弁に訥である、といふことなのではあるまいか、と。

さう考へてみれば『論語』にもある。
「いにしへ言の出ださざるは身の及ばざるを恥ずればなり」とかね。
昔の人があれこれ云つてゐないのは、自分の発したことばに自身が至つてゐないかもしれないと身を慎んだからだ。
ここに何がしかの規範を見て取れる。
昔の人はなにがしかの規範を持つてゐて、それに合致しないかもしれない己が身を恥ぢた。だからあまりあれこれ云ふことがなかつた。
さういふことだらうと思ふ。

また、君子は「まづ行ふ。而る後に言これに従ふ」といふことばもある。
これをして「ことばよりもまづ行動だ」といふ意味だとは思はない。
ただ口にするからには行動も伴ふ人間であれ。
さういふことだと思つてゐる。

要は巧言令色がどうかうといふよりは、規範があるかどうかといふ話なのだと思ふ。
規範があつて自分を律して生きてゐれば、自然とことばを巧みに飾ることもなく人に対して善人面することもなくなる。
さういふ規範を持たない人は雄弁だし他人によかれと思へばいくらでもいい人のふりをする。実際に他人を利する行動もとることもあらう。

ところで云ふことも喋ることも行動の一つだ。
さう考へると、まづ云つてもいい場面もあるだらうし、ちやんと喋れた方がいいのではないかといふ気もしてくる。
実際、カウンセリングなどでは「こんなこと考へちやいけない」「こんなこと云つちやいけない」とみづからを縛りつけてゐるものをはづして、まづは本心を認めることが大事だといつてゐる。
規範でみづからを律してゐると、知らず知らずのうちに心が心の力が弱められていく。さういふことなんだらうと思ふ。

さはさりながら、みづからを律する規範は持つてゐた方がいい。
そんな気がする。
少なくとも、さうした規範を持たぬ人々が上に立つてゐるこの世の中では。
生き難しと思ふことはあらうけれども。

 

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Thursday, 19 August 2021

ダニング=クルーガー効果下の『論語』考

七月から『論語』の素読を再開した。
素読自体は去年の四月からはじめて一ヶ月とちよつとくらゐしてゐたのだが、続かなくなつた。
忙しくなつたからである。
去年の四月は在宅勤務をはじめたころで、少なくとも通勤に使つてゐた時間は自由に使へるやうになつた。
それでぢやあ一度はやつてみたいと思つてゐた『論語』の素読をやつてみんとてするなり、といつた状態だつた。
それが五月から出勤するやうになつて、素読に使つてゐた時間はまた通勤時間になつてしまつた。
いままた在宅することになつて、ぢやあひとつまた素読を再開してみるか、と思つたのである。
前回途中までしか読めてゐなかつたし。

ところで素読といふのは意味を考へずに声に出して読むことなのだといふ。
どうしたらそんなことができるかと思つたが、原文にできるだけ近いものを読めばさうなるのではないだらうかと思つてやつてゐる。
読んでゐるのは講談社学芸文庫の『論語』だ。我が家には岩波文庫と中公文庫ともあるのだが、この中で最近読んだのが講談社学術文庫の『論語』だつたため、即手のとどくところにあつたのでかうなつた。
講談社学術文庫の『論語』には、原文に句読点のついた文が記載されてゐる。
これを見て読む。
もちろんいきなりは読めないので、読めない部分は最初のうちは読み下し文を盗み見ながら読む。
そのうち原文に句読点のついただけの文も読めるやうになる。

前回素読をはじめたときはなにも考へずに読んでゐたが、今回は週に一篇づつ読むことにした。
一週間で一篇読めるやうになる。
そんな感じで、いま述而第七まできてゐる。

そんな状態なのに、もうなんか思ひついたことを書きたくて仕方がない。
これがダニング=クルーガー効果かと思ふ。
まさにそれだらう。
わかつてゐるので書かせてください、といつたところだ。
読み始めてまだ一月半、それも第七篇までしか読んでゐないけれど、それと知りつつ思ひついたことを書きたい。

孔子の弟子に顔淵といふ人物がゐて、この人が大層すばらしかつたのだといふ。
若くして亡くなつてしまつて、なにか業績を残すといふことはなかつたのだが、『論語』の中ではすごい人として語られてゐる。
なにしろ孔子自身も「我と爾(子貢)と(顔淵に)如かざるなり」と云ふくらゐだ。
まあ、この発言自体はもしかしたら孔子が子貢に「答へづらいことをきいてごめん」くらゐの気持ちで云つたことかもしれないが、さう云つたと記されてゐる。

孔子も及ばないと云つた顔淵とはどういふ人物だつたのか。
ここまで読んだ中では、以下のやうな逸話が語られてゐる。
「侘び住ひをしてゐるが楽しんでゐる(一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り)」
「話をしてゐても全然反論しないけどあとになつて考へてみるといい感じ」
「一を聞いて以て十を知る」
「三月仁に違はず」
「願はくは善に戈ることなく労を施すこと無けん」
「求められれば働き、舎てられれば蔵る」

この中ですごいのは「一を聞いて以て十を知る」なのだが、でも実際どういふ感じに敏かつたのかといふ逸話はない。ただ子貢が「顔淵つてかうですよね」と語るのみだ。

で、考へてみると、孔子にも顔淵と似たところがあつて、たとへば「疎食を飯ひ水を飲み肘を曲げてこれを枕にす、楽しみこの中にあり」と云つてゐる。
これつて顔淵の「一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り」とほぼおなじことだ。
思へば孔子の教へつて、仕へてはみたものの主君がダメなら辞して野に下れ、なんだよね。
「ベンチがアホやから野球ができん」みたやうなもので。
# 違ふか。
たとへば日本の江戸時代のやうに、ダメな主君の敵打とか、しないのだ。
主君がダメなら仕方がない。
さういふ考へ方なのである。

でも、それつてさ、辞めても暮らしていけないとムリだよね。
不労所得でもなければそんな贅沢はできない。
主君は阿呆だが、仕方がない、口を糊するために働かねばならない。

ところが、ここで「一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在」る生活を楽しめたり、「疎食を飯ひ水を飲み肘を曲げてこれを枕にす」ることを厭はなかつたりすれば、問題は解決する。
……実際のところはさうでもないか。でもまあ、わづかにでも収入があれば、そしてその暮らしを楽しむことができれば、別にえらくなんかならなくてもいい。
もちろん、さういふ侘び住ひをしながらも仁(なんだかよくわからないけれど)に背いてはいけないけれど、孔子も顔淵もそこのところは大丈夫だつたのだらう。

ほかにも思ふところはいろいろあるのだが、なにしろ読み始めてから一月半しか全篇通して読んだわけではないので(その昔読みはしたけれど)、きつとこんなことはすでに書いてゐる人はゐるし、そんなこといまさら書いてなにになるといふ向きもあらうが、どうしても書きたかつたので書いてみた。
この先読み進めていつたらまた異なる感想を抱くかもしれないしさ。
その時のよすがのために残しておきたい。

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Wednesday, 18 August 2021

読んだ本のレヴューに時間がかかりすぎて

先週、『ライティングの哲学』を読み終へたので、レヴューを行ふことにした。
なにをするかといふと、読んでゐる最中に線を引いたり書き込んだりしたものをテキストに写すことだ。
ほんたうは手書きにしたいところだが、暑いしかなり量がある気がしたのでキーボードで打ち込むことにした。
形式はKindleでNoteをエキスポートした時のものを参考にした。
Kindleだとテキスト部分はダブルクォーテーションでくくるといふ正しいCSV形式をとつてゐるのだが、それをすると読みづらくなるのでやめた。
いづれにせよ、CSV形式を読み取つて分割するやうなアプリケーションは使はない。
Excelは持つてゐないし、持つてゐたとしてもExcelのCSV形式ファイル読込にはバグがある(と思つてゐる)ので持つてゐたとしても使ふつもりは毛頭ない。

そんなわけで、テキストエディタにぽちぽち打ち込んでみたのだが、三時間くらゐかかつた。
文字数は全部で12,499文字(改行・スペース含)。
ほんたうは手書きにしたいところだが、これはムリかなあ。
なぜ手書きにしたいかといふと、もともとこれをやつてみやうと思つた所以はライアン・ホリディがMediumに書いてゐる記事を読んだことが発端だつたからだ。
ライアン・ホリディは本を読んだら一週間おいておいて、それから読んだときに気になつた部分や思つたことを6×4カードに書き付けるのだといふ。
一時はやつがれも5×3カードに書きつけてゐた。学校に通つてゐた時分もさうしてゐたからだ。
しかしカードは増える。
ライアン・ホリディはカードは自分の宝物だからといつてそれはそれは大事にしてゐるさうだが、カードの問題点は並べたり広げたりするときにスペースが必要なことだ。
それが自分にはない。

かつて、SmythsonのPanama手帳にSCHOTT'S MISCELLANY DIARY(以下、SCHOTT'S)といふのがあつて、好きで使つてゐた。
スケジュール手帳として使ふのではなく、本を読んで気に入つたことばなどを書き抜くのに使つてゐた。
使ひきつてしまつたので、いまは丸善の世界の万年筆展の時に出店してゐた美篶堂に注文したバンクペーパーのノートに書き抜いたりしてゐる。

でもなー、カードの方がくる楽しみといふのがあるんだよなあ。
といふのは、また別の話。

そんなわけで、すつかり疲れきつてしまつたのだつた。
本をめくりながら線を引いた場所や自分で残したメモを確認する。
それを書き写すかどうか判断する。
最終的にはほぼ書き抜いてしまつた。
書き抜いてゐるうちに考へが浮かんだりするからそれも入力する。
まあ時間はかかるよね。

一冊の本を読むといふのはさういふことなのかもしれない。
読んで終はりではなくて、ちやんと読み返して自分に必要な部分は残るやうにする。
三時間くらゐでめげてゐてはいけないのだらう。

しかし『ライティングの哲学』にもあるとほり、時間は有限だ。
なんとかしたい。

ここはやはり、書き抜くのは最小限に抑へる必要があるだらう。
たとへば、線は赤青色鉛筆で引いてゐるので、赤線だけにする、とか。
しかし、今回思つたのだけれども、実際に書き抜かうと思ふと青線の部分の方が心にぐつとくるものが多かつたりもするんだよね。
赤線を引いた部分は結局書き抜かなかつたりもした。
なぜかといふと、赤線を引いた部分は、読んでゐるときはとても重要だと思つた部分だからだ。
つまり、本全体として必要なので、そこだけ書き抜いてもあまり意味がなかつたりするのだ。
コンテキスト的に重要と思つた部分、とでもいふのかなあ。

そんなわけで、今後は書き抜かうと思つた部分だけ赤線にするといふ手もあるんだけれど……うーん、悩むな。
自分の中では、青線は個人的に必要な部分、赤線はコンテキスト的に必要な部分といふ区分がいつの間にかできあがつてゐたやうだからだ。
まあでもこれはちよつと考へてみやう。

今回は特殊事情として、座談会ものなので発言者の名前を記しながら書き抜いたといふのも時間のかかつた理由のひとつかもしれない。
それぞれが書いたものについても、題名と著者名とを記したしね。
しかしこれは複数名で書いた本なら出てくる問題だし、章題のやうなものはやはり書き写すだらうと思ふので、ここは端折れないなあ。

あとは、文献カードの書き方を復習したり、もともと参考にしてゐたライアン・ホリディの記事を読み返してみるとかかな。

今度は月曜日にまた同じことをする機会があるので、そのときまでにちよつと策を練りたい。

ところでこれはWorkFlowyで書きたいことを書き出してから書いてみた。
いつもとそんなに変はらないやうな気がするんだけどどうだらう。
WorkFlowy、すばらしいな。
でもこの使ひ方ならローカルで使へばいいし、Proにする必要はないかなあ。

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Tuesday, 17 August 2021

すばらしきかなスプリットリング

『ドクター・フー』を見ながらタティングをしてゐる。
その『ドクター・フー』の視聴もあまり進んでゐない。
いま見られるものは一通り見て見返してゐるところなのだが、この先につらい展開が待ち受けてゐるのがわかつてゐるので見る気になれないことも多いのだ。
それでなくても最近見てゐてつらい話や映像がTVをつければ出てくるし、Web上にも多い。
いつもならそんなに影響は受けない冷たい人間なのだが、ここのところなにもかもあまりにもひどすぎるので応へてゐるのかもしれない。

しかし、いづれにしても動画を見るときはなにかしら手を動かしながら見る。
TVでもさうだし、PCなどで動画を見るときもさうだ。
さうでないと見られない。
ただ見るといふことができない。
そんなだから、手芸や料理で作り方の説明が動画になつてゐると途端に見る気が失せる。
なんで文章で書いて説明してくれないかなあ。
あとは図解とか。
だつて動画に合はせて見ないといけないんでせう?
自分のペースに合はせることができない。
でも今後は動画が増えていくんだらうなあ。
憂鬱。

そんなわけで、動画を見るときはなにかしら手を動かしながら見てゐる。
以前もここに書いたやうに、「これは10thドクターを見ながら編んだショール」とか「これは11thと12thにかけて編んでゐたくつ下」とかいふのがある。
「これは『七人の侍』で千秋実が死ぬ場面を見ながら仕上げたくつ下」といふのもある。もちろんTVで見たときね。

いまはタティングをしてゐて、まあまだリハビリ期間中なのだけれども、ちよつと失敗したなと思つてゐる。
どうもスプリットリング部分の糸の引き加減がいまひとつなんだなあ。
普通のリングやこれまで作つてきたリングの大きさに合はせやうとするんだけれど、なんとなく大きくなりすぎてしまつたり、うつかり糸を引きすぎて戻すんだけれどもよれよれになつてしまつたり。
リハビリなんだからもつとかんたんな技法ばかりのものを作ればいいのに、それをしない。
前もおなじことをやらかしてゐるのに学ばないなと思ひつつも、好きなんだよね、スプリットリング。

タティングレース、といふか、マクラメかなあ、いづれにしても「かうやつて糸を結ぶといい」といふことに最初に気づいた人はすごいなと思ふ。
世の中で大事を成した人といふのは名前が残らないといふけれど、ほんとだなと思ふ。
それは糸紡ぎや織り、編みにしてもさうなのだけれども、どうやつてここにたどりついたんだらうと不思議でならない。
タティングレースは基本的には表目と裏目とで形作るダブルスティッチでできてゐる。
このダブルスティッチをたくさん作つてリングを作ること、そして、ときどきピコを作つて装飾的にすることにした人、さらにはチェインを作ることに気づいて作品の幅を広げた人。
もしかするとそれは一人ではないかもしれない。複数の人間が携はつたことかもしれない。
それでもすごいことには変はりない。

そして、そこにスプリットリングだとかモックリングだとかさらなる技法が追加されてきた。
すごいよなあ。どうやつたらこんなことを思ひつくんだらう。
と、毎度思つてゐるわけではないが、時々つくづく思ふことがある。
いま作つてゐるものなどは、スプリットリングがなかつたら小さいモチーフを一つ作つては糸を切り一つ作つては糸を切りしてつなげていかなければならない。
手間だし、糸の無駄でもある。
スプリットリングのおかげでシャトルに巻いた糸の続く限り延々とつづけていけるし、その分糸も無駄にならず、糸端の始末をする時間も減る。
なんてすばらしいんだらう。

とは思ふわけだが、出来の方が、なあ。
スプリットリングを編み出した人に申し訳ないやうな出来だ。
でもまあ、リハビリだから。
さう云ひ訳しながら作つてゐる。

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Monday, 16 August 2021

なぜ編むのか

先週、オリンピックのメダリストであみものをする人がfeatureされてゐた件について書いた。
それはそれとして、その後もなんだかあみものに関する記事を見かけた。
あみものをしてゐるのは男の人で、気分が楽になる、正気を保てるからしてゐる、といふやうな話だつた。
メダリストもそんなやうな話だつたやうな気がする。
そしてなんだかひつかかるものを感じてゐる。

人はなぜ編むのだらう。
編みたいから。
いまはだいたいさうだらう。
かつては生活のために編む人も多かつた。
自分の中ではそれは何十年とか百年とか単位で昔の話だが、以前職場で一緒だつた人の話を聞くとさうでもないのかもしれない。
その人は米国に行つたときに親戚のもとで過ごしたのださうだが、親戚の内職(だらう、多分)だつたあみものを手伝つたと云つてゐた。
棒針編みだと機械で編んだと思はれるかもしれないので、かぎ針編みだつたといふ。
それでいろいろ編んで生活の糧の一部にしてゐたといふのだ。

でも日本ではそれは通用しない。
日本では手作りをする人、もつといふとクリエイタの地位が低い。
ちよつと何かできると「無料で作つて」と頼んでくる人がゐたり、フリーマーケットなどでは原価で売れと無理無体を云つてくる人がゐたり、COCOAなどのプログラマも中抜きの上の中抜きで相当低い賃金で開発したりしてゐると聞く。

つまり、なにかを作る、ここではあみものにしやう、編んでなにかを作るといふことは、個人の趣味の問題といふことになる。
それに「癒し」みたやうないやしいことばをあてはめるのがイヤなんだな、個人的に。

無論、やつがれだつて正気を保つために編んでゐたりはする。
なにかしら達成感がほしいから、今日なにか形に残ることをしたといふ証がほしいから編んでゐるといふこともある。
でも普段はそれを公には云はないし、なんといふか、あんましいはゆる「スビリチュアル」な話にしたくないんだよね。
さうするか否かは人の自由だけどさ。

これであみものに人気が出るといいなとは思ふので、自己中心的な話ではあるのだけれど。

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Friday, 13 August 2021

非・実盛物語

髪を染めたことがない。
理由はとくにないが、やはり髪が傷むといふからかな。
そろそろ年代的には白髪染めを使ふころだが、なぜ白髪を染めなければいけないのかよくわからない。
白髪なら小学生のころからあつたからだ。

そんなわけですでに鬢に白髪の目立つやうになつて久しいが、染めやうといふ気にならない。
めんどくささうだしさ。
髪の毛が伸びるとみつともないことになるし。
さうなる前に染めなほすのもめんどうだ。

さう、すべての原動力は、といふか反原動力は、「めんどくさい」である。
めんどくさくなかつたらするのだ。
めんどくささより楽しさとかやつてみたさが先にたてばする。
楽しさうぢやないんだよね、髪の毛を染めるのつて。

そもそも髪の毛にまつはることといふのはやりなほしがきかないことが多い。
まづ髪の毛を切るといふことがそれだ。
髪の毛を切りに行つて、「今日はどうしますか」と訊かれ、「いつも通りに」で済めばまあいい。
それだつてもし万が一床屋さんなり美容師さんがうつかりしてしまつた、といふこともありえないとはいへない。
でもまあ「いつも通りに」してもらへたらだいたい予想はつくからやりなほしのきかないことにそんなにこだはる必要はない。
問題は冒険をするときだ。
いつもと違ふことをする。
思ひきり短くしてみるとか。
普段はかけないパーマをかけてみるとか。
失敗しても決してもとには戻らない。
染髪もまたさうだ。
一度染めてしまつたら、新たな髪の毛が伸び切るまではどうにもならない。
なんで髪の毛のことつてさうなんでせうね。

そんなこともあつて、でもやはり一番の理由は「なぜ白髪を染めて隠さなければならないのか」がよくわからないから、それで染めてゐない。

最近は芸能人や有名人のあひだで髪の毛を染めないのが流行つてゐるらしい。
最初に見たのは近藤サトだつたらうか。
Webでインタヴューのやうなものにこたへてゐるのを見て、「白髪を染めないことについて、こんな云ひ訳といふか理由づけといふかをしないといけないんだ。世の中の人に対してそれを表明しないといけないんだ」と驚いたのを覚えてゐる。
芸能人・有名人として世に知られた人々だからさうしなければならないのかもしれない。
さはさりながら、この時思つたことがある。
おそらく白髪といふのは暗黙の了解で染めるものなのだ。
自分のやうにはふつておくのは世の常識に反することだつたのだ。

と、そのやうに理解したいまでも染めてはゐない。
そのうち白髪と黒い髪とのバランスがをかしくなつてきてみつともなくなつたら染めやうとは思つてゐる。

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Thursday, 12 August 2021

苦戦: Evernoteでノートをほかのノートブックに移動する

長いことEvernoteを愛用してゐる。
かれこれ十年は使つてゐるだらうと思ふが、実はもつと長いやうな気もする。
とりあへず、TwitterにつぶやいたことをTwieveといふサーヴィスを使つて一日単位にまとめてEvernoteにノートとして送つたものが十年分はある。
そのノートがほかの日々のログとおなじノートブックに入つてゐるので別のノートブックにうつしたい。
できればTwitter用のノートブックを作つてそこに入れたい。

Evernoteをご存知ない向きにはノートブックとはディレクトリやフォルダのやうなものでノートはファイルのやうなものと考へていただいていいと思ふ。
かくいふやつがれもさういふつもりでゐるから、ノートブック間でノートを移動するのはそんなにむつかしいことではないと思つてゐた。
もちろん、三千件を越えると思はれるノートを一度に移動しやうとは思つてゐない。
Windowsqだつて一千件のファイルを一度に別のフォルダに移動しやうとしたらそれなりに時間がかかる。
……いまはさうでもないのかな。
いづれにせよ、百件くらゐづつちまちまやつて、でもそんなに時間はかからないだらうと思つてゐた。
あまかつたね。

まづ、Evernoteでは一度に選択できるノートが五十件だ。
それを別のノートブックにうつさうとしたら、なんと、20分たつても終はらない。
サーバに書込みに行くからだらうかと思つて接続を切り、ローカルで作業してみたがはかばかしくない。
とりあへず、ファイルをあるフォルダから別のフォルダに移動するのとはまつたく別のことを行つてゐることは確かだ。
なんなのだらう。インデックスを書き換えながら移動でもしてゐるのかね。
もとのフォルダから削除して新たなフォルダに追加してゐるとでもいはうか。

こんなことになる前にさつさとノートの移動をしておけばよかつたぢやないか。
さういふ向きもあらう。
しかし、つひ最近までEvernoteのアプリケーション上ではノートは一度に一つしか選択することができなかつた。
つまり、一つ一つちまちまちまちま移動する必要があつたのだ。
その時点ですでに一千件を越えるファイルがあつたからあきらめてゐたのである。
それが、ノートが複数選択できるやうになつたといふので、「それぢやひとつやつてみるか」といふ気になつたのだつた。
そんな気にならなければよかつた。

現在のところ、日付の降順に2018年12月のノート全部と11月のノートの一部を移動してゐるところだ。
先は長い。
のんびりいくことにするか。
いづれEvernoteから乗り換へる必要もあるかもしれないなあ。

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Wednesday, 11 August 2021

ドクター・フーとかトーチウッドとか

『ドクター・フー』のシーズン6の最終回まで見て、シーズン4の図書館回に戻つて、シーズン6のクリスマス・スペシャルを見た。
いづれも二回目……少なくとも複数回見てゐる。
『ドクター・フー』は現在本邦で動画配信として見られるものは全部見たと思ふので、シーズン5に戻つて見始めたのが六月の半ばごろ。
なぜシーズン5かといふと、シーズン5はよく理解できてゐないからだ。
エイミーがダーレクやサイバーマンを覚えてゐない理由や、エイミーの父母の行方とか、見たときにはなんとなくわかつたつもりでゐたけれど、ふりかえつてみるとよくわからない。
それでシーズン5の第一話、すなはち11thドクターの初回から見返してみたらこれがすごい。
11thドクターの出てゐるシーズン5からシーズン7までのすべての重要事項を網羅してゐる。
いやー、はじめて見たときはオリヴィア・コールマンが「The silence will fall.」つて云つたつて、「沈黙が地に満ちる、すなはちみんな死に絶えるみたやうな意味だらうか」くらゐに思つてゐたもんなあ。それがシーズン6を見たときの衝撃。まさかsilenceのsが大文字だつたなんて。
ネタバレはまあともかく、それで最後かと思つたらシーズン7の最後までつながつてゐて、いやー、まゐつたまゐつた。

といふわけで、とりあへずシーズン7までは見やうかと思つてゐたのだけれども、シーズン6のクリスマス・スペシャルまで見て、その先に進む意欲がわかない。
なんでこれで終はりぢやダメなのかなぁ。
「これで」といふのはシーズン6のクリスマス・スペシャルね。
シーズン5は『クリスマスキャロル』、シーズン6は『ナルニア国物語』、シーズン7はシャーロック・ホームズがそれぞれクリスマス・スペシャルのモチーフになつてゐていづれもすばらしいけれど、シーズン6のスペシャルはちよつと特別だ。
誰も死なないのだ。
しかも、最後がなんとも切なくていい。
うわ、もうこれで終はりでいいぢやないですか、このトリオはさ。
そんな気がしてしまふ。
とくにシーズン7を見てしまつたあとではさう思ふ。
エイミー、好きなんだよね。
おそらく自分が見たコンパニオンの中では一番好き。
次がビルかな。
だからよけいにさー。

そんなわけで、といふわけでもないのだが、思ひたつて『トーチウッド』の続きを見た。
『トーチウッド(Torchwood)』は字面からもわかるとほり"Doctor Who"のアナグラムで、シーズン2エピソード2にその由来が登場する。
ところはウェールズのカーディフ。
そこで来るべきといふかすでに来てゐる異星人絡みの事件を操作するトーチウッドの人々の物語で、主な登場人物には『ドクター・フー』に出てきたキャプテン・ジャック・ハークネスがゐる。主人公は元々はカーディフで巡査をしてゐたグウェンかな。
このまま『トーチウッド』を見て、ほどよいあたりで『ドクター・フー』の10thドクターのシーズンに戻るかな、とも思ふ。
ただ、『ドクター・フー』もさうだけれども、『トーチウッド』もかなりつらい展開の話が多い印象があるんだよね。
シーズン1エピソード3のクライマックスなどはモンティ・パイソンにこんなスケッチあつたよね、モンティ・パイソンは喜劇だつたから笑へたけど、みたやうな展開になる。
マイケル・ペイリンがなにもしてゐないのに災難を起こしたことになる人物を演じてゐて、ある場面でキャロル・クリーヴランドが倒れかかつてくるの。
あれ、マイケル・ペイリンだつたよね。エリック・アイドルだつた?
いづれにしても、トーチウッドでは笑ふにしてもほかにすることがないから笑ふことになつてしまふ。

これをずつと見綴れるのかー、と思つてぽつぽつと見てゐたのだつたよ。忘れてゐたよ。

しかし、こんなことでくぢけてゐては『ドクター・フー』のシーズン9の最後とかシーズン10の最後とか見られないので、強く生きなければ。

それにしても、これ、TV番組なんだよね。
TV番組つて、家事を担当する人なら食事の支度や後片付けをしながら、乾いた洗濯物をたたみながら、アイロンをかけながら見たりはしないのだらうか。
それでなくても一緒にゐる人と話しながらとか、携帯電話やいまならスマートフォンをいぢりながらとか。
TV番組とは、そんな風に集中しない状態で見るものだつたりしないだらうか。
それともさうやつて見てゐても『ドクター・フー』の一部の回などは見ながら引きずり込まれていつたりするのだらうか。
さうでないとついていけなかつたり、なにがなんだかわからなくなつたりするんぢやないかなあ?
少なくとも『いだてん』がわからないと文句を云つてゐた向きにはとても無理なTVドラマだと思ふんだけど、どうだらう。

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Tuesday, 10 August 2021

整理整頓とレース糸の質

最近は糸を巻いたタティングシャトルをつねにMacBookのわきにおいてゐる。
さうするとちよつとしたときに手に取るからだ。
そんな感じで完成させたドイリーもある。

よく使つたらもとの場所に戻しませうといふ。
それが片付けや整理整頓の第一歩なのだとか。
とにかくものにはすべて居場所を決める。
そして、使ふときはそこから出してきて、使ひ終はつたらそこに戻す。
それが肝要なのだといふ。

しかし、やつがれの場合はそれをしてしまふとあみものやタティングレースはなかなか進まないんだな。
目に見えるところにないと忘れてしまふ。
「あ、出してこなきや。でももう今日はこんな時間だし、明日にするか」
これが続くと一度は着手した作品もいつまでたつてもできない。
目に見えるところに出しておくと「あ、これ、編みかけ/作りかけだつたな」といふので手に取つて少しだけでも編んだり結んだりする。
さうすることで進む。

さういへば、ドミノ編みで有名なヴィヴィアン・ホクスブロも色を選ぶのに何日間か使ひたいと思つてゐる色の毛糸を目に付くところに出しておくといつてゐた。
日々見てゐるうちにどの色とどの色とが合ふか、わかるやうになるからだ。
さういふ方法もあるんだよね。
だから、ものが出しつぱなしだからといつて片付いてゐないといつてはいけない。
いや、いつてもいいかな。でも気にしてはいけない。
さうやつてものを作る人もゐるのだから。

いまは前回試しに作つてみたあみものでいふところの連続編みのやうな模様をまた作つてゐる。
Lisbeth #40一巻きでどれくらゐ作れるのか見てみたいと思つてはじめた。
色はFern Green Med。ちよつとスモーキーな緑色で、なんでこんな色を買つたのかちよつとわからない。
もしかしたらモニタではもつと違ふ色で見えたのかもしれない。

今日も『トーチウッド』を見ながら作つてゐたのだが、はつと気がつくと、途中に如何にも「途中で糸を継ぎました」といふ箇所があつてなー。
うわー、ないわー。
レース糸にこれはないわー。
かぎ針編みならいざしらず、タティングレースではこれぢやあ芯糸にならないよ。
運良くスティッチになればいいかもしれないが、どうやら無理らしい。
うーん、糸を切るしかないか。

そんなわけで、「一巻きでどれくらゐ作れるのか」といふ計画は潰えさうな気がしてゐるが、まあなんとかうまくつづけていきたい。

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Monday, 09 August 2021

手書き用グラヴを編む

突然だか、手書きをする時用の指なし手袋を作つた。
この時期ノートなどにあれこれ書き込む時に手や手首の汗で紙がしはしはになつてしまふからだ。
ずつと悩んでゐて、ティッシュペーパーを置いてその上に手を置くやうにしたりしてゐたのだが、思ひあまつて昨日Twitterで訊いてみた。
すると、市販の布手袋の親指と人差し指の部分を切つて使つてゐるといふありがたいお答へが返つてきた。
なるほど。それで以前ビリヤード用の手袋が夏の書きものに向いてゐるといふ話があつたんだな。

だが、待てよ。
これ、編めないだらうか。
編める気がする。
編んでみやうかな。
ちやうどストールやショールを編んであまつてゐる夏用糸もあることだし。

といふわけで編んでみたのがこれである。

使用した糸はユザワヤで買つたワンダーコットン《グラデ》。針は3号(3mm)と2.5mmとの五本針を使つた。
パターンはLynne VogelのSpirogyraを元にして編んだ。
Spirogyraにした理由は、太さの違ふ針を使用することで手首の部分がくびれるやうになつてゐるデザインだからだ。
網目を増減しなくてもいい。
それと、青海波のやうな模様が夏向きだなとも思つた。

夏用なので、暑いからできるだけ最小限にしたいと思ひ、紙に触れる部分、すなはち手首と小指、そしてその二つをつなぐ部分だけ編むことにした。
小指だけでずれてこないのかといふ心配はあつたが、まあものは試しに編んでみることにした。
編んでみたところ、別段小指だけでもずれないやうだ。
手首の部分を少ししぼつてあるのがいいのかもしれない。

職場の冷房がきびしいことがあつて、夏でも仕事中は指なし手袋をしてゐた。
それを思ひ出したんだよね。
去年今年と在宅勤務で忘れてゐたよ。
まだ糸があまつてゐるからキーボードを打つ時のために手首に巻くやうなものを作らうかな。

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Friday, 06 August 2021

ないない選択肢

本屋さんか文具屋さんの棚の間をただぶらぶらと見て歩きたい

この引きこもり上等のやつがれでもこんな三十一文字(字余りだから三十二文字だけど)をつぶやいてしまふやうな日々である。
本はAmazon、文具もネット通販でいいぢやないかといふ人も多いのではないかと思ふ。
文具はさうでもないかな。実物を触つてみないとわからない部分もあるし。
さういへば本もさうで、パラパラと見てみないことには買ひづらい。
Amazonには中身をちよこつと確認できる機能もあるし、Kindle版にはサンプルといふものがあるけれども、こと和書に関してはこのサンプルが実にものたりない。
洋書のサンプルはときにたつぷり一章分くらゐあつたりして、「あ、これは買はう」といふ気にさせてくれたりする。最近では The Queen's Gambit がさうだつた。サンプルを落としてきて読んでゐるうちにとまらなくなり、これは買ふといふのが買つた。
和書だと目次があつて終はりだつたりして、実用書のやうに目次があればまあなんとなく内容もわかるといふものならいいけれど、小説だつたりするともうお手上げで、「ああ、この出版社(だらう)は本を売る気がないんだな」といふのであきらめてしまふことも多々ある。
もしかしたらいまはさうでもないのかなあ。最近和書は実際の本を買ふことが多いからもしかしたらいまはよくなつてゐるのかもしれない。さうだつたら申し訳ない。

飲酒の方もさうで、やつがれはどちらかといふと家飲み派で、なぜといつて飲み過ぎても他人に迷惑をかけないからだ。
外で飲み過ぎたら手に負へない。と思ふ。いまのところ飲み過ぎてもなんとか帰宅できてゐるから大丈夫なんだらうと思つてゐる。といふかさう思ひたい。
でも、かう長いこと外で飲めないと出かけていつて飲みたいなあといふ気分になつてくる。
いはゆるサイゼ飲みとかね。いいよねえ、サイゼ飲み。ちよつとだけ飲んでちよつとだけ食べる。それでさつと帰る。
最寄駅にちよつと気に入つてゐるビールのおいしい店があつて、でもなかなか行く機会がないままになつてゐるのだが、いまごろどうなつてゐるだらうと気になる。
通勤時の通り道にあるわけではないので、そこに行くといふ機会がないとなかなか行かないところにある。小さい店だし、お酒が出せなければ休業だらう。
まだ営業してゐるだらうか。一度行つてみやうかと思ふがそんなわけでなかなか機会がない。

できれば出かけたくないし、できれば引きこもつてゐたいのにさう思ふといふのは、おそらく選択肢がなくなつてしまつたからなんだらう。
実際に書店や文房具店に行つて本を見て文房具を手にするといふ選択肢や、飲食店に行つてお酒を飲むといふ選択肢がない。
以前はそんなものは選択肢だとも思つてゐなかつたのに、奪はれてはじめて「ああ、自分には本屋に行くといふ選択肢、文房具店に行くといふ選択肢、飲食店で飲酒するといふ選択肢がかつてはあつたのだなあ」としみじみ思ふ。

そして、欧米(範囲広いな)でマスクを強要されて嫌がる人たちも、その所以は「マスクをしなくていい」といふ選択肢を奪はれることへの抵抗なのかもしれないなあと思つたりするのだつた。

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Thursday, 05 August 2021

でたらめな歌詞の矯正

去年の四月から在宅勤務をしたり出勤をしたりしながら過ごす中でできるやうになつたことといへば、ホリーズの「バスストップ」とタートルズの「ハッピー・トゥゲザー」とルー・クリスティの「魔法」の歌詞をきちんと覚えたといふことか。
いづれも耳で覚えて適当に歌つてゐる歌だ。
さういふ歌はいくらもある。
初期のビートルズはほとんどそれで、ちやんと歌詞を見て覚えたのは「シー・ラヴス・ユー」くらゐかもしれない。あ、「イエスタデイ」は教科書に出てたりしたかも。
あとは「ラヴ・ミー・ドゥ」も「抱きしめたい」も「キャント・バイ・ミー・ラヴ」も「プリーズ・プリーズ・ミー」も耳で覚えたいい加減な歌詞で、歳をとるにつれ「あ、ここはもしかしたらかうかもしれない」とrefineしながらここまで来たので、まあとにかくいい加減なのだ。
あ、さうか、この先、ビートルズの曲の歌詞をちやんと覚えるといふのもいいかもしれないな。
この期に及んで、といふ話もあるが、おもしろさうぢやないか。
実際、最初にあげた三曲の歌詞を見たときは「ここはかうだつたのか!」といふ驚きの連続で、よく知る曲なのに新鮮だつた。
また、適当に覚えたはずの部分がちやんとあつてゐることもあるのもおもしろかつた。

そんなわけでここ一年半くらゐのあひだ「バスストップ」ばかり歌つてゐた時期がある。
なんかこー、残るんだよね。
ホリーズの歌はほかには知らないのだが、そしてタートルズもルー・クリスティもさうだつたりはするのだが、いづれも一度脳内で流れはじめると延々と回つてしまふ歌ばかりだ。
「バスストップ」はbusstopといふ単語よりはumbrellaといふ単語がきつかけになることが多い。
歌詞の中でも、バス停より傘の方が大きな役割をはたしてゐるやうに思ふ。
もちろん、バス停があつてバスを待つてゐる人がゐたから成り立つ歌なんだけれども、でも傘のことを歌つてゐる部分の方が多いんだよね。

「ハッピー・トゥゲザー」のきつかけはもちろんweatherだし、「魔法」はmaybeだらうなー。
ヒットする曲といふのはかういふ脳内で延々流れ続ける傾向があるんだらう。

最近はよく「昭和ブルース」が脳内に流れることがある。
やつがれの場合は天知茂の歌つたヴァージョンだ。
あと鶴田浩二の「傷だらけの人生」ね。
昭和だなあ。名曲だ。
そして、みんな私が悪いのよ。

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Wednesday, 04 August 2021

いま使つてゐる手帳がいい手帳

今月からほぼ日手帳weeks MEGAを使つてゐる。
先月まではRollbahn Tagebuch+Notizbuch 2021を使つてゐて、その前はほぼ日手帳weeks MEGAを使つてゐた。
前回はほぼ日手帳weeks MEGAを使ふのははじめてだつた。
それまではほぼ二年ほどRollbahn Tagebuch+Notizbuchを一年に四冊使つてBullet Journal風に使つてゐた。
Future Logsを用意するのがめんどくさくて月間カレンダー部分をFuture Logsに使つてゐてとても便利だつた。
去年・今年・来年の三年分のカレンダーもついてくるし、年間予定欄もついてくるしね。
年間予定欄は映画や博物館などの上映・開催予定を記入してゐる。

ほぼ日手帳weeks MEGAもほぼおなじやうに使つてゐて、ただほぼ日手帳weeks MEGAには週間予定欄があるのでそこだけちよつと違ふ。
週間予定欄は左ページに一週間分の予定が書けるやうになつてゐて右ページはメモ欄になつてゐる。
それで、一週間分の予定が書ける方は縦に三つに区切り、大まかに朝・昼・夜の予定を書けるやうにしてゐる。
かうしてMonthly LogsのかはりにWeekly Logsをつけて一週間分の記録を残してゐる形だ。
メモ欄のページには日毎にもうちよつと詳しいことを書いてゐる。また、一部をトラッカーとしても使つてゐる。
さらに書くことがある場合はあとについてゐる219ページのメモページに書く。
さらに書くことがある日には週間予定のところにメモページのページ数を記しておく。

前回ほぼ日手帳weeks MEGAを使つてゐたときは、週間予定欄がみつしりになつてしまつて見づらくなりがちだつた。
今回は週間予定欄に書くことは最低限にして、だいたいのことは後ろのメモページに書くやうにしてゐる。
ほぼ日手帳といへばトモエリバーで有名で、この紙はやつがれも大好きなのだが、ひとつ困つたことにインクの乾きが悪い。
ちよつと書いては待つてページを閉じねばならない。
この手間がのんびりかまへてゐるときにはいいのだけれど、急いでゐるときなどはちよつとまだるつこしい。
吸ひ取り紙でも用意しておけばいいんだけどね。実際さうしてゐるときもある。

また、ほぼ日手帳weeks MEGAのメモ欄は3.3mm方眼だつたかな、とにかく結構細かい。
ここに字を書かうとすると気をつけながら書かないとあとで読めない字になつてしまふ。
これもBullet Journalのrapid loggingには合はないな、と前回は思つてゐた。

そんなわけでRollbahnを使つてゐたころは、5mm方眼だしインクはすぐ乾くし、いふことないなと思つてゐた。
ところがほぼ日手帳weeks MEGAい戻つてきてみると、これがまたいいんだな。

まづ、大抵のことはメモページに書くことにしたので、あちこちページを開いて書き込むといふことが少なくなつた。
なので、インクが乾くのを待つ必要があまりなくなつた。
それに、スパイラルバインドのRollbahnに比べて綴じ手帳のほぼ日手帳の方がページをぱらぱらとめくりやすい。
ちまちまと字を書かねばならないのはさうなのだが、これ、二マスといふか四マス一文字とかにすればいいのかね。でもそれだとあまり書けなくなつてしまふし、週間予定欄はさうもいかない気がする。
仕方なし都度行間を開けつつ書いてゐる。

なかなか理想の手帳にはめぐり会へないものだなあ。
『ドクター・フー』でドクターがリヴァー・ソングに渡す手帳みたやうなのがいまの理想なのだけれども、なにかいい手帳はないものだらうか。
結局、いま使つてゐる手帳が一番いい手帳なのかな。
或は次に使ふ予定の手帳が一番いい手帳なのかもしれない。

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Tuesday, 03 August 2021

延々と作れるものを探す

昨日は、「外であみものをしてゐる人を見かけてもさう驚きはしない」といふ話をした。
ではタティングレースならどうだらうか。
Nina Libinが自著の終はりに、「現代のノマドへ」といふやうな一文を載せてゐる。
ノマドといへば遊牧民だとか居どころを定めぬ人のことをいふのだらうと思ふが、Nina Libinは通勤通学をする人などに話しかけてゐる。
糸にビーズを通してシャトルに巻けば、ノマドの手芸になる。
大ざつぱにいへばさういふ話だ。

これを読んだときに、痛く心を動かされた。
さう。もしかしたら自分は現代のノマドかもしれない。
自宅の机の前で長いこと過ごすことはできないけれど、毎朝毎晩の電車やバスの中でシャトルを動かすことは可能なのではないか、と。
ビース・タティングはちよつと敷居が高いけれど(シャトルに巻く糸にビーズを通す場合は、ビーズを入れる間隔が重要になつてくる。この間隔がうまくつかめないともたもたすることになつてしまふ)、普通のタティングならいいんぢやない?

なにしろ日本は電車の中ではあみものをしてはいけない国なのださうだからなあ。
かつて、電車の中であみものをしてゐて周囲の人を傷つけた例があるのだとか。
「世界の車窓から」とか見てると、電車に揺られながらあみものをしてゐる人が出てくることがある。
トルコのときだつたらうか、二色でくつ下を編んでゐて、片方の糸を首の向かうに回してゐたのが印象的だつた。

ここのところ在宅してゐることが多いが、それでも心はノマド……といふよりはスキゾ? やつがれはどちらかといふとパラノだと思ふのだが、なにかにつけ逃げたがるのはスキゾの要素も持つてゐるといふことだと思つてゐる。

先日、林ことみの『エストニアで習つたレース』に掲載されてゐるかぎ針編みの三角ショールを編み終へたので(水通しして整形までしてまだ端糸の処理が終はつてゐない)、久しぶりにタティングシャトルに糸を巻いてサンプルを作つてみた。
リング三つで三角形を作り、下二つをスプリットリングにして延々つなげてゆき、端で上の一つをスプリットリングにして段を上がつてまた延々とつないでいくといふ、あみものでいふ連続編みみたやうな感じの作品だ。
残念ながらデザインした人の名前がわからない。
もう実に秀逸なデザインだと思ふ。
やつがれのやうな、端糸の始末を厭ふものにはたまらないデザインだ。

サンプルは楽しく作つたけれど、さて、ではなにを作らうかといつたときになにも思ひつかない。
このデザインではなにか大きいもの、それこそショールのやうなものを作りたいと思つてゐるのだが、何分久しくシャトルに触れてゐなかつたので目もリングの大きさも全然揃はない。
すこし練習が必要だ。
さういふときに作れるものがないんだよねえ。

あみものなら、適当な幅のものを延々編んでいけばマフラーになるし、適当な大きさの輪にして延々と編んで行けばアームウォーマとかレッグウォーマとかになるのになあ。
タティングだとエジングならいいのか。しかしエジングつてなにに使ふの? ハンカチの縁につける趣味はないしなあ。

といふわけで、栞かなあなどと考へてゐる。

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Monday, 02 August 2021

あみものは少数派の手芸

オリンピックについては競技もニュースも一切見てゐない。
追つてゐるのは関係者や選手の感染状況と、亡命問題だけだ。
メダリストの趣味があみものといふことで話題になつてゐるさうだが、RTされてきたつぶやきを一つ見ただけであとは知らない。
そんなことで話題になるつて、つまりはあみものはマイナーな趣味だつてことでせう。
いまや誰もしない、するとしても学校の家庭科の授業でちよろつとやるとか、なんだかわからないけれどritual的に冬になつたら好きな人にマフラーだのセーターだのを編まねばならないといふ義務感にかられた人がするもの。
手芸屋の店頭に行けばわかる。
いまあみものがどのくらゐ受け入れられてゐるのかが。

無論、流行り廃りといふものがあるから、なにかの拍子に突然人気が出ることもあるけれど、さういふ人気といふのは水物ですぐに廃れてしまふ。
ビーズとかあみぐるみとかニードルフェルトとか、一気にもりあがるとあとはなんだかマニアックになつていつていつのまにか大勢には忘れられてしまひ、またなにかのきつかけで流行る。
そのくりかへしである。

スポーツ選手(最近では「アスリート」とかいふものかもしれないが)があみものをしてゐても別に驚かない。
刺繍だとすこし驚くかもしれない。
ビーズ細工やパッチワーク、ソーイングビーにでも出てくるやうな服や和服を仕立ててゐたら大いに驚く。
あみものはモバイルな手芸だ。
外で編んでゐても全然不思議ではない。
むしろ、ほかにどんな手芸をするの、と思ふ。

さう思ふ人が少ないといふことはあみものはマイナーだといふことだ。
さうだよな、やつがれだつて『ドクター・フー』を見ては「あつ、グラニー・スクウェアのブランケット!」だとか「あつ、手編みのセーター!」だとかきやいきやい喜んでゐるんだからな。

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Sunday, 01 August 2021

7月の読書メーター

7月の読書メーター
読んだ本の数:6
読んだページ数:1008
ナイス数:21

人生を「半分」降りる―哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫)人生を「半分」降りる―哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫)感想
白居易の「中隠」という詩の内容とこの本に書いてあることととても近いように思う。職にはついているが仕事はそう忙しいわけではなくでも食うには困らない、ひとりになりたければ門を閉ざせば足る、と。そういうの、いいよなあと思っていたこともあり、とてもおもしろく読んだ。「書けば書くほど考えなくなる」というのもよかった。他人に見せることを前提にしたものづくりは卑しいということだろう。SNSなどに自分の作品を投稿する人は、絶対他人には見せない作品を作ることも必要だと説いていた人がいる。こういうことなんだろう。
読了日:07月02日 著者:中島 義道
ビールを楽しむドイツ語ビールを楽しむドイツ語感想
これを読んだからといってドイツに行ってビールを飲めるとはちょっと思えないけれど、手にとってぱらぱら眺めるのに向いている。いまとなってはいつ行けるかわからないから目に毒かもしれないけれど、ドイツビールの種類とか味やその他の表現を見ているだけで楽しい。ビールの消費量が減っているというのはちょっと気になるな。あと、お酒を飲まない詩人(正確には「水を飲む詩人」)の書いた詩は大抵つまらないし忘れ去られるという古代ローマ時代の詩が気に入った。
読了日:07月03日 著者:ヤン ヒレスハイム
Mostly Harmless (Hitchhiker's Guide to the Galaxy Book 5) (English Edition)Mostly Harmless (Hitchhiker's Guide to the Galaxy Book 5) (English Edition)感想
もうこれで終わりにしたかったのかなあ。おもしろかったし、平行宇宙とか大好きなんだけど、この終わり方。好きだけどね、こういう終わり方も。そう、平行宇宙があるよね、と思いつつ、やはりこれで終わりということで。
読了日:07月04日 著者:Douglas Adams
弟子弟子感想
孔子が受け入れられなかったのは古かったからなのではとはこの本にも出てくるとおりで、それがなぜ今に至るまで綿々と受け継がれているのかというと、まずは弟子たちの尽力なんだろうなと思うが、そこには残念ながら子路も、そしてこの話の中では子路が苦手としている顔回も入らないというところがおもしろい。
読了日:07月04日 著者:中島 敦
外科室外科室感想
貴船夫人のことば遣いが好きでねえ。「ざます」でも「ですこと」でも「あそばせ」でもない奥さまことば。ちょっとカントリーの「The Long Black Veil」を思い出したりもする。死んでも云えないことってあるんだと思う。内容は人によって違うだろうけれど。
読了日:07月14日 著者:泉 鏡花
The Queen's Gambit: Now a Major Netflix Drama (English Edition)The Queen's Gambit: Now a Major Netflix Drama (English Edition)感想
何かを犠牲にして成功する人の話なのかなと思ったが、どうなんだろう。主人公が父親のことは「Daddy」というのに母親のことは「Mother」というのとか、すごく気になる。単に父親とは極幼いころに別れたというだけのことかもしれないけれど。これといって共感できるところはないし、最後は出来過ぎな気がするけれど、引き込まれるように読んだ。Netflixのドラマも気になるがさて。
読了日:07月14日 著者:Walter Tevis

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