慕はしけれど行きたくはなし
古いものが好きだ。
たとへば昭和歌謡とか1960年代70年代の英米ポップスとかロックとか。
池上線とか聞くと西島三重子を、maybeとか聞くとうつかりルー・クリスティを歌ひ出してしまふ。
もう反射的にさうなのでちよつとヤバい。
少女マンガも70年代80年代の作品が好きなやうに思ふし、映画もさうかもしれない。
兼好法師も云つてゐる。
「なにこともふるきよのみそしたはしき いまやうはむけにいやしくこそなりゆくめれ」と。
「「こそ」よ、「こそ」!」と桃尻訳枕草子の清少納言なら云ふところだ。
ぢやあその時代に生まれて生活してゐればよかつたかといふと、さうは思はない。
60年代に青春時代を謳歌してゐたら(謳歌はしないかもしれないが)、きつともつと昔のもの、30年代とか40年代とかに流行したものを慕はしいと思つてゐたからに違ひないからだ。
兼好法師だつてさうだつたんぢやないかな。
平安時代がどんなになつかしく慕はしいものと思はれても、実際に平安時代に生きてゐたらもつと前の時代のことをよかつたといふに決まつてゐる。
だいたい古いものはいいに決まつてゐる。
時といふ最高の篩にかけられて残つたものだからだ。
作成された時代が早すぎて当時の人には受け入れられずそのまま後の人に知られることなく忘却の彼方に消へてしまつた作品もあるかもしれないとは思ふ。
でもゴッホの絵のように当時は評価されなくてもいま評価されてゐる作品があつたりするわけだから、やつぱり残るものは残るんぢやないかと思ふんだよね。
ザ・ビートルズが現役だつた時代には彼らの歌以外にもたくさんの流行歌があつて、でもいまでもその当時の歌すべてを聞くことがあるかといふと、うーん、好きな人は聞くのかもしれないけれど、多分やつがれは聞かない。
それに、当時は大ヒットしてビルボードのトップチャートに何週間も残つてゐた歌でもいまでは忘れられてしまつたものもあるんぢやないかと思ふ。
時の篩ってさういふところ、あるもんね。
ところが、これがある歌ひ手・ある作家・ある画家なんかを好きになつてしまふとまた様相が変はつてくる。
柳亭市馬は昭和歌謡、それも昭和三十年代までの歌が好きなことで知られてゐて、三橋美智也が大好きださうだ。
その市馬の好きな三橋美智也の歌といふのが、こちらのあまり知らないやうな歌だつたりするのだ。
「古城」や「達者でな」もいいけれど、と断つて、「でも三橋美智也にはかういふいい歌もあるんですよね」といふ。
さうなんだよねえ。
ザ・ビートルズを好きになると、好きな歌に「イエスタデイ」や「レット・イット・ビー」、「ヘイ・ジュード」などはあげない
なんかもつと違ふ曲、すべてのアルバムを聴いてゐないとわからないやうな歌を自分の好きな歌にあげがちだつたりしないだらうか。
長年聞いてゐるとまはりまはつてやつぱり「イエスタデイ」だよね、とかさ。
さうなつてくると、あまり古い時代に活躍したやうな人の作品は探りづらくなつてきていはゆるマニアでないかぎりわかりづらくなつてしまふ。
それに、やつぱりあまり読まれない作品、あまり聞かない曲、あまり見ない絵といふのは、篩にかけられて残らなかつたんだなと思つたりもする。
文楽や歌舞伎で通し上演とかすると、普段は上演されないやうな幕を見られたりして、でもやつぱりおもしろくなかつたりはするのだ。そして、「なるほど、上演されなくなるわけだよねえ」などと思つたりする。
もちろん、例外もないわけぢやない。『本朝廿四孝』の「筍掘り」なんかなんで上演されないのかと思ふもの。
# などといふのはやつがれの周囲ではやつがれひとりだけれども。
などと書きながら『疾風!アイアンリーガー』の主題歌などを聞いてゐる。
自分の中では新しい歌なのだが、さて。
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