万年筆を買つたわけ
一時はずいぶんと万年筆を買つたものだつたが、ここのところ落ち着いてゐる。
去年はキュリダス二本と紫雲とを求めて、「ここのところになく買つたなあ」といふ気分だつた。
新型コロナウイルスに巻き込まれてゐるさなか、本邦の経済を回す助けになつたのではないかと思つてゐる。
今年はいまのところ一本も買つてはゐない。
中屋万年筆の黄昏透かしがとても気になつてゐるが、ちよつと手が出ない価格だ。
それに、まあこれは去年も思つてゐたことではあるけれど、手持ちのペンを使ふ時間の方がほしい気分でもある。
それにしても、なんでこんなに万年筆を買つてしまつたんだらう。
いろいろ考へてゐたが、つまるところ、子どものころ買つてもらへなかつたからなのではないだらうかと思つてゐる。
入学入社の祝ひに万年筆といふのはよくあることなのではないかと思ふし、我が家にも親類から進学祝ひにクレージュの万年筆とボールペンのセットをもらつたものもゐる。
だが、自分は一度としてもらつたことがなかつた。
もらつたことのある万年筆といへば、母からのお下がりでコンヴァータもカートリッジさへない、母曰く「ペン先のつぶれた」万年筆数本だ。
当時は家に瓶に入つたインクがあつたから、つけペンのやうにして使つてゐた。
はじめての万年筆は、近所のスーパーマーケットで購入したフランス製の万年筆だ。
確か三百円くらゐだつたと思ふ。
明るいロイヤルブルーのカートリッジがついてゐた。
だが、インクの出があまりよくなかつたこともあり、またカートリッジが切れてしまつたこともあつてあまり使つた記憶がない。
セーラー万年筆のキャンディなんかもほしかつたなあ。
でも買つてくれとねだることはなかつた。
なんか、さういふことはしてはいけない気がしてゐた。
自分用に万年筆を買つたのは就職してからだ。
建替前の日本橋丸善でモンブランマイスターシュテックのショパンエディションを購入した。
これが実に書きやすいペンだつた。
下手ではあるものの、自分の字が書けるペンだつた。
それはいまでも変はらない。
このペンと、中屋万年筆から求めた中軟のペンが一番自分らしく書けるペンだ。
また、職場のそばの文房具売り場でセーラーのハイエースを見つけて買つて使つてみたら、これがまた書きやすかつた。
ペンによつて書き味が大きく変はることも知つた。
そこからやたらと万年筆を購入する生活に突入するわけだが……
うーん、やたらと買つて使つてみたからどんなペンが好きかわかるやうになつた、とも云へるからなあ。
わるいことだつたとは思ひたくないが、いまとなつてはあまり使はないペンもあつて、なんだかペンや作つた人に申し訳なく思ふこともある。
もし、子どものころ、万年筆がほしいと思つてゐたころに買つてもらつてゐたらどうだつたらうか。
こんなにムダにペンを買ひ求めることはなかつたらうか。
なかつたかもしれないし、やはり自分にとつて一番よいペンを求めて買ひあさつてゐたかもしれない。
でもキャンディ万年筆は買つてなかつたかもしれないな。
キャンディ万年筆といつて、我が家のはA.S.Manhattaner'sだけどさ。
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