ひとり吉祥寺だけではないけれど
正月に家族で年始参りなどすると、道中必ず吉祥寺を通つたものだつた。
両親は若いころによく吉祥寺に来てゐたらしく、通りがかるたびに「あの店はもうないね」「ここにあつた店もない」と語りあふのが常だつた。
新型コロナウイルスのせゐもあつて吉祥寺では老舗をはじめさまざまな店が営業をやめたと聞く。
きつと、「あの店がない」「この店もない」と嘆く人も多いだらう。
やつがれ自身は吉祥寺にはあまり縁がない。
門前仲町で働いてゐたころ、日中つまらないことがあつてどうしても毛糸がほしくなり、当時はユザワヤも吉祥寺店だけは遅くまで店を開けてゐたことがあつて、三鷹行きの東西線に飛び乗つて鬱憤を晴らしたことがある。
吉祥寺にユザワヤはまだあると思ふが、多分やつがれが鬱憤を晴らしに行つた場所にはない。
なんとなく、吉祥寺といふのはさういふ街なのではないかといふ気がする。
楽しかつたあの場所、なつかしい店、さうしたものがいつのまにかなくなつてゐる街。
親が毎年さう云つてゐたから刷り込みなんだらうな。
自分の知る場所がなくなるのはひどくさみしいものだ。
切ないといふのはかういふ感情なのかと思ふ。
なんと云つていいものか。やるせない。もの悲しい。
もう二度と見ることも行くこともない。そこにゐた人に会ふこともないかもしれない。一緒に行つた人の顔を見ることもないかもしれない。
昨今、さうしたことは吉祥寺でだけ起きてゐるわけではないだらうが。
話を聞くたびにさうしたことを思ひ出す。
そしてもう二度と行くことのない年始参り先のことも。
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