好きなもの探し
ここのところたまに「別に自分はあみものが好きなわけぢやないんだな」と思ふことがある。
なんといふか、あみものつてやればやつただけ成果が出るんだよね。
さうすると、「ああ、自分はこの時間をムダにせずになんか作つたなあ」と思へるわけだ。
実際にはムダなのに。
だつて、編んだものがなにか有用なものであるとは限らない。
なにをもつて有用とするか、といふ問題はあるが、たとへば、編んだものが生活の足しになるわけではない。
あみもので生計を立てられるわけでもない。
自分で編んだものをかぶつたり巻いたり着たり履いたりすることで役に立つてゐるといふこともできるかもしれないが、でもおなじやうでもつといいものがお手頃な価格で手に入ることを考へたらとてもぢやないが有用とはいへない。
なぜそこで「自分はあみものが好きである」と思へないのか。
嫌ひなわけぢやない。
編んでゐて楽しいとは思ふ。
でも、好きでやつてゐるのかといはれると即答しかねる。
単に、少しでも時間を有意義に使つた証として編んでゐるのではないか。
さういふ気がして仕方がない。
もちろんタティングもさうだし、読書も芝居見物もさう。
自分にはほんたうに好きなものなんてあるのだらうか。
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