Let's ブレブレ
世の中、ブレないことがいいことのやうに云はれてゐるが、必ずしもさうではないと思つてゐる。
事実が変はつたら自分の意見もそれに合はせて変へた方がいい。
さうしないとこの世に取り残されてしまふし、まああんまりいいことはない。
などと書きつつやつがれは Ich bin der Welt abhanden gekommen とか歌つちやふタイプなので、あまり説得力はないかもしれないが。
経済学者のジョン・メイナード・ケインズが「事実が変はつたら自分の意見を変へる」といふやうなことを云つたといふ話は有名だが、そんなことひとことも云つてゐないといふのもまた有名な話である。
それはともかく、事実が変はつたら自分の意見を変へるといふのは重要なことだ。
アダム・グラントは『Think Again』でその大切さを何度も説うてゐる。
たとへば自分は医師だつたとしやう。
かつて、瀉血は万能な治療法であつたが、いまでは限られた病や症状のときにしか行はれてゐない。
高血圧の患者に瀉血を行つても効果は望めない。現在ではさうなつてゐる。
昔のままの知識、昔のままの意見ではゐられないのだ。
「事実が変はつたら持論を変へる」よりもかんたんな考へ方もある。
自分の価値観・自分が大事だと思つてゐることと照らし合はせて、そぐつてゐるなら実行するし、合はなかつたら実行しない、といふ考へ方だ。
瀉血の例でいくと、医師の価値観としては患者の命を救ひより健康な状態に戻すことが大事だらう。
過去には瀉血は有効とされてゐたから実施しても仕方のないところがあつた。
でも今はもう大抵の場合は役に立たないことがわかつてゐる。
だから瀉血は有効な場合にしか用いない。
さう考へることはむつかしいことではあるまい。
かう考へることでサンクコストを切り捨てることも容易になるのぢやあるまいか。
などと書きつつ、やつがれ自身は自分の意見の虜で、なかなか自由になれない。
『ドクター・フー』を見てゐたら、「Have you been limited by who you are before?」なんてなセリフが出てきて耳が痛いことこの上ない。
まづは自分の意見から自由にならないと、だな。
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