関節は裏切るし
筋力トレーニングに取り組むことができない。
多分、代謝や体力の向上にはやつた方がいいことはわかつてゐる。
また、近頃「筋肉は裏切らない」といふ話もある。
でもできない。
だつて、止めたらおしまひでせう。
たとへばすごくがんばつて一年間つづけられたとする。
でもなにかあつて、さうだな、筋肉は裏切らなかつたけれど関節が裏切るなどして、つづけられなくなつてしまふかもしれない。
さうなつたらしばらくはできないだらう。
さうかうするうちに、一年間培った、いや、養つてきた筋肉は消へてなくなり、脂肪に入れ替はつてしまふ。
えうは、つづけられる気がしないのだ。
なにかあつたらそこでやる気が失せてしまふ。
なにかなくてもやる気が消へる気がする。
そもそもやる気がない。
なんで世の中、やる気がなくても生きていけるやうに、生きやすいやうにならないのだらうか。
やる気がない人間と筋力トレーニングとは、相性がよくない。
さういふことなのだと思ふ。
やめてしまつても、そこまで培つてきたものが残る、といふのならいいんだがなあ。
でもどうやらさういふものではないらしい。
無論、なにごとにしてもずつとつづけてきたことをやめてしまつたらそれ以降は次第に劣化していくものだとは思ふ。
ピアノの練習をやめれば以前弾けた曲は弾けなくなるだらうし、英語の勉強をやめればうまく喋れなくなつたり聞き取れなくなることが増えたりするのだらう。
でも、ピアノはともかく、英語はまつたくできなくなるといふことはないと思ふんだよね。
なにがしか残る。
筋力トレーニングはやめて劣化したらもうなにも残らない。
さうなのではあるまいか。
YouTubeだつたらうか、一週間くらゐトレーニングをやめても再開すればまた元に戻りますよ、といふやうな話を見たことがある。
でもそれは、ずーつと長いこと真剣に筋力トレーニングに取り組んできた人の話のやうに思へる。
三ヶ月くらゐでやめてしまつたらそれまでの三ヶ月が無になつてしまふのぢやあるまいか。
努力は実を結ばぬものといふ。
実を結ぶとしたら、それはたまたま幸運だつたといふことだ。
でも最初から実を結ばぬとわかつてゐるものごとをはじめる気にはなれない。
云ひわけだけはいつも立派なのだつた。
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