初心者の陥りがちな罠
アフガン編みにだいぶ慣れてきた。
針の動かし方がスムースになつてきたし、行きも戻りも以前より早く編めるやうになつてきた気がする。
ところが、指が痛い。
とくに右手の人差し指が痛い。
どうも編むときに酷使してゐるやうなんだな。
つまり、編むときにまだ手にムリがかかつてゐる。
思つたほどに慣れてはゐないといふことだ。
これが世に云ふダニング=クルーガー効果なのかな。
初心者に毛が生えたくらゐの人間は、自分が思つてゐるほどできるやうになつてゐない、といふ説。
これつて、「だからもつと謙虚になりませう」つていふ感じの話につながつていくことが多いやうに思ふ。
初心者に毛が生えたくらゐでなくても、たとへば「ファスナーの仕組みを説明してください」といふと、きちんと説明できる人はほとんどゐないし、最低限のことさへ理解してゐない人が多いといふ話もある。
つまり、我々はなんでも知つてゐるつもりでゐてなにも知らない。
最近、マイケル・サンデルの『実力も運のうち』やアダム・グラントの『Think Again』を読んでゐて「humility」といふことばがたくさん出てくる。
その影響もあるのだらうかそれとも単に自分が意識してしまふからなのか、Webサイトで出会ふ記事にも「humility」といふ単語をよく見かける気がしてゐる。
humility=謙虚とは思はないが、と、先日も書いたが、おそらく自信の持ち方が間違つてゐるといはうか、よりよい自信の持ち方といふものがあるのだらう。
でも、ダニング=クルーガー効果については、「そりやさうだよな」と思ふ点がないこともない。
まつたくできないところからはじめて、ちよつとできるやうになつたときに「自分はできる!」と思ふことで、さらに(或は自分の認識に追ひつくくらゐに)実力をつける機会を得ることができるんぢやないだらうか。
たとへばアイススケートをはじめたとする。
最初はスケート靴を履くのにも四苦八苦し、そこからスケートリンクに歩いていくのもやつとで、氷に上に立つたと思つた次の瞬間には尻餅をついてゐる、なんてな状態かもしれない。
でもさうやつて転んでゐるうちに、なんとか自力で氷の上に立てるやうになつて、よろよろと滑ることができるやうになり、どうやら止まることもできるやうになる。
さうかうするうちに、「自分はとつても滑れるやうになつた!」と自覚するやうになる。
実際のところは云ふほど滑れないのだが、でも滑れると思つてゐるから滑る。
滑るから上達する。
さういふ仕組みなんぢやないのかなあ。
上達するうへで、ダニング=クルーガー効果は必要なんぢやあるまいか。
さうすると、あんまし下手に謙虚になつてゐてもダメなんぢやあるまいか。
自身の能力を冷静に判断することはとても必要かとは思ふ。
アイススケートも危険なところのあるスポーツだしね。
アイススケートに限らず、危険なものはいくらもある。
あみものだつて、手を痛めたりしたら日常生活が不自由になるから洒落にならない。
どうにかダニング=クルーガー効果に陥ることなく、自信をもつて初心者道(といはうか)を進んでいきたいのだが、むつかしさうだよなあ。
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