My Photo
October 2024
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

« April 2021 | Main | June 2021 »

Monday, 31 May 2021

Shrug? マーガレット?

アフガン編みのストールはまだ2/3をすぎたくらゐだ。
一時「進んだー」と思つてゐたけれど、ここのところまた進んでゐない。
やつぱりアフガン編みは時間がかかるな。
できたところで使へるかどうかもよくわからない。
前もちよつと書いたやうな気がするけれど、夏に使ふにはちよつと地が厚い気がするんだよね。
夏は蒸し蒸し暑いだらうからなあ。

一方で、空調のきいてゐるところは寒い。
ここ数年、どうも肘のあたりが冷えるのに弱い気がしてゐる。
肩と肘。それと首の付け根の下のあたり。
この三点が冷えるといけないやうだ。
ほかに首といふのもあるんだけれど、首回りはまあいろいろ巻くものがあるし、夏は手ぬぐひを巻いてもいい。

さう、shrug、ね。それが編みたい。
本邦ではマーガレットと呼ぶかな。袖だけのカーディガンみたやうな形のものだ。
うまくすればボレロつぽくもなるかもしれない。
おそらく、袖口から肘のあたりまでを筒型に編んで、あとは往復編みをすればそれらしいものができると思つてゐるんだが、ふさはしい糸がなくてねえ。
冬に使ふことを考へればあまつた糸をかきあつめればなんとかなりさうな気はするけれど、夏ものはねえ。
毛糸置き場をあさつたらなんか出てくるか知らん。
夏糸はあんまりもつてゐないんだよねえ。

などといふことは、とりあへずアフガン編みのストールを編み終へてから考へるかな。
今日近所の100円ショップに行つたら夏用の毛糸がたくさん並んでゐたので、ちよつと気になるんだよね。
Shrug、編んでみるかなあ。

Friday, 28 May 2021

自動筆記に憧れて

自動筆記といつてなにを思ひ浮かべるだらうか。
やつがれはアンドレ・ブルトンかな。シュールレアリスム宣言とか。
最近Twitterで「#意味不明短歌千本ノック」といふタグを見つけた。
夏野あゆね(HNatsu_natsu7)さんのこのつぶやきがきつかけだといふ。ありがたいことだ。
そんなわけで、ここのところ毎日何首か作つてゐる。
気分は自動筆記だ。

自動筆記といふと、心霊的なものを指すものもある。
コックリさんとかがさうらしい。
そのせゐか、Web検索をかけると「自動筆記 危険」などといふ検索語候補が出てくることがある。
「うーん、そりやダダとかシュールレアリスムとか、危険かもしれないけどー」と思つてゐたが、違つたやうだ。
確かに自動筆記をするとトランス状態のやうな状態になる気はするけれど、トランス状態になつたことがないからよくわからない。
自分の考へてゐることとはまつたく別のことが次から次へとペン先から出てくるんだよね。
一度キーボード入力もしてみたが、変換が気になるのでうまくいかなかつた。
最初に出た変換候補でどんどん書いていくといふ手もあるのかもしれない。それはそれでかなり意味不明になつておもしろさうだ。

でも気になるとできない。
たとへば、意味不明短歌もむつかしい。
短歌は定型詩である。
#と、云ひきつてしまつていいものか悩むが、まあいいか。
五七五七七の三十一文字で完結しなければならない。なぜといつて、五・七・五・七・七とか数へてゐると、思考が論理的な方向に振れて意味不明にならなくなりがちだからだ。
句またがりはありだし、とくに自動筆記で歌を作つてゐたらさうした方がいいのかもしれないと思はないでもない。
句またがりでも三十一文字は変へられない(字足らず・字余りはよしとしても)からおなじかな。

さう考へると、俳句なり短歌なりといつたものはかなり理性の勝つた状態でないとできないものなのかもしれない。
五言絶句とか七言律詩とかもさうかな。
作り慣れれば数や平仄など気にせずに作れるものなのかもしれないが。

仕方がないので、意味不明短歌千本ノックをするときはデュシャンの作品などを脳裡に思ひ浮かべながら作つてゐる。
「レディ・メイド」といふのもなんだか意味不明短歌にふさはしい気がするし。

Thursday, 27 May 2021

Kindleの悩み

Kindleを愛用してゐるのだが。
「だが」と書いてしまふのには理由があつて、どうも日本語を表示したときのページ移動の動作がもつさりして感じられるからだ。
もしかしたら縦書きなのがいけないのだらうか、とも思ふが、縦書きのものは縦書きとして読みたいので横書きで読むつもりはない。
もともと横書きの日本語の本を買へばいいのかもしれないが、ページ移動のためだけにさうした本を求めるのも何かちがふ気がする。
あとハイライトもつけにくいんだよね、日本語だと。なんといふか、ちやうどいいところからはじまつてくれないし、ちやうどいいところで終はつてくれない。
それで読まなくなつてしまつたりもする。

とは云ひながら、以前よりはだいぶマシになつたとは思ふ。
初代Kindleのときはもつともつともつさりしてゐた。
あのころに比べればものすごくよくなつてゐる気がする。
でも、この後、さらによくなつたりするだらうか。
少なくとも英語とおなじくらゐの快適さを得ることができるだらうか。
そこはあまり期待できない気がしてゐる。

かういふときは国産メーカなんだらうけどねえ。
でも「これ!」といふものがない気がする。
スマートフォン用のアプリケーションにならあるのかなあ。

そんなわけであひかはらず紙の本も買つてしまふ。
もう置く場所ないんだがなあ、と、十年一日おなじことを云つてゐるが、ほんたうに場所がない。
さう云ひつつ本を買ふ。
どこまでほんたうなのやら。

Wednesday, 26 May 2021

訛りがわからない

『ドクター・フー』のシーズン11を見てゐる。やつと13thドクターにたどりついたといふ寸法だ。
13thドクターは my first Doctor だ。といふ話は以前も書いた。
ロンドン往復の機内で見たのが13thドクターのおそらく2019年の新年スペシャルだつた。
そんなわけで(?)ダーレクの印象が強い。
「Exterminate!」とか、あの独特の云ひ方込みでその場で覚えちやつたもんね。
#あたりまへだ。

『ドクター・フー』では訛りに関するセリフがいくつもあつて、たとへば9thドクターは北部訛りだといふ。
「宇宙にも北部があるんだよ」といふが、見てゐるときはよくわからなかつた。
ローズはロンドン訛りださうだし、10thドクターはディヴィッド・テナント自身はスコットランド出身であるものの、スコットランド訛りを話すのはおそらくシーズン2エピソード2だけ……なのぢやなからうか。
スコットランド訛りといへばエイミーもさうだし、11thドクターもさう。
さう云はれても実のところはよくわからなかつた。
スコットランド訛りとディヴィッド・テナントといふと、キャシー・テイトと一緒に出てゐるコミックリリーフのスケッチでスコットランド出身の英文学教師を演じてゐるのを見た時は「これか」と思つたけれど、よほど強烈に演じてゐるのだらう。

『トーチウッド』はグウェンなんかは強烈な感じがして、「これがウェルシュ訛りなのかなあ」と思つたけれどまだ二話しか見てゐない。

さういや中学生のころの友人がザ・ビートルズにはリヴァプール訛りがあるといつてゐたけどよくわかんなかつたし、アバの歌を聞いてもあんましスウェーデン訛りとかわかんかなつたなあ。
つまり、耳が悪い。

わかんないなあと思つてゐたのだけれど、『ドクター・フー』のシーズン11はわかる!
と思ふ。
ドクターもグレアムもヤズもライアンも、「bus」を「ブス」、「nudge」を「ヌッジ」に近い音で発音する。
これはもしかしたらシェフィールド訛り?
と思つたら、ドクター役のジョディ・ウィティカーはヨークシャー訛りで有名なのださうな。
でもドクター役ではかなり訛りを抑へてゐるといふ話。
さうなのか。抑へてもわかるくらゐなのか。

先日は過去の世界のランカシャーに行つて、「おなじ北部訛りだ」みたやうな話があつた。
ランカシャーは9thドクターもそのあたりかな。
いま9thドクターを見たらわかるか知らん。

といふわけで、Huluで見られるのは新年スペシャルとシーズン12のみとなつた今、これが終はつたらどこから見直すか考へるのが楽しみである。

Tuesday, 25 May 2021

あまつたレース糸の使ひ道

少し前にかぎ針編みのドイリーを編んだときにあまつたレース糸がおそらく25gくらゐはあるはずなので、タティングレースにしたい気がしてゐる。

糸はオリムパス金票40番の生成り色で、それなりに大きいものができさうな気はする。
それなりに大きいが中途半端といふこともありうる。

生成りのレースにはどこか古風な印象があつて好きだ。
古風といふか、昔から使つてきたもの、といふ印象だらうか。
使つてはきたが、汚くなつたわけではない。いふなれば熟成したとかそんな感じだらうか。
革製品なども使ひこむと革の色味が変はつたりしていい色合ひになつたりする。
あんな感じ。

そんなわけで、なにか作りたいなーと思ひつつ、なにも思ひつかずに日々過ごしていく。
こんなときはPinterest、と思はないでもないが、Pinterestは見はじめるとあつといふ間に時間がたつてしまふ。
気がつくと全然関係ないものを見てゐたりね。

ここはなにか新しいものを作るよりはすでに作つたことのあるものを再履修してみるのがいいのかもしれない。
Mary Koniorの作品とかね。

Monday, 24 May 2021

プラトーとスランプ

せつせとアフガン編みのストールを編んでゐる。

前回は「ダニング=クルーガー効果」について書いた。
現在は早速プラトーにさしかかつてゐる。

プラトーとはなにか。
plateauとは高原を意味する英単語だ。
ちよつと高いところにあるけれど、平たい。
つまり、多少は進歩したけれどゆきづまつてしまつた。
さういふ状況のことをさす。
一般にスランプと呼ばれる状態に近いが、スランプの場合は落ちる余地があつたわけだ。
すなはち、ある程度の水準に達してゐないとスランプを感じることはできない。
そこでプラトーである。
といふ説明を以前何かで読んだのだが、忘れてしまつた。
そこで主張されてゐたのは、「スランプなどとはおこがましい。大抵の人のそれはプラトーだ」といふことだつた。

だが、その後「プラトー」といふことばを聞く機会がない。
スランプはよく聞く。
Dr.スランプはゐるがDr.プラトーはゐないからだらうか。
#多分ゐないと思ふ。

日曜日あたりは編んでゐても全然楽しくなかつたしね。
たまにあるんだ。
編んでゐても結んでゐても読んでゐても全然楽しくない。
まつたく進まない。
本に至つてはなにが書いてあるのかわからない。
これもまたプラトーなのかもしれない。

落ちる余地がほしい。
それにはある程度の高みに達する必要がある。
でも多分、そんなところにはたどりつけないんだなあ。

いまはちよつとは楽しく編めてゐる。

Friday, 21 May 2021

裏表在宅勤務

在宅勤務にすつかり慣れてしまひ、もう今後一生これでいきたいくらゐだ。
とにかく、通勤時間といふのは無駄すぎる。
「さうはいつても通勤時間がいい運動になるでせう」と云はれたりもするが、とんでもない。
いや、運動にはなつてゐるのだらう。
だが、食事の時間が不規則になつたり通勤電車その他でストレスがたまつたりするからだらう、出勤してゐたときの方が体重が増えてどうしやうもなかつた。
在宅勤務になると、自然と規則正しい時間にほぼ自分の作つたものを食べるやうになるせゐか、自然と増えた体重も減つた。
運動不足になつてゐることは確かなので、これはなんとかしたいが、いづれにしても、出勤してゐるときの方が不健康だつたことは間違ひない。
なにしろ歩いてゐて突然胸が苦しくなつてそれ以上歩けなくなつたりしたしな。

そんな「Viva, 在宅勤務!」生活にも、「これはちよつとなー」と思ふ部分はないわけではない。
本屋や文房具屋に行けないといふのがまづひとつ。
徒歩圏内に本屋も文具屋もない。
文具は、まあ100円ショップで入手できないこともないが、書籍や雑誌はどうにもならない。
月刊誌を買つてゐるのでこれがなかなか痛い。
去年の四月はAmazonはじめ通信販売をしてゐる書店を軒並みあたつてみたがどうしても買へない雑誌があつた。
みんな、考へてゐることはおなじだからだらう。
幸ひといふか不幸にしてといふか五月から出勤するやうになつたので、かたつぱしから通勤経路上にある書店を回つてなんとか一冊見つけ出したのはよい思ひ出……といつてよいのかわるいのか。
あまりいい思ひ出ぢやあないね。

その後はhontoその他で手に入れることができてゐるので、まあいいんだけど、でもやつぱりリアル書店やリアル文具店に行つて実物を手に取りたいといふのはあるんだよね。

また、銀行に行けないといふのもある。
ネットバンキングがあるぢやないかといふ向きもあらうが、ネットバンキングつてあれ、人間が作つてゐるんですよ。
といふことは必ずなにかしら間違ひがある。
もしかしたらやつがれのやうな人間が作つてゐるかもしれない。
そんなもの、信用できるわけがない。
また、ネットバンキングが使へたとしても現金は手に入らない。
世の中、どうしても現金でないと支払へないといふものがある。
銀行なら徒歩圏内にいくつかあるが、残念ながらメインバンクはない。
そしてメインバンクのATMは土日に使ふと手数料がつく。
どうしたらいいのかー、と時々途方にくれるが、近所の銀行でなんとかしてゐる。
さうするしかないし。

最後のひとつは、仕事帰りに芝居や映画に行けないといふこと。
行けないことはないが、通勤してゐるときのやうに気軽には行けない。
かなり早上がりしないと間に合はないし。
それに在宅勤務をしてゐるのに芝居見物に行くといふのはどうだらう、といふ話もある。
そこで感染してしまつたらお話しにならない。
云ひ訳もたたない。
世間が認めてくれないでせう。
世間なんて気にしなければいいのかもしれないが……そこは浮世といふもので。

そんなわけで、なにごともいいこともあれば悪いこともあるといふ、それだけのことだらう。
そして、そんな悪い面があつても、それでもなほ在宅勤務は素晴らしい。
今後もずつとかうだといいんだがなあ。

Thursday, 20 May 2021

十一年目の万年筆

中屋万年筆の十角軸ピッコロに細軟のペン先をつけたものを使用してゐる。
確認したらどうも十年は使つてゐるらしい。ほんたうに? ちよつと疑問だ。
しかしさう思へばなんとなく字幅が太くなつてゐる気がする。国産の細字とは思へない太さだ。
とくに書きづらいといふこともなく、筆圧をかけて書くこともさうないと思ふのだがなあ。
ためしにおなじ中屋万年筆の中軟とくらべてみると中軟の方が太いので、気のせゐもしくはほかの細字に比べて太いといふだけのことなのかもしれない。
とはいへ、使ひはじめて二年ほどたつたときに中屋万年筆のイヴェントで見てもらつたら「ずいぶん使つてゐますね」と云はれたので、もしかしたら使ひすぎなのかも? もうペン先がすりへつて、イリジウムがなくなつて、ダメになつてしまつたのだらうか……などと不安でならない。

思へば、万年筆とのはじめての出会ひは母のお古だつた。
母が昔使つてゐたといふ万年筆を二、三本くれたのだが、母が云ふにはいづれもペン先がつぶれてゐるとのことだつた。
カートリッジといふものやコンヴァータといふものを知らなかつたので、家にたまたまパイロットの瓶のインキがあつたのをいいことにつけペンのやうにしてて使つてゐた。
当時はよくわからないから、つぶれてゐると云はれればなるほどつぶれてゐるのだらうと思つて使つてゐた。

その後、万年筆のペン先といふのはつぶれるものなのかどうか疑問に思つてゐたが、どうやら使ひ過ぎるとペン先のイリジウムが摩耗してしまふのだといふことを聞いた。
それがペン先のつぶれた状態なのだらうと思ひこんで今に至る。

だが待てよ。
母がイリジウムの摩耗するほど字を書いてゐたとは思へない。
もしかすると若い頃は職場でそんな書き仕事をすることがあつたのだらうか。
いやー、どうかなあ。
そんなに長いこと働いてはゐないはずだし。
自宅でもなにか書いてゐる姿など見かけたことはない。
家事と子育てでいそがしかつたから?
それはあるかもしれない。
でもなあ。そんな、何本も使ひつぶすほど書いてゐた時期があつたのだらうか。
ないと思ふんだけどなあ。

イリジウムの摩耗はともかく、そんなわけでペンを見てもらひたいのだがこのご時世である。
なかなかさういふ機会もない。
それに、いま中屋のイヴェントなんぞに行つたら黄昏塗りや黄昏透かしが気になつて気になつて仕方がない。
三月に日本橋丸善で見たんだよね、黄昏染めと黄昏透かし。
どちらも赤がきれいに見えたが、透かしの方は闇にぼんやり浮かび上がるやうな緑もいいなと思つたものだ。
いまだつたら経済に貢献するといふ云ひ訳もできる。
とはいへこれ以上ペンを増やしたところで書く時間が増えるわけでなし……

などと悩んでゐる時が一番楽しい。

Wednesday, 19 May 2021

ポメラ或は筆記用具

あひかはらずポメラを使つてゐる。
DM100にeneloopを入れてゐる。
DM200は電池内蔵なのらしい。
それもいいけど、なんとなく電池は入替へできた方が長持ちする気がするんだよね。
内蔵電池がヘタれて使へなくなるといふことがないから。

そんなわけで、もし次を買ふことになつてもDM100がいいなあと思ふのだが、世の中さううまくいかないやうな気もする。

友人の子はiPadにキーボードをつけて使つてゐるといふ。
それもいいなと思ふのだが、なにしろお高い。
ちよつと手が出ない。
給付金でも出るか消費税でも下がれば考へないこともないが、どうやらさういふことはないらしい。
をかしいなあ。

最近は口述筆記もありかもしれない。
スマートフォンに話しかけてそれを文字に起こしてもらふのだ。
確かに悪くはないけれど、精度を上げるには喋り方を工夫する必要があるし、なにしろかういふ仮名遣ひにはむかない。
さうすると、やつぱりポメラなのかなあ、といふ気がする。
薄いし軽いし持ち運びやすく打ちやすい。
云ふことないぢやん。

しかし、もう久しくポメラを持ち出してゐない。
いまも家で打つてゐる。
MacBookを立ち上げればそちらで打つのだが、そしてMacBookにはHappyHackin'Keyboardをつなげてゐるのでとても快適なのだが、でもいつもいつもMacBookが立ち上がつてゐるわけでもない。

ポメラはある程度まとまつた長さの文を打つのにも向いてゐるし、メモ帳代はりにもなる。
でもDM200ぢやないんだよなあ。

この後、DM300とか発売されて、また乾電池(または充電電池)入れ替へ式になつたりしないか知らん。
しないかな。
いま、かういふマシンの需要つてあんまりなささうだもんな。
書く人はなにを使つてでも書く。
スマートフォンで書いてゐる人も多からう。
書くには専用マシンがあつた方がいいんだけどね。
あつたからどうといふわけでもない身でかういふことを云ふのもなんだけれども。

とりあへず、このポメラは大事に使つていきたい。
そのうち持ち歩ける日もやつてくるだらうしね。

Tuesday, 18 May 2021

タティングシャトルに糸を巻く

タティングシャトルにたくさん糸が巻いてあると、なんとなくほつとする。
見た目に安定した感じがするし、なによりこれから即作ることができるといふ安心感もある。

タティングシャトルに糸を巻くのが苦手でね。
補助器具も二つほど持つてゐて、どちらもすぐれてゐるのだが、問題は糸をほどくのには向いてゐないといふことだ。
タティングシャトルに巻いた糸があまつたら、使ひ切るかほどくかの二択になる。
うまいこと使ひ切れればいいが、さうもいかないときはほどく。
これがなかなか手間だ。
残つた糸はできれば再利用したいからできるだけきれいにほどきたい。
でもめんどくさい。

さう、結局は「めんどくさい」の一言につきる。
シャトルに糸を巻くのもめんどくさければ、ほどくのはもつとめんどくさい。
それでボビン式のシャトルを愛用してゐるといふこともある。
ボビンはうまくすればミシンのボビン巻き機能を使ふこともできるし、わざわざミシンにおいでいただかなくても手で巻くのもかんたんだ。
ほどく方もさうで、糸がからまることを怖れなければ一気にほどくこともできるし、そもそもボビンなのだから巻いた糸はそのままにして、別のボビンを使ふこともできる。

かくしてボビンが増えていくのだが、シャトルも増えてゐるのはどうしたことだらうか。

つまるところ、タティングシャトルが好きなんだな。
あの形、あの大きさ、手のひらにおさまる感じ。
とくに糸が十分に巻いてあるシャトルのかすかな重みがいとほしい。
一番困るのは半端な量の糸が巻いてあるシャトルだ。
いまも目の前に二つほどさうしたシャトルがある。
この糸を使つてなにか作れればいいのだが、さういふ才能才覚はない。
ほどくしかないか。

Monday, 17 May 2021

初心者の陥りがちな罠

アフガン編みにだいぶ慣れてきた。
針の動かし方がスムースになつてきたし、行きも戻りも以前より早く編めるやうになつてきた気がする。

ところが、指が痛い。
とくに右手の人差し指が痛い。
どうも編むときに酷使してゐるやうなんだな。
つまり、編むときにまだ手にムリがかかつてゐる。
思つたほどに慣れてはゐないといふことだ。

これが世に云ふダニング=クルーガー効果なのかな。
初心者に毛が生えたくらゐの人間は、自分が思つてゐるほどできるやうになつてゐない、といふ説。

これつて、「だからもつと謙虚になりませう」つていふ感じの話につながつていくことが多いやうに思ふ。
初心者に毛が生えたくらゐでなくても、たとへば「ファスナーの仕組みを説明してください」といふと、きちんと説明できる人はほとんどゐないし、最低限のことさへ理解してゐない人が多いといふ話もある。
つまり、我々はなんでも知つてゐるつもりでゐてなにも知らない。
最近、マイケル・サンデルの『実力も運のうち』やアダム・グラントの『Think Again』を読んでゐて「humility」といふことばがたくさん出てくる。
その影響もあるのだらうかそれとも単に自分が意識してしまふからなのか、Webサイトで出会ふ記事にも「humility」といふ単語をよく見かける気がしてゐる。

humility=謙虚とは思はないが、と、先日も書いたが、おそらく自信の持ち方が間違つてゐるといはうか、よりよい自信の持ち方といふものがあるのだらう。

でも、ダニング=クルーガー効果については、「そりやさうだよな」と思ふ点がないこともない。
まつたくできないところからはじめて、ちよつとできるやうになつたときに「自分はできる!」と思ふことで、さらに(或は自分の認識に追ひつくくらゐに)実力をつける機会を得ることができるんぢやないだらうか。

たとへばアイススケートをはじめたとする。
最初はスケート靴を履くのにも四苦八苦し、そこからスケートリンクに歩いていくのもやつとで、氷に上に立つたと思つた次の瞬間には尻餅をついてゐる、なんてな状態かもしれない。
でもさうやつて転んでゐるうちに、なんとか自力で氷の上に立てるやうになつて、よろよろと滑ることができるやうになり、どうやら止まることもできるやうになる。
さうかうするうちに、「自分はとつても滑れるやうになつた!」と自覚するやうになる。
実際のところは云ふほど滑れないのだが、でも滑れると思つてゐるから滑る。
滑るから上達する。
さういふ仕組みなんぢやないのかなあ。
上達するうへで、ダニング=クルーガー効果は必要なんぢやあるまいか。

さうすると、あんまし下手に謙虚になつてゐてもダメなんぢやあるまいか。
自身の能力を冷静に判断することはとても必要かとは思ふ。
アイススケートも危険なところのあるスポーツだしね。
アイススケートに限らず、危険なものはいくらもある。
あみものだつて、手を痛めたりしたら日常生活が不自由になるから洒落にならない。

どうにかダニング=クルーガー効果に陥ることなく、自信をもつて初心者道(といはうか)を進んでいきたいのだが、むつかしさうだよなあ。

Friday, 14 May 2021

休日に休息するには

休日は、平日にしないことをした方が休息できるといふ。
休日にPCで動画を見ても、平日はPCを使つて仕事をしてゐたりするとやつてゐることはたいして変はらない。
ゆゑに休んだことにならない。

ほんたうなのだらうか。
たとへば、休日は平日に見るのがむつかしい長い映画を見てみたいと思ふ。
あるいは平日にはちよつと読めないやうな手応へのある本を読むとか、それともひたすら集中して長いこと本を読みたいとか。

でも、映画を見るやうな画面、TVであるとかPCのモニタであるとかは平日もずつと眺めてゐる。
本だつて平日も読まないこともない。
といふことは、そんなことをしても安らいだ気分にはならないといふことだ。

さういへば、かつて「行つてみたいけれど行つたことのないところに行く」といふのを休みの日にやつてみたことがある。
もちろん近場だけれど、これはなかなかよかつた気がする。
ところが当方体力がないためさうあちこちに出かけてゐられないといふ難点がある。
疲れちやふんだよね、どこかで。
それで一日寝て過ごすやうになつてしまふ。
そのときちよつとだけきくけれど、長い目で見ると無理がある。

また、外に出て歩くといふのもいいといふ。
気分転換にもなるし、気持ちも上向くと。
そんなわけで予定のない休日は近所の公園の周囲を歩いてゐたこともある。
一周がだいたい1.5kmで、緑の多い公園だ。
冬から春にかけての時期で、地リスがゐるのを見かけたこともある。
最初は一周くらゐしかできなかつたが、最終的には四周してゐた。
しかし、気分転換にはならなかつた。
長いこと歩けるやうになつたし、展覧会に行くのも楽にはなつたけれど、気持ちが上向くことはなかつた。
日曜日の夕方にはきまつて出勤したくない病に陥つてゐたし、安らいだ気分にはならなかつた。

そんな場合、どうすればいいんだらうね。
自宅にこもりつぱなしといふのはこのご時世でもあまりよくないことだとは思ふ。
人のあまりゐない時間帯に歩きに行くくらゐのことはした方がいい。
さう思つて、去年のいまごろは歩いてゐた。
でも、最近はマスクをしてゐても感染するといふし。
とくに歩いたり走つたりしてゐる人はマスクをしてゐなかつたりするし。

と、しない云ひ訳はいくらでも出てくる。
いつものとほりだ。

さうしたら、どうしたら休みの日に十分休んだ気持ちになるのだらう。
なにかほかにいい方法はないものかなあ。

Thursday, 13 May 2021

増えるボールペン

最近、よくボールペンを買つてしまふ。
きつかけは三菱鉛筆の uni-ball one だ。
もともと、三菱鉛筆では uni STYLEFIT を使つてゐた。
にぢまないし裏抜けしないからだ。
uni-ball oneもさういふ触れ込みで、しかも濃く書けるといふ話だつた。
色の濃さにはあまり興味はなかつたけれど、書きやすさうだつたことと、クリップのデザインがよささうなこと、そして見た目がすつきりしてゐることから購入してみた。
色はロイヤルブルーとバイオレットとエメラルドで、いづれも0.38mmにした。
紙によつてはちよつと抵抗が少な過ぎる気がしたけれど、案外書きやすく、気にいつた。

STYLEFITには一つだけちよつと不満な点がある。
色の種類が好みに合はないといふ点だ。
青系はいいのだが、もう少し赤に近いチェリーピンクのやうな桃色がほしいし、緑ももうちよつと暗いサップグリーンのやうな色がほしい。
そしてそれはuni-ball oneも同様だつた。
「赤!」とか「青!」とか「緑!」といふ色にはあまり惹かれない。
さういふ色はもつと事務的な筆記用具にあればいい。
個人的に使用するにはもうちよつと微妙な色合ひのインキを使ひたい。

すると、季節限定ではあつたものの、ちよつといい色のuni-ball oneが発売された。
とくにフランボワーズとピスタチオグリーンが気に入つた。
かういふ微妙な色合ひがいいんですよー。
さう思つてゐる人は少なくないのではあるまいか。
万年筆のインキに人気があるのもさういふことなのだと思つてゐる。
ぺんてるプラマンの限定色もどれもよかつたし、さくらぺんてるの Ballsign iD の六色のブラックはどれもいい。これもフォレストブラック(グリーンブラック)とミステリアスブラック(パーブルブラック)を買つてしまつた。

uni-ball oneもBallsign iDもノック式といふところもいい。
書きたい時にさつとペン先を出して書け、終はつたらさつとペン先をしまふことができる。
ボールペンもこれ以上増やすまいと思つてゐるのだが、つひ買つてしまふのが難点だ。

Wednesday, 12 May 2021

関節は裏切るし

筋力トレーニングに取り組むことができない。
多分、代謝や体力の向上にはやつた方がいいことはわかつてゐる。
また、近頃「筋肉は裏切らない」といふ話もある。

でもできない。
だつて、止めたらおしまひでせう。

たとへばすごくがんばつて一年間つづけられたとする。
でもなにかあつて、さうだな、筋肉は裏切らなかつたけれど関節が裏切るなどして、つづけられなくなつてしまふかもしれない。
さうなつたらしばらくはできないだらう。
さうかうするうちに、一年間培った、いや、養つてきた筋肉は消へてなくなり、脂肪に入れ替はつてしまふ。

えうは、つづけられる気がしないのだ。
なにかあつたらそこでやる気が失せてしまふ。
なにかなくてもやる気が消へる気がする。
そもそもやる気がない。
なんで世の中、やる気がなくても生きていけるやうに、生きやすいやうにならないのだらうか。
やる気がない人間と筋力トレーニングとは、相性がよくない。
さういふことなのだと思ふ。

やめてしまつても、そこまで培つてきたものが残る、といふのならいいんだがなあ。
でもどうやらさういふものではないらしい。
無論、なにごとにしてもずつとつづけてきたことをやめてしまつたらそれ以降は次第に劣化していくものだとは思ふ。
ピアノの練習をやめれば以前弾けた曲は弾けなくなるだらうし、英語の勉強をやめればうまく喋れなくなつたり聞き取れなくなることが増えたりするのだらう。

でも、ピアノはともかく、英語はまつたくできなくなるといふことはないと思ふんだよね。
なにがしか残る。
筋力トレーニングはやめて劣化したらもうなにも残らない。
さうなのではあるまいか。

YouTubeだつたらうか、一週間くらゐトレーニングをやめても再開すればまた元に戻りますよ、といふやうな話を見たことがある。
でもそれは、ずーつと長いこと真剣に筋力トレーニングに取り組んできた人の話のやうに思へる。
三ヶ月くらゐでやめてしまつたらそれまでの三ヶ月が無になつてしまふのぢやあるまいか。

努力は実を結ばぬものといふ。
実を結ぶとしたら、それはたまたま幸運だつたといふことだ。
でも最初から実を結ばぬとわかつてゐるものごとをはじめる気にはなれない。

云ひわけだけはいつも立派なのだつた。

Tuesday, 11 May 2021

作りたいものしか作りたくない

少年の名はジルベール』を読んでゐて、「作家といふものは、自分の作りたいものについては作りたいだけでなく世に問ひたいと思ふものなのだらうか」と思つた。
作るのが楽しい、作るだけで楽しいぢやダメなのかな、とか。

さういや最近Twitterでも、「ほんたうに描きたいのはBL」「でも少女まんがでデウューしてしまつてなかなか方向転換できない」といふやうな悩みのつぶやきを見る機会があつた。
竹宮惠子の悩みもつぶやき主の悩みもおそらくおなじものだらう。
作りたいものが作れない。
作りたいものを発表できない。
それがつらい。

新井素子だつたらうか、いや、中島梓が書いてゐたのか、どちらだつたか忘れたが、新井素子も栗本薫も、仕事として書いてゐる小説を編集に渡してしまふと、自分のための物語を書く、といふやうな話をしてゐたことがある。
作家にはさうした人もゐるのだらう。
書きたいものはとにかく書く。

極端な例だとヘンリー・ダーガーだらうか。
何十年ものあひだ誰かに読ませるといふこともなくおそらくは自分のためだけにひとつの物語を延々と書き続ける。
どうしても作りたいものならさうなるのではないか。
さう思つてゐたのだが。

違ふのかもしれない。
比較するのもおこがましいが、あみものやタティングレースでは作りたくないものは作りたくない。
作りたいものだけ作りたい。
自分の場合は他人に見せたいとかさういふことはないが(それが生計の道といふわけでもないしね)、などと書きつつ「見て見て〜」とか見せびらかしたいといふ気持ちはあるのだが、いづれにしても、作りたくないものを作るのは苦痛だ。
絶対ムリ。
そもそも楽しくてやつてゐることだし。
楽しくないものを作るなんて、あり得ない。
さう思つてゐる。

さういふものなのかもしれないなあ。
職人はさうも云つてゐられないし、実際さう思はないやうな人が職人になるのかもしれないけれど。

などと書きながら、「そんなの、全然違ふにきまつてるぢやん」といふこともありうるのだが。

Monday, 10 May 2021

お教室に通ふ?

ワンダーアフガン』に掲載されてゐるジグザグ模様のストールは、三分の一くらゐまで来た。
なかなか進まないのは、特に戻りを編むときに行きでかけ目になつてゐるところを引き抜くのがむつかしいからだ。
つひ、隣の目と一緒に引き抜きさうになる。
それで気をつけながら編んでゐるとどうしても時間がかかるといふ寸法だ。

Web検索をかけたところ、アフガン編みは棒針編みより早く編めるといふ検索結果をいくつか見かけた。
ええ、さうかな。棒針編みの方が早いけどな。少なくとも平たく編むときのガーター編みの方が断然早い。
まづ一玉を編み終はる速さが違ふ。

さういや今はなき恵比寿のローワンで出会つた人も云つてたな。
「アフガン編み、早く編めますよ」つて。

この人とはたまたまおなじ時にお店にゐたといふだけなのだが、携帯電話(時代ですな)に自分で編んだ作品の写真をたくさん撮りためてゐて、いくつも見せてくれたのだつた。
中にアフガン編みの作品もいくつかあつた。
それでそんな話になつたのである。
お教室に通つてゐるといふことで、やつがれにも「ちやんとお教室で習つた方がいいですよ」と勧めてくれた。
そんなことを時折思ひだす。
お教室で習つたら、アフガン編みももつと早く編めるやうになるか知らん。

ところでアフガン編みのストールはハマナカのウォッシャブルコットンクロシェットといふ中細の糸で編んでゐる。
かぎ針の3/0号を使ふ糸をアフガン針の8号で編んでゐるのでそれなりにレースつぽい効果は出てゐるのだが、アフガン編みのせゐかなんとなく編み地が分厚い感じがする。
真夏にはちよつと使へないかもなあと思ひつつ、なんとなくコットンの気持ち良さを感じたりもするので、やはり早く編み上げて使つてみたい気がするのだつた。

Friday, 07 May 2021

いまさら2.5次元考

いまさらながら2.5次元について考へてゐる。
管見ながら、「2.5次元」といふのは、まんがやアニメといつた二次元の原作を実在の俳優の演じる作品にしたもののことだと理解してゐる。
原作は小説の場合もあるだらうが、見たところまんがやアニメにあるやうな挿し絵のついてゐるものが多いのではないかといふ印象がある。
作品にはミュージカルが多い気がするが、さうでないものもある。

ずつとさういふものだと思つてゐて、とくにミュージカルはMGMが好きでそこからupdateできない自分には縁のないものだとずつと思つてゐた。
2015年にとある講義を聞くまでは。

2015年、渋谷ヒカリエで明治大学教授(当時)・加藤徹による「芝居の中の三国志」といふ講義があつた。
渋谷ヒカリエには川本喜八郎人形ギャラリーがあつて、渋谷区の持つてゐる三国志や平家物語の人形が展示されてゐる。
さういふ縁でこの講義も開催された。

そのときの講義によると、芝居といふものはみな2.5次元なのだ、といふことだつた。
実際にそこにある、でも実はない。
「真田十勇士」の舞台を見に行くと、そこに猿飛佐助は存在する。
でもそれはその舞台の上だけの存在で、実際には猿飛佐助は存在しない。
三次元にゐるのにゐない、さうしたものが2.5次元なのである、といふ話だつた。

当時、この話がとても腑に落ちた。
といふのも、多分自分はずつとさうした「2.5次元」が好きだつたからだ。

たとへば、自分はいはゆる「中の人」にとてもうるさいが、しかし「中の人」には興味がない。
最近でいふと、「ドクター・フー」の十一代目ドクターが好きだが、そのドクターを演じてゐるマット・スミスにはあまり興味がない。
トークショーなどに出てゐる姿を見てもピンとこないし、若き日のエジンバラ公を演じてゐる「ザ・クラウン」を見てもとくになんとも思はなかつた。

たまたま見た場面ではエジンバラ公の登場はほんのわづかであつたし、また、つひ最近まで実在した人物を演じたものだからかもしれないな、とも思はないでもない。
でもおそらく自分は俳優としてのマット・スミスが好きなわけではない。
十一代目ドクターを演じてゐるマット・スミス、いやさ、マット・スミスの演じる十一代目ドクターが好きなだけなのだ。

そんなわけで、いままで好きな俳優といふのがゐた試しがない。
いや、成田三樹夫とか岸田森とか好きだけれども、「これこれかういふ役を演じるから好き」なんだと思ふ。
そこからはづれた役はもしかしたら好きぢやないかもしれない。
それに、個人的な情報とかもとくに知りたいとは思はない。
好きな食べ物とか趣味とか、そんなことどーでもいいぢやん。
だつて自分が好きなのは画面の向かうにゐる、俳優自身ではない役を演じてゐるときのその人なんだからさ。

逆に考へてみると、好きな芝居といふものも存在しない。
『菅原伝授手習鑑』の「寺子屋」はとても好きな芝居だが、松王丸や千代、源蔵や戸浪が自分好みの配役でないとちよつと好きとは云ひきれない。
『源平布引滝』の「実盛物語」とか好きだけれども、実盛を演じる役者があの人かこの人だつたら好きだけどさうでなかつたらさうでもない。
さういふ感じ。
とつても2.5次元ぢやん。

などと云つても、本来の意味での「2.5次元」が好きな人々には通じないとは思ふんだけどさ。

Thursday, 06 May 2021

綴じ手帳の悩み

五月からRollbahn 2021 Tagebuch+Notizbuchを使つてゐる。
ほんたうは一月から使ふつもりでゐたので、表紙は牛の絵だ。
まあ、今年一杯は丑年なのでかまふまい。
一月から四月までほぼ日手帳weeks MEGAを使つてゐた。
縦はほぼ日手帳weeksの方が若干長いけれど、横は圧倒的に短い。
このサイズの中にすべてが入つてゐる。さう思つたときの安心感よ。
このままほぼ日手帳weeks MEGAでいかうかな、と思つたけれど、ちよつと問題があつた。
方眼が小さすぎるのだ。
話によると3.3mm四方だつたと思ふ。
それを一行として文字を書いていくと、どうしても小さくなる。
使へるペンも極細に限られる。
二行を一行にすれば6.6mmになつてちやうどいいやうに思ふのだが、さうすると量が書けないんだよね。
量が書けないと横幅が短いといふのはちよつとつらい。
それに、見やすい字を書くために無駄な努力をすることになる。
おかげさまで以前よりは丁寧に字を書くやうになつた気はするが、見やすくなつたかといふと……うーん……

そんなわけで久しぶりに5mm方眼のロルバーンに戻つてくると、これがやつぱり書きやすいんだな。
ほぼ日手帳のトモエリバーだとどうしてもインキが乾くのを待たなければならないが、ロルバーンだとそんなに待たなくてもいい。
中字は細めのものしか使へないが、細字のペンといふ選択肢が増える。
あと、やつぱり書いた字が見やすい。

ロルバーンは自分で各ページにノンブルをふる必要があつて、これがなかなか手間だ。
また、Bullet Journal用にいろいろとページを用意する必要もある。
でもまあ、それも楽しいといへばさう、かな。

一応、ほぼ日手帳weeks MEGAももう一冊買つてはあるんだけど、どうしたものかなあ。
いつもの調子だとRollbahnは三ヶ月くらゐで使ひ切る。
その後ほぼ日手帳weeks MEGAだと今回のペースでいくと八月から十一月といふことになつて、残りは十二月のみだ。
さうしたら十二月から使へさうな手帳を使ふか、それとも一月からは新たな手帳を使ひたい気もするからなにか細工するか……
綴じ手帳の悩むところはここだよね。
切り替へ時期をどうするか。

システム手帳に戻るかなあと思ひつつ、またしばらく試行錯誤をつづけるやうだ。

Wednesday, 05 May 2021

小人閑居して不善をなすを見る

この連休はまつたく出かけてゐない……と書きかけて、近所のスーパーマーケットに買物には行つた。
ほんたうは金曜日に行くつもりだつた。
買物は週に一度と決めてゐる。
もちろん、感染予防のためだ。
ところが、ここ二回とも牛乳が売り切れてゐた。
牛乳のない状態が十日近く続いて、やつぱりちよつとほしいなといふことになつて、禁を破つて買物に行つたのだつた。

まあ、驚いたよ。
田舎の大したことないスーパーマーケットだよ。
近隣の住民が来るくらゐで、まあそれでも田舎だから駐車場はそこそこ大きいから安売りの日などは客も多かつたりするときもあるけれども、それにしたつて家族づれ・親子連れが多すぎる。
去年のいまごろは「買物には最低限の人数で行くやうに。できれば一人で」といはれてゐたやうに思ふ。
それでもご年配の夫婦連れ・幼い子をつれたお母さんとおぼしき人などはゐた。かういふ二人連れは仕方がないと思ふ。年をとればなにかと一人だとなにかと不自由なことや心配なことも多いし、まだ留守番のできないやうな幼い子はつれてくるしかない。
でも今年はさうぢやないんだよな。
明らかにレジャーに行く代はりに買物に来てゐるといつたやうすの父母とその子たちといつたやうすの人々が何組も来てゐた。

危機感つて、共有できないものなんだな。
出かけるなといつてゐるわけではない。
でもほかの人も来る、それもそれなりの人数が来るところにわざわざ家族総出で来る必要はないだらうと思ふのだ。
このご時世だもの。
そりや感染がおさまらないはずだよなあ。

とはいへ、こんな人の生命のかかつた一大事にまだ東京オリンピック・パラリンピックを開催するとか云つてゐる人々がゐるんだから、事態を重大なものと受け止めろといつたつて無理だよなあ、とも思ふ。
一週間後にはどうなつてゐることやら。

Tuesday, 04 May 2021

人気のあるレース糸は?

昨日も書いたとほり、アフガン編みに異様に時間がかかつてゐる。
そんなわけで、タティングレースにはちつとも手が出せずにゐる。
かぎ針編みのドイリーを編んであまつたレース糸でなにか作りたいとは思つてゐるんだけどねえ。

レース糸はオリムパスの金票40番だ。この糸ではひさしくタティングはしてゐない。
ここのところタティングで使ふ糸といつて、Lisbethの40番かDMCのコルドネスペシャルの40番だつた。
贅沢といへばそのとほりだ。
タティングをはじめたばかりのころはオリムパス金票40番ばかり使つてゐたものだがなあ。
最寄りの手芸店にあるレース糸がそれだけだつたからだけれども。
ユザワヤに行くとダルマ毛糸のレース糸があつたり、DMCのレース糸があつたりした。
たまにしか行かないからつひ買ひ込んでしまつたことも懐かしい。
あのころはDMCのコルドネスペシャルも40番にはいろんな色があつたんだよなあ。
ううう、つひ昔話になつてしまふ。

いまタティングをする人々の間ではどんなレース糸が人気があるのだらう。
オリムパスかダルマ毛糸のレース糸を使つてゐるのかなあ。
それともDMCやLisbeth、Anchorなどのレース糸を入手してゐるのだらうか。

個人的には、太すぎる気はするけれどダルマ毛糸の葵がとても結びやすいと思つてゐる。
Lisbethなら40番より20番。でも出来上がりのサイズを考へるとつひ40番を使つてしまふ。

一時DMCはレース糸を米国に輸出しないことにした、なんぞといふ話が流れてきたことがあつたけれど、どうなつたんだらう。
レース作りをする人は困るだらうに。
気に入つたレース糸はあるものの、やはり選択肢は多い方がいい。
普段はこの糸を使ふけれどこの作品には別の糸を使ひたい、とかあるだらうしさ。

ただ、どのメーカーのものにしてもレース糸の価格はちよつとびつくりするくらゐ高くなつてしまつてゐる。
やつぱり以前ほどは売れてゐないのかなあ。

Monday, 03 May 2021

進まぬアフガン編み

アフガン編みのストールを編んでゐる。
ワンダーアフガン』に掲載されてゐる、ハマナカのウォッシャブルコットンクロシェットを使つたストールだ。
ウォッシャブルコットンクロシェットのラベルには3/0号のかぎ針が適してゐると書いてあるが、アフガン針は8号を使つてゐる。
アフガン針は、自分の行ける範囲の店では一番細いのが6号だし、8号くらゐなのかな、とも思ふ。
以前、青山一丁目にあつた三ツ葉屋には短くて細いアフガン針がおいてあつた。3号を買つたかな。閉店前に買はうとしたが、もう売り切れてゐた。その前からあつかつてゐなかつたのかもしれない。

ところでアフガン編みは久しぶりだ。
最後に作つたのはアクリルたはしだ。百円ショップで3玉ほど買つてきて、編み切つた。
アフガン編みはアクリルたはしに向いてゐる。
編み地がでこぼこしてゐるのがいいといふ。
アクリルたはしを編んだのにはもうひとつわけがある。
アフガン編みをすると編み地が丸まるからだ。
丸まらないやうに練習したい。さう思つてアクリルたはしをいくつか作つて、でもやはり丸まるのだつた。
その時はそこであきらめてしまつた。

それ以前に、プレインアフガン編みのマフラーを編んだことがある。
この時も丸まりはしたが、無視して使つてゐた。
首に巻いてしまへば多少丸まつたところでどうといふこともないし。

ところが、今回編んでゐても編み地が丸まらない。
どういふことだらう。
編み地はプレインアフガン編みとメリヤス編みとがジグザグに並んだ模様だ。
この模様がいいのだらうか。
それとも糸のせゐ?
或はうまく編めるやうになつたのか? なにもしてゐないのに?

よくわからないけれど、とりあへず丸まらずに編めてゐるからいいか。
このあとまたアクリルたはしを編んでみて確かめやう。

などと書いてゐるが、アフガン編みは異様に時間がかかる。
103目1段を編むのに6分はかかつてゐる。戻りはもつとかかつてゐる気がする。
こんな調子で、4月27日に編み始めたのに、まだ40段とちよつとくらゐしか編めてゐない。
全体の6割くらゐだ。
ちやんとできあがるのかなあ。

Saturday, 01 May 2021

2021年4月の読書メーター

4月の読書メーター
読んだ本の数:3
読んだページ数:783
ナイス数:35

Think Again: The Power of Knowing What You Don't Know (English Edition)Think Again: The Power of Knowing What You Don't Know (English Edition)感想
序章に出てくる消防士の話に引き込まれ、そのまま読了。ここでいう再考とは、自分の中の知識や思い込みをどんどんupdatしようということ。簡単に云えばいつまでも「いい国作ろう鎌倉幕府」とか云ってないで「いい箱」にしなきゃって話。個人での再考・対人関係における再考・集団での再考についてそれぞれ書かれている。各章とも主要な実例とともに複数の実例が出てきてわかりやすい。いわゆる「ロジハラ」にならない方法なども出ているので興味のある向きには是非。
読了日:04月08日 著者:Adam Grant
お砂糖とスパイスと爆発的な何か—不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門お砂糖とスパイスと爆発的な何か—不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門感想
まえがきを読んだ時に今まで持っていたものの見方を変えられてしまうのかと思ってちょっと警戒してしまった。怖かったこともある。でも読み進めてみると至極真っ当なことが書いてあった。古典の見方とらえ方を変えてみるというのは芝居を見る人の視点かな。映画もそうか。小説だけでもできるけれど、個人の頭の中で終わりがちな気がする。作られた時点にはなかった見方でとらえてもね、という意見もあるかと思うが、作られた時点でのものの見方なんてもうわからないものだってたくさんあるしね。
読了日:04月16日 著者:北村紗衣
The Hitchhiker's Guide to the GalaxyThe Hitchhiker's Guide to the Galaxy感想
冒頭の主人公の自宅と地球との対比からよくできている。お役所仕事のようすとか、英国ってこんな感じなんだろうかと思ったり。ここのところ『ドクター・フー』を見ているので読み返してみた。落ち込みは相手を生かしも殺しもするんだな。
読了日:04月29日 著者:Douglas Adams

読書メーター

« April 2021 | Main | June 2021 »