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Wednesday, 14 April 2021

クリスマスと主語の大きさ

「主語が大きい」と人はいふ。

いま読んでゐる辞書には「オペレッタ」のところに「誰もが楽しめる」と書いてある。
そんなものはなかなか存在しないのではあるまいか。
それともオペレッタを見た人はみんな楽しめるのだらうか。

「主語が大きい」とか云ひ出す人がゐるから、そんなことも気になつてしまふ。
と、他人のせゐにするのは多分「主語が大きい」人の心理と同根であるやうに思はれる。

いま、クリスマスに関する本を読んでゐる。
どちらの著者もいまのクリスマスの様相に疑問を抱いてゐるのだと思ふ。
片方は、「いま米国や英国でのクリスマスのあり方はそんなに歴史が古いものではない。せいぜい19世紀のはじめ、それもほんとにはじめの方はいまのやうではなかつた」といふやうな本だ。
もう片方は、「クリスマスにプレゼントを贈るなんてムダ」といふ経済学から見たクリスマスについての本だ。

どちらもとてもおもしろい。
おそらく、やつがれもまたいまのクリスマスのあり方に疑問を抱いてゐるからだらう。
これでいいの? こんなんでいいの?
人は(主語デカいよ)、誰もが(……)クリスマスを楽しみにしてゐるといふ。
映画『ホームアローン』を見れば、米国で(少なくともその中のある層の人々の間で)クリスマスがどういふ祝ひの日かわかる。
本邦ではお盆の時期に公開されて「なぜ冬の映画を真夏に見なければならないのか」と思つた記憶があるが(間違つてゐるかもしれない)、ある意味、お盆とクリスマスとは似てゐる。
どちらも家族と過ごす期間なのだ。

……と書いてゐて、「自分はそんなことない」「自分の周囲にそんな人はゐない」といふ声が聞こえてくる気がするが、つづける。

『ドクター・フー』のクリスマス・スペシャルを見てゐても、クリスマスの特異性といはうか特殊さといはうか、みんな(……)どんなにクリスマスを特別なものと思つてゐるんだなあと思つてしまふ。

おそらく、いま自分が読んでゐるクリスマスの本がおもしろい理由は、「そんなことないよ」「そんなの、つい最近はじまつたことだよ」「もつと有意義に過ごす方法があるのにな」といふ、デカい主語の中に属さない人の意見が書いてあるからだらう。

ほんとはもつとクリスマスにふさはしい時期に読むつもりだつたが、読み始めてしまつたのだから仕方がない。
経済学の方はチンプンカンプンだけれども、負けずに読み進むつもりだ。

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