Revenge Crochet
土曜日にかぎ針編みのドイリーを編み終へた。
小林恭子の『レース編み 華麗なドイリー』の表紙のドイリーだ。本は雄鶏社から出版されたものである。
日曜日に整形してみたが、まだ端が少し丸まつてるなあ。
今回はきちんとピンをさしてみたのだが……やはりプレイマットのやうなものを買ふかなあ。
だが、プレイマットのやうなものを買ふとして、今後もドイリーを作るのだらうか。
前回もさう考へて購入に踏み切れなかつた気がする。
そもそもなぜドイリーを編むのか。
ドイリーを作つても、そのあとどうすればいいのか途方にくれてしまふ、とは以前からここに書いてゐるとほりだ。
小振りなものなら手帳のカヴァにはさんだりするけれど、今回のやうに直径31cmとかいふやうなものはどうしたらいいのかわからない。
だつたらなぜ作るのか、といふと、作りたいからだ。
今回は、いつもよりだいぶ丁寧に編んだつもりだ。
いつもはものすごく手がきつくなつてしまふのだが、今回はなるべく力を入れすぎないやうにした。
まだ腱鞘炎がよくなりきつてゐないから、それを考へて編むやうにしたのもよかつたのかもしれない。
おかげで糸端の始末をするときに綴じ針の先端を無理矢理編み目にくぐらせるやうなことをしなくても済んだ。
また、整形する前からぱつんぱつんな状態にもならなかつた。
そこはうまくできた部分だと思ふ。
また、くさり編みに編みつけるピコも気をつけて編んだ。
いつもくさり編みのどこに針を入れればいいのかわからなくなつて適当になつてしまふのだが、今回は編み方の図を確認しながら編んだ。
かういふときは写真や映像よりも図の方が適してゐる。
さうやつて編んでゐるときに思つてゐたことがある。
これは、ある種のリヴェンジなのではないか、と。
不器用が服を着てゐるやうな状態の自分が、レース編みのドイリーを作ることができる。
幼いころから不器用だと云はれつづけて育ち、家庭科では努力点しかつかなかつた自分が、だ。
もう誰に対しての復讐だかわからないが、妙に仇討ちめいた気分が自分の中にある。
レースのドイリーが編めたからといつて、器用になるわけぢやない。
何枚作つても器用にはならない。
わかつてゐて編むんだから、やはり自分への復讐なのかな。
この連休は糸が届けばアフガン編みで夏用のショールを編むつもりだ。
夏用のショールは綿麻混の糸で編んだものがあるんだけどね。
出かけないと使ふ機会もないから、編んでも仕方がないのだが。
やはり編みたいから編むのだらう。
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