連想と占ひ道具
毎朝一枚タロットカードを引いてゐる。
米光一成の『思考ツールとしてのタロット』に書いてあつたことをまねてゐるのだつた。
毎朝一枚カードを引いて、「今日はこんな日かな」とか、その日のあれこれについて「あ、あのカードはこんな意味だつたのか」と思ふとか、そんな感じ。
占ひといふよりは、連想に使ふ感じだ。
この本自体、タロット占ひに関する本ぢやないしね。
まあ、「魔法使ひ」とかちよつとアヤシいところはあるけれど。
毎朝、と書いたが、実のところ忘れてしまつて午後になることもある。
今日の一枚は「XII: 吊された男」。最近はジェンダー問題のためか「吊し人」と書いてあることも多い。
このカードには、逆さ吊りにされた男が描かれてゐる。
紐がついてゐるのは片足だけで、もう片方の足は吊された足と併せて「4」の字を逆さにしたやうな形になつてゐる。
カードの一般的な意味は「献身」とか「犠牲」「忍耐」などとなつてゐて、米光一成の本には「じつくり思考する時」と書いてある。
でもなあ、それだけぢやない気がするんだよなあ。
そもそもこの男はなぜ吊されてゐるのか。
異端審問かなにかにあつたのぢやあるまいか。
それでなくともみな(主語デカい)とは違つた考へを抱いてゐるのだらう。
その考へにもとづいて行動もしたのかもしれない。
それで吊された。
さう解釈してゐる。
さう考へると、吊されてゐる割におとなしい顔をしてゐるこの男は「みんな、わかつてないな」と思つてゐるやうにも見えてくる。
男は自分が正しいことを知つてゐる。
でもそれを証明することはない。あるいはしても受けいられてもらへなかつたらう。
証明したところで、人々が理解できる、いや、受け入れてくれることはないとわかつてゐるといふやうにも見える。
誰の本だつたか失念したが、愚者のカードがビートルズの「Fool on the Hill」のイメージ、と書いてあるのを読んだことがある。
さうかなあ。
愚者には、他人に対してあーだこーだ云ふイメージがない。
吊された男には逆さになつてゐる分、他人とは別のものの見え方がするのではないかと思へる点もある。
易にしてもさうだけれど、タロットカードは占ひといふよりは、かういふ連想とか自分なりの読みをするのが楽しいんだらうな、自分にとつては。
さう考へると、朝引くよりも夜引いて、その日一日をふり返つてどうだつたかと考へる方が向いてゐる気がするのだが。
夜は完全に引くのを忘れさうな気がするんだよなあ。
朝引いて、前日のことを考へればいいのだらうか。
さうかもしれない。
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