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Thursday, 22 April 2021

数へ方を覚えたい

辞書を読むといふことで、手持ちの『学研現代新国語辞典 改訂第三版』を読んでゐる。
読んでゐて気になることに、数詞がある。
たんすは「一竿……」、豆腐は「一丁……」とかいふアレだ。
今日読んだ部分にも、蚊帳は「一張(ひとはり)……」とあつた。
蚊帳といふものを見なくなつて久しい。
#個人的に、ね。
見るとしたら舞台の上やドラマの中でだらう。
そして、舞台で見る場合、基本的には蚊帳は一張しか吊られてゐない。
つまり、数へるものだといふ意識がない。
もちろん、必ず一つしかなくたつて数へられるものには数詞が必要だらう。
質屋へと急ぐ血染めの蚊帳一張、みたやうな、ね。

さういや、唐傘といふ語もあつた。
傘の語釈に、和傘は「一張(ひとはり)……」または「一張(いっちょう)……」と数へると書いてあつたが、唐傘にはとくに数詞については書かれてゐない。
「一本……」と数へるのが妥当といつたところか。
唐傘もまた、傘の骨に紙なり布なりを張つたものだと思ふのだが、そこはまたなにかが違ふのだらう。

知らない数詞は見かけるとつひ書き抜いてしまふのだが、実際のところ数へる機会がないのですぐに忘れてしまふ。
さうして忘れられてしまつた数詞といふのはいくらもあらう。
なんでも「一つ……」で済むやうな気もするし、でも本などを数へるときに「一つ……」とか数へてゐると「一冊……でせう」とか指摘されてしまふ気もする。
指摘は気にしなければいいのか。さうかもしれない。

どこかでわりきらねばと思ひつつ、おそらくこの先も辞書を読み続けるのなら、見知らぬ数詞に出会へば手帳に書き付けるし、書きつけた端から忘れていつてしまふのだらう。
無駄?
それを云ふなら辞書を読むこと自体が壮大な無駄である。

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