好きなものを増やしたくない
好きなものを増やしたくない。
失ふことが怖くなつてしまふ。
なにかほかのいいものに対する見方がゆがむ。
いいことはあまりない。
と書いて、好きなものの多い方が世の中楽しさうではあるなと思ふ。
多いといふことは代替がいくらもあるといふことかもしれない。
たとへばお気に入りのペンが廃番になつたとして、別におなじやうにお気に入りのペンがあればそれでまあなんとなく心慰められるのではあるまいか。
と書いて、そんなことはないなと思ふ。
実際にお気に入りのペンを作つてゐる会社が廃業してしまつたことがある。
もちろんほかにも気に入つてゐるペンはいくらもあつて、でもそれで心のすきまが埋まるといふことはない。
やはり好きなものは少ないにこしたことはないのだ。
だが、今日さう思つたのは、失ふ怖さ・さみしさ所以ではない。
# さういふ日ではあるけれども。
今日「好きなものを増やしたくない」と思つたのは、「新たなものへの見方がゆがむから」だ。
いま、アダム・グラントの『Think Again』といふ本を読んでゐる。
考へなほすこと、再考することを訴へる本だ。
この本に、マイク・ラザリディスのことが出てくる。
Blackberryの開発者だ。
実はこの本を読むまで知らない人物だつた。
いまも「Blackberry」でWeb検索をかけてみたが、最初のページは果実のことばかりで、「Blackberry スマホ」で調べてみてもまつたく名前が出てこない。
本邦ではBlackberryは広まらなかつたからかなあ。
ラザリディスの頭の中には日本のことなんてなかつたのかもしれない。
『Think Again』によるとラザリディスはこどものころからずば抜けて優秀で、四歳の時にはレゴでレコード・プレイヤを作つたほどであり、高校生のときには学校でTVが壊れると先生から呼ばれて修理し、フィルム編集に利用できるQRコードを発明したことでアカデミー賞を受賞したこともあるといふ。
でも、一番有名かつもつとも収益が多かつたのはBlackberryだ。
本邦にゐるとあまり実感はないが、Blackberryはかつて米国のスマートフォン市場を席巻してゐたことがある。
バラク・オバマが大統領に就任した際、「これ無しではゐられない」と云つたといふ、それがBlackberryだ。
そのBlackberryもいまは影もないといつた状況で、でも今年新作が出るのだといふ。
なぜBlackberryは凋落したのか。
『Think Again』では、ラザリディスがそれまでの成功パターンに固執したからだ、と書かれてゐる。
Blackberryが受け入れられてゐたころ世の中の人々が求めてゐたものと、その後の世の中の人が求めてゐたものは違ふ。変化した。
それにラザリディスは気がつかなかつた。
否、気がついてゐたのかもしれない。
でも無視したのだ。
そんなことがあるはずがない、人々が求めてゐるのはキーボードがついてゐて電子メールの送受信ができる小さな端末だと、思ひこんだままでゐたかつたのかもしれない。
ラザリディスはBlackberryを愛してゐたのぢやあるまいか。
だからBlackberryを否定するやうなものごとに目を向けることができなかつた。
自分の成功パターンを変更することができなかつたといふのもそのとほりなのだらう。
でも、Blackberryへの愛着が目を曇らせたのぢやないかなあ。
まあ、その点の真否はともかくとして、なにかに対して愛情を持つことが目を曇らせ、偏見に満ちたものの見方をしてしまふことになる。
さういふこともある。
それは嫌ひになることもまた同様で、たとへば嫌ひなプロ野球チームがあるとしてそのチームが優勝に近づいたりすると「あんなチームが優勝するわけがない」と根拠もなく思つたりする。
それが人間なのよ、とも思ふけれど、あまりかなしい思ひもしたくないのも人情なのだつた。
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