タティングレースのピアスへの憧れ
ピアスができない。
ピアスといふよりはイヤリングができない。
イヤリングをしてゐると、金具ではさんでゐる部分にかさぶたのやうなものができてしまふのだ。
気になるので剥ぐと、再生する。
また剥ぐと、また再生する。
そのくりかへしで、だつたら自然に剥がれるまで待てばいいのだが、それができない。
そんなわけで、タティングレースにしてもビーズ細工にしても、ピアスとか作れない。
作つてもいいんだけど、自分ではできない。
自分で作つたものを人に贈つたりましてや売つたりする趣味はないので、自然と作らなくなる。
以前、歌舞伎座ギャラリーの懐かし堂といふもよほしで歌右衛門の八重垣姫、梅幸の蓑作実ハ勝頼、先代芝翫の濡衣の「十種香」を見に行つたときに、タティングレースのモチーフのピアスをしてゐる人がゐて、うらやましかつたものだ。
作りたいんたなら作ればいいぢやないかといふ話もあつて、実ハ作つたこともある。
ピアスには仕立てず、モチーフをひとつだけ作つてファスナーの引き手につけた。
さうさう、カバンにつけるチャームのやうに仕立てたものもある。
ピアスにするなら二つ作らなければならないところ、片方だけ作ればいいといふのがいい。
おなじものを二つ作ると、どうしても優劣ができるからね。
手の慣れた二つ目の方がいいかといふとさうでもなくて、一つ作つて慣れたからと思ふ心のゆるみがいけないのか、二つ目の方ができが悪いときもある。
また、いま編んでゐるくつ下のやうにやつぱりあとで編んだかかとの方がきれいにできてゐるといふこともある。
手作りなんだからさういふもの、と割り切ればいいのかもしれないが、ここはやはりできるだけidenticalに作りたいといふのが人情だらう。
そんなわけで、おそらく今後もタティングレースのピアスを作ることはなささうだ。
あるとすれば、気に入つた映画やTVドラマ、芝居などにタティングレースのピアスをした人物が出てきたとき、かな。
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