辞書を読む
辞書を読むことにした。
詳しい話はこちらに書いてゐる。
きつかけはブログ『わたしの知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる』だ。
でも、語彙を増やさうとは思つてゐない。
なぜといつて、読む端から忘れていくだらうからだ。
これはもう必至だ。
だつて、6万7千語も載つてゐるんですよ、『学研現代新国語辞典』の改訂第三版。
それでなくても1ページ読んだらもう前のページのことなど忘れてゐることに自信がある。
それに、辞書の語釈が正しいとは限らない。
だつて人間の作つたものだしさ。
人間が作つたものといふことは、誤りがあつて当然といふことでもある。
それに、国語辞典が何種類も出版されてゐるといふことは、人によつて解釈の違ふことばがあるつてことでせう。
『広辞苑』で済めばほかの辞書はいらないはずだ。
さうではないからおもしろい、といふ話もある。
それではなぜ読むのか。
読んだことがないから、かな。
辞書を一冊通読したことがない。
一度やつてみたらおもしろいかもしれない。
もう一つ、決めたことを遂行できるかどうか、完遂できるかどうか確かめたいといふ気持ちもある。
こどものころから三日坊主の見本のやうな人生を歩んできた。
でも、少し前から「なんか、やるつて決めたことができてるかも」となんとなく思ふやうになつた。
でもどうしても早寝早起きができなくて、「やつぱり自分はダメなんだな」といふところに返つてきてしまふ。
一年計画だから途中で挫折するかもしれないが、まあできるところまではやつてみやうと思つてゐる。
要は、読むだけだしね。
世の中にはオクスフォード英語辞典を読破した人がゐる。
『Reading the OED』といふ本にことの顛末が書かれてゐる。
著者は、ことばを集めるのが好きだといふ。
「この、なんともいへないこの状態を表現することばがあるはずだ」といふので探したりするのらしい。
実際は辞書を見て、「あの、なんともいへないあの状態を表現する単語があるなんて!」つて感じなのかもしれない。
楽しさうだ。
楽しさうだが、でも、OEDだぜ。
もうAを読んでゐるところから、頭痛がして大変、みたやうなことが書かれてゐる。
Bになると「頭痛がするのはOED読破に近づいてゐる証拠」みたやうなことを云ひ出す。
さうなんだよね。
辞書を読むのは肉体的に結構疲れる。
『学研現代新国語辞典』でさへ、1ページ読むにも手で支へてゐると疲れる。うまく持てればいいんだけど、まだコツがつかめてゐない。
それに辞書つて字が小さいんだよね。
著者は天眼鏡のやうなものを使つたりしてゐるが、なかなかいいものに出会へないやうすを綴つてゐる。
こちらはいまのところ大丈夫だけれど、そのうちつらくなつてくるのかな。
そのうち挫折してゐさうな気がするけれど、挫折したらまたそこからはじめればいいかなとも思つてゐる。
続ける秘訣つて、さういふことなんぢやないかな。
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